2011年12月01日

なぜ、日本は国産ロケットにこだわったのか? H2シリーズに結晶化したその高い技術力。


日本にも「国産ロケット」ある。

「H2シリーズ」と呼ばれるロケットが、それである。

それらは「人工衛星」を打ち上げるためのロケットで、H2(1994〜1999)に始まり、H2A(2001〜)、H2B(2009〜)と発展を遂げている。

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なぜ、日本は「国産」にこだわったのか?

その理由を探るべく、日本のロケットの歴史を見ていきたい。



時を第二次世界大戦まで巻き戻してみると、戦争に敗れた日本は、戦勝国から宇宙開発を「禁じられて」いた。

なぜなら、当時の宇宙開発というのは軍事開発の別名であり、宇宙競争というのは、そのまま軍拡競争であったのである。



戦争に敗れた国(日本)は、軍事に直結する宇宙開発を許されるはずがない。

日本の優れた戦闘機などの航空技術は、戦勝国の手によって徹底的に破壊され、その分野は広野と化してしまった。



戦後の日本が初めて開発したロケットは、「ペンシル・ロケット(1954)」。

その名の通り、長めの鉛筆(ペンシル)程度のロケットであった(全長わずか23cm)。

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このオモチャのようなロケットでも、日本のロケット技術は着実に育まれていった。

その技術は、ベビー・ロケット(1955)に引き継がれ、その後、アルファ・ロケット(1957)、シグマ・ロケット(1961)などへと発展していくことになる。



そうした細々としたロケット開発にとって、伊勢湾台風(1959)は大きな転機となった。

この猛烈な台風は「明治以来最大」であり、全国に渡って甚大な被害をもたらした(犠牲者5,000人以上)。

GDP比の被害額では、関東大震災に匹敵し、阪神淡路大震災の数倍に達するほどであった。



「気象衛星があれば、台風の被害を軽減できたのではないか?」

そうした声の高まりとともに、「実用衛星」を早急に求める世論は高まる。

しかし、戦後にゼロからスタートした日本の技術では、まだまだ実用化は遠かった。



ここに手を差しのべてきたのはアメリカ(デルタ・ロケット)。

協力したアメリカ側も、アメリカが日本のロケット開発を管理下に置くことで、軍事利用(弾道ミサイルなど)を監視できると好都合であった。



日本はアメリカの技術を導入することで、日本初の人工衛星(きく1号)を打ち上げることに成功する(1975)。

この時の「N1ロケット」が、日本では本格的なロケットの鏑矢となった。

N1ロケットは次々と人工衛星を打ち上げ、着々と成果を上げていく。



しかし、問題が起こった。

1980年に打ち上げられた人工衛星「あやめ2号」が、高度3万6,000kmで「行方不明」になってしまったのだ。



原因は何か?

「アメリカ製の小型エンジン」ではないか?

ところが、アメリカのメーカーに説明を求めても、一切ノーコメント。企業秘密の一点張りである。



日本が供与を受けていたアメリカの技術は全て「ブラック・ボックス」の中。

その設計図は、エンジンの形のみで、内部はすべて空白であった。

ここに至り、日本の技術者たちは「国産」の必要性を痛感するのである。



開発者の一人である五代富文氏は当時を想い、こう語る。

「順調にいっている時はいい。

だけど、ロケットは必ず失敗する。

その失敗の原因が究明できなければ、同じ失敗を繰り返すしかなくなる」



こうして始まったのが「H2ロケット」の開発である。

「お金がない。技術がない。人がいない。」

そんな「ないない尽くし」の手探りによるスタートであった。



宇宙への道に大きく立ち塞がっていたのは「5秒のカベ」と呼ばれるものであった。

エンジンに点火してから「5秒」。

この壁が超えられずに、多くのエンジンは5秒以内に「大爆発」を起こし続けた。

地球を飛び出すには、最低でも「350秒」はエンジンが安定して燃焼してくれなければならない。

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試行錯誤の末に、何とか「5秒のカベ」を克服したかに見えた。

しかし、本番の打ち上げを1年後に控えたある実験で、またもや「5秒のカベ」に行く手を遮られてしまう。



悪夢ふたたび。まさかの大爆発(4.7秒後)。この大失敗により、計画は2年間の遅れを余儀なくされる。

5秒の壁とは、それほどに大きな壁であった。



原因は何か?

国産であるから究明は可能であった。同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。

浮かび上がってきた原因は…、わずかな「溶接の跡」であった。



「溶接」というのは、部品同士をつなぎ合わせることであり、その繋ぎ目に「わずかな段差」があったのだ。

そして、その段差に力が集中してしまい、結果的に破損してしまっていたのである。



さらに調べると、それらの溶接跡が「機械」によるものであることが判明した。

卓越した職人の手による溶接は、まったく段差がない。ところが、機械による溶接にはわずかなムラがあったのだ。



それは、ミクロン単位(1000分の1mm)。たとえミクロンといえども、侮れない。

このミクロン(1000分の1mm)の狂いは、高速回転する部品などでは、遠心力によって100kgを超える力を生じることもあるのだ。

宇宙技術というのは、それほどに精緻な世界であり、その狂いが大惨事を生むのである。



溶接の跡を消すべく、職人たちは磨きに磨いた。何十時間も何百時間も磨き続けた。

最後の頼りは、職人の指先の感覚のみ。決して機械ではできない領域の仕事であった。

こうして、1000ヶ所以上の繋ぎ目がキレイに消えていった。



そして、迎えた打ち上げの日(1994年2月)。

初の純国産ロケット「H2ロケット」は、心地良い爆音とともに宇宙の空へと飛び立って行った。

ボルト一本から塗装に至るまで、隅の隅まで「Made in Japan」のロケットは、見事に宇宙の高みへと届いたのである。

30cmにも満たなかったペンシル・ロケットから始まったその歴史は、ここにひとまずの勝利を得ることとなった。

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しかし、「ロケットは失敗するもの」である。

5度の連続成功の後、H2ロケットは痛恨の2度の連続失敗を喫する(1998・1999)。

心ないメディアは騒ぎ立てる。「H2ロケットまた失敗」「343億円がムダに」。



原因は?

再びこの問いが鎌首をもたげる。

原因究明のためには、失敗して海に落ちたエンジンの現物を調べる必要があった。

しかし、落ちた箇所は太平洋。砂丘に落とした米粒を拾うほどに困難なミッションであった。



それでも、H2ロケットのエンジンは海中で奇跡的に見つかった。

開発者たちの執念のなせる技か。

同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。何としてでも原因を究明しなければ、先へは進めないのである。



問題の原因は、エンジンに燃料を送る部分にあった。

ごくわずかに生じた振動が増幅され、それが大爆発を引き起こしていたのだ。



ふたたびミクロンの世界に戻り、調整を続ける。

その成果は、次のH2Aロケットとして、さらなる進化を遂げた。

この新ロケットの性能は他国を凌ぐことともなった。打ち上げ能力を単位重量で換算すれば、スバ抜けて高性能であったのだ。

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しかも、開発コストの「安さ」もケタ違いだった。

それは「円高」という苦難が、コスト競争力を奪った苦い経験によるものでもある。



従来のH2ロケットの打ち上げコストは一機当たり190億円。国際平均100億円の2倍近い額だった。

なぜなら、開発当初は1ドル240円ほどだったのが、いつの間にやら1ドル100円以下になってしまっていたのである。

そのため、跡を継いだH2A、H2Bでは、とりわけ開発費を抑えることに注力されたのである。



先の五代氏は語る。

「飛行機の歴史とて、まだ100年。

宇宙開発などは、まだ50〜60年。

まだまだじゃないですか」



このグローパルな時代にあって、あえて国産に固執する意味は確かにあった。

安穏とした時代であれば、他国は喜んで協力してくれる。

しかし、ひとたび苦難に直面すれば…、頼れるのは自分の足元以外には何もないのである。



もし、アメリカから技術供与を受けたN1ロケットのように、失敗の原因が究明できないのであれば、そこからは一歩たりとも前へ進めない。

日本のロケット開発者たちは、その不利を一度の失敗で悟り、その後の失敗の原因は一つ残らず克服しながら進んで行った。



ロケット開発においては、国産という選択肢が最も近道だったのである。

日本のロケット技術は、そのおかげで確実に前進を続けている。

ないない尽くしの苦境にありながらも、彼らが最初の選択を誤ることは決してなかったのである。



今後ともに、種子島の宇宙センターからは、次々と日本のロケットが飛び立っていくのであろう。

過去に殺生の道具として「鉄砲」が伝来したというこの地から、今では「平和」に向けたロケットが打ち上げられるというのも、奇縁な話である。




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2011年11月17日

「ブラックホールを見てみたい!」、その欲望が開いた宇宙への新たな扉。


「怪しいげな科学者たちが『ブラックホール』を作り出そうとしているらしいぞ…」

「何っ!そんな恐ろしいモノができたら、地球がスッポリ飲み込まれてしまうではないかっ!」

「今すぐ、止めさせろっ!」



ウソのようなホントの話である。

フランスとスイスの国境には、CERN(欧州原子核研究機構)というトンでもなく巨大な地下実験装置(山手線ほどの巨大さ)があり、その施設で「ブラックホール」を生み出す実験が、まさに行われているのである。

その怪しげな地下活動に世間は騒然となり、新聞ザタにまでなった。



「たとえ、小さなブラックホールだとしても、次々と物質を飲み込んでいくはずだ。

そうなれば、針の穴ほどだったブラックホールがみるみる巨大化し、ヨーロッパを吸い込み、ついには地球までも…。

小さいからと言って、穴どれないぞっ!」

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その辺りを、科学者に聞いてみよう。

「心配は御無用。地球上では今この瞬間でも、小さなブラックホールが次々にできていて、そして、それらはすぐに消滅している」



CERNがブラックホールを作り出す原理は、「陽子」同士をほぼ「光速」で正面衝突させることによるものである。

しかし、陽子同士のそうした衝突は、宇宙から降り注ぐ陽子が地球にぶつかって四六時中おきているというのである。



それでも、地球はまだそれらのブラックホールに飲み込まれることなく、存在している。

つまり、実験施設でブラックホールを生み出しても、その小さな小さなブラックホールは、すぐに消えてなくなってしまうのだそうだ。



ところで、ブラックホールとは何ぞや?

ブラックホールは「光」をも吸い込んでしまうために、目で見ることができない。

そのため、ブラックホールは人々の頭の中に描いた「概念」でしかない。それでも、歴史上の人々は、この「机上の空論」を巡って、激論を戦わせてきた。



まず、光を閉じ込めてしまう星を想像してみる。

星には、外側のモノを星の内側に引っ張る力「重力」がある。そして、この重力は「星の大きさ」によって変化する(大きい星ほど重力は大きくなる)。

もし、その星から脱出しようとするには、その星が重力で引っ張る力を振り切るほどの「スピード」が必要である。

たとえば、地球ならば、秒速11kmというスピードで重力を振り切れ、脱出が可能となる。



光のスピードというのは、秒速30万km。

もし、光のスピードよりも重力の引っ張る力のほうが大きければ、理論上、光は星の外側に出ることができなくなり、あるはずの星が見えなくなる。

こう考えたのは、引力を発見したニュートンである。

「そこにあるはずなのに、見えない星がある(理論上)」。この発想がブラックホールへの鏑矢となった。



次に現れたのは、天才物理学者・アインシュタイン。

彼の相対性理論に従えば、星の重力は外部のモノを引き寄せるだけでなく、星の存在する「場(空間)」をも、その重さで歪めてしまう。



ということは、重たい星ほど空間は大きく歪み、その星のある場所は「へっこむ」。

たとえば、柔らかい布団の上にバスケットボールを乗せれば、布団がへっこみボールが沈み込む(布団が宇宙空間であり、ボールが星である)。

もし、その星が極度に重かったら、そのヘッコミは「底なし沼」のようになってしまう。つまり、ブラックホールだ。



オニギリをギュッと固く握りしめるように、星をギュッと凝縮すれば、その星はホーガン玉のように重たくなり、宇宙空間を大きく歪めることになる。

もし、太陽を半径3kmにまで凝縮すれば(約46万分の1)、その重さで宇宙に底なし沼の穴があく。地球であれば、半径9mmまで圧縮することにより、そうなる。

この数値を「事象の地平線」と呼び、その星がどれほど圧縮されればブラックホールになるのかを表している。



この「事象の地平線」では、じつに奇妙なことが起こる。

「時間が止まる」のである。



アインシュタインの相対性理論に従えば、重力が増すほどに空間が歪み、時間は遅くなってゆく。

つまり、無限に歪んでいるブラックホールに近づけば近づくほど、時間は遅くなり続け、ブラックホールに達するや、ついには時間が止まってしまうのである。



奈落の底に落ちていくにも関わらず、その落ちるスピードは段々とスローモーションになっていき、完全に落ちたと思った時には静止しているのだ。

信じ難い現象である。しかし、この奇妙な様を見ることはできない。なぜなら、ブラックホールに近づくほどに、光が吸い込まれてしまうからである。

ブラックホールに近づくにつれて、吸い込まれる姿は薄く霞んでゆき、完全に静止したときには、視界から消えてしまうのである。

見えなくなっても存在しているのか?それを存在と呼ぶのか?

あたかも、死後の世界のようではないか。

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ところで、現実として、星はどこまで凝縮されるのか?

星が現在の大きさを保っていられるのは、縮もうとする力と膨らもうとする力が完全に「拮抗」している(釣り合っている)からである。

縮もうとする力が「重力」であり、膨らもうとする力が「熱エネルギー」である。



ところが、星が年老いるにつれて、膨らもうとする力が衰えてゆく。

そうすると、星は自らの重力で収縮してゆく。

縮むといっても限界はある。その限界に達した星の一つが「白色矮性(半径1万km程度)」だ。小さめの星(太陽質量の1.4倍まで)の最後の姿である。

なりは小さいが、その重力たるや強烈である。



もう少し大きな星(太陽質量の3倍まで)になると、「中性子星」というサイズにまで縮む(半径10km程度)。

さらに大きな星になると…、ブラックホールになる。現在の理論では、そういうことになっている。

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白色矮性や中性子星は「肉眼」でも確認できる。

しかし、ブラックホールとなると、そうはいかない。光を一切発していないからだ。

「それでも見たい!」というのは、人間の飽くなき願望である。



欲求あるところに現実あり。そうしたワガママに応える人物も現れた。

行き詰まっていたブラックホール理論に風穴を開けたのは、日本人物理学者「小田稔」氏である。

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ブラックホールは「光」を発しないが、何かを吸い込むときに「X線」を発することが分かっていた。

しかし、X線は地上に届かない。地球の大気圏に吸収されてしまうからだ。

そこで、小田氏は成層圏まで自作の気球を飛ばしてやった。その気球には、彼の編み出した秘密兵器が乗っていた。

それは「すだれコリメーター」と名付けられたもので、スダレのようなシマシマの隙間がある2枚のプレートを重ねて見ることで、X線の「方角」を特定できるものだった(当時、X線は感知できても、その方角は曖昧だった)。



小田氏のスダレにより、かなりブラックホールの所在地が特定されてきた。

その後、世界は彼の研究に乗っかり、1970年にはX線観測衛星「ウフル」が打ち上げられるまでになる。



そして…、ついに…、人類初「ブラックホールの発見」という瞬間が訪れた。

その初のブラックホールは「はくちょう座」の首元にあった。

黒い穴(ブラックホール)が、まさか白い鳥(白鳥)のもとに息をひそめていたとは…。

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その特定のカギとなったのは、ブラックホールの目と鼻の先に位置していた「巨大な青い星」の不審な挙動であった。

その星は、巨大であるにも関わらず、何かの周りを「公転」しているようだった。しかも、たった5.6日という短い時間で。



巨大な星を公転させるには、その星をはるかに上回るさらに巨大な重力で必要である。

それほど、巨大な重力を持つ星ならば、当然見えるはずだ。大きな重力を持つ星ほど大きいはずなのだ。

ところが、そんな星はどこにも見当たらない。見えないのに巨大な重力があるということは…?



その「何か」は、ブラックホール以外には考えられなかった。

その「あるはずの場所」からは、ブラックホール唯一の痕跡ともいえる「X線」が明らかに確認されていた。

こうして、めでたくブラックホールが公式に認定されたわけである(はくちょう座X-1)。

机上の激論は、ここにひとまずの解決を見た。机上の光をさえぎるスダレが、決定打を呼び込んだのである。

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それでも、科学者たちの欲求は治まらない。

いや、むしろこの発見に触発されて、欲求はさらに高まってしまったかのようだ。

「是非、ブラックホールをこの目で見てみたいっ!!」

見えないと分かっていながら…、もはや頭の良すぎる子供である。しかし、この飽くなき欲望こそが、人間の原動力なのでもあろう。



ブラックホール自体は見えないものの、ブラックホールに光が吸い込まれていく様は見えるかもしれない。

その結果、光に縁(ふち)取られたブラックホールの影が見えるかもしれない。それが、ブラックホール・シャドーである。



これを見るには、超超巨大な望遠鏡が必要だ。

そして、その精度は、東京から富士山のテッペンに立つ人の「ウブ毛」を分析できるくらいに正確でなくてはならない。

これが、科学者たちの次なる野望である。



しかし、この野望は決して荒唐無稽な話ではない。

地球上に散らばる電波望遠鏡を連結することにより、地球ほどの大きさの望遠鏡を「仮想化」できる可能性があるのである。

これはまさに「デジタル」の賜物(たまもの)。アナログでは本当に巨大な望遠鏡を造らなければ実現できないことが、デジタルならば、分断化されたものを再統合することが出来るのだ。

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欧米文明は分析に次ぐ分析、分解に次ぐ分解で、世界を断片化してしまったと批判する東洋思想家もいる。

しかし、その断片化された世界は、人間の知恵により再び組み上げることもできる。

現在、科学者たちが試みている計画は、統合のための分解なのである。それは「1 + 1」が「2」以上の答えを生むものである。



「見えないものでも、あるんだよ」

そう詠んだ詩人もいた。それは真昼の星を意味していた。夜になれば見える星である。



しかし、ブラックホールは夜でも見えない。

それでも科学者たちは信じ続けた。まさに闇雲に。

「見えないものでも、あるはずだ」。



ブラックホールは、そうした執念の結晶であった。

そして、その執念は道なきところに道を拓き、その道は白鳥のもとまでつながっていた。

黒を求めて、白に至る。



光があるから、闇もある。

陰陽論には、「陽、実すれば、陰、実する」という考え方がある(陰陽制約)。

ブラックホールの発見は、まさにこの言葉通りのものであった。



「光」を追い続けていた宇宙論は、「闇」を追う時代にまで歩を進めて来ている。

いよいよ、人類は宇宙の真相へと迫る扉を開いたのかもしれない。



宇宙を知る「楽しみ」は尽きることがないようだ。

科学者たちの好奇心は、モノ凄いスピードで湧き出し続けている。さすがのブラックホールでも吸い切れないほどに…。

その好奇心は、いずれブラックホールを脱出できるほどのスピードに達するのではなかろうか?




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宇宙は逃げ去っている。そして、リンゴも飛び去ってゆく。ダークエネルギーが演出する奇妙な宇宙像。

宇宙からの微弱な電波をもキャッチできる夢の望遠鏡「アルマ」。ますます鮮明になる宇宙像。



出典:コズミック フロント〜発見!驚異の大宇宙〜
驚異!ブラックホール 頭脳がみつけた奇妙な天体


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2011年10月21日

宇宙からの微弱な電波をもキャッチできる夢の望遠鏡「アルマ」。ますます鮮明になる宇宙像。


「宇宙には地球のような惑星が他にあるのか?」

「生命はどのようにして誕生したのか?」

普通の人はこうしたことに興味はあっても、決して真剣に問い詰めたりはしないだろう。ところが、天文学者という人々は、これらの問いに対して恐ろしいほど真剣にガチンコ勝負を挑んでいるのである。



これらの問いの解に一歩近づくための最強のツールが、南米チリのアタカマ高地(標高5,000m)に着々と建設が進んでいる。

その最強のツールとは、「アルマ望遠鏡」のことである。

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この望遠鏡の優れた点は、宇宙から降り注ぐ「電波」を感知できることである。

一般的に、望遠鏡といえば「目で見て」観察を行う。つまり、「目に見えるモノ」を観測する。こうした普通の望遠鏡を「光学式望遠鏡(目に見える光をとらえる望遠鏡)」と呼ぶ。

これに対して、アルマ望遠鏡は「目に見える光」ではなく、「電波」をとらえるのである。つまり、アルマ望遠鏡は「目で見えないモノ」まで見ることができるのである。



具体的に言えば、「目で見えるモノ」とは「星そのもの(光)」であり、「目で見えないモノ」とは「星と星の間の空間(闇)」である。

しかし、なぜ、宇宙の「闇」を観察する必要があるのか?

それは、星々はこの闇から生まれるからである。

星そのもの(光)だけを見ていては、星が完成した「結果」しか分からない。ところが、宇宙の闇を見ることで、どうやって星が誕生するのかという「原因」を知ることができるのである。

つまり、宇宙の起源、そして生命の起源を探るには、この闇を詳細に分析することが一番の近道なのである。



従来の望遠鏡は「光」を徹底的に追い求めるモノだった(光学式)。

望遠鏡はその筒(口径)が太ければ太いほど、ハッキリとよく見える。

ハワイにある日本の「すばる望遠鏡」などは、口径が「8.2m」もある世界最大級のものである。光学式望遠鏡においては、「過ぎたるは及ばざるが如し」ということは決してない。デカければデカいだけ(太ければ太いだけ)スゴイのだ。



ところが、地球は水の惑星だけあって、その大気は水蒸気に満ちている。

そのため、地上から宇宙を見ると、地球を覆う水蒸気が邪魔して宇宙の像が歪んでしまう。地球から宇宙を見るのは、水中から空を見上げるようなもので、常にユラユラと像が揺らめいてしまうのである。

それならいっそのこと、「望遠鏡を宇宙にブチ上げてしまえ」と言って、宇宙に打ち上げた望遠鏡が「ハッブル宇宙望遠鏡」である。



ハッブル宇宙望遠鏡の太さ(口径)は「2.5m」である。

すばる望遠鏡の「8.2m」に比べれば大分細く感じるかもしれないが、宇宙空間には水蒸気がないため、その像は実にクリアーである。

水中から空を見上げるのと、水から上がって空を見上げるくらいの大きな差になる。そのためハッブルの口径は、地上の口径「10m」に匹敵すると言われている。

ちなみに、ハッブル宇宙望遠鏡のサイズは、その運搬役となったスペースシャトルが運べる最大のサイズであった。



ハッブルは実に遠くの宇宙までよく見えた。

宇宙においては、遠くを見れば見るほど、それは「過去」を見ることにつながる。

なぜなら、宇宙の果ての光がハッブルに届くまでには何万年〜何億年とかかるために、その観測した光も何万年〜何億年前のものであるからである。




はたして、光学式の望遠鏡はどれほどの過去(遠く)を見ることができたのか?

今年(2011年)7月、ヨーロッパ南天天文台の望遠鏡が、「129億年前」のクエーサー(星のように見えるが詳細は不明)を発見したというニュースがあった。

また、岡山天体物理観測所では、「131億年前」のガンマ線バースト(巨大爆発)の光をとらえることに成功している(2009)。



宇宙のはじまりは「137億年前」と考えられているので、これらの発見は宇宙の起源に「あと数億年」まで迫ったことになる。

しかし、光をとらえる望遠鏡(光学式)では、この辺りが限界と考えられている。

なぜなら、「赤方偏移」と呼ばれる現象が観測の邪魔をしてしまうのである。

赤方偏移とは、宇宙が外側へ向かって急速に膨張している現象の結果起こるものである。そのため、宇宙のはじまりを見ようとしても、強烈な向かい風を受けて外へ外へと押し出されてしまい、なかなか前へ進めなくなってしまったのである。



そこで、登場したのが「電波」をとらえる「アルマ望遠鏡」なのである。

光を邪魔する赤方偏移も、電波であれば逆に明るく見えるのだ。これこそ、闇を探る電波ならではの芸当である。

そのため、アルマ望遠鏡は宇宙の起源ともされる「暗黒時代」をも見透せると期待されているのである。

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しかもアルマ望遠鏡は、宇宙に浮かぶハッブル望遠鏡よりも「目が良い」。

アルマ望遠鏡の精度は、ハッブル望遠鏡の「10倍」と言われている。

アルマ望遠鏡は、東京にいて大阪に落ちている一円玉をも見つけることができるのだとか。



電波望遠鏡の性能は、光学式と同様、そのサイズによって決定する。

しかも、電波の波長は光(目に見える光)よりも1,000倍長いため、普通の望遠鏡の1,000倍の大きさがあって初めて同等の解像度を得ることができる。

つまり、電波式でハッブル望遠鏡(光学式)と同じ解像度を得るには、ハッブル(2.5m)の1,000倍、すなわち2.5kmのサイズが必要になる。

しかも、前述の通り、地上からの観測では大気の水蒸気が邪魔してしまい、宇宙からの解像度よりも精度がグンと落ちてしまう。



このように、電波式の望遠鏡には数々のデメリットも存在した。

しかし、アルマ望遠鏡のスゴイところは、これらの弱点をすっかり克服してしまったことである。



アルマ望遠鏡のアンテナは最大「18.5km」もの広範囲に展開することができる。

電波式の場合、一個一個のアンテナを巨大にする必要はなく、多数のアンテナを間隔を置いて設置することで、擬似的に巨大アンテナ(18.5km)の役割を果たすことができる。

アンテナとアンテナのスキ間をより多くのアンテナで埋めれば、それだけ解像度も上がる。解像度を上げるため、アルマ望遠鏡は最終的に合計66個ものアンテナで構成される予定である。

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さらに、アルマ望遠鏡が設置されたのは、標高5,000mの高地(アタカマ高地)であり、この地は降水量が極端に少ないため(年間降水量100m以下)、地球上では最も水蒸気の少ないところとされている。

つまり、アルマ望遠鏡のある場所からは、宇宙がハッキリとよく見えるのである。この地では、肉眼でも無数の星が見えるため、星空を眺めているという感覚よりも、宇宙を眺めていると感覚に浸(ひた)ることができるのだとか。



地球の水蒸気というのは、宇宙の像を揺らめかせるだけでなく、電波をも吸収してしまう。

宇宙から降り注ぐ電波は、地球の水蒸気にそのほとんどを吸収されて、地上に届くのはわずか10分の1程度だという。

電波望遠鏡の測定する電波は、大きく「ミリ波」と「サブミリ波」があるのだが、より波長の短い「サブミリ波」はミリ波以上に水蒸気に吸収されやすくて、ほとんど地上へは届かない。



しかし、宇宙を精細に観測するには、是非ともこの「サブミリ波」を受信したかった。

そのためには、アタカマ高地のように水蒸気が極端に少なく、かつ標高が高い(5,000m)にも関わらず広大な面積を確保できる土地が渇望されていたのである。

この南米チリのアタカマ高地は、サブミリ波(波長の最も短い電波)を宇宙から受信するには、夢のような場所だった。

さらに、アタカマ高地は大自然のド真ん中にあるため、人工の電波の悪影響をも受けずに済むのである。

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これほど誂(あつら)えたような絶好の土地を探し出せたのは、日本人研究者の努力の賜物(たまもの)だったのだという。

この電波望遠鏡の分野において、日本の研究は頭一つ世界に抜きん出ており、長野の野辺山、さらには富士山などに電波望遠鏡を設置し、数々の成果を上げていた。

しかし、いかんせん日本の山々は世界に比すれば低い。そして、狭い。さらに、湿気っている。

新たな境地を目指すには、世界に新天地を求めるより他に道はなかった。



天文観測の聖地とされるハワイ(マウナケア山)も候補の一つであったが、数キロに及ぶほど広大でフラットな土地は見当たらなかった。

その後、電波望遠鏡のユートピアを求めて、中国の奥地、ヒマラヤの奥地と世界を彷徨(さまよ)い歩き、ついにアンデスの奥地にて理想郷に遭遇するのである。



しかし、この途方もないほど野心的な計画には、数百億円単位の資金が必要とされた。

この大問題は、世界を巻き込むという形で解決を見る。日・米・欧など先進各国が一丸となったのである。

学術部門は「世界で最も平和な分野」と言われるほどに、各国が協調して連携できる優れた場なのである。



宇宙からもたらされる微弱な電波は、数多くのことを物語る。

「宇宙にどんな原子や分子が存在するのか?」という、目で見ただけでは決して分からないことまで教えてくれる。

もし、宇宙に「アミノ酸」が発見されれば、それは「生命」の存在を示唆する。なぜなら、我々の人体はアミノ酸で構成されたタンパク質がその主原料となっているからである。



現在のところ、隕石などからアミノ酸を発見できても、宇宙空間では未だアミノ酸が見つかっていない。

もし、宇宙におけるアミノ酸の生成過程が解明できれば、それは如何にして宇宙に生命が誕生するのかを知る大いなる道しるべとなりうるのである。



我々の住む銀河系だけでも、1,000億もの恒星(太陽のような星)が存在し、宇宙全体には、我々と同じような銀河がさらに1,000億も漂(ただよ)っているのだという。

もしかしたら、それら無数の星々の中から、地球と似た星が見つかるかもしれない。

サブミリ波まで感知する電波望遠鏡(アルマ望遠鏡)は、今までとは違う宇宙地図を我々に与えてくれる可能性があるのである。

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宇宙の果てを見れば「過去」を見透せたように、宇宙の原子を見れば「星の作り方」まで見透せるかもしれない。

宇宙の無数の星々を見れば、生まれたての星から爆発して死に至る星まで、さまざまな星の生育過程を観察することができる。

電波式の望遠鏡であれば、光学式では分からなかった「星が誕生する以前の姿」、すなわちガスの状態をも詳細に分析することができる。

「わし座」を電波で観測した結果、闇に見えるガスの中には、水素・一酸化炭素・メタノール・シアノアセチレン・エチルシアニドなどなど、従来は判別不能だった各成分が明らかになっている。



アルマ望遠鏡への期待は高まるばかり。

その本格的な完成は「2012年」。

地球の滅亡をまことしやかにささやく人々がいるというこの年(2012)に、新たな宇宙時代は幕を開けるのである。



アルマ(ALMA)とは、スペイン語で「魂(たましい)」を意味する言葉。

それに対して「肉体」はクエルポ(cuerpo)。このアルマ(魂)とクエルポ(肉体)が一体となったものが、オンブレ(hombre)、つまり「人間」ということになる。



アルマ望遠鏡の完成によって、人間はようやく宇宙の魂(アルマ)を自らに取り込むことになるのかもしない。

アルマ望遠鏡は目では見えないモノを見透す「第三の眼」で宇宙を描き出すのである。

そして、それがかつてのインカ帝国の地というのも奇遇なことであり、ここに神秘的なつながりを感じざるを得ない。



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宇宙は逃げ去っている。そして、リンゴも飛び去ってゆく。ダークエネルギーが演出する奇妙な宇宙像。



出典:クローズアップ現代
「宇宙と生命の謎に迫れ〜巨大望遠鏡の挑戦」


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2011年10月20日

インカの民は星座よりも「星のない空間」を愛(め)でていたという。深遠なる宇宙の美。


夜空を見上げれば、そこには天空にまたたく星々が見えるだろう。

その星々には、明るい星もあれば、暗い星もある。

そして、印象的な星々を繋いでいったものが「星座」ということになる。

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古代ギリシャの天文学者「ヒッパルコス(紀元前2世紀)」は、現在につながる46の星座を特定し、さらに星々の明るさを「1等星〜6等星」まで分類したのだという。

ヒッパルコスは、当時の観測で最も明るい星を「1等星」とし、肉眼でかろうじて見える最も暗い星を「6等星」とした。

この概念は現在にも引き継がれており、等級が「5つ」違えば、その明るさは「100倍」違うことになる。つまり、6等星に比べて、1等星は100倍明るいということになる。



地球から見る夜空には、肉眼で見える星々(1〜6等星)が3,000〜6万あるという(7等星まで見えることがある)。

夜空の星々を擬似的に再現した一般的な「プラネタリウム」は、こうした現実的な夜空を再現したものである。



これに対して、肉眼では見えるはずのない「13等星」までを再現したプラネタリウムが、「メガスター」である。

肉眼では暗くて見えない13等級までの星々を夜空に再現すると、なんとその星の数は2,200万個!メガスターに映し出される夜空には、現実の星空のおよそ1,000倍もの星々がひしめくこととなった。

普通の夜空では、ポツンポツンとしか星は見えないものだが、メガスターの夜空は星々で埋め尽くされ、むしろ星のないところを探すことのほうが難しい。

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メガスターは肉眼では見えるはずもない架空の夜空を再現したものではあるのだが、現実世界にも信じられないほど無数の星を見られる地域が存在する。

その一つが、南米チリの「アタカマ高地」である。

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標高5,000mで見る夜空は圧巻であり、その絶好の環境から、世界最大の天文台が建設中である。



この高地はかつての「インカ帝国」南端であった。

インカの人々は夜空に埋め尽くされた星々を眺めていたのであろう。しかし、スキ間もなく煌(きらめ)く星空では、星座を探すのが極めて困難である。星が多すぎるのだ。

そのため、インカの人々は「星のない暗闇」の形を様々な動物にたとえていたのだとか。

リャマ、キツネ、ウズラ、カエル…、生活に身近な動物であると同時に、神々とも深く関係する動物たちである。

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肉眼で見える星をつないで「星座」としたヨーロッパの人々、それとは対称的に「星のない空間」を楽しんだインカの人々。

「有」を見るも良し、「無」を感じるも興である。



星のない暗闇は「無」なのであろうか?

実は「無」ではなく、「暗黒星雲」という黒い雲がある。インカ人たちが想像した天空の動物たちは、この雲の形なのである。



この雲の正体はといえば、「ガス」である。

夜空の星々はこのガスの海から誕生する。

星々が生まれる以前の「生命の海」が、暗黒星雲ということであり、暗黒星雲は「母なる胎盤」のごとき存在で、夜空に燦(きら)めく星々は、この豊かな土壌で産声を上げるのだ。

人間の寿命からみれば、星の寿命は永遠ともいえる長さであるが、それでも100億年もすれば死に至る(星の寿命はその大きさにより決まる)。ガスから生まれ、最期の爆発をして、またガスに戻るのである。



かつてはインカの土地であった「アタカマ高地」に建設中の天体望遠鏡は、「電波」をとらえる電波望遠鏡である。

目に見える光線は「可視光線」という非常に範囲の狭いものであるが、電波のとらえる範囲はその何万、何十万倍である。

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その「よく見える眼」で宇宙をみると、銀河系の96%は星で、暗黒星雲などのガスはたったの4%に過ぎないのだという。

最高精度のプラネタリウム「メガスター」が映し出す夜空のごとく、実際の宇宙は星々でギューギューなのであり、そのスキ間のほうが圧倒的に少ないのだ。

ということは、生死を繰り返す星々の「死の期間」はたったの4%であり、残りの96%は「生の期間」ということになる。死んでから新しい星に生まれ変わるまでの期間は、思った以上に短いということだ。



我々が普通に見る夜空の星は、現実の何万、何十万分の一に過ぎない。

しかも、平面に並んでいるように見える星々には、信じられないほどの奥行きがあり、隣り合って見える星でも、その奥行きでは何万光年と離れていることも珍しくない。

そのため、地球から見れば砂時計のような形のオリオン座も、違う角度から見れば全く違う形になってしまう。



このように、星座というのは総じて「相対的」なものである。

それは、眼に見えるものだけを、見かけの明るさ・形で紡(つむ)いだ結果である。

それに対して、インカ人たちが見た「宇宙の雲」は、ある程度のカタマリであるため、星座よりは「絶対的」なカタチである。



「昼の星は眼に見えぬ

見えぬけれどもあるんだよ

見えぬものでもあるんだよ(金子みすゞ)」



昼の星は全く見えないが、夜の星でも眼に見えるとは限らない。

というよりも、ほとんど見えていないと言った方が正確である。見えているものですら、それは見かけの明るさなのである。



人間のサイズから見れば、宇宙はスキ間だらけのような気もするが、宇宙のサイズで考えれば、宇宙は星の砂場のごとく星で満たされている。

それは、人間の細胞や原子の間には信じられないほどの空間があるにも関わらず、我々の肉体にスキ間などないと感じているのと一緒のことである。



「無」と思い込んでいた空間には「有」があり、「有」と思い込んでいた空間にも「無」は存在する。

視点のスケール、考え方のスケールによって、「無」は「有」ともなり、「有」は「無」ともなる。



こうした思考法に立脚すれば、物事に「白黒」はつけようがないのであり、「白」の中にも「黒」はあり、「黒」の中にも「白」はある。

視点と考え方を固定すれば、白は白のままかもしれないが、多様な価値観に晒(さら)されれた途端に、白は黒にも容易に変わりうる。



宇宙においても、現実世界においても、世界は我々が思う以上に「動的」なのである。

地球が宇宙の同じ場所に留まることは一秒たりともありえず、時の流れも一秒たりとも溯(さかのぼ)ることはできない。



そんな激しい世界に生きながらも、人間は「静」を感じることができる。

それは、まことに僥倖であり、極めて貴重なことである。




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出典:旅のチカラ
「宇宙の果てを見る 大平貴之 チリ・アタカマ砂漠」


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2011年10月13日

宇宙に暮らすという人類の夢。米露の融和が導いた宇宙ステーションの歴史に想う。


人類が「宇宙に暮らす」という夢を叶えんとするのが、「国際宇宙ステーション(ISS)」である。

ISSは現在「15ヶ国(米・ロ・日・加・欧州)」の共同運営であり、常時、宇宙飛行士が滞在し(定員6名)、必要物資は補給船(プログレス)により供給されている。

電力は「太陽光パネル」から、「酸素」は水から、「水」は空気や尿からも作り出すことができ、おおよその「自給体制」も整っている。

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現在は世界が共同で取り組んでいる「国際宇宙ステーション」であるが、その歴史をたどれば、アメリカとロシア(旧ソ連)による熾烈な「宇宙競争」がその背景にあることが分かる。

第二次世界大戦後、アメリカとソ連は「東西両陣営」に世界を二分し、朝鮮戦争(1950)、ベトナム戦争(1960)などなど、地上では米ソの代理戦争を引き起こし、宇宙では技術の高さを競い合っていたのである。



最初に宇宙へ人類を送り込んだのは「ソ連」であった(1961・ガガーリン)。

負けじと、アメリカは「月」に人類を送り込む(1969・アポロ11号)。

さらに負けじと、ソ連は「18日間の宇宙滞在」を成功させる(1970・ソユーズ9号)。



宇宙での長期滞在の足掛かりを最初に掴んだのはソ連であったが、18日間の宇宙滞在を経て地球に帰還した宇宙飛行士には「ある異常」が見られた。

「筋肉が減少」し、歩くこともままならない。さらには、ひどい「立ちくらみ」で立っていることすら出来ない。

これらの異常は、「無重力」という宇宙空間特有の生活環境がもたらしたものであった。この経験から、人類が宇宙に暮らすためには「無重力に適応する必要がある」ことが明らかとなった。



ところが、地球上でいくら無重力空間を再現しても、いっこうに解決の糸口が掴めない。

そこで持ち上がったのが「宇宙ステーション」計画である。いっそのこと、無重力の宇宙で研究すれば良いではないかということである。



人類最初の滞在型宇宙ステーションを打ち上げたのは、またも「ソ連」であった(サリュート1号・1971)。

この宇宙ステーションに、有人宇宙船「ソユーズ1号」をドッキングさせて、宇宙ステーションに初めて人類が乗り移ることに成功する。宇宙飛行士の滞在は、かつての最長記録(18日間)を上回る「24日間」に及んだ。



ところが、悲劇は起きてしまった。

宇宙飛行士が地球に帰還する際、大気圏突入時にバルブが破壊され、中の空気が全て抜けてしまったのだ。当然、乗組員3人は全員窒息死。

こうして、24日間の宇宙滞在の研究成果は無に帰した。



アメリカも負けてはいられない。

「スカイラブ」という宇宙ステーションの打ち上げに成功する(1973)。さらには、なんと「84日間」の宇宙滞在を達成する。

無事帰還した宇宙飛行士も、しっかりと立って歩くことができた。帰還前に「下半身負荷装置」というものを用いて、体内の血液を脚部に集めておくことに成功した成果だった。

少しづつではあるが、確実に「無重力」に対する対応方法が見えつつあった。



次なるソ連は「サリュート6号」という宇宙ステーションにより、アメリカをはるかに上回る「185日間」の滞在に成功(1977)。

これほどの長期滞在を可能にしたのは、宇宙ステーションに「物資を補給すること」に成功したためだ(補給船プログレス)。



従来は宇宙飛行士とともに900kg前後の物資しか運べなかったのが、後から別機で物資を運びこむことにより、さらに2,000kgちかい補給が可能となったのだ。

さらには、「エレクトロン」と呼ばれる「酸素」を作り出す機器の開発にも成功。

こうして、宇宙ステーションに「補給」と「自給」の道がつけられたのである。



アメリカが手をこまねいている間、またもソ連は新たな宇宙ステーション「ミール」の打ち上げに成功(1986)。

長期滞在のシステムは実にうまく機能し、宇宙飛行士「ワレリー・ポリャコフ」氏は、なんと「438日間(1年2ヶ月以上)」も宇宙に滞在してしまった。

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これほどの長期滞在となると、身体的な問題に加え、「心の問題」も浮上してきた。

「孤独感」、「無感動」などなど、生きることへの希望が衰えてしまうというのだ。

沈鬱としていたポリャコフ氏は、窓からボンヤリと地球や月を眺めていた。すると、不思議なことに色々と「好奇心」が湧いてきたのだという。「知りたい」という欲望も生まれ、知らず知らずのうちに活力が戻ってきたのだとか。

現在の国際宇宙ステーション(ISS)にも、宇宙を眺める小窓(キューポラ)が設置されているが、これは実用的である(船外活動の目視)と同時に、宇宙飛行士の「心を癒す」ためでもあるのだという。

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革新に次ぐ革新で、ソ連は完全に独走態勢に入った。アメリカはその差を広げられるばかりだ。

ところが、ベルリンの壁が崩れるや、ソ連という国体は崩壊してしまう(1991)。

崩壊したソ連の後を継いだ「ロシア」は満身創痍。宇宙どころの話ではなくなり、宇宙ステーション「ミール」の運営もままならなくなってしまった。



ここに来て、歴史は大きく転換した。

何事につけてもいがみ合っていた「アメリカとロシア(旧ソ連)」が、歩み寄りを始めたのだ。

それは地上での「米ソ冷戦終結」であり、宇宙での共同開発であった。



お互いが切磋琢磨し合っていた宇宙において、その2大国が手を結ぶ「米ロ共同声明」が発表される(1993)。

その手始めとして、ロシアの宇宙ステーション「ミール」に、アメリカの宇宙船「スペースシャトル」が最接近(10m)する実験が試みられた。

米露の研究者は初めて同じテーブルについて、計画を詰めていくこととなった。



しかし、ロシアもアメリカも頑なである。

どちらの研究者も譲るということを知らない。ロシアはロシアで、アメリカを下に見て、始終「上から目線」。アメリカはアメリカで、全ての提案をことごとく却下されて、憤懣やるかたない。

ソ連の国体は崩壊したといえど、宇宙ステーションの技術においてはロシアに「一日の長」があり、ロシアの発言力はアメリカよりも圧倒的に強かった。

計画はデコボコの悪路を進んで行くようだった。



スペースシャトルが打ち上げられた後、アメリカ側が重大な失態を演じる。

スペースシャトルの燃料が漏れていたのだ。

ロシア側は怒り心頭、「何をやっているんだ!漏れた燃料が宇宙ステーションにかかったら大惨事になる!計画は中止だ!」

アメリカ側は必死で対応策を説明し、なんとかロシアを宥(なだ)める。



そんなゴタゴタを演じながらも、ロシアの宇宙ステーション「ミール」に、アメリカの「スペースシャトル」は見事に至近距離に接近することに成功した(1995年2月)。

ロシア宇宙飛行士(ミール)、「見えるぞ、祖国ロシアの旗が。そしてアメリカの旗もだ!」

アメリカ宇宙飛行士(スペースシャトル)、「我々は今、2つの国を近づけているんだ!」



そして、その数カ月後、両者は初の「ドッキング」を果たす(1995年6月)。

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アメリカ宇宙飛行士(スペースシャトル)、「さあ、ハッチを開けてくれ。」

ロシア宇宙飛行士(ミール)、「OK、開けるぞ。」

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ついに、両国の宇宙飛行士が宇宙空間にて、文字通り「手を結ぶ」ことに成功した。

アメリカ・ソ連の冷戦終結宣言(1989年12月)から、およそ5年後の出来事であった。



その後、両国は協力体制のもとに「国際宇宙ステーション(ISS)」の計画を推進する。

そして、この「国際宇宙ステーション(ISS)」こそが、アメリカ・ロシアの融和の象徴となった。引いては、世界が一丸となる計画にまで発展してゆく。

日本の実験棟である「きぼう」も、このISSにドッキングした(2008)。

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こうして、アメリカとソ連がいがみ合った世界は、ひとまずの大団円を迎えたのである。



ところが、時代の流れは容赦なく速い。

アメリカはスペースシャトル計画を打ち切り、人類を宇宙(ISS)に送り込める手段は、ロシアの「ソユーズ」のみとなった。

この頼りの綱であった「ソユーズ」も、今年8月の「補給船プログレス」の打ち上げに失敗。ロシアも有人宇宙飛行の計画を凍結せざるを得なくなった。

幸いにも、今月(10月)末には補給船プログレスの再打ち上げが行われる予定が立ち、さらに来月(11月)には、有人宇宙飛行も再開されることとなった。

ひとまず、国際宇宙ステーション(ISS)が無人となることは回避されたようだ。



こうしたアメリカ・ロシアの衰退は、今後の宇宙地図の書き換えが迫られていることを暗示している。

新興国である中国・インドの宇宙技術の進化は目覚しく、今後はこの両大国が宇宙を支配する時代も予想されている。



現在の国際宇宙ステーション(ISS)の計画には、中国もインドも加わっていない。

地球上で最大の人口を要するのが中国・インドであり、今後の世界経済を左右することになるのも両国であろう。

アメリカ・ロシアが引いたレールはとてつもなく偉大である。そして、すでに出来上がっているそのレールを活用できる中国・インドは幸いである。



宇宙という空間は、人類に多くを教えてくれる。

地上ではできないことも、無重力では可能となることがある。

その一つの成果に、日本の「きぼう」で行われた「タンパク質」の結晶精製がある。宇宙空間で作られたタンパク質は見事に正確な形をしており、新たな「薬」の開発を可能とした。

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「デュシェンヌ型筋ジストロフィー」という薬が効かない難病が、この新薬により治療の道が見えたのだとか。



宇宙で一歩を踏み出すことは、たいへんに至難の業(わざ)である。

しかし、その一歩は人類にとっての「大いなる飛翔(giant leap)」とも成りうるのである。





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出典:コズミック フロント〜発見!驚異の大宇宙〜
もう一つの地球をつくれ! 宇宙ステーションへの挑戦


posted by 四代目 at 09:09| Comment(2) | 宇宙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする