原発、原発と世間が姦(かしま)しいが、原子力発電所は海中にもウヨウヨしている。
海の原発とは、「原子力潜水艦」のことである。
「原子力潜水艦(原潜)」は、地上の原子炉なみの出力をもち、自由自在に動き回るのみならず、敵の艦隊や原潜を付け狙いうという物騒極まりない存在である。おまけに核兵器まで積んでいることすらある。
地上で起きる原発事故というのは、チェルノブイリ、スリーマイル、フクシマなどのように、蜂の巣を突ついたように、世間を騒がせるが、原潜事故となると、国家機密も関連するために、地上ほどには騒がれない。
しかし、騒がれないからといって事故を起こしていないわけでもない。
アメリカの原潜は、1963年と1965年に、それぞれ一隻づつ、計2隻の原潜が沈没し、乗員228名が死亡している。
旧ソ連・ロシアにおいては、1968年、1970年、1983年、1985年、1986年、1989年、2000年と、計7回、7隻の原潜が海中の藻屑となり、計232名が死亡している。
原子力潜水艦が沈むということは、その艦に搭載されていた核兵器や原子炉、核燃料などの「放射性物質」も、同時に沈むということである。当然、それら放射性物質は、現在も海底で放射線を放出し続けていることになる。
これら、幾多の原潜事故のうち、最も世間の耳目を集めたのは、2000年にロシアが起こした原子力潜水艦「クルスク号」の沈没事故であろう。

この事故において、ロシア政府の対応があまりにも醜悪だったために、時の世論は非難轟々であった。
まず、事故を「隠蔽」しようとし、隠蔽しきれなくなり、事故を「過小評価」。そして、最後は「責任転嫁」である。
原潜「クルスク号」が沈没したのは、2000年8月12日。
原因の詳細は明らかではないものの、とにかく途轍もなくデカい爆発が2度起き、原潜の艦首部分が大破。
この事故は、ロシアの海軍演習中の出来事であったために、ロシアのみならず、世界各国がこの爆発の情報を即座にキャッチした。音波探知機には「耳をつんざくような轟音」が鳴り響いたという。
しかし、ロシアの動きは緩慢で、救助作業を開始したのは翌日。事故を公表したのは2日後。ロシアの手に負えないとして、外国への支援要請したのは、事故から何と4日も経っていた。
爆発後、118名の乗組員のうち、少なくとも23名は生存していた。それは後に引き揚げられた遺体のメモ(暗闇の中、手探りで書かれた模様)により明らかとなった。
つまり、もし、ロシアが迅速に救助活動を行っていれば、最低でも23名は助かっていたかもしれないのである。このことが、この事故の悲劇性を大きくし、国民の反感を買ったのである。

ロシアの救助は、まことに稚拙なものであった。原潜クルスクの沈んだ海中90mというのは、ダイバーの到達できる海域でありながら、救助に必要な要員や機材がロシアにはなかった。
この事実を認め、イギリスとノルウェーに支援を要請したのは、事故から4日がたっていたものだから、乗組員の死亡はすでに確定的であった。原子炉が停止し、電源は喪失、艦内の酸素は徐々に失われ、浸水とともに溺死したと推定されている。乗組員118名が全員犠牲となった。
なぜ、ロシアの対応は、これほどまでに非人道的であったのか?
それは、人命よりも国家機密が優先されたためである。原子力潜水艦というのは、国家機密の塊のようなものである。救助を他国へ要請すれば、その秘密の一端(原潜の設計図など)を明らかにしなければならなくなるのだ。
特に、この事故の起きた軍事演習は、ソ連崩壊後に衰退したと思われていたロシア海軍の威容を世界に示す目的があった。
偉大であることを世界に見せつけるはずが、原潜の事故、そして稚拙な救助の失敗。まさに国辱である。おいそれと他国に「助けてくれ」とは言いにくかったのだ。
旧ソ連、そして敵国アメリカは、冷戦時代に原子力潜水艦を造りまくった。
燃料を補給することなく何年でも潜水していられる原潜は、潜ってしまうと探知が極めて困難で、原潜には原潜で対抗するしかなかったのである。
原潜に搭載される核兵器は、一隻の原潜で、いくつもの都市を壊滅させるに充分な破壊力を有していた。その気になれば、地球を破壊することまで可能であった。
その原潜の強力さが、米ソ両国間の大きな抑止力となり、核戦争は回避されたというが、冷戦後に残された原潜は、いまや厄介な放射性廃棄物に過ぎない。

ロシアで解体を待つ原潜は200を超えるという。
原潜を造るよりも、解体するほうが遥かに難しい。何せ原子炉がそのまま入っているのだ。一歩間違えれば大惨事である。
丁寧に丁寧に解体して、原子炉を取り出し、それを100年以上も保管しておかなければ、最終的な処理はできない。原子炉の放つ放射線はそれほどに強力であり、時間をかけて待つより他にないのである。

20数年間、ロシアは、不要となった原潜を海上(バレンツ海)に放棄していた。
それらサビついて老朽化した原潜の放つ放射線は、チェルノブイリ爆発の何倍にも上る量となっている。
ロシアと国境を接し、バレンツ海を共有するノルウェーにとって、放射性廃棄物の放置は黙認できることではない。

他国からのクレームもあり、ロシアは渋々解体作業を継続しているが、放射能の危険もあり作業は遅々として進まない。
200ある原潜のうち、一年に解体・移動できるのは、せいぜい7隻だという。となると、今から20〜30年は、この作業を続けなければならない。
移動が完了しても、処理が完了するわけではない。害の少ない場所に移し変えるだけで、問題は先送りされるに過ぎないのである。まあ、海にプカプカ浮かんで、いつ沈むか分からないよりは、よほどマシではあろうが。
日本も安穏とはしていられない。極東のウラジオストク港にも、ゴミと化した原潜がプカプカと浮いている。
人類は、核兵器を造り、核の脅威を生み出したが、その脅威は、現在、「核汚染」の脅威となっている。
熾烈な核製造競争は、過剰な放射性物質を地球上に生み出した。
核兵器が削減されても、一度作られた放射性物質は、何世代にもわたって保管・処理をしなければならない。
現在、ロシアには、処理を待つ放射性廃棄物が、山ほどある。これらは、次世代、次々世代、次々々世代への不幸な贈り物であり、最も醜い遺産である。

原子力発電所から出る放射性廃棄物も同様である。確たる処理方法のないまま、何百年、何千年分の危険なゴミが延々と排出され続けている。
森の動物たちは、自分たちの生きた痕跡を極力残さない。
人間たちは、自分たちの偉業を後世に知らしめんと、必死で痕跡を残す。
害のない痕跡ならば、その幼稚な行いを笑い飛ばせるかもしれないが、腫れ物のように触ることもできない痕跡まで残すのはどうか?
生物が後世に残せるのはDNAの情報くらいである。どんな偉大な歴史や文明も、何万年先には何も残らない。
出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ
放射性廃棄物はどこへ 「旧ソ連 原子力潜水艦の末路」