「山の雪も解けてきたな…」
小さな畑に家畜の糞を混ぜ込みながら、スガ・ラルはヒマラヤの高峰をしきりに気にしていた。
「現金を稼ぐには、山へ行かんといかん」
すると女房、「山にはまだ雪が残っているわ。何日か身体を休めてからいきましょう」と言う。
だがスガ・ラルの心はもう決まっているようであった。
「グズグズしていると損をする」
スガ・ラルの住む村は、ヒマラヤ山麓ネパール西部のドルポ地方にある。
この地方の村人たちは毎年、山の雪が解ける5月からの丸2ヶ月間、ヒマラヤの標高4000〜5000mにテントを張って籠り、その間ひたすら「冬虫夏草」採りに明け暮れる。
山へ行くのは男たちばかりではない。女も子供も家族ぐるみでみんな連れて行く。村を挙げての大移動である。そのため、春を迎えたばかりの村々にはすっかり人影が絶えることになる。学校や公共期間も、寺院も休み。
村に残されるのは山を歩けない老人ばかり。もし誰かが亡くなっても荼毘に付すことすらできない村もあるといわれる。
さあ、いよいよ「冬虫夏草」が目覚めるのだ。「ヤルツァクンブ(チベット語で冬虫夏草)」の季節のはじまりだ。
スガ・ラルはこの2ヶ月間で、一年分の収入を稼いでやろうと意気込んでいる。
額にバターを塗り、首に白いスカーフをかけるのは、危険な山道で幸運を祈るネパールの風習だ。ニワトリの生き血を生贄に捧げ、重い荷とともに長い旅路へいざ行かん。
◎ゴールド以上
冬虫夏草とは、中国人に「若返りの秘薬」として珍重されている「小さなキノコ」である。
この不思議なキノコは、セミやクモ、ガなど昆虫の幼虫に寄生する。冬虫夏草が寄生のターゲットとするのは冬の間、土中で眠っているイモムシたち。
冬虫夏草の胞子(植物でいう種)は水分とともに土中に染み込み、そしてイモムシの体内に侵入。その栄養分を吸いながらイモムシの体内に菌糸を張り巡らせていく。
寄生されたイモムシは身体の異常にあわて、必死に地表へ逃れようとするものの、ついには死に至る。死んだ幼虫はもう虫ではない。キノコの菌のかたまりだ。
その菌塊(冬虫)は春になると地面に芽を出し、夏には棍棒のような草になる(夏草)。虫がキノコに変わるという自然界でもマレにみるこの奇妙な現象。これが「漢方の横綱」、冬虫夏草である。

「冬虫夏草の価値は、金以上だ」
冬虫夏草を取り扱う業者は、そう言って顔がほころぶ。
その価格はここ10年で20倍以上に跳ね上がり、いまや1kgで「6万ドル(約600万円)」を超えている。ちなみに金(ゴールド)の価格は現在、1kgあたり400〜500万円程度。その業者の言う通り、金のほうが安値で買える。
というのも、中国に台頭著しい富裕層が冬虫夏草をありがたがることから、冬虫夏草の供給はその旺盛な需要にとてもとても追いつけない。ゆえにその値は天井知らずに高騰を続けるのである。
現在、冬虫夏草はまさにゴールド・ラッシュ。
金のごとき冬虫夏草を求め、欲の色目をした人々がヒマラヤに群がり来る。
そのせいで、スガ・ラル一家の暮らすドルポ地方は冬虫夏草の収穫シーズン(5〜6月)、人口がいつもの6倍にまで膨れ上がるという。村にではなく山に。
冬虫夏草シーズンのこの地方は、憧れの黄金郷となるのである。
◎祈祷師
スガ・ラル一家が2日がかりで山を登り、標高3800mのバンガ・キャンプに到着した時、すでに辺りは色とりどりのテントでいっぱいに彩られていた。
すでに冬虫夏草を掘り当てた人の中には、お互いの冬虫夏草を賭けてバクチに興じる姿もみられた。
そんな喧騒のかたわら、キャンプの一部は重苦しい空気に包まれていた。
「手も足も動かない…」
白眼をむいて横たわる男性は昨日、崖から落ちたのだという。その男には奥さんと2歳になったばかりの幼子がいた。
「病院までは歩いて5日かかるぞ…」
そんな時に呼ばれるのは「祈祷師」。山で起こる事故はみな「悪霊の仕業」なのである。
「この谷ではもう、16〜17人が命を落としているんです…」
結局、瀕死の男は祈祷師にお祓いしてもらった後、背中のカゴに担がれ、小さくなって山をあとにした。
「何日もかけて長く険しい山道を登ってようやくたどり着いた挙句に、こんな事故に遭ってしまうなんて…」
冬虫夏草のブームとなって以来、大忙しとなった祈祷師。彼はこう語る。
「遠くからわんさか人が来るけれど、その人たちは山で暮らした経験なんてないんだ。薄っぺらい粗末な服装で、着替えすら持たずにやって来る奴もいる。そのせいで凍死する人もいるんだよ。そうじゃなきゃ、病気になったり落石や雪崩でケガをしたり。食い扶持を求めてここにやって来るのに、命を落とすこともあるんだ」
◎仲買人
人々がすっかり出払い、ひと気のなくなった村に、ダンチャンドラという男は数人の部下たちとともに残っていた。
彼は冬虫夏草の「仲買人」であり、ネパールの首都カトマンズにいる輸出業者ダヌに冬虫夏草を売り渡す仕事をしている。
ヒマラヤの山中で冬虫夏草を買い付けるには「前払いの現金」が必要であり、その数百万円単位の大金をダンチャンドラは輸出業者ダヌに出資してもらっている。
仲買人ダンチャンドラはこう話す。
「小さい頃は親父と山へ行き、少ないお金を元手に冬虫夏草を買い付けました。そんな私たちの話をダヌが聞きつけ、取り引きが始まったんです。今ではダヌが買い付けの資金を工面して、私が品物を届けるのです」
その現金を、ダンチャンドラは部下たちに手渡して、ヒマラヤ各地に点在するキャンプで冬虫夏草を買い集めさせる。
渡された大金を腹に巻きつける部下たちに、ダンチャンドラは言う。「去年みたいにバクチや酒に使い込むんじゃないぞ。それはオマエの金じゃないんだからな」
そして、輸出業者のダヌと電話で話す。
ダンチャンドラ「今年は雪の影響でまだあまり採れていません。収穫量は少ないですが、質はいいですよ。買い値はまだ未定です」
ダヌ「そうか。慎重に頼む。やるべき事はすべてやってくれ。追加の金が必要なら送る」
◎冬虫夏草の稼ぎ
「冬虫夏草ってキノコ? 虫?」
スガ・ラルの息子ラージは、今年初めて冬虫夏草採りに山へやって来た。この地域の子供たちは12歳になると山に入り、家族とともに家計を支えることになる。
「キノコで虫だ」と父親スガ・ラルは言う。「その二つが一緒になったのが冬虫夏草だ。中国人が薬にする。オレらに金やモノをくれるのはそのためだ」
一説によると1500年前、長旅から帰った商人がこの奇妙なキノコをヤク(家畜)に食べさせたところ、その疲労の回復が早いことに気づき、薬草として利用されるようになったと云われている。以来、冬虫夏草は中国皇帝への献上品とされてきた。
冬虫夏草のほとんどは中国チベット高原で採取される。スガ・ラル一家の住むネパールで採れるのは総生産量の2%以下。それでも小さな村や家族を支えるには十分すぎる量である。
中国で漢方薬として珍重される冬虫夏草は、コウモリガという蛾の幼虫に寄生した冬虫夏草であり、その限られた生産地がネパールにもある。スガ・ラル一家もそれを探しているのである。
だが、芽を出したばかりの冬虫夏草は、地表に2〜3cmほどしか出ていない。まるで黒っぽい小枝のようなそれを広大な斜面、数多くの雑草の中から見つけ出すのは決して容易なことではない。朝から晩まで地面に這いつくばって、10本見つけられれば大収穫である。

かつては一人一日に100本以上採れたというのだが、近年の乱獲によって、それはもう夢のような話となっている。
それでもスガ・ラルは、「たった2ヶ月間でまだ何万ルピーという大金が稼げる」と言う。1万ルピーはおよそ1万円に相当するが、ネパールでの月給はおよそ5000ルピー(約5000円)、日雇いであれば200ルピー(約200円)程度といわれている。
サガ・ラルが冬虫夏草を山で仲買人ダンチャンドラらに売る価格は、並で1本100ルピー(約100円)、上物ならば1本150ルピー(約150円)、とびきりの特上ならば300ルピー(約300円)。
並物でも一日に10本採れれば、それは一般的な日雇いの5倍の稼ぎを得ることになる。たった1本だけでもネパールでは酒や肉、何でも買える。
そして、その仕事はラージ(スガ・ラルの息子)のような12歳の子供でも可能なのだ。いやむしろ目の良い子供の方が、コツさえつかんでしまえば大人よりもたくさん見つけることも多いのだという。
◎12歳
さあ、ラージの見習い修行がはじまった。
父親スガ・ラル「冬虫夏草を採る時は、こんなふうに掘るんだ。出てきただろ? わかったか?」
手のひらサイズの鍬(くわ)のようなもので、冬虫夏草の周りの土を起こして見せる父親に、息子ラージは「うん」とうなずく。
「じゃあ、探してみろ」
しばらく地面に這いつくばって目を凝らしていたラージは
「父さん、見て! あったよ!」と喜声をあげる。
さっそくのお宝発見である。

サガ・ラルだけに限らず、多くの家族が我が子を山へ連れてくる。子供のよく見える目はありがたい。
だが、標高4500mでの作業は12歳の少年にとっては辛いものである。一日の食事はトウモロコシの団子が数個のみ。朝晩は手足がしびれるほどに寒い。そんな中、早朝から地面に這いつくばって日暮れまで血眼にならなければならないのである。
「一日10本以上探せるか?」とサガ・ラルは聞く。
「うん大丈夫」と息子ラージは力強くうなずく。
「よし、頼んだぞ」

◎賭け事
「さあ、勝負だ! 勝って、デカい水牛を買うぞ!」
山腹のキャンプでは、サガ・ラルの「悪い虫」が騒いでしまっていた。バクチの虫が賭け事の誘惑に負けてしまったのだ。
賭け金の代わりとなるのは、採ったばかりの冬虫夏草。各々が布の上に山盛りの冬虫夏草を賭ける。
この日、運のなかったサガ・ラルは、それまで息子ラージと一緒に必死で集めてきた冬虫夏草一山をすべて取られてしまった。
うつむきいて力なく首を振るサガ・ラル。息子ラージはその父親のうなだれる様子を、賭場を囲む人垣の間からじっと見ていた。そして静かに立ち去った。
翌日、スガ・ラル一家はそのキャンプをあとにして、さらに標高を上げようとしていた。父親が賭けで負けた分を挽回するには、もっと高いところにいって、もっともっと冬虫夏草を取らなければならない。
すでに6月になっていたが、標高5500mの峠道にはまだくるぶしほどの雪が残っていた。
一家の着いたキャンプは岩棚にあった。標高は4600m。ちょうど雪が解けた土に、冬虫夏草の新たな狩場があらわになったばかりの絶好機。
着々と冬虫夏草を見つけるスガ・ラル一家。12歳の息子ラージも経験と勘が養われてきたようだった。なにより、賭けの負けを取り返そうと、彼らは必死であった。
さらなる穴場を求めて、ある日、スガ・ラルは息子ラージとともに山の頂へと向かった。だが、折悪く天候が悪化。近くの岩穴に身を寄せるハメに。
「焚き木があるよ!」とラージは喜ぶ。外は凍えるほどの寒さだったのだ。この地方では、岩穴を後にする時には次にやって来る人のために必ず焚き木を残していく風習があった。
「冷えるな。雪になるぞ」とサガ・ラルは焚き火にあたりながら言う。
その言葉通り、夜半過ぎに雨は雪へと変っており、朝起きた時には猛吹雪となった。
◎取り引き
初夏だというのに雪に閉ざされた岩棚のキャンプ。
雪を掘ってまで冬虫夏草は探せない。そんな時、キャンプ地の人々はそれまでに集めた冬虫夏草を歯ブラシで磨く。手入れをして色艶を出し、少しでも高値で仲買人に売りたいのである。
高く売るのに重要なのは「色」だ。黒ずんでいるモノは買い叩かれる。
そんなところに、仲買人のダンチャンドラが馬に乗って現れた。
ダンチャンドラは、小川でポリタンクに水をくんでいたラージに声をかける。
「冬虫夏草を見せてくれるか?」
ダンチャンドラはラージに連れられて、一家のテントに入る。
「息子さんから聞いたよ。大収穫だってね。これ全部一人で採ったのかい?」と仲買人ダンチャンドラは、サガ・ラルに話しかける。
「オレよりも息子の方がたくさん見つけた」と、サガ・ラルはどこか誇らしげにそう言った。視力の良いラージは、いまや父親を凌ぐ働きぶりを見せていたのである。
「1本180ルピーならまとめて買う」とダンチャンドラ。
うなずくサガ・ラル。「了解だ」
「数えるぞ。…191、120、121。全部で121本だ。しめて2万1,780ルピー」
そう言って、ダンチャンドラは札束を手渡す。
「2万2,000ルピーだ。お釣りは今度もらう」
「知り合った記念に写真を撮ろう」
ダンチャンドラは、この地方を激変させたヒマラヤの「ゴールド・ラッシュ」を写真で記録しておこうと、いろいろとシャッターを切っている。
「それじゃあ、また来るよ。今度も全部買い取る」
そう手を振って、ダンチャンドラの馬は雪の峠に消えて行った。
◎出荷
村に戻ったダンチャンドラは、涼しく暗い蔵に広げておいた冬虫夏草の具合を確かめる。
乾燥させすぎるのは禁物だ。乾きすぎて割れやすくなるとせっかくの価値が一気にさがり、それまでの苦労が水の泡となってしまう。
冬虫夏草のシーズンが始まってから2ヶ月後、ダンチャンドラは出荷の準備に取り掛かった。
「重さは?」
「全部合わせて10kgある」
冬虫夏草10kgの値段は、取引先の漢方薬店の見積もりではおよそ3,000万円。ネパール人の平均年収の数百倍という大金である。
厳重に鍵のかけられた鉄の箱。その中に大切にしまわれた冬虫夏草。何人もの警備員に前後を固められ、首都カトマンズへと向かっていく。
ネパールの首都カトマンズ。
買い付け資金を提供してくれたダヌは、ダンチャンドラを待っていた。
「今年の出来はどうだ?」
「雪のせいで遅れましたが、質はとても良いし、豊作です」とダンチャンドラは言う。
ダヌが冬虫夏草の取り引きを始めたのは1998年、今から15年前のこと。当時、冬虫夏草の価格は1kgあたり1万ルピー(約1万円)に過ぎなかったという。
だが、いまや同じ1kgで数百万ルピー(数百万円)の高値がつくこともある。出荷先はカネの舞う「香港」だ。
◎効能
香港・上環地区。漢方薬の専門店がひしめくこの地区に、ダヌの取り引きする専門業者がいる。
ピ、ピ、ピ、ピ、ピ。
冬虫夏草の重さを金属で水増ししていないかどうか、金属探知機に通される。
「金属が見つかった場合、賠償金を請求されます」とダヌは言う。
冬虫夏草の薬としての効能には疑問視する声もある。それでも「強精強壮」、男性自身を元気にすると、富豪たちの間での人気は極めて高い。
「冬虫夏草を意欲的に買っているのは、中国の新しい金持ちたちや政治家です。富と権力をてにした人々は、自ずと長寿と精力を求めるようになるのでしょう」と業者は言う。
業者の話では、冬虫夏草は精力剤としてだけでなく、「不老長寿の妙薬」としても人気が高いらしい。
漢方の話では、冬虫夏草には「肺」と「腎臓」を強める働きがあるという。
「肺は呼気をつかさどり、腎は納気をつかさどる」と漢方医が言うように、呼吸は肺と腎臓の共同作業。息を吐き出す(呼気)のは肺の力で、吸い込む(納気)は腎臓の力だという。そのため、喘息や気管支炎などの患者には、冬虫夏草が処方されるのだとか。
ちなみに、冬虫夏草を世界的に有名にした「馬軍団」というのがいる。1993年、ドイツで開かれた世界陸上選手権で、馬コーチ率いる中国選手たちがメダルを独占したことがあったが、それは「肺機能」を高めるために選手たちが冬虫夏草ドリンクを飲んでいたというのであった。
◎富裕層
香港の高層ビル。
そのバーからはきらめく夜景が眼下に見える。
着飾った富裕層はカクテル・グラスやワイン・グラスを手に、ヒマラヤの山中で撮られたという写真を物珍しげに眺めている。
「これは、スガ・ラルという一家です。この大きな岩穴に寝泊まりしています。この子はラージ」
写真の説明を聞きながら、人々はスープに入っている冬虫夏草を箸でつまみ上げ、ペロリと一口。
写真に写っている世界は、まったくこことは別世界。スープの中の冬虫夏草がその奥深い山とつながっている実感はまるで湧いてこないようだった。
それでも、その冬虫夏草はネパールの貧しい人々が命を懸けて採ったもの。
その冬虫夏草のスープが豊かな人々を長寿にするかどうかは疑わしい。だが確かなことは、それを採るために命を縮めている人々がいるということだ。
もしかしたら、お金持ちの彼がいま口にした冬虫夏草は、ラージが採ったものだったかもしれない。土にまみれた手で採られたであろうそれを、富者は上品にも箸でつまむ。
◎祭りのあと
ヒマラヤにもようやく夏の日が来た。
熱狂した冬虫夏草の季節ももう終わりが近い。
サガ・ラル一家もすでに山を降りていた。
いつまでも家の畑を放っておくわけにもいかない。
家には老婆も一人待っていた。
閑散としたヒマラヤのキャンプには、まだ祈祷師が残っていた。そして、訪ねてきた友人と雑談に興じている。
「崖から落ちたあの例の男、病院で亡くなったそうだ」と、友人は言う。
それを聞いて祈祷師は「ケガが酷すぎたな…。精根尽き果てたんだ、まだ若いのに…。女房と子どもは置き去りだ…」
静かな村に冬虫夏草のブームが到来して以来、確かに豊かになった村人はいた。だが、冬虫夏草のせいで死んだ者もいた。冬虫夏草がキノコだか虫だか分からぬように、それは毒だか薬だか判然としない。
果たして、この悲喜こもごものラッシュはいつまで続くのか。
サガ・ラルは言う。「あと15年もすれば、冬虫夏草は絶滅すると思う。だけど、もうここの生活は冬虫夏草に頼り切っている。その収入が絶たれたらどうすりゃいいんだ?」
ネパール西部ドルポ地方は、まるで冬虫夏草の菌に寄生されてしまったかのように、その生気を冬虫夏草に奪われてしまっている。
冬虫夏草に寄生されたコウモリガの幼虫は、もう虫ではない。それと同じように、サガ・ラルの村も、もう何者かに寄生され、本来の姿を失ってしまったかのようだった。
夏が来れば待っているもの。それはコウモリガにとっては他の仲間を殺すキノコの萌芽。
では、サガ・ラルの村は?
お金持ちたちが気まぐれに巻き起こすブーム、冬虫夏草の次は何に寄生するのだろうか…

(了)
出典:BS世界のドキュメンタリー
「ヒマラヤのゴールドラッシュ 冬虫夏草を求めて」