2011年10月31日

「われ日本海の橋とならん」、日本と中国のハザマに生きる加藤嘉一氏。


中国には「暇人」と呼ばれる人々が2億人以上もいるという。

「暇人」とは?

その名の通り、ヒマな人々である。

昔から都市に住んでいて家もすでにあるため、何もしなくても生きていける。彼らは仕事もしなければ、大きな消費もしない。

青空のもと、日がなマージャンに興じていたりする呑気な人々である。



日本の人口は1億2,000万人程度であるのだから、中国には日本の人口の2倍近い「暇人」がいることになる。

「中国で最も有名な日本人」、加藤嘉一氏に言わせれば、中国の安定はこうした「暇人」がいるからこそなのだという。



暇人がヒマしていられる間は、中国社会も安定しているということである。

逆に言えば、この暇人たちを「怒らせたら怖いぞ」ということにもなる。



昨年、中国のGDP(経済力)が日本を抜いて、世界第2位となった(一位は断トツでアメリカ)。

経済が急拡大したことにより、中国政府の支配力は以前よりも弱まり、逆に中国国民の発言力が急拡大した。

それは、インターネットの発展により、政府の報道規制が機能しにくくなったためでもある(中国のインターネット人口は5億人)。



中国国民の力をまざまざと政府に見せつけたのは、昨年の高速鉄道事故においてであった。

当初、当局は架橋から落下した鉄道車両を、巨大な穴に埋めてしまった。

従来であれば、事件は「はい、おしまい」。極端に言えば、中国国民がこの事故を知ることすらなかったかもしれない。



ところが、実際は蜂の巣をつついたような大騒ぎに発展。

国民のブログやツイットのみならず、大手の報道機関までが政府の報道規制に堂々と反発する異例の事態に発展。

結局は、温家宝首相までが慌てて同地を訪問するという常ならぬ対応を政府は取らざるを得なかった。



国民の政府に対する反発は強まる一方。

去年の中国の流行語大賞は「我父是李剛(俺のオヤジは李剛だ)」。

「李剛」とは、河北省の公安幹部(偉い人)。この言葉は、その偉い人の息子が警察に放った言葉である。

このドラ息子は酔っ払い運転で人一人を轢き殺しておきながら、警察に対してこの暴言を吐いたのである。



ご存知の通り、中国では表立った政府批判の言葉は禁句である。

そのため、中国国民はより賢く、間接的に政府を批判する。

この流行語大賞の例は、その好例である。



しかし、本来の中国人の性質はもっともっと直接的である。

尖閣諸島の事件が起きた時、先の加藤嘉一氏は「中国人に殴られる」という実に分かりやすい反応を頂いたのだと言う。

どちらかというと、より陰湿なのは日本人の方である。そのため、ストレートな中国人にとって、日本側の反応は意味不明である。



その日本人にとって、中国の態度は「矛盾」していると思いがちである。

なぜなら、日本人は中国の「本音と建前」を混同してしまいやすいからだ。



中国政府は自国民に対して、「我が国は世界の大国であり、大きな責任がある」と堂々と宣言する。

しかし、いざ世界の場に出ると、「我々の国はまだまだ発展途上である」と発言して、国際的な公約には一貫して消極的である。

国民を統治する方便と、国際社会で実利を獲得する方便は、まったくの別物なのである。



この「本音と建前」を、中国国民はよく心得ている。

GDPが世界第2位になったからといって、国民一人当たりにしてみれば、日本の10分の1であることを冷静に認識しているのである。

表面的に見れば、中国は「調子に乗っている」と映る面がなきにしもあらず。しかし、彼らの本音は実に現実的であり冷静である。

中国の歴史を知る人であれば、中国人がどれほど現実的な民族であるのかをよく理解できるであろう。



中国人は良くも悪くも「自分中心」である。

そのため、中国人が他人に「嫉妬」することはまずないのだという。良い意味でも悪い意味でも、「他人を気にしない」のだそうだ。

この気質ほど、日本人と異なる気質もないだろう。日本人は「空気」までをも気にする国民である。



こうした繊細な日本の気風は、加藤嘉一氏には耐え難いものだったという。

彼のイニシャルは「K(かとう)Y(よしかず)」。天性のKY(空気を読まない)男だったのである。

日本人は気に入らないことがあると「無視」するか、「足を引っ張る」。一方、中国人はビール瓶を投げて来る。この分かりやすさの方が加藤氏の気質に合っていた。



加藤嘉一氏は若くして(27歳)、中国でも日本でも引っ張りダコの人気者である。

年間300以上の取材を受け、200本以上のコラムを書くのだという。

それはひとえに、加藤氏が日本人と中国人、両方の気質に通じているゆえである。




彼が中国に渡ったのは8年前(北京大学への単身留学)。

当時、中国語は全く分からなかったそうだが、アイス売りのオバちゃんと一日中話していたり、仲良くなった警官から新聞(人民日報)をタダでもらったりと、一円もかけずに中国語を完璧にマスター。

今や、中国語で公演を行い、中国語でブログを執筆するほどのネイティブぶりである。



彼が中国で有名になったのは、まったくの偶然であった。

中国国内での反日デモ(靖国問題・2005)の際、現場に居合わせた加藤氏に中国のテレビ局(香港フェニックスTV)がコメントを求めてきたのである。

「中国と日本人のどちらが悪い?」との質問に対して、「どちらが良いも悪いもない。お互いが反省すべきだ」と回答(当時20歳)。

この発言にあたり、加藤氏は日本と中国のバランスに極力配慮したのだという。中国が悪いと言えば、どんな憂き目に遭うか分からない。日本が悪いと言えば、非国民とされてしまう。

この放送以降、加藤氏へのメディアからのオファーが殺到し、一躍「時の人」となる。



加藤嘉一氏の存在が不動のものとなったのは、中国の胡錦濤・国家主席が彼に面会を求めてからだった。

その当日、彼は「朝、空けといてくれ」と言われただけで、何も聞かされていなかった。彼は「マラソンに行くからダメだ」と一度は断ったのだとか。

胡錦濤氏にサプライズ的に面会した加藤氏は、胡錦濤氏の精密機器のような真面目さと13億人を統治している凄みを感じたという。

スクリーンショット 2011-10-31 5.02.jpg


加藤氏に言わせれば、「中国の政治家や官僚の気合いはモノ凄い」。

一度でもしくじれば、瞬時に首が飛び、二度と帰っては来れなくなるのだという。まさに「命がけ」なのだ。求められるのは「結果」以外に何もない。

かたや、日本の政治家や官僚には、その気概がない。

この温度差は疑いようがなく、中国の強さと日本の弱さの必然を生んでいるだという。



中国にドップリ浸かりながらも、冷静に日中両国を見つめる加藤氏。

真面目すぎる日本人は、本音と建前の乖離を嫌う。かたや、中国人は当然のように、本音と建前を併せ持つ。

日本人はその矛盾をも嫌うが、中国人は平然とその矛盾の中に生きている。

加藤氏は中国人の本音を見抜きながらも、彼らのメンツを丁寧に立ててあげることを忘れない。



加藤氏に「なぜ、あなたは有名になったのか?」と聞くと、それは日中関係が行き詰まってしまったからだと答える。

通常の交渉チャネルとは全く別口の出口を、両国が無意識に求めていたのではないかと言うのである。



彼の若さ(27歳)は大きな武器だ。

ジャジャ馬としても知られる中国の80后(80年代生まれ)も、加藤氏の言葉には真剣に耳を傾ける。

加藤氏は「日中の架け橋」とならんことを自認しているが、その架け橋は充分に機能している。

スクリーンショット 2011-10-31 4.48.jpg


我々は幸運な時代に生きている。

国家間の交渉の一端を、一民間人が担える時代なのである。

加藤嘉一氏の才能は軽んずるべきではないが、その才能を発揮できる場を与えているのはこの時代に他ならない。



加藤氏の功績は、未来への希望である。

こうした人々が国境の線を薄れさせてゆくのだろう。

上から決める国境線は溝を深めるばかりであり、結局はお互いが苦しむことにもなりかねない。



良くも悪くも、中国はダブルスタンダードの国家である。

それゆえに、中国人は政府のできることと、民間のできることを日本人以上に認識している。

中国政府は上からの支配を緩める素振りは見せたがらないが、その実、静かなる変化を希求しているのかもしれない。

暇人が暇人のままでいられるように。




出典:爆問学問
中国で最も有名な日本人〜コラムニスト・加藤嘉一


posted by 四代目 at 08:40| Comment(2) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月30日

アメリカの茶会はまことに穏やかではない。徹底した対立路線をひた走る「ティーパーティー」。


「ティーパーティー」というのをご存知だろうか?

これはイギリスの奥様方による優雅な茶会でも、裏千家による茶会でもない。

アメリカにおける政治運動の一つである。



そもそも「ティー」は「お茶」を意味しない。「Taxed Enough Already(もう税金は十分に払っている)」の頭文字「T, E, A」を取ったものである。

また、「パーティー」に関しても「誕生日パーティー」などのパーティー(会合)ではなく、「徒党」や「集団」を意味する(政党は英語で「Party」)。

つまり、「ティーパーティー」というのは、「必要以上の政府課税に反対する集団」のことなのであり、決して「お茶の会」ではないのである(お茶会は開くかもしれないが…)。



「ティーパーティー」は、その真意の通り、政府の課税を好まない。

日本の「子ども手当て」など「もってのほか」である。彼らは「バラマキ」を決して容認しない。

さらには、日本の「年金」や「国民皆保険」などもヘドが出るほど嫌うことだろう。年を取るのも、病気をするのも、それは「全て自己責任」なのであり、政府が関与すべき問題ではない。



お察しの通り、この姿勢は現在のオバマ大統領とは「対極をなすもの」である。

つまり、ティーパーティーはオバマ大統領に「大反対」である。



元々、このティーパーティーという名称は、「ボストン茶会(tea party)事件(1773)」に由来する。

当時のアメリカはまだ独立前であり、イギリスの植民地下に置かれていた。そのイギリスは世界各地でフランスと植民地争奪戦を繰り広げており、北アメリカ大陸をも戦場としていた。

フランスとの戦闘に疲弊したイギリスは、とんでもない額の借金に苦しむことになる。何とか金を工面しようとして考えたのが、植民地(アメリカ)への重い課税である。



そして、その課税は「お茶(tea)」にも及ぶ。

オランダ商人からの密輸が盛んであった「アメリカのお茶」を課税の管理下に置くために、イギリスは自国の「東インド会社」にアメリカのお茶を「独占」させる。

ところが、この決定に猛反発したアメリカ人たちは、東インド会社の船に積んであった大量のお茶を、怒りのままに海へとブチまける。

「ボストン港をティーポットにしてやる!」と息巻いた彼らの言う通り、港湾はさながら巨大なティーポットと化した(たいそうショッパいお茶であろう)。



この騒動は、ついにはアメリカ独立戦争へと発展し、アメリカは見事独立を果たすこととなる。

余談ではあるが、アメリカ人がコーヒーを愛飲するようになったのは、この事件以来だという。なぜなら、イギリスの統治に反対するために、お茶(紅茶)の不買運動を起こし、紅茶の替わりにコーヒーを飲むようになったからだという。



現在のティーパーティー運動は、この歴史的事実を踏まえたものである。

そして、今回の「事の起こり」はこうである。

リーマン・ショック(2008)後、オバマ大統領は住宅ローンを払えなくなった人々を救済する案を提示する。

すると、それに反発した経済アナリスト(リック・サンテリ)は、こう叫んだ。

「ローンを払えなくなった負け犬たちの借金を、なぜ私達が払ってやらなければならないのか?」



「サンテリの叫び」と銘打たれた動画は「YouTube」にアップロードされるや、猛烈な反響を巻き起こし、一躍大運動へと発展した(2009)。

しかし、それでも初期の段階においては、ネット(ブログ、フェイスブック、ツイッター)などが中心となった、まさに「草の根」の状態だった。



この活動が一気に水面上に浮上するのは、「マサチューセッツの奇跡」が起こってからである。

マサチューセッツ州の上院選挙(2010)において、いきなり無名の新人「スコット・ブラウン」氏が当選してしまったのだ。

この地は伝統的に民主党(オバマ大統領の属する政党)の土地柄であったからこそ、驚きは尚更である。この地はケデディ元大統領以来、半世紀に渡って民主党の牙城であったのだ。

無名の新人「スコット・ブラウン」の起こした奇跡は、ティーパーティー運動の大勝利とされた。



さらに、この勝利は別の意味でも象徴的であった。

民主党はこのたった一つの議席を失ったことにより、安定多数の60議席を下回ってしまったのだ。いわゆる「ネジレ状態」になってしまったことになる。

ここに来て、ティーパーティーは政治的な力をもつに至る。



このティーパーティーが起こした波に乗っかってきたのが、アラスカの「じゃじゃ馬」こと「サラ・ペイリン」氏である(前アラスカ知事、共和党の前副大統領候補)。

「アメリカに第2の革命を!」とティーパーティーを煽りに煽った。

しかし、彼女の言動には、知識の欠如からくる失言が付きものであった。そのため、ペイリン氏の参入は一長一短であった。



そんな折、突如、「銃の乱射事件(アリゾナ・2011)」が起こる。

撃たれたのは民主党議員「ガブリエル・ギフォーズ」氏である。彼女は頭部を撃たれながらも一命は取り留めた。

この事件は、「ティーパーティーを煽ったペイリンのせいだ」と大いに非難された。ペイリン氏が「弾丸をつめろ」と発言したことから、この事件が起こったのだと解釈されたのである。



この事件は、ティーパーティーの「過剰な過激さ」を象徴している。

ティーパーティーと一口に言っても、600以上の団体が存在し、必ずしも共和党(オバマ大統領に対立する政党)だけとも限らないのである。

ただ、彼らが一致している点は、「反オバマ」であることに尽きる。

そして、その中には上記のように「行き過ぎている団体や人物」がいるのも確かなことである。



ティーパーティーの活動は「保守的」と称せられる。

日本で「保守的」と言えば、政府が強い権限を握るようなイメージがあるかもしれないが、それは日本古来の政体が強い権力を持っていたことに由来する。

しかし、アメリカで「保守的」と言えば、個人の実力で土地も切り取り次第であった初期のアメリカ、すべてが自由であった頃の気風を象徴するのである。

つまり、アメリカの保守派は強い権限を持つ政府(大きな政府)に反対する立場にいるのである。個人主義のアメリカらしい「自己責任」が旗頭である。



だからこそ、政府が「借金」をしてまで景気を浮揚するような政策は言語道断である。

この「オバマ vs ティーパーティー」の対立は、先月、アメリカをデフォルト(債務不履行)の瀬戸際まで追い込んだ。デフォルトとは借金を返済日までに返せなくなることである。

まさにあと一日というところで、この危機は回避されたものの、オバマ大統領は共和党(ティーパーティー)に大幅な譲歩を余儀なくされた。



この一事に、世界は「ティーパーティーは世界経済を人質にとった」と大いに非難した。

なぜなら、アメリカのデフォルトという衝撃は、リーマン・ショック以上の混乱を世界に巻き起こす危険性があったからだ。

この茶番(ティーパーティーだけに)に世界は呆(あき)れ果て、アメリカは歴史上初の「格下げ(S&P)」という憂き目に遭ってしまう。

この一事からもわかる通り、今やアメリカのティーパーティーの影響力たるや、オバマ大統領の政策を妨害するのみならず、世界経済をも危機に陥れかねない絶大な力を持つに至っているのである。

世界にとっても日本にとっても、アメリカのティーパーティー運動は対岸の火事ではない。



かつて、日本の民主党は自民党に「反対」することでその存在意義を世間に示していた。

しかし、いざ政権を担ってみると、理想と現実のギャップは埋めようもなく、次々と政策変更を余儀なくされた。



アメリカのティーパーティーにも似た側面があるように思う。

「反オバマ」のもとに結集はしているものの、いざ政権をとったらどうなるか?

「反オバマ」の支えがなくなったら、元々一枚岩ではないティーパーティーは断片化してしまうのではないか?

主義・主張が極端な面が多いために、実現不可能な事柄も多いのではないかと危惧する人々も多い。



かつて、イギリスの植民地支配に反発したアメリカ国民は「紅茶」をボイコットし、「コーヒー」に転換したという。

今回もティーパーティーに対抗した「コーヒーパーティー」も登場している(2010)。



コーヒーパーティーは、ティーパーティーのような「敵対意識を丸出しにした対決一色」には染まるまいと、「対話と協調、多様性」を重視しているのだという。

ある映画関係者のカップルから始まったこの運動は、雪だるま式に膨れ上がり、わずか一ヶ月足らずで全米30州に45の支部が出来上がってしまったという。



「他者に反対」することにより存在を主張するのか(ティーパーティー)?

それとも「他者を容認」することで存在を示すのか(コーヒーパーティー)?



当然、対立を鮮明にする立場の方が、その存在を強調しやすい。しかし、その即効性の副作用として「過激」にもなりやすい。

さらに皮肉なのは、反対する他者にすっかり依存してしまっていることである。つまり、反対する対象を失ってしまうと、自身の存在意義までが失われてしまうのである。



一方、他者を容認する立場をとるならば、その存在は他者に依存しない。

しかし、自分とは異なる他者を受け入れるというのは容易なことではない。

さらに悪いことには、ややもすると「自分の意見がない」と個性派からは非難されてしまうかもしれない。



「No」というのが自己主張であり、「Noと言わない」のは自己主張とは思われない。

アメリカの個性の示し方は「No」と言うことである。

対して、日本の個性は「Noと言わない」ことにある(つまり、アメリカ的な個性ではない)。



古来の日本人は言葉を発するということ自体、あまり評価しなかった。むしろ、究極のコミュニケーションの形は言葉を超えた「以心伝心」にあると考えていたほどである。

古き日本の美徳は言葉や対立を超えた「和」に求められる。

この「和(協調)」こそが2000年以上も独立国家を保てた秘密ではなかろうか?世界でこれほど独立を保ちえた国家は日本をおいて他にない。



「反対」と「協調」は対立する概念ではないように思う。「反対」の一回り大きい概念が「協調」ではなかろうか?

アメリカにもコーヒーパーティーのような考え方が浮上して来たことは、まことに喜ばしい。

「対立(反対)」というのは、「協調」の途上において必ず通らなければならない道なのかもしれない。



posted by 四代目 at 20:00| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

韓国「李明博」大統領の猛烈人生。首脳会談にキレイごとはいらない。常に実益を。

大統領の仕事とは?

この問いに単純明快な回答を与えるのが、「李明博」大統領。

「韓国」の大統領である彼は、自身の仕事を「他国から仕事を受注すること」と割り切って、精力的な毎日を送っている。



「首脳会談」というと、年中行事のように「儀礼的」で、その後に出される声明文も、「当たり障りのないキレイごと」が述べられるのが常である。

ところが、李明博大統領は首脳会談に「数字と実績」、つまり「実利」を求める。「○○億ドルの仕事を受注した」という成果を出すことを、首脳会談の最大の目的としているのである。

彼は元々サラリーマンであった。しかも猛烈サラリーマンであった。29歳で「現代建設」の取締役、36歳で社長、47歳で会長といった具合に出世街道を驀進し、経済界では「神話」的な人物として数々の伝説を残している。

これが、CEO(最高経営責任者)大統領と言われる所以(ゆえん)である。



今回、李明博大統領は、たった6日間でモンゴル、ウズベキスタン、カザフスタンの3カ国を歴訪し、山盛りの仕事を受注することに成功した。

モンゴルでは、インフラ建設、アパート10万戸のプロジェクト、鉱物資源の共同開発。ウズベキスタンでは、ガス田の共同開発およびプラントの建設(事業規模41億ドル)。カザフスタンでは、火力発電所2基の建設(事業規模40億ドル)。

この6日間で、李明博大統領は120億ドル(9兆円)の仕事の受注に成功したという。



李明博大統領は、自身の活動の成果を分かりやすく国民に示すことを第一義としているのである。

かつて、日本の池田勇人元首相はフランスのゴール元大統領に、首脳会談後、「トランジスタ・ラジオのセールスマンのようだった」と言われたことがあったという。

また、田中角栄元首相は、「所得倍増計画」という分かりやすい目標を国民に掲げた。

現在の韓国は、かつて高度成長した日本のようなエネルギーに満ちており、その見事な牽引役を務めているのが李明博大統領と言えるのかもしれない。



意外にも、李明博大統領は「日本(大阪)生まれ」である。

日本の敗戦の後、朝鮮半島へと密航して渡っている。

当然、まったくお金がない。昼に働きながら、高校には夜通っている。「金がなくて中退したとしても、高卒よりは大学中退のほうがマシだ」と考え、必死で肉体労働をして大学への学費を稼ぐ。

「熱い男」の李明博氏は、学生運動に明け暮れる。日韓会談に猛烈に反対し、国家内乱扇動の罪で逮捕。



この学生運動がアダとなり、就職先を見つけるのに難航するも、何とか「現代建設」への就職を決める。いまや押しも押されぬ大企業である「現代建設」も、当時は社員数十人という零細企業であった。

赴任先のタイで、「強盗から金庫を守る」という武勇伝があり、一気に会社の信用を得るや、次々と世界を相手にした大仕事を平らげていく。そして、前述したとおり、サラリーマン神話を打ち立てるのである。

彼が退社した時、「現代建設」の従業員は16万人を超える巨大企業へと成長していた。極貧から身を起こした彼は、5時間以上寝たことがなく、一日に18時間以上働くという猛烈ブリであった。

日本で言えば太閤秀吉のような彼の人生は、何度もドラマ化され、自叙伝「強者は迂回しない」はベストセラーとなっている。




李明博大統領の経済を重視した外交は、韓国国内でも「大企業ばかり支援して、経済の両極化がドンドン拡大している」との批判もある。

それでも、「どうせ海外へ行くのなら、仕事を取ってきてくれた方がよい」という意見も多い。



現在、李明博大統領の目は「リビア」に向いている。

首都陥落により、リビアの復興需要が視野に入ってきているのだ。その規模は1200億ドル(9兆円)とも言われている。

リビア内戦以前、韓国企業はリビアの大型事業の3分の1を受注していたというので、今回の復興需要においても、1200億ドルの3分の1、400億ドル(3兆円)は確実に見込めると睨んでいるそうだ。

すでに、反カダフィ派への接触は始まっている。

彼の猛烈人生は、まだまだ続くのであった。





関連記事:
韓国に増えつつある猛烈農家「強小農」。自由貿易ドンと来い!

韓国は世界3位の電力浪費国(一人あたり)。その格安電力の舞台裏は散々だった。



posted by 四代目 at 05:04| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月31日

ついに刷新された政治体制。泥臭くも期待の大きい「どじょう宰相」。

自身の冴えないルックスを逆手にとり、野田氏は自らを「どじょう」と称した。

メディア受けしそうなこの言葉は、さっそくフィナンシャル・タイムズ(イギリス日刊紙)にも取り上げられていた。

同紙が注目したのは、「どじょう」という言葉自体よりも、「どじょう」が生育する環境である「泥」。日本の政界の「不透明さ」を「泥」のイメージと重ねあわせて批判している。



「国民の人気」が圧倒的に高かったのは、前原氏である。しかし、首相に選出されたのは前原氏ではない。

イギリスにおいても、「首相は常に国民の手で選ばれるわけではない」と前置きしながらも、「日本では、不透明なプロセスが常態化している」と述べ、このことは「民主主義を害する行為」とまで論を進めている。

小泉氏以降の6人の首相(阿部氏、福田氏、麻生氏、鳩山氏、菅氏、野田氏)のうち、総選挙で選ばれたのは「鳩山氏」のみ。残る5人は、「党内の体制刷新」により首相となっている。

今回新首相となった野田氏は、かつて「首相は選挙で選ばれるべきだ」と自説を述べていたが、今回の代表選直前の演説では、「解散はしません」と明言していた。



フィナンシャル・タイムズ紙は、政治プロセスだけでなく、日本人の「国民性」をも問題視している。

いくら支持率の高い首相でも、「数ヶ月もすると、国民は飽きてしまう」。日本国民は、「もっと忍耐力を身につけなければならない」そうである。

むしろ、政治家は「気まぐれな世論」を無視すべきだとまで言っている。

FT紙の論は極端かもしれない。しかし、現在の日本の政治を見るに、国民と政治家との乖離が進み、お互いに足を引っ張り合っている部分があることは否定できない。



批判的なFT紙が評価するのは、「プロの集まる強力な官僚機構」である。明治以来の官僚の伝統だけが、今の日本をかろうじて安定させているというのだ。しかし、この安定も「悲観論者の最悪の予想を覆す程度」に過ぎない。

「震災をどう復興するのか?借金をどう管理するのか?中国にはどう対処するのか?」

こうした「大きな問題」は、依然「泥の中」である。



さて、注目の野田氏。

「地盤・看板・カバン」のないところからやってきたと言い、散髪は10分1000円で話題の「QBハウス」である。FT紙によれば「地味な首相」となる。

noda3.jpg


まさかの逆転劇による民主党代表、そして首相選出であったが、この結果は「消去法」により残った選択肢と言わざるをえない。

民主党の積極的な選択は、民主党最大勢力である小沢派を味方につけた「海江田氏」であった。しかし、海江田氏は最大勢力を味方につけたにも関わらず、「過半数」には届かなかった。

そこで、決選投票までもつれ込んでしまったわけだが、こうなるとバラバラの候補者を押していた「反小沢派」の連合が誕生することとなった。「小沢派がトップに立つよりは……」ということで選ばれたのが野田氏であった。

noda.jpg


こうした過程の中に見えてくるのは、民主党の結束の緩(ゆる)さである。「アッチよりは、コッチがまし」的な結果は、ちょっとした困難でバラバラになってしまいそうにも思える。



フィナンシャル・タイムズ紙が指摘するとおり、「政治の茶番劇」の感は否めない。

代表選を左右したのは、「親小沢か、反小沢か」であった。

noda1.jpg


小沢氏が海江田氏の支援を決めた最大の理由が、海江田氏が民主党のマニフェストを一番守ってくれそうだったからである。

しかし、海江田氏にとっては、このマニフェスト順守の姿勢が裏目に出ることになる。マニフェストにこだわり過ぎるあまり、「3党合意」を白紙にすると言ってしまったのだ。

「3党合意」とは、民主・自民・公明の3党間でなされた「民主党マニフェスト見直し(子供手当てなど)」に関する合意である。

「3党合意の白紙」は、反小沢の結束を一層固める結果となり、決選投票により海江田氏の敗北を決定することとなった。

noda2.jpg


これが、「小沢に始まり、小沢に終わった代表選」と言われる所以(ゆえん)である。「政治の茶番劇」と酷評されても致し方ない。選挙活動中の三日間、「政策」が論じられることはなかったのである。



ヌルヌルと泥の中をすすむ「どじょう」。

「どじょう宰相」は、親小沢派と反小沢の間をうまくすり抜けた。

政治家は思想家ではないのだから、自説を曲げることが必要なこともあるのだろう。あまりに一本気では、目標に達する前にポッキリ折れてしまうかもしれない。

「どじょう」のように、ヌルリと身体をねじって躱(かわ)すことも必要なことだろう。



はたして、「どじょう」は「どじょう」で終わるか?

それとも、「どじょう」が「龍」へと化けるのか?

忍耐力をもって、新首相の誕生を歓迎したい。




参考:クローズアップ現代
「野田新代表選出 どうなる民主党」


posted by 四代目 at 07:26| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

いよいよ日本の首相が代わる。だが、世界の目は思ったよりも冷たい……。

本日(8/29)午後、日本の新しい首相が選出される投票が行われる。

当然、世界の目もこの投票の結果を気にかけている。

しかし、残念ながら、世界の目は「なかば諦め」の眼差しだ。



ここに、イギリスの権威ある「エコノミスト誌」の記事がある。

この記事によれば、民主党の代表選は「気が滅入る話」であり、その候補者の紹介では、「鉄道マニア」、「国会で突然泣き出す閣僚」、「戦争犯罪人に罪はないとする人物」といった具合に悲しいほど否定的だ。

ちなみに、「鉄道マニア」は前原氏、「国会で突然泣き出す閣僚」は海江田氏、「戦争犯罪人に罪はないとする人物」とは野田氏のことである。



エコノミスト誌がかすかに期待しているのは、前原氏である。

「もし、前原氏が勝てば、清々しい新世代を象徴する存在になる。」

しかし、当選の可能性に関しては、「確実に当てにできることはほとんどない」となる。

前原氏の当選を阻むのは、「大きな障害物」の小沢一郎氏。「前原グループが40人程度なのに対して、小沢グループは約130人に上る」。ご存知の通り、小沢氏は反前原氏を表明している。

前原氏が「清々しい新世代の象徴」であるのに対して、小沢氏は「古い政治家の象徴」である。



この記事のタイトルは、「6度目の正直?(Sixth time lucky?)」。

小泉首相が退任して6人目の首相という意味である。

やはり、海外メディアにとっても小泉氏の評価は高い。エコノミスト誌も小泉氏が持っていたような「カリスマ性と権威」を日本の首相に期待しているのである。

しかし、「lucky」という単語を使っているあたりは、その期待はサイコロを振るように「運任せ」ということだろう。



最後に、同誌はこう締めくくる。

「東北地方をいかに復興するかは、どの候補者もまだ説明していない。」

やはり、世界の目は「誰が首相になるか?」よりも、「震災の復興はどうなるか?」を見ているのである。

これは多くの日本国民の目線とまったく同じである。残念なのは、日本の国政を預かる人々だけが、「あさっての方向」を向いていることである。





posted by 四代目 at 08:36| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする