「これは…、パズルの欠けていたピースかもしれない…」
顕微鏡をのぞき込んでいたスタインマンは、そう直観した。
彼が見ていたのは「樹状細胞」。それは細長い腕がいくつも生えた奇妙な細胞だった。
そして実際、それは「ノーベル賞級の発見」だった。
しかし当時(1970年代)、未知なる樹状細胞は信じられていなかった。同じ研究室のメンバーでさえも懐疑的だった、と当時高校生だったシュレジンガーは語る(彼女はスタインマンの研究室にちょうど加わった頃だった)。
免疫系の全貌が明らかにされていなかった1970年代、わかっていたのは「体外からの侵入者を見つける白血球(B細胞)と、それらの侵入者を攻撃する白血球(T細胞)がある」ということくらいであった。
しかしなぜ、何がキッカケとなって、B細胞とT細胞とが動き出すのか? それは不明だった。
そんな暗闇の中、樹状細胞を発見したスタインマンは、この樹状細胞こそが「パズルの欠けていたピース」だと直観したのである。
確かにスタインマンの「直観」は正しかった。
それは追って証明されていくことである。そのためには、20年以上の歳月は要することになるのだが…。
そしてついには、樹状細胞の発見が「ノーベル賞」の候補に上がる(2011)。
しかし、ノーベル賞を勝ち取ったこと知らせるメールを、スタインマンは受け取ることができなかった。
彼はその丁重な知らせの3日前、すでに息を引き取っていたのだった…。
スタインマンを死の淵に追いやったのは、膵臓ガン。患者の5人に1人が一年以内に死亡するという酷な病気であった。
余命一年とされたスタインマンであったが、彼は結局それから4年以上も生きた。それは取りも直さず、彼自身の発見した「樹状細胞」を活用した赫々たる成果でもあった。
しかし、今一歩およばず、ノーベル賞受賞の知らせの3日前に力尽きたスタインマン…。
ノーベル賞の規則によれば、故人への授与は認められていなかった…。
◎すい臓ガン
スタインマンの身体に異変が起きはじめたのは、2007年の初め、コロラド州でのスキー旅行からだった。おなかの具合の悪くなったスタインマン、家に帰ってから間もなく、黄疸が出た。
CTスキャンの結果、膵臓(すいぞう)に腫瘍が見つかる。その時すでに、ガンはリンパ節にまで転移していた。
スタインマンは即座に悟った。自分が生き残る見込みの薄いことを。
膵臓ガン患者の約80%は、1年以内に死亡するのである。
「グーグル検索しないで、とにかく聞いてくれ」
スタインマンは家族にそう前置きしてから、自身の深刻な病気のことを知らせた。
「だれかに殴られたような気がした」と、娘のアレクシスはその時の衝撃を振り返る。
絶望的なガンだった…。
しかしそれでも、スタインマンはどこか嬉々としたところも持ち合わせていた。それは、彼の「科学者として血」がそうさせていたのだ。
彼は患者であると同時に科学者。科学者としての彼が生涯をかけていた「樹状細胞」というのは、まさにガンの治療に役立つものであったのだ。
◎自然よりも賢く
スタインマンの研究室は、樹状細胞を用いて、エイズ(HIV)ワクチンや結核ワクチンのほか、ガン治療法の研究も行うようになっていた。
樹状細胞がその力を求められるのは、「免疫系の攻撃を切り抜けるのが上手い病気」に対してだ。
というのも、インフルエンザや天然痘などは、一度それらにかかった人には免疫がつく。ところが、エイズや結核、ガンなどではそうはならない。エイズ(HIV)に至っては樹状細胞が乗っ取られ、悪用されてしまうのだ。
樹状細胞というのは、そのいくつも生えた腕で体外からの侵入者を捕らえると、その外敵をほかの免疫細胞のところへ運んでいって、「何が敵か、何を攻撃すべきか」を仲間たちに教える役割をもつ。
しかし、変装の上手いガン細胞などは、樹状細胞の監視の目を欺くことがある。そんな時、仲間になりすましたガン細胞は、着々と事を推し進めてしまうのだ。
だがもし事前に、侵入者の情報を樹状細胞に与えておけば、もっと早い段階で樹状細胞はガン細胞を発見できる。
スタインマンの仕事は、「免疫系が攻撃すべきウイルスや腫瘍に関する『具体的な情報』を樹状細胞に与えて、助けてやること」であった。
ズル賢いガン細胞などに負けないためには、人間がもっと賢くなければならない。
「我々は、自然よりも賢くなくてはいけない」
それがスタインマンの信念であった。
◎実験
はたして、スタインマンは自分の冒されたガンより、賢く振る舞うことはできるのか。
ガンの告知を受けた彼の「実験」は、こうして始まった。彼は喜んでその実験台となったのだった。
同じ研究室のシュレジンガーは、高校以来の師・スタインマンのガンを知り「打ちのめされた」。長年の友人であったニコレットは、知らせを聞いて「よろめいた」。
それでもスタインマンは彼らをこう励ました。「非常に深刻な病気だが、私は『とても有利な立場』にいる」と。
スタインマンには、相談できる一流の免疫学者と腫瘍学者が世界中にいた。そして何より、彼は「彼自身の樹状細胞」がガン腫瘍に対する免疫を誘導してくれると確信していた。
シュレジンガーは、すぐに師の下で力を結集し始めた。
ニコレットは、スタインマンと共同で設立したRNA医薬品会社(アルゴス・セラピューティクス)の最高科学責任者。その有利な立場を利用して、即座に仲間を動かし始めた。
◎ワクチン
幸いにも、ニコレットはすでに樹状細胞を利用したワクチンを開発済みだった。そのワクチンは、患者本人の樹状細胞から、ガン細胞を攻撃するT細胞を誘導するものだった。
ただ、そのワクチンを作るためには、患者の腫瘍の一部が必要とされた。
ニコレットの開発したワクチンはその時、臨床試験の第�U相(中間ステージ)。この臨床試験にスタインマンを参加させるためには、FDA(米食品医薬品局)にその許可を申請する必要があった。
その申請のために残されていた時間は「わずか数日」。
そこで2007年4月、スタインマンの膵臓の一部が大急ぎで切除された(ウィップル手術)。そして何とか、ギリギリのところで承認を取り付けたのであった。
◎時間
スタインマンがガンと診断されてからというもの、「試験段階にある治療法を試してみないか」とのさまざまな申し出が世界中から殺到していた。
「友人や研究者仲間たちみんなが、可能な限り最良の方策を示してくれたのです」とシュレジンガー。
スタインマンは積極的に「臨床試験で評価中の新しい免疫治療法」を検討。その結果、そのいくつかを受けることにした。
ただし、スタインマンは「治療をゆっくり進めよう」と主張した。というのも、いくつもの治療を同時に受けてしまうと、どの治療によって、どう免疫応答が変わったか分からなくなってしまう。
科学者としてのスタインマンはあくまで「一つの治療法を終えてから、自分の免疫系がどう変わったかを調べ、それから次の治療に移りたかった」のである。
スタインマンは、仲間たちがヤキモキするほど、この点は辛抱強かった。
しかし、シュレジンガーはそこまで悠長には待っていられなかった。
「時間がないんです…!」
死んでしまったら、実験もデータ収集も終わってしまう。そうスタインマンを説得するのに彼女は必死だった。
◎世界の頭脳
「一般的に科学は孤独なプロセスだと思われているが、じつは非常に社会的なんです」
シュレジンガーは、病に倒れたスタインマンの元に世界中から寄せられる好意に胸が熱くなっていた。
「スタインマンは長年、多くの人々と分け隔てなく仕事をし、この分野を率先してつないできました。そして今度は、その科学者ネットワークが一人の仲間を助けようとしていたんですから!」。
それほど多くの「世界の頭脳」が、ベッドの上のスタインマンを見守っていたのである。
ある秋の日、シュレジンガーはスタインマンと、青く澄み渡った秋空を眺めていた。
そして、こんな悲しい想いにとらわれた。
「先生は、次の秋を迎えることはないのかも…」
それでもスタインマンの健康状態は、良好な状態を保っていた。
むしろ幸運な知らせも舞い込んだ。「ノーベル賞の前触れ」といわれるアルバート・ラスカー賞基礎医学研究賞をスタインマンが受賞したのだった。
一連のビデオインタビューで、スタインマンは「ガンと闘う上で、樹状細胞が有望な手立てになること」を切々と説いた。
「まったく新しいガン治療法が生まれる可能性もあると思う」
そう語るスタインマンの言葉には、異様な熱がこもっていた。それは今まさに、自身が実験台として、その可能性を実感していたからでもあろう。
◎大文字
なぜか、スタインマンのメールは「すべて大文字」であった。
それらのメールは、被験者として自分のデータを検証し、研究室に出す指示だった。スタインマンは自分の身体が治療にどう反応しているかを詳しく記録していたのである。
あたかも、ふだん研究室で自分が行なっていた実験と同じように…。
ある夜、夕食が終えると、スタインマンの脚が異様に腫れ上がっていた。そこはワクチンの注射の痕だった。
「彼はその腫れにとても興奮していたんです」とシュレジンガーは振り返る。
「これはT細胞だ! すごいじゃないか!」
スタインマンは興奮を抑えきれない様子だった。脚の腫れは、自分の身体がワクチンに応じて免疫応答を起こしている紛れもない証拠だったのだ。
「彼はワクチン接種部位の様子を熱く書き記したメールを送ってきたりもしました」と、シュレジンガーは懐かしむ。
スタインマンの「大文字」は、その熱さを余すところなく伝えてくれていた。
◎不満と成果
「腫瘍マーカー」というのは、ガンの進行具合を示すタンパク質の量であるが、その値の変化にスタインマンの気持ちは一喜一憂していた。
マーカーが下がると、スタインマンは大いに喜んだ。「実験成功」という大文字のメールをみんなに送るのだ。
それは患者としての歓喜というよりは、科学者としてのそれであった。
ただ、スタインマンには不満もあった。
彼の得られるデータは、所詮一人のデータにすぎない。被験者が一人というのは、とうてい科学的な実験とはいい得ない。それを彼自身が痛感していたのだ。
しかも、いくつかの実験が並行して行われていたため、どの治療法が腫瘍マーカーを下げるのかが判然としなかった。
そんな不満の中にも、特筆すべき成果は得られていた。
スタインマンの治療中に、CD8陽性T細胞(別名・キラーT細胞)の約8%が、彼の膵臓ガンを特異的に攻撃していることがわかったのだ。
「8%は非常に大きな数字だ」
そう言って、スタインマンはじつに満足気であった。
◎ついに…
2011年9月、スタインマンは肺炎になった。
それは、妻のクラウディアと結婚40周年を祝ってイタリアを旅した3カ月後だった。
「退院できないかもしれないな…」
娘のアレクシスは、そう漏らした。
父・スタインマンは、すでに膵臓ガン患者の平均生存期間よりもはるかに長く生きていた。1年以内に死ぬどころか、もう4年半にわたって元気だった。
まさか、「あと数日」で父と永遠に別れることになるとは思っていなかった。
スタインマンが亡くなるのは、2011年9月30日。
肺炎による呼吸不全。享年68歳。
「ガンで弱った彼の身体には、もはや闘う力は残っていなかった…」
◎ある早朝
スタインマンの家族は、彼の死を世界中にどうやって知らせたらいいのか苦慮していた。その世界中に広がるネットワークは、あまりにも膨大であり、一家族の手に負えるものでは到底なかった。
結局、死から3日後の10月3日に、スタインマンの研究室にまず知らせよう、ということで落ち着いた。
ノーベル賞受賞の知らせは、彼の死を公表しようとした、まさにその日の早朝にもたらされた。
マナーモードになっていた故スタインマンのスマートフォン。それは妻・クラウディアのそばに置かれてあったのだが、彼女はその振動に気づかなかった。
ストックホルムからの連絡は、その時差ゆえか、非常識なほど早い時間帯であり、家族全員はまだ深い眠りの中だったのだ。
早朝の浅い眠りの中、妻・クラウディアは、スタインマンのスマートフォンが小さな光を点滅させていることに気がついた。
それは、スタインマンが2011年のノーベル生理学・医学賞を勝ち取ったことを知らせるメールだった。
◎3日遅かった
「バカッ!!」
その知らせに、娘・アレクシスはそう叫んでいた。
3日遅かった…。たった3日…。
ノーベル賞の規則によれば、故人への授与が認められないことを、彼女は知っていた。
だが、世界のほかの場所では、ノーベル賞委員会の発表に何の問題もなかった。
世界はまだスタインマンの死を知らなかったのだ。
その死が明るみに出るのは、ノーベル賞受賞の発表から数時間後のことであった。
当然、委員会は会議を開くこととなった。
スタインマンの死去は、あまりにも微妙なタイミングだ。
発表されから授賞式の間に亡くなったのであれば、その受賞は取り消されることがない。しかし、スタインマンの死は発表の3日前だった。ただ、委員会がその死を知らなかっただけで…。
◎幸運
その会議はだいぶ長引いだようだった。ようやく委員会の結論が出たのは、その日のだいぶ遅い時間であった。
「スタインマンをそのまま受賞者にする」
そう発表された。
スタインマンのノーベル賞受賞、そしてその死に関するニュースは、世界のメディアを大いに賑わせた。
その数日後、アップル社のスティーブ・ジョブズも、スタインマンと同じ膵臓ガンで亡くなったというニュースが上書きされた。
スティーブ・ジョブズは診断を受けてから8年間生きた。それは、同じ膵臓ガンとはいえ、神経内分泌腫瘍という進行の遅いマレなタイプであったためである。
一方、スタインマンの生存期間は「予想をはるかに超えるもの」だった。
◎みんなの腕
「何かが彼の生命を延ばしたことに、疑いの余地はありません」
シュレジンガーは自信をもって、そう断言する。
その「何か」が何だったのかは、目下、研究者たちが必死で追い求めている真っ最中だ。
その結論はまだまだ先とはいえ、シュレジンガーは確信している。
「仲間たちの治療が効いたのです。科学的に言えば、『免疫には効果がある』ということです」と。
きっと樹状細胞の長い腕は、スタインマンを死の淵から救おうと、ギリギリまで伸ばし続けられていたのだ。
その幾多の腕には、さらにスタインマンの仲間たちの腕が助勢に加わった。シュレジンガーの腕しかり、ニコレット腕しかり、世界中の科学者の腕しかり…。そして、家族の腕が…。
その最後に腕を差し伸べたノーベル賞委員会。
彼らの腕はスタインマンの腕に今一歩届かぬように見えたものの、最後にはガッチリ手に手を取り合った。
「幸運は、準備のできた心に味方する(パスツール)」
これは生前のスタインマンが、研究室に飾るほど好きだった言葉だ。
そしてまた、スタインマンはこうもよく言っていた。
「発見すべきことが、まだまだたくさん残っている」
志半ばに倒れたスタインマンは不幸だったのか?
いや、その志は幸運だ。きっと彼の仲間たちが、さらなる高みへと押し上げてくれるのだろう。
樹状細胞の奇妙な腕は、きっとまだまだ伸びていく…!
(了)
出典:日経サイエンス2012年4月号
「スタインマンの最後の闘い 自ら試したガンワクチン」


明示しないほうがよいのかもしれませんので、そうであればコメント削除していただきたいのですが、2011.9.の3月前6月は、3.11.の放射能が対流圏を相当舞っていた時期かと。この影響を受けたのでしょう。身を挺(呈)して医科学、生物学の同士に反核を示されたのは、もしや意図されてのことかとも思われました。
私も身を持って内部被爆理論を体験しましたが、なんらかの測定数値として客観化できないことが残念です。
胸と背中の痛み。胸腺細胞への影響か。
http://cosmo.blogzine.jp/cosmo/2013/03/post_9035.html
胸腺細胞も新規免疫獲得に関わっているとされており、原発由来の放射性核種のいづれかが胸腺細胞に選択的に影響するならば、人類へのさらなる脅威となります。
日本は樹状細胞活性化による免疫治療の先進医療制度が早々に実現されておりすばらしい国です。
記事を書いたのがちょうど2011.9.でした。
先進医療認可、実施の動向と国保及び民間保険での対応動向
http://cosmo.blogzine.jp/cosmo/2011/09/post_6979.html
がんの再発リスクを抑える 自家がんワクチン療法
http://cosmo.blogzine.jp/cosmo/2011/09/post_0263.html
化学療法、重粒子線療法などと併設なのは、歴史的経緯があり仕方ないのかもしれません。