2011年07月03日

日本人の心の山・「富士山」。その信仰の歴史とともに。

7月1日、富士山は恒例の山開きをむかえ、今月・来月と2ヶ月間の登山シーズンが本格スタート。

さっそくのご来光を拝まんと、夜明け前から400人が登山道に列をなした。山頂においては、濃霧の中から顔を出した朝日に、「万歳」の声がコダマしたとか。

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「不二(二つとない)」、「不尽(尽きることがない)」などが、その「いわれ」とされる富士山。

日本三霊山とは、富士山、立山、白山のことを指すが、富士山ほど日本人に愛され、信仰された山は、他にない。



富士山の神様といえば、「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」である。

「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」の父は、日本各地の山を統括する神であったため、娘に日本一の秀峰「富士山」を譲り渡したといわれる。

天孫降臨とともに日本に降り立った「ニニギノミコト」は、「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」に一目ぼれして求婚、妻としたという。この姫は、「美しさ」と「はかなさ」の象徴であった。

また、「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」は、火の中から生まれたという伝説があり、火の神様とされると同時に、水の神様ともされ、富士山の噴火を鎮めるとも言われている。

富士山を御神体とする「浅間神社」は、この神を祀っている。



「死者の魂は山に還る」という「山上他界」の信仰が、日本には古来より存在するが、富士信仰もこうした在来信仰を基盤にすると考えられる。

そうした信仰は「富士講」へとつながってゆく。

「富士講」とは、戦国時代の行者・長谷川角行が開祖とされる組織であり、角行は、富士山西麓の人穴にて、苦行を積んだといわれている。

その弟子の村上光清は、浅間神社新築の大事業を成し遂げ、別の弟子の食行身禄(じきぎょう・みろく)は、断食して即身成仏(ミイラ)となった。

食行身禄の偉業に、江戸の庶民は熱狂し、富士講は一気に世間に広まり、「江戸八百八講」と言われるほどに、無数の「講」が林立したという。



江戸の皆が富士山に憧れるといえども、誰でもが登山できる時代ではなく、各講の代表者のみが富士山へと向かうことが許された。

登山口での宿泊先は、「御師(おし)」と呼ばれる祈祷師の屋敷である。この屋敷にて、特別な宗教的儀式が執り行われたという。

最盛期には86もの「御師宿坊」が立ち並んだというが、現在は10を残すのみである。

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「富士を拝み、富士山霊に帰依し、心願を唱え、報恩感謝する」という富士講。

白装束に金剛杖で、六根清浄を唱えながら、行者たちは富士山を登る。

その一群を率いるのが、「先達(せんだつ)」と呼ばれる人物である。



昭和の大先達と呼ばれた「井田清重」氏は、語る。

「富士山は征服するという山ではない。登れたことに感謝する山である。」

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富士山に登れない人々のためには、「富士塚」と呼ばれる人造の築山も用意された。

富士塚は日本各地に造られ、その塚に登り、富士山を拝むことができた。

富士山の溶岩をわざわざ運んでつくった富士塚もあれば、たいそうな大きさの富士塚もある。現存するいくつかの富士塚の中には、重要文化財とされるものも4つほどある。

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現在、かつてほど明確な形をとった富士信仰は少なくなった。

しかし、日本人の多くは、「何となく」富士山への信仰を続けている。

今年の初登山の人々の声を聞けば、「被災地に祈りを捧げるために登った」、「世の中を明るくしたい」、「良縁に恵まれますように」などなど、様々な祈りの形が見え隠れする。



単なる登山の枠を超える意味をもつ「富士登山」。日本人ほど、一つの山に熱狂的になる国民も、世界では異例である。

富士信仰には、しっかりした歴史的背景があるものの、それを知る人はごくわずかであろうし、多くの人々にとって、そんな薀蓄(うんちく)は全くの無意味。

ただ、富士山という存在が、日本人を惹きつけるのみである。

日本人の心には、宗教という枠を超えた「信仰心」というものが、生来備わっているかのようである。

そのあまりにも自然な信仰心は、宗教の未来の形なのかもしれないと思えてくる。

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終戦とともに出現した昭和新山。その緑の復興をになった植物たち。

出典:新日本風土記 「富士山」
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2011年06月29日

終戦とともに出現した昭和新山。その緑の復興をになった植物たち。

北海道に、世界でも珍しい山がある。

「昭和新山」である。

およそ400mのこの山は、たった2年で突然できあがった山だ。



この一帯は、のどかな田園地帯であり、かつては麦畑が広がっていたという。

それが、度重なる「地震」と「噴火」により、平和な畑が突如セリ上がってくる。

昭和新山を形成したマグマは粘りが強く、そのマグマが地中で固まり、それから、下のマグマに押し上げられるようにして、地中に顔を出してきたのだという。



時は、第二次世界大戦の最末期。

見る見る隆起するマグマの塊(かたまり)に、世も末かと、周辺住民は不安におののいた。

日本政府も世間を動揺させまいと、噴火の事実を国民に知らせなかった。そのため公的な観測は禁じられ、この貴重な観測記録は限定的となった。



唯一残る観測記録は、地元の郵便局長「三松正夫」氏によるもの。

「噴火は地球の内部を探る最大のチャンス」とばかりに、寝食を忘れ、この造山活動の一部始終を記録に残す。

この時の記録は、数年後に開かれた「万国火山会議」にて、世界から絶賛されることとなる。



噴火・地震が収まり、昭和新山が落ち着いたのは、1945年9月。

折りしも、終戦とおなじ時期であった。



それから、70年近くが経過し、昭和新山の麓には、森が形作られてきている。

岩だらけの土地に、最初に現れたのは、「コケ」である。

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彼らは岩にひっついて、少ない水分をとらえ、静かに地ならしを始めた。

次第に、ほかの植物達もやって来る。マグマの地熱が残る昭和新山周辺は、土さえあれば植物には優しい環境である。

北海道では珍しい「ハハコグサ」も、地熱の温かさで生育することができた。

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最初に大木となったのは、「ドロノキ」だ。

この木は、材質がドロのように柔らかくて、建材に使えないことから、「役立たず」という不名誉ないわれがある。

しかし、ドロノキは先駆植物としては、かなり優秀だ。

少ない土でも、効率よく養分を吸収して、土地を開拓するかのように、グングンと背丈を伸ばす。

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ドロノキの葉っぱは分厚く、葉の「チッソ」濃度が高い。

そのため、光合成が効率よくできる。これが成長の早い秘訣である。

葉にチッソが多いと、虫にとっても最良のエサとなる。ドロノキは虫を呼び、虫は小鳥を呼んだ。小鳥を捕らえんと、猛禽類もやって来た。静かな森の始まりである。



ドロノキの「チッソ」の多い葉は、落葉してからの分解が速い。

つまり、落ち葉がすぐに良質な土となるのである。ドロノキの葉は、数ある樹種の中でも、最も分解の速い部類に入る。

ドロノキのおかげで、森の進化は加速した。



ドロノキが土を作り、土がさらなる森を作った。

噴火後の荒涼とした山肌の麓には、今、緑が生い茂っている。

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終戦とともに始まった、昭和新山の緑の復興。

日本の戦後景気は、バブル以来、長らく低迷を続けているが、昭和新山の緑は、グングンと隆盛を増している。




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出典:さわやか自然百景
「北海道 昭和新山」
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2011年06月03日

世界で初めてエベレストを征服した女性は「日本人」であった。田部井淳子の偉業。

「田部井淳子(たべい・じゅんこ)」

山好きにとって、この名は燦然(さんぜん)と輝いて響く。

世界最高峰、エベレストに挑戦し、「女性」として、世界で初めてエベレストの頂に立った女性である。

今から36年前、1975年の快挙であった。




エベレストに登るには、個人の力量もさることながら、びっくりするほどの「お金」が必要である。

当時の女性の初任給は「4万円」。登山に要した費用は、その1,000倍以上、「4,300万円」。

車のシートを切って、自作「手袋」をつくるほどの節約を強いられた。

世界初の快挙を成し遂げた女性登山隊は、世界一の「貧乏」登山隊でもあったのだ。



血のにじむような4年間の準備期間。

ようやく一行は、ヒマラヤのベースキャンプにたどり着く。

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あの悲劇はここで起きた。



ジェット機のような爆音とともに、巨大「雪崩(なだれ)」が発生。

夜の出来事であったため、全員テントで眠っていた。

逃げる間もなく、巨大雪崩は、そのテント村を飲み込む。

15人の女性隊員のうち、13人が重軽傷という惨事となった。



「日本女子隊がヒマラヤで遭難」

「女性初登頂は絶望的」

新聞は、この話題で持ちきりであり、記事を読んだ100人中100人が、諦めた。



ところが、女子登山隊の執念は「ヘビ」よりも深かった。

「今までの4年間を無駄にしてなるものか!」

まさかの頂上アタック決行。



結果は周知のとおり、見事すぎるものであった。

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山頂に立ったのは「田部井淳子」。

ここに世界初の偉業が成された。



当時、彼女には3歳になる娘がいた。

娘の誕生日、田部井はヒマラヤにいた。

娘に一筆、ヒマラヤからハガキをしたためる。

「誕生日おめでとう」。

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彼女の娘は、この手紙を今でも大切に持っている。



田部井は、エベレストだけで終わる女ではなかった。

1991年には、女性で世界初、七大陸最高峰の登頂者になり、偉業に偉業を重ねた。



今回の番組で、NHKのアナウンサーに「エベレストの登頂、すごいですね」と感心された田部井。

「若気のいたりです」とアッサリ返す。



山を登る人たちは、一様に「気取り」がない。

世界的な偉業を成しても、一見、そう見えない。

山というトンでもない巨人の前に、人はあまりにも小さい。

自分よりも大きな存在が、常に目の前にあると、おのずから謙虚になれるのかもしれない。



今までエベレストの頂上に立った日本人は、142人。

世界では、アメリカに次いで多い数字である。




出典:世界の名峰 グレートサミッツ
「世界最高峰エベレストに挑む」
posted by 四代目 at 09:36| Comment(0) | 山々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月11日

「岳(石塚真一)」

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山岳地帯での救助活動を続ける主人公、島崎三歩。
彼の行動・言葉には、直情的な純粋さがある。

彼の生きる世界には
現代社会の毒気が全く感じられない。

知らず知らずのうちに
毒されてしまっている我々にとっては
まさに雲上の出来事を垣間見るかのごとしである。

本作は映画化された。
小栗旬・長澤まさみ等が演じることとなる。
5月7日公開である。

今月号の「BE−PAL」には
主演・小栗旬のインタビュー記事がのっていた。

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高所恐怖症だという小栗旬曰く、
「最初はどうして主人公の三歩の役が
僕に来たんだろうって思ったんです。
イメージが違うんじゃないかなって。」

登山初心者であった彼は、
数ヶ月の訓練を経て、
スタッフの誰よりも高度な山岳スキルを
ものにしたのだとか。

ちなみに映画で彼が着ているウェアは、
マウンテンハードウェアのカラバロジャケット。
下記画像はその色違い。


ゴアテックス3レイヤーの3層目に
軽量で高透湿の極薄裏地を採用した、
超軽量の高機能ウェアである。

posted by 四代目 at 11:23| Comment(0) | 山々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月05日

南米最高峰、高山病との闘い

南アメリカで一番高い山はといえば?

「アコンカグア」である。
チリとアルゼンチンにまたがる標高6962mの山だ。

この山の難しさは、
その登頂成功率の低さからもうかがえる。
成功率はおよそ30%でしかない。

「岩の衛兵」とも呼ばれるその山容は
なんぴとをも拒んでいるかのようである。

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アコンカグアほどの標高になると、
酸素の量は、平地の半分以下になる。

血液中の酸素が足りなくなると
「高山病」になり、もう動くことはできない。

この偉大な山の頂に立つには、
いかに「高山病」を防ぐかということが
最大の課題となる。

高山病の対策の一つとして、
「水をしっかり飲む」というのがある。

体内の水分が不足すると、
血液がネバついて、酸素の巡りが悪くなるからだ。

この山、アコンカグアの登山では
一日3リットルの水を飲まなければならない。
山肌のあちこちに真夏でも雪が残っているので、
その雪をバーナーでとかして飲むのだ。

また、この山のベースキャンプには診療所があり、
登山者は必ずここで高山病の検査を受けなければならない。

もし、検査で高山病の兆候が表れれば、
アコンカグアに登ることは許されない。

なぜそれほど厳しく規制せざるをえないのか?
高山病によるトラブルがそれほど多いためである。

今回のNHKの取材班は、
登山のベテランのみが選抜されていたのだが、
クルー4人中、山頂に立てたのは1人だけだった。

天候は比較的安定していたものの、
やはり高山病で次々と脱落していったのだ。

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日本国内でも、高山病対策として
低酸素トレーニングを繰り返したメンバーであったが、
それでも高山病は防ぎきれなかった。

取材班にとっては過酷な登山であったが、
その苦労の分、映像には迫力があり、
大きな感動に包まれた。


出典:NHKプレミアム8 
世界の名峰 グレートサミッツ
「白い嵐の頂に挑む」〜南米アコンカグア〜
posted by 四代目 at 06:28| Comment(0) | 山々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする