2012年02月09日

「こたつミカン(温州みかん)」の歴史と効用に想う。


「こたつミカン」

コタツの上にミカンがあり、猫がいる。



そのミカンの正式名称は、「温州(うんしゅう)ミカン」と言う。

「温州(うんしゅう)」とは中国の地名であり、この地はミカンの名産地として名高い。

三国志(演義)において、方術士・左慈(さじ)が時の権力者・曹操の食べようとするミカンを、「皮だけ(実がない)」にしてしまう話が出てくるが、そのミカンは「温州」から運ばれてきたという設定である。




とはいえ、日本の「温州ミカン」は中国からやって来たわけではなく、その原産地は「鹿児島」だとされている。

「温州(うんしゅう)」の名が冠せられたのは、中国の名産地にあやかったもの(イメージ)だということだ。

ちなみに欧米などでは、温州ミカンのことを「サツマ(Satsuma)」と呼ぶ(鹿児島=薩摩)。



温州ミカンの原産地とされる鹿児島では、戦前(1936)に樹齢300年と推定される温州ミカンの古木が発見されている(太平洋戦争中に枯死)。

そして、その古木には「接(つ)ぎ木」の跡が見受けられたことから、日本における温州ミカンの歴史は400〜500年に及ぶであろうと考えられるようになった。



温州ミカンの祖先は、「九年母(くねんぼ)」という東南アジア原産のミカンに求められ、それが中国をへて日本へと伝わったのだろうと言われている。

ただ、日本に伝わった時には「種あり」だったと考えられ、現在のような「種なし」温州ミカンの元祖は、「突然変異」によって偶然発現したものだとされている。



「種なし」であるが故に、その繁殖方法は「接ぎ木」が一般的である(「接ぎ木」というのは、枝の一部を切り取って、根を張った別の木に「移植」する栽培技術)。

植物というのは他者を受け入れること(部分移植)に対して、人間ほどの拒絶反応(免疫)を示さない。根っこと枝が別々の種類だとしても、立派に育ってくれるのだ。

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「接ぎ木」により殖やされた温州ミカンは、すべて「クローン(遺伝子が全く一緒)」ということになる。

それは、日本の「桜(そめいよしの)」が全て同一のクローンであることと共通である(日本を代表する桜とミカンが双方ともにクローンであることは興味深いことであり、そうした同一性を好む国民性なのかとも思えてくる)。



「種なし」、かつ「クローン」と聞くと、どことなく不自然な響きを感じ、敬遠したくなる人もいるだろう。

それは、江戸時代の「武士」も一緒だった。「種を生じない」ということに「縁起の悪さ」を感じていた武士たちは、温州ミカンを遠ざける傾向にあったのだという。



江戸時代の武士たちにとってのミカンといえば、「紀州ミカン(種あり)」が定番であった。

「和歌山(紀州)」で主に栽培されていた紀州ミカンは、江戸で大人気。そこに商機を見出したのが紀伊国屋文左衛門であり、彼は紀州ミカンにより巨富を得たと言われている。

隠居後の徳川家康が「静岡(駿府)」に植えたとされるのも、この紀州ミカンであり、その後の静岡ミカンの先駆けともなった。



我らが温州ミカンが持て囃されるようになるのは、「明治時代」を待たねばならない。

明治時代に入り、温州ミカンを嫌った武士たちの世の中が終わると、庶民たちは「縁起」よりも「利便性」を好むようになる。

その結果、「種がなくて食べやすい温州ミカン」は、一気に大ブレーク。



紀州ミカンの一大産地であった和歌山・静岡においても、栽培の主流は温州ミカンに取って代わられることとなる。

現在の温州ミカンの生産量を見ると、和歌山・静岡の両県だけで「3分の1」を占め、そこに愛媛が加われば、その3県で「ほぼ半数」を生産していることになる。

「愛は静かに」というのは、「愛(愛媛)・は(和歌山)・静か(静岡)に」という語呂合わせの覚え方だそうだ。



この3県(和歌山・愛媛・静岡)には、意外な共通点がある。それはこの3県の土壌が、「秩父(ちちぶ)古生層」と呼ばれる地層の上にあることだ。

この地層の特徴は、「礫(れき)」が多いこと。礫(れき)とは、砂よりも粒が大きい「小石(直径2mm以上)」のことで、礫が多い土壌ほど「水ハケが良い」。

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果樹(ミカン)栽培において、「水ハケが良い」というのは何よりの好条件である。

土壌の水分が少ないほどに、果樹(ミカン)の甘みは増すのである。逆に水分が多い土地では、甘みが水で薄められたようになるため、食味としてはイマイチとなる。

現在、温州ミカンの栽培は「九州地方」でも盛んであるのだが、雨の多い九州地方の温州ミカンは、食味という点で「和歌山・愛媛・静岡」には一歩及ばないというのが現実である。

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ただ、九州地方のメリットは、その暖かい気候を利用して「早出し」ができることである(早熟ミカン15種類のうち、その3分の2の10品種が九州産)。

本来の温州ミカンは、年が明けてから収穫されるものであるが、最も早い品種となると、その収穫は9月から始められる。



同一のクローンであるはずの温州ミカンが、なぜにこれほど収穫時期をずらすことが可能になったかといえば、これもやはり「突然変異」の恩恵である。

たまたま「早く実をつけるようなった枝」を見つけては、その枝を「接ぎ木」によって殖やしていったのである。



九州地方における「温州ミカンの早出し」というのは、ミカン農家たちの「生き残りをかけた戦い」でもあった。

時は高度成長期、温州ミカンはバカ売れし、その価格は高騰。「黄色いダイヤ」とまで呼ばれた時代があった。

ところが、オイルショックを機に温州ミカンの価格は一転「大暴落」。生産過剰となっていた煽(あお)りも受けて、多くのミカン農家が急坂を転がり落ちていった。さらに、オレンジ輸入自由化は泣きっ面に蜂ともなった。



一連の大打撃をとりわけ受けたのが、食味で劣る九州地方。

天然の優良土壌(秩父古生層)に恵まれていた「和歌山・愛媛・静岡」のミカンと違い、九州地方のミカンの勝機は薄かった。

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崖っぷちに立たされた九州のミカン農家たちが血眼(ちまなこ)で探し回ったのは、「できるだけ早くミカンが実る枝」である。

彼らの勝機は、早生(わせ)栽培にしか見い出せなかったのである。



種をつけない温州ミカンには、受粉による品種改良の道はない。ひたすら突然変異を待ち、それを見つけるしかなかった。

しかし、突然変異の起こる確率は、10万分の1〜100万分の1と極めて低い。

それでも、彼らの熱意は奇跡を起こした。その奇跡の結晶こそが、最速で9月から収穫が可能となった種々の「極早生」ミカン(日南1号など)である。



科学的な眼で見ると、温州ミカンには他のミカンにはない際立った特徴がある。

その特徴とは、色素「β(ベータ)クリプトキサンチン(β-CX)」の異常な多さである。

「β-CX」は「抗酸化物質」の一つであり、人体に有害とされる「活性酸素」を撃退するという強みがある。



植物にとっての色(色素)とは、「自らの身を守る」ための手段である。

植物は光合成という「光の恩恵」を受ける一方で、強すぎる「紫外線」からは身を守らなければならない。

そういった点で、「光」というのは植物にとっての「諸刃の剣」なのである。



紫外線からの防御策の一つが、植物の発する「色(色素)」ということになる(人間であれば、日焼け)。

秋の木々が色づくのは、来年の新芽を紫外線から守るためであり、果樹が色づくのも内部の種を紫外線から守るためでもある。

温州ミカンに種はないとは言えども、その名残りこそがあの美しい橙(だいだい)色なのである。



紫外線に対抗するために、温州ミカンは「β(ベータ)クリプトキサンチン」という色を、多量に作り出すようになった。

ミカンを食べ過ぎると手が黄色くなるというのも、この「β(ベータ)クリプトキサンチン」のイタズラである。



そして、食べて手が黄色くなるほどに人体(腸)に吸収されやすい性質が、この「ベータ・クリプトキサンチン」にはある。

そして、人体に吸収された「ベータ・クリプトキサンチン」は、人体にとって有害である「活性酸素」を親切にもやっつけてくれるのである。



植物にとって、「光」は欠かせないものでありながらも有害であるのと同様、人間にとっても、「酸素」は絶対必要でありながら、それは時として「敵(活性酸素)」ともなる。

温州ミカンが紫外線対策として生み出したはずの「ベータ・クリプトキサンチン」は、不思議にも人体のとって有害である「活性酸素」に対しても有効なのである。

そして、その活性酸素に対する「ベータ・クリプトキサンチン」の強さこそが、「抗酸化」と言われる由縁でもある。




光、そして酸素。

両者は高エネルギーであるが故に、危険な側面をも併せ持つ。

植物にとっての光、人間にとっての酸素。両者は高エネルギーを味方につけたようでいて、依然その高エネルギーが刃向かってきた時の警戒を必要ともしているのである。



日本人が「ベータ・クリプトキサンチン」が豊富な温州ミカンを選んだことは、まったくの偶然であったのかもしれない。

それでも、その選択は最も賢明でもあった。我々日本人は、知らず知らずのうちに温州ミカンの恩恵を多分に受けているのである。

そして、その大きな味方は、いつもコタツの上で控えてくれているのである。有り難き「こたつミカン」…。




出典:いのちドラマチック
「ウンシュウミカン 進化する“こたつミカン”」

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2012年02月02日

社交的なブナの森。与え与え、他を利する繁殖戦略。


「橅(木ヘンに無)」と書いて、「ぶな」と読む。

漢字の意味に従えば、「木では無い木」がブナということになる。諸説あるものの、その木材が腐りやすくて使いにくい(加工後に曲がり狂う)ということから来ているのだという。

この漢字が作られてからの時代はまだ浅いというが、ブナの木材としての価値が低いことは周知の事実である。薪炭材、下等品とされることも多いのだ。

しかし、ブナは現在、北は北海道から南は鹿児島まで、ほぼ日本全国に勢力範囲を広げている。木材としての価値は低かろうとも、ブナには卓越した生存戦略があるとみて間違いないだろう。



およそ2万年前の日本列島は氷河期の寒さに震えており、その厳しい寒さゆえに、ブナの生きられる場所は日本列島にほどんどなかった。かろうじて静岡、高知、鹿児島などに細々と生きていた。

寒い寒い日本列島に盛んに生えていたのは、松や杉などの「針葉樹」である。現在においても、標高の高い山で生き残れるのは針葉樹ばかりであり、蔵王(山形)に見られる樹氷の中身も針葉樹(トドマツ)である。

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ブナなどの広葉樹が意気揚々と北進を開始するのは、凍てつく寒さが和らいでからのこと。およそ5,000年前には北海道へ上陸するまでになったという。

現在、ブナの「北限の地」とされるのは、北海道の黒松内町(同地の「歌才ブナ林」は北限のブナ林として天然記念物にも指定されている)。およそ680年前までに、ブナはこの地にまでたどり着いたということだ。

現在、日本の森の樹木の8割は、ブナなどの「広葉樹」であり、かつての王者「針葉樹」は、今や少数派となっている。

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針葉樹と広葉樹の「戦略」は明確に異なる。

針葉樹のイメージは、「独立自尊」。厳しい寒さの中、独り耐える彼らには、どこか他を寄せ付けないようなオーラがあり、閉鎖的な側面がある。

それに対して、広葉樹のイメージは「社交的」である。広葉樹の中でも、冬に葉っぱを落とす落葉樹(ブナなど)の森は、とりわけ開放的である。



開放感あふれる広葉樹の森には、種々雑多な生物たちが入り込む余地がふんだんにあり、「来る者拒まず」といった感もある。

広葉樹の森は、それほどに「他を利する」ところがあり、同時に「他力を利用する」ところもある。



針葉樹の受粉や種子の拡散は、風などの限定的な力を利用するのみで、ほぼ「自力」で行われる。

それに対して、社交的な広葉樹は「他力」を存分に活用する。受粉にハチなどの昆虫を呼び込み、魅力的な「実」で小鳥や猿などの動物を誘い込み、彼らによって種子を遠くへと運んでもらうのだ。

氷河期の終わりとともに、広葉樹が爆発的に勢力図を広げた理由は、こうした広葉樹の社交性にもあるのだろう。



しかし、開放的すぎるブナには、いささか無防備なところすらある。

その種子が美味しすぎるために、そのほとんどが昆虫や小動物などに食べられてしまうのだ(ブナの種は脂肪分とタンパク質に富み、タンニンやサポニンなどの「アク(有害物質)」がほとんどない)。

ブナの種子の9割近くが昆虫によって食べられてしまう年もあるのだとか(ブナの種子を狙う昆虫の種類は、知られているだけでも27種と数多い)。

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生き残ったブナの種の多くも、野ネズミなどにセッセと食べられる。

ところが、野ネズミには愛嬌のあるところがあり、貯め込んだブナの種を食べずに忘れてしまうこともシバシバだ。

野ネズミに埋め隠しておかれたブナの種は、翌年発芽することになる(ブナの種子は乾燥に弱いため、落ちたまま放って置かれると発芽しないことも多いのだが、野ネズミが地中に埋めてくれることにより、発芽率が高くなる)。



成熟したブナの木一本が生み出す種子の数は、数万〜数十万個。

昆虫や野ネズミのみならず、大型のクマまでを養うことができるほど、ブナ林は良質な食糧の宝庫となるのである。

その証拠に、ブナが凶作の年は、食に困ったクマが里まで降りてくることが知られている。



ブナのおこぼれに預かるのは、人間も然り。

ブナ林は「キノコの宝箱」とも呼ばれるほどに多種のキノコが生育する場でもある。とりわけ「舞茸」などは、「見つけた」ではなく、「当たった!」と表現されるほどに珍重されるキノコである。



北のブナは葉っぱが薄く大きい。それは、北国の弱い光を効率的に受け止めるためである。

薄く大きい葉っぱは、柔らかくて美味しい。それゆえ、やはりイモムシなどに盛んに食べられる。そして、そのイモムシを目当てに小鳥たちが集い、小鳥たちはのちのち、種の運び屋にもなる。

