2011年06月10日

原発は悪なのか?

ドイツは2022年までの原発全廃を決定。

閣議決定した脱原発の関連法の施行を待たずに、6月9日、暫定停止していた2基の原発の「廃炉」を決定した。



ヨーロッパでは、ドイツのみならず、スイス、オーストリア、イタリアも、脱原発の姿勢を打ち出している。

原発推進国のフランスでも、国民の世論調査で8割近くが、「原発反対」という結果だった。



日本は?

菅首相の突発的な発言をうけ、「浜岡原発」が停止。

浜岡原発を抱える「中部電力」は、突然の原発停止により、決定的な「電力不足」に陥る。

余裕のなくなった中部電力は、「東京電力」と「九州電力」に援助していた電力供給を停止。

さらに、原発により失われた電力を「火力」で補おうと、カタールと緊急交渉して、天然ガスの緊急輸入を決定。

何とか今夏の電力を確保しようと必死だ。数字上は、需要を満たせる目処が立ってきたものの、もし、何らかのトラブルがあれば、危機的状況に陥るという「綱渡り」状態だ。



ヨーロッパの脱原発国の電力は足りているのか?

足りていない。しかし、ヨーロッパ各国は、「地続き」であるため、電力を「輸入」することができる。

日本は、四囲が海であるため、電力を他国から輸入することはできない。

電力を「輸入」できるか否か。これは日本とヨーロッパの決定的な違いである。



また、自然エネルギーの活用を目指すドイツの電気料金が「高い」ことも忘れてはならない。

原発を捨てるからには、国民も電気料金をドンと払う覚悟が必要である。



おそらく、脱原発は「善」であろう。

しかし、「善」ならば、何をやっても良いのか?

昔、ソ連の共産主義者は、国境なき世界を目指し、そのためならば、ウソをついても、人を殺しても「是」とされた。

「国境なき世界」は「善」であろう。しかし‥‥。



たとえば、タバコは「悪」であろう。

「悪」ならば、禁止にして良いのか?

昔、アメリカでは「酒」が禁じられた時代があった。その結果、闇の取引が横行した。禁酒法は「小悪」を駆逐したものの、「巨悪」を生み出してしまった。そして世界恐慌が引き起こされた。


原子力は「善」か「悪」か?

おそらく「善」であり、「悪」である。

この矛盾は興味深い。どちらの解釈も正しいため、国民が、そして世界が2つに割れる。



たとえば、今回の浜岡原発停止は「善」であり、「悪」である。



たとえ良いことでも、過度に行えば、「悪」になることもある。

タバコは身体に悪いからといって、強制的にタバコを取り上げられたら、ヘビースモーカーは精神に異常をきたしてしまうかもしれない。

牛乳は身体に良いからといって、無理やり牛乳を飲ませたら、牛乳アレルギーの人は死んでしまうかもしれない。



たとえ悪いことでも、少しずつ行えば「善」になることもある。

放射能が身体に悪いといっても、ごく微量を浴びる分には、健康増進につながることもある。放射線を発する「有馬温泉」には、皆ありがたがって入りに来る。

お酒が身体に悪いといっても、日本人は「酒は百薬の長」と信じて疑わない。



原子力発電は、絶対的な「善」でもなければ、絶対的な「悪」でもない。

原発を続けるにしろ、やめるにしろ、その「やり方」に善悪が生じるのみである。

よって、原発それ自体の善悪を議論することは、不毛であり、もし、絶対的な善悪を決めてしまったら、それは害悪となりうる。



かつて、アメリカが「オオカミ」を「悪」と決めつけて、徹底的に殺しまくったことがあった。

その結果、オオカミに食べられなくなった「シカ」が爆発的に増加。シカは植物を食い荒らし、生態系を大きく歪めてしまう。



また、「クジラ」を「善」と決めつけて、クジラを過度に保護する傾向がある。

その結果、クジラが増えすぎて、イワシが激減したという話もある。



「オオカミ」も「クジラ」も、それ自体に善悪はなく、生態系にとっては、それぞれ「然るべき役割」があるだけである。

原発もやはり、人間社会という生態系において、「然るべき役割」がある。

この「然るべき役割」は、絶対不変のものではなく、時の流れとともに、役割も変わりゆく。

必要とされれば増えてゆくし、不要とされれば減ってゆく。



日本の原発政策が起動して、50年以上。

その根が浅かろうはずがない。

原発が役割を終えるにしろ、よほど丁寧に掘り起こさなければ、のちに禍根を残す。

「有終の美」ほどに難しいものはない。


posted by 四代目 at 20:48| Comment(0) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

原発の危機想定は「無限大」。テロや犯罪組織からも狙われている。



原子力発電所の「安全」を確保するには、「自然災害」から守るだけでは片手落ちである。

「テロ」や「犯罪組織」からも守る必要がある。

原発は「攻撃対象」となることもあれば、放射性物質が「盗難」されることもある。

さて、日本の「原発の警備」は充分と言えるのだろうか?



原発の警備は、主に「非武装の民間警備会社」が行う。

警察官も「24時間常駐」し、原発の敷地内を「パトカー」で巡回する。

原発の沖合いには「海上保安庁」の巡視艇が、常時停泊している。



外国における原発の警備は、「準軍隊」か、準軍隊なみの装備を持つ「民間警備会社」が担当するのが通例だという。

それに比べれば、日本の警備は貧弱である。

警備員が武装化していないのは、「日本とスウェーデン」だけだそうだ。



2001年9月11日のアメリカでのテロをうけ、日本でも原発を「自衛隊」が警護する案が検討されたが、自民党の反発を受け、却下された。

奇襲攻撃などの有事の際には、自衛隊が出動することになっている。しかし、常駐していない自衛隊が、緊急の有事に間に合うのかどうか?

もし、使用済み核燃料などが「強奪」される事態が起これば、国際的な責任追及は免れえない。



上空からの攻撃はどうか?

アメリカの実験では、「ミサイルや爆弾には耐えられるようになっている」。

バンカーバスターという爆弾があるが、この爆弾は地中深くに突き刺さり、地下で爆発する。原子炉が地中からの爆撃に耐えられるかどうかは、疑問視されている。



原発は、災害だろうが、外敵だろうが、ありとあらゆる危機を想定する必要がある。

9.11以降は、「テロ」への想定が拡大し、3.11以降は、「地震と津波」への想定が拡大した。危機の想定が拡大すればするほど、原発を守る「労力」は増大してゆく。

労力の増大は、「経費」の増大へと直結する。

今までの原発は、「安い発電コスト」が売りとなってきたが、「危機対応」や「賠償コスト」なども考え合わせれば、もはや割安な発電方法とは言えなくなるかもしれない。



もし、何かあれば、無限大の被害を起こす危険性のある「原子力発電」。

ワンミスで「致命傷」を負いかねない。

そのリスクをゼロに近づけることはできても、決してゼロにはできない。



ある政府関係者が、「3月11日の前に戻りたい」と語っていた。

この言葉を「被災者」が言うのは構わない。

しかし、「危機管理を担当する者」が口にすべき言葉であろうか?

時間を巻き戻すことは「不可能」。だからこそ、「危機管理」が存在する。

「待ったなし」の現状は、常に現在進行中である。


posted by 四代目 at 19:52| Comment(0) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月06日

ドイツの脱原発に経済界は猛反発。日本は原発を捨て切れない。

反原発の世論をうけた「ドイツ」は、2022年まで原発をなくすことを決定。

喜ぶ国民の影で頭を抱えるのは、原発企業。

独エーオン社は、巨額の損失の補償をもとめ、ドイツ政府を訴えてやると意気盛ん。

ドイツ経済界は、「壊滅的な打撃」を被るだろうと、恨めしげな意見も。



イギリスのフィナンシャル・タイムズも懸念を示す。

「日本の大津波が、ベルリン(ドイツ)にまで達した」。脱原発は「悪い知らせ」だと暗い。



現在、ドイツの電力の2割が「原発」によるものである。

原発の抜けた後の、「大きな穴」は埋められるのか?

ドイツは再生可能エネルギーを10年間で「2倍」に増やした実績を持つが、原発なしでは、化石燃料に逆戻りせざるをえない。



大胆な決断を下したドイツであるが、我が日本はどうか?

アメリカのニューヨーク・タイムズは、日本における脱原発の可能性は「アメリカよりも低い」と断言。

その理由として、原発が地方を「潤(うるお)す」仕組みをあげる。

過疎に苦しむ地方都市には、原発による補助金が大量に流れ込む。さらに雇用も生んでくれる。

ひとたび原発が建設されれば、整備や更新などにより、絶え間なく地方に資金が落ちる。

その結果、原発地域の住民には反対派が少ないのだという。

実際、多くの地方で過疎化を防ぐことができたということだ。



福島の放射能事故は、世界中に波紋を広げている。

タイでも原発計画が見直される見込みである。

各国政府は反原発の動きに押され気味だが、経済界は一様に脱原発への懸念を示す。

はたして世界は何を選択するのか?



出典・参考:MSN国際ニュース
ドイツの脱原発と日本
posted by 四代目 at 18:31| Comment(0) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原発「万歳」のフランス、原発「反対」のドイツ。福島以降にみる両者の明暗。



欧州の2大強国、フランスとドイツ。

この両者は、「原子力発電」に関して、正反対の態度をとっている。



フランスは、世界を代表する「原発大国」。自国の電力の8割近くを原発でまかなう。

ドイツは、「反原発」の旗を掲げ、再生可能エネルギー(太陽光・風力)の拡大にセッセと取り組んでいる。



福島の放射能事故は、両者の態度をいっそう鮮明にした。

フランスのサルコジ大統領は、原発の安全性への不安を「古臭い」と一蹴。今月の世論調査において、反原発派が77%を占める中、俄然強気である。

一方、ドイツのメルケル首相は、「2022年までに全ての原発を破棄する」と決定。この決定は、「原発の閉鎖を延期するという、わずか9ヶ月前の決定を覆すもの」だった。

ドイツで萎えかけていた「脱原発」の理想が、福島以降、いきなり鎌首をもたげてきた格好となった。



ドイツには原発に頼らなくとも、電力が豊富にあるのか?

現状は電力は不足している。しかし、電力はなくとも、ドイツには金がある。

足りない電力は、フランスから買えばよいのだ(皮肉にも、フランスの電力は原発製だが‥‥)。

ドイツは、4月のみで「フランスからの電力輸入を43%増やした」。追加費用は約6,000万ユーロ(約70億円)。



このようなドイツの態度には、「ドイツの一匹オオカミ的な政策は、ヨーロッパ全体を結び付けている電力網を不安定化させかねない」との懸念もある。

ドイツは、フランスからの電力輸入だけではなく、ロシアからの「天然ガス」、そのほか「石油・石炭」をも他国から輸入することになる。

つまり、ドイツにおける「脱原発の動き」は、資源の消費を拡大し、資源価格の高騰に拍車をかける。

資源価格の高騰は、世界的なインフレ(物価上昇)の誘い水となり、食料品価格の高騰に発展する。

食品の価格が高騰する問題は深刻だ。

人々は多少の不満には耐えられても、食うものがなくなると半狂乱となる。アラブ世界における民衆蜂起は、食料品の高騰が根底にあったことは、周知の事実である。独裁どうのこうのは、二次的な問題である。



GDPのデカイ国には、その政策に相応の責任がある。

ドイツの脱原発の姿勢を批判する人々は、「ポピュリズムだ!」と意気込む。

「ポピュリズム」とは、否定的に「大衆におもねる」意味となる。



政治的、短期的な問題をあげればキリがないが、世界的な反原発気運は高まっている。

それでも、原発の利益は莫大で、短期的な果実をムシャムシャ食らうフランスは、当面はそのウマミを満喫することだろう。

一方のドイツは、フランスに電気をもらうため、平身低頭である。



キリギリス的「フランス」と、アリ的「ドイツ」。

いつものパターンである。

キリギリスの度を越した「ギリシャ」はひっくり返った。



いつかフランスも、平身低頭する日がくるのだろうか?

フランスの原子力政策がズっこける日は、世界が放射能で汚染される日である。

フランスの決意は、それほどに強固である。ひとたびカジリついた美味すぎる原子力。意地でも口を離してなるものか!

「ポピュリズム万歳」である。



posted by 四代目 at 07:19| Comment(1) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月01日

マグロの町「大間」にみる、原発建設の歴史。原発を必要とする人々。Financial Times



青森県「大間町」。

本州「最北端」の町で、北海道の函館とは20kmも離れていない。

漁業が盛んで、「大間マグロ」は日本近海(1〜3km)で獲れるため、市場ではケタ外れの値がつく。「一本釣り」の伝統を受け継ぐ、日本古来の漁場である。



このマグロの町に、現在「原発」が建設中である。

しかし、この原発建設には、強い反対運動があり、誘致(1984年)が決まってから20年以上も「着工されなかった」という。

猛烈な反対運動に押され、一部の用地買収は「断念」せざるをえず、当初の建設予定を変更。

反対運動により、建設計画が変更されるのは、極めて特異なケースであった。

現在は、約40%ができており、2014年に運転開始予定である。



建設着工までの経緯には、猛烈な反対運動が記されているが、実際の「反対派」は一握りの少数派だった。

土地の売却をガンと拒んだ住民は、その後、家族全員が「村八分」にされたという。

住民の大多数は、原発建設に大賛成。原発は「仕事と補助金」を町にもたらす、ありがたい存在だったのだ。



大間に原発誘致が決まった1984年当時、漁師たちはマグロの不漁に喘(あえ)いでいた。

漁獲量が激減したのは、「青函トンネル」の工事が原因であったとも。

いずれにせよ、大間の「漁獲金額の6割」はマグロであり、そのマグロがいなくなった町にとって、雇用(賃金)をもたらす原発は、ノドから手が出るほど渇望するものであった。

こうした状況下では、原発反対などはトンでもなかった。「マグロだけではママ食えねェ」のである。



福島原発の事故はどう響いたか?

一握りの原発反対派は、一気に息を吹き返す。

日本全国から数百人が大間町に押し寄せ、原発敷地内の一画で「音楽フェスティバルと反原発デモ」が盛大に開催された。



町は反原発一色か?

そんなことはない。福島の原発事故を受けても、多くの住民は、原発建設を支持している。

「原発は絶対に建設してもらわねば困る!」



各者各様、それぞれの事情がある。

「理想」だけを押し付けることはできない。

理想に基づく「正義」は、ときとして「暴力的」である。

放射能事故イコール原発廃止では、短絡的すぎる。

この2つを結ぶ「イコール」には、充分な時間が必要である。



posted by 四代目 at 06:00| Comment(2) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする