日本のライチョウ研究者
中村浩志(なかむら・ひろし)氏は言う。
「恐れていたことが、ついに起きてしまいました」

2015年8月、北アルプス東天井岳で、ライチョウの雛がサルに捕食されていることが確認された。
中村氏は言う。
「本来は草食性のサルが、ついに肉食にも手をだしたということです」
この写真が撮影された東天井岳では現在、ライチョウの幼鳥がほとんど育っていないという。
中村氏はつづける。
「オスの猿は大人になると、生まれた群れを離れて他の群れへと分散してゆきます。つまり、ライチョウを食べる習性も他の群れへ次々に伝播していくということですから、もはや待ったなしの状況です」
中村氏がライチョウの調査に乗り出したのは、20代の頃。
ライチョウは特別天然記念物なだけに、捕獲して調査すること対して、環境省、文化庁、林野庁、さらには捕獲場所の県や自治体など、すべての関係機関からの許可が必要だった。そのためか、従来の研究者たちはライチョウに触れることすらしていなかった。
しかし、しっかりした保護のためには、一羽一羽のライチョウを捕獲し、足環によって個体を識別して、ライチョウの生態を細かに把握する必要があると中村氏は考えた。
中村氏は言う。
「ライチョウの捕獲方法をいろいろと試行錯誤しました。当初はカスミ網を張って、ライチョウの群れを追い込もうとしたのですが、彼らもイザとなると俊敏で、なかなか上手くいきませんでした。思案の末にたどり着いた方法は、釣竿の先にワイヤーの輪をつけて、その輪をライチョウの首にかけて捕獲するというものでした」
思ったよりも簡単な方法で、ライチョウは捕まえることができた。なぜなら、日本のライチョウは人を警戒しなかったからだ。
中村氏は言う。
「世界各国のライチョウを見てきましたが、驚いたことに海外のライチョウはみな警戒心が強く、100m離れたところでも人間の姿を見つけると飛んで逃げるんです。一方、日本のライチョウだけは人を恐れません。その原因には日本文化が深く関わっていることに気づきました。この独自性に、海外の研究者はとても驚きます」
なぜ、日本のライチョウは人を恐れないのだろう?
その理由を、中村氏はこう語る。
「日本人は昔から、里と里山は人の領域、奥山は神の棲む領域として使い分けてきました。だから奥山にはいったときは神罰を恐れて、動物を殺して食べるといった殺生はほとんどしてこなかったに違いありません。奥山のもっとも高いところに棲むライチョウは、日本人にとって長いあいだ『神の鳥』だったのです。だからこそ、日本のライチョウだけが今日でもなお、人を恐れないのだと思います。私はこれを奇跡だと思います」
中村氏が最初にライチョウを調査した1985年、その数は3,000羽をかぞえた。それから25年後、ライチョウの数は2,000羽へと減少していた(約33%減)。
白馬岳では784羽から321羽へ(約60%減)、仙丈ヶ岳では288羽から154羽(約47%減)へ。また、白山、木曽駒ケ岳、蓼科山、八ヶ岳などでは絶滅が確認された。
中村氏は言う。
「野生動物は一般的に『1,000個体いれば安定的に存続できる』といわれていますが、それはあくまで一つの集団として生息している場合です。ライチョウは長い距離を飛ぶことができないので、生息環境が悪化しても他の山岳に移動することができません。隔離された小集団は、遺伝的な多様性が低いため絶滅の危険が高い。ライチョウの絶滅はそれぞれの山ごとに起こりつつあります」
ライチョウは何万年もかけて、高山の寒い環境に適応できるよう進化してきた。ところが昨今の温暖化によって、その生息環境は徐々にせばめられてきている。
中村氏は言う。
「温暖化により年平均気温が1℃上がると、ライチョウの生息できる標高は154m狭まってしまいます。全山のなわばりを調査した結果、1℃の上昇により、30年前の74.2%にまで数が減少すると推測しています。最も標高の低い生息地である火打山には、30羽にも満たない日本最小の繁殖集団がいますが、今後、たった1℃の上昇で絶滅してしまうでしょう」
もし3℃上昇すれば、生き残れるライチョウは全体の6.4%にすぎないという。それは「ほぼ絶滅」を意味する。
山岳地帯の温暖化は、ライチョウのみならず、他の野生生物の動向も変えてしまった。
中村氏は言う。
「サル、クマ、シカ、イノシシ、チョウゲンボウといった、本来低山に生息する動物が、ここ20年で高山帯に侵入するようになりました。彼らの一部はライチョウを捕食し、エサや棲家となる高山植物も根こそぎ荒らしています。とりわけ南アルプスの鹿の食害は甚大で、あと数年もすると今あるお花畑がほぼ全滅してしまうのではないかと私は考えています」
食害のあとには、高山からの土砂流出も懸念される。
また、野生生物が増えすぎた原因は人間のライフスタイルの変化にもある、と中村氏は言う。
「かつては狩猟によって、大型野生動物は増えすぎずにバランスを保ってきました。しかし狩猟にたずさわる人が大幅に減ったことにより、これらの動物が人里ちかくで著しく増加したのです。増えすぎた野生動物は、新たな食料をもとめて高山へ侵入し、ライチョウだけでなく高山そのものの環境まで破壊しつつあります」
山や川で遊んで育ったという中村氏。
野に遊んだ思い出をかたる。
「近所の神社の大きなケヤキの樹上に、アオバズクの巣穴がありましてね、卵からかえった真っ白なフワフワの雛を、巣穴からとりだして見るのが毎年の楽しみでした」
学校の授業はそっちのけ、自分の手のなかで鳥を観察することが大好きな「鳥少年」だったという。
信州大学では生態研究所にはいった。
「研究室の活動で、長野の戸隠高原にある探鳥会にでかけることがあったんです。戸隠山周辺には古くから修験道を中心とした山岳信仰で崇め守られてきた、ブナやミズナラの豊かな原生林があります。そこで、子供の頃には見たこともなかった色美しい野鳥をたくさん目にして、将来は鳥の研究者になりたいと思うようになりました」
その研究室で、羽田健三先生にお世話になった。羽田先生は日本ライチョウ研究の第一人者であり、中村氏がライチョウにかかわるキッカケを与えてくれた恩師であった。
あれから30年。
羽田恩師はもう亡くなられた。
そして現在、羽田恩師の時代には考えられなかった様々な問題が、ライチョウをはじめとする野生生物の身におきている。
中村氏は生粋の野生児だっただけに、自然に対する直観力がするどい。そうした自然の感性にくわえ、鳥類の捕獲、足環による個体識別などデータ的な実績も深い。
ゆえに、現在日本で行われているライチョウをはじめとした絶滅危惧「予備軍」に対する保護のありかたに納得がいかない。
中村氏は言う。
「現在、環境省の予算の多くは "すでに絶滅したトキ" に使われています。しかしトキに注目している間に、人知れず絶滅に近づいている種がどんどん増えているのです。トキの輸入元である中国では保護に成功して2,000羽になり、絶滅の危険性はなくなりました。日本でこれだけお金と労力をかけてトキを増やす意味は、もはやないのです。野生動物の保護は、その種が危篤状態になってからどんなにお金や最新技術を注ぎ込んでも、もう手遅れです。だから、現存する生物の保護は、まだある程度数が保たれているうちに手をつけなくてはならないのです」
それが、絶滅した日本のトキが教えてくれる教訓だ、と中村氏は言う。
日本のライチョウは、まだ生きている。
氷河期、日本に移り棲んで以来、脈々とその血族をつないできた。
中村氏は言う。
「世界最南端たる日本の高山で、ライチョウは奇跡的に生き延びてきました。日本のライチョウは、日本最後の『自然を象徴する鳥』でもあります。世界の研究者が驚くこの貴重な鳥を、高山の自然とともに次の世代に残すために何ができるのか? いま問われているのです」
(了)
出典:岳人 2016年 05 月号 [雑誌]
中村浩志「切り拓く、ライチョウ保護のかたち」
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