2012年04月08日

火星人は誰だ? 生命の起源を追った先で出会ったのは…。


宇宙空間広しと言えども、「火星」ほどに人間味のある星はないだろう。

「火星人」を夢想した人類は、さまざまなストーリーをこの星に見い出してきたのであるから。



今から130年以上も前の1877年に火星が地球に大接近した時、当時の望遠鏡でもその表面の模様までがよく見えた。

※地球の公転スピード(365日)は火星のそれ(687日)の2倍近くあるため、およそ2年に一回、地球は火星を追い越して行く。その追い越す時こそ、火星が地球に大接近する時であり、その時には火星が7倍にも巨大に見える(最遠時比較)。



その時に見えた火星の縞模様をスキアパレッリは「溝(Canali:イタリア語)」と記した。

ところが、その自然造形を意味したであろう「溝(Canali)」は、英語の「運河(Canal)」と酷似していたため、早トチリな人々はそれが火星人の造った「人工の運河」であると囃し立てた。



しかも、その運河はとてつもなく巨大である。万里の長城どころの比ではない。星全体を縦横無尽に駆け巡っているのである。

「火星人はなんと進んだ文明を持つことよ…」

イギリスのSF小説家「H.G.ウェルズ」は、とてつもなく頭の良いであろう火星人に
戦慄した。彼の小説では最強の火星人たちが地球に攻め寄せる。


宇宙戦争


※頭の良い火星人の頭は異様に巨大で、地球より重力の薄い火星に住む彼らの四肢はタコのように軟弱であった(火星の重力は地球の40%)。

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世に一般化した「タコ型火星人」はウェルズの空想の産物であったにも関わらず、その想像力に火をつけられた人類は、現在もなお、火星に探査機まで送ってその痕跡を探し続けている。

※火星へ向かった探査機には失敗が多く(約2/3)、それは火星に探査機を食べて暮らす悪霊がいるからだと言う人もいる。これもまた人間味ある発想ではないか。



さすがにタコ型の火星人がいると今だに思っている人は少ないかもしれないが、何かしらかの「生命の痕跡(もしくは生命そのもの)」が火星にあると信じる科学者たちは数多い。

そうした人々を元気づけた贈り物は、1984年のクリスマスが終わった頃に南極大陸で発見された。

その贈り物とは「隕石(アラン・ヒルズ84001)」のことである。

その隕石の内部からは「生命体の化石」らしきものが確認されたのであるから、その支持者たちを大喜びさせたのは当然のことであろう。

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現在は「赤い砂漠の極寒の星」である火星も、40億年前は地球のように「水」の豊かな美しい星だったというのである。

火星探査機「MRO(マーズ・リコネッサンス・オービター)」は、火星表面に輝く「氷」の映像を捕えた(2006)。

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ある説によれば、火星の地表50cm以下は巨大な氷で覆われているそうで、少し掘ればすぐに氷が出てくるのだそうだ。MROが捕えた氷の姿は、隕石の衝突で火星の地表が剥がれた部分から露出したものと考えらている。

※火星探査機「オポチュニティー」は水中でしか形成されない「ヘマタイト(赤鉄鉱)」を火星で発見している。



水の存在は生命の存在に結びつく重要な手掛かりである。

それは、地球上の生命の起源が「水」に求められるからである。



ところで、「生命とは何か?」

呼吸するものか? 動くものか? 変化するものか?


生物と無生物のあいだ


20世紀の生命科学の到達した一つの答えを借りれば、それは「自己複製を行うシステム」となる。

「自己複製」というのは、DNAを自ら複製(コピー)して増えていくことである。

このシステムは高等複雑な人間にも必要不可欠なシステムであり、それはチリに等しい単細胞生物とて持つものである。



DNAを複製(コピー)するためにはRNAという長い鎖が活躍するが、その長い鎖は「ヌクレオチド」という一つ一つの部品から成っている。

さらに分ければ、ヌクレオチドは「塩基・リン酸・糖」という細かい部品から成る。

「生命」という漠然とした概念は、これらのパーツが適切に組み合わされることによって、「誕生」という日の目を見ることができるのだ。

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水があったという「40億年前の火星」は、地球以上にその条件が整っていたと「ジョゼフ・カーシュビンク教授(カリフォルニア工科大学)は主張する。

生命の誕生の適地は「水中」とされながらも、その過程においては「陸地」が必要だとカーシュビンク教授は考える。それゆえ、陸地のなかった地球よりも、陸地のあった火星の方が生命誕生の確率は高かったと言うのである。

※40億年前の地球には「海」しかなくて「陸地」は存在しなかった。それに対して、40億年前の火星には「海」も「陸地」も存在した。

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なぜ、生命(DNA)誕生に陸地が必要だったのか?

それは、DNAの部品となるヌクレオチドの形成過程にそのヒントが潜んでいる。

ヌクレオチドを作る「塩基・リン酸・糖」は始終水に浸された状態ではお互いに結び付きにくい。なぜなら、水分が「抜ける」ことで初めて塩基とリン酸は糖と結び付くことができるようになるからである。



つまり、DNAの元となるヌクレオチドという部品は、浸水と乾燥が繰り返される「海のなぎさ」のような場所で形成されやすく、それは陸地があるほうが都合が良いのである。

そして、その適地は40億年前であれば地球よりも火星であった、とカーシュビンク教授は言うのである。

彼の自論はさらに発展し、「火星で誕生した生命が隕石に乗って地球にやって来た」とまでなる。



小説家ウェルズのタコ型火星人は、宇宙船に乗って地球にやって来たわけだが、カーシュビンク教授の考える生命はDNAであり、それが隕石の内部に閉じ込められた形で地球にやって来たことになる。

火星から地球に隕石が届くことは珍しいことではない。先述した南極大陸の隕石(AH84001)もそうだ。



しかし、火星から地球まで隕石が届くのには、いったいどれほどの時間がかかるのか?

その隕石が秒速3.3kmだと仮定すると、そのうちの1%が100万年かかり、0.1%が10万年かかる(グラッドマン教授の計算)。

なんと途方もない時間だろう。隕石の中に生命が閉じ込められていたとしても、死に絶えてしまうではないか。



グラッドマン教授は続ける。「実際には、10年間で10数個の隕石が地球に届く可能性がある」と。

小惑星の衝突などで火星から放たれる隕石は一度に数億個を超える。そのうちの10数個というのは恐ろしく低い確率ではあるが、生命誕生という奇跡は常識を超える低い確率から生まれるのが常である。

それは、数億個の精子のうちでたった一個の精子だけが生命を生むことを考えれば理解できよう。そんな奇跡が年がら年中起こっているのである。



しかし、たとえ短期間で地球にたどり着いたとしても、地球の大気圏突入の際のとんでもない高温に生命は耐えられないのではないか?

カーシュビンク教授が火星からの隕石の「磁場」を調べた結果、隕石の表面数ミリは確かにとんでもない高温になっていたが、5mmも内側になるとたった40℃以下だったそうである。

※岩石の磁気は、高温にさらされることにより皆同じ方向を向く。そのため、もしその磁気がバラバラの方向を向いているのであれば、それは高温に晒されていない証拠でもある。その論に従えば、火星からの隕石AH840001の内部は磁気がバラバラであり、高温に晒されてた形跡は発見できなかった。



火星が生命誕生の適地と考えたカーシュビンク教授は、火星に多く見られる粘土「モンモリロナイト」も生命誕生を助けたと考えている。

乾燥と浸水が繰り返されて形成されたヌクレオチドも、それら同士が並んで結合しなければ一本の鎖とならない。

そのバラバラの鎖をつなぐ役割をするのが、その粘土(モンモリロナイト)である。



試しにバラバラのヌクレオチドを入れた試験官の中にモンモリロナイトを入れて3日も待てば、立派な鎖ができている(多い時は50個以上つながるとのこと)。

それはモンモリロナイトが電気を帯びているため、その層に沿ってヌクレオチドがキチンと整列するからだ。

ヌクレオチドが繋がればしめたもの。もう生命(DNA)誕生は目前だ。

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地球人が火星に特別の思い入れを抱くのは、故(ゆえ)なきことではないのかもしれない。

ひょっとしたら、火星を故郷(ふるさと)とする生命が地球に存在するのだとしたら尚のことであろう。



ところで、今の火星に目をやると、そこに生命の躍動は感じられない。火星人を夢想した人類も、その事実が明らかになるにつれて失望を隠せなかった。

40億年前には「水」があったのかもしれないが、現在の火星の大気に水分はない。その希薄な大気は95%が二酸化炭素であり、それが極寒の冬にはドライアイスと化す。



その目を地球に戻すと、その豊かさは際立つばかり。

しかし、もし火星の姿が将来の地球の姿だとしたら…。今の巨大な海はどこへ消えるのか?

火星の海はどこへ消えたのか?



「火星から生命が来た」と信じるカーシュビンク教授には、もう一つ面白い論がある。

それは「スノーボール・アース」と呼ばれる理論で、かつての地球は雪玉(スノーボール)のように真っ白に氷結していた時代があったというものである(およそ6〜7億年前)。

※カーシュビンク教授がこの説を思いついたのは、赤道付近に残る氷河の痕跡を自らの目で確認したときだったという。


スノーボール・アース


1992年に発表されたこの大胆な仮説は、当時の学界に「ありえない」と一蹴された。

猛烈に反対された理由は、こうだ。

地球が完全に氷結してしまえば真っ白になり、その白さが反射鏡のように太陽熱を反射してしまう。そうなると、地球の気温は二度と上がることがなく、その氷は融けることができなくなってしまう。

ご存知の通り、今の地球はほんの一部分しか氷に覆われていない。それゆえスノーボールアース仮説は誤りである、というのである。



ところが現在、カーシュビンク教授の荒唐無稽と思われたスノーボールアース仮説は、学界ではすっかり「主流」となっている。

反対する学者連中を納得させたカーシュビンク教授の論はこうだ。



大気中の二酸化炭素は、時を経るにつれて大陸や海へと「固定」されていく。

固定されていけば当然大気中の二酸化炭素は減少し、それが「寒冷化」を導く。海は凍り、大地も凍る。スノーボールの完成だ。

反対派が言う通り、真っ白の地球は太陽光を反射してますます寒冷化する。



しかし、二酸化炭素の循環ばかりは止むことがない。

凍り切らない深海や火山周辺では生命活動が継続し、二酸化炭素が放出され続ける。少しずつながらも大気中の二酸化炭素は増え続けるのだ。

しかも、表面が氷結した地球は大気中の二酸化炭素を固定することができない。それゆえ、大気中の二酸化炭素濃度は高まる一方である。

その結果起こるのは…、おなじみの「温暖化」である。反対派が見落としていた点は、この二酸化炭素による温暖化であった。



大気中の二酸化炭素が一定比率に達すると、温暖化は加速する。

スノーボールは氷解し、再び大地や海が現れると、二酸化炭素の固定が始まり、地球の気候は落ち着きを取り戻す。



発表当時は散々にバカにされたカーシュビンク教授であったが、今の評価は180°変わってしまっている。

「火星から生命がやって来た」という彼の説は、スノーボール・アース以上にブッ飛んだものかもしれない。

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それでも教授の自信が揺らぐことはない。

「私の知る限り、私の説で間違いが証明されたものは、一つもありません。」



はたして、我々こそが火星人であったのか?

宇宙にあふれる謎は、人類の想像力を刺激してやまないようである。




火星の生命と大地46億年



関連記事:
火星は地球の未来の姿かもしれない。火星探査機たちの冒険。

巨大隕石の脅威は、SFの世界から確実な現実世界に。そのとき地球は……?



出典:コズミックフロント 
最新探査で迫る生命の起源






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2012年03月01日

雷の落とし子たる「妖精たち(ストライプ)」。電子の大循環が地球環境を変える…?


雷のしきりに走り光る夜。

上空10kmを飛ぶパイロットたちが目にする「奇妙な閃光」があった。しかし、その閃光はあまりにも一瞬であるために、「目の錯覚だろう」と長らく思われていた。

そんな中、宇宙飛行士「イラン・ラモーン」は、宇宙からその閃光の「撮影」に成功した(2003)。

しかし残念ながら、彼の搭乗したスペースシャトル「コロンビア号」は、地球へと帰還する際に大爆発を起こし、乗員7名すべてが不帰の人々となってしまった。ところが、そんな大惨事にあってなお、その貴重な映像だけは、奇跡的に無事であった。



その奇跡的に残された映像には、確かに「奇妙な閃光」がしっかりと記録されていた。

雷雲から「下(地球)」へと向かうカミナリの光とは別に、宇宙に向けて「上方向」へ、その閃光は放たれている。地上へのカミナリが局所的だとすると、宇宙へのカミナリはかなり広範囲にわたっている。

この不思議な閃光を、研究者たちは「ストライプ(妖精)」と呼ぶことにしたようだ。捕らえようにも捕らえ切れない「つかみ所のなさ」が、その命名の由来だ。



「妖精」に魅了された研究者たちは、そのシッポを何とか捕まえようと空を追いかけ回した。

国際宇宙ステーションに超高感度カメラを設置したり、専用の衛星を打ち上げたり…。そして、実際にジェット機に乗って、雷雲すれすれまで突っ込んでいった(普段は避けて通るはずの雷雲に!)。



奇跡が起こったのは、奇しくもアメリカ独立記念日(7月4日)の夜。

アメリカの夜空にバンバンと花火が打ち上げられている、まさにその夜。雷雲のそのまた上空の宇宙との狭間で、雷雲から発せられる「スプライト」がバンバンと光っていた。あたかも打ち上げ花火のように。

その一夜に確認された「スプライト」は、50以上。ジェット機に乗り込んでいた命知らずの研究者たちの熱狂は、筆舌に尽くしがたい。

「キターーーーーッ!!!」の連発である。「巨大クラゲだ! 火星人だ!」と、研究者たちは子供のように大いにはしゃぎまくっていた。危険な雷雲と隣り合わせに飛んでいることなどスッカリ忘れてしまって…。

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その夜の類マレな成果により、かつては「謎の光」とされたスプライトの全貌が明らかになりつつある。

雷雲に蓄えられた電気は、ある一定量に達すると、その溢れた分が地上へと落雷する。ところが、雷雲がかなり上空にある場合には、貯まった電気が落雷したくてもなかなか落雷できなくなり、異常なまでに電力を貯めこんでしまう。

そのはちきれんばかりに貯まりまくった電気がその限界を超えた時、とんでもない巨大カミナリが地上へと降り注ぐことになる。宇宙ステーションから見ても、その光は眩(まばゆ)いほどだ。

「ストライプ(妖精)」がその姿を現すのは、まさにそんな時。大量の電気が地上に放出されると同時に、宇宙へ向かって「ポンッ」と花開いたように妖精たち(ストライプ)が輝くのだ。

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妖精たちの放つ光の軌跡を下に追うと、それは落雷を発生させた雷雲に行き着く。他方、その軌跡を上に追うと、それは宇宙へとつながっている。

地球と宇宙の間には、「大気光」と呼ばれる薄ボンヤリと光り輝く層が存在するが、上へ向かった妖精たちはその大気光の中へと吸い込まれていく。妖精たちは、地球と宇宙の間を行き来するかのように、その狭間に遊ぶのである。

地上へのカミナリや、宇宙への妖精の飛翔(ストライプ)などによって、地球上の電気は「大循環」を繰り返している。妖精(ストライプ)の通った道に沿って、地上の電気は宇宙へと舞い上がる。そして、宇宙との境の領域にまで達すると、今度は地球へと降り注ぐ。

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日本には「狐火(きつねび)」と呼ばれる現象が各地で語り継がれているが、ある研究者によれば、その光(狐火)は宇宙から舞い降りてきた電気によるイタズラなのだという。

狐火とは、人々が寝静まった夜中に、遠くの山々の峰を点々とした光が列をなしたように見える現象である。その様は、キツネの嫁入りに例えられ、点々とした不思議な光は花嫁行列に従うキツネたちが持つ提灯(ちょうちん)だというのである。



西欧では「セントエルモの火」と呼ばれる発火現象があるが、こちらもやはり空からの電子のイタズラだという人もいる。セントエルモの火とは、夜の海に浮かぶ船の「マスト」の先端が、揺らめく炎のように怪しく光る現象である。

山々の頂(いただき)や船のマストの突端などのような「尖(とが)った部分」に、上から降る電子が集まりやすいという現象は、科学の実験などにより、よく知られた現象である。水平にした「鉄板」に電気を貯めて、その下に「針」をかざすと、その針の先端は火が灯ったようにボンヤリと輝く。

宇宙との境に電気が貯まり、それが飽和して地球に降り注げば、それらの電子は地上の「尖った部分」に集中的に集まりやすいのである。

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宇宙との境から降り注ぐ電子は、地球にとっての「恵み」でもある。

日本の田舎では、「狐火が多く見られた年は『豊作』だ」との言い伝えもある。同様に、カミナリの多い年も『豊作』だとの伝承も数多い。科学的には、降り注ぐ電子が作物の肥料分となる「チッソ」を土地に与えてくれるからだとの説もある。

しかし、「恵み」となる一方で「災い」をももたらすと主張する研究者もいる。昨今、未曾有の豪雪が世界各地で記録されているが、その原因が宇宙からの電子にあると言うのである。

※セントエルモの火が見られるのは、決まって悪天候の海である。



上空から降る電子が「雲」を通過する時、その電子は雲中の水分と結びつく。

電気を帯びた水分は互いに反発しあうため、なかなか雨となって地上に降りられなくなる。すると、電化した雲は雨を降らせられずにむくみまくって、ブクブクと異常発達する。こうして、巨大低気圧が発生し、それが異常な大雪となり人々を苦しめることにもなる、とブライアン・ティンズレー博士(テキサス大学)は主張する。



なるほど。妖精たちは人々を喜ばせることもあれば、悲しませることもあるようだ。

ところで、最近の人類はやたらと電気を生み出し(発電)、大量に消費(放電)している。おそらく、前時代に比べれば、地球上の電気量は格段に増大したはずだ。はたして、その地球上の電気量の変化は、我々の地球にどんな変化をもたらすことになるのだろうか?



もし、電気が天候を左右するのだとすれば、近年の異常気象などは、一種の人災と捉えることもできる。デジタル・ガジェット隆盛の時代は、まさに電気の時代なのである。その勢いは留まるところを知らぬウナギ昇り。

世界中で生み出される電力は、昇龍のように天空へと舞い上り、それらが妖精の煌(きらめ)きとともに、地上へとまた舞い戻って来る。その大循環の規模が大きくなり、そのスピードが増せば、いったいどんな変動を地球にもたらすのであろうか?

電気の行き渡った生活は、じつに快適至極であるものの、一抹の不安は無きにしもあらず。何事にも「限度」は存在するわけで、生み出せるからといって無限に生み出すことは、のちのちの災厄の火種ともなりかねない(歴史上の人々の過ちは、そんなことの連続でもある)。



現代社会にとっての「電気」は、人体にとっての「水」のように欠くべからざるものである。そんな両者(電気と水)が結びついた時に、地球規模の気候変動が起こるのだとすれば、それほど皮肉な話もないものだ。電気によって隆盛した社会が、電気によって衰退することにもなりかねない。

そんなジレンマが本当に存在するのかどうかは知る由(よし)もないが、東日本大震災以来の日本は、かつてのタガが外れいてた過剰な電力消費を自粛しつつある。それは大災害を契機とした原子力発電への拒絶反応という、いわば消極的な自粛ではあるものの、人類と電力との関わりを再考する一助ともなった。



我々の知る科学はまだまだ発展途上の段階にあることを認識する必要がある。

それは、予想の外れがちな天気予報を見ても明らかなことである。もし、天候と関与するあらゆることを解明し尽くしているのであれば、その予報の精度はもっと上がって然るべきであろう。

そうした観点においては、上空から降る電子と天候との関連を無下に否定することは、決してできない。



日本人の「カミナリ」に関する信仰は示唆的である。

雷神信仰の代表格は、かの菅原道真であり、彼は学問の神様でもある(天神さま)。

カミナリは恐ろしいものである一方で、雨を降らせて豊かな実りをもたらすものでもある。「畏れながらも有難がった」、それが古来日本人によるカミナリへの敬意であった。




現代社会によって徹底的に管理された電気は、極めて安全性が高いため、それを「怖い」と思う感情はすかっり遠のいてしまっている。そして、それはいつでもどこでも手に入るために、「有り難い」などという感情は一向に湧いてこない。

多くの昔話は、そんな傲慢さを戒めることが多いものであるが、現在の我々の所業は、いったいどんな帰結を迎えるのであろうか?

妖精のシッポをつかんだはよいが、その振り返った顔を見れば…、ひょっとしたら小悪魔のような笑みを浮かべているのかもしれない。




出典:コズミック フロント
宇宙の渚 File1. 謎の光“スプライト”


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2012年02月16日

民間の伸ばした手が「宇宙」に届いた時。「スペースシップ・ワン」を生んだ「バート・ルターン」の物語。


「飛行機の墓場」

そう呼ばれているのは、荒涼としたモハベ砂漠(アメリカ)にある「モハベ空港」のことである。

この墓場には、使い古された航空機100機以上が死んだように並べられている。



ある飛行機は頭の部分を切断されていたり、心臓部であるエンジンが抜き取られていたり(エンジンは一番のお金になる)…。

重機に切り刻まれた巨大な機体は、コンテナ数個に収められるほどに解体され、中国などに売られていったりするのだという。



心ある飛行機愛好家たちは、「飛行機が泣いている…」と悲しむ。

そんな悲しみの中で、ANA(全日空)の機体に書かれた「ありがとう!素晴らしい飛行機だった」という文字が、ことさらに哀愁を誘う(おそらくは、パイロットか整備士が書いたのであろう)。




飛行機たちにとっての「この世の終わり」であるモハベ空港。

じつはこの空港には180°も異なる全く別の側面がある。その別名は「宇宙空港(Space port)」。

そう、この空港は世界で初めて「民間の宇宙船」が宇宙に飛び立った、名誉ある空港でもあるのである。



飛行機の墓場から宇宙船が生まれたのは偶然ではない。なぜなら、解体された飛行機のスクラップが再利用されて、宇宙船が組み上げられたのだから。

「ゆりかごから墓場まで」という表現があるが、ここモハベ空港においては、「墓場からゆりかごが生まれた」のである。



その栄えある民間第一号の宇宙船の名前は「スペースシップ・ワン」。

2004年に宇宙に到達したスペースシップ・ワンには、アメリカ政府から1,000万ドル(およそ8億円)の報奨金が与えられた(エックス・プライズ)。

その立役者となった人物は、バート・ルターン氏。彼はこの偉業によって「モハベの伝説」と呼ばれることとなる。



アメリカ国家が強力な後ろ盾となる「NASA」とは違い、ルターン氏の宇宙船開発は資源や資金面で大きな制約を受けていた。

しかし、それらの不足はルターン氏の類まれなる熱意によって、すべてがプラスへと転じていく。大きな制約が、次々と大きな発想の転換を生んでいくのである。



かつてルターン氏がデザインした飛行機は、9日間無着陸・無給油で世界一周を成し遂げたことがあった(1986)。

「小さな力で、どれだけ大きな浮力を得られるか」、というのがデザインの基本概念だったのだという。



この発想は、「民間」という小さな力で宇宙にまで届く大きな浮力を得たルターン氏の生き様を如実に表しているようにも思う。

正面から受ける抵抗は航空機にとって決して敵ではない。むしろ、その抵抗があるからこそ、大きく浮上する力を得ることもできるのだから。



ルターン氏が実際に宇宙船を造り始めたのは2001年(この後、わずか3年で宇宙に到達する)。

当時のスタッフはたったの20名程度。「ジャンク・ヤード」から部品を集めながらの宇宙船造りであった。




常に開発の壁となったのは「低コスト」という命題。

通常のロケット・エンジンは「液体酸素」と「液体水素」を反応させて爆発的なパワーを出すものだが、低コストの壁の前には、この定番エンジンを採用することができない(構造が複雑すぎて高コスト)。

そこでルターン氏は、低コストのロケット・エンジンを独自に開発することとなる。そして、出来たのが「ハイブリッド・エンジン」。



このエンジンは、固体燃料(合成ゴム)が入った筒の中に、液体燃料(亜酸化窒素)を流しこむという、固体燃料と液体燃料のハイブリッド・タイプである。

従来のエンジンに比べて不安定さは否めない(完全燃焼が難しい)ものの、そのシンプルな構造のおかげで、そのコストは格段に抑えられた。



限られた出力で宇宙に到達するために、ルターン氏が「これしかない」と思い定めていたことが一つあった。

それは、「空中発射」という未だかつて試みられたことのない画期的な打ち上げ方法であった。



まず地上を飛び立つのは宇宙船本体ではなく、その宇宙船をお腹に抱えた輸送機である。

その輸送機(ホワイトナイト)は、1時間かけて上空15kmに到達した時点で、宇宙船(スペースシップ・ワン)を切り離す。

切り離された宇宙船は、およそ80秒間のハイブリッド・エンジン燃焼で、大気圏(上空100km)を突破することになる。



高度15kmにおける大気の密度は、地上の「9分の1」。つまり、宇宙船が受ける空気抵抗は格段に少なくなる。

それに加えて、宇宙船は高度15kmまで輸送機に運んでもらうことで、そのための燃料を節約することもできる。

その結果、上空15kmでの「空中発射」は、地上から打ち上げるのに比べて、宇宙船のサイズ・重量、そしてコストが「半分以下」で済むことになる。

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ところで、ルターン氏の宇宙船(スペースシップ・ワン)の目標とした「高度100km」というのは、いかなるラインなのであろうか。

このラインは「カーマン・ライン」と呼ばれるもので、このライン(高度100km)を超えた向こうが「宇宙」、それ以下が地球の「大気圏」と定義されているものである。

そして、このカーマン・ラインこそが、宇宙飛行達成の境界線であり、その先の空間では「無重力」を体感できる領域となる(このカーマン・ラインを突破するには、「マッハ3」以上のスピードが要求される)。



この境界線を突破する難儀もさることながら、地球に戻って来るときの「大気圏・再突入」も相当の至難である。

かつて、スペースシャトル(コロンビア号)は、大気圏・再突入の際に空中分解を起こして、宇宙飛行士7名が全員死亡するという大惨事が起きている(2003)。



大気圏・再突入の際、スペースシャトルが受ける空気抵抗はマッハ25(時速3万km)の空気圧。そして、その強烈な抵抗により発生する熱エネルギーは、機体を1,500℃以上の猛烈な高温にさらす。

強烈な空気圧が機体の姿勢を撹乱し、猛烈な熱波が機体を焼け焦がそうとする。そのため、姿勢保持の操作は高い技術力が要求され、高温を少しでも和らげるためにS字飛行をしながら、熱を左右両脇に逃す。

スペースシャトル(コロンビア号)が空中分解を起こしたのは、翼に空いた「小さな穴」が原因で、正しい姿勢が維持できなくなったからである。



さあ、ルターン氏はこの大気圏・再突入の難題をどうクリアーするのか?

この大気圏・再突入に対して、ルターン氏には苦い記憶がある。空軍時代の友人が、大気圏・再突入に失敗して死亡してしまったのだ。その原因は、再突入の姿勢が保持できなかったことであった。



大気圏・再突入の姿勢保持は、それほどに困難な操縦技術である。

そこでルターン氏が考えたのは、「操縦することなし」に自然に再突入の姿勢を維持することであった。



ルターン氏の見ていたものは、「バドミントンの羽(シャトル)」。

バドミントンの羽は、重力によって「必ず同じ向き」で落下する。この原理を応用すれば、宇宙船を落下に任せるだけで、同じ姿勢を保持できるのではないか、とルターン氏は考えたのである。




その実行計画は奇抜であった。

なんと宇宙船の翼が「上向きに立つ(65°)」のである(フェザリング)。

羽が立つことで、落下姿勢がバドミントンの羽のように安定するのと同時に、大気圏・再突入の際に抵抗を受ける表面積も減らせる。抵抗を受ける面が少なくなることで、発生する熱エネルギーも大きく抑えられることになる。

さらに、ルターン氏の宇宙船の軽量・小型さは、大気圏・再突入のスピードをスペースシャトルの「7分の1」にまで抑えることに成功した。

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大気圏を無事通過した後(高度17km)、立っていた翼は元の通り「横」に戻る。

そうすることで、飛行機のように滑空しながら着陸することが可能になる。



着々と飛行実験を繰り返した「スペースシップ・ワン」。

いよいよ、その日がやって来た。宇宙にチャレンジする運命の日である。

その日のモハベ空港には、世界初の民間宇宙船打ち上げの生き証人になろうとする観客たち1万人以上によって埋め尽くされていた。



ゆっくりと姿を現す輸送機「ホワイトナイト」。そのお腹には夢の宇宙船「スペースシップ・ワン」が大事そうに抱えられている。

輸送機「ホワイトナイト」のフライトは極めて順調であった。予定通りの一時間後に無事、高度15kmに達し、見事に宇宙船「スペースシップ・ワン」の切り離しに成功した。

切り離された宇宙船「スペースシップ・ワン」もおおむね良好に見えた。自慢のハイブリッド・エンジンへの点火もじつにスムーズであった。



ところが、マッハに達したスペースシップ・ワンの軌道がどこかおかしい。

本来、垂直に上昇する予定のスペースシップ・ワンが、しっかりと垂直の軌道を描けていない。



この時、操縦室のパイロットは必死の形相であった。

機体は激しく横揺れし、機体を真上に向けたくとも、機体は思うように言うことを聞いてくれないのだ。

大いに「まごついた」スペースシップ・ワンは、斜めの軌道のまま上昇し、その飛行距離が予定よりも伸びてしまっていた。このままでは、高度100kmに到達できないかもしれない。

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操縦桿と格闘を続けていたパイロットは、さらなる悲劇に真っ青になる。

突然の「エンジン停止」である。

管制室で見守っていたルターン氏の耳に、パイロットの悲壮な声が響く。「何もしていないのに、エンジンが停止した!」。

高度はまだ55km。予定よりもずっと早いエンジン停止である。軌道が大きく伸びてしまっていたためであったのだろうか?

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それでも、ルターン氏が開発したハイブリッド・エンジンの威力は並みではなかった。

エンジン停止後の余力のみで、十分にカーマン・ライン(高度100km)を突破してしまったのだ!



パイロットを苦しめた重力との格闘は終わった。

もはや、カーマン・ラインを過ぎたこの空間に重力が存在しないのだ。

歓喜したパイロットは、隠し持っていた小さなチョコレートをポケットから取り出す。重力の束縛から解放されたチョコレートたちは、花吹雪のように操縦室を舞い上がる。

無重力に舞い上がる多数のチョコレートは、民間の宇宙船が宇宙空間に到達した確かな証(あかし)でもあった。



この至福の時間は、わずか3分30秒。

ふたたびパイロットの眼には緊張が走る。

いよいよ最大の難関、大気圏への再突入だ。この再突入だけは、試験飛行をしていない初めての試みである。



「Gが来た!5Gだ!」

パイロットは体重の5倍もの重圧を感じながら、大気圏へ再突入していく。

降下速度はマッハ2.9。猛スピードで大気を切り裂きながらスペースシップ・ワンは落下していく。



その姿勢は、バドミントンの羽のように美しい姿勢を保っている。ルターン氏の考え出した重力を味方につける「フェザリング(翼を立てる動き)」が見事に決まったのである。

その立った翼は、地上が近づくとともに元に戻り、すんなりと滑走路への着陸を成功させた。

体操競技であれば10満点が出るであろう、非の打ち所のない美しい帰還であった。



飛び立ってから1時間半。

世界初の民間宇宙船「スペースシップ・ワン」は宇宙を見て、再びモハベ空港へと戻ってきた。

歓喜に沸く一万人の大観衆。彼らは期待通り、歴史の生き証人となれたのだ。



思えば、航空史の偉業は、民間の手で成されたものも多い。

ライト兄弟(初の動力飛行)もそうであり、リンドバーグ(大西洋無着陸横断)もそうである。

そして、ここにまた、新たな歴史がスペースシップ・ワンによって刻まれたのである。実際、この偉業はライト兄弟に匹敵するとまで高く評価されている。



大歓声の中、滑走路を堂々とウイニングランするスペースシップ・ワン。

その機体に立ち上がったパイロットの手には、観客から渡されたプラカードが掲げられていた。

そのプラカードには、「Government Zero(政府の支援なし)」と書かれていた。



「民間では無理」とされていた宇宙の扉。

その固く閉ざされていた扉を、スペースシップ・ワンは見事に打ち破ったのである。



航空史に燦然と輝くスペースシップ・ワンの偉業。

その喜ばしい光の陰で、消えていく光もあった。それを象徴するのが、スペースシャトルの退役である。

国家が主導していた宇宙計画は、国家の衰亡とともに頓挫し、その座を民間に譲り渡すより他に道がなくなってしまっていたのである。




宇宙計画に初期において、アメリカや旧ソ連などの巨大な力が果たした功績は多大なものがあった。しかし、その巨大さは時が経つとともに、大きすぎるお荷物ともなっていった。

一方、民間の小さな力は、巨大な宇宙の扉の前に、その前進を阻まれ続けていた。

それでも、その小さな力は諦めることを知らなかった。挑んでは消えていきながらも、その屍(しかばね)を乗り越えようとする後続は後を絶たない。



そして遂に、ルターン氏の伸ばした手が宇宙に届いたのである。

ルターン氏は小さな力を逆に味方につけて、常識という型を次々とブチ壊していった。空中発射という奇想天外な打ち上げ、バドミントンの羽のように落下する大気圏・再突入。

小さな力だからこそ、多くの外圧を味方につけなければ、遠い宇宙へは届かなかった。ルターン氏のような発想は、決して巨大組織「NASA」では生まれることのなかったものばかりだ。



かつては国家の「下されもの」であった宇宙技術が、現在では逆に民間から国家への技術供与がなされるまでになった。

昔、軍事のために開発されたコンピューターやインターネットが民間に解放されたことで、今ではアップル社などの民間企業の技術を国家が利用するようにもなっている。

大きな力が成せることもあれば、小さな力だからこそ成せる業もあるということか。



栄光の歴史を刻んだ「スペースシップ・ワン」の技術は、やはり民間のヴァージン・グループに引き継がれ、「スペースシップ・ツー」の開発に結びついた。

「スペースシップ・ツー」は民間人の宇宙旅行を可能にするものである。

その費用は一人20万ドル(およそ1,600万円)と高額であるが、400人以上もの予約が殺到しているのだという。




「今日の希望は、明日の現実である」と、ルターン氏は語る。

確かに、宇宙への荒唐無稽な希望は、数々の不可能を現実化してきた歴史がある。

その希望がある限り、「宇宙旅行」という途方もない夢想も、いつの日か現実のものともなるのであろう。



希望が現実をつくるのならば、逆に失望が現実をつくることもあるのかもしれない。

我々はどんな未来を望むのか?

失うことを望む(失望)のか、希(まれ)であることを望む(希望)のか。



希望の「希」とは、「めったにない」ことを表す。

何が「めったにない」のかと言えば、天から離れた人間たちが、再び天まで到達することが「めったにない」とのことである。



「滅多になかろうが、少しは望みがあるのだろう」、ルターン氏ならばそう言うのかもしれない。

彼の一縷の望みは、多くの人々を宇宙(天)へと到達させてしまう可能性を示すことができたのだから。

「今日の希望」がある限り、宇宙は着実に近づいてきているのである。






出典:コズミック フロント〜発見!驚異の大宇宙〜
砂漠のスペーストラベラー 到来!宇宙旅行時代



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2011年12月08日

惑星を巡る壮大なツアーを成し遂げたボイジャー。その旅はまだまだ終わっていない…。


30年以上も宇宙を旅する「探査機」がある。

「ボイジャー1号」、そして「ボイジャー2号」である。



1号はすでに「太陽系」を脱出したと考えられ、2号はその脱出の途上にあるとみられている。

太陽からの距離は1号が約177億km、2号が約144億km。想像すら及ばないほど遠い旅路にある。

さらに両者は、今なお弾丸の10倍以上という超高速で旅路を邁進し続けている(1号・時速6万1,000km以上、2号・時速5万5,000km以上)。

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この遠大なる旅が始まったのは、今から34年前(1977)。

そのミッションは「惑星グランド・ツアー」と名付けられた。



「グランド・ツアー」という言葉は、もともとイギリスの裕福な貴族の子供たちが、学業の終了とともに行う海外旅行で、主な行き先はフランスやイタリアであったという(18〜19世紀)。

それに対して、ボイジャーの「グランド・ツアー」はスケールの桁が違い過ぎる。

なにせ、「木星・土星・天王星・海王星」を連チャンで巡るのだ。



そして、その惑星グランド・ツアーのチャンスは「175年に一度」しかない。

というのも、上記4つの惑星が「同じような方向」に揃ったときにしか、この夢のグランド・ツアーを行うことが出来ないからだ。

もし、各星々がテンでバラバラの場所にあったら、とてもじゃないが一度の旅行で全て回るという贅沢旅行は、まず不可能だ。



その175年に一度の貴重なチャンスの年が「1977年」。まさにボイジャーが地球の地を蹴ったその年だったのである。

しかし、よくもこれほど遠大で荒唐無稽な計画が実行に移されたものである。



人類が月に降り立ったのは1969年。

つまり、ようやく人類が「最も近い星(月)」に到達して10年も経たないうちに、ボイジャー兄弟は太陽系で最も遠い惑星たちを目指したことになる。

そして、そのナイス・トライは見事すぎるほどの成功を収め、30年以上たった現在でも運用が続いているというのだから驚きである。



いったいボイジャー兄弟(1号・2号)は宇宙の深遠で何を見たのか?

彼らと一緒に、惑星グランド・ツアーを追体験してみよう。



まず、最初の目的地となったのは「木星」である(1979)。

当時、地球の望遠鏡で見る木星は、かろうじて「しましま」が分かる程度の薄ボンヤリとした星であった(地球の湿った大気を通して見る宇宙は、水中から空を眺めるようなものである)。



それに対して、宇宙空間からボイジャーが送ってきた映像は鮮烈であった。

木星の大気が渦巻くさまが躍動的に、そして芸術的に映し出されていたのである。

連続写真の解析によれば、風速100m以上という想像を絶する強風が木星表面で吹き荒れていることも判明した。

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さらには、木星の惑星「イオ」の火山活動による「噴煙」までが確認された(計8ヶ所)。

木星近辺は太陽のエネルギーが地球の25分の1しか届かず、ほとんどが凍っており、いわば「死んだような世界」と当時の人々は考えていた。



ところが、凍っているどころか、なんと火山があったのだ(地球以外では宇宙初の発見)。

しかも、イオの火山は地球の火山の10倍以上の噴煙を上げていたのである(噴煙の高さ270km)。



興奮冷めやらぬままに、次の星「土星」が見えてきた(1980)。

地上からの確認で、土星には「輪っか」があることくらいは分かっていた。小学生の描く土星程度には…。

しかし、ボイジャーが示したほどに、土星の輪が繊細で美しいものであるとは誰も知らなかった。

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その糸のように精緻な輪っかは、1,000以上にも識別でき、それらが氷の塊が旋回している結果ということも分かった。

おそらく、土星を回っていた衛星の破壊された残骸が、輪となって土星を彩っているのだろうと考えられた。



以上、ボイジャー1号による報告である。

彼は土星を後に、太陽系外へと離れて行った…。



「天王星」を見たのはボイジャー2号である(1985)。

天王星での驚きは、この星が「横倒しに転がっていた」ことである。

普通の惑星は、回転するコマのようにキリリと直立している。地球は首をかしげた程度にしか傾いていない(23°)。



ところが、天王星ときたら、真横になってゴロゴロと転がっているのである(98°)。

これは、ボイジャー2号の赤外線写真で明らかにされた意外な真実であった。



さて、いよいよ「海王星」が見えてきた。

この遠い遠い星は、地球から見ると「点」にすぎない。

そして、遠過ぎるためにボイジャー2号からの電波も「微弱」である。



ボイジャー2号の発する電波はわずか20W。トイレなどにある暗い電球ほどの出力しかない。

その弱々しい電波は、宇宙空間を通る間に、瀕死の状態にまで衰弱する(1兆分の1の1兆分の1の10万分の1)。



そんな遥か彼方の、トイレほどの乏しい灯りをキャッチしたのは、日本の観測所であった(臼田宇宙空間観測所)。

というのも、ボイジャー2号が海王星を捉えられるのは、わずか2〜3時間。その貴重な時間帯にアメリカは地球の裏側だったのである。



世紀の瞬間は、日本の技術者たちの手に丸投げされた。

世界の期待を一身に背負った日本人たちは、リハーサルにリハーサルを重ね、分単位で各人の行動が定められた。



そして…、きたっ、きたっ、きたっー。

小さな日本人たちは、見事に小さな小さな小さなボールをキャッチすることに成功したのである(1989)。

45億kmの彼方(かなた)からの微かな微かな声は、日本の大きな技術力によって、しっかりと受け止められた。



そこに描き出された天王星は真っ青。どこかしら神秘性を帯びて見えた。

この美しい青色は、メタンによるものであることは後に分かる。

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この澄んだ青い空にたなびく白い雲。

この雲の確認により、天王星の内部には熱があり、大気が循環していることが推測された。

天王星に届く太陽エネルギーは、地球のわずか900分の1。それでも、その世界は氷一色ではなく、かすかなる暖かさがあったのだ。

そして、その暖かさを示したのが、天王星の白い雲であった。



この惑星グランド・ツアーは、とりあえずはここに終わる。

名残惜しさを感じたボイジャー1号は、故郷・太陽系を去るにあたり、記念写真をとっておこうと思い立った。

地球を含めた全惑星を一同にとらえる「家族写真(Family Portrait)」である。

太陽から60億kmも離れたところにいるボイジャーだからこそ出来る、まさに「離れ業(わざ)」。



「カシャッ、カシャッ、カシャッ」

とても一枚では収まり切らない。計39枚を撮り、それらをつなぎ合わせた。

太陽、金星、地球(月も一緒に)、木星、土星、天王星、海王星が、この史上初の家族写真に収まった(水星と火星は出しゃばった太陽の影となり映らなかった)。

人類みな兄弟どころか、全星みな家族である。



さすがに皆んなの顔はハッキリ見えない。

各星のなかでも小さい地球は「単なる点」。その小さき様は「ペイル・ブルー・ドット(薄い青い点)」と呼ばれた。



ボイジャー計画に携わった関係者たちは、この消え入りそうなほど小さき青い点を「万感の想い」で見つめた。

「ああ、これほど小さな星の、さらにもっと小さな人間が、これほど遠くまで来れたのか…」

この小さな一点に70億を超える人類がひしめいているとは、おおよそ想像がつかない。



永遠に思える太陽系も、いつかは滅ぶ…。

いつの日にか、地球は太陽に飲み込まれる…。

その時、太陽系外にあるボイジャー兄弟は「地球の記憶」を宇宙に伝えるメッセンジャーの役割を担うのかもしれない。



ボイジャーには「ゴールデン・レコード」と呼ばれる金色に輝くディスクが載せられている。

そのレコードには、「こんにちは、お元気ですか?」など55の地球の言語、100枚以上の人間や自然の画像、ロックンロールからクラシックに至る雑多な音楽などが収録されている。

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地球が消えた後でも、このレコードは誰かの手に拾われることがあるのかもしれない。

「ああ、かつてはこんな星があって、こんな人たちが住んでいたのか…」

拾った人は、そんな想いを抱くのであろうか?



このレコードの作成に携わった科学者は庭にはうナメクジを見て、感慨にふける。

「このナメクジだって、いつかは高度な文明を築き上げるかもしれないんだよ。」



惑星グランド・ツアーは終った。

それでもボイジャー兄弟の旅は果てしもなく続いている。

彼らに搭載された原子力電池は、まだまだ持つ。現在も電波を送り続けており、その交信は2030年頃まで続くと考えられている。



ただ、あまりに太陽から遠ざかると、彼らは地球の方角を見失う。

なぜなら、彼らは太陽の光を頼りに地球の方角を知っているのだ。いずれそのセンサーの感度は、太陽光を下回る。

そうなってしまえば、地球に音信を送ることは叶わなくなる…。



それでも、彼らの旅は終わらない。

ボイジャー1号は、すでに太陽の保護下を抜けている。

太陽系というのは、太陽からの風(太陽風)によって、宇宙空間に飛び交う強大な「宇宙線」から守られている。

ボイジャー1号は、その太陽風の及ぶ限界(ターミネーション・ショック)を通過したと考えられている。

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ボイジャー兄弟が強烈な宇宙線の犠牲者となったとしても、ひょっとしたらゴールデン・レコードだけは、宇宙空間の旅を続けるかもしれない。

まさに円盤となって…。

小さな小さな人間が放った円盤は、いったいどこの宙(そら)まで届くのであろうか?



関連記事:
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出典:コズミック フロント〜発見!驚異の大宇宙〜
偉大な旅人 ボイジャー 太陽系を越えて


posted by 四代目 at 07:27| Comment(2) | 宇宙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月07日

日本の誇る宇宙飛行士・若田光一氏。恐怖の上に夢を見る。


彼は仲間内から「なんでもできる男」と呼ばれているという。

宇宙飛行士の「若田光一」氏のことである。



スペースシャトルによるミッションに2度参加し(1996・2000)、3度目にはISS(国際宇宙ステーション)において、長期滞在(4ヶ月半)のミッションを完遂した。

宇宙に3回も行った日本人は、若田氏だけである。



若田氏の得意とするのは「ロボットアーム」の操縦。

最初のミッションで、巧みなロボットアームの操作により、宇宙空間に浮遊する人工衛星の回収に成功(1996)。

その腕前が買われ、2度目の宇宙では、ISS(国際宇宙ステーション)の組み立て建設を請け負い、見事に成功(2000)。

3度目のISS(国際宇宙ステーション)長期滞在中にも、日本の宇宙実験棟である「きぼう」の連結にも成功(2009)。



当時、ISS(国際宇宙ステーション)の船長であったマーク・ポランスキー氏は、若田氏に最大限の評価を与える。

「彼はロボットアームの第一人者であり、その技術力は極めて高い。

知識も豊富で、さらには勤勉。まさに理想的である」

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そんな凄腕の若田氏は「自分にはセンスがない」という。

「その人の価値は、努力の量で決まるのだと思います」。

驕(おご)らず謙虚な若田氏は、48歳になった今でもトレーニングを欠かすことはなく、2013年からのISS(国際宇宙ステーション)長期滞在においては、日本人初の「船長(コマンダー」に選出されている。



若田氏が宇宙に目覚めたのは、5歳の頃。

そのキッカケは、アポロ11号の月面着陸(1969)だったという。

幼少の胸に芽生えた宇宙への想いは、29歳で花開く。日本人初のミッション・スペシャリストに選出されたのである(1992)。



そして、初の宇宙での成果が、見事なるロボットアームさばきだった(1996)。

「光一が衛星の捕獲に成功!(スペースシャトルからの交信)」

「やってくれる男だと思っていたよ(地球の管制室による応答)」



宇宙への一本道を歩き続けている若田氏であるが、その途上の2003年に起きたスペースシャトルの事故は恐しい衝撃だったという。

地球への帰路の大気圏突入時、スペースシャトル(コロンビア号)は空中分解。

若田氏と一緒に訓練を積んできた仲間7人が命を落としたのである。



明らかな「恐怖」が若田氏の心に芽生えた。

彼の幼い息子も然り。「宇宙に行くとお父さんは死ぬ。だから行かないで!」

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若田氏は今なお「恐怖」を抱えたままである。

そして、その恐怖は宇宙を知れば知るほどに「どんどん強く深まって行っている」という。



その深まる恐怖を、彼はこう考えている。

「リスクに向き合うことでしか、前に進めない」

たとえ彼が人類最高峰の技術力を持っているとはいえ、彼の置かれる場所は常に人類の「最前線」。その先には、「未知の領域」以外に存在しない。

つまり、彼の踏み出す一歩は、常にリスクの中なのである。



「リスクは絶対に見逃さないという姿勢で望んでいます。

隠れ潜んでいるリスクを一つ一つ潰していくことでしか、深まる恐怖から遠ざかることはできないのです」



宇宙飛行士の訓練というのは、通り一遍のことは出来て当たり前。

問われるのは、「不測の事態」にどう対処するかである。想定外などという言葉を軽々しく口にできる世界では決してない。

「死」は、いつも隣に座っているのである。



例えば、音速の航空機による訓練。

上空数千メートルで、突然エンジンを止められる。

さあ、どうする?

こんな過酷な訓練が日常なのである。



今回、ISS(国際宇宙ステーション)の船長(コマンダー)になるにあたり、リスク管理能力は、通常の乗組員以上に求められる。

そのための訓練が、星の街(ロシア)で行われた。



ここで試されたのは、着たことがなかった宇宙服(ロシア製)による訓練であった。

宇宙服は「小型の宇宙船」と呼ばれるほどに、複雑で精緻な構造を持っている。その構造から取り扱いからを数日の内にマスターしなければならない。

自分が着ない宇宙服だからといって「知らない」では済まされない。彼は船長なのだ。あらゆる乗組員の宇宙服のトラブルに的確に対処する責任を持つ。



その不慣れな宇宙服を着た訓練は、意地悪なほどに過酷である。

突然、気圧を変えられたり、酸素を遮断されたりする。

宇宙飛行士は、考えられうるリスクは全て試される。それでも、宇宙では予期せぬことが頻発するのだ。



百戦錬磨の若田氏とはいえ、知られざる対処に判断を誤ることもある。

厳しい教官の声が飛ぶ。「このケースでは、冷静に状況を分析している場合ではない」。

時には、冷静な分析をする前に、反射的に行動しなければならないケースもある。初動の遅れが、取り返しのつかない事態を生むこともあるのである。

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宇宙においては、限られた環境の中で、最善を尽くさなければならない。

ほんのわずかなことも「ごまかす」ことなどできない。ごまかしは死を引き寄せるだけである。

常日頃から、「自分にウソをつかず、他に責任を転換しないようにしなければならない」と若田氏は肝に命じている。



「それでも、宇宙へ」

幼な心に芽生えた夢は、今だに成長を止めてはいない。

前へ前へと進み続けている。



そして、彼の夢の引力に、次世代の子供たちはグングンと引き寄せられる。

冷め切った大人たちは「宇宙に行って何になる?」と問うかもしれない。

しかし、夢見る子供たちに対して、それほどの愚問もないだろう。



人類の未来は、いつも夢の中にあった。

そして、いつの時代にも、その夢は冷静な人々に冷笑されてきた。

ライト兄弟は本当に愚かだったのか?



人間の頭で考えうることは、悲しいほどに限定的である。

リスク一つとっても、あっという間に想定外となってしまう。



宇宙には夢がある。そして、それ以上の危険がある。

「だから、宇宙へ」

幸運にも、人間の夢見る能力だけには限界がなさそうである。



今は亡きスティーブ・ジョブス氏は、若者たちを前に、こう語った。

「Stay Hungry, Stay Foolish(どん欲であれ、バカであれ)」



この言葉は「ホール・アース・カタログ」という雑誌の絶筆のメッセージである(1972)。

この雑誌は、世界の矛盾に絶望していた若者たちに、夢と希望を見せてくれたのだという。



若田氏は、こう語る。

「宇宙は夢見る創造の空間」

いまだ空白の多い宇宙という「画用紙」には、まだまだ自由な夢を書き足す余地が存分に残されている。

その未知という希望は、人類の心を奮い立たせて止むことがないようである。

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関連記事:
宇宙に暮らすという人類の夢。米露の融和が導いた宇宙ステーションの歴史に想う。

スペースシャトルあっての大事業「国際宇宙ステーション」。世界平和への記念碑的な意義。



出典:プロフェッショナル 仕事の流儀
「極限の宇宙 コマンダーへの道〜宇宙飛行士・若田光一」


posted by 四代目 at 07:43| Comment(0) | 宇宙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする