2016年04月22日

オスカーワイルド『幸福の王子』を読む



彼は「幸福の王子(the Happy Prince)」と呼ばれていた。

昼は庭園で遊び、夜になると大広間でダンスを踊った。

彼の周りには美しいものしかなかった。







幸福の王子が亡くなると、その像がつくられた。

"He is beautiful as a weathercock."

「風見鶏くらいに美しい」と人々は讃えた。

純金でおおわれた王子の像。2つの目はとっておきのサファイアで輝き、剣には真っ赤なルビーが大きく光っていた。







"I am glad there is someone in the world who is quite happy."

「この世界に、まったく幸せな人がいるというのは嬉しいことだな」

ある男は、そうつぶやいた。






ある晩、この町に「小さなツバメ」が飛んできた。

彼の仲間はみんな、もうエジプトに行ってしまったというのに、この小さなツバメだけが、すっかり遅れてしまっていた。春のはじめ、「最高にきれいな葦(the most beautiful Reed)」と恋に落ちてしまったからだった。







"Where shall I put up?"

「どこに泊まろうかな?」

小さなツバメは、高い柱の上に、王子の像をみつけた。

"I will put up there."

「あそこに泊まろう」

そしてツバメは、王子の両足のあいだに止まった。







"I have a golden bedroom."

「黄金のベッドルームだな」

小さなツバメは満足そうに、そう呟いた。



ところが…

「雲ひとつない星空から、雨が降ってくるなんて!」

大きな水滴が、ツバメのうえに落ちてきた。

「北ヨーロッパの天気はまったくひどいもんだね」



すると、もう一滴。

「雨よけにもならないぞ、この像は。もっといい煙突をさがさなきゃ」

そう言って翼をひろげようとした時、また一粒の水滴が落ちてきた。



ふと見上げると…

「幸福の王子」の像が、涙でいっぱいだった。

黄金の頬を流れる涙が、月明かりに美しかった。







"Who are you?"

「あなたは誰なの?」

かわいそうに思ったツバメはたずねた。



"I am the Happy Prince."

「わたしは幸福の王子」

王子はこたえた。







"Why are you weeping?"

「どうして泣いてる?」

ぐしょ濡れになったツバメはきいた。

王子の像はこたえた。

「わたしが生きていて、まだ人間の心(human heart)をもっていたとき、涙というものを知らなかった。というのも、サンスーシの宮殿には悲しみ(sorrow)が入ってこなかったからだ。庭園の周りにはとても高い塀が巡らされていて、その向こうを、わたしは一度も気にしたことがなかった。廷臣たちは、わたしを幸福の王子(the Happy Prince)と呼んでいた。実際に幸福だったのだろう、

if pleasure be happiness

もし快楽が幸福だというのなら」







王子はつづけた。

「わたしは幸福に生き、幸福に死んだ。そして死んでから、私はこの高い場所にのせられた。ここはとても高いので、町のすべてが見える。見たくないことや、人々の苦しみのすべてが。

Though my heart is made of lead yet I cannot chose but weep.

私の心臓は鉛でできているというのに、涙を流さずにはいられないのだよ」







王子は言う。

「ずっと向こうの小さな通りに、貧しい家がある。

痩せ疲れたご婦人が、荒れた赤い手でお針子をしている。婦人の刺繍しているガウンは、女王さまの侍女が次の舞踏会で着るためのものだ。

その部屋の隅では、幼い子どもが病気で横になっている。熱があるのだ。オレンジが食べたいと泣いている」



"Swallow, Swallow, little Swallow."

「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」

王子は言った。

「わたしの剣のつかからルビーをとって、あの婦人にもっていってくれないか? わたしは動けないんだ」



ツバメはしぶった。

「ぼくはエジプトに行くところなんだよ…」

王子は重ねて言った。

「あの子はとってもノドが乾いている。お母さんはとっても悲しんでいる。わたしのお使いを頼まれてくれないか?」







幸福の王子の顔は、とても悲しそうに見えた。

ツバメは言った。

「もう一晩、あなたのところに泊まって、あなたのお使いをしましょう」

そしてツバメは王子の剣からルビーをとると、クチバシにくわえて飛んでいった。



宮殿を通りすぎたとき、こんな声がきこえてきた。

「わたしのドレス、舞踏会に間に合うといいな。でもお針子さんって、とってもナマケ者なのよね」



ようやく、あの貧家にたどり着いた。

お母さんは疲れ果て、テーブルで寝てしまっていた。

その脇に、ツバメはそっとルビーを置いた。



子どもはベッドで熱っぽそうだ。

ツバメはベッドのまわりを飛んで、翼で顔をあおいであげた。

"How cool I feel."

「あぁ、すずしい」

そう言うと、その子はさも気もち良さげに、眠りにおちた。



ツバメは王子のところに戻って言った。

"It is curious, but I feel quite warm now, although it is so cold."

「なんか変なんだ。外はこんなに寒いのに、とってもあったかい気持ちがするんだよ」

その不思議な感じがどうしてなのか、ツバメは考えた。そして眠ってしまった。考えごとをするとツバメは、いつも寝てしまうのだった。







翌朝、ツバメは川で水浴びをしていた。

すると、町の人々が驚いている。

"A swallow in winter!"

「冬にツバメがとんでるぞ!」







夜になると、ツバメは幸福の王子のところへ戻ってきた。

ツバメは早くエジプトに行きたくて、うきうきしていた。

"To-night I go to Egypt."

「今夜、エジプトに行きます」

"Have you any commissions for Egypt?"

「エジプトに何かことづけはありますか?」



ところが王子は、ツバメを引き止める。

"Swallow, Swallow, little Swallow"

「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」

"Will you not stay with me one night longer?"

「もう一晩泊まっていってくれないか?」







王子は言う。

「ずっと向こうの屋根裏部屋に若者がいる。彼は芝居を仕上げようとしているが、あまりの寒さに、もう書くことができない。暖炉に火はなく、空腹のため気を失いそうなのだ」

ツバメは言った。

"I will wait with you one night longer."

「もう一晩、あなたのところに泊まりましょう」

"Shall I take him another ruby?"

「彼にもまた、ルビーを持っていきましょうか?」



"Alas! I have no ruby now."

「ああ! ルビーはもうないんだ」

王子は言った。

"My eyes are all that I have left."

「わたしの両目しか残っていない」

"Pluck out one of them and take it to him."

「わたしの片目を抜きとって、彼のところに持っていっておくれ」

王子の目はサファイヤでできていた。それも、一千年前のインドから運ばれてきた、貴重なサファイヤで。







"I cannot do that."

「ぼくにはできないよ」

そう言って、ツバメは泣いてしまった。



"Swallow, Swallow, little Swallow"

「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」

王子は言った。

"Do as I command you."

「わたしの言うとおりにしておくれ」



ツバメは王子の目を抜きとると、若者のいる屋根裏部屋へと飛んでいった。

ツバメは穴のあいた屋根から入りこみ、枯れたスミレのうえに美しいサファイヤを置いた。

"Now I can finish my play"

「これで芝居が完成できる」

若者はとても幸せそうだった。







月がでるとまた、ツバメは王子のところに来た。

さすがにもう、エジプトに行かなければ。

"I am come to bid you good-bye"

「おいとまごいにきました」



ところが王子は、

"Swallow, Swallow, little Swallow"

「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」

"Will you not stay with me one night longer?"

「もう一晩泊まっていってくれないか?」

例のごとくに言うのであった。



"It is winter, and the chill snow will soon be here."

「もう冬だよ。冷たい雪がもうすぐ、ここにやってくるんだ」

ツバメの仲間たちはもう、太陽の光が暖かにそそぐエジプトで、すっかりのんびりしているはずなのだ。

"Dear Prince, I must leave you."

「王子さま、ぼくは行かなくちゃ」



王子は言う。

「小さなマッチ売りの少女(match-girl)が、下の広場にいる。女の子は泣いている。マッチを溝に落とし、全部だめにしてしまったのだ。お父さんはきっと彼女をぶつだろう。女の子は靴も靴下もはいていない」

"Pluck out my other eye, and give it to her."

「わたしのもう一つの目をとりだして、あの子にやっておくれ」



ツバメは言った。

"I cannot pluck out your eye."

「王子の目をとるなんて、できないよ」

"You would be quite blind then."

「そんなことしたら、なんにも見えなくなっちゃうよ」



王子は言った。

"Swallow, Swallow, little Swallow"

「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」

王子は言った。

"Do as I command you."

「わたしの言うとおりにしておくれ」







ツバメはもう片方の目をとりだすと、マッチ売りの少女のところへ持っていった。

"What a lovely bit of glass!"

「なんてキレイなガラス玉なんでしょう!」

少女はそう喜んで、家へと帰っていった。



王子のところへ戻ったツバメは言った。

"You are blind now."

「もう何にも見えないね」

"So I will stay with you always."

「だから、ずっと一緒にいてあげるよ」







次の日、ツバメは王子にいろいろな話をした。

砂漠のスフィンクスの話。

ラクダと貿易商人の話。

戦争ばかりしているピグミーの話。



"You tell me of marvellous things."

「あなたは驚くべきことを聞かせてくれた」

王子は言った。

"But more marvellous than anything is the suffering of men and of women."

「しかし、苦しみをうけている人々の話ほど驚くべきことはない」

"Fly over my city, little Swallow, and tell me what you see there."

「小さなツバメさん、町を飛んで、そこで見たものを教えてくれないか」



町のうえから、ツバメはいろいろなものを見た。



美しい家で暮らす、幸せなお金持ち。

その門のまえに座っている乞食たち。



銅の天秤でお金をはかるユダヤ商。

空きっ腹の子どもたち。



"How hungry we are!"

「おなかがペコペコだよ!」

橋の下で、少年2人が寒そうにうずくまっていた。

"You must not lie here!"

「こんなとこで横になるな!」

子どもらは夜警に追い出され、行くあてもなく、雨のなかへと消えていった。







ツバメは見たことを王子に話した。

すると王子は言った。

"I am covered with fine gold."

「わたしの身体は純金でおおわれている」

"You must take it off, leaf by leaf, and give it to my poor."

「それを一枚一枚はがして、貧しい人々にわけ与えるのだ」



ツバメは一枚一枚、王子の体から純金をはがしていった。

そしてとうとう、黄金だった王子は灰色になってしまった。







ツバメは純金を一枚一枚、貧しい人たちに配っていった。

"We have bread now!"

「これでパンが食べられるぞ!」

子どもたちは歓声をあげた。







やがて雪になった。

軒からはツララがたれさがり、子どもらは氷のうえでスケートを楽しんでいる。

町の人はみな、毛皮で身をつつんだ。



どんどん寒くなっていく。

それでもツバメは、王子のもとを離れようとしなかった。







ツバメは凍えた体を温めようと、翼をパタパタさせた。

もう、あまり力が残っていなかった。

死ぬのがわかった。



"Good-bye, dear Prince"

「さようなら、王子さま」

最後の力で王子の肩まで飛びあがると、ツバメは別れをつげた。







王子は言った。

"I am glad that you are going to Egypt at last."

「やっとエジプトに行ってくれるんだね、うれしいよ」



ツバメは言った。

"It is not to Egypt that I am going."

「ぼくが行くのはエジプトじゃないよ」

"I am going to the House of Death"

「死の家にいくんだ」

"Death is the brother of Sleep, is he not?"

「死ぬって、眠ることの兄弟なんだよね?」



ツバメは幸福の王子にキスをすると、息絶えて王子の足元におちた。

その瞬間、なにかが砕けるような音がひびいた。

The fact is that the leaden heart had snapped right in two.

それは、鉛の心臓がちょうど2つに割れた音だった。










翌朝、市長が「幸福の王子」の像を見て言った。

"How shabby the Happy Prince looks!"

「なんてみすぼらしいんだ、この幸福の王子のなりは!」



"How shabby indeed!"

「まったくみすぼらしい!」

市会議員らは同調した。



市長は言った。

"The ruby has fallen out of his sword, his eyes are gone, and he is golden no longer."

「ルビーは剣から抜け落ちてるし、目は無くなっている。もはや黄金でもない」

"He is a little better than a beggar."

「乞食とたいして変わらんな」



市会議員らも声をそろえる。

"Little better than a beggar."

「乞食とたいして変わらんな」



"And here is actually a dead bird at his feet!"

「足元には、死んだ鳥まで落ちている!」







芸術大学の教授は言った。

"As he is no longer the beautiful he is no longer useful."

「もう美しくないから、なんの役にも立たない」

こうして幸福の王子の像は、溶鉱炉で溶かされることになった。



市議会が開かれ、溶かした金属の使い道が話し合われた。

「もちろん他の像をたてなければならない」

市長は言った。

"It shall be a statue of myself."

「それは私の像でなくてはなるまい」

その発言に、議論が紛糾した。



"Of myself!"

「いや、私の像だ!」

誰もかれもが、自分の像をたてたがった。

その口論は止むところを知らなかった。






ところかわって溶鉱炉。

"What a strange thing, this broken heart will not melt."

「おかしいなぁ、この割れた心臓が溶けようとしないぞ」

"We must throw it away."

「もう捨ててしまえ」



王子の心臓は、ゴミだめに捨てられた。

そこには、死んだツバメも横たわっていた。







天使たちはずっと見ていた。



そして、ゴミだめにそっと手をのばした。

"The two most precious things in the city."

「この町で、いちばん尊い2つのもの」に。













(了)






出典:
オスカーワイルド「幸福の王子」
Oscar Wild "The Happy Prince"



関連記事:

ビョルンソン「鷲の巣」を読む

中島敦「名人伝」を読む

中島敦『李陵』を読む(1)




posted by 四代目 at 08:01| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月18日

ビョルンソン「鷲の巣」を読む



その小村は、フィヨルドが形づくったのであろうか。

四囲をはるかな崖に取り囲まれ、「ヨハネ祭(中夏)の頃でさえ、もう午後5時には、日の光は谷の中に差して来ない」。

村人たちは、まるで谷底に住むかのようであった。



その閉ざされた村を貫く、一筋の広い川。

その流れに乗って、最初の人間がこの村へ来たのだと云う。名はエンドレ。現在の村の住民たちは、その子孫。村はエンドレゴオルと呼ばれている。

川の向こうには、湖が見えていた。






◎鷲の巣



おおむね平和であったこの村の、一つの懸念は

「山の岩角に懸かっている『鷲(わし)の巣』」だった。

「鷲は村の上を飛び翔って、時には子羊を、また時には子ヤギを襲った。一度などは、小さな子供をさらって行ったこともあった」



鷲がその巣を岩角に懸けているうちは、安心がならない。

村で人が2人寄ると、すぐに鷲の巣の話になる。「いつ鷲が戻って来たか。どこを襲って損害を与えたか」

けれども、一人として、その巣に届いたものはなかった。






◎言い伝え



ただ、こんな言い伝えが村人の間にはあった。

「昔、その巣に届いて、滅茶苦茶に壊した2人の兄弟があったそうだ」

村の英雄伝説である。



村の若い青年たちは、子供の時分から山や木に登る練習を積んでいた。

「いつかはあの鷲の巣に届いて、昔話の兄弟たちのように、巣を打ち壊せるようになろう」

とりわけ角力(すもう)をとって、その若い身を鍛えていた。鷲が飛び回る、そのはるか下の方で。






◎ライフ



ライフという青年は、ひときわ立派なナリをしていた。

彼は村の始祖エンドレの子孫ではなく、髪が縮れ、眼が細く、女が好きで、巫山戯(ふざけ)てばかりいた。



「鷲の巣に、よじ登って見せるぞ!」

彼はもう子供の頃から、そう村中に言いふらしていた。

そんなライフに、村の年寄りたちは眉をしかめる。「そんなことを声高に言うのは、感心できない」と。



だが、年寄りたちが苦言を呈するほど、ライフはのぼせ上がった。

そして、早くも「岩角への登攀」を企てた。まだ熟さぬその身心で。



「老人たちは、やめた方がよいと言い、若い者たちは、やるがよいと言った」

だが、ライフの耳は、どの声も聞いていないようであった。

「彼はただ、自分の望みにだけ耳を傾けた」






◎はじまり



それは初夏、晴れた日曜の午前であった。

多くの村人たちが、懸崖(けんがい)の下に集った。



鷲のメスが巣を離れるのを待ち構えていたライフ。

いよいよ、ひとっ跳びに一本の松の木に跳びついて、足をブラブラさせた。

地上数mの高さにそびえ立っていた松の木。どうやら、この木は岩の裂け目から生え出しているようである。その裂け目をたどって行けば、鷲の巣の元へと導いてくれそうであった。



コロコロコロ…

小さな石が、ライフの足元から転がり落ちる。



その音より他は、深い静寂。下で待つ村人たちは息を飲む。

遠くの川の流れだけが、淙々と音を立てている。



懸崖はだんだんと険しさを増していく。

「長いこと彼は片手で下がって、足でもって足がかりを探していて、よそを見ることができない」

女たちは、もう顔を背けていた。「もしライフの両親が生きていたら、こんな危ないことはしなかっただろうに…」と言い合いながら。






◎許嫁



「彼はどうやらして、堅い足場を見つけて、またもや登りだした」

滑る。砂利や土塊が転がり落ちる。

「けれども、すぐにまた、しっかりと取り付く」



下で固唾を呑む村人たちは、「お互いがハラハラしているその息遣いが、はっきりと聞き取れた」。

すると、突然

「ライフ! ライフ! なんだって、あんたはこんな事をするのよ!」

いきなりの甲高い叫び声が、人々の静寂を破った。集まっている人々は、みな声の方を振り向いた。



それまで一人寂しく座っていたその娘、いまは岩の上にすっくと立っている。

この娘はもう子供の時分から、ライフと許嫁になっていた。彼女もまた、村人たちとは血縁になかった。



「降りてちょうだい、ライフ! 私、あんたを愛してるわ。そんなところに登ったって、何の徳もありゃしないわ!」

その声に、ライフは思案している様子であった。

それが1、2秒。

とまた、登り出した。






◎凶い前兆



ほどなく、彼は疲れだした。

崖に取り付いたまま、さいさい休むようになっていた。



また一つの小石が、転がり落ちてきた。

それはもう、「凶い前兆(まえぶれ)」のように感じられた。



村人たちもすでに、崖の途中で小さくなっている彼を、目の端から退けていた。

ただあの娘ばかりは、毅然と岩の上に棒立ちに、しっかと上の方を見上げていた。その手を固く握りしめ。



なにかを探っていたライフの手は、突然はずれた。

と、素早くライフは別な手で、なにかを掴もうとした。

が、それもまた外れてしまった。



「ライフ!」

そのすべてを、娘ははっきりと認めていた。

娘の心奥からの叫びは、懸崖を越して高らかに響き渡る。



村人たちも、その声に合わせるように

「あっ、すべった!」

皆は叫んだ。そして、一斉にそむけていた目を上に向けた。






◎善いことだ…



ライフは本当にすべっていた。

砂や石、砂利などがザラザラと、一緒に崩れ落ちる。



彼はすべった

落ちた

止まらない



恐ろしいほどの速さになった。

もんどり打って、転がり落ちていく。



村人たちは、もう見ていられない。ふたたび顔を背けた。

彼らが聞いたのは、音だけだった。

間もなく響いた、なにか重たい塊のようなものが、湿った土にドシリと落ちた、その音を。



娘は、岩の上に倒れた。

「ライフはめちゃめちゃに、見分けもつかぬようになって、そこに転がっていた」

誰も彼を正視する勇気がもてない。



ライフを一番そそのかしていた若者たちなどは、一番頼りにならなかった。誰一人として落ちたライフに手を貸そうとはせず、ただ遠巻きにするばかりであった。

そこで、年寄りたちが出なければならなかった。



「これは馬鹿げたことだった…」

一番の長老はそう言いながら、物体と化していたライフの方へと手を伸ばした。

「けれども…」

彼は言い足した。

「それも善いことだ。誰にも届かれない、あんな高いところに、なにかが懸かっているということは…」













(了)






関連記事:

中島敦「名人伝」を読む

ブレにブレた鴨長明。「方丈記」に至る道

不運を断ち切った小説家。宮本輝



出典:「鷲の巣」ビョルンソン(ノルウェー)
posted by 四代目 at 06:09| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月13日

無防備なる「宮本武蔵」。その実像に迫った直木三十五


宮本武蔵は「剣の名人か否か?」

1935年、直木三十五と菊池寛は大論争を起こしている。



当時の宮本武蔵といえば、講談の世界に登場する荒唐無稽のヒーローに過ぎなかった。

食事中の塚原卜伝に襲いかかるも、鍋蓋で防がれてしまう「鍋蓋試合」。または、村人を困らせる大狒々(ひひ)を退治する「狒々退治」などなど。

その武蔵は、「講釈師、見てきたような嘘を言い」と揶揄されていた講談の世界だけに生きる人物だったのだ。



「武蔵非名人説」をとるのは直木三十五。その緻密な時代考証にはデビュー当時から定評があった。

講談の世界に徹底した時代考証を施し、史実と伝説とを峻別することで、より真実に近い歴史小説を書くことを、直木は目指していた。

以下は、その直木が史料を踏まえて「武蔵の実像」に迫った作品からである。








◎打撥の悟


村での名門、宮本無二斎の一子、弁之助。

「十二歳にしかならないが、見たところ十五、六の柄があり、力や、腕は、それにもまして、立派な一人前」



その弁之助がじっと、祭りの太鼓を打つ男の手を見ている。

「右手で打っても、どうーん。左で打っても、どうーんと、同じ音色で、強弱なく響く」

(もし、刀が左手でも、右手と同じように使えたら…)、弁之助はそんなことを思って太鼓の音を聞いていた。



家へと戻り、父・無二斎にこの事を話す弁之助。

「子供が、はははは、おもしろいが、それは二兎を追うものじゃ。両手で使うても容易でないものを、片手で、どうして使えるか」と、父はまるで相手にしてくれない。

「しかし父上、馬上では、左手に手綱をとり、右手に太刀をもち、片手打ちでござりましょう」と弁之助は食い下がる。



「馬上ではいかにも片手じゃが、それは戦場、乱軍の中のやむを得ぬ慣(なら)い。両手でも斬れぬものが、片手で、鎧を切れる筈はない」

当時の武家を「弓馬の家」と称するように、中世武士の花形は弓術と馬術。それに対して刀は、馬上では使えず、鎧を着た武士を傷つけることができないので、戦場では無用の長物とされてきた。

「馬上の大将が、片手で太刀を振るうようになれば、それは敗戦(まけいくさ)の時じゃ」と父・無二斎。



それでも弁之助は納得がいかない。

「敗戦の時に役立つ剣法なら、勝戦の時にはなお役に立ちましょう。右手の斬られでもした時には、大いに役立ちましょう」と、なおも言い募る。

「お前は子供だから、剣理がわからん。右手を斬られて、左手で戦って勝てるわけがあるか。太鼓を打つのと剣術とは、形は似ておるが、心はちがう、もっと、考えてみい」

無二斎は、剣術・十手術ともに名誉の腕で、新免伊賀守に仕えて、その姓の新免を許されていたほどの人であった。



「ちがいませぬ! 右手が無くなれば、左手を使うて、何故いけませぬ?」

「いかぬ。邪道じゃ」

「父上のお考えは、頑固すぎます」

「何?」

「私は、二刀を工夫つかまつります」

「無礼者がっ!」



そうして翌年、十三歳のとき、弁之助は播磨の僧の許へやられる事になった。

(天下に名をなす子じゃが、勇を頼みすぎる。この上は、少し文事を学ばさぬといかん)




◎高札


「試合望勝手次第可致(しあいのぞみかってしだいいたすべし)」

三木の城下には、このような挑発的な高札が掲げられ、たちまち城下の評判となっていた。

有馬流の有馬喜兵衛が竹矢来を結んで、その入口に立てた高札だった。



「さすがに、高札を立てるだけあって、中々の腕じゃ」

若い人々が出向いて試合をしたが、有馬に勝つ者は誰もいなかった。

そういう噂が、寺にあった弁之助の耳に入った。



そっと寺を抜け出し、その試合を見に行った弁之助。

(こんな腕の男が、天下の剣客など)

そう思った弁之助は、その高札の表へ、手習筆でぐっと一線引いて、「宮本弁之助、明日試合可致(いたすべし)」と書いた。



高札を墨で塗り潰した者がある、と聞いた有馬喜兵衛。

「これは、宮本無二斎の忰(せがれ)ではないか。無二斎の忰とあっては、悪戯として捨てておく訳にもいかぬ」

喜兵衛はすぐに弁之助のいる寺へ使いを立てて、「明日必ず参るよう」と言ってきた。




◎僧と弁之助


びっくりしたのは寺の僧だ。

「何たる事じゃ」と弁之助を正すと

「はははは、あんな腕で、矢来など結って、馬鹿らしい、わしの小指で、あしらえる」と相手にしない。



(困った奴じゃ。命のやりとりのことを、平気で、小指であしらえるなど、いかに子供とは申せ、向こう見ずにも程がある)

弁之助の気性を知る僧は、使者ともども、有馬の許へと直接うかがうこととした。



だが有馬は、「わしも、こうして諸国を武術修行しておる身として、宮本無二斎の忰に高札を塗り潰されて、黙って立ち戻ったとあっては、面目が立たぬ」と譲る気配がない。

返事のしようもない僧はただ、「何分、不具(かたわ)になどならぬように、お手柔らかに」と頼むのが精一杯であった。



翌朝、弁之助は床下の薪の中から、六尺あまりの棒を一本取り出して

「これが得物だ」と笑っている。

僧は(どこまで図太い奴か底が知れん)と思うと、「お前、どうして、そう強情か。対手は、真剣試合で日本中を歩いておる豪の者じゃ、それに…」

僧がそう言っている内に、弁之助はずんずん出て行くのであった。僧はあわてて、あとから付いて行く。




◎豪傑


もう、矢来は一杯の人に囲まれていた。

まず僧が矢来の中に入り、有馬に「万一のことがあると、無二斎に顔向けがなりませんで、拙僧を助けるとおぼし召して、なにとぞ、御手柔らかに御願いを…」

と言っているうちに、弁之助はずかずかと入り込んでくる。



「喜兵衛とは、その方か」

そう怒鳴る弁之助。

(これが十三か)

世間の十三の子供を描いていた有馬はとって、弁之助はあまりに大きかった。



「よう参った」

有馬がそう声をかけるや、弁之助は「勝負」と叫んで、有馬を打った。

「何を致す」

さっと抜き打ちに、弁之助は棒をすてると、無手(むず)と喜兵衛に組ついて



「あっ」と、人々も有馬も言う瞬間、有馬を頭上へ差し上げると、力任せに、大地へ叩きつけた。

起きも上がれずに、もがく有馬。

棒を拾った弁之助は、その背や頭を「どうだ、どうだ」と続けざまに、その生来の大力で打ちつける。



有馬は動かなくなってしまった。

頭も顔も、血塗れであった。

どっ、と上がる鬨(とき)の声。



(困った子供じゃ、この乱暴のために、命をうしなうようなことになるぞ)

僧はそう思いつつ、震えていた。




◎竹の根


ときは関ヶ原の合戦。

年十八、弁之助の幼名を改めて、武蔵と称するようになったのは、この前後からであった。



戦の始まる前、武蔵はその同僚とともに、崖の上を歩いていた。崖下は竹藪を斬ったあとで、竹の根が切っ削ぎになって、針の山のようであった。

武蔵は、「もし、この下を敵が通っておったなら、飛び降りるか」と、同輩に聞いた。

同輩は、「この下へ飛び降りて、竹で足を刺されたら、それきりではないか」と答える。



「竹の切株で命をすてるのは犬死だと申すであろうが、勇気とは、竹の切株と敵とを区別して出すべきものではない」

武蔵はにわかに気色ばんでいる。

「相手によって、勇気が出るのに手加減があるのは、真の勇気とは申さぬ。その勇気を出すには、相手と場所を選ばぬ。鬼神も避くる底の勢をもって事に当たれば、かえって危なくないものじゃ」



「見ろ」

と叫ぶと、武蔵は針の山のごとき竹藪へと舞い飛んだ。

無数の切株の上へ降りた武蔵。もちろん、その足を竹で傷つけた。



だが、平気な顔の武蔵。また崖の上へと登ってきた。

「対手によって、勇気を少し出したり多く出したり、恐れたり、怯じたり、それはことごとく、対手というものによって、己が動かされるからじゃ」

その強情さには、人々も舌を捲いた。




◎狭間の槍


富来の城を攻めた時、その城の狭間(はざま)の一つの一本の槍が、なかなか巧みで、そこへ近づく者がおらず、どうにも攻めあぐねていた。

そこで武蔵、「あの槍、取って来てみよう」。



そう言って、その狭間へ迫ると、己の脚を狭間へと無遠慮に押しつけた。

もちろん槍は、武蔵の脚を貫いた。

武蔵はそれを貫かせておいて、ますます脚を狭間へと押し当てる。



「えいっ!」と叫ぶ。

すると、槍の柄はポキンと折れてしまった。



その力の強さ、その乱暴さ。人々は、その不死身のような武蔵の無茶さに、呆れてしまった。

当の武蔵は、笑いながら馬糞を傷口へと押し込むのであった。




◎吉岡一門


京で、吉岡兄弟が武蔵へ試合を申し込んできた。

吉岡にとっても、家の興亡にかかわる大事。門人たちは弓矢でも武蔵を討ち取ろうと、幾十人も集まっていた。



それを知る武蔵は、唯一人、夜の明けぬ内から、先に約束の場所へと赴くこととした。

その途上、ふと見かけた八幡の社。

(武運を祈ろう)

その神前へと額づいた。



(なにとぞ、この試合に加護あらせ給え…)

祈りつつ、武蔵はハッとした。

(神は頼むべきものではない。己に頼むべきものが無いゆえに神に頼むのは、兵家としては大いなる恥辱だ…!)

武蔵は冷や汗を感じつつ、社前を去った。



一足早く、一乗下り松の間に休んでいた武蔵。

やがて、ワイワイとした声が近づいて来る。

「いつも武蔵は、試合の時刻に遅れてくるからのう」、近づく声はそう言っていた。



「今日はそれを利用して、十分に兵を伏せて、引っくるんで…」

賑やかな声がそう言い終わらぬうちに、武蔵は「待ちかねたり!」と大喝。又七郎を斬ってしまった。

又七郎は吉岡兄、清十郎の子。それを門人たちは押し立ててきていたのだ。



武蔵の勢に、雪崩れ立った門人たち。

遠矢を少し射かけたまま、退却してしまった。




◎佐々木小次郎


佐々木小次郎と武蔵との、船島(巌流島)の試合。

あらかじめ小次郎の刀の長さを聞いておいた武蔵は、それよりも長い木刀をつくって出かけた。

技倆伯仲と見て、得物の長い方が勝つと考えたのであった。



わざわざ時刻をうんと遅らせて行った武蔵。

ジリジリとした小次郎は、その心の平静をまず破られていた。

後世、わざと遅れて行くことは卑怯とされる。しかし、それをただちに怒るのは、肚のできていない証拠でもあった。名人は、対手が何をしようと心を乱さぬものである。



「この勝負は、わしの勝ちじゃ」

と声をかける武蔵。

「何と申す」

と小次郎は答える。



「勝つ気なら、鞘(さや)は捨てぬぞ」

試合の始まる前、小次郎は刀の鞘を捨てていた。



この時、武蔵は二十九歳。

「二天記」によれば、武蔵は一撃で小次郎を絶命させたことになっている。

「肥後沼田家記」によれば、小次郎は武蔵の一撃で気絶。息を吹き返したところを、武蔵の弟子に殺されたとなっている。



◎宮本伊織


武蔵は一生、妻を娶らなかった。

ゆえに子が無かった。

しかし養子はある。その一人が宮本伊織(いおり)である。



武者修行をしながら、武蔵が出羽国正法寺ケ原へ行った時のこと。

子供がドジョウをとっていた。

「少し分けてくれぬか」

武蔵がそう言うと、子供は「あげる」と桶ぐるみ差し出した。



「そうはいらぬ」

武蔵が少しだけ手拭いに包もうとすると

「旅の人がくれと言うのに、物惜しんでも仕方がない」と、その全部を子供はくれた。



その夜。

宿のない武蔵は、ようよう見えた灯に近づいて行った。

すると、そこには昼間ドジョウをくれた子供が一人いた。



その奇遇を喜ぶ武蔵であったが、子供はというと「ここには食事もないし、おれ一人だから」と宿を断る。

それでも武蔵は「どんな所でも、一夜、泊まれさえすればそれで良いから」と押し入った。



その真夜中。

寝ている武蔵の耳に、刃を研ぐ音が聞こえてくる。

(はて…)

用心をした武蔵。試みに大きく欠伸(あくび)をしてみて、さりげなく子供の様子を窺おうとする。



「お侍は、顔つきに似ず、臆病だのう」

子供はそう言って、笑った。

「わしが、この刀でお侍を殺そうとしたって、こんな小腕で何ができる」



「では、何のために刃を研ぐのか」

「父が昨日亡くなったので、うしろの山の母の墓へ葬ろうとおもうけど、わし一人では持てんで、死体を切って運ぶつもりだ」

武蔵はそれを聞いて、感じ入った。



翌朝、己と二人で死体を運び、この子供を連れて戻った。

この子供が、宮本伊織である。



のちに小倉の小笠原家に仕え、四千五百石の家老にまで昇進する伊織。現在にまで残っている宮本武蔵の碑を建てるのも、この人である。

また、例の寛永御前試合の時に、荒木又右衛門と勝負して、相打ちだった宮本八五郎というのも、この人である。




◎武蔵の妙技


青木丈左衛門という人が

「是非、お教え願いたい」と言ってきた。



「真の兵法とは」

と言って武蔵は、小姓の前髪の結び目に、一粒の飯粒をくっつけさせた。

「それへ立て」

飯粒をつけた小姓を立たせておいて、武蔵は大刀を抜く。



「とう」

上段から斬り下ろした武蔵。

人々が、ハッとすると、前髪の結び目の飯粒は二つに切れていて、前髪の元結(もとゆい)は無事であった。



「あっ」と人々が驚くと

三度まで、武蔵はそれをやってのけた。

その二つになった飯粒を青木に見せて、「どうじゃ、これくらいの腕でも、なかなか、勝利はむつかしい」と武蔵は言った。



それから、武蔵の門で精進したという青木丈左衛門。

のちに名を青木鉄人と改め、「鉄人二刀流」を江戸で開いたのは、この人であった。



また別の時。寺尾孫之丞との試合の折りも、武蔵は同じような手練を示している。

寺尾が受けるはずみ、武蔵の勢い込めた木刀の力で、寺尾の木刀が二つに折れてしまった。

人々は(やられた)と、寺尾の頭の砕けたのを想像した。



その時、その勢の烈しい武蔵の木刀は、寺尾の額のところでピタっと止まっており、少しの傷さえつかなかった。

その妙技に、見ている人々は感じ入らざるを得なかった。

武蔵の「五輪書」を相伝されたのは、この寺尾であり、武蔵の死後、二天一流を世に伝えたのも、この人だった。








◎吉川英治


現在、宮本武蔵といえば誰もが、「剣の修業を通して、人間としても成長した求道的な人物」を思い浮かべる。

じつはそのイメージ、吉川英治が小説「宮本武蔵」で作り上げたものであり、わずか70〜80年ほどの歴史しかない。







武蔵非名人説をとった直木三十五に対して、吉川英治は武蔵を擁護した(読売新聞の座談会)。

ゆえに、直木は「傲岸不遜で容赦のない態度」で、吉川を叩いたという。

その直木に反論するため吉川が世に問うたのが、かの名著「宮本武蔵」であり、それが世の人々の膾炙するところとなったのであった。



いわば、吉川英治に名作を書かせたのが、直木三十五であったのかもしれない。

しかし残念ながら、直木は、吉川英治の「宮本武蔵」の連載が始まる前年に亡くなっている。



◎二刀流


宮本武蔵といえば、二刀流である。

だが直木は、それを否定する。

「すなわち、二刀で平常稽古しておいて、片手でも使えるようにと、武蔵は心掛けたので、実際の時には、武蔵といえども二刀を使って勝負はしていない」

「維新当時、あれだけの剣客がいても、一人として、二刀なんぞは使っていない。それが本当で、講釈師がやたらに、宮本に二刀を使わすのは、ことごとくデタラメである」



この点、吉川英治も否定はしない。

「後世の浅薄な撃剣屋がその型の派手を見て、その精神を解さず、技巧だけを伝えた」と書き、武蔵が二刀で戦ったとする解釈を批判している。

なるほど、この両雄はお互いにしのぎを削り合って、宮本武蔵像を彫り上げていったかのようである。認めるところは認めながら。



デタラメだった講談の世界で膨らみきっていた武蔵像。

それもそのはず、実際の武蔵の経歴は、昔も今もよく分かっていない。あるのは、時代時代の創りだすイメージばかり。



肖像画に残る武蔵は、二刀をもった両手をダラリと下げている。

これは二天一流の無構(むがまえ)。相手を誘うように無防備に見せているのだと云う。

そんな武蔵に、誰しもが誘い出されるのであろうか。その実像がよく分からぬおかげで、今も昔も、自由に斬り込むことが許されているかのようである。



鎧を着けたまま葬られたという宮本武蔵。

どこから斬り込まれても、その心を動かすことはないのかもしれない…。







(了)




関連記事:

剣道の強さとは? 心の弱さこそがスキになる。

身体で悟る。生涯無敗と謳われた「国井善弥」

名刀「正宗」。その誕生の背景には、日本最大の国難があった。



出典:「二天一流 宮本武蔵」直木三十五
posted by 四代目 at 07:04| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月08日

中島敦「名人伝」を読む


「天下第一の弓の名人」

昔、紀晶(きしょう)という男は、そうした志を立てた。



では、誰に師事しようか?

それは「百歩を隔てて柳葉を射るに、百発百中」という達人、飛衛(ひえい)をおいて他にあるまい。

古今、弓矢をとっては、名手・飛衛に及ぶ者があろうとは思われなかった。



◎またたき


早速、紀晶は名手・飛衛の門を叩く。

すると飛衛はまず、「瞬(またた)きせざることを学べ」と紀晶に命じた。



家に帰った紀晶は、やおら妻の機織(はたおり)台の下に潜り込むと、その下に仰向けに寝そべった。

それは、眼前すれすれを忙しく往来する招木にも、「じっと瞬(またた)かずに見詰めていようという工夫」であった。

訳の分からぬ妻は、「妙な角度から良人に覗かれては困る」と嫌がる。だが、紀晶は妻を叱りつけると、頑としてそこから動く気配がなかった。



紀晶はその「可笑しな格好」のまま、来る日も来る日も「瞬(またた)きせざる修練」を重ねる。

そして2年ののち、ようやく紀晶は機織(はたおり)台の下から這い出してきた。

ついに彼は、招木が睫毛(まつげ)をかすめても、絶えて瞬くことがなくなったのであった。



◎視ること


不意に「火の粉」が目に入ろうとも、目の前に突然「灰神楽」が舞おうとも、紀晶は決して目をパチつかせない。

「彼の瞼(まぶた)はもはや、それを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである」

挙げ句の果てには、紀昌の目の睫毛と睫毛の間に、「小さな一匹の蜘蛛」が巣をかけるに及んだ。



ようやく自信を得た紀昌は、師の飛衛にこのことを告げる。

すると飛衛、「瞬かざるのみでは、まだ射を授けるに足りぬ。次には『視ること』を学べ」と、次なる課題を紀昌に授ける。



「視ること」とは?

「小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとく」



家に戻った紀昌は、肌着の縫い目から一匹の虱(しらみ)を探しだすと、その虱を自分の髪の毛にくくりつけ、窓辺にぶら下げた。

毎日毎日、紀昌は窓にぶら下げた虱(しらみ)を見詰め続ける。終日、睨み暮らすのである。



◎馬


「小を視ること大のごとく」とは言えども、虱は虱にすぎない。「2、3日たっても、依然として虱である」。小は小のままである。

ところが、10日余りも睨み暮らした頃であろうか、「気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら、大きく見えてきたように思われる」。

3ヶ月後には、「明らかに『蚕(かいこ)』ほどの大きさに見えてきた」。



紀昌が虱(しらみ)を睨みつけている間、窓辺の風景は移ろいゆく。

春の陽はいつか夏の光に、澄んだ秋空は寒々とした灰色の空に、そして霙(みぞれ)が落ちかかる…。

その虱も、はや何十匹となく取り替えられている。



そして3年。

ある日ふと気が付くと、「窓の虱が『馬』のような大きさに見えていた」。

「しめた!」と膝を打つ紀昌。



表へ駈け出した紀昌は、我が目を疑った。

「人は高塔であった。馬は山であった。豚は丘のごとく、鷄(とり)は城楼と見える」

ついに「小は大」となっていた。



雀躍した紀昌は、家の中にとって返し、窓辺の虱に立ち向かって矢を放つ。

「矢は見事に虱の心の臓を貫いて、しかも虱をつないだ毛さえ切れぬ」



◎100本の矢


紀昌はさっそく、師・飛衛にこれを報じた。

「出かしたぞ」

師は初めて紀昌を褒めた。そして、射術の奥義秘伝をあますところなく紀昌に授け始めた。



紀昌の腕前の上達は、驚くほど速い。目の基礎訓練に5年もかけた甲斐があった。

奥義伝授から10日後には、「百歩を隔てて柳葉を射るに、百発百中」という域に紀昌は達していた。

20日後、「いっぱいに水を湛えた盃を右肘の上に乗せて剛弓を引くに、狙いに狂いのないのはもとより、杯中の水も微動だにしない」。



一ヶ月後、紀昌は100本の矢をもって速射を試みる。

第一矢が的に当たると、続く第二矢は第一矢の矢筈(やはず)に当たってまっすぐに突き刺さる(矢筈とは、矢を弦につがえる末端の部分)。第三矢の鏃(やじり:矢の先端)は第二矢の矢筈にガッシと喰い込む。

「矢矢(しし)相属し、発発(はつはつ)相及んで、後矢の鏃(やじり)は必ず前矢の矢筈(やはず)に喰入るがゆえに、絶えて墜ちることがない」

放たれた100本の矢は、まるで一本の矢のごとくに相連なり、的から一直線に紀昌の弓にまで続く。



「善し!」

思わず師の飛衛は言った。

紀昌の「至芸による矢の速度と狙いの精妙さは、じつにこの域にまで達していたのである」。



◎良からぬ考え


もはや師に学ぶべきことは何も無い。

そんなある日、紀昌はふと、良からぬ考えを起こした。

「『天下第一の弓の名人』となるためには、どうあっても師の飛衛を除かねばならぬ」



秘かにその機をうかがう紀昌。

たまたま荒野において、ただ一人歩み来る飛衛に、紀昌は出遇った。

とっさに意を決した紀昌。矢を取って飛衛に狙いをつける。



その気配を察した飛衛。彼もまた弓を執って相応ずる。

「二人互いに射れば、矢はそのたびに中道にして相当り、ともに地に堕ちた」

両人の技はいずれもが「神(しん)」に入っていた。



さて、飛衛の矢が尽きた時、紀昌はなお一矢を余していた。

「得たり」と紀昌がその矢を放つ。

ところが、「飛衛はとっさに、傍らなる野茨の枝を折り取り、その棘の先端をもってハッシと鏃を叩き落した」。



◎児戯(じぎ)


道義的慚愧の念。

もし非望が遂げられていたら、紀昌はそれを感じることがなかったであろう。



一方の飛衛は「危機を脱しえた安堵」と「己が技量についての満足」に浸っていた。ゆえに敵に対する憎しみはすっかり忘れていた。

しかし、「ふたたび弟子が、かかる企みを抱くようなことがあっては、はなはだ危うい」とも思った。



そこで飛衛は「この危険な弟子」に向かって言った。

「爾(なんじ)がもしこれ以上この道の蘊奥(うんのう)を極めたいと望むならば、ゆいて西の