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北のブナの葉は薄いために透明感があり、光を良く通す。そのため、葉っぱの繁茂する夏季も、森の足元には意外な明るさがあり、そこに小さな植物たちも葉っぱを広げることができるのだ。

また、ブナには「ギャップ」と呼ばれる樹冠の隙間が多く(20〜30%)、これまた地面に光が届きやすい理由でもある。

ブナの若木は、小さくとも巨木の隙間に暮らすことが可能となり、100〜200年で森のすべてのブナが世代交代することになる。

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薄く大きいブナの葉は、散った後、意外にも分解しにくい。それゆえ、落ち葉は幾層にも積み重なり、昆虫たちの集合団地にもなる。

川に落ちた落ち葉は、巡り巡ってヤマメやアユ、サケなどを育むことになる。

海まで降るアユやサケなどは、森にはない栄養素を海から運んでくることが知られている。産卵を終えたサケは、山で力尽き、海から持ってきた貴重な栄養分を森に還元するのである。

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水と言えば、ブナの幹は音をたてて水が上っていくというほどに、水を蓄える木でもある。

成木となったブナ一本は、田んぼ一枚の水を賄うことができるとも言われているほどだ。



ブナを巡る生態系は実に裾野が広い。「持ちつ持たれつ」、ブナは日本全土に広く種をまき、副次的な利益を他の生物たちにもたらしているのである。

そのブナの森に抱かれてきた民族が、その性質に習うことは自然なことであり、「和する」という資質もそんな性質の一つなのかもしれない。



日本民族の源流は、様々なところに求められるのかもしれないが、その源流の一つは明らかに「広葉樹の森」にも求められるだろう。

人間は時として「自らの源」に多大なる関心を掻き立てられることがある。

そんな時、ブナの森は何かを教えてくれるのかもしれない…。




出典:ワイルドライフ
「森の国 日本 緑の小宇宙に命響きあう」


posted by 四代目 at 06:29| Comment(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

紅葉、そして落葉。その本当の美しさとは?


それは、夜の気温が「2℃」を下回った時だった。

山々の木々が「秋の色」へと姿を変え始めたのは…。



彼らはまるで測っていたかのように、その時を「知った」のだ。

ひょっとしたら、どこからともなく現れた「一面の霧」が何かを伝えたのかもしれない…。



ここは、涸沢カール(長野県・穂高連峰)。

登山家の間では、「日本一の紅葉」との呼び声も高い場所である(標高:2,300m)。

「山を始めたならば、一度はこの目で見てみたい」と言わしめるのが、「燃える涸沢(からさわ)」。



この地の紅葉は、「赤・黄・緑」と色とりどり。

赤は「ナナカマド」、黄は「ダケカンバ」、緑は「ハイマツ」。

それらの役者たちのベースとなるのが、黒々とした岩山と抜けるような青空である。

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なぜ、気温が2℃を下ると、一斉に紅葉が始まるのか?

それは、葉の中の「クロロフィル(緑色)」が抜け始めるからだという。

そして、その代わりに現れるのが「アントシアニン(赤色)」。



このアントシアニン(赤色)は、「紫外線」が強いほどに強く出てくる。

どうりで、山々の紅葉は色濃いわけだ。山の紫外線は、平地の1.5倍は強い。



紅葉というドラマは、人間の目を楽しませてくれる反面、当の植物たちにとっては、生き残りをかけた熾烈な「生存競争」でもある。

植物たちの敵となるのは「低温」と「紫外線」。

この強敵に対抗すべく、木々はその葉を色付かせ、そして落とす。



低温になるほどに、葉っぱの「光合成」は鈍る。

そうなると、葉っぱは植物本体に十分な栄養を供給できなくなる。それは光合成をするための「クロロフィル(緑色)」が低温で抜けてしまうからである。

すると、働き手であった葉っぱたちは、せっかく貯め込んだ栄養を「消費」するだけの存在になってしまう(呼吸するため)。



葉っぱたちにとって、植物本体の「お荷物」になることは本意ではない。

ここで、葉っぱたちは悟るのだ。「散ろう…」と。



そう悟った葉っぱたちは、幹に送っていた「オーキシン」の供給を止める。

幹は葉っぱからのオーキシンが止まったことで、葉っぱの覚悟を知る。

そして、ひと思いに葉っぱを落とす…。



なぜ、葉っぱは落ちる前に色付くのか?

それは、有害な紫外線から「新しい芽」を守るためだと言われている。



来春の芽は、冬が来る前にできている。

しかし、その芽はまだまだ弱い状態で、有害な紫外線から守ってあげる必要がある。

一年を通して、紫外線が最も強まるのは「夏」であるが、生まれたばかりの弱々しい存在にとっては、秋の紫外線とて侮れない。



そこで、葉っぱたちが身を呈するのである。

紫外線は葉っぱの影になることで、極端に弱まる。それは、重なり合った下の葉っぱの色付きが甘くなることからも明らかである。

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葉っぱが色付いている期間は、それほど長いものではない。

しかし、短いとはいえ、その間に新しい芽は抵抗力を高めることができる。

紅葉の期間というわずかの差が、新芽のその後の「運命の別れ道」ともなりうるのである。



強く色付いた葉っぱほど、強く紫外線を防いだ勇姿とも言える。

充分な仕事ができなくなった葉っぱは、最後の最後まで防戦を続け、そして、潔く散るのである。

そのお陰で、次代の芽は見事に守られるのである。

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ところで、紫外線はどれほど有害なのだろう?

現在の地球は「オゾン層」に守られているため、宇宙からの紫外線の悪影響は十分に弱まる。



しかし、長い長い地球の歴史を見れば、宇宙からの紫外線によって、地上の生物が生き絶えたであろう痕跡も残っている。

それは、何らかの理由(宇宙からの放射線など)によって、地球のオゾン層が破壊されたことがあったためであろうと推測されている。



植物たちは、そうした長い歴史の一端を知っている。

紫外線がどれほど危険か、身を守るためにはどんな防御策が必要なのかを。

そして、紫外線を守る地球のオゾン層とて永遠ではないということも。



山々を見事に彩(いろど)る紅葉には、幾多の死を乗り越えてきた植物たちの深い知恵が眠っている。

無知な人間とて、その場に居合わせれば何かを感じるのであろう。そこには美しさ以上に、心を奪う何かがある。



地面に落ちた葉っぱは満足げである。

然るべき役目を果たし終えた誇りが、カラカラに乾いた足元の葉っぱから伝わってくる。



小さな生物たちは、落ちた葉っぱをありがたく頂き、また別の生をつなぐ。

こうして有機物であった落ち葉は、無機物へと姿を変える。

落ち葉が無機物とまでなることで、ふたたび木々の根っこがそれを吸収することができるようになり、それは新たな花や葉っぱの恵みとなる。



大自然から「ムダ」を探すのは難しい。

反面、人間の社会では、ムダを探すことほど容易なことはない。それは、然るべき繋がりが失われ、然るべき循環が途絶えてしまっているからだろう。



紅葉という献身、そして落葉という献身。

ここには、然るべき繋がりを生み、然るべき循環を維持する大いなる知恵が宿されている。

山々が色付き、そして冷たい風が吹くほどに、己の不明を深く感じるばかりである…。

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関連記事:
期待すべき植物の「浄化力」。汚しっぱなしの人間とキレイ好きの植物たち。

オババのいる4000年の森。山は焼くからこそ若返る。

動かず生き抜く植物の智恵。知られざるコミュニケーション能力。




出典:アインシュタインの眼 「紅葉 穂高連峰 色彩の物語」

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2011年11月20日

なぜ「マツタケ」は消えたのか? 本当に失われたのは自然との「絶妙な距離感」。


「マツタケへの日本人の愛着は他の追従を許さない」

そう韓国人が呆れるほどに、日本人は松茸を好んで食べる。

あまりにも日本人が「マツタケ、マツタケ」と騒ぐため、その「学名」には「Tricholoma matsutake(まつたけ)」と、日本語の読みが加えられたほどである。



日本人と同種であろう韓国や中国の人々は、日本人ほどにマツタケを特別視していない。薬になるか、もしくは日本で高く売れるか、その程度である。

ましてや、欧米人ともなると尚更だ。彼らはマツタケの芳(かぐ)しい香りを、「軍人の靴下の臭い」と表現してはばからない。

マツタケの香りの主成分は、「1-オクテン-3-オール」と「桂皮酸メチル」というもので、外国人には「松脂(まつやに)臭い」だけの香りである。



ところで、なぜ日本人はマツタケを好むようになったのか?

それは、日本人がずっと昔からマツタケを「常食」してきた歴史があるからだという。



1,200年以上前の「万葉集」にもマツタケは登場し、江戸時代には「庶民の食」として、シッカリと定着していたようである。

「マツタケを煎ってからダシ汁を加える」というのが一般的な食べ方だったようだ(マツタケの旨味成分は加熱することで出てくる)。

その他、吸い物、焼き物、蒸し物、寿司などなど、いろいろな調理法でマツタケが庶民に食されていたことが江戸時代の記録に残る。

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つまり、日本人にとって、マツタケは「いつもの味」であり、「懐かしい味」なのである。

世界には嫌悪する人も多いマツタケの独特な香りも、日本人のDNAにとっては、「クセ」になってしまっているのだ。



「ん?なんであんな高価なマツタケを江戸の庶民は軽々と口にしていたんだ?」

じつは、現在では「高嶺の花」であるマツタケも、かつては他のキノコ同様、「普通に採れていた」のである。



マツタケが極度に「希少化」したのは、戦後のたった50年の話である。

戦前には、マツタケを満載した貨物列車が毎日、東海道本線を行き来し、店頭にはマツタケが山と積まれていたほどだという。

記録に残るマツタケの生産量は最大1万2,000トン(1941)。それに対して、昨年(2010)は140トン。

この50年で、マツタケが激減したことが明らかである。

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しかし、なぜマツタケは激減したのか?

真っ先に思い浮かぶのは、「環境破壊」であろう。

ところが、じつは全くの逆で、環境を「破壊しなくなった」から、マツタケが採れなくなったのである。



というのも、マツタケは栄養の多い土地では育てない。

それはマツタケの宿主となる「アカマツ」も同様で、両者ともに「荒れた土地」を好んで生息する(マツタケはアカマツの根に共生する)。

植物学では「パイオニア(先駆)植物」と分類され、栄養の乏しい土壌に育ち、その土地が豊かになるにつれて姿を消していくのである。



戦後、日本人はあまり「山」に入らなくなった。

すると、山は落ち葉などが降り積もり、ドンドン豊かになる。

そうなると、もうマツタケやアカマツの出番はなくなってしまうのである。



昔の日本人はセッセと山に入った。

木を伐り、それを「燃料」とし、落ち葉を集め、それを「肥料」とした。

人里近くの山は、おいしいところを全て人間に持っていかれて、なかなか肥えるヒマがなかった。つまり、森は慢性的に「栄養不足」となっていたのである。



そして、この「栄養不足」の状態こそが、マツタケにとって「理想的」な状態だった。

結果として、人里近くの山の土中には、マツタケの菌糸(シロ)が常駐し、毎年毎年マツタケの提供を続けてくれていたのである。



戦後、燃料としての「薪」、そして肥料としての「落ち葉」は必要とされなくなった。

燃料革命、そして肥料革命である。

すると、森は鬱蒼(うっそう)と生い茂り、地面はミルフィーユのごとく落ち葉が幾重にも層を成すようになった。



森は茂るほどに「アカマツ」は暮らしにくくなる。

アカマツは栄養が少ないことにはテンで平気でも、「日当たり」が悪くなるのは大の苦手である。アカマツが荒地を好むのは、他の植物が育ちにくく、日当たりが大変良好であるためだ。



また、落ち葉が腐葉土となり栄養豊富になると、マツタケ菌は暮らせなくなる。

なぜなら、栄養豊富な養分を求めて「雑多な菌」が繁殖してしまうからだ。残念ながら、マツタケ菌には競争力が「皆無」である。マツタケ菌は「もっとも弱い菌」といっても過言ではない。



アカマツ、マツタケの両者は、このようにデリケートである。

他の植物や菌が繁茂した森では暮らしていけない。できるなら、アカマツとマツタケだけにしていて欲しいのである。



このデリケートさゆえに、マツタケは「人工」で栽培できていない。

「天然モノ」とワザワザ銘打たなくとも、マツタケには天然モノしかないのである。

他のキノコ類が「死んだ木」に生えるのに対して、マツタケは「生きたアカマツ」にしか生えないというやっかな特徴も、人工化の大きな障壁となっている。



人工栽培への取り組みは盛んであるものの、今のところ全戦全敗。

アカマツの根っこにマツタケの菌糸を共生させるところまでは上手くいくのだが、肝心のマツタケが出てきてくれない。



マツタケ的には、「本当の姿」はあのお馴染みの傘姿ではなく、地中にある白くモヤモヤとした菌糸の姿(シロ)である。

あの傘を地上に出すのは、他の場所に別天地を求めるためである。そのため、もし地中が快適であれば、ワザワザ地上に姿を現すことはない。

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この点が最大のナゾである。

どういう条件がそろえば、マツタケは地上に顔を出すのか?

いまだに分かっていない。



研究室では全戦全敗でも、森の自然環境をマツタケ用に整えることは可能である。

まず、アカマツ以外の木を全て伐採する。そして、落ち葉も全てかき出す。落ち葉のみならず、腐葉土となった地上数センチの栄養豊富な土も剥ぎとる。

こうして、徹底して森を破壊してやると、マツタケはちゃんと出てくるのである。



森が追い詰められるほどに、森はマツタケを出してくれるわけだ。

そして、アカマツの落ち葉が周囲の土を豊かにし、いずれ他の植物が育てるようになれば「老兵去るのみ」、アカマツは消えてゆく…。同時にマツタケも消えてゆく…。

変転してやまない自然の流れである。



土が豊かになるに従って、そこに生育する植物は変化するのが自然である。

人間が同じ植物を同じ場所で栽培し続けられるのは、その自然の流れを「あるところで止めている」からに他ならない。

自然のままに土が豊かになれば、いずれ木が生え森となる。決して田畑のままに留まることはできない。

それはマツタケが同じ場所に留まり続けることができなかったのと一緒である。



人間が自然と共生するということは、ある意味、大自然に進化を待ってもらっていることでもある。

畑が畑であり続けられるのは、草を除き、木が生えないようにしているからである。

必要以上の栄養があれば、雑木が生い茂り、とてもではないが耕せる状態ではなくなってしまう。



人の住めない「山」と、人の住む「里」の境界には、かつて里山という「人と山の共有地」のようなものが存在していた。

その共有地は、適度に自然が破壊され、自然の流れが止められたゆえに、決して山になることはなかった。

ところが、人々が山を離れるや、そうした共有地は全て「山そのもの」となった。山に帰ったのである。

マツタケが消えたのは、里山が山に帰った当然の結果である。



外国には「コモンズの悲劇」という言葉がある。

コモンズとは「共有地」である。共有地の自然は皆が手当たり次第に「乱獲」するために、悲劇的に荒れ果てるという意味だ。



程度の差こそあれ、ある意味、日本の里山も「コモンズの悲劇」である。

そして、その悲劇の結果が「マツタケ」である。

さらには、この悲劇が止んだ結果がマツタケの激減である。



何も生えなくなった土地に生えるマツタケ。

そして、他の植物が生えるようになったら姿を消すマツタケ。

最も弱いとされるマツタケ菌であるが、じつは「最も強い」のかもしれない。



ただ、最も「遠慮深い」菌でもあるために、他の菌が登場すると、進んで場所を明け渡すのかもしれない。

自分の役割を充分に心得て、去る時を知れば、潔く去ってゆく。



武士は荒れた世を治めるために登場し、世が治まれば姿を消した。

そんな姿が日本人の好むマツタケに重なるのは、何かの偶然であろうか?



マツタケは大自然と「絶妙の距離感」を保ち続けることでのみ、豊富な収穫を期待できる。

何の科学的知識がなくとも、江戸の人々はこの絶妙な距離感を自然体で保っていたのだ。

今の日本人は、科学的な知識をふんだんに持ち合わせながら、マツタケを生むことはできないでいる。



歴史長き日本民族による「自然との共生の知恵」に脱帽せざるを得ない。

マツタケの減少は、現代人の「自然からの乖離」を象徴しているのである。



自然は破壊しなければ良いわけでもないだろう。

我々は自然を食らって生きなければならないのである。

破壊は必然である。問題はその「程度」ということになる。



「程々(ほどほど)」をわきまえていた日本民族。

何千年も一つの島国で生き続けた彼らには敬意を覚える。

ヨーロッパの民族が自分の土地の自然を破壊し尽くし、アメリカという別の大陸を求めたのとは対称的である。もっとも、日本民族は大陸を求めようにも、中国が強大すぎたのだろうが…。



弱いからこそ、知恵は出る。

敵わないからこそ、力で解決できない。



マツタケに馳せる想いは尽きることがない。

もう少しマツタケに学ばなければ、人類には「もう一つの地球」までが必要となってしまい、いずれまた、「もう一つ」となるだろう。



「程々(ほどほど)」とは、どういうことなのだろうか?

武士たちは、つかず離れずの「間合い」を充分に心得ていたはずである。




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出典:いのちドラマチック
「マツタケ 弱者の戦略」


posted by 四代目 at 06:36| Comment(1) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

期待すべき植物の「浄化力」。汚しっぱなしの人間とキレイ好きの植物たち。


「金山草」の下には金鉱が眠る。

かつての山師たちの間では、有名な経験則であった。

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金山草は別名・ヘビノネゴザ(蛇の寝ゴザ)とも言われ、土中の重金属を吸い上げ、無毒化して体内に貯め込めるという性質をもつシダ植物である。

銅や鉛、亜鉛を根っこに、カドミウムを葉っぱに蓄積する。



日本にはおよそ800種のシダ植物が生育していると言われるが、その中でも金山草だけが有害な重金属に対する耐性を持つのだという。

その足下に金があるかどうかは明言できないものの、金山草の育つ土に何かしらかの金属が含まれていることは確かなことのようである。



シダ植物に限らなければ、有害な重金属を無毒化できる植物は他にもある。

マリーゴールドやハクサンハタザオは「カドミウム」を吸い上げ、ミヤマナズナは「ニッケル」を、西洋カラシナは「鉛」を取り込むことができる。

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これらの重金属は人体にとって有害である。

そのため、その毒を浄化できる植物は、土壌汚染の改良に重要な役割を担うこととなった。

ご存知の通り、我々の現代文明はその便利さの引き換えとして、様々な毒を自然環境に撒き散らしてしまっているのだ。



アメリカのクロゼット(バージニア州)では、「モエジマシダ」というシダ植物が、「ヒ素」を浄化するということで積極的に栽植されている。

クロゼットという田舎町は、農薬の大量使用により、ヒ素の汚染が深刻な地域なのである。

アメリカには浄化を必要とする汚染地域は、この他にも20万カ所以上あるのだという。

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植物による環境浄化を「ファイト・レメディエイション」と呼ぶ。

ファイト(phyto)は「植物」を、レメディエイション(remediation)は「治療」を意味する。

いうなれば、地球の自然治癒力である。植物たちはありがたくも、我々が汚してしまった環境を改善してくれるのである。

ファイト(phyto・植物)という日本語の発音が「Fight(戦う)」と同音であることは興味深い。



放射性物質はどうか?

セシウムやストロンチウムは、ヒマワリや西洋カラシナ、アマランサスなどでの吸着が確認されている。

しかし、その後の回収・処理となると現状では課題が多い。



植物が毒に耐性をもつのは、必然の結果である。

なにせ、植物は動けない。生を受けた場所に毒があろうがなかろうが、とにかく生きるしかない。

奮闘虚しく枯れてしまう植物も多かろうが、中には毒を克服してしまう植物も現れる。



人間には、肝臓や腎臓などの毒を排出する器官があるが、植物にはそうした排泄機構はない。

では、どうやって無毒化するのか?

毒を何らかの化学物質で包み込み、それを細胞内の液胞に溜めておくことで、毒の悪影響を最小限に抑え込む。



また、より積極的に攻撃に転ずる植物もある。

病害虫に対して化学物質を放出する植物たちだ。

マリーゴールドの発する「アルファ・テルチエニル」という化学物質は、土中の線虫を撃退する。

セイタカアワダチソウ(背高か泡だち草)の「ボリアセチレン」は、他の植物の繁茂を抑え込む。

ヒガンバナ(彼岸花)の「リコリン」はネズミを殺す。

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これらは「アレロパシー」として知られる植物の作用である。

その場から一歩も動けない植物が、外敵から身を守るために編み出した苦渋の策である。

一見、「見ざる言わざる聞かざる」のような植物たちであるが、その実、多様な「化学物質」によって、他を威嚇したり殺したりもしていることになる。



アロマテラピーというのは、こうした植物の化学物質が人間に良く作用する効果を利用したものである。

ある生物には毒であっても、その化学物質は他の生物にとって薬となることもある。



考えてみれば、動物よりも植物の歴史のほうが圧倒的に長いわけで、その彼らが生存のための多彩な技を身につけていることは納得のいくことである。

植物たちは「動けない」のではなく、「動かなくてもいい」という境地に達しているのかもしれない。



金山草が重金属の土壌に生育するように、それぞれの植物はそれぞれ固有の役割を担って、その場所に生存していると考えられる。

人間が化学的な研究をして、汚染された土壌に特定の浄化植物を植えようとすることは大変結構なことではある。

しかし、実のところ、浄化の役割をもった植物は、自然と汚染地域に繁茂して、自らの役割を果たすのかもしれない。



そう思えば、雑草への見方も変わらざるを得ない。

適当に生えているように思える雑草も、じつはそれぞれが重大な役割を遂行しているのかもしれない。

植物たちはガイガーカウンターなど使わずとも、放射性物質で汚染されていることを感じることもできるだろう。

そして、然るべき植物が、然るべき場所にて、任務を果たす。



我々は人為の拙(つたな)さを痛感せざるを得ない。

人間が植物に関して知っていることは如何ほどか?



翻って考えれば、人間とて生を受けた場所に大いなる意味があるとも考えられる。

豊かな日本に生まれる人もいれば、食糧も水もないアフリカの角に生まれる人もいる。

前向きに考えるのであれば、その場で生き抜く知恵があるからこそ、そこに生まれ落ちるのだろう。歴史上の偉人たちは、想像を超えるような過酷な環境を生き抜いていることも珍しくはない。



20世紀を振り返れば、汚染の時代でもあった。

現在、日本では廃棄物の最終処分場が残り少ないという。

必然的に、新世紀は浄化の時代とならざるを得ない。もうゴミ箱はあふれそうなのである。



浄化にとって、植物たちは大いなる味方である。

植物たちは自分で汚したわけでもないのに、セッセと日夜、地球の清掃に勤(いそ)しんでくれている。



人間が植物の仕事を肩代わりすることは不可能。

我々に出来ることはと言えば、植物の邪魔をしないことくらいであろう。

必要以上に土壌をコンクリートやアスファルトで覆うことは、植物の活躍の場を奪い、結局は人間自身が苦しむことにもなりかねない。



我々は、もう少し植物に「敬意」を払うべきなのかもしれない。

雑草も生えるがままが自然の姿である。




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出典:いのちドラマチック
「マリーゴールド 献身の花」


posted by 四代目 at 07:31| Comment(3) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする