2011年09月15日

宇宙は逃げ去っている。そして、リンゴも飛び去ってゆく。ダークエネルギーが演出する奇妙な宇宙像。

宇宙は「膨張している」のか? それとも「収縮している」のか?

1998年以前、宇宙は「収縮している」と一般的には考えられていた。ところが、1998年〜現在に至るまで、宇宙は「膨張している」と考えられるようになった。

いったい、1998年に何があったのか?

それは、「ダークエネルギー」の登場である。

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リンゴが落下する様を見て、「ニュートン」は万有引力の法則を発見した。つまり、「重力」の発見である。古い宇宙観においては、ニュートンの世界がその全てであった。

しかし、ダークエネルギーというものは、重力とは全く正反対の働きをする。リンゴが落下するのではなく、宇宙の果てまで飛んでいってしまうのだ!

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リンゴを吹っ飛ばすエネルギー、これが「ダークエネルギー」である。

当然、地球上ではリンゴは落下する。しかし、宇宙の常識はその正反対なのである。宇宙はダークエネルギーによって、外へ外へと押し広げられている(膨張している)と考えられている。



1998年以前、宇宙が収縮していると思われていた根拠は、「超新星」が「減速している」と考えられていたためである。

「超新星(supernova)」というのは、その一生を終える時に「大爆発」を起こす。その時の光量たるや凄まじく、遠い遠い地球からでも見えるほどである。

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その超新星が「爆発する光」を観測することによって、地球からの超新星の「距離」が割り出せる。そして、その距離を元に、超新星がどれくらいの「スピード」で地球から離れていっているかも計算できる。

もし、超新星が遠ざかるスピードが基準値よりも速ければ、宇宙は「膨張している」ということになり、逆に遅ければ宇宙は「収縮している」ということになる。



そのスピードを知る手がかりとなるのが、光の「色」である。

色には「波長」があり、遠ざかるほどに波長は引き伸ばされ、その色は「赤味」を帯びる(赤方偏移)。

たとえば、「音」も波長であり、遠ざかるほど波長が引き伸ばされ、引き伸ばされた音は「低く」聞こえる。遠ざかるサイレンの音が低く聞こえるという「ドップラー効果」がそれである。

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1998年以前、超新星の遠ざかるスピードは、実際よりも「遅く」見積もられていた。

なぜかといえば、宇宙の「チリ」が邪魔して、観測結果が不正確であったためである。宇宙のチリが「色」を狂わせていたのである。

たとえば、「夕日」が赤く見えるのは、空気中のチリが影響している。そのため、ピーカンに晴れたクリアーな日よりも、空気中にチリや水分がある日のほうが、夕日は赤く美しく見える。

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観測技術の向上、そして次々と発見される超新星。

その結果、超新星は思っていたよりも「速いスピード」であることが判明した。

つまり、宇宙は「膨張している」と判ったのである。

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そして、この現象を説明するには、どうしても「ダークエネルギー」の存在を認めなければならなくなった。

このエネルギーはほとんど「未知のエネルギー」であるにも関わらず、宇宙には普通に存在していると考えられている。



かつて、アインシュタインは「ラムダ(Λ)」という概念を宇宙論に持ち込んだ。

今考えれば、この「ラムダ(宇宙定数)」こそが「ダークエネルギー」であった。

しかし、当時の学会ではこの「ラムダ」を説明しきれず、「物笑いのタネ」にしかならなかったという。当のアインシュタイン自身もひどく後悔し、「人生最大の過ち(biggest blunder)」とまで自虐的になっている。

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ところが、アインシュタインの「直感」は正しかったのだ。

「ダークエネルギー」なしには、現在の宇宙を説明することはできない。

現在の科学はようやく「天才の直感」に追いつくことができたのだ。



追いつきはしたが、未だにダークエネルギーのことはロクに分かっていない。

ダークエネルギーの登場により、分かっていたと思っていた宇宙がますます分からなくなった。

いや、逆に「分かっていなかった」ことが判った。

分からないことが増えたお陰で、宇宙の地平は格段に広がった。

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「宇宙は逃げ去っている ♪」

「全てはすごくシンプルなのかもしれない ♪」

「もしくは、タチの悪い冗談なのかもしれない ♪」



我々は宇宙のことを何も知らなければ、自分自身のことすら何も知らない。

知ってるつもりになれるということは、なんと幸せなことだろう。




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出典:コズミック フロント〜発見!驚異の大宇宙〜
「ダークエネルギー 発見!加速する宇宙」




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2011年08月18日

「どうせ無理」。社会を蝕む魔の言葉

「どうせ無理」

この言葉ほど「人の可能性を奪う」言葉があろうか。

そう語るのは、宇宙に「ロケット」を飛ばそうと試行錯誤を繰り返している「植松努」氏である。彼は特殊マグネット装置の製造・販売で「食い扶持」を稼ぎながら、何億円と宇宙開発に投資を続けている。



中学時代に進路を聞かれた植松氏は、「ロケットの仕事がしたい」と自信満々で先生に答えた。

ところが、「お前の成績では、『どうせ無理』だ」と先生に一蹴される。

少年時代から偉人たちの「伝記」を読むのが好きだった植松氏は、先生にけなされても、自分の想いを諦めることは決してなかった。

なぜなら、「伝記には、諦めなかった人の話しか書いていなかった」からだという。



大人になってから、植松氏は「児童虐待」を受けていた子供たちと接する機会をもつ。

親から虐待を受けた子供たちは、死にそうな目に遭いながらも、「親と暮らす日を夢見ている」と知ったとき、植松氏の頭の中に疑問が渦巻く。

「なぜ、親たちはこうまで健気な子供たちを虐待するのか?」



そして、ふと過去を思いだす。

「そういえば、強制したり暴力を振るったりして、他人の可能性を奪おうとした人がたくさんいたな……。」

「どうせ無理」という言葉で可能性を奪われた人々は、今度は他人の可能性をも奪ってしまう。自分よりも弱い人へ弱い人へと、その力は働いていく。

「これが児童虐待の大本ではなかろうか?」



可能性を奪われた人は、自分よりも弱い人の可能性を奪う。この負の連鎖は、次代へと受け継がれてしまう。

「できない理由」だけが肯定され、「できる可能性」は否定されてゆく。

「どうせ無理」という言葉は、「できない理由」すらも考えなくなってしまう最悪の言葉だと、植松氏は語る。



植松氏は、全国で「ロケット教室」を開いている。そこに参加する小学生たちは、皆「熱い想い」を持っているという。

多くの子供たちが、「無理だと思っていたことが、無理ではなかった」と感想を寄せる。



現代の教育は、こうした子供たちの「熱い想い」を活かしてやることができるのだろうか?

植松氏はこう考える。「教育とは、死なない程度に『失敗の経験』をさせてやれば良い」。植松氏のロケットは、「失敗、失敗の連続」である。

ところが、現代の教育は、「失敗させないこと」を教えるのに一生懸命である。「いい会社に入ることが教育の目的となっている。」

「いい会社とは? 売上と給料、つまり儲かる会社」



「儲かる会社=いい会社」という感覚が、「社会をダメにしている」と植松氏は思っている。

植松氏のロケット研究は、「さっぱり儲からない」。植松氏は逆に問いかける。「なんで儲からないといけないのですか?」

「ロケット研究では儲からなくとも、その経験は確実に人を育てる。」

「自分が作ったものが宇宙に飛んでいくのは、非常に面白い経験であり、その醍醐味を知った社員は、よく成長するようになる。」



植松氏の祖母は、樺太で車の修理工場をやっていたが、敗戦とともにソ連軍が侵攻して来て、全てを失ってしまった。

その苦い経験から、祖母は植松氏にこう語っていた。

「お金はくだらないよ。お金があったら、本を買いなさい。頭に入れてしまえば、誰にも取られない。その知識があれば、新しいことが生み出せる。」



「『どうせ無理』という言葉をこの世からなくしたい一念で、ロケットを作り続けています。」と植松氏は語る。

子供たちが「失敗」するのを避けさせるために、大人たちは「どうせ無理」と言うのかもしれない。

しかし、その言葉がどれほど子供たちの可能性を「否定」してしまっているかに、大人たちは無頓着である。



「従来のやり方を続けたら、『負け』が始まる。」

「失敗へと踏み出すからこそ、ゼロから一が生まれる。」

「膠着した今の日本に必要なのは、この活力である。」



教育とは、「できない理由」を教えることであろうか? それとも、「できる可能性」を教えることであろうか?

失敗しないために、一歩を踏み出さないことは賢明なことだろうか?

あえて一歩を踏み出してみるのは愚かなことであろうか?

偉い人とは、儲ける人のことであろうか?



「広大な池の溜まり水のようであるよりも、小さくともコンコンと湧き出る泉のような人間になれ」(王陽明)




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出典:致知9月号

posted by 四代目 at 21:04| Comment(4) | 宇宙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日

宇宙を知れば知るほど、「地球」という有り難さが身に染みる。宇宙から完璧に人類を守っている地球環境。

「地球」という環境は、よほどに守られている。

しかし、「宇宙」にでも行かない限り、その絶大なる「恩恵」には気づきえない。



たとえば、「重力」。

これは人類を地球に縛り付けている力だが、この強制力なくしては、ちょっとしたことをするのも一苦労である。

「無重力」空間というのは、「重力」という縛りから完全に解放された、まさに「自由」な空間である。

しかし、あまりにも「自由」すぎて、逆に「不自由」な空間となっている。

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このことは、本当の「自由」を考える上での重要な指針となる。

本当の「自由」には、適度な「制限」が必要になるのである。

ちょうど地球の重力くらいの「締め付け」は、まことに有り難いものである。



また、宇宙には「危険なモノ」がビュンビュンと飛び交っている。

その一つが、「メテオロイド(流星体)」。

メテオロイドとは、小さな砂粒や小石のような浮遊物である。

メテオロイドは小さいからといって決して侮れない。なぜなら、そんな小さい物質が、「鉄砲玉の10倍の速度」で飛んでくるのだ。

強力な鉄板ですら、何枚もブチ抜いてしまう。メテオロイドによる宇宙船の被害は、ときに致命傷とすらなる。



その恐ろしいメテオロイドに対抗すべく開発された防御材は、なんと「柔らかいスポンジ」のような材質である。

硬い金属板を何枚重ねても、メテオロイドは軽くブチ抜いてしまった。

そこで、発想を180°逆転させて、硬い素材ではなく、「柔らかい」素材で守ろうとなった。

この「柔らかい」発想が功を奏した。

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硬い素材はメテオロイドの衝撃を「一点」に受けてしまい、その結果、見るも無残に破壊されていた。

それに対し、「柔らかい」素材は、メテオロイドの破壊力を巧みに「分散」させ、見事に衝撃を打ち消すことに成功した。



「攻撃」を考えるならば、相手に攻撃(リスク)を分散されずに「集中」させたほうが、攻撃の効果は大きくなる。

しかし、「防御」を考えるのであれば、考え方は全く逆になる。いかに攻撃を「分散」させるか、この発想が最大の「防御」につながる。



この発想は、「リスク管理」そのものである。

リスクは「集中」してしまうことで大きくなる。そこで、リスクを低減するために、リスクを「分散」させる。

「卵は一つのカゴに盛るな」という、あれである。



一つのカゴに全ての卵が入っていたら、そのカゴがひっくり返れば、全ての卵が割れてしまう。

カゴを二つに分けていれば、卵の半分は被害を免れる。カゴが三つなら、被害はもっと小さい。

卵を「分散」すればするほど、割れる「リスク」は小さくなる。



宇宙空間を飛び交っているのは、メテオロイドだけではない。

人間のDNAを破壊する「放射線」も日常的に宇宙を行き交っている。

地球にいれば、有害な宇宙の放射線は、大気により無害化される。しかし、宇宙空間においては、有害なままの放射線を宇宙飛行士は浴び続けることになる。

地球という環境は、メテオロイドや放射線を、「大気」や「磁力」によって、見事に防ぎきっているのである。



さて、「宇宙服」というのも考えてみよう。

なぜ、あれほどブヨブヨで不恰好なのか?

一着「8億円」もするという宇宙服。なぜ?

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もし、人間が宇宙服を着ずに、宇宙空間へ放り出されたらどうなるか?

身体がブクブクに膨張していき、膨張に耐えられなくなった細胞は、蒸発するように、弾け散る。文字通り、人間は消えてなくなってしまう。

なぜなら、宇宙の真空空間では、細胞の中の「空気」がドンドンと膨らんでしまうからだ。

高い山にポテトチップスを持っていくと、その袋がパンパンになるが、その原理とまったく同じである。



「宇宙服」は、宇宙空間で身体が膨れてしまわないように、身体を締め付ける役割がある。

そのため、あのブヨブヨの服の中には、空気がパンパンに詰め込まれている。いわば、風船状態である。

はち切れんばかりのパンパンの空気圧が、細胞内の空気が膨れることを防いでくれているのである。



身体を守るためとはいえ、ブクブクの着グルミのような宇宙服は、極めて動きづらい。

宇宙飛行士はゴワゴワの手袋のまま、小さなネジを回したりするのだから、よほどの技術力である。



現在、スリムな宇宙服(SF映画のような)も開発しようとしているらしい。

スリムスーツは、空気で締め付けるのではなく、服自体が身体をギュッと締め上げるのだそうだ。

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そのヒントとなったのが、なんと「キリン」。

キリンの頭は、長い首で上から下へと激しく上下しながらも、頭に血が上ったり、逆に血が引いたりしない。

それは、首の筋肉が、良い具合に血管を締め付けているからだという。

その理想の締め付けを求めて、スリムな宇宙服の研究は進んでいるというが、まだまだ課題は多い。

キリンの長い首は、一朝一夕にできたものではない。そう簡単に真似することは難しいようだ。

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地球という環境は、よほどに有り難い。

一歩、宇宙へ足を踏み出せば、恐ろしく不自由な世界が待っている。

しかし、宇宙ではそれが「当たり前」で、逆に地球環境が「特殊な例外」なのである。



適度な重力があって、適度な大気(空気圧)がある。

何でもないようなことに、じつは最高の価値がある。

そして、人間という生物は、地球という「井戸」の中のカエルに過ぎないのである。



出典:地球ドラマチック
「人類は火星に行けるか!? 〜高速ロケット・宇宙服・宇宙食 開発最前線」


posted by 四代目 at 06:44| Comment(0) | 宇宙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

巨大隕石の脅威は、SFの世界から確実な現実世界に。そのとき地球は……?

「巨大隕石が、地球に激突する」

まさにSF映画の副題さながらである。



しかし、地球に隕石が衝突するのは、一般の人が思うよりも、珍しいことではない。

地球の軌道上には、5,000個以上の小惑星がウヨついており、小さいものだったら、しょっちゅうブツかって来る。たいていのものは、その小ささから「流れ星」となり、地表まで到達することはない。

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地球が宇宙空間を漂っている限り、大小に限らず、星同士のぶつかり合いは不可避である。

むしろ、地球に何も衝突しないと考えるほうが、非現実的であり、必ず「いつか」は、大きな衝突がある。



地表にダメージの痕跡を残すほどの大きな隕石は、現在確認されているだけで200近くある。

それらの痕跡は、「クレーター」として世界各地に残されている。

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現在確認できる最大の痕跡は、メキシコ・ユカタン半島のものであろう。

およそ6,650万年前、巨大恐竜が全盛を誇っていた時代(白亜紀)に、その巨大隕石(直径10km)は、地球を直撃した。

残されたクレーターの直径は170kmという巨大さ。

大爆発が起こったことは容易に想像されるが、爆発後に立ち昇った「噴煙」は、地球の気候をガラリと変えてしまった。

朦々と立ち込める「チリやホコリ」は、太陽光を遮り、地球の気温は急低下。これが「氷河期」につながり、王者・恐竜たちは地球から姿を消したとされている。



人類の歴史上、もっとも最近の巨大隕石は、今から100年ほど前の1908年、ツングースカ(ロシア)に激突した。

爆心にあたった半径30kmの森林は一瞬で炎上。爆風をうけた2,000平方kmの一帯全域の木々は、すべて薙(な)ぎ倒された。

その破壊力は、「水爆(原爆の数千倍の威力)」なみであったという。



幸い、その一帯は無人であったために、人的被害はなかったとされるが、破壊の規模たるや、大都市をすっかり破壊し尽くしてしまうほどに巨大であった。

もし、あと数時間、隕石の衝突が遅ければ、隕石はロシアの首都・サンクトペテルブルグに直撃し、一瞬にして、大都市を消滅させていただろうと言われている。

いつ、どこに隕石が落ちるかは、まさに「神のみぞ知る」領域である。



恐竜を絶滅させるほどの巨大隕石(直径10km)の衝突は、「一億年に一度」と言われており、めったなことではお目にかかることはない。

しかし、ツングースカ(ロシア)程度の隕石であれば、「数百年に一度」は起こるのではないかと言われている。

人類が核戦争をおっぱじめなくとも、それに匹敵する大破壊が、数百年に一度はもたらされるということである。



7年前(2004)のクリスマス、あるニュースが世間を騒然とさせた。

それは、「巨大隕石が地球に衝突する」というニュースであった。2029年に、「300分の1」の確率で、地球を直撃するというのである。

その後の調査で、その確率は予測の10倍近くの「37分の1」にまで高まり、科学者たちは慄然とした。



その小惑星の直径は400m。ツングースカ(ロシア)の隕石の10倍以上の巨大さである。

大都市一つどころか、国一つをも破壊しかねない。

その恐怖の小惑星は、「アポフィス」と命名された。「アポフィス」とは、エジプト神話における「悪の化身」である。アポフィスは、太陽神ラーの行いを邪魔し、世界に闇と混沌をもたらすのである。

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小惑星が衝突すると、地球全体が「チリやホコリ」に覆われる。

火山が爆発して、火山灰が大気中に漂うようなものである。火山灰ですら、飛行機は飛べなくなり、太陽光を遮り、気温を低下させる。

1991年のピナツボ火山(フィリピン)の大噴火は、20世紀最大と言われているが、その火山灰により、太陽光は5%減少。北半球の「気温は0.6℃低下」したという。



小惑星アポフィスの衝突は、火山の比ではない。

およそ3ヶ月にわたり太陽光が遮断され、地球が寒冷化する危険性があった。

小惑星がどこへ落ちようとも、その被害は確実に世界的なものになることが判ったのである。

まさに「恐怖の大王」である。



世界中の科学者たちは一致団結して、世界中の天体望遠鏡をその小惑星に向け続け、あらゆる情報を共有した。

その結果、恐怖のアポフィスは、「僅差」でギリギリ地球に激突しないことが判明した。

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ほっと一安心ではあるが、アポフィスだけが唯一の危険ではない。

今この瞬間にも、未知の小惑星が地球に向かって飛んできているかもしれない。

地球の軌道の一つ外側の「火星」と、さらに外側の「木星」の間は、「小惑星帯」と呼ばれ、何百万もの小惑星が密集している。

小惑星が、火星や木星などの引力に引っ張れれると、その軌道が変わり、地球の軌道にからんでくる可能性がある。

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アメリカの「マイナープラネットセンター」には、そうした小惑星の情報が、世界中から集まってくる。

現在、小惑星を発見する方法は、天体望遠鏡の画像から、人間の目で探し出すより他にない。

世界中の研究者たちは、日々、小惑星の観察を続けているのである。

小惑星アポフィスも、そうして見つけられた小惑星なのである。



この小惑星対策は、世界一丸となって行われている。

地球上では、利害関係で反目する各国も、宇宙の脅威は、共通の利害である。

宇宙に対して、「政治的」な駆け引きは通用しない。

「ぶつかられるか?」「避けられるか?」だけである。



迫ってくる小惑星に対して、人類は無策ではない。

2005年、アメリカのディープインパクト計画の成功は、小惑星に弾丸を打ち込むことが可能であることを、世界に知らしめた。

ディープインパクトの放った弾丸(インパクター)は、超高速で移動する「テンペル第一彗星」に、見事命中した。

両者の距離は88万kmと離れていたにもかかわらず、インパクターは自分のカメラで彗星を自動追尾。軌道を3回変えて、巧みに標的を仕留めた。

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前世紀において、巨大隕石衝突を語る研究者は、単なる笑い者であったが、21世紀に入り、それら荒唐無稽の話が、現実であるということが明らかとなった。

そして、その惨劇を避けうる方法までが、現実化している。



宇宙に目を向けることで、地上の出来事が、取るに足らない些事に思えることもある。

かつて反目していたアメリカとソ連は、現在、協力して国際宇宙ステーションを建造している。

小さな世界に満足してしまうと、他人に厳しくなってしまうが、より大きな世界を眼前にすることで、より寛大な自分を見出すこともある。



宇宙の脅威ともなれば、世界は一つにならざるをえない。

国家機密・企業秘密などと言っていては、みんな一緒に「お陀仏」である。

小惑星は脅威であると同時に、世界の新しい指針を示してくれる貴重な存在でもある。



生粋の経済人にとって、宇宙開発はあまり歓迎されない予算の一つかもしれない。仕分けの格好の餌食ともなりねない。

しかし、世界の各国は、国防に多大な予算をつぎ込んでいる。ある意味、宇宙開発は国防である。国家防衛どころか、地球防衛である。

核兵器を持つ以上に、重要な安全保障対策でもある。核の脅威は、政治的な解決が期待できるが、小惑星の脅威は、ずっと冷酷かつ非情である。



地球上の超古代文明は、宇宙的な関与により滅んだとされる説も根強い。

必ず終わりは来るであろう「現代文明」には、いったいどんな結末が用意されているのだろうか?

科学技術は何のためにあるのだろうか?

現代文明を滅ぼすためでないことは確かである。



出典:コズミック フロント〜発見!驚異の大宇宙〜
「IMPACT(インパクト)迫りくる天体衝突」


posted by 四代目 at 09:42| Comment(0) | 宇宙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

スペースシャトルあっての大事業「国際宇宙ステーション」。世界平和への記念碑的な意義。

今、宇宙にいるスペースシャトルが地球に帰還すれば、それで「シャトル時代」に幕が引かれる。

スペースシャトルは、1981年の初打ち上げ以来、20年間で130回以上、地球と宇宙の往復を繰り返した。

人類が宇宙に送り込んだ1165人の宇宙飛行士のうち、実にその7割がスペースシャトルに乗って宇宙へ飛び立ったのである(この中には、7人の日本人も含まれている)。



スペースシャトルの数ある功績の中でも、「国際宇宙ステーション(ISS)」の存在は際立っている。

このプロジェクトは、技術的な偉業であると同時に、「政治的」な金字塔でもあるためだ。



第二次世界大戦後、東西冷戦などと言って、世界を二分する対立が「アメリカ」と「ソ連」を中心にして繰り広げられていた時代があった。

米ソのイガミ合いは、「あわや核戦争か?」という緊張の連続。

宇宙開発においても、熾烈なロケット打ち上げ競争を展開。ソ連が初めて人間を宇宙空間に送りこむや、アメリカは負けじと「月」に足跡を残して国旗を立てる。



そんな「水と油」、「犬と猿」であった両国が、なんと協力して「国際宇宙ステーション」を造りあげたのである。

すなわち、「国際宇宙ステーション」は「世界平和」へ向けた記念碑ともいえる存在なのである。



結果的には、米ソ協力のもとに進んでゆく「国際宇宙ステーション」計画であるが、事の起こりは、アメリカがソ連を出し抜こうとした、完全なる「政治的思惑」が大元にはあった。

しかし、ベトナムを戦地とした米ソの争いは泥沼化。アメリカの財布は、「すっからかん」になってしまった。

もはや、単独では「金食い虫」の宇宙事業の継続が絶望的となる。



かたや、ソ連も連邦が崩壊し、ロシアとして再スタート。

ソ連崩壊の混乱は、ロシアの経済を極端に悪化させ、その「金欠ぶり」はアメリカの比ではない。

財布が空っぽどころか、借金を雪だるま式に重ね、挙げ句の果てには、借金を返せなくなってしまうほどに困窮した。



米ソが争っていられたのは、両者ともに「お金という力」に満ち溢れていたからであって、その「力」を失ってしまっては、イガミ合ってばかりもいられなくなってしまったのである。

そんな「呉越同舟」的ともいえる消極的な理由から、アメリカとロシアは、「国際宇宙ステーション」で協力する結果に至るのである。

一昔前であったら、夢物語のような協力が、ここに成立したことになる。



「国際宇宙ステーション」の費用は、1540億ドル(12.3兆円)。この額は、人類史上、最も高額なプロジェクトである。

建造のために、宇宙船が往復した回数は、今まで50回以上。そのうちの約40回が、スペースシャトルによるものである。

スペースシャトルが、宇宙と地球を行き来した回数の、およそ3回に一回が、「国際宇宙ステーション」に関わるものであった。

まさに、国際宇宙ステーションは、スペースシャトルあっての大事業だったのである。



しかし、スペースシャトル退役後は、アメリカの次なる計画は未定である。

国際宇宙ステーションの事業は、まだ完了したわけではない。

今後の指針はどうなるのか?



かつて、国際宇宙ステーションは、世界の勢力図を、如実に映し出していた。

現在、プロジェクトに関わる15ヶ国は、アメリカ、ロシア、欧州各国、カナダ、日本などなど、いわゆる先進諸国のみである。

今後の覇権を考えると、新興国である「中国とインド」は、確実に頭角を現してくるだろう。



高齢化が進み、年老いてゆく先進国。今から脂がのってくる新興国。

合理的な頭で考えてしまうと、宇宙計画は「無駄」な側面ばかりが誇張されてしまう。訳知り顏のご老体には、向かない仕事なのかもしれない。

「夢」的な魅力を追いかけられるのは、若き獅子たちであろう。



地球上にばかり目を向けていると、ケンカが絶えることのない世界であるが、ひとたび、視線を「宙(そら)」に転ずれば、つまらない争いをしていられないほど夢中になることができる。

自分が「知っている」と思っていることに対しては、「アラ」ばかりが目立ってしまうが、「知らない」と思うことには、俄然「好奇心」が刺激され、知れば知るほど、面白くなってゆく。



宇宙計画の無駄を語り始めたら、つまらない争いの始まりかもしれない。その目は下ばかりを向いてしまう。

たとえ無駄と分かっていても、あえてやりたい魅力のあることは、確実に存在する。

それは「経済的」な考えとは対極である。経済の目的の一つは、徹底的に「無駄」を省くことにあるからだ。

無駄と分かってやることは、経済的には「愚の骨頂」である。



「愚公、山を移す」の故事は、示唆的である。

無駄の積み重ねが、大業に至ることもありうる。

経済最優先の発想が、未来を明るくするとは限らない。

予期せぬ希望は、経済の盲点に潜んでいるかもしれない。



「老驥櫪に伏すとも、志千里に在り」

年老いた馬(老いた英傑)となり、身体の自由は効かなくなろうとも、志だけは、はるか千里のかなたを夢見ている。

中国・三国時代の最大の大国、魏の建国者・曹操の言葉である。




関連記事:
日本の誇る宇宙飛行士・若田光一氏。恐怖の上に夢を見る。

宇宙に暮らすという人類の夢。米露の融和が導いた宇宙ステーションの歴史に想う。



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