福島県「飯舘(いいたて)村」。
福島原発30km圏の圏外にありながら、風と雪により、放射能汚染の激しい地域となった。
そんな「飯舘村」に、東電が釈明に現れる。
当然、腹を立てた住民が「罵声」を浴びせかけんとした、その時、
「やめろ、飯舘村の恥になるぞ」と隣りの住民が、怒れる住民を静止する。
このエピソードには、日本の美徳を継ぐ心だと、賞賛の声が集まった。
日本の美徳の心をもつ「飯舘村」の村長・菅野氏は、放射能汚染の状況に「冷静」に対応している。
年老いた老人を、無闇に避難させず、村の老人ホームで面倒を見ているという。
お年寄りにとって「放射能のリスクよりも、無理に避難させるリスクの方が大きい」のだそうだ。
住民の多くが去った飯舘村。残った老人を守るために、菅野村長は国から6億円の援助をとりつけた。
しかし、避難させないことに「殺人者だ」とか、「村民をモルモットにしている」だとか、非難のメールが殺到するという。
それでも、菅野村長はあわてずに、放射線量を丁寧に測定し、村の事情にあわせて避難計画を進めている。
老人もそうだが、事業所なども、なかなか急には移転できない。然るべき時間は必要なのである。
急ぐべき「子どもや乳幼児」は真っ先に避難させている。
「地震・津波・原発」の三重苦に加え、「情報の被害」が飯舘村を襲う。
特に飯舘村は、世間の関心が高いだけに、悪い情報が二重三重に騒ぎ立てられてしまう。
菅野村長は苦言を呈す。
「情報だって心の持ちようで、生きもするし、死にもする」
「相手のことを思いやって頂きたい」
先述の美談もさることながら、この村には「思いやり」の心が、代々受け継がれてきた。
「までい」の心というのだそうだ。
「までい」とは「真手(まて)」が語源。
「真手」は「両手」を意味し、お茶を両手で出す、ボールを両手でとるなど、「丁寧に、大切に、心をこめて」という想いが込められている。
「までいに子供を育てないと、あとで苦労するよ」
「までいにご飯を食べないと、バチが当たって目がつぶれるよ」
などと言われてきたのだそうだ。
性急すぎる現代の日本人は、「までい」の心を忘れてしまったのかもしれない。