2011年09月02日

唐辛子の辛さは「繁殖」戦略。思わぬ形で功を奏したその戦略とは?

鳥は「辛さ」を感じないという。

だから、エサとして「唐辛子」を与えることができる。唐辛子は「ビタミン」が豊富な優秀なエサなのである。

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なぜ、鳥が「辛さ」を感じないかというと、それは唐辛子の「繁殖」戦略ということになる。



「歯」がなくて、「消化管」が短い「鳥」は、食べた種を傷つけることが少ない。さらに、パタパタと飛んで遠くへと種を運んでくれる。

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唐辛子は鳥には食べてもらいたいけど、他の動物には食べてもらいたくなかった。

そこで、辛さの元となる「カプサイシン」という物質を作った。幸いにも、鳥だけがこの「カプサイシン」の受容体を持たず、辛さを感じない。これに対して、人間も含めた他の動物たちは、辛くて辛くて、唐辛子を食べることができなくなった。



ところが、人間の好奇心は、唐辛子の繁殖戦略の裏を行った。

「怖いもの見たさ」のように唐辛子を食べる奴が、紀元前2,600年前から存在したようだ。すでに唐辛子を食していた痕跡が残る。

辛い辛いと食べてみると、思わぬことが起こった。「快感…」である。

辛さは「味」ではない。「痛み」である。その痛みを和らげようと、脳は快楽物質「エンドルフィン」を放出するのである。そのため、辛いんだけど、気持ち良くなってしまったのだ。

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これは、チンパンジーでも実験された。

チンパンジーも最初は唐辛子を食べない。しかし、定期的に少しずつ唐辛子を与え続けると、次第に「やみつき」になるらしい。

他のエサよりも、唐辛子を好んで選ぶまでになる。

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唐辛子の原産地は、南アメリカ大陸とされる。

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これが鳥たちによって、北アメリカ大陸に広まったあとに登場するのが、「コロンブス」。

彼はアメリカを「インド」と間違えたのみならず、唐辛子を「コショウ」と間違えた(今でも英語の「pepper」は、コショウとともに唐辛子を意味する)。

コロンブスは意気揚々とヨーロッパへ唐辛子を広めた。その後は、インド、そしてアジア、日本へと伝わってくる。唐辛子が入ってくるまで、インドの「カレー」も韓国の「キムチ」も辛くなかったと言われている。

日本に入ってきたのは、16世紀頃というから、鉄砲やら何やらなどと同じ時期と考えて良いかと思う。松尾芭蕉も唐辛子の俳句を読んでいる。「とうがらし、羽をつけたら、赤とんぼ」。……微妙な作品である。

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かつて、「ハバネロ」という唐辛子が世界一の辛さを誇っていた時代があったが、今やその何倍も辛い唐辛子がドンドン作り出されている。

辛さを表す単位は、「スコビル」というのだそうだ。何倍の「砂糖液」で薄めたら辛さが和らぐかという単位である。10スコビルなら、10倍の砂糖液で薄めると辛くなくなるということ。

ハバネロは57万7,000スコビル。2011年のチャンピオンは、138万スコビルの「ナーガ・ヴァイパー」。ハバネロの2.3倍の辛さということになる。

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辛さ競争は、どんどんエスカレートする。

オーストラリアで栽培された唐辛子「トリニダード・スコーピオン・ブッチ・テイラー」は、何と146万スコビル。すこびる辛い。

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栽培者は「食べたら、病院行きだ」と言いながら、この唐辛子を使って「激辛ソース」を製造・販売している。その製造工場は、あまりの辛さのため、「毒ガス用のマスク」をしなければ仕事ができないという。

「激辛」の唐辛子を作り出す秘訣は、「ワーム・ジュース」と命名された特別な栄養液にあるらしい。この栄養液は、ミミズが分解した土を元にして作られているという。

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もともとは、動物に食べられないように「カプサイシン」という辛さを身につけた唐辛子。

ところが、このカプサイシンは人間に敬遠されるどころか、「もっと辛く、もっと辛く」と急かされている。

結果的に、唐辛子は世界中に広まるという拡大戦略に大成功した。

何が吉と出るかは、分からないものである。



出典:いのちドラマチック
「トウガラシ 世界がシビれた“辛さ”戦略」


posted by 四代目 at 05:17| Comment(3) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

本当は「ふぞろい」で当たり前。野菜も人間も。大地に学ぶ、今後の未来。

ネット野菜を販売する「オイシックス」。

小堀美佳さんは、その会社の野菜バイヤー。

彼女は農家を知らずに育ってきたために、仕事で農家を訪問するたびに「驚き」の連続だったという。



まず、驚いたのが、野菜が「ふぞろい」であるということ。

「スーパー」の野菜は、芸術的なまでに同じ大きさで並んでいるが、「畑」の野菜の大きさは、テンでバラバラ。

しかし、畑に親しむにつれて、考え方は一変する。

「ふぞろいな野菜のほうが『普通』なのでは?」

逆に、スーパーのように大きさが揃っているほうが、よほど不自然なことに気づく。



「人間社会も同じなのでは?」

社会は、粒ぞろいの人材を求めるかもしれないが、じつは、人間は皆「ふぞろい」である。

「ふぞろい」なものを、無理に揃えようとするために、社会が歪む。

その歪みは、より「ふぞろい」な人々への「シワ寄せ」となって、社会問題化する。

大きさの揃った野菜というのは、じつは、全体の一部を取り出した結果に過ぎない。大多数の野菜は、「ふぞろい」なのである。



とある「桃」農家での話。

ある年は、「台風」で、全滅。

ある年は、「炭素病(桃が真っ黒になる)」で、全滅。

そんな不運にもめげず、その農家は「無農薬」の栽培にチャレンジし続けているという。



なぜ、そこまでして?

それは、「10年後、20年後」に美味しい桃をつくれる「土」を残すためだという。



「今」の利益を上げようとすれば、そりゃー農薬を使ったほうが手っ取り早い。

でも、「今の自分たち」の利益だけを考えた農法は、「土をカチカチに硬くし、虫も住めないようにしてしまう」。

そんな農法を駆使した土地は、後世に「借金」を残すようなものである。

そんな土地を、まともな生産性の高い土地に戻すには、また何年、何十年、何世代とかかってしまうかもしれない。



現代文明は、「現世利益」が行き過ぎているのかもしれない。

石油・石炭・天然ガスなどの「化石燃料」は、いずれ使い切る。

国家の予算は、収入以上の「借金」を続け、後世にその支払いの責任を押し付けている。



20世紀の常識の延長の先には、何があるのだろう。

「時間」がたてばたつほどに、不利な現実が現出してくる仕組みが至るところにある。



大地に育つ緑の植物は、太陽の光を浴びて、その光エネルギーを合成して、自分の「身体」を作り上げる。

そして、太陽エネルギーでできた植物の「身体」は、いずれ「土」に還る。

すなわち、植物たちは、無形の太陽エネルギーを、有形の「土」という形に物質化しているのである。

光を浴びれば浴びるほど、植物はたくさんの「土」を作り出す。

つまり、時間がたてばたつほど、大地は豊かになってゆくということである。



大地にとっての植物は、「貯金」につく「利子」のようなものである。

少しずつかもしれないが、時間が経つほどに「貯金(大地)」は「利子(植物)」によって、確実に増えてゆく。

「利子」に「利子」がつけば、「複利効果」によって、資産(大地)はエンドレスに増え続ける。



この「時間」を味方につけたシステムは、実に効率的であり、発展的である。

地球の長い歴史の中で、動物たちは栄枯盛衰を繰り返してきたが、植物たちは堅調に発展を続けてきている。

それは、植物たちが無限のエネルギーと直結したシステムを持っているためである。



動物たちは、残念ながら、間接的にしか無限のエネルギーを利用することができない。

だからといって、有限なエネルギーだけに依存する訳にはいかない。

ここにこそ、知恵の使い道がある。



しかし、現代文明が有限なエネルギーに頼り切っているのは、明白な事実である。

有限なものに頼るということは、「時間を敵に回す」ということである。

進みすぎた時計の針を逆回転させるには、発想の大転換が求められているのかもしれない。

「表面的」な美しさにこだわれば、時間は「敵」になるかもしれなが、「本質的」な価値に目を向ければ、時間は大きな「味方」となってくれるはずである。




参考:致知8月号
「価格破壊ではなく規格破壊で、ふぞろいな野菜を家庭の食卓に届けたい」


posted by 四代目 at 07:56| Comment(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

最悪の山火事からの再生。森のもつ深遠なダイナミズム。

2009年、オーストラリア南部は100年に一度といわれる「熱波」に襲われていた。

気温が40℃を超える日が連日続き、大地は極度に乾燥。高齢者は暑さに耐え切れず、30人が死亡。1908年以来の猛暑である。

そんな猛暑の話題が紙面を騒がせていた一週間後であった。



「暗黒の土曜日」

オーストラリア史上、最悪の山火事が発生した。

のちの調査で、切れた送電線が原因の一つとされ、電力会社は裁判を起こされている。また、放火の疑いにより、数名が逮捕された。



その日のメルボルンの気温は46.4℃、湿度10%。自然発火の例も多数報告されるほど、山火事が起こりやすい状況にあった。

火の手が上がるや、猛火は旋風を巻き起こし、燃え広がるなどという生優しさではなく、紅蓮の炎は弾丸のように、一瞬で森一帯を包み込んだ。

猛烈な火柱は、林立するビル群のごとく立ち昇り、森の動物のみならず、地域の住民たちも死を覚悟した。

森は休むことなく燃え続け、その勢いが収まるまでは3週間も待たねばならなかった。人為の及ぶところではなく、待つより他にはなかったのである。

この山火事による死者は173名、焼失面積は40万ヘクタールにものぼった。



オーストラリアの森は、70年に一度、山火事に見舞われるという。

そして、その度に森は、奇跡の復活を成し遂げる。

史上最悪といわれた2009年の業火ですら、森を死滅させることはできなかった。



森は山火事を「防ぐ術(すべ)」を一切持たないものの、再び「立ち上がる術(すべ)」は、無数に隠し持っている。

まだ地面がホカホカと燻る中、さっそくキノコが顔を出す。

次に出てくるのは、コケだ。ここ数十年、見たこともなかったような種類のコケが、倒木を覆い尽くす。ずっとずっと地中で出番を待っていたのだ。

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草花も咲き誇る。やはり普段は見られない種類だ。森が巨木に覆われているうちは、光が地面まで届かないため発芽できないが、山火事で焼け野原となり、発芽のチャンスを掴んだのだ。

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焼けた森は、こうして進化の過程を再び繰り返す。



黒コゲになった巨木も全滅したわけではなかった。

火傷の軽い木は、枝先から新芽を伸ばす。かなり焼けた木でも、幹から新芽を出す。もうダメだろうと思う木でも、根っこが無事なら、地際から新芽が出る。

本当に焼け死んだ木々ですら、森にとっては有益な存在だ。その枯れ木に鳥が住み、小動物が隠れ住む。

枯れ木たちは、優秀な仮設住宅となり、森の復興を加速させるのだ。

山火事のあとに、枯れ木を「伐採」してしまうケースが多く見られるが、そうした行為は、森の再生を100年遅らせると、森の賢者は嘆く。

人のおせっかいは森の再生を遅らせる。



木々の種は、熱による刺激をうけて、発芽を促されるものも多い。

ユーカリ、マウンテンアッシュなどの木々がそうだ。

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こうした木々は、山火事のたびに世代を一新させ、災害を学習した若い世代が新たに台頭する。

彼らは、山火事のたびに学び、強さを増してゆくのである。



動物たちも次第に集まってくる。

木々が焼失し、地面が野ざらしになっているので、鷹やハヤブサなどの捕食動物は、獲物を見つけやすい。

小動物も、柔らかい新芽を求めて集まってくる。

森の生態系は、もう一度、平原の生態系から再スタートである。



山火事は一瞬で全てを奪い去るが、森の再生には200年かかるという。

再生が完了する前に、再び焼失することすらある。

それでも、森は立ち上がる。

燃やされるたびに、その再生力は強さを増す。

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燃えた森は、弱者にチャンスを与え、多様性を増す。

燃えた森ほど、再生の土壌は確かなものとなってゆく。

逆に、安定した森ほど、強者が占有してしまい、生態系は限定的となる。それは強さでもあり、弱さでもある。

森の山火事には、旧弊を打破し、時代を一新させる一面もあるのである。



この山火事から一年後、焼けた山に12年ぶりのまとまった雨がもたらされた。

森は一気に息を吹き返したが、反面、雨により貴重な森の土が流されてしまった。

しかし、この流された森の土は、河口地域の土壌を豊かにする。

自然のもつダイナミズムは、局所的にみれば悲劇でも、大局的にみれば丸く収まっているものである。




「森の不思議」関連記事:
なぜ「マツタケ」は消えたのか? 本当に失われたのは自然との「絶妙な距離感」。

オババのいる4000年の森。山は焼くからこそ若返る。

2つの海流が育んだ、日本列島の奇跡。水の国はこうしてできた。




出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ 
森に生きる 「焼け跡に芽吹く〜山火事の森 1年の記録」

posted by 四代目 at 07:45| Comment(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月25日

チューリップの球根一つで「家」が買えた時代があった。オランダの狂乱。

チューリップといえば、「オランダ」。

そのオランダでは、チューリップが「金」よりも高値で取引されていた時代があった。

日本は江戸時代、三代将軍・徳川家光の時代である。



「センペル・アウグストゥス(無窮の皇帝)」というチューリップの球根には、1万ギルダーの値がついた。

その価格は、当時の庶民の年収の67倍。今の日本の平均年収で換算すれば、「3億円」ほどにもなる。

これは「バルブ(bulb・球根)」がもたらした、完全な「バブル」である。

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チューリップの原産地は、中央アジア辺りといわれ、オランダには、16世紀末にオスマン・トルコから伝わったとされる。

当時まだ珍しかったチューリップは、オランダの王族・貴族に愛好された。

チューリップの原種は150種類以上もあるといわれるが、新種や珍種は特に高値で取引された。

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バブルの様相を呈してくるのは、チューリップの取引に「庶民」まで参加し始めた頃からである。

春から夏にかけて採取される球根を待たずに、「約束手形」による先物取引が横行する。

単なる紙切れにすぎない約束手形は、転売のたびに値を上げていく。

マネー(約束手形)暴走である。

球根一つが、家一軒と交換されることまであったという。

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歴史的に「チューリップ・バブル」と呼ばれるこの狂乱は、たった数年で終息する。

突然、買い手がいなくなったのだ。

価格は一気に100分の1まで急落。現物を伴わない「風の取引」の悲しさである。

チューリップの花の命のように、短い夢は儚(はかな)くも散ってしまった。

祭りのあとのオランダには、約束手形を両手にかかえた破産者が数千人、茫然と佇(たたず)んでいた。



余談ではあるが、数億円の値がついた「センペル・アウグストゥス」は、実は病気の結果だったという。

人々を魅了した紫と白のマダラ模様は、ウイルスに侵されたための病(やまい)の症状だったのだ。

「センペル・アウグストゥス」の球根は、ウイルス病のために、殖やすことは叶わず、いずれ枯れて消える運命にあったのである。

まさに「薄幸の美」。バブルにふさわしい逸話である。



現在のオランダは、言わずと知れたチューリップ大国である。

チューリップを中心とした花産業は、世界生産の7割、貿易では9割を占める。

オランダにとって、バブルは一種の洗礼にすぎなかった。バブルにより産業が破壊されるどころか、一気に世界一へと躍り出たのだ。



オランダのチューリップ・バブルは極端な話であるが、現在もチューリップに熱狂する人々は、世界中に多くいる。

チューリップは新品種が作りやすい。DNAの遺伝子間の距離が広く空いているため、突然変異が起こりやすいのだ。



かつての「センペル・アウグストゥス」ではないが、見果てぬ夢を追い続ける愛好家は、新品種づくりに忙しい。

球根は親のクローンであるため、突然変異はあまり起こらない。新品種を発見するためには、花粉を交配させて「種」をつくる必要がある。

ところが、チューリップの種は、花を咲かすまで何と「5年」もかかるという。新品種発見までの道のりは、なんと長きことか。

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あらゆる色があると思われるチューリップであるが、まだ「ない色」がある。

「青いチューリップ」である。

「青いバラ」が出来ないことは有名だが、青いチューリップも、まだ作れないのである。



青色遺伝子が発現するには、「鉄イオン」がそのカギを握るらしいが、まだ完成には至っていない。

もし、青いチューリップが作れたら‥‥、バブル再来かもしれない。




出典:いのちドラマチック
「チューリップ 魔性の球根」

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2011年05月22日

動かず生き抜く植物の智恵。知られざるコミュニケーション能力。

動物は「動く」ことを、植物はその場を「動かない」ことを選んだ。

動いて敵から逃げる動物と違い、植物は「智恵」を使って敵を撃退、または遠ざける術を会得した。



「タバコ」という植物。

バッタなどが葉をかじると「ニコチン」が出て、葉っぱがマズくなる。それ以上は食べられない。ニコチンは猛毒なのだ。

ところが、この毒である「ニコチン」を好む珍奇な昆虫もいる(人間もそうかもしれない)。「タバコスズメガ(煙草・雀・蛾)」という「ガ」の幼虫である。

ニコチンの毒に耐性をもつ「タバコスズメガ」の幼虫は、平気で「タバコ」の葉を食べることができる。ほおっておけば、葉を全て食べてしまう。

そんな時、「タバコ」は「一週間ほったらかしにした灰皿」のような「悪臭」を放つ。これがSOS信号となり、カメムシがやってくる。呼ばれて飛び出たカメムシは、ガの幼虫を喜んでムシャムシャ食べてくれる。ウィン・ウィンの成立だ。

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植物の使う一般的なツールとして、「ミツ」がある。

人間界の「お金」にあたるのが、植物の「ミツ」。この「ミツ」の報酬が欲しいがために、働いてくれる昆虫たちも多い。

「アリ」がその代表だ。アリは植物にとっては、頼もしい用心棒なのである。

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葉っぱがカジられると、茎からミツを出し、アリを呼ぶ。アリは仲間を呼び、人海戦術(蟻海戦術?)で大きな敵でも撃退してくれる。



植物は自分の身に危険が及ぶと、匂いや蜜などの何らかの物質を発するわけだが、それは自分の身を守るためだけではない。同じ仲間に危険を知らせる「危険信号」の役割もある。

ある植物がカジられると、周辺にある植物はカジられる前に、防御物質を出すことが知られている。火事の延焼を防ぐために、燃えていないものに水をかけるようなものだ。

植物はコミュニケーションをしているのである。



この植物のコミュニケーションを活用した事例がある。

植物の植えてある土に電極を差し込み、土が乾いたら電気信号を送る。この信号は携帯電話へ電波を飛ばす。

リーン、リーン。「はい、もしもし?」

「あっ、こちらトマトだけど、ちょっと乾いて困ってんだ。水くんない?」

ウソのようなホントの話である。



植物は目や耳、鼻のような明確な感覚器をもたないため、勝手に「鈍感な奴」だと決めつけられてきた。

ところが人間が感じるよりも、もっと微細な信号を感じ取り、コミュニケーションしていることが判ってきた。

植物同士のコミュニケーションはもちろん、昆虫たちとも連絡を取り合っている。

その場を一歩も動くことなく、何億年と命をつないできた植物の智恵は、人智の及ぶところではない。




関連記事:
紅葉、そして落葉。その本当の美しさとは?

期待すべき植物の「浄化力」。汚しっぱなしの人間とキレイ好きの植物たち。

オババのいる4000年の森。山は焼くからこそ若返る。




出典:地球ドラマチック
オドロキ!植物の知恵〜守り・捕食・コミュニケーション

NHKオンデマンド
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