2012年06月29日

使うほどに増える不思議な「プルトニウム」


そこには、「プルトニウムの缶詰」というものが置いてあった。

「プルトニウム」というのは断じて食品ではない。毒も毒、半減期2万4000年という化け物のような放射性物質である(原子番号94は、"苦しんで死ぬ"と覚えるのだとか)。

「その缶詰は、ポカポカと温かかった」と伊原義徳さん(88)は語る。プルトニウムが崩壊していく過程で発せられる「崩壊熱」で温かかったのだ。



彼がその缶詰に触れた場所は「アメリカ」。それは、伊原さんが「原子力」の技術を学ぶためにアメリカのアルゴンヌ国立研究所に留学していた時のことであった。当時、世界随一の原子力技術を誇っていたアメリカ。それだけに、猛毒・プルトニウムの扱いもお手の物であったのである。小さな缶に閉じ込めてしまうほどに。

アメリカの原子力に対する知識や技術に感銘を受けた伊原さんは、「あぁ、日本でも早くこんな缶詰が作れたらなぁ」と切に願ったという。



◎プルトニウムに見た夢


神戸に生を受けた伊原さんは、黎明期にあった日本の原子力発電を牽引してきた人物の一人である。

彼はプルトニウムに「夢」を見た。この物質の「秘めたる力」に魅せられたのである。

おおよそ人の手には負えそうもない化け物のような物質・プルトニウム。この物質を怒らせれば、第二次世界大戦における日本の最末期の惨状がこの世に現出する。長崎に投下された原子爆弾は、このプルトニウムであったことは日本人にとって生々しい。そして、その怒りは何万年と人を寄せ付けぬのだ(半減期2万4000年)。



伊原さんが魅せられたのは、この「悪の魅力」にではない。プルトニウムの持つ「増殖する」という不思議な性質に惹かれていったのである。

たとえば、車の燃料であるガソリンが、タンクの中で勝手に増えるということがあり得るだろうか? 当然、あり得ない。燃料は消費すればなくなる。それが当たり前だ。

ところが、「増殖」できるプルトニウムという燃料は、ひとたび火がつけば、勝手に増えていくのである。あたかも、細胞が分裂してその数を殖やしていくように。まさに「夢の燃料」。資源を持たない日本にとっては、ノドから手が出るほどに渇望すべき燃料であった。



◎小資源国・日本の願い


伊原さんが原子力に携わり始めたのは1950年代。終戦間もないその時代の人々は、先の大戦において、日本の主たる燃料であった「石油」の輸入を止められたことによって、どれほどの苦杯を飲まされてきたかを肌に感じて知っていた。

プルトニウムという化け物は、長崎を壊滅させた憎き仇であったかもしれないが、その憎しみ以上に「資源論」は切実であった。その葛藤の中、日本は原子力計画を推進すべく科学技術庁を設立したのであり、伊原さんはその一員となったのだった(1956)。



◎アメリカの高速増殖炉「EBR-1」


原子力先進国のアメリカには、すでにプルトニウムを燃料に用いた原子炉が完成していた。1951年に完成した「EBR-1」というのがその原子炉である。

その年の暮れようとしていたクリスマスの前夜、世界で初めて「原子力の灯」がアメリカに灯った。その最初の発電は、たった4個の電球を灯しただけの微力さであったが、この小さな一歩が後の世にどれほどの光を灯すことになるのか、それは我々の知るところである。




この世界初の原子炉「EBR-1」は、その2年後にプルトニウムが「増殖する」という科学者たちの仮説の正しさを証明した。

プルトニウムとウランを混ぜて核分裂させると、プルトニウムから飛び出した中性子がウランにぶつかり、そのぶつかられたウランが、世にも不思議なことにプルトニウムに生まれ変わってしまうことを立証したのである。

銀から金が生まれるような、燃料が燃料を生むというこの錬金術。理論上は、1000年にもわたって燃料を再利用し続けることが可能であった。




◎日本における幕開け


「資源論」の叫ばれていた日本にあって、増殖するという夢の燃料に白羽の矢が立ったことに不思議はない。そしてそれは、伊原さんがプルトニウムの缶詰を手にした時の感動とリンクした。

アメリカからもたらされて朗報が、日本における原子力時代の幕を開けたのである。日本に初めて原子力の予算が組まれたのは、プルトニウムが増殖することが証明された、その翌年の1954年であった(この時の予算2億3500万円は、この数字はウラン235にちなんだシャレであったとか)。



◎いきなりの挫折


ところが、プルトニウムの夢はいきなり座礁する。

日本が初めて予算を組んだその翌年(1955)、世界初の原子炉であったアメリカの「EBR−1」が、炉心溶融という重大事故を起こしてしまったのだ。




この事故により、見切りの早いアメリカは、あっという間にプルトニウムによる発電を諦めた。このタイプの原子炉は、いったん制御が効かなくなると、暴走して炉心溶融という重大事故にいたる致命的な欠陥があることが分かったからである。

以後、アメリカが進めていくのは「軽水炉」と呼ばれるタイプの原子炉であり、現在の日本の商用原子炉すべてがこのタイプである。世界でも80%以上がこれである。



◎増殖炉と軽水炉


プルトニウム型の「増殖炉」と比べて、軽水炉はその名のイメージ通りに「お手軽」な原子炉であった。増殖炉に比べて、造るに安く、扱うに容易だったのである。

増殖炉と軽水炉の決定的な違いは、原子炉の中で用いられる液体である。具体的に言えば、増殖炉では溶かした「金属ナトリウム」が用いられ、軽水炉では「水」が用いられる(素人目に見ても、水を用いる軽水炉のほうが手に取り易そうである)。




増殖炉で金属ナトリウムが用いられるのは、中性子のスピードを落とさないためである。ウランがプルトニウムに生まれ変われるかどうかは、中性子のスピード如何にかかっている。「高速」で衝突することにより初めて、夢の増殖が起こるのである(これが"高速"増殖炉と言われる所以である)。

一方、軽水炉のように水を用いると、中性子のスピードは極端に遅くなる。どうやら、中性子は水の中を泳ぐのが苦手なようなのである。そのため、増殖という現象は決して起きない。しかしそれでも、「発電」という目的を達するためだけであれば、十分すぎるほどのパワーは出せるのだ。



◎一方通行の軽水炉


発電の用をたすだけならば「軽水炉で良し」としたアメリカの判断は、じつにビジネスライクであった。大量生産・大量消費の原子炉は、こうして世界に量産されていくことになる。

一方、プルトニウムのもつ再生可能性にこだわり続けた日本は、ある意味、愚かだったのかもしれない。しかし、その愚かさを笑うわけにはいかない。伊原さんらがこだわったのは、燃料を大切に使い、ゴミもリサイクルできるという愚直な几帳面さであったのだから。



現在、世界には核のゴミがあふれているのは、軽水炉の燃料が「使い捨て」にされ、リサイクルの仕組みがほとんどないためである。

この40年間で日本が出した「使用済み核燃料」は1万4000トンを超え、年間1000トンのペースで増えるこれらのゴミは、あと6年ほどで国内のゴミ箱を一杯にしてしまう勢いだ。



悲しいことに、ゴミ箱が一杯になった後の計画は「成りゆき任せ」である。「まぁ、しかし、私も隠居の身になりましたから、あとは若者に任せて…」などと言う官僚もいるくらいに、無責任なことである。

さらに悪いことには、ゴミをゴミ箱に入れただけでは問題は解決しない。そのゴミは今後何万年にもわたって異臭(放射能)を発し続けるのであるから。




◎絵に描いたモチに終わった核燃料サイクル


原発を始動させた当初、40年後の世界を核のゴミでいっぱいにしようなどという思いはなかった。少なくとも、伊原さんは「そうしたくない」と思っていた。増殖する燃料・プルトニウムを主に用いて、原子力発電を持続可能なものにしようと邁進していたのである。

彼らの描いた理想は、使い捨てに終わる軽水炉型の原発から出る「使用済み核燃料」を再処理工場に送り、そこからプルトニウムを取り出して、高速増殖炉で発電を行うというサイクルであった。一方通行に終わる軽水炉を、循環を生む増殖炉で補完して、永続的なものにしようと考えたのである。

しかし、アメリカが早々に見限った増殖炉は、その後の日本でも足踏みしたまま遅々として進むことがなかった。日本で唯一の高速増殖炉「もんじゅ」は、今だに一度として本格稼働していない。




◎軍事の顔をもつプルトニウム


アメリカが増殖炉を捨てた理由は、先に述べた商業的な側面のほかに、軍事的な背景もあった。世界に増殖炉が普及してしまうことは、核兵器の材料となるプルトニウムを世界中に増産してしまうことも意味したのである。

核兵器の原料は大きく2つ、ウランとプルトニウムがある。ウランを原料に用いるには、それを高い技術で「濃縮」する必要があるために、ウランによる核兵器開発はプルトニウム以上に困難である。

一方、プルトニウムを用いた核兵器は比較的簡単に作れてしまう。ただ、上手に爆発させるためには必ず実験してみなければならない。この点、ウラン型は実験なしでも爆発の失敗は少ない。

※広島に落とされたのは爆発の失敗の少ないウラン型、長崎に落とされたのはプルトニウム型。2つも日本に原爆を落としたのは、両タイプを試してみたかったのではとの批判もある。




造るのに容易なプルトニウム型、爆発させるのに容易なウラン型。両者を比較してアメリカが恐れたのは、プルトニウムの方であった。

そのため、アメリカが世界に広めた原発はウラン型なのであり、軍事転用の恐れの高いプルトニウム型は、EBR-1の炉心溶融事故もあって、アメリカの選択肢から外されたのである。



◎プルトニウムにこだわり続けた日本


それでも、日本は再生可能なプルトニウムによる原発にこだわり続けた。これにはアメリカも腹を据えかねた。1970年代、あからさまに内政干渉をしてきて、日本の核燃料サイクルに「中止」を求めてきたのである。

おそらく、伊原さんら、ごく初期に原子力を夢見た人々に兵器転用などという頭はなかったのではあるまいか。彼らは純粋に日本の未来のエネルギーを心配していたのである。



しかし、そうでない人々も確実にいた。1960年代から1970年代にかけて、近隣の中国、そしてインドが相次いで核実験を成功させ、核保有国となっていた。警戒を強めた日本で、「日本にも核兵器を」という話が持ち上がってきても不思議はなかった。

この時代、第二次世界大戦を身体で知る勇ましい世代は、まだ現役であった。たとえば、真珠湾攻撃にも航空参謀として参戦していた「源田実」氏などは、「核のオプション(選択肢)」を失ってはいけないと訴えている。



しかし、世界唯一の被爆国である日本の国民感情はそれを決して許さない。そのため、アメリカが日本に疑心を抱いたまさにその通りに、核兵器の原料を生産できる増殖炉が、その隠れ蓑となっていた。

原子力発電を続ける限り、好むと好まざると、意図しようと意図せざるとに関わらず、軍事に転用する素地はできてゆくのである。「原子力の技術開発は、核兵器の製造のための扉を一つ一つ開いていく」。これは政府の報告書に残る文言である。

アメリカというお天道様の気まぐれで天気は変わりうる。「折りたたみ傘」を持っておくに越したことはない、という思いが日本政府にはあったのだ。日本の技術力をもってすれば、2〜3年もあればその折りたたみ傘を開くことが可能であった。



◎軍事利用か、平和利用か


「核不拡散」という錦の御旗を掲げたアメリカは、その日本の動きを見逃さなかった。「カナマロ会」というのは、日本が極秘裏に進めていた原発の軍事転用計画であったが、アメリカのCIAはこの動きをごく初期の段階で察知していた。

日本の経済力、そしてその高い技術力を1970年代のアメリカは必要以上に恐れた。それゆえの内政干渉、核燃料サイクルの中止要請であった。日本はドイツと並んで最大懸念国だったのである。



軍事転用などはツユほども考えない「平和ボケ」と揶揄された伊原さん等は、このアメリカの横暴な横ヤリに憤慨した。

「勝手きわまりないアメリカの核不拡散法を、『お前も飲め』とは内政干渉も甚だしい。アメリカには日本を『属国』と考えている人が多くいる」とは、元科学技術庁「島村竹久」氏の隠し切れなかった怒りである。



◎勢いを失った核燃料サイクル


1970年代におけるアメリカが持ち出した核不拡散のゴタゴタは、10年以上も世界中で議論された末、結局はアメリカが折れることになった。というのも、増殖炉を組み込んだ核燃料サイクルを捨てたのは大国ではアメリカばかりで、ヨーロッパの大国は日本の味方だったのである。

しかし、このゴタゴタの中ですっかり足止めを食らってしまった日本の増殖炉計画は、その後、根っこが生えてしまったかのように動きを止めてしまう。

その間、アメリカの売り込んできた軽水炉が着々とその根を伸ばし、1990年代には日本に40基以上の軽水炉が稼働するようにまでなっていた。そして、その一方的に排出され続ける放射性のゴミ問題は、増殖炉計画の座礁とともに捨て置かれたままにされていた。



◎決まらない最終処分場


「NIMBY(ニンビー)」という言葉は、「Not in my backyard(俺の裏庭だけはダメだ)」の略語であるが、これは核のゴミを自分の裏庭(地元)に捨てられるのだけは困るという感情を示すに十分だ。何万年と放射能を吐き出し続けるゴミをいったい誰が好き好んで受け入れようというのか。

今のところ、日本にその最終処分場はない。それどころか、それを再処理する六ヶ所村(青森)の工場、リサイクルする高速増殖炉「もんじゅ」も止まったままだ。絵に描かれていたモチは、そのままカピカピになってしまっているのである。

そうこうしている間に、猛毒プルトニウムは国内に20トンも貯まってしまった。フランスやイギリスなどの他国に「使用済み核燃料」の処理を依頼するも、厄介者のプルトニウムばかりは送り返されてきてしまうのだ。



◎誰も手なずけられない猛獣・プルトニウム


プルトニウムの缶詰に触れた時に抱いた伊原さんの夢は、缶詰の中に閉じこめられたままである。

この缶詰を開けて、中身を楽しむ技術はよほどに高度である。放射能の化け物であるプルトニウムを手懐けるのは、猛獣をペットにしようとするようなものであったのだ。

その猛獣を核兵器という檻の中に閉じこめておくのは、それほど難しくないにしても、その猛獣を増殖させてそのエネルギーだけ頂こうというのは、虫の良すぎる話だったのだろうか。




この猛獣が本領を発揮できるのは、金属ナトリウムの中だけである。金属ナトリウムというのは、プルトニウムほどではないしろ、これまた暴れん坊である。空気や水を極端に嫌い、それらに触れた途端に大爆発を起こしてしまうのだ。

そのため、ナトリウムが漏れたり、中に空気が入らないようにするため、その配管には高い機密性と技術力が要されるのである。



不幸にして、日本の夢であった高速増殖炉「もんじゅ」は、そのデリケートなナトリウムの犠牲となってしまう。この原子炉が稼働したのは1995年8月。そして、ナトリウム漏洩事故を起こすのが、そのわずか4ヶ月後である。事故の事実隠蔽の疑いも浮上するや、国民感情は爆発。こうして、「もんじゅ」の進むべき道は閉ざされたのである。




◎泣きっ面にハチ


増殖炉に代わる代替策とされたのは、「プルサーマル」という手法であった。これは既存の軽水炉の燃料にプルトニウムを混ぜて燃やすというものである。ここには、国内に貯まり続けるプルトニウムを少しでも減らそうという目論見があった。

しかし、プルトニウムがらみの技術は極めて高度で、お金もかかる。それゆえ電力会社は増殖炉にしても、プルサーマルにしても極めて消極的である。それでも国から命じられれば、少しくらいはやらないわけにはいかない。こうして、嫌々ながらも、国内4カ所でプルサーマルは実施された。




ところが、プルトニウムの怨念ふたたび。またしても不幸にして、事故が起きる。しかも、今回のはとびきりだ。周知の通り、東日本大震災における福島第一原発の事故がそれである。

爆発した3号機こそがよりによって、国内に4カ所しかないプルトニウムを燃やしていたプルサーマルだったのである。この事故により、周辺には猛毒プルトニウムがバラ撒かれてしまっている。




◎明後日の方向を向いていた最初の一歩


核燃料サイクルという発想は、至極まっとうな考えであると思う。使ったモノを片付けなければ、ゴミは溜まる一方であるのだから。

しかし、「行きは良い良い、帰りは恐い」。核を壊す(分裂させる)のは簡単でも、その壊れた核を片付けるのはそうそう容易ではなかった。それゆえに、誰も触れないゴミは放っておかれ、それが黙認されてきたのである。



もし、原発の最初の一歩が「輪を閉じるサイクル」を意識したものであったら、現在、そして未来の状況はまったく違ったものになっていたのかもしれない。

しかし、原発の黎明期は戦争の時代とも重なっていたために、後々のことまでを慮(おもんぱか)る余裕はなかった。他国に対しての疑心は鬼と化し、原発は「平和利用と軍事転用」の二者択一の天秤にかけられるばかりであったのだ。そこには、間違っても「現在と未来」の天秤は登場しなかった。



◎夢幻のごとく


資源が湯水にようにあるアメリカとは違い、日本は限られた島国での歴史が長いだけに、アメリカのような「使い捨て」の文化は肌に馴染まなかったはずである。しかし、理想はあれども大きな流れには逆らい切れず、結局は日本もアメリカと軌を一にせざるを得なかった。

核燃料サイクルに真剣に取り組んだ伊原さんなどは、その大きな流れに逆らった少数派なのであり、彼らの夢はその流れの激しさの中に息も絶え絶えである。

「増殖する燃料」という夢は、夢の域を出られなかったゆえに、「原子力村」という非難にさらされることにもなってしまった。



◎限りの迫るエネルギー


冷静になれば、現在の我々が用いている燃料が、すべて有限であるのは自明である。その文字が示すごとく、燃やせばなくなるのである。

それでも、前世紀(20世紀)という時代は、その有限性に目を向ける必要はおおよそなかったといってよい。石油にしても、原発のウランにしても100年以上も持つのならば、それは当時の人々にとっては「無限」だったのである。



ところが、100年単位で物事の先を考えるとき、そのレールの先が途切れていることに気づくのは難しくいことではない。21世紀に生きる我々には、その先のなさに少々慌て始めているではないか。

さらに悪いことには、ただでさえ先の長くないレールの上に、大量のゴミが乗せられてしまっていることである。行き場の決まらぬ放射性廃棄物は、そのレールの寿命をさらに短くしてしまいかねない。



前進を続けるしかない我々にとって、過去の愚行を責めてばかりいても意味はない。この先のない燃料に希望を見い出すには、過去にも正しいレールがあったことに思いを馳せるほうが、より有用であろう。

過去には幾多の困難によって阻まれてしまったレールであれども、技術が進むことにより再び通れるようになっているかもしれない。



◎たとえ小さな灯火であろうとも…


進めば進むほど狭くなっていく道を進もうとするのか、それとも、行けば行くほど選択肢の広がる未来を夢見るのか。

エネルギー問題は、未来を志向する人類にとって、格好の試金石でもあるのだろう。

過去を振り返り想うことの一つは、どんなに絶望的な時代にあっても、かならず希望はあったということだ。たとえそれが消え入りそうに小さな灯火であったとしても…。




はたして、夢の缶詰はパンドラの箱であったのか?

それを決めるのは、幸いにも「これから」の話である。







関連記事:
広島・長崎、そして「第五福竜丸」。被曝の宿命を背負い続ける日本国民。

放射性物質のもたらした光と影の世界。キュリー夫人を想いながら。

原子力発電はステップの一つに過ぎなかった。「核分裂」から「核融合」への道こそが、宇宙の王道である。



出典・参考:ETV特集 「“不滅”のプロジェクト〜核燃料サイクルの道程」

posted by 四代目 at 08:39| Comment(3) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月14日

原発は「呉下の阿蒙」にあらず。奇跡を夢見るクレイジーたち。


「今必要なのは、『奇跡のエネルギー』を創り出すことです」

Microsoftの「ビル・ゲイツ」氏は、TEDのステージでそう語った。

現在用いられているエネルギーのほぼすべてが「再生不可能」であり、CO2や放射能などの問題も無視できない。だからこそ、「奇跡のエネルギー」が必要なのだという。



彼は続ける。「奇跡は不可能ではありません」。

「マイクロ・プロセッサは『奇跡』です。パソコンも『奇跡』、インターネットも『奇跡』です」

確かに、100年前には現在のITやサービスなどは一切存在しなかったのであり、それを夢想する人物すらいたのかどうか…。それでも、「奇跡」は起きたのだ。



さて、そのゲイツ氏の語る「奇跡のエネルギー」とは何なのか?

それは「原子力」である。早とちるなかれ、彼の言う原発は従来の技術とは一線を画するものであり、「奇跡の原発」なのである。

それが「進行波炉(TWR, Travelling Wave Reactor)」と呼ばれる次世代型の原子炉である。



現在主流の「軽水炉」タイプの原子炉は、原料として「ウラン235」を用いているわけだが、じつはこのウラン235、天然状態ではウランの中に1%も含まれていない。

天然ウランの99%以上は「ウラン238」であり、これは軽水炉内での核分裂反応を減速させてしまうという好ましからざる性質を持つ。

そのため、軽水炉でウランを用いるには、好ましいが微量である「ウラン235」の割合いを3〜5%になるまで濃縮する必要がでてくる。



ところで、普通の人であれば、こう考えはしまいか。

「なぜ、1%にも満たないウラン235を使うんだ? 99%以上もあるウラン238を使えばいいではないか」

過去においても、こう考えた人はたくさんいたわけだが、残念ながらそれがうまくいった試しはなかった。結局は、チョットしかないウラン235に頼らざるをえず、天然モノの中の極めて薄いウラン235を、人工的に濃縮して使うしかなかったのである。



そして、その濃縮の際、困ったことに大量の「残りカス」が出てしまう。

この残りカスは「劣化ウラン(depleted uranium)」と呼ばれるもので、その中に含まれる有用なウラン235の濃度は0.2〜0.3%と、まったく使い物にならない。



また、濃縮ウランを燃料として使い終わった後には、「使用済み核燃料」も残る。

「使用済み核燃料」におけるウラン235の濃度は、濃縮以前の天然レベルの1%以下まで減ってしまっており、再処理をしない限りは、これもまた使い物にならない。



さて、普通の人であれば、こう考えるかもしれない。

「劣化ウランや使用済み核燃料が使えたら、どんなに良いことか」



しかし、「劣化ウラン」や「使用済み核燃料」は、資源ではなく単なるゴミと成り下がってしまっている。

現在のところ、それらを有効利用する道は極めて狭く、サイクル率は10%程度である。むしろ、再処理には余計な費用や設備が必要なため、アメリカなどでは「ワンス・スルー」と呼ばれる「使い捨て」を他国に勧告しているほどである。

その使い捨てられた「核のゴミ」は、どこへ行くのか? 昔はドラム缶に入れて海にポイポイと捨てられていたわけだが、現在ではガラスで固めて地中に埋めているようである。



このように、軽水炉原発の原料となるウランは、かくも贅沢に使用されているのである。

それはまるで、巨大なウエディング・ケーキを一口かじっただけで、あとは捨ててしまうようなものである。

※ちなみに、ウラン鉱石からウランを分離した黄色い物質は、俗に「イエロー・ケーキ」と呼ばれている。



ところで、ウランという鉱物は、そんな贅沢に使えるほど、湯水のように地球上にあるのだろうか?

BPと日本原子力研究開発機構の資料によると、ウランの採掘可能年数は「115年」となっている。ちなみに石油は46年、天然ガスは58年、石炭118年…。ウランの115年というのは長いような、短いような…。



じつはこの採掘可能年数というのは、現在の使用状況から算出される「相対的」な
数字であり、「絶対的」な量で見れば、ウランの埋蔵量は悲しいほどに小さい。

小出裕章氏(京大原子炉実験所)に言わせれば、「ウラン資源は石油に比べて数分の1、石炭に比べれば100分の1しかないという『大変貧弱な資源』であり、ウランは化石燃料よりもはるかに早く枯渇します。そんな原子力に人類の未来を託すことなど、もともと馬鹿げたことでした」ということにもなってしまう。



つまり、ウランは無尽蔵にあるわけではない。そして、そのたった1%にも満たない「ウラン235」の何割かを使っただけでポイ捨てしてしまうのは、あまりにも「もったいない話」なのである。

現在の軽水炉による原発というのは、かくも無駄多きものなのである。



なぜ、そんな無駄を押してまで原発で発電するのか?

その理由をエネルギーの効率化という側面から答えれば、ウランの核分裂反応というのは、その資源の無駄を補って余りあるほど膨大な量のエネルギーを生み出せるからである。

ウランの原子というのは、「石炭などに比べて、百万倍ものエネルギーを有している」のである。百人力どころか、百万人力である。



原発のもつ最大の利点は、ウランが持つこの巨大なエネルギーにあるとも言えよう。

この観点から見れば、太陽光や風力などの自然エネルギーは最も非力である。自然エネルギーは拡散しすぎているため、薄まった状態のエネルギーを補足するのに、広大な面積が必要になるのである。

自然エネルギーの必要とする面積の広大さは「普通に思いつく発電所の何千倍」という規模である。



なるほど、原発の生み出すエネルギーというのは、宝石のように濃密な輝きを持つものか。

しかし、そのデメリットも周知の事実である。まず放射能。そして、「劣化ウラン」や「使用済み核燃料」など、処理しきれない核のゴミ問題。



前置きだけが長くなったが、ここでようやく登場するのがビル・ゲイツ氏の語る「奇跡の原発」である。

もし、ウランの99%を占める圧倒的多数派の「ウラン238」が使えたら?

もし、劣化ウランや使用済み核燃料などの「核のゴミ」を燃料とすることができたら?



これらの夢のような仮定を実現するために、どれほどの先人たちが道半ばで、夢のままに諦めたことか…。

しかし、時代は進んだ。ビル・ゲイツ氏が立役者の一人となったパソコンの普及発展が、新世代のエネルギー革命への道を開いたのだ。

ウラン鉱物の99%を占めるウラン238を利用するという「クレージーなアイディア」は、最新のスーパーコンピューターにより、正確にシミュレーションができるようになったのである。



その結果、第4世代の原子炉と呼ばれる「TWR(進行波炉)」は、核のゴミに含まれるウラン238を燃料とすることができるようになった。

幸か不幸か、核のゴミならば世界中にあまねくある。アメリカが一口かじっただけで「ワンス・スルー(使い捨て)」した核のゴミを利用するだけでも、「アメリカに数百年分のエネルギーを供給できる」のだとか。



ビル・ゲイツ氏が筆頭オーナーとなるTerraPower社は、現代のIT技術を駆使してTWRの開発を加速させている。ベンチャー企業ならではスピード、そして、その高い技術力は各分野の優秀な人材に裏打ちされている。

そこに、ビル・ゲイツ氏の資金力。彼の個人資産は「ザッと5兆円」とも言われ、ある筋によれば「1000億円単位で投資する用意がある」そうだ。その信頼が呼び水となり、外部からの出資もどんどんと膨らんでいる。



加えて、ビル・ゲイツ氏の人脈。世界の財界人、各国政府の首脳にまで及ぶネットワークは、「次世代原子炉(TWR)を大きく進展させる可能性がある」

昨年(2011)12月には、ビル・ゲイツ氏が「中国政府」との交渉中にあることが報じられている。その際の交渉におけるTWRの「売り文句」は、「低コスト」、「高い安全性」、「核ゴミの少なさ」。さらには原子炉の「小ささ」であった。



「低コスト」というのは、天然ウランを濃縮する必要もなければ、核のゴミを再処理する必要もないからである。原料、劣化ウラン、使用済み核燃料をそのまま燃料として利用できるほどの簡便さである。

「高い安全性」というのは、核燃料を交換する期間が極めて長いためである。従来の軽水炉であれば「数年ごと」の燃料交換が必要だったが、次世代のTWRであれば、燃料交換なしに「60〜100年」の長期間にわたって発電が継続する。

両者を薪ストーブにたとえれば、軽水炉の薪は乾いていて、すぐに燃え尽きてしまう。それに対して、TWRは湿った生木が燃えるがごとく、その火が永続するのである。



軽水炉で用済みとなった劣化ウランをTWRに充填した場合、中性子を受けたウラン238は、徐々にプルトニウムに変わっていき、そのプルトニウムが核分裂する際に、発電するエネルギーを生むとともに、別の中性子を放出する。

そして、核分裂したプルトニウムが放った中性子は、ふたたびウラン238を刺激し、それが新たなプルトニウムになり、そのプルトニウムがまた中性子を放ち…と、このサイクルは100年間、えんえんと繰り返されていく。

燃料の燃焼領域は、まだ核分裂の起こっていない方向へと徐々に移動して行く。まるで、ロウソクの炎が燃料であるロウを溶かしながら、下の方へと炎を移動させていくように。



このように、TWRは従来の軽水炉のように制御棒によって臨界状態を維持する必要がないため、万が一事故が起こった際にも、軽水炉のように制御不能の暴走状態(超臨界)に陥ることがない。

そして、人間のミスが懸念される燃料棒の交換も、軽水炉のように頻繁ではないため、ヒューマン・エラーのリスクは20分の1以下に軽減される。

また、TWRは世界にあふれつつある核のゴミを燃料にして燃やすことから、放置された核のゴミがテロリストの手に落ちるようなリスクを少なくできることも期待されている(核不拡散)。



さらに、TWRは3〜4m前後と極めて「小型」である。

小型原子炉は、中国・インドなど新興国での需要急増が期待でき、離島などで利用できる可能性まである。

既存の発電技術の中でも、原子力発電は省スペースで高効率なわけだが、その原発の中でも、次世代のTWRはさらに小型でエネルギーに満ちていることになる。

省スペースという利点は、自然エネルギー発電のカバーできない領域を丁寧に埋めていく可能性を秘めている。



この売り多きTWRを引っさげて中国政府と交渉したビル・ゲイツ氏は、その足で日本にやって来た。それは、「東芝」と会うためであった。

東芝は日本勢では最もパソコンの世界シェアが高いメーカーであり、Microsoftのビル・ゲイツ氏との縁は浅からぬものがある。そして、東芝はパソコンばかりではなく、「もんじゅ」をはじめとする原発建設の経験も豊富であった。



その東芝は2014年をめどに、アメリカでTWRへの転用が可能な小型原子炉「4S」の着工を目指していた。そして、アメリカの審査次第ではあるが、2010年代後半には実用化を考えていたのだ。

ビル・ゲイツ氏の推すTerraPower社、そして東芝の見ていたものは、ほぼ同じものだったのである。

東芝の「4S」を目の当たりにしたビル・ゲイツ氏は、丸一日をその視察に費やしたという。これは、分刻みのスケジュールで世界を飛び回る彼にしては、極めて異例のことだった。それほどに、彼は興奮していたのだという。



福島の原発事故を受けて、先の閉ざされた感の強まる原子力発電ではあるが、一口に原発といっても、軽水炉もあれば高速炉もあり、進行波炉(TWR)もある。それぞれの炉には、それぞれのクセがあるのであり、一概に論じることはできない。

そして、より重要なのが、技術はアップデートを続けているということである。すなわち、40年前の技術と現在の技術では雲泥の開きがあるということだ。

現状では間違いなく問題児である原子力発電は、とある分野では着々と努力を積み重ね続けているのである。



「呉下の阿蒙」とは、いつまでも進歩がないオバカさんを意味する言葉であるが、その呉下の阿蒙(中国・三国時代の呂蒙)が一念発起するするや、当代随一の参謀も舌を巻くほどの高い見識を身につけるに至る。

その時、呂蒙はこう言ったと伝わる。「士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相待つべし」。すなわち、士たる者に3日も会わずにいたら、再び会うときには、まったくの別人と顔を合わせるものと思え、ということだ。



もし、日本が原発に背を向けるのならば、それはそれで良いのかもしれない。

だが、もし、重大な原発事故を起こしたその日本が、世界一安全で世界一エネルギー効率の高い「奇跡の原発」を創り上げたら?

それはそれで痛快なことでもあろう。



日本の選択はいざ知らず、少なくともビル・ゲイツ氏は先の先を見て進み続けている。

ビル・ゲイツ氏は言う。「奇跡のエネルギーに取り組む人の多くは、クレイジーだと言われるでしょう。それで構いません」

冒頭の彼の言葉どおり、彼は「奇跡」を不可能とは決して思っていないのだろう。何より彼は、ITという奇跡を具現化させたクレイジーな人物の1人でもあるのだから…。



何より、世界最先端の技術を注ぎ込まれている原子力分野は、呉下の阿蒙ではないのであろう。

原発による不幸はまことに悲しむべきことではある。だが、その失敗を乗り越えようとするのもまた、人間の業なのかもしれない…。






関連記事:
原発を支えるイエロー・ケーキとは? ウラン採掘の闇。

いまだ処理できない放射性廃棄物。未来へのとんだプレゼント。

同じ原発を持つスイスと日本。日本の原子炉爆発をスイスはどう見たか?



出典・参考:
TED「ゼロへのイノベーション」 ビル=ゲイツ、エネルギーについて語る。
ゲイツ、原発挑戦の真相
WSJ "A Window Into the Nuclear Future"
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2012年03月15日

原発を支えるイエロー・ケーキとは? ウラン採掘の闇。


「イエロー・ケーキ」という極上のケーキは、過去数十年に渡りその生産者たちを大いに潤し続けてきた。

そして、この極上のケーキは今後ともに、その美味しさを維持し続けることだろう。世界中に「原子力発電所」が唸(うな)りを上げ続ける限り…。



関係者たちがイエロー・ケーキと呼ぶのは、粗精錬工場で精錬された「ウラン鉱石」のことである。

原子力発電の原料である「ウラン」は、アジアにおける原子力発電所の建設ラッシュにより、国際価格が上昇している。

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1990年代の安い時には、1ポンド10ドル前後で取引されていたウランは、2000年代に入って急騰し、一時136ドルという空前の高値を記録した。

さすがに、その高値は突発的だったものの、現在は50ドル前後で落ち着いている。それでも20年前から比べれば、およそ5倍という高い水準にある。

[世] ウラン価格の推移(年次:1980〜2011年)


電力会社からしてみれば、原料価格の高騰は好ましからざるものであろうが、生産者にしてみれば、これほど美味しい話はない。

「イエロー・ケーキ」は、まだまだ作り甲斐があるということになる。

今後、中国では26基の原発が建設される予定であり、インド(6基)、韓国(6基)、インドネシア(4基)、ベトナム(4基)も合わせれば、このアジア地域だけで、今後世界で建設される原発66基のうちの実に70%をも占めるに至る。



急成長するアジア諸国にイエロー・ケーキ(ウラン)を提供するのは、カナダ・カザフスタン・オーストラリア・ナミビア・ロシアなどなどの資源国。

とりわけ、カザフスタンの生産量の増加は著しく、ここ10年あまりで約3倍にも増大している。

また、その採掘を取り仕切る企業は、リオ・ティント(イギリス)、カメコ(カナダ)、アレバ(フランス)、BHPビリトン(イギリス)などなど、そうそうたる世界企業たちである。



さて、このウラン採掘であるが、「放射能」の危険はどうなのであろうか?

原子力の世界では、ウランを採掘・濃縮・加工する過程を「アップ・ストリーム(上流)」と呼ぶらしいが、イエロー・ケーキを精錬する過程は、最上流に位置する源泉ということにもなる。



ウランを掘ることは、じつに無駄が多い。

なにせ、1トンの岩石から数100グラム程度のウランしか採れない。つまり、掘り出した岩石のほとんどが無用となるのである。

ゴミとなった岩石は、採掘場のそこら中に山をなす(ホダ山)。そして、このホダ山は当然のように放射性物質を放つ。

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また、精錬の際に使われた大量の水は、鉱滓(こうさい)と呼ばれる放射性物質を含んだドロを大量に生み出す。

ウラン鉱山の周囲にある湖のように巨大な水溜まりは、この鉱滓(こうさい)を捨ててできたものである。

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放射性物質を含む無数の「ホダ山」と「鉱滓ダム」の処理には、長い長い年月と大金が必要である。その実例はドイツにある。

ドイツにある「ヴィスムート鉱山」というのは旧東ドイツであり、そのウラン採掘は旧ソ連の行うところであった。

このヴィスムート鉱山は、旧ソ連が秘密裏にウランを製造する工場でもあったため、この地は地図に記すことすら許されてはいなかった。当然、その労働者の口は固く封じられていた。



この鉱山が日の目を見るようになったのは、ベルリンの壁が崩壊し、その管理がドイツに任せられるようになってからである(1990)。

ひとたび光が当てられたヴィスムート鉱山は、その劣悪な労働環境と酷い環境汚染を白日の下に晒すことにもなった。



ドイツ政府は、即刻この鉱山を閉山するも、いまだにその後処理に追われている。年間600億円がその後処理に必要とされ、20年経った現在ですら、その作業はいつ果てるとも知らない。

ウランの半減期は45億年。そして、その副産物(娘核種)であるトリウム230の半減期は80万年。たとえ、人為的な処理が終わろうとも、これらの物質が放射性物質を放つのをやめることは永遠にないと言っても過言ではない。



こうした事実が明るみにでてしまうと、まともな民主国家でウランを採掘することは、長期的に多大なコストがかかってしまう。

オーストラリアにあるオリンピックダム鉱山(1988年採掘開始)は、地元住民に訴えられており、賠償金を支払う事態にまで発展している。

それでも、原住民アボリジニに対する補償は十分ではなく、いまだに問題は解決していない。



こうしたトラブルが少ないのは、発展途上国ということになる。

実際、世界のウランの半分近くは、カザフスタン、南アフリカ、ナミビア、ブラジル、ニジェール、ロシア、ウズベキスタンなどで賄われている。

それら発展途上国の鉱山で働く労働者たちは、その危険性を認知していないことが通例であり、放射性廃棄物たるホダ山と鉱滓ダムは、どの山でもそのままに放置されたままである。



発展途上国にとっては、ウラン鉱山があることで政府の税収にもなれば、地元住民の雇用にもつながる。

ウラン鉱山は賃金の払いが良いこともあり、途上国の人々にとって、鉱山は敬遠すべき対象ではなく、むしろ歓迎すべきものなのである。



しかし、労働環境の劣悪さは否めない。知られざる公害は静かな広がりを見せている。

インドのウラン採掘の村の一つ「ジャドゴダ」では、鉱山労働者たちが肺ガンで倒れ、奇形の子供達が生まれている。ウラン鉱山からの廃液は、生活用水と混ざり合い、採掘による放射性物質は土埃とともに村を舞うのである。

その村で奇形の子供が生まれると、「この子は前世に悪人だったから、こうした苦しみを与えられた」と大人たちは言うのだそうな。



福島第一原発の事故により、原子力発電の是非が盛んに取り沙汰されるようにはなったが、その原料となるウランの採掘現場に光が当てられることは、いまだに少ない。

もし、まともに取り沙汰されるようになれば、原子力発電のコストというのは、今以上に跳ね上がってしまう可能性もある。採掘自体の費用に加え、その補償コストまでが加算されるとすれば。



幸か不幸か、日本にウラン採掘現場はない。

日本は世界でも有数の原発大国でありながら、その原料は全量輸入に頼っているのである。その輸入先は、オーストラリア(33%)、カナダ(27%)、ナミビア(16%)、ニジェール(13%)などなど。



日本にウランはないのか、というとそうでもない。

岡山と鳥取にまたがる「人形峠」には、かつてウラン鉱山があった。しかし、「全く採算がとれない」となり、放棄されてしまった。

そのため、その採掘はごく短期間で終了してしまったのだが、この短い間ですら問題は多発している。



坑内のラドン濃度は国際基準の1万倍もあったと言われ、肺ガンで倒れた労働者は1000人中、70人を超えたのだという。

そして、その残土は放置されたままであったのだとか。



日本はドイツでは過去の話であろうとも、ウランを掘り続ける国家にとっては現在進行形の出来事である。

そして、最大の利益を追求する大企業は、自らその闇を明かすことは決してない。



先進国の豊かな電気はどこからくるのか?

自国で発電するとはいえ、そのエネルギーには必ず原料が必要である。そして、その原料は、原子力発電の場合はイエロー・ケーキ(ウラン)に他ならない。



世界がイエロー・ケーキを欲する限り、その採掘は止むことがない。その採掘の後を振り返れば、処理しきれぬゴミで一杯である。

先進国たるカナダ、オーストラリアとて例外ではない。汚染された河川や湖が回復する見込みは何万年と先になる。

ましてや透明性の低い途上国ともなれば、その現場では信じられない光景が日常的に展開されているのである。



資源を持たない日本は、いわば御輿(みこし)の上で安穏を得ているようなもの。

しかし、その御輿を担いでくれている人々が世界中にいることも忘れてはならない。

願わくは、この御輿を担いでいる人たちが、一人、また一人と肺ガンに倒れてしまわないことである。




出典:
BS世界のドキュメンタリー シリーズ 原子力の残痕 「イエローケーキ〜ウラン採掘の現場から」
ウラン鉱山の村「それでも、ブッダは微笑むのか?」
ウラン採掘と人形峠旧ウラン鉱山


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2012年03月11日

同じ原発を持つスイスと日本。日本の原子炉爆発をスイスはどう見たか?

フクシマの原発事故は、世界への「問い」となった。

「原子力発電は、是か?非か?」



あれから一年。当初は「感情的」であった反原発の気運は、世界中でスッカリ落ち着きを見せている。

フクシマ原発事故が起きる「前」、世界で建設中の原発は62基(計画中156基)。そして、事故から一年経った現在、世界で建設中の原発は60基(計画中163基)。

フクシマ前後で、その大勢に大きな変化がないことは明らかである。



「福島の事故後に取り消された発注は一件もない」と語るのは、原子力企業ロスアトム(ロシア)。むしろ、同社の受注は一年前の11基から21基へと倍増している(WSJ)。

「数字を計算している人は、原発ナシではやっていけないと気づいている」と語るのは、中国の原発研究家。



世界最大数の原子炉を抱えるアメリカ(全104基)は、「原発推進」の決意を新たにした。

34年ぶりに原子炉の新規建設にGOサインが出されたのである(ジョージア州)。

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日本国内では、54基ある原発のそのほとんどが稼働を停止しているが、日本の原子炉製造3社(東芝、日立、三菱)は、福島以前に計画していた原発推進計画に変更を加えていない。

東芝は25基(2015年まで)、日立は38基(2030年まで)、三菱は年間2基(2025年まで)と、各社ともに積極的な販売目標を掲げている。

現在、「目標達成にわずかな遅れが出ているくらい」だそうである。その目標達成に向けては、日本政府も後押しも得られている。



日本の国会では新たな原子力協定が承認され、ヨルダンとベトナムへの原子炉輸出が可能になった(昨年12月)。

その他、インドネシア、マレーシア、モンゴル、トルコとも同様の協定が締結されている。

※こうした協定がある国々の進出においては、政府系金融機関からの支援や政府保証付きの銀行融資を受けることが可能となる。



日本のこうした動きに非を鳴らす人々も少なくない。

「原子炉をベトナムやタイ、インドネシアといった発展途上国へ輸出することは、非論理的だ。日本のように高度な技術を持つ国が防げなかった原発事故を、途上国の彼らはどうやって防ぐというのか?」

台湾のイビン・チェン原子力規制局長の鼻息は荒い。



日本の製造業者や電力会社の人々は、こう答える。

「原子炉の運転・保守に関しては、発展途上国のエンジニアらを訓練しており、すでに数千人が訓練を終了している」



ノドモト過ぎれば何とやら。

世界中で高まった反原発の気運は、急速に沈静化しつつある。



それでも、頑強に抵抗を続ける国々もある。

その代表格は「スイス」であろう。

今月7日、同国では反原発団体などの訴えを認め、ミューレベルク原発の稼働を2013年までに停止するよう命じる判決を下した(判決を不服とする電力会社は、上告するとみられている)。

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福島原発事故後の昨年6月、スイスの地元メディアはミューレベルク原発の構造物に「上から下まで貫通するヒビ割れ」を報道した。

なんと、このヒビ割れは2009年に見つかっていながら公表されていなかった。「ヒビ割れがあっても安全基準は満たしている」とのことからだ。



ミューレベル原発は、スイスの首都ベルンから20kmと離れていない。つまり、この原発は首都の喉元に匕首(あいくち)を突きつけているのである。

さらに、スイスという国自体、九州地方ほどの面積しかないために、もし事あらば国家存亡の危機にも陥りかねない。

その点でも、スイス国民の危機意識は、否が応にも高いのだ。



スイスのミューレベルク原発は、ほとんどの日本人にとって見たことも聞いたこともない原発だろうが、じつは福島原発とは「兄弟」の間柄。

双方ともにアメリカから輸入した「マークT(ワン)」という原子炉なのである。その着工も1967年という同じ年に行われている(稼働したのは福島第一が一年早い)。



アメリカのGE社が開発した「マークT」は当時としては画期的であった。何よりも、そのサイズがコンパクト(小型)であり、建造コストが格段に抑えられたのだ。

大ヒットとなったこのタイプは、世界中に何十と造られることとなり、その内の一つが日本(福島第一)、そしてスイス(ミューレベルク)に建てられたのである。



「GEが日本に行ったのと同じ頃、スイスにも売り込みにやって来た」と、ブルーノ・ペロー氏(スイス原子力会議副議長)は当時の様子を語り始めた。

「その時GEは、『これで十分安全だ』と力説した」



このGEの「安全」という言葉を、日本は何の疑いもなく信じ切った。ところが、スイスの科学者や技術者たちは、誰もその言葉を信じなかった。

というのは、原子炉を守る「格納容器」があまりにも小さかったからだ。建造コストを抑えるために、マークT(ワン)の格納容器は信じられないほど小さかったのだ。

※原子炉の格納容器は、万が一の過酷事故(Severe Accident)に備えて、巨大に造るのが常であった。

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スイスという小国は、ヨーロッパ大陸の戦いの嵐の中を生き抜いてきた歴史を持つだけに、とりわけ用心深い側面を持つ。一方、当時の日本人には外来モノを必要以上に有難がる性向があった。

用心深いスイス人は、小さなマークTの格納容器をスッポリと上から覆うほど巨大で頑強な建屋を自分たちで建造した。

格納容器が小さいということは、事故の際の圧力に耐え兼ねて「爆発」する危険が高い。そのリスクをカバーするために、スイスのミューレベルク原発の建屋はその圧力に耐えられるほど強固に造られたのである。



かたや、同じ型の原子炉を何の疑いもなく受け入れた福島第一原発。

この建屋が水素爆発で吹き飛んだ映像は、いまだ記憶に新しい。「まるで靴箱このように、あっけなく壊れてしまった」とペロー氏(前出)は首を振る。

もし、スイスのミューレベルク原発くらいに建屋が頑強であったとしたら…、はたして、あの爆発は建屋を吹き飛ばしたであろうか?




福島の事故が起きる前から、GEのマークT原子炉の格納容器の小ささは世界中で議論の的となっていた。

その圧力に耐え切れず、GEは苦肉の策を打ち出す。それば「ベント」設置の勧告である。

※ベントとは、格納容器内部の圧力が高まり過ぎた時に、内部の空気を外に逃がす装置。空気穴。



このベント設置に関しても、日本とスイスは両極端であった。

用心深いスイス人は、電源を失ってもベント装置が作動する仕組みを開発した。さらに、外に逃がす空気の放射性物質を除去するための工夫も忘れなかった。

その空気を一度薬品の溶けた水中を通すことにより、放射性物質を1000分の1にまで減らす装置を併設したのである。

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さて、福島第一は?

GEからベント装置を付けろと言われて付けたはいいが、それは「電動のみ」であったため、今回の事故のように全電源を喪失した際には、何の役にも立たなかった。

何とか手動でベントは開放されたものの、その作業に丸一日を費やしてしまい、ようやく開放した数時間後には、回避すべきはずだった水素爆発が無情にも起こってしまった。



ベントの決断が遅れたのには、放射性物質を空気中にバラ撒くことへの抵抗もあった。

スイスほどに放射性物質を除去する設備がなかったために、ベントにより放出される空気には、たんまりと放射性物質が含まれていたのである。



こう言うのは「後の祭り」であろうが、「水素爆発は、起きるはずのない爆発だった」とペロー氏は語る。「安全対策があれば」という前提が付きさえすれば…。

ペロー氏は続ける。「他人まかせ、メーカーまかせではダメなのだ。安全対策は自分で決断するものなのだ」



ペロー氏も「後の祭り」となることを恐れたのであろう。お節介にも、幾度となく東京電力にアドバイスをしたのだという。

「スイスでは安全設備を次々追加している。そんなに費用のかかるものでもないから、日本でも導入したら良いのではないか」と。



東京電力側は、ジャパニーズ・スマイルを浮かべたまま、こう返答したと言う。

「私たちには必要ありません。何よりも、GEや規制当局からは何も指示が出ていませんから。」

日本では、全交流電源喪失に対して「考慮する必要はない」と正式に通達されていたのである。



1980年代においてすら、全交流電源喪失は安全対策の「基本中の基本」と世界の原発関係者は考えていた。

そのため、電源を失っても原子炉を冷却できる設備は、各国で整えられている。緊急用の電源も「予備の予備の予備」まで用意し、防水処理を行っていないことなどは考えられないことでもあった。



世界の常識と日本の常識とは、大きな隔たりがあったようだ。

福島第一の冷却設備は電源なしでは不可能であり、予備の電源には防水の備えすらなされていなかった。

それは、のちに世界が驚くほどの「楽観ぶり」であった。神話と現実は明らかに違ったのである。




アメリカNRC(原子力規制委員会)のヤッコ委員長は強く主張する。

「業界の自主努力には限界がある」

なぜなら、彼らは営利企業であり、安全対策というのは単なるコスト増でしかない。

原発事故のリスクが100万分の1以下と見積もられていては、そこにコストをかける積極的な理由が見出せないのである。「原発を一日でも止めれば、莫大な損失になる」

※ヤッコ委員長は、34年ぶりというアメリカの新規原発建設に、ただ一人「反対票」を投じた人物だ。

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原発の是非を巡って、世界はマダラ模様であるものの、その雛勢は「容認」へと大きく傾きつつある。

かつて、チェルノブイリで原発事故が起きた時(1986)も、反原発の気運は高まった。そして、沈静化していった。



チェルノブイリの事故を受けて、スイスでは事実上原発から離脱することが閣議決定された。

しかし、2000年の法改正で原発への道が残され、2007年には原発の新設を決定するまでに至る。

そこに、福島の事故が起こり、またスイスは脱原発を決定したのである。それでも、スイスの法律には完全に原発を廃止するは、いまだない。



スイスの電力は、その4割を原子力に依存し、残りの6割は水力でまかなわれている。

山岳国であり、厳しい寒さを過ごさなければならないスイスでは、暖房のために冬場の電力消費が大きくなる。

ところが、その肝心な冬場に水が凍ってしまうために、水力による発電量は減少してしまう。その不足分はフランスの原発から補うより他に道はなく、ピーク時の原発依存率は5割にも上る。




原発事故が起こるたびに、反原発の可能性を模索するも、結局は「揺り戻し」のサイクルにしかならないのは、原子力なしに世界が成り立たなくなっているためでもある。

結局、明日の理想よりも、今の現実が重いのである。



とはいえ、誰しもが何らかの打開策の必要を感じ始めているのも事実である。

マークTを鵜呑みにした日本は、その苦みを十分に味わった。そして、スイスはそれを「他山の石」とした。



化石燃料か?原子力か?

その消極的な2択の世界はしばらく続くのであろう。



しかし、その底流では何かが蠢(うごめ)き出してもいるのである。

それは新たな怪物なのだろうか?

おそらく、人々の心底が変わらない限り、どんな理想を掲げても、それは同じモノを生み出す繰り返しにしかならないのだろう。



世界が変わる時、いったい何がはじめに変わるのか?

歴史を変えてきた想いは、一体どこから湧いて出たのであったのか?







出典:ドキュメンタリーWAVE
「世界から見た福島原発事故」



posted by 四代目 at 07:33| Comment(2) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月18日

フランス最古の「フェッセンハイム原発」。その是非を問う攻防の結末は……。

フクシマ原発事故の直後、フランスで再稼働が見送られた原発があった。

「フェッセンハイム原発」である。

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この原発は「フランス最古の原発」であり、その「安全性」が危惧されたのである。

フランスが外部の圧力によって原発の方針を変えたというのは、かつてない「異例の事態」であった。



フランスは紛れも無い「原発大国」であり、75%の電力を原子力に依存している(原発58基)。

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そして、フランスはこの原発路線を今後ともに邁進していく予定である。この大方針はフクシマの原発事故を受けても何ら揺らぐことはない。

この点、脱原発に回ったドイツ・イタリア・スイスなどとは決定的に態度が違う。



しかし、ヨーロッパの国々はお互いが「地続き」である。他国とはいえ、川一つしか隔てていなかったりする。日本の感覚で言えば、隣りの県が他国のようなものである。

上述の「フェッセンハイム原発」がそうである。

ライン川沿いに位置するフェッセンハイム原発は、その川向こうがもう「ドイツ」である(国境まで1.5km)。しかも、「一日の3分の2は、フランスからドイツへ風が吹いている」という。

つまり、フェッセンハイム原発で事故が起こった際には、放射性物質の3分の2がドイツに流入することとなる。

このように、フェッセンハイム原発は、周辺諸国の強い圧力にも晒されやすい環境にある。



なぜ、フェッセンハイム原発の安全性が問われるのか?

まず「古い」。フランス最古であり1978年の稼働である(福島原発と同じ年)。今年で33歳。原発の耐用年数は一般的に「30〜40年」と言われている。



「地震」の恐れもある。この原発の下には「活断層」が走っている。フランスでは珍しくも、この地方(アルザス地方)は地震地帯なのである。

1356年に大地震(M7.8)が起こった際、周辺都市が壊滅した歴史がある。



さらに、「洪水」の恐れもある。この原発は、隣接するライン川の水位よりも「7m低い」場所に建てられている。つまり、もし堤防が決壊すれば、エンドレスに水が流れこむのである。

津波はいずれ海へと戻っていくが、川の氾濫(もしくは堤防の決壊)の場合、水の流入はより継続的である。水位よりも低い場所にあれば尚更である。

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原発施設自体の脆弱性としては、格納容器の下(基底部)のコンクリートが極めて薄いという問題点が指摘されている。

福島原発でさえ基底部は4mあったのだが、フェッセンハイム原発の基底部はたったの「1.5m」しかない。そのため、炉心溶融に耐えられないとの懸念がある。

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このように、フェッセンハイム原発には「ツッコミどころ」が満載である。

そのため、この原発周辺に位置する65の自治体が「原発停止」という決断を地方議会で可決した。

原発推進派(賛成派)の議員までもが「原発停止」に鞍替えするという異例の事態であった。



市民のデモ活動も半端ない。

5,000人の人々が手をつないで原発を取り囲んだり、断食ストが敢行されたりと、喧々諤々である。

フランスおよび周辺諸国(ドイツ・スイス)の人々の原発非難が、このフェッセンハイム原発に集中したのである。

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ところが、フェッセンハイム原発を擁するフェッセンハイム町だけは、原発の「継続運転」を求めた。

なぜなら、このフランスの小さな町は、原発があるからこそ成り立っているようなものである。人口2,300人ほどのこの町の予算の半分以上が、原発の「補助金」であり、その額は毎年3億円以上にのぼる。

この補助金があるおかげで、この町は体育館、プール、メディアセンター、大劇場などの充実した設備を整えることができた。周辺の自治体が羨むほどの繁栄ぶりである。



結局、フェッセンハイム原発は猛反対を受けながらも、7月4日に延長稼働(10年)が認められた。

一時的な再稼働は見送られていたものの、フランスの断固たる原発方針は原発反対の世界的な逆風を受けてもなお、結局は揺らがなかったのである。

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フランスの原子力体制は、政府の権限が圧倒的に強い。

「フランス原子力安全庁(asn)」は大統領直属であり、「フランス電力公社(eDF)」の株は70%を政府が握っている(2004年までは完全な国有企業)。

そして、フランスの誇る世界最大の原子力企業「アレバ社」の株式の85%もフランス政府が持っているのである。

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どんなに国民が騒ごうとも、フランス政府の意志は絶対なのである。

しかし、フクシマの与えた衝撃は小さなものではない。

かの原発大国といえども、一時は怯(ひる)まざるを得なかったのである。



原発設備に対する「安全の意識」が高まったのは、世界にとって朗報である。

フェッセンハイム原発の稼働延長に関しても、さらなる安全性の向上を再稼働の条件として課されている(薄い基底部の強化など)。

さすがのフランスも一歩譲らずにはいられなかったのである。



出典:ドキュメンタリーWAVE
「フクシマの衝撃〜フランス・揺れる国境の原発」


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