「数学者と呼ばれる人たちは、毎日いったい何をしているのか?」
そんな質問をよく受けるという「マーカス・デュ・ソートイ」教授。彼はオックスフォード大学(イギリス)で働く数学者の一人だ。
ソートイ教授いわく、「たとえば、物理学者や化学者であればイメージはしやすいだろう。化学者は薬品を混ぜて爆発させ、物理学者はモノをぶつけて壊している。では数学者は?
普通の人はこう考えているだろう。数学者とはきっと小数点以下何十ケタまでの割り算をこなしているのだろうが、でもそのうち、コンピューターに仕事を奪われてしまうのではないか、と。
でも、そう考えるのは学校での数学の教え方がまずいからだ。それはたとえば楽器を教えるときに、本当に素晴らしい音楽を聴かせることなく、ひたすら音階やアルペジオだけを練習させる教え方だ」
数学者とは何か?
「その質問に私はいつも、数学者とは『物事のパターンを探す人だ』と答えている。数学はパターンや法則を見つける科学である。つまり数学とは『秘められた法則を探す科学』だ。
これは音楽がただの雑音と違い、ある規則やパターンによって演奏されることとよく似ている」
今回の特別講義において、ソートイ教授が紐解くのは「素数」に秘められた謎。
素数とは、小さい方から「2、3、5、7、11、13…」と続く数で、1と自分自身でしか割り切れない数のこと。
たとえば、「105」という数は「3」と「5」と「7」で割ることができる(105 = 3 × 5 × 7)。だが、3と5と7はそれ以上割ることができない。つまり素数だ。
「とてもシンプルな数字でありながら、数学界最大の難問といわれる素数の問題。これらの数は『数の原子』とも呼ばれ、すべての数学の基礎となるものです。でも、この素数の正体はいまだ多くの謎に包まれているのです」とソートイ教授は言う。
■謎
数学者が「謎」という言葉と使うとき、それはそこに法則性やパターンを見つけられない時だ。最もシンプルで、すべての基礎となっていながら、未だパターンが証明されていないという素数。
具体的には「2、3、5、7、11、13、17、19…」と続く素数だが、「さあ、次の素数は?」と問われたときに、それを答え得る公式がまだ発見されていない。
小さい数ならば、その数よりも小さな数で順に割っていけば、その数が素数であるかどうかを確かめることができる。だが、1,000万ケタもの膨大な数となるとどうか?
「世間には1,000万ケタ以上の素数を発見すれば10万ドル(約1,000万円)の賞金が与えられるコンペがあって、見事、その賞金を手にした人もいる」とソートイ教授は言う。
「最初に10億ケタの素数を見つけたひとに、20万ドル(約2,000万円)の賞金を与えるという競争もある。インターネット上にはGIMPという素数探索ソフトウェアがあって、ダウンロードすればパソコンが勝手に計算を進めてくれる。私のパソコンにも入っている。だが、このやり方ではコンピューターの電気代のほうがきっと高くつく(笑)」
素数を探す公式が存在しないため、その探索はおのずと人海戦術とならざるを得ない。その仕事をコンピューターに任せてすら、新たな素数の発見は容易ではないと教授は言うのであった。
■パターン
「パターンを探す」という数学者によって、これまでさまざまな数の法則が明らかになってきた。
たとえば「1、3、6、10、15、21、28」と来たら、次は?
そう、「36」。
これは「三角数」と呼ばれるパターンで、それぞれの数に2、3、4、5と順に足していくことで次の数が求められる。
三角数と呼ばれる所以は絵に描くと一目瞭然。それぞれの数は、石などで正三角形をつくるのに必要な数であり、底辺に一列ずつ石を増やしていくと次の数になる。もし100番目の三角数を知りたかったら、すでに発見されている公式を使えばいい。この数にもう謎はない。
では「1、1、2、3、5、8、13、21」と来たら、次は?
そう、「34」。
これは小説『ダ・ヴィンチ・コード』でも広く知られるようになった数列で、「フィボナッチ数列」と呼ばれるものである。次の数は、直前の数字を足し合わせることで求めることができる(34 = 13 + 21)。
このフィボナッチ数列は、身の回りの自然界の至るところに見い出すことができる。
ソートイ教授は言う。「たとえば、花ビラの数を数えてみるとフィボナッチ数になっている。ひとつの花の上にもう一つが重なっている花の場合は、数は倍だ。もしフィボナッチ数ではない花を見つけたら、きっと花ビラが落ちてしまったに違いない。数学者ならそう考える(笑)」
その公式はすでにある。この式を「なかなか素敵な式だ」とソートイ教授が言うのは、そこに「黄金数」と呼ばれる、芸術界にもたびたび登場する不思議な数字が関係しているからだ。
ついでに、もう一つ。
「2、9、10、11、13、19」、この次は?
「数学科の学生や教授も参加してくれて構わない」、ソートイ教授がそう呼びかけても、誰も答えられない。
「…静かだね。三角数やフィボナッチ数は知っていても、これは分からないかな? 数学科の教授たちはどうですか? 答えてもいいんですよ」
「正解は26。
もし当たった人がいたら、今週末の宝クジも必ず買うべきだ。そう、これは宝クジの当選番号だ(笑)
すべてのことに規則があるわけじゃない。じつはこうしたランダムな数列の研究も進められているが、残念ながら私はまだこの数列を見破る式は持ちあわせていない。もしあったら、ここにはいないだろう。南の島で暮らしているはずだ(笑)」
■最大の挑戦
素数の謎は、三角数やフィボナッチ数よりもむしろ「宝クジのほうに近い」とソートイ教授は言う。
「素数の数列(2、3、5、7、9、11、13、17、19、21、23…)では、23のあとは少し間があいて29がくる。まったく不規則で、次がいつ来るか予測できない。23のあと、だいぶあってから続けざまに2回くる」
「数の原子」といわれる素数は、すべての数字をつくりだす。
ならば、すべての物質をつくりだす元となる元素のように「元素周期表」なる一覧があってもよいものだ。だが、それがない。
ソートイ教授は言う。「元素に法則があるように、素数にも何らかのパターンがあるのだろうか? しかし、実際にそれを探ろうとすると、まったく何も見つからないことに君は驚くだろう。素数を求めるための万能な式はいまだに発見されていない」
パターンを探すのが数学者たる使命。
しかれども、素数にばかりはそれが見い出せない。数学者と素数の格闘苦闘。
「だからこそ私たち数学者にとって、素数は『最大の挑戦を突きつけているもの』なのだ」とソートイ教授。
■素数ゼミ
素数を最初に発見したのは誰か?
「正解は、この小さな虫だ。どんな数学者よりもずっと昔に、彼らは素数を見つけていた」
ソートイ教授が指差すのは「17年ゼミ」という昆虫。
「彼らは、とんでもなくおかしな生態をもっている。北アメリカに生息するこの種のセミは『17年のライフサイクル』をもっている。17年間ずっと土の中で過ごし、17年目になると突然いっせいに地上へと現れるんだ」
彼らのライフサイクルの基本となっている「17」という数は、素数である。
「なによりも私が興味をそそられるのは『17』という数。このセミたちは、素数を利用することが自分たちの生存競争にとって極めて効果的であることを知っていたんだ」とソートイ教授は言う。
というのも、北アメリカには13年周期のセミもいる。だが、12や14、16など素数以外の周期をもつセミは存在しない。
セミと素数の関係とは?
ソートイ教授は言う。「はっきり分かってるわけではないが、きっとこういうことだと考えられている。森の中には『セミの天敵』がいて、それらも周期的にあらわれていた。その時、素数の周期で出現したセミは、そうでない周期で出てきたセミと比べ、天敵と遭遇する確率が低かったのではないか、と」
セミと天敵が鉢合わせするのは、その周期が重なり合ったとき。ならば割れる数の少ない素数の周期のほうが、その確率は低くなる。
もし天敵が6年周期で、セミが9年だったら、その最小公倍数である18年ごとにセミは危機にさらされる。ではセミの周期がより短い7年だったら? その最小公倍数は42となり、周期が短くなったにも関わらず、セミが天敵と出会う確率は半分以下に激減する。
「このように、素数の周期をもったセミのほうが天敵を避けやすく、進化の過程で生き残った可能性がある」とソートイ教授は言う。
「北アメリカの森では、セミが17年の周期を見い出すまでにちょっとした競争があったのではないだろうか? 7年のセミが現れ、でもやがて天敵もそれに対応して、するとセミがもう少し頑張って『次の素数を見つける』というふうにだ」
■無限
”人間として”はじめて素数を発見したのは、古代ギリシャ人だと考えられている。
その中でも、素数について大きな発見をしたのは「ユークリッド」。彼は「素数が無限に存在すること」を証明してみせた。
「でも、どうやって? 人間のような”はなない存在”が、どうやったら”無限”なんてものを証明できるのだろうか?」
ユークリッドは、あえて素数を「有限」と仮定することで、それが不可能であることを証明してみせた。
たとえば、素数が2から43までしか存在しないと仮定すると、それら有限な素数だけで、理論上すべての数をつくれなければならない。
「でもユークリッドは、これではいつも素数が足りなくなることを証明してみせたんだ。彼はまず、すべての素数を掛けあわせたうえで、『最後に1を足した』。まさに天才的な発想だ」とソートイ教授。
1を足して新たにできた数字は、有限な素数のリストでは決して割り切れない。リストにあるどの素数を使っても”あまり”が出てしまう。つまり、新たにできた数もまた素数だった。
「じゃあ、これを新しく素数のリストに足せばいいんだ、と書き加えたとしても、ユークリッドはまた『同じ手』を使って、また全部を掛け算して最後に1を足す。何回やろうとも、ユークリッドはそのたびに新しい素数をつくりだし、素数のリストが無限にできることを明らかにしたわけだ」
ならば、その「最後に1を足す」という方法で、新しい素数を次々と見つけることができるのではないか? 1,000万ケタだろうが10億ケタだろうが。
「でも、あいにくそうはならない」とソートイ教授。素数はもっと気まぐれだった。
「たとえば、2から13までの素数を掛け合わせて、最後に1を足しても素数にはならない(30031 = 59 × 509)。まったく手に追えない。
もし、このやり方を応用して素数を突き止めることができたなら、君の名前は歴史に残るだろう。まだ誰も成功していないからだ。ユークリッドが証明して以来、素数が『無限に続くこと』は知られるようになった。ただ、素数がいつ現れるのかは全く見当がつかなかった」
■ミステリー
先にも記した、素数探しのプロジェクトGIMP(Great Internet Mersenne Prime Search)というパソコンのソフトウェア。
この計算に使われた式(メルセンヌ数)を最初に発見したのは、メルセンヌというフランスの数学者。
ソートイ教授は言う。「計算方法は、まず2の累乗をどんどん求めていく。この場合、43,112,609乗。ここから『1を引く』と突然、素数に変わった。これが2008年に発見された、初めて1,000万ケタを超えた素数だった」
そしてつい最近(2013)、1,700万ケタを超える大きな素数が発見された。
ソートイ教授「もし、今からこの素数を一ケタずつ読み上げたら、私たちは何ヶ月もこのままここにいることになる。だから、それは諦めよう(笑)」
三角数であれフィボナッチ数であれ、すでに公式が知られたものであれば、それを利用して10億ケタの数を探すことはできる。
「しかし、素数に関しては完全なミステリーだ。私たちは素数について、まだあまりにも無知なんだ」とソートイ教授は言う。
■ガウス少年
”物事があまりに複雑になりすぎた時は、そもそも正しい質問だったのか問い直すべきだ”
これは素数の専門家、エンリコ・ボンビエリの言葉。彼の言う通り、一時期、素数の問題はあまりにも複雑になりすぎていた。
そんな蒙昧のなか、「新たな問い」は15歳の少年によって投げかけられた。
その天才の名は「ガウス」。15歳の誕生日にプレゼントされた「対数の本」が、素数の世界に新たな幕を開くことになる。
ソートイ教授いわく、対数の本は「数学者なら誰もが喜ぶ誕生日プレゼント(笑)」。その本の末尾には「素数の表」が付いていた。
「対数を理解したガウスは、次に素数に取り憑かれたんだ」
「この数の秘密は何なのだろう?」
聡明なるガウス少年をしても、素数の出現に一定のパターンは見い出せなかった。
そこでガウス少年は、「素数をどうすれば求められるか」というそもそもの質問を疑い、新たに「素数はいくつあるのか」という問題に取り組み始めた。
それは、まったく馬鹿げた試みだった。
だって、すでにユークリッドは「素数は無限にある」と証明していたのだから。それを今さら「いくつあるか?」はないものだ。
そうした頭の良いオトナの数学者たちに、ガウス少年はこう反論した。
「僕が知りたいのは、たとえば1から10までの間に素数はいくつ存在するか、ということなんだ」
1から10までの間、素数は4つ(2、3、5、7)。
1から100までであれば、その数は25個。
1から1,000までなら、168個。
さらに先まで数えていったガウス少年は、それをグラフに書き落とした。それは「ガウスの素数階段」と呼ばれる、素数の個数を数えたグラフだった。たとえば100未満には25段あって、101が素数なので、ここで階段は一段あがる。
そのグラフを、ソートイ教授はこう説明する。
「ここでガウスは、これまで『一つ一つの段差がどこにあるのか』とこだわり過ぎていたと考えた。それよりも、この階段が『どのように増えていくのか?』、一步下がって大まかな傾向がないかを見てみることにした。そうすることで、ガウスの前に『秘密のパターン』が浮かびはじめたんだ」
■整っていく階段
素数がどんどん大きくなるにつれて、パターンが見えてきた。
1〜1,000までに168個の素数があるということは、およそ「6個に1個」の割合で素数が現れるということ。
1万までなら、およそ「8個に1個」。10万までは、およそ「10個に一個」が素数。
10倍ずつの階段を上るにつれ、素数の現れる確率は下がっていった。
より正確に記すなら
1,000まで「6.0個に一個」
10,000まで「8.1個に一個」
100,000まで「10.4個に一個」
1,000,000まで「12.7個に一個」
見えてきたパターンは、確率が低下する割合だった。
8.1から10.4への差は「2.3」
10.4から12.7への差も「2.3」
つまり、階段の「段差の高さ」は奇妙にも整っていたのである。
ソートイ教授は言う。「多少の誤差はあるが、本質的にこのパターンが続いていく。一見無秩序に見える素数のパターンが、このように浮き立って見えてきたというわけだ」
木を見ず、森を見る。素数を細かく見るのをやめたガウスは、その「大まかなパターン」に気がついたのだった。
「ガウスが素数の個数についての大まかなパターンを発見したとき、まだ15歳の少年だったというのは本当に驚きだ!」
■リーマンの登場
だが、揺るぎない正確さを好む数学者は、ガウスが見つけた大まかなパターンを、より正確な式にしようと考えた。
それに挑んだのは、ガウスの弟子「リーマン」。
かの有名な「リーマン予想」という、驚くべき発見はここに発する。
それは数学における最大の難題。複素数や虚数、解析関数やゼータ関数など、難解な要素が駆使して編み出されている。
それを、ソートイ教授は「音楽」にたとえて、わかりやすく説明しようと試みる。
「リーマンがやったのは、『素数に秘められた音楽』に耳を澄ますことだった」
理解の前知識として、まずは音のことを少し知る必要がる。
数学の基礎単位が素数だとすれば、音楽のそれは「音叉の音だ」とフランスの数学者・フーリエは言った。
音叉の出す音は、音のなかでも最も純粋なものであり、その波形は「正確な正弦波(サイン・カーブ)」を描く。
一方、バイオリンという楽器の音の描くカーブは「ギザギザの波」。それは、その音がたくさんの音(正弦波)が重なり合ってできているからだ。
バイオリンの出す正弦波は、バイオリンの弦の長さでそれが決まる。これが基本振動となり、さらにそこに「倍音」と呼ばれるいくつもの音の波が重なり合う。
たとえば、コンピューターで音叉の純粋な音に、一つずつ倍音の波を加えていくと、それは階段のように形を変え、新たな倍音が加わるたびにその段差は細かく数を増やしていく。
ソートイ教授は言う。
「この考え方を頭に入れれば、リーマンの功績が理解できる。つまり、素数階段を音楽のように理解すればいいんだ」
ガウスがはじめにつくった「素数階段」は、いわば純粋な「音叉の音(基本振動)」のようなもの。そこにリーマンは、ゼータ関数や複素数といった、いわば倍音のようなものを重ねながら、ガウスのグラフをより正確に細かく修正していった。
■倍音の波
「これからそのリーマンの発見をお見せしよう。もし、無人島になにか一つ持っていけるとしたら、私はリーマンの数式を選ぶ」とソートイ教授は言う。
ガウスが対数を使って求めた素数階段のグラフは、大まかには合っているが正確ではない。そこにリーマンの倍音の波が重なることで、それは正確さを増していく。
ソートイ教授は言う。「さながら、バイオリンの音を構成するそれぞれの倍音を足すことで、本来のバイオリンの音が再現されていくように、グラフは押されたり引っ張られたりしながら正確な素数階段に近づいく」
ちなみに、バイオリンの音色をコンピューターで再現する際も、同じような方法が採られる。基本振動である音叉の音にいくつもの倍音を重ねて再生することで、バイオリンの音に聞こえるよう調整するのである。
100個の倍音を重ねたとき、リーマンのグラフにもガウスの素数階段が再現されていく。
ソートイ教授は言う。「100個目の波まで重ねれば、たとえば『23と29の間に素数がない』ということも判別できる。これはガウスのグラフでは予想できなかったことだ」
■音量
リーマンが突き止めたのは、さらに驚くべきことだった。
森の木々を注意深く調べることで、ある隠されたパターンをその森の奥深くで見つけたのだ。
「たとえば、君たちがCDプレーヤーで音楽を聞くとき、その『音量』も大切だ」とソートイ教授は言う。
「そこでリーマンは、波の振動数と音量を別のグラフにまとめた。すると驚くことに、振動数はそれぞれ違うものの、波の音量はどれもまったく同じだった。すべての音が魔法のように一直線上に並んでいたんだ!」
てんでバラバラでも不思議でなかった、それぞれの音量。ところが、それらは完璧に同じだったのだ。それは偶然の一致には思えなかった。この直線はのちに、「リーマンの臨界線」と呼ばれるようになる。
「リーマンが最初の10個の波で試したら、このように整然と並んだので、彼はすべての波がこの臨界線上に並ぶはずだと予想を立てた」とソートイ教授は言う。
それが「リーマン予想(Riemann Hypothesis)」。
「もし、この線から外れる音があるとすれば、その音は他の音に比べてずいぶん大きな音で鳴ることになる。オーケストラを聴いていると突然チューバが入ってきて、ほかの演奏を台無しにしてしまうようなものだ」
果たして、素数というオーケストラは、みな同じ音量で奏でられているのか?
ならばリーマン予想は正しいということになる。
一方、とんでもなく大音量のチューバがあるとしたら、リーマン予想は破れることになる。だが今のところ、そのチューバを見つけたものはまだ誰もいない。というのは、リーマン予想は未だに証明されていないのである。
ソートイ教授は言う。
「もしリーマン予想が正しくないとすると、このように外れた音が存在するはずだ。
つまり、すべての音が同じ音で演奏されるというこのリーマン予想は、すべての音が平等で偏りがないことを示しているんだ」
■自然が与えてくれた数字
神がサイコロを振るかのように、ランダムに出現する素数。
しかしリーマン予想に従えば、そのサイコロはある枠の中から決して出ることはない。
ランダムの中に、ある種の平等なパターンが存在するとリーマンは予想したのである。
ソートイ教授は、素数を部屋のなかの空気にもたとえる。
「空気中の分子は、その一つ一つがどこにあるのか正確に知ることはできない。でも、どこか部屋の片隅に行ったら突然酸素がなくなり窒息するなんてことは起こらない。ランダムながら分子はどこでも平等に分配されている」
空気の、ある一つの分子がどこにあるかは、さして重要な問題ではない。それがどの場所にも行き渡っていることの方がより大切である。
「数学者にとって素数について知る必要があるのも、じつはそういうことだ」とソートイ教授は言う。「すべてを知る必要はない。むしろ、その配置についての真実が知りたいのだ」
素数はいわば、自然が与えてくれた数字。
素数の森があることは一目瞭然なのだが、その一本一本の木々がどこに生えているかは、いまだ何のパターンも見い出せていない。
リーマン予想を証明できた数学者には、アメリカのクレイ数学研究所から100万ドル(1億円)の賞金が与えられることになっている。
■暗号
逆に、素数のまだ明かされていないその不規則さを、人類はすでに利用している。
インターネット上で安全性を確保する「暗号」がそれである。
たとえば、9999911という数字。この数は、ある2つの素数の掛け算の上に成り立っている。そして、暗号を解くカギは、いわばその2つの素数。
「君がクレジットカードを使ってオンラインで買い物をしたいとする。当然、カード番号の暗号化が必要だ。するとお店はこうした番号を送ってくる。実際はもっと大きな数だが、この数とカード番号を使った暗号がつくられ、お店とやり取りをする」とソートイ教授は言う。
もし、その暗号の数字を簡単に素数に分解できる公式があるとすれば、暗号化された数字はあっさりと見破られてしまう。ところが素数にそうした式はまだ発見されていない。
ゆえに、素数が用いられた暗号を解くには、途方もない時間と労力が必要とされることになる。これがインターネット上の暗号が安全だと考えられる理由である。
ソートイ教授は言う。「とにかく、インターネット上の暗号は、まだ素数を求める式が解明されていないことが前提になっている」
ところで、9999911という数は「307」と「32573」という2つの素数によって導き出される。
ちなみに、この程度の小さな数であれば、それを求めるプログラムがインターネット上や、スマホのアプリにも見つけることができる。
■生きた学問
数学者に対する最大の挑戦、「素数」。
「化学物質を分子や原子に分けることはできても、数字を素数に分解する簡単な方法はまだ存在しない」とソートイ教授は言う。
それでもいずれ、リーマン予想でさえ証明される日が来るのだろう。
「その成果そのものよりも、そこに至る進歩そのものが私たちの大きな財産になるだろう」とソートイ教授は確信する。
「私にとって、数学がまさに『生きた学問』であるのは、こうした問題のおかげだ。リーマン予想や素数を追い求める挑戦こそ、私にとって数学の醍醐味だと感じている」
余談ではあるが、ソートイ教授が引っ越しをしたとき、電話番号を変えることになった。
「そこで電話会社に新しい番号が欲しいと伝えたんだ。すると、担当の女性がある番号を割り当ててくれた。だが、その番号は素数ではなかった。私はその数が覚えづらいとか何とか言って、ほかの番号に変えてもらうように頼んだんだ」
ロンドンの電話番号は8ケタ。数字でいえば1,000万。その新しい電話番号が素数である確率は、ガウスの素数階段によれば「15個に一個」。つまり、15回、番号を変えてもらえば素数に当たる可能性があった。
だが、次の番号もあいにく素数ではなかった。
「それを何度か繰り返すと、ついに彼女を怒らせてしまい、私は謝って、素直に次の番号を受け取ることにした。
でも、その番号は偶数だった。
まったく最低だ…」
(了)
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第1回 「素数の音楽を聴け」