東日本大震災が発生した4日後(2011年3月15日)、「富士山」直下を震源としたM6.4の地震が起きた。
それはあたかも、東北の大揺れが富士山にまで「連鎖」したかのようであり、さらにその先には富士山の「大噴火」が待っているようにも思われた。
東北沿岸の震源域が複数枚にわたって連鎖したことに関しては「想定外」だったかもしれない。しかし、巨大地震と富士山大噴火の連鎖は「歴史が物語る事実」、つまり想定内である。
西暦700年代(8世紀)以降の富士山の活動を追っていけば、関東・東海地方で起きた13の大地震のうち、じつに11もの地震が富士山を刺激しており、大地震発生から約25年以内に富士山では「何らかの活動(噴火や鳴動、地熱活動)」が起きている。
なるほど、東日本大震災の直後に富士山直下の地震を受け、専門家たちが「すわ!」と身構えたのも故なきことではなかったのだ。
◎宝永噴火
富士山は過去3,000年間で3回ほど大噴火しているが、最も新しい大噴火は、今から300年以上前、江戸時代の「宝永噴火(1707)」である。
新井白石の回想記「折りたく柴の記」には、こうある。「家を出るとき、雪が降っているように見えたが、よく見るとそれは『白い灰』だった。地面は白い灰で覆われ、草木も白くなった。空が『非常に暗い』ので、灯りをつけて進講した」。
白石のいた江戸は富士山から100kmほど離れていたが、富士山のお膝元の浅間大社(静岡県富士宮市)では、天高く立ち昇る噴煙の柱が観測されている。そして、その噴煙は夜になると巨大な火柱となって明るく輝いた。
「夜は富士面の村里、明るきこと燈いらず。家の内まで暗きことなし(富士山噴火記)」
この時の大噴火を引き起こしたとされる大地震は、まず関東で起きた「元禄地震(1703)」。これは大噴火の4年前に起きている。
そして、直接の引き金になったとされるのが、東海地方で起きた「宝永地震(1707)」。この大地震のわずか49日後(12月16日)に、富士山は大噴火することになる(宝永噴火)。
南東斜面に新たな火口を開いた富士山は、その後16日間にわたってマグマを噴出し続け、推定7億立方メートルを辺りに吹き散らしたのだという。神奈川などの近場では砂や礫(小石)の大雨が何度も降り、火山灰は30cm以上も降り積もったと伝わる。
新井白石のいた江戸に降った火山灰も4cm以上、それはさらに遠くの茨城県霞ヶ浦、千葉県房総半島の突端にまで届いたということだ。
◎大地震と大噴火とプレートと
なぜ、大地震と火山噴火が連動するのかと言えば、それは双方ともに「プレート(地殻)の動き」によって引き起こされるからである。
日本列島という島々は、大きく分けて、列島の乗る「陸側のプレート」と太平洋から迫る「海側のプレート」に2分される。プレートというのは生き物のようにヌルヌルと動くものであり、海側のプレートは慢性的に陸側のプレートを中国大陸のほうへと押し付けている。
プレート(地殻)は非常に分厚い岩板でありながら、地球スケールで見ると「ゴムの厚い板」のように伸び縮みしたり、しなったりする。
そのため当然、押されればプレートは歪む。そして、あまりに歪みすぎると反発してビヨーンと跳ね上がる。その時の揺れが「地震」となる。
また、火山噴火の元となる「マグマ」も、そうしたプレートの動きにより発生する。
陸側のプレートと海側のプレートは、陸側が上になって大きく重なり合っており、海側のプレートはその下へ下へと潜り込もうとしている。そうすると当然、その両プレートの境目は「こすれ合う」。
こすれ合えば今度は「熱」が発生する。そして、その摩擦熱が岩盤を溶かし、マグマを発生させるのだ。
つまり、日本列島の乗る陸側のプレートの下に、太平洋の海側のプレートがグイグイと食い込んでくるほどに、地震の元となる「歪み」と火山噴火の元となる「マグマ」が同時にチャージされていくのである。
そして、歪みとマグマのそれぞれが「ある限界」に達した時に、それは地震となって、または噴火となって我々をビックリさせるというわけだ。
なるほど、プレートという巨大で鈍重な生物は、地震も起こせば噴火も起こすという怪物なのだ。
◎島だった伊豆半島
関東・東海の大地震が富士山の大噴火と直結するのには、然るべき理由がある。
そのキーとなるのは「伊豆半島」だ。
今でこそ静岡県にブラ下がるようにクッ付いている伊豆半島も、大昔は太平洋上に浮かぶ「独立した島」だった。
太平洋の南側にはフィリピン海プレートというのが存在するが、伊豆半島はその上に乗ってドンブラコと日本列島に接近。そして、本州に激突してクッ付いたのである。その証拠に、伊豆半島ばかりは日本列島の乗る陸側のプレート上ではなく、海側のフィリピン海プレートに乗っかっている。
今なお伊豆半島は本州を上へ上へと押し上げ続けている。その結果、箱根を挟んだ伊豆半島の両脇は右へ左へと押し退けられる。関東側は左斜め上(北北西)の方向へ、東海側はより左方向(西北西)へ。
伊豆半島の「押す力」と本州の「裂ける力」の境目、そこの隙間から湧き出てきたのが、お待ちかね、「富士山」である。まさに富士山はその間隙から溢れ出たマグマによって形作られたのだ。
その由来ゆえに、富士山は伊豆半島の乗っかっているフィリピン海プレートの動きによって、噴火のキッカケを与えらることとなるのである。富士山にマグマを供給しているのは、今も昔もフィリピン海プレートの滑り込みが生み出す摩擦熱だということだ。
◎300年間の沈黙
過去3,000年間に起きたといわれる富士山大噴火のうち、直近300年前の大噴火「宝永噴火」が直前の大地震によって触発されたことは先に触れた通りである。
そこからもう一つ前まで遡ると、平安時代の貞観噴火(864〜866)に行き着く。そして、この時の噴火も海側のプレートの一つ、フィリピン海プレートが動いていることが古文書などによって示唆されている。
さらにもう一つ前は、紀元前1,000年頃に短期間で複数回の噴火が起こったとされているが、こちらも房総半島の隆起や、九州・四国の太平洋岸の津波堆積物層の調査などから、やはり巨大地震と連動していた可能性が高いとされている。
現在の富士山は、最後の宝永噴火以来、およそ「300年間の沈黙」を保っているわけだが、それは逆に言えば「300年分のマグマ」が蓄積されていることをも意味する。
富士山にマグマを供給しているフィリピン海プレートは、年にcm単位といえども、この300年間、休まずに日本列島の下に潜り込み続けているのである。
◎前兆
火山噴火の前兆としては、火山直下の浅部を震源とする「群発地震」、そして「山体の膨張」が広く知られている。これらはいずれも、地下のマグマの動きが関係していると考えられている。
プレート移動の摩擦熱で発生するマグマは、周囲の岩石よりも軽いために、上へ上へと浮上する。しかし、ところどころで詰まってしまうため、岩盤の境目などに「マグマだまり」を形作る。富士山直下を見れば、地下約20kmのところに最も近いマグマだまりが存在する。
2000年から1年間、富士山直下では「低周波地震」の回数が増えた時期があったが、これはマグマだまりが何らかの活動を行った結果だと考えられた。
2008年から2010年頃には「山体の膨張」が確認されており、かの東日本大震災(2011)の直後にもやはり、山体の膨張は起きている。つまり、マグマだまりは沸々と「うごめいている」のである。
◎十和田カルデラ
有史以来、2度ほど富士山は大爆発を起こしているわけだが、じつはそれを上回る大噴火は「東北の火山」で起きている。
それが「十和田カルデラ(915)」の大噴火であり、「過去2,000年間に日本国内で起きた噴火では最大規模」といわれている。
現在、青森・岩手・秋田3県の交差する点に位置する「十和田湖」が、その痕跡である。
日本で3番目に深いとされる十和田湖(最大深度327m)は、「山は富士、湖は十和田、広い世界に一つずつ(大町桂月)」と謳われるほど優美な湖であるが、じつは「山の富士」が真っ青になるほど、荒々しい火山だったのである(湖である現在も活火山)。
その巨大噴火を引き起こしたとされる大地震が、平安時代の「貞観地震(869)」。それは東北地方の太平洋岸に大津波を引き起こした大地震でもある。
まずは、地震の2年後に「鳥海山」が噴火した。鳥海山とは山形と秋田の境目にある日本海側の火山である。
そして、鳥海山噴火の44年後、十和田カルデラが吹っ飛んだ。
その火山灰は足下の東北地方を埋め尽くすと同時に、「やませ」という夏の風にのって、遠く関西地方にまで飛来した。
「朝日に輝きがなく、まるで太陽が月のようだった。京都の人々はこれを不思議に思った」と京都・比叡山延暦寺の僧侶は記している。
◎朝鮮半島・白頭山
しかし、貞観地震の余波は、十和田カルデラだけに留まってはいなかった。
日本海を渡って朝鮮半島の白頭山(標高2,700m)の大噴火にまで連鎖していた可能性が浮上してきている。
この白頭山の大噴火に比べてしまえば、日本最大の十和田カルデラも真っ青だ。なにせ、「ここ2,000年間で世界最大の噴火」といわれるのが白頭山の大噴火なのだ。
その火山灰は日本海を悠々と越えて北海道、東北北部にまで至った。函館や青森での降灰の厚さは5cmを超えたと云われている。
ところで、白頭山という中国と北朝鮮の境にある山は、貞観地震の震源域とされる日本海溝からは1,000km以上もかけ離れている。しかも、地震発生から数えれば、白頭山の大噴火は約80年後の出来事である。普通に考えれば、貞観地震との相関は薄いと考えられる。
それゆえ長らく、白頭山の大噴火はハワイ島のようなホットスポット型、つまり単体の噴火だと思われていた。
しかし、地下600kmを調べてみると、中国大陸の白頭山といえども、日本海溝から下に潜り込んでいる太平洋プレートの上にあることが明らかに判る。
表面上は日本海溝で消える太平洋プレートも、じつは日本の乗る陸側のプレートの下を延々と斜め下に潜り続け、それが水平になるのはようやく大陸に至ってからのことだ。つまり、日本列島と日本海の真下には、ずっと太平洋プレートが続いているのである。
「白頭山という火山は、日本の東北地方の火山と同様、太平洋プレートの沈み込みに伴ってできたようだ」というのが最近の説であり、その噴火までに80年もかかったのは、「その距離が遠くて、影響が及ぶのに時間がかかったためだ」と説明されている。
◎警戒
そして、貞観地震から1,000年以上が経った今、東北地方でマグニチュード9.0という巨大地震、東日本大震災が起こった。
幸いにも現在のところ、東北地方の火山では活動の急変をうかがわせる目立った兆候は見られていない。しかし、専門家たちは今もなお一切の油断はしていない。
「世界でここ数十年間に起きたマグニチュード9クラスの地震を見ると、ほとんどの場合、『地震から数年以内』に付近の火山が噴火している」
東日本大震災からまだ2年も経っていないことを考えれば、東日本大震災の火山への影響が終息したとは決して断言できないのである。
遠く、中国・朝鮮の白頭山も然り。
白頭山が最後に噴火したのは、100年以上も前の1903年のことだというが、2000年頃から、付近で地震の回数が増える(群発地震)など「活動の高まり」が確認され、2002年以降は山頂部の隆起(山体膨張)も検出されている。
そして起こった東日本の大震災。この大地震を受けて、「中国と北朝鮮、韓国の地質学者たちが『異例の共同チーム』を結成して、山頂部の現地調査を実施」している。
日本海、そして国境を隔てているとはいえ、日本も中国も北朝鮮も韓国も、プレートという地質学の観点から見れば「一蓮托生」。たとえ多少の仲違いはしたとしても、「呉越同舟」ということか。
◎地球スケール
地震と噴火。
この腐れ縁の上に、われわれの国は築かれている。
地球スケールという尺度は、人間の尺度の何十倍、何百倍も壮大であるために、ついつい人間は地震や火山のことを忘れてしまう。だが、地球は決して忘れない。人間よりも小さな小さな動きを、休むことなく続けているのだ。
東北地方の太平洋岸への大津波は、500〜1,000年の間隔で何回も襲来している。たまたま、ここ200〜300年間、東北地方で巨大地震が起こらなかっただけである。現在、宮城県沖の巨大地震によるスーパーサイクルは600年間隔と考えられている。
北海道も然り。過去5,500年間に少なくとも15回の大津波が東部に襲来しており、そのスーパーサイクルは500年と推定されている。
東海・東南海における地震間隔は100〜150年。おおむね400〜600年に一度は巨大津波もやって来ている。
東京を含む関東地方では、関東大震災のような非連動型の大正タイプと呼ばれる地震の平均サイクルは200〜400年。より規模の大きい連動型(元禄タイプ)となると、その間隔は2,000〜2,700年。
いずれの統計も学説の域を出ないわけであるが、その呼吸が数百年単位であることくらいは見て取れる。そして、100年くらいは軽く「ブレる」。
日本列島周辺において、この大きな呼吸(数百年、数千年というスーパーサイクル)が数万年、数十万年というスケールで延々と繰り返されてきたのである。
「いつ起きても不思議ではない」
地震予測の主軸が、100年単位でブレる時間軸にあるということは、そういうことだ。その誤差は人間の平均寿命を軽く超えている。
それでも、地球的なスケールで眺めて見れば、東日本大震災が起こるまでは、おおむね平和な時代であったことに気づかされる。
ただ、マグニチュード9クラスという巨大地震の余波は、いまだ地下深くに生き続けていると考えていたほうがよさそうだ。
悠久と思われる富士の雄姿ですら、いつまでもそのままでいられるとは限らないのである…。
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出典:日経サイエンス
「迫る巨大地震 最悪のシナリオ」