2011年07月12日

想像を超えた「液状化」現象。次々と明らかになる新事実と、今後の危険性。

3.11大震災は、世界最大の「液状化」をもたらした。

海岸沿いの土地のみならず、海から数十キロも離れた内陸部でも、多数の地区で「液状化」によりズブズブとなった。内陸の埼玉県加須市、千葉県我孫子市などがそうだ。

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海を埋め立てた土地、または、かつて河川・湖沼であった場所などは、今回の大揺れで、砂粒の結束が弛(ゆる)み、地表に泥水が噴き出したのだ。



東京湾沿岸では、東京ドーム900個分(約4,200ha)の広大な土地で「液状化」が見られ、関東地方だけで、2万4,000棟もの家屋が被害を受けたという。

家が、たった「1°」傾いただけで、その家には住むことはできなくなる。傾いた状態で生活を続けると、気分が悪くなって、健康被害を招いてしまうからだ。



家屋の被害もさることながら、地中の水分が抜けたことによって、道路の下などが「空洞化」してしまった箇所も多いという。そうした箇所は、地盤沈下の危険が高い。

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神奈川県川崎市では、道路下の空洞化の箇所は300ヶ所以上。すべての被害箇所を補修するには、少なくとも5年はかかるそうだ。

地中に埋設されていた「水道管」などの被害も大きい。水道管は、建物に比べて軽いために、液状化によって、軽々と浮き上がってしまった。マンホールなどが1m以上も、道路から飛び出してしまったりしている。そのため、千葉県では、いまだ水道が復旧していない地域があるという。



なぜ、これほど広範に「液状化」の被害が広がったのか?

それは、地震の揺れが「長く続いた」ためだという。

阪神大震災で「液状化」が起きた地域は、震度6〜7の激しく揺れた地域。ところが、今回の液状化は、震度4〜5の地域で起きている。

阪神大震災の揺れは「15秒」と短く、今回の大震災の揺れは「1分間」と長かった。

今回新たに判明した事実は、比較的弱い揺れでも、長く揺れが続けば、「液状化」は起こるということだ。



さらに、衝撃的な事実は、「鉄筋のビル」が津波で流されたことだ。

今までは、鉄筋ビルは津波に流されないとされていた。しかし、その常識を破って、宮城県女川市では、大津波により「鉄筋ビル」が6つも「横転」した。

今回の津波の強度は、1平方メートルあたり「10トン」。このくらいの衝撃では、鉄筋ビルは倒されないはずだった。

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では、なぜ6つもの鉄筋ビルが横倒しにされたのか?

それは、「液状化」でビルを浮かされた後に、津波を直撃を喰らったためだった。

液状化と津波が重なることにより、鉄筋ビルが倒壊するという事実は、今回初めて明らかとなったことである。



今までは、「津波が来たら、高台か高いビルに逃げろ」と言われてきたが、鉄筋ビルが必ずしも安全とは、もう言えない。

現在の「津波用の避難ビル」は、果たして安全なのかどうか?各自治体は、新たな課題を突き付けられている。たいていの避難ビルは、揺れと津波は想定していても、「液状化」までは想定していないのである。



「液状化」の想定を充分にしていないのは、大企業も同じである。

今回の大震災で、千葉県沿岸の石油コンビナートは、大火災を起こし、その猛火は10日間も燃え盛ったという。

その原因の一端も「液状化」にあるというのだ。

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海岸沿いの土地は、「埋立地」であることが多い。

「液状化」が起こると、埋立地は地盤沈下するとともに、土地全体が海の方向へ「横滑り」をして、海との境の「護岸」を破壊する危険性がある。この現象を「側方流動」という。

海岸沿いの石油コンビナート地域に「側方流動」が起これば、大火災である。東京湾岸には、ズラリと石油コンビナートがひしめき合っているため、その被害は連鎖的に拡大する恐れがある。

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「側方流動」に対する企業の備えは、充分なのか?

充分とは言えないだろう。今回の地震でも、東京湾岸の石油基地周辺では、多数の「液状化」現象が確認されている。

だが、残念なことに、そうした企業の敷地内を調査することはできない。企業の私有地であり、「液状化」に関しては、企業に報告義務もないためだ。

企業側は、沈黙を守っている。



もし、石油施設が大火災を起こせば、燃料供給のみならず、火力発電所も発電を停止せざるをえない。ご存知の通り、東京湾岸には12の火力発電施設があり、首都東京の電力を支えている。

燃料と電気が途絶えたら、現代文明は手も足もでない。

護岸の強化は喫緊の課題であるものの、企業敷地内の現状がベールに包まれたままでは、その対策も講じられない。



なぜ、企業側は情報を公開しないのか?

ある企業の従業員は、内部事情を洩らす。

「写真撮影は厳禁。世間に知られることを恐れているのではないだろうか。我々は安心して働ける状態にはない。」



護岸に「巨大な鉄の杭」を打ち込めば、「側方流動」の危険性は軽減される。ところが、その費用は100mの補強に3億円もかかるという。

現状を明らかにしない企業側には、こうした計算もあるのではなかろうか。

原発のストレステストもさることながら、各発電所やコンビナートのストレステストも必要だとの声も高い。



また、一企業だけが対策を講じても意味がない。

どこか脆弱な部分で火災が生じれば、それは全体を巻き込むことになるからだ。

埋立地全域を強化しなければ、大火災の危険は避けられない。



今回の大震災で、今後起こりうる大災害の前兆は、各所で現れてきた。

今、対策に動かなければ、次の災害を防ぎきれないかもしれない。

分かっていながら、何の手も打たなかったら、それは「人災」となってしまう。



液状化の起こる場所は、ある程度まで特定できるという。

なぜなら、一度液状化を起こした場所は、また液状化を起こす可能性が高いからである。

数百年の歴史を遡(さかのぼ)れば、日本中の液状化危険箇所は、自ずと明らかになってくるのである。

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だが、個人レベルでは液状化の対策は不可能だ。

数百万円かけても、一般家屋の基礎杭は、10m前後の深さにしか打ち込めない。

液状化の対策には、数十m以上の基礎杭を打たなければ意味がない。



山を削り、谷を埋めて平地を造成し、川の流れを変えて、海の上まで地面を広げた「現代文明の代償」は大きい。

山や谷にそのまま住んで、川や海の形を変えていなければ、液状化や地盤沈下の対策は必要なかったはずである。

浅薄な知識に頼り切って、充分な対策を講じ切れていなかったツケが、ここにきて大きな課題となっている。

すでに出来上がってしまった都市を改変することは、至難の技である。

もし、また大震災が来たら‥‥、今後ともに、「ツナ渡り」は続きそうだ。



日本は「水の国」。

その歴史においては、治水という事業が、大変に重視されてきた。

現代文明は、「水」をうまく押さえ込んでいたように見えたが、その実、極めて「危うい治水」であったことが、今回の液状化で判明した。



かつての日本人の知恵は、水と「共存すること」に主眼があったように思われる。

しかし、戦後日本の治水は、欧米流の「支配・屈服」させる傾向が強まったのではなかろうか。コンクリートと重機は、人間の知恵が自然を上回ったかのような錯覚を与えた。

自然に対する傲慢さは、今回の液状化の惨状と無縁ではないだろう。



水と共存してきた民族としては、何とかこの苦境を乗り越えたいものである。

森、山、そして水は、本国の誇りである。




出典:NHKスペシャル
東日本大震災 「“世界最大”の液状化」

posted by 四代目 at 19:02| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月11日

地盤沈下は、高度成長期に盛土された土地なら、どこでも起こりうる。それでも、遅々として進まぬ調査。

東日本大震災の被災地は、「地盤沈下」に苦しんでいる。

海岸沿いは、数十センチも土地が低くなってしまって、床下に水が浸入することが常態化してしまっている。

特に、「満潮時」は水位が上がるため、その時間帯には家に帰れなかったり、逆に家から出られなかったりもするという。

トイレの水が逆流したり、家の土台が水で腐ってきたりと、震災の被害が増幅する形となってしまっている。

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早急な対策が必要にもかかわらず、そう簡単には解決の道が見えない「地盤沈下」。

なんと、この「地盤沈下」は、海岸沿いだけでなく、海から何十キロも離れた「内陸」でも起きている。

そして、「内陸の地盤沈下」の方が、根深くも厄介な問題をはらんでいるのである。

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宮城の内陸・折立地区では、地盤沈下により、43軒の家屋が「全壊」した。

それら全壊家屋の立地は、「盛土(もりど)」であった。

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「盛土」とは、谷状の地形を埋め立てた土地のことであり、その反対の「切土(きりど)」は、山を削って作った土地である。

現在は「平地」に見える土地でも、かつては「山か谷」であった土地がほとんどである。そして、内陸の地盤沈下は、かつて谷であった「盛土」の土地で起こる。

なぜなら、谷に盛った土は、山ほどには突き固められていないためである。

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とくに、昭和30年〜50年にかけての、高度経済成長に浮かれて造成された「盛土」は、最も危険である。

充分な法的規制もなかったため、「柔らかいまま」の盛土が多数存在するためである。阪神・淡路大震災においても、盛土地区の崩壊が大問題となった。



果たして、自分の家は大丈夫だろうか?

積極的な自治体は、「盛土」の調査を行っているものの、遅々として進まない。なにせ、その調査には多額の費用を要するからだ。一ヶ所の調査に、600万円もかかるという。

そのため、積極的な神奈川県・川崎市においても、過去2年間で9ヶ所の調査しかできなかった。しかし、川崎市だけでも2,487ヶ所の盛土造成地があるという。このペースでは、調査が完遂する見込みは、かなり低い。

それでも、調査をしていない自治体よりは、はるかにマシである。現在、調査に取り組んでいる自治体は、全体の2割程度しかない。

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東日本大震災は、日本の脆弱な面を明らかにしてくれた。

今後、予期される危険も分かってきた。内陸の地盤沈下も、そうである。しかし、その対策はと言えば、まだまだ心もとない。

個人レベルでの対策は、個人の責任と割り切ることもできるが、自治体や国レベルの対策となると、ほとんど神頼み状態である。

液状化、地盤沈下‥‥。見た目の平らかさは、何のアテにもならない。我々の築いた文明の土台は、想像以上に「柔らかい」ようだ。




出典:クローズアップ現代
「地盤沈下が復興を阻む」

posted by 四代目 at 12:00| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月28日

大震災の一週間前、地震おさえの鹿島神宮で起こった怪事とは? 因縁の神々の奇妙な邂逅。




それは、あの大震災の一週間前の出来事だったという。

「鹿島灘に、52頭ものクジラが打ち上げられた」

その海岸は、地震おさえの神である「鹿島神宮」にほど近い浜であった。



そして、その怪事から一週間後の3月11日、鹿島神宮は震度6弱の激震に見舞われる。

日本一の石鳥居は、無残にも崩落。鹿島神宮の被害は甚大であった。しかし、それでも奇跡的に「国宝」や「重要文化財」の損傷はまぬがれた。

土地の人は、こう思った。もし、大地震が二日前の大祭の最中に起きていたら‥、地震がお祭りの後だったのは、御神慮だと。



なぜ、鹿島神宮は「地震おさえ」の神とされるのか?

それは、境内にある「要石(かなめいし)」が、地震を起こす「大なまず」の頭とシッポを押さえつけているためだと信じられている。

その「要石」、かつて水戸黄門が、7日7晩かけて石の周りを掘らせてみたが、ついに根元には届かなかったと伝わるほどに、地中部分が巨大なのだという。



「ゆるげども、よもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは」

中世から江戸にかけて流行った歌に、鹿島神宮の「地震除け」の霊験が示されている。

神無月(10月)になると、鹿島の神は「出雲」へと向かうため、その月に大地震が起こりやすいとも言われている。



鹿島神宮の神とは?

タケミカズチ(建御雷神・武甕雷男神)という神で、芦原中国の平定において、荒ぶる神々を制圧したという、勇ましい神の一人である。

その最後の戦いは、タケミナカタ(建御名方神)とによるもので、その戦いは「相撲」の起源ともされている。鹿島の神・タケミカズチに敗れたタケミナカタは、諏訪の地へと落ちのび、「諏訪神社」の神となる。



大地震の一ヵ月後、鹿島神宮に一枚の「大きな御札(おふだ)」が届けられる。

1m以上もある、その大きな御札は、近くの浜に打ち上げられたものだという。調べてみれば、その御札は岩手県陸前高田市の「諏訪神社」のものだった。

「鹿島神宮」と「諏訪神社」。この2社は、上記の通り、国つくりの最後の戦いを演じ、2つに分かれた神々である。その因縁の2神が、大震災という奇縁を通じて、奇妙な再会を果たしたことになる。



我々にその神慮を慮(おもんぱか)ることはできない。

しかし、何かが心に残ることだけは確かである。


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2011年06月13日

最先端技術が集中する東北地方。震災から3ヶ月たっても、期待ほどに進まぬ復興。

東日本大震災の被害地、「岩手」「宮城」「福島」。

この3県が被災したことによって、それまで気づかれていなかった「この3県の重要性」が浮き彫りになっている。

この3県には、失われて初めて気づく、見えない価値が隠されていた。



世界的に影響を与えたのは、「自動車部品」の供給不足である。

米GM、米クライスラー、米フォード、伊フィアットなど、世界に名だたる自動車各社が、減産、一時操業停止に追い込まれた。

日本の自動車各社は言わずもがな。4月の自動車・生産台数は、「6割減」という強烈な落ち込みを見せた。



一台の自動車に「3万点以上」の部品が使われているという。

その3万点のうちの「たった1点」でも不足すれば、自動車は完成しない。

その「たった一点」を作っていた工場が、東北地方には数多くあった。それらの工場の被災が、世界に強烈なインパクトを与えたのである。

世界で日本しか作れない部品というのは、「最先端技術」を駆使した部品である。



1990年以前、製造業の中心は「西日本」にあった。

ところが、それ以降のここ20年、製造拠点の多くは「東日本」に居を移した。その中でも、東北は最重要地域とされた。

東北新幹線、東北自動車道の輸送インフラの完備。豊富な土地と労働力。そして、工場に欠かせない豊富な水量をたたえた河川。東北は実に魅力的な土地だったのである。



自動車部品を含む「輸送用機械」の出荷額は、宮城・岩手・福島の3県においては、上記20年間で、「3.3倍」に急拡大。

福島の情報通信機器は全国3位、電子部品は全国4位の出荷額である。東北6県の電子部品の出荷額は、全国の12.4%をも占める。



なぜ、東北で最先端技術が磨かれたのか?

1990年以降、海外の安い労働力が人気を博し、日本国内の製造業は、国際競争力を失っていった。

東北もその例にもれず、1990年をピークに落ち込んでゆく。

そこで注目されたのが、日本でしか造れない最先端技術である。その結果、東北地方は、最先端技術の一大集積地へと変貌を遂げたのである。



自動車各社は、車の部品をできるだけ多くの地域に発注していた。これは、万が一に備えてのリスクを軽減するためである。

単純なパーツは、どこでも造ってくれる。ところが、高い技術を要するパーツは、そうはいかない。必然的に日本、そして東北に発注が集中することになった。

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その重要地域が、今回壊滅した。



東北被災地の復興は遅々として進まない。

新たな町づくりには、新たな防災基準が必要である。

想定する災害の規模は? 防波堤の高さはどうする? それによって、居住地域が決定される。

ところが、この貴重な一歩が決定していないという。そのため、それ以降の復興計画が頓挫してしまっているのだ。



防波堤の高さなどを決定するのは、国の仕事である。

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国がこの決定をしなければ、地方の自治体は動くに動けない。

この要求に対して、枝野官房長官は、モゴモゴと印象に残らない言葉をつぶやくのみである。



宮城県知事の村井氏は、「千年の街づくり」を提唱する。

「次の千年のうちに、必ず大津波はまたやって来る。」

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それに耐えうる街を目指そうというのである。

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震災復興の烽火(のろし)は、方々で上がっている。

しかし、全体像の欠けた現状に、それらの烽火は燻(くすぶ)ったままである。

復興が一日遅れれば、それだけ被災者の苦悩は深まる。

震災から、はや3ヶ月。期待されたほどには、復興は進んでいない。



出典:NHKスペシャル
東日本大震災 第1部「復興はなぜ進まないのか〜被災地からの報告」
東日本大震災 第2部「“製造業王国”東北は立ち直れるか」
posted by 四代目 at 08:32| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

震災後、わずか一ヶ月で海へ向かい、希望を届けた漁師達の物語。

岩手県・大船渡市。

3.11の大津波による被害が甚大であった地域の一つである。

その大津波の「わずか1ヶ月後」の4月11日、一隻の漁船が海へと向かった。震災後、初の漁である。



船を操るのは、漁師歴40年の大ベテラン「木下孝之」氏、68歳。

彼は、大地震の大揺れが収まるや、即座に港に走り、大津波に向かって船を漕ぎ出した。

船を港に停泊させたままでは、確実に船は大津波にやられる。一か八か、船で大津波を乗り越えてやろうと、大波に突っ込んだのである。

彼の果断により、船は救われた。

これが、大船渡で残った、数少ない船の一隻である。

この船が残っていたお陰で、今回の漁が可能となった。



今回、震災後1ヶ月というスピードでの漁は、誰もが耳を疑うものであった。

ライフラインの復旧もままならず、港は転覆した船や、こんがらがった網などでメチャクチャ。おまけに、地盤沈下で、船着場は海に浸っている。



この暴挙をけしかけたのは、「八木健一郎」氏。

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彼は漁師ではなく、漁師が捕った魚をインターネットで販売してきた人物である。

彼の運営する販売サイト「三陸とれたて市場」は、漁の模様をリアルタイムにライブ配信し、その場で、捕れた魚をすぐにアップロード・販売するという、画期的な手法で人気を博している。



「鉄は熱いうち打て」の格言どおり、人々の記憶から大震災が忘れ去られる前に、何とか海へ漕ぎ出したかった。

「いったい、海はどうなっているのか? 魚はいるのか?」

隠しきれぬ不安を胸に、ガレキの間を縫うように沖へと船を進める。



沖合い10km、ゆっくりと引き揚げられた網に、船上は沸く。

「魚が喜んでかかってくる!」

「魚が網に刺さってくる!」

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天然モノは幻といわれる「巨大なマツカワ」までが、網にかかって来る。

予想をはるかに超えた大漁である。



港で待っていた漁師たちも、嬉しい驚きを隠し切れない。

「津波で魚まで流されてなくて、良かった」

捕れた魚は、インターネットにアップロード。わずか30分で「完売御礼」。「巨大マツカワ」は、3万円の高値で売れていった。



大船渡の漁師たちは、船を失い、残された借金と、今後の展望の暗さに沈んでいた。

ところが、今回の漁の成功を目にし、漁師の魂に火がついた。

4000万円の借金を抱え、辞めようかと覚悟していた漁師は、新しいロープを発注。他の漁師たちも、俄然、海への意欲をかき立てられた。

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皆、海が好きなのだ。

海へ出たくてしょうがないのだ。

船さえ、網さえあれば、いくらでも魚を捕れる技術を持った漁師達が、この町には大勢いる。

いまか今かと、その出番を待っている。



今回の「無謀」とも思われた漁は、大漁という成果よりも、被災した漁師に「希望」を与えたという成果のほうが、ずっと大きかった。

漁師たちは、魚を見れば眼が輝き、海に出れば血がたぎる。

ただお金を与えられるだけの復興は、誰も望んでいない。

皆、自分の手で魚を捕りたい。その一心である。



仕掛け人の八木氏、漁を請け負った木下氏。

彼らの放った「嚆矢」は、見事に漁師たちの心を射止めた。

そして、三陸の幸を心待ちにしていた日本全国の人々に、声を大に「復興の雄叫び」を届けた。



今回の漁の収獲は、避難所へも「おすそ分け」された。

1ヶ月ぶりの魚。しかも「自分達の海」の魚である。

その魚を食べた被災者たちは、感慨ひとしお。確かな復興への一歩を実感した。

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岩手県・三陸海岸は、過去に幾度も津波に襲われている。

「なぜ、そんな危険な土地に、住み続けるのか?」

三陸の海を知らない人々は、素朴な疑問を抱く。



海に暮らす人々の答えは明白だ。

危険以上の「価値」、そして「魅力」がある。

三陸沖は、「奇跡の海」と呼ばれるほど、世界有数の豊かな漁場である。

彼らは、その漁場と「持ちつ持たれつ」、一心一体となって生きてきたのである。



「海を離れれば、簡単に逃げられる」。しかし‥‥。

いかなる大津波にあっても、ここを離れるわけにはいかない。

いかなるガレキの山に道を閉ざされようとも、引き返すわけにはいかない。

岩にカジりついてでも、この土地を離れてなるものか。

三陸の海に暮らす民は、そうして歴史を刻んできたのである。



時はかかれど、彼らは困難を必ずや克服してゆく。

彼らは、純粋すぎるほど、この地に根を張って生きている。

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出典:ドキュメンタリーWAVE
「ガレキのなかからの再出航」〜漁業の町・岩手県大船渡市〜
posted by 四代目 at 06:33| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする