2016年12月10日

みんな完全に必要とされている[ブルーエコノミー]




グンター・パウリ博士(Dr. Gunter Pauli)は、こんな話からはじめた。

ある牛飼いがメス牛を、肉屋につれていって屠殺した。

そのメス牛は、2週間後に出産予定の子牛を孕んでいた。メス牛はお腹のなかの子牛もろとも殺されたのだった。



We would consider that person a horrible person.

「私たちは、その人を残酷な人(a horrible person)だと思うでしょう」とグンター博士は言う。

We don't understand why someone could be so barbarian not to let the calf live first.

「まず子牛を生かそうともしないなんて残酷なこと(so barbarian)が、どうしてできるのか理解できないでしょう」



さて、この話を念頭に、次の話を聞いてみよう。

海では毎日、大量の魚が捕獲されている。

捕られる魚の12〜15%は、卵をはらんだメス(females with eggs)である。

私たちが魚をさばいた時、卵が入っていると喜びを感じる。







We think it's normal with a fish, but we think it's a barbarian with an animal.

「魚であれば普通のことで、動物だと残酷だと思う」とグンター博士は言う。

What's wrong with us?

「私たちはいったい、どうしてしまったのでしょう」

We have to realize the way we're behaving lacks all ethics.

「私たちは、自分たちの行動にまったく倫理(ethics)が欠如していることに気づくべきなのです」

Because we are elephants in the porcelain shop.

「なにしろ私たち人間は、陶磁器店に迷い込んだゾウのようなもの」

Our tail waggles and we have no idea how much we're destroying.

「シッポを振り回しては、自分たちがどれほど多くを破壊しているかも知らないのです」







農業や漁業をサステナブル(持続可能)なものにするためには、メスを殺さないほうがいいということを私たちは知っている。子供を産ませたり、ミルクを得られたりするほうが理にかなっている。

しかし、実際の経済現場では必ずしもそうはなっていない。意識せずに振り回したシッポが、生命の網(the web of life)をかき乱してしまっている。



My focus is on changing the rules of the game.

「わたしが注力しているのは、物事のやり方を変えることです」とグンター博士。

not using the rules of the globalized economy.

「グルーバル化経済のルールをつかわずにね」

We have a few methodologies that allow us to see the turnaround.

「私たちには、そういった方向転換(the turnaround)をする方法論がいくつかあります」



たとえば電池の例。

高性能なリチウム電池が発明され、誰もがリチウムの採掘に夢中になった。

The lithium is gonna come from the high mountains of Bolivia, which have the largest deposits in the world.

「リチウムは、世界最大の産出地であるボリビアの高地で採掘されます」とグンター博士。

We're gonna destroy that ecosystem in order to do what?

「(リチウム採掘のために)生態系を破壊するのは、いったい何のためでしょう?」



ニッカドからリチウムへ、より高効率な電池が発明されるたびに、資源の採掘場所は変わっていく。しかし、それでは堂々巡りとなってしまう。たとえ新しい資源が生態系への負荷を減らすとしても。

Doing less bad is bad.

「悪影響が以前より小さくても、悪いことに変わりありません」とグンター博士。

We have to say that what is bad needs to be eliminated.

「悪いものは完全に排除すべきだ、と言わざるをえません」

We have to put ourselves in the most creative mind --

「私たちは、最も創造的な考え方をしなければなりません」

That is "the nothingness".

「それは『無』という考え方です」

We don't substitute something with something else.

「なにものかを別のなにかで置き換えるのではありません」

We substitute something with nothing.

「有るものを無いという状態にするのです」

Instead of saying we're going to start funding batteries that are more efficient, we're saying , "No batteries."

「より高効率な電池への投資をはじめるのではなく、『電池はいらない』と言うのです」

There's nothing.

「電池が無い」

And now we're in this nothing, imagine how it still works.

「無い世界にいたとしても、うまくいっている様子を想像してください」



こうした発想こそ、グンター博士の提唱する「ブルーエコノミー(Blue Economy)」。グローバル化経済のルールをつかわずに示す、新たな未来像である。



You use what you have.

「すでに有るものを使うのです」

You focus on generating value.

「(見出されていなかった)新たな価値に着目するのです」

You increase so much value with what you have.

「すでに有るものから、ずっと多くの価値を引き出せるのです



If you have the nothingness, the substitution of something with nothing.

「無という意識をもって、あるものを無に置き換えれば」

then you will not to through the trap of the substitution effect and have undesired consequences.

「代替効果のワナに陥ることも、望まない結果になることもないでしょう」

In the blue economy, we wanna create a sense of abundance.

「私たちはブルーエコノミーを通じて、豊かさの感覚を生み出したいのです」







たとえば失業者。

経済が「できる人(the ables)」を選んでいく結果、排除されてしまった人たち、それが失業者。



We have an economic system that is built on exclusion.

「私たちの経済システムは、排除(exclusion)の上に成り立っています」

By having this economic logic that unemployment is a need for having flexibility in the market.

「市場に柔軟性をもたせるためには、失業が必要だという経済論理があります」

In nature, every one is employed , no one is unemployed.

「でも自然界においては、誰にでも仕事があります。仕事のない人などいません」

everyone contributes to the best of their capabilities.

「誰もがそれぞれの能力を最大限に発揮しながら、全体に貢献しているのです」



We know that the worst will hit.

「皆さんもご存知のように、最悪の事態というのは起こるものです」

We know the tsunami will come, we know the typhoon is around the corner.

「津波もくれば、すぐそこに台風もきている」

You need resilience.

「必要なのは回復力(resilience)です」

You need to be able to bounce back.

「私たちには、立ち直ることのできる力が必要なのです」

That you can't do on your own, and that means you have your network, your web of life.

「一人ではどうにもできませんが、あなたにはネットワークが、生命の網(the web of life)があるのです」



The globalized economy already made an exclusion of the poor.

「しかしグローバル化経済はすでに、貧しい人を排除しています」

経済理論では、排除された人たちがたとえ市場に柔軟性(flexibility)をもたらすとしても、そのせいで綻(ほころ)んでしまった生命の網は十分な回復力(resilience)を維持することができない。



We recreate the value.

「私たちは、(排除されたものにも)新たな価値をつくりだすのです」

You cycle it always by giving more and more value.

「価値をあたえつづけ、どんどん循環させていくのです」

You celebrate life by cycling.

「循環させることこそが、生命を讃えることにつながるのです」

And that gives a resilience in the system.

「そうすることで、社会に回復力がそなわっていくのです」

We have the ethics that says there is full employment only.

「私たちは、みんな完全な必要とされている、という倫理をもてるのです」

The ethics is what we're missing.

「その倫理こそが、私たちの忘れているものなのです」





もう一度、繰り返そう。



In nature, every one is employed , no one is unemployed.

「自然界においては、誰にでも仕事があります。仕事のない人などいません」

everyone contributes to the best of their capabilities.

「誰もがそれぞれの能力を最大限に発揮しながら、全体に貢献しているのです」

In the blue economy, we wanna create a sense of abundance.

「私たちはブルーエコノミーを通じて、豊かさの感覚を生み出したいのです」









(了)






出典:『English Journal』2016年1月号



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posted by 四代目 at 06:52| Comment(1) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

みんな完全に必要とされている[ブルーエコノミー]




グンター・パウリ博士(Dr. Gunter Pauli)は、こんな話からはじめた。

ある牛飼いがメス牛を、肉屋につれていって屠殺した。

そのメス牛は、2週間後に出産予定の子牛を孕んでいた。メス牛はお腹のなかの子牛もろとも殺されたのだった。



We would consider that person a horrible person.

「私たちは、その人を残酷な人(a horrible person)だと思うでしょう」とグンター博士は言う。

We don't understand why someone could be so barbarian not to let the calf live first.

「まず子牛を生かそうともしないなんて残酷なこと(so barbarian)が、どうしてできるのか理解できないでしょう」



さて、この話を念頭に、次の話を聞いてみよう。

海では毎日、大量の魚が捕獲されている。

捕られる魚の12〜15%は、卵をはらんだメス(females with eggs)である。

私たちが魚をさばいた時、卵が入っていると喜びを感じる。







We think it's normal with a fish, but we think it's a barbarian with an animal.

「魚であれば普通のことで、動物だと残酷だと思う」とグンター博士は言う。

What's wrong with us?

「私たちはいったい、どうしてしまったのでしょう」

We have to realize the way we're behaving lacks all ethics.

「私たちは、自分たちの行動にまったく倫理(ethics)が欠如していることに気づくべきなのです」

Because we are elephants in the porcelain shop.

「なにしろ私たち人間は、陶磁器店に迷い込んだゾウのようなもの」

Our tail waggles and we have no idea how much we're destroying.

「シッポを振り回しては、自分たちがどれほど多くを破壊しているかも知らないのです」







農業や漁業をサステナブル(持続可能)なものにするためには、メスを殺さないほうがいいということを私たちは知っている。子供を産ませたり、ミルクを得られたりするほうが理にかなっている。

しかし、実際の経済現場では必ずしもそうはなっていない。意識せずに振り回したシッポが、生命の網(the web of life)をかき乱してしまっている。



My focus is on changing the rules of the game.

「わたしが注力しているのは、物事のやり方を変えることです」とグンター博士。

not using the rules of the globalized economy.

「グルーバル化経済のルールをつかわずにね」

We have a few methodologies that allow us to see the turnaround.

「私たちには、そういった方向転換(the turnaround)をする方法論がいくつかあります」



たとえば電池の例。

高性能なリチウム電池が発明され、誰もがリチウムの採掘に夢中になった。

The lithium is gonna come from the high mountains of Bolivia, which have the largest deposits in the world.

「リチウムは、世界最大の産出地であるボリビアの高地で採掘されます」とグンター博士。

We're gonna destroy that ecosystem in order to do what?

「(リチウム採掘のために)生態系を破壊するのは、いったい何のためでしょう?」



ニッカドからリチウムへ、より高効率な電池が発明されるたびに、資源の採掘場所は変わっていく。しかし、それでは堂々巡りとなってしまう。たとえ新しい資源が生態系への負荷を減らすとしても。

Doing less bad is bad.

「悪影響が以前より小さくても、悪いことに変わりありません」とグンター博士。

We have to say that what is bad needs to be eliminated.

「悪いものは完全に排除すべきだ、と言わざるをえません」

We have to put ourselves in the most creative mind --

「私たちは、最も創造的な考え方をしなければなりません」

That is "the nothingness".

「それは『無』という考え方です」

We don't substitute something with something else.

「なにものかを別のなにかで置き換えるのではありません」

We substitute something with nothing.

「有るものを無いという状態にするのです」

Instead of saying we're going to start funding batteries that are more efficient, we're saying , "No batteries."

「より高効率な電池への投資をはじめるのではなく、『電池はいらない』と言うのです」

There's nothing.

「電池が無い」

And now we're in this nothing, imagine how it still works.

「無い世界にいたとしても、うまくいっている様子を想像してください」



こうした発想こそ、グンター博士の提唱する「ブルーエコノミー(Blue Economy)」。グローバル化経済のルールをつかわずに示す、新たな未来像である。



You use what you have.

「すでに有るものを使うのです」

You focus on generating value.

「(見出されていなかった)新たな価値に着目するのです」

You increase so much value with what you have.

「すでに有るものから、ずっと多くの価値を引き出せるのです



If you have the nothingness, the substitution of something with nothing.

「無という意識をもって、あるものを無に置き換えれば」

then you will not to through the trap of the substitution effect and have undesired consequences.

「代替効果のワナに陥ることも、望まない結果になることもないでしょう」

In the blue economy, we wanna create a sense of abundance.

「私たちはブルーエコノミーを通じて、豊かさの感覚を生み出したいのです」







たとえば失業者。

経済が「できる人(the ables)」を選んでいく結果、排除されてしまった人たち、それが失業者。



We have an economic system that is built on exclusion.

「私たちの経済システムは、排除(exclusion)の上に成り立っています」

By having this economic logic that unemployment is a need for having flexibility in the market.

「市場に柔軟性をもたせるためには、失業が必要だという経済論理があります」

In nature, every one is employed , no one is unemployed.

「でも自然界においては、誰にでも仕事があります。仕事のない人などいません」

everyone contributes to the best of their capabilities.

「誰もがそれぞれの能力を最大限に発揮しながら、全体に貢献しているのです」



We know that the worst will hit.

「皆さんもご存知のように、最悪の事態というのは起こるものです」

We know the tsunami will come, we know the typhoon is around the corner.

「津波もくれば、すぐそこに台風もきている」

You need resilience.

「必要なのは回復力(resilience)です」

You need to be able to bounce back.

「私たちには、立ち直ることのできる力が必要なのです」

That you can't do on your own, and that means you have your network, your web of life.

「一人ではどうにもできませんが、あなたにはネットワークが、生命の網(the web of life)があるのです」



The globalized economy already made an exclusion of the poor.

「しかしグローバル化経済はすでに、貧しい人を排除しています」

経済理論では、排除された人たちがたとえ市場に柔軟性(flexibility)をもたらすとしても、そのせいで綻(ほころ)んでしまった生命の網は十分な回復力(resilience)を維持することができない。



We recreate the value.

「私たちは、(排除されたものにも)新たな価値をつくりだすのです」

You cycle it always by giving more and more value.

「価値をあたえつづけ、どんどん循環させていくのです」

You celebrate life by cycling.

「循環させることこそが、生命を讃えることにつながるのです」

And that gives a resilience in the system.

「そうすることで、社会に回復力がそなわっていくのです」

We have the ethics that says there is full employment only.

「私たちは、みんな完全な必要とされている、という倫理をもてるのです」

The ethics is what we're missing.

「その倫理こそが、私たちの忘れているものなのです」





もう一度、繰り返そう。



In nature, every one is employed , no one is unemployed.

「自然界においては、誰にでも仕事があります。仕事のない人などいません」

everyone contributes to the best of their capabilities.

「誰もがそれぞれの能力を最大限に発揮しながら、全体に貢献しているのです」

In the blue economy, we wanna create a sense of abundance.

「私たちはブルーエコノミーを通じて、豊かさの感覚を生み出したいのです」









(了)






出典:『English Journal』2016年1月号



関連記事:

目的的ではないゴリラと京大 [山極寿一]

永久につづく森へ [明治神宮100年の物語]

消えるミツバチと、のさばるカメムシ。



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2016年11月01日

巨大格差の落とし子たち




アメリカ西海岸の大都市シアトル。

その高層ビル群の街下に、色とりどりのテントが立ち並ぶ。

これは、いったい…?



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シアトルではこの5年で不動産価格が高騰、家賃が払えずに路上暮らしを余儀なくされた人々が街にあふれた。この「テント・シティ」は、その急増したホームレスを救済するために、市が公的に設置したものだった。現在、市内8ヶ所にあるという。

「なんで、こんなに貧しくなったんだか理解できないよ。世界有数の富裕国、アメリカで…」

ホームレスになってしまった彼らの多くは無職ではない。それにもかかわらず、収入がまったく追いつかないのだ。




現在、アメリカの貧困者は上昇の一途をたどっており、およそ7人に一人が生活困窮状態におかれているという。その一方で、ビリオネアと呼ばれる資産1,000万ドル(約10億円)以上の超富裕層が、アメリカでは世界一多い(およそ500人)。

いわゆる経済格差、しかも途方もなく巨大な格差がアメリカには蔓延している。

マネーは富裕層を好むのか、ひとたび上昇した富は天井知らずに伸びつづける。そして今や、世界の下位36億人の資産を合わせても、上位62人の総資産に及ばない。ちなみに、世界のスーパー大富豪62人の平均資産は3兆円を超えているという。



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米国のメディア王にしてビリオネア(超富裕層)、スタンリー・ハバードさん(Stanley Hubbard, 83歳)は言う。

「渋滞に巻き込まれたって? 渋滞はいいことだ。みんなラジオを聴くからね(笑)」

彼の経営するハバード・ブロードキャスティングは全米にネットワークをもち、毎年7億ドル(約700億円)の収益をあげている。



経済格差について問われた彼は、こう明言する。

「貧しいのは、努力をおこたっているからだ」



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ニューヨーク大学教授のリチャード・エプステインさんは、こう言う。

「一部の大金持ちが活躍できたほうが、経済にとっては良いのです」

彼の考え方は「トリクルダウン理論(trickle-down effect)」に基づく。富裕層が富めば富むほど、貧困層にも富のおこぼれが雫(しずく)のように滴(したた)っていくと考える。

たとえば、ピラミッド状に積んだワイングラスのタワーの、一番上のグラスからワインを注げば、いずれ一番下のグラスもワインに満たされるということだ。





しかし世界の現状を見回すに、最下層のワイングラスはいつまでたっても満たされない。

というのも、経済格差が極端に広がりすぎてしまった現在、トップのワイングラスが巨大化しすぎてしまって、ワインは全体に回らなくなってしまっているのだ。



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なぜ、経済格差はここまで巨大化してしまったのか?

アダム・スミス以降、近代資本主義250年の歴史をふりかえる。格差の下層はたいてい労働者、そして上層には経営者、もしくは資本家が置かれる。格差を測るモノサシとしては「ジニ係数」が用いられる。

経営者が得た富を、賃金として労働者に分配することで、格差は縮小する。もしくは政府が富裕層に高い税率を課せば、貧困層に社会福祉というルートで富が還元されて、格差はやはり縮小に向かう。つまり富の循環には、賃金の上昇と富裕層への重税という2つの大きな道がある。

ロシア革命(1917年)に端を発する社会主義というシステムは、労働者の生活を保障することによって格差を是正する方向へ働いた。片や資本主義のそれは、富める者たちへの課税という形をとった。



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はじめ、格差は一定幅の上下を繰り返していた。ところが1980年代から世界は格差拡大へと邁進しはじめる。

1991年に社会主義の雄であったソビエト連邦が崩壊。一方の資本主義の陣頭、アメリカでは法人減税など規制緩和を推進。豊かな人たちへの税が軽くなった。またIT化やグローバル化などが国境なき雇用を促進し、労働者の賃金は低価格競争に突入していった。

労働賃金の低下、富裕層への減税。この2つの流れは現在もつづいており、その結果、格差の拡大はいまだ収束するところを知らない。



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「わたしは振り子が振れすぎた、と考えています」

そう言うのは、ロバート・ライシュ(Robert Reich)さん。アメリカの元労働長官だ。

「もちろん格差には、経済発展につながるというプラスの側面があります。しかし、現在の格差は行き過ぎ、プラスの影響をはるかに超えてしまいました」







アメリカ南部のテネシー州。貧困率は全米でもワーストクラスの州だ。

その州民であるダニエレ・バイヤーズさん(56歳)は、椎間板の変形、関節炎、肺炎などを併発し、もう職に就けない。

「お金がないので、もう6年も手術を受けていません」と彼女は言う。医療保険に入る金もない。テネシー州では低所得者向けの公的医療保険も提供されているが、彼女はその対象に入れなかった。そうした人たちがこの州には28万人も存在する。



彼女のような困った人たちを救おうと、州知事が強力に後押しして、新たな医療保険制度をつくることになった。バイヤーズさんは藁にもすがる思いでその法案の成立を祈った。

ところが、その成立を目前にして突如、巨大な反対勢力があらわれた。猛反対したのは「繁栄のためのアメリカ人会(Americans For Prosperity Foundation)」という富裕層らが支援する団体だった。

そのテネシー州代表であるアンドリュー・オグルス氏は言う。

「全員に無料で医療サービスを提供できるというのは幻想です。電卓をたたけば、計算が成り立たないことはすぐにわかるでしょう」



待望の医療保険の廃案に、重病のバイヤーズさんは落胆を隠せない。

「また、薬か食事かを選ばなければいけなくなってしまいました…」

そして、ぼそり、こう呟いた。

「政治がお金で動かないようにしなくてはいけません」







アメリカにおいて、富裕層が政治に与える影響は多大である。

前出のメディア王、スタンリー・ハバードさんは言う。

「われわれは同じ思想をもっている議員たちに献金をします。わたしは政治家に見返りを求めたことはありませんが、政治家は多額の献金をした人を決して忘れません。それが人間のサガです。彼らがいわば防護壁の役割をはたすのです」

今回のアメリカ大統領選挙への献金、その3分の1にあたる5.5億ドル(約600億円)はビリオネアなど、ひと握りの富裕層が投じたものである。



プリンストン大学のマーティン・ギレンス教授は、過去20年間にアメリカで採択された1,800の政策を分析。すると、そのうちの45%が富裕層の主張した内容だったことが判明した。

ギレンス教授は言う。

「富裕層は政治に多大な影響力をもっており、低所得者層が政策に影響をあたえた例はほとんどありません」



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モリス・パールさんは、そんなアメリカの巨大格差に疑問をもった。

彼自身は押しも押されぬ富裕層。「ブラックロック」という世界最大の資産運用会社の元常務であったが、その盤石の地位を2年前に退職。「パトリック・ミリオネアズ(国を愛する富裕層)」という政治団体を立ち上げ、驚きの提言を発表した。

「われら富裕層への税を重くせよ」

さらに続ける。

「労働者への最低賃金は、10.10ドル(時給1,200円)を確保せよ」

労働者の賃上げ、そして富裕層への重税という2つの政策は、歴史的に格差是正の大道とされてきたものだ。だが、悲しいかな世界はその大道にそむきつづけてきた。パールさんの主張は「大道へ戻れ」というものに他ならない。



このまま格差が拡大の一途をたどりつづけるのなら、モノやサービスの流れが悪くなり、ひいては富裕層も足元も崩れてしまう。

パールさんは言う。

「わたしは貧困層が収入を増やして中間層に入れるようにしたいのです。それは経営者や資産家にとってもよいことです。モノやサービスを購入できる中間層を増えるのですから」

What goes around, comes around.
情けは人のためならず

パールさんに賛同する大富豪(資産5億円以上)は、いまや200人を超えるまでに増えている。






企業サイドでも新たな動きが芽吹きはじめている。

その震源地は、グラビティ・ペイメンツ(gravity payments)社。小売店向けにクレジットカードを手頃な金利で決済できるサービスを提供している会社だ。

そのCEO(最高経営責任者)、ダン・プライス(Dan Price)さんは社員をまえに、こう言い放った。

「全社員の最低賃金を7万ドル(約700万円)にアップしよう」



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プライスさんは自らの給料100万ドル(約1億円)を、10分の1以下に大胆にカット。それを全社員の給料に上積みするという前代未聞の決断だった。それまでの社員の最低賃金は3万5,000ドル(約350万円)。すなわち、給与が最大で2倍に跳ね上がったのである。

プライスさんは言う。

「みんな最初は、わたしの頭がおかしくなったと思ったみたいです」



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一見、無謀にも思える挑戦だったが、効果は即座にあらわれた。業績が2倍に拡大したのである。社員のモチベーションが急上昇した結果だった。

社員の一人、コーディ・ブアマンさんはこう語る。

「年収が7万ドル(700万円)にあがって、とても嬉しかったと同時に、大きな責任も感じています。一生懸命はたらこうと思います」



この年収アップの効果は、思わぬところにもみられた。

10人の社員が結婚し、11人の社員に子どもが誕生。一企業のみならず、地域経済全体に潤いをもたらしたのである。

プライスさんは言う。

「今こそ、新しい発想で前に進むときなのです」



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現代資本主義の誕生から250年。

さまざまな問題、そして疑問が生まれている。

なぜ私たちは社会をつくるのか?

なぜ政府をつくるのか?



慶應義塾大学の井出英策教授は言う。

「古代ギリシャの時代から、いろんな思想家がいましたが、ひとつだけ同じことを言っているんです。それは何かというと、社会や政府は "誰かのための利益" ではなく "みんなの利益" のためにある、と」

経済学の父、アダム・スミスは「利己心」が経済を動かすと言った一方で、「共感(sympathy)」という概念を述べることも忘れなかった。相手の不利益にも思いを致すことを説いたのである。






世界一貧しい大統領と呼ばれた、ホセ・ムヒカ(José Mujica)さんは言う。

「資本主義には "美しい顔" があります。ですが、人生すべてを市場経済にゆだねてはいけません。現代の人々は政治不信におちいり、社会や経済に不安をいだくようになっています。その結果、大衆の不安をあおるような排他的な思想を招いているのです」

格差を "ほかの誰か" に転嫁することは、もっとも短絡的な発想である。外国人を締め出せば国内の雇用は守られるのだろうか、輸入品に高い関税をかければ国内の産業は発展するのだろうか?

ムヒカさんは続ける。

「人々はいとも簡単に国粋主義者に変わってしまいます。"アメリカ人のためのアメリカ" とか、"ドイツ人のドイツ" とか叫ぶのです。これはグローバル化した現代世界に生きるすべての人々に不幸をもたらすことになるでしょう」







他者を排除しようとするのか、それとも共感(sympathy)をいだくことができるのか。

オランダでは、後者へのチャレンジが実を結びつつある。

日用品のあらゆるものを無料で貸し借りするシステム、いわゆるお金を介さない物々交換のようなシステムが2年前からはじまっている。去年、貸し借りされた品物の総額は10億ユーロ(約1,100億円)相当。GDPに計上されないところにも、確かな経済が脈動している。









とある休日、米国のメディア王、スタンリー・ハバードさんは2,500万ドル(約25億円)の豪奢なヨットで家族団欒のときを楽しんでいた。

ふと港に目を向けると、さまざまな人たちが思い思いのボートで漕ぎ出していた。

ハバードさんは、ぼんやりと思った。

「小さなボートに、中ぐらいのボート。いろんな大きさのボートがあるねぇ。彼らは私よりも楽しそうだ…」







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(了)






出典:
NHKスペシャル
マネーワールド 資本主義の未来
巨大格差、その果てに



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2015年10月20日

「望ましい困難」とは? [マルコム・グラッドウェル]



ここに世界的な知能テストがある。

Q、バットとボールの値段は合わせて1ドル10セント。バットの値段はボールより1ドル高い。ボールの値段はいくら?

A bat and a ball cost $1.10 in total. The bat costs $1.00 more than the ball. How much does the ball cost? ____ cents

多くの人が「ボールの値段は10セント」と誤答する。



Q、5分間に5個の部品を製造できる機械が5台ある。この機械を100台使って100個の部品をつくるのにかかる時間は?

If it takes 5 machines 5 minutes to make 5 widgets, how long would it take 100 machines to make 100 widgets? _____ minutes

これまた、うっかり「100分」と答えてしまう人が多い。



Q、ある湖に「スイレンの葉」が浮かんでいる。スイレンの葉は毎日2倍に増える。湖全体をスイレンの葉が覆い尽くすまでに48日間かかった。では、蓮が湖の半分を覆うのには何日かかる?

In a lake, there is a patch of lily pads. Every day, the patch doubles in size. If it takes 48 days for the patch to cover the entire lake, how long would it take for the patch to cover half of the lake? _____ days

念のため、24日間ではない。



これらのクイズは、イェール大学のシェーン・フレデリックが考案した「認知反射テスト(CRT, Cognitive Reflection Test)」。何時間もかけて何百ものテストをしなくとも、たったこの3問だけで、通常の知能テストにほぼ等しい結果が得られるという。

たとえば、世界の知能、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生は、3問中平均で「2.18」の正解率だったという。



「じつは正解率を簡単に上げる方法がある」

マックス・グラッドウェルは言う。プリンストン大学の学生に「その方法」を試したところ、正解率が「1.9」から「2.45」に上昇。MITを抜いたという。

その方法とは「問題文の字の大きさや書体を、わざと読みづらく印刷すること」。たとえばこうだ。

バットとボールの値段は合わせて1ドル10セント。バットの値段はボールより1ドル高い。ボールの値段はいくら?

グラッドウェルは言う。

「この問題文は読みにくくてイライラする。目を凝らして2回は読まないと単語が拾えない。あまりの読みづらさに、なんでこんな印刷にするのかと腹も立ってくる」

「読みやすく、わかりやすい形で問題を提示されたほうが、正解が出やすいと誰もが思うだろう。しかし実際は正反対だった」

冒頭の3問は、いわば「ひっかけ問題」のようなもので、直感的に答えてしまうとまんまと騙される。そこで、わざと問題文を読みにくくして可読スピードを減速させる。すると、問題をよく読まざるを得なくなり、慎重に考えるようになるというのだ。



グラッドウェルは言う。

「不利なことは避けるべきだというのが世間の常識だ。さもないと状況が後退したり、難しくなったりするからだ。だが、必ずしもそうではない。”望ましい困難”もある」










◆識字障害(dyslexia)の弁護士



デビッド・ボイスは識字障害、文字を読むのが苦手だった。楽しみで本を読んだことなど一度もない。ハイスクールの成績は見るも無残。テストの問題文を読むだけで、1時間もかかってしまうのだ。

なんとか高校を卒業したボイスは、建設現場で働きはじめた。

「外で身体をつかう仕事だった。びっくりするぐらい金を稼いだね。楽しかったよ。申し分ない生活だった」

イリノイ州の田舎では、読み書きはさほど重要ではなかった。友だちも農場で働く者が多かった。



転機は、最初の子供が生まれたことだった。

「女房が将来のことを真剣に考えはじめたんだ」

ボイスは法律に興味があったことを思い出して、ロースクール(法律学校)に入学した。

「大学を卒業しなくてもロースクールに行ける。そう知ったときの嬉しさったら。信じられなかったよ」

識字障害の彼が、なぜ? 法律にたずさわるとなると、判例から判決文までとにかく難しい文章のオンパレードのはずだ。



だが幸い、ボイスは「聴くこと」が得意だった。小さい頃から母親の読み聞かせで、いろいろな本の内容を覚えていた。

「生まれてこのかた、自分はひたすら聴いてきた。それしか学ぶ方法がなかったんだ。だから、人が言ったことは一言一句記憶している」

クラスの皆んなが必死でノートをとっている間、ボイスはただじっと座ったままだった。講義内容に全神経を集中させて、そのすべてを記憶に叩き込んでいたのだ。文字を読むことは不得手だったが、ボイスはそれを耳で補った。小さい頃からボイスの耳は、他の誰よりもトレーニングされてきたようなものだった。



晴れて弁護士になったボイス。

1990年代にマイクロソフトの反トラスト訴訟で、チームを率いることになった。審理のあいだ、ボイスはずっと「ログイン(login)」を「ロジン」と言い続けていた。それは識字障害者がやりやすい間違いだった。言葉に詰まって立ち往生することもあった。そんなとき、ボイスは単語のスペルを声に出した。まるでスペリング・コンテストに出場した子供のように。なんと奇妙な光景だっただろう。

それでも証人の反対尋問でのボイスは、冴えわたっていた。どんな小さなニュアンスをも、ボイスは聞き逃さなかった。そして、一ヶ月前の証言さえも正確に記憶しており、厳しく問い詰めていったのだった。そんなボイスを前にしては、どんな言い逃れも不可能に思われた。



ボイスは言う。

「もっとスラスラと字が読めたら、いろんなことが楽だったと思う。けれども、人の話を聞き、質問しながら学んだおかげで、問題を徹底的に単純化することができた。これは訴訟では最高の武器になった」

証人が少しでも口ごもると、ボイスはその瞬間を決して逃さない。

「声の調子だったり、話す速さや、言葉の選び方だったり、いろんな手がかりがある。間(ま)もそうだ。言いづらいことを話すときは、言葉を考えて空白の時間が増えるし、あいまいな言葉づかいになる。そこを突いていくことで、こちらの主張を認めさせることができたんだ」






◆成功者たち



マルコム・グラッドウェルは言う。

「知能テストは問題文を読みづらくすることで、正解率を上げることができた。”読みやすさ”を奪われた学生たちは、それを補うために慎重に問題文を読まざるをえなくなった。ボイスもそうだ。読む能力が著しく劣る彼は、人並みに生きていくために、話を聞く能力を伸ばす戦略にたどりついた。母親の読み聞かせを覚えていて、あとで他人にわかるように再現できるようになるまでには、不安感や恥ずかしさを克服する必要もあっただろう。しかしこうした壁を何とか乗り越えることで、ボイスは大きな武器を得た。苦労知らずで覚えたことよりも、必要に迫られて身につけた技能のほうが断然威力があるからだ」



意外に思われるかもしれないが、じつは大成功者には識字障害者が多い。

「シティ大学ロンドンのジュリー・ローガンが最近おこなった調査では、約3分の1という結果が出ている。たとえばイギリスではリチャード・ブライソンが識字障害者だ。オンライン証券会社を起業したチャールズ・シュワブ、ジェットブルー航空の創業者デビッド・ニールマン、ネットワーク企業シスコ・システムズのCEOジョン・チェンバース、キンコーズ創業者のポール・オーファラと、名前を挙げればきりがない」

IKEAの創業者カンプラードもそうだ。

マルコム・グラッドウェルは続ける。

「この事実には2通りの解釈ができる。ずばぬけた資質をもつ人は、障害をものともしないというのが一つ。だがそうではなく、『障害をもっていたがゆえに成功した』と考えることもできる。障害を抱えて悪戦苦闘する過程で、糧となる何かをつかんだのだと」



ブライアン・グレイザーも識字障害者だった。

グレイザーは言う。

「学校は苦痛でした。字が読めないから、ぼんやり空想にふけってばかりでした。成績はFだらけでした」

空想ばかりしていたグレイザーは、ハリウッドの映画プロデューサーとなった。『スプラッシュ』『アポロ13』『ビューティフル・マインド』『8 Mile』など多くの映画を手がけている。






グラッドウェルは言う。

「もし識字障害でなかったら、彼はこれほど成功しただろうか? 時と場合によっては、絶望的に不利な障壁が、予想外の恩恵をもたらすこともある」






◆ゲーリー・コーンの大風呂敷



ゲーリー・コーンも識字障害者だった。

字が読めないので、小学1年生を2回やらされた。

コーンは言う。

「2年目も全然だめだったけどね」



両親もどうしていいかわからなかった。

「おまえがハイスクールを卒業できたら、それが私の人生、最高の日だよ」

そう哀願しつづけた母。コーンがハイスクールを卒業した日、母親は号泣したという。

コーンは言う。

「私の人生で、あんなに泣いた人は見たことがない」



社会にでてアルミサッシを売っていたコーンは、ある休みの日、ウォール街へと足を向けた。ワールド・トレード・センターの中にあった商品取引所へと。

コーンは言う。

「取引所の見学デッキから様子を眺め、下のフロアにおりてセキュリティ・ゲートの前まで行ってみた。もちろん入れるはずがない。働き口を見つけたいと思ったけど、とっかかりがなかった」

と、その時、パリっとした男性がフロアを走ってきた。

「空港まで急がなければならない」

その男がスタッフにそう言っているのを、コーンは耳にした。そしてすかさず声をかけた。

「空港まで行かれるのなら、タクシーに乗り合いしませんか?」

コーンは言う。

「相手が『そうしましょう』と言ってくれたときは、『やった!』と思ったね。それから一時間、タクシーの中で就職活動をしたよ」



コーンが捕まえたのは、ウォール街の大手証券会社のマネージャーだった。彼は売買オプション取引の担当になったばかりだったが、オプション取引というものがまだ何かわかっていなかった。

コーンだって、オプション取引などという言葉、聞いたこともなかった。だが、コーンは必死だった。

コーンは言う。

「空港に着くまでのあいだ、ひたすら大風呂敷を広げつづけたよ。『オプション取引について知っているか?』とたずねられたら、『もちろん何でも知っています』と答えた。タクシーを降りるとき、彼は電話番号を教えてくれたんだ」



電話をかけると、ニューヨークで面接があるという。

面接でさらにハッタリをかましたコーンは、翌週の月曜日から働くことになった。

コーンは言う。

「そのあいだに、『戦略的投資としてのオプション(Options as a Strategic Investment)』をひたすら読んだ。あれはオプション取引のバイブルなんだ」

識字障害のコーンにとって、それは並大抵のことではなかった。6時間格闘して20ページも進まない。それでも一語一語かみくだきながら、同じ文章を何度も何度も、理解できるまでひたすら読み続けた。







そして月曜日、コーンはウォール街で初仕事にのぞんだ。

コーンは言う。

「彼の後ろに立って、あれを買え、これを買え、と指示した。自分の素性は最後まで明かさなかった。向こうは薄々気づいていたのかもしれないが、あえて触れてこなかった。何しろ、大儲けさせてやったんだから」



嘘からはじまったウォール街。

ど素人のはずのコーンは、オプション取引のプロを演じきった。

もしコーンが”普通の人”であったなら、「オプション取引が自分の手に負えなかったら?」とか、「最初は取り繕えても、一週間後にはクビになるかもしれない?」などと考えるだろう。そもそも、タクシーの中で就職活動をしようとするだろうか。普通の人は失敗したときのことを恐れるはずだ。

コーンは言う。

「子供のときから、失敗には慣れっこだ。私の知っている識字障害者はたいていそうだ。失敗をうまくやりすごす能力が身についている。ものごとの悪い面をさんざん見てきているから、少々のことでは動じない。それが自分の出発点だったからね」



トレーダーとしての秘められた才能を開花させたコーン。

めきめきと頭角をあらわした。

いまの彼は…、ゴールドマン・サックスの社長だ。







著書『逆転!』のためにインタビューしたグラッドウェル。

コーン社長に笑いながらこう言われた。

「いい本になるといいな。オレは読まないけど」






(了)






出典:
マルコム・グラッドウェル『逆転!
第4章 識字障害者が勝つには「逆境を逆手にとる戦略」




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冒頭の知能テストの答え
posted by 四代目 at 09:09| Comment(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月30日

緩和か緊縮か? 政府の影響力ばかりが大きくなる世界


2年前、先進国は「世界的な景気後退は終わった」と考えていた。

そして、景気後退の刺激策に背を向けると、その結果として残されていた借金の処理に着手しはじめた。



ところが…、そのモンスターは死んではいなかった。

いやむしろ、早々に刺激策を引き揚げてしまったことで、その闇のモンスターはますます大きくなってしまっていた…。



◎緩和策と緊縮策


景気が悪くなった時の対処法として、現在、大きく2つの方法が考えられる。政府がカネを使って景気を盛り上げていくのか(緩和策)、それとも逆に、政府が節約をして嵐を凌いでいくのか(緊縮策)。

しかし残念ながら、今のところ、緩和策と緊縮策のどちらが有効なのかという問いに、確たる答えはない。「IMF(国際通貨基金)が『緊縮策は痛みを伴うが必要なことだ』と主張する一方で、一部の学者は『緊縮策は利益より害の方が大きくなるかもしれない』と反論する」。

ただ、この2つの作戦に共通する目標は、経済成長率(GDP)を上げること。そして、その根拠となる計算に用いられるのが「財政乗数」と呼ばれる変数である。



たとえば、政府が100万円使って、GDPが100万円分増えたなら、財政乗数は「1」。もし、GDPが200万円増えたらなら、それは「2」になる。つまり、財政乗数という数字は、政府のアクションにどれだけレバレッジ(テコの原理)がかかるかを示すものである。

この財政乗数は、節約した時の効果も同じように計ることができる。たとえば、政府が100万円節約して、GDPが100万円減るのなら、財政上数は「1」。もし、GDPが200万円減るのなら、それは「2」である。

なるほど、財政乗数という数字は、緩和策の時には大きければ大きいほど効果が大きいということになり、緊縮策の時には小さければ小さいほど害が少ないということになる。



◎財政乗数「1以下」


では、現実世界での財政乗数はどれほどの値となっているのであろうか?

じつは、財政乗数に関する試算は多岐にわたる。IMF(国際通貨基金)のエコノミストは2010年の分析では、財政乗数を「0.5」と計算した。この数字は、政府がGDP比1%の緊縮を行うと、GDPの成長率がその半分、0.5%縮小するというものである。

もし、緊縮策を行うときの財政上数が「1以下」なのであれば、政府が節約をしたとしても経済成長への害が少ないということになる。すなわち、積極的に節約することが問題解決への道となる。このIMFによる試算を信じたのかどうか、先進各国はこの数字が示された2年前、いっせいに緊縮策へと舵を切った。

しかしその結果はというと、「モンスターを殺しきる前に、敵に背を見せた」という皮肉なものであった。



◎財政乗数「1以上」


一方、ある論文(アラン・アウアーバック氏とユーリ・ゴロドニチェンコ氏)には、「景気後退の局面では、財政乗数が『2.5』まで上昇することもあり得る」ということが示されている。

財政乗数が「2.5」ということは、政府がGDP比で1%の緊縮を行うと、経済成長はその2.5倍、2.5%もマイナスになってしまうということだ。こうした状況下では、一部の学者が指摘するように「緊縮策は利益よりも害のほうが大きくなってしまう」。



たとえ政府が節約したとしても、経済がその節約分の2.5倍も縮小するのであれば、逆に政府の借金(GDP比)は増えてしまう。なぜなら、経済の縮小度合いのほうが、借金の減額ペースを上回ってしまうからだ。つまり、借金を減らすためにしたはずの節約が、自らのクビを締めることになる。

そしてそれは、「マイナス成長 → 借金比率の増大 → さらなる緊縮 → もっとマイナス成長」という負のスパイラルを形成し、アリ地獄のごとく救いようのないものとなっていく。まるで、今のユーロ圏諸国のように…。



◎失われた弾力性


エコノミスト誌が言うには、緊縮策が功を奏するのは「開かれた経済で、緊縮財政の打撃を他国に転嫁できる」という状況においてである。たとえ国内の経済が縮小しようとも、他国からの輸入を切り詰めれば、緊縮策の悪影響が相殺されるのだという。

ところが今回の危機においては「多くの国が一斉に緊縮策に走った」。そのため、「緊縮財政が成長に及ぼす悪影響を『ヨソにそらす』のが容易ではなくなった」。そのため、IMF(国際通貨基金)の試算した財政乗数は、結果的にあまりにも楽観的すぎる数字となった。

つまり、IMFは各国間の緊縮策が重なり合うという「負の相乗効果」を過小評価し過ぎてしまっていたのである。ある分析(世界経済見通し・WEO)によれば、2年前のIMFの予測は成長率を1%ほど過大評価していたことが明らかになっている。



ユーロ圏諸国がとりわけ打撃を受けたのは、「自らの通貨を切り下げられない」という弾力性のなさが自らを縛り付けてしまっていたからでもある。

また、自国通貨に弾力性(変動性)のある国家においても、中央銀行の金利が「ゼロに近づいている」ため、金融政策という弾力性が失われてしまっている(とくに先進国)。

さらに、民間の弾力性までが硬化してしまっていた。政府が支出削減のために開放するリソースは、通常であれば民間が買い取り、それが経済を活性化させることを期待されるのだが、民間の財布のヒモが予想以上に固くて開かなかった。それは各国の失業率の高さと無縁ではない。



◎以前も見た映画


なるほど、景気後退時の財政乗数というのは、各分野での弾力性が失われてしまった時に大きくなってしまうようだ。国境を越えた取り引きが縮小し、中央銀行が金利を下げても借り手が現れない。そして、民間も必要以上に警戒してしまう。ここでいう弾力性というのは、いわば「逃げ道」であり、今回窮してしまったのは、その逃げ道の多くが塞がれてしまったためであった。

こうした弾力性が失われた状況下にあって、行動の余地が狭まってしまうと、財政乗数が「3を超える」可能性もあることを示唆する研究もある(ローレンス・クリスティアーノ氏、マーティン・アイケンバウム氏、セルジオ・レベロ氏)。

財政乗数が「3以上」ということは、政府の緊縮の悪影響がちまたに3倍になって広がってしまうということであり、悪循環を3倍加速させるということでもある。



「今回の危機後の緊縮財政導入は、タイミングとしてこれ以上ないほど悪かった」とエコノミスト誌は記す。

それはまるで、闇のモンスターにエサを与えていたようなものである。逃げ道があらかじめ確保できていなかったため、モンスターは緊縮財政という一カ所に集まってきてしまっていたのである。

緊縮策に反対する人々は、「IMF(国際通貨基金)は、以前にもこの映画を見ているはずだ」と批判する。その映画は、倒したはずのモンスターがじつは死んでいなかったという「ありきたりの展開」である。



◎未来図


今回の各国政府による財政政策は、景気後退時において財政乗数が思ったよりも大きくなってしまう、つまり、悪影響が予想以上に拡大する可能性があることを教えてくれた。

クビの回らなくなったスペイン政府は今後、GDP比で10%近い緊縮策が数年に分けて実行されることになる。最近のIMF(国際通貨基金)は財政乗数を「0.9〜1.7」としているようだが、それをスペインに当てはめれば、今後数年でスペインのGDPが9〜17%も縮小する計算になる。

これほどの急激な減速のなか、スペインが借金を返せる当てはどこにあるのであろうか。経済規模が縮小すればするほど、相対的に借金の負担は重くなっていく。返せる当てが見えなければ、その金利は上がらざるを得ず、その利払いの負担までもが増えてゆく。オモリにぶら下がったオモリは重さを増していくばかり。



とどのつまり、他国へ投資するということは、その国の「未来を信じること」である。

未来を信じられる国の金利は低くなり、それが信じられなければ高くなる。未来が信じられる国ほど、借金の額は問題にならない。それはオモリではなく、経済を浮揚させるバルーンであると解釈されるのである。



借金はオモリにもなればバルーンにもなるということを考えれば、借金の返済能力というのは「分析概念」に過ぎないことに気がつく。

というのも、経済成長の予測にしろ、財政乗数の計算にしろ、「非現実なほど楽観的な想定」を行うことで、「どんな債務でも帳簿上は消し去ることができる」のだから。見せようによっては、オモリもバルーンに見せることもできるというわけだ。

つまり、魅力的な未来図をうまく示せる国家ほど、好循環の輪に加わることが許されることになる。



◎日本国債


ところで、わが日本は?

「ふと立ち止まって考えると、日本の政府債務はかなり恐ろしい」とフィナンシャル・タイムズ紙は記す。

日本の政府債務は1,000兆円を超え、国民一人当たりの負担額は約800万円にもなる。さらに悪いことには、GDP比235%に相当するその借金の残高は「増え続けている」。国家の収入(税収)よりも、借金の借入額が多いという異常な状況が毎年続いているのだ。



「日本の財政に当てられたスポットライトは、熱くて不快なものだ」

もし、今年度の赤字国債の入札で何かあれば、「昨年の地震と津波の影響の3倍も激しい打撃になる恐れがある」と野村證券は試算する。

いまだ通らぬ赤字国債発行法案。ようやく通った末に、一度に国債を大量発行することには危険が伴う。「大量発行で入札が失敗に終わるのではないかという不安」が不気味に渦巻いている。



幸いにも現在の日本国債の金利は世界最低水準、言い換えれば、それほど信用が高いということになる。

とはいえ、投資家たちは日本の未来を過大評価しているわけでもない。それは「将来の安定した経済と、おそらく安定した社会への期待からだ」と三菱東京UFJ銀行の頭取(平野信行氏)は言った。つまり、現在の「低くも安定した低空飛行」が続くことが前提だと言うのである。



現在、外国人投資家は日本国債の「ほぼ10分の1」を保有している。

彼らもやはり、日本の未来に賭けているというよりかは、土砂降りの欧州市場から一時的な雨宿りに来た「通行人」に過ぎない。西の空に光が差せば、ひょいと出て行ってしまうほどに彼らは身軽なのである。

彼らが日本に雨宿りに来るのは、日本国債の「ボラティリティ(変動率)」が低いから。未来は明るくないかもしれないが、いい意味で値が動かないため安心しているのだ。軒先は短いかもしれないが、それがそう簡単に伸びたり縮んだりはしないという安心感が今の日本にはあるということだ。



◎順逆を超える


財政乗数という数字が皮肉なのは、好景気の時にマイナスになる可能性があるということだ。

これが何を意味するかと言えば、「好景気の時ほど緊縮策が有効だ」ということである。好景気の時に財布のヒモを締めれば締めるほど成長が加速するというのだ。



ということは、各国政府の対応は完全な後手後手に回っている感を否めない。

好景気の時ほど借金を増やし、景気が悪くなってから財布のヒモをようやく締める。これでは、好ましからざるバブルを助長し、不調に陥った時のスランプをより深いものにしてしまう。おっと、これは日本のバブル発生から崩壊の軌跡が証明していることではなかったか。

そして、「日本のようにだけはなるまい」と心に思い定めていた欧米諸国が、分かっていながらも日本についてきてしまった道ではなかったか。まさに、「どこかで見た映画」の「ありきたりの展開」だ。



古来、日本の賢人たちは「順逆を超える」ということを語るのに、口を酸っぱくしてきた。

中江藤樹は、こう言っている。「順境にいても安んじ、逆境にいても安んじ、常に坦蕩々として、苦しめる処なし。これを真楽というなり」

好景気で順調なときも、不景気で逆境に陥ったときも、まったく動じないでそれを超えていく。それを「真楽」というのだそうだ。



理想を言えば、財政乗数はマイナスであることが望ましいのかもしれない。

好景気時に節約し、不景気時にカネをまく。その手綱さばきが先手先手と巧妙であれば、針が反対側に振れる前に、その針を元の位置に戻すことも理論上は可能である。

中国が景気後退する前に、自らの成長速度を落としたのは、そういうことなのであろう。ただ、その急激すぎた上振れは、国内に幾多の空洞を産んでしまっているようだが…。



◎小さな政府


理論上は順逆を抑えることが可能だといえども、現在の世界が体験しているのは、順逆を超えることの如何に難しいかということである。いまだ、財政乗数がマイナスになる世界はお目にかかったことがない。逆に、新しい未来予測の財政乗数は、従来の想定よりも大きくなるばかりだ。

財政乗数が大きくなるほどに、順逆のブレ幅は大きくなる。それは、政府の一挙手一投足が、大いに国民を翻弄してしまうことを意味する。

アメリカなどは政府の影響力が小さい「小さな政府」を理想とする人々が多いが、かの国の財政状況を鑑みれば、ただ政府のサイズを小さくするばかりでは、よけいにブレ幅が大きくなってしまう感も否めない。



なるほど、政府の影響力を限定するには、そのサイズよりもむしろ、後手に回らぬその先見性を問われることになるのである。

好況か不況かに大きく針が振れてしまった後では、緩和策にしろ緊縮策にしろ、それは政府の影響力を強めるばかり。そのどちらかを論じる前に、議論が終わって行動に移していなければ、どちらも後の祭りということだ。

アメリカは議論が終わらぬままに「財政の崖」へと突進を続けており、来年1月早々、アメリカ国民の命運をその巨大すぎる政府が左右することになっている。



ところで、土俵際でギリギリなのは日本も同様。

そのブレ幅(変動率)の少ない低空飛行は、ある意味、順逆のブレの少なさでもあるのかもしれない。しかし残念ながら、その低さを評価する人は誰もいない。

まるで、すぐにでもモンスターの手が届いてしまいそうではないか…。







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出典:
英国エコノミスト誌(The Economist)「財政再建と景気回復」

posted by 四代目 at 09:00| Comment(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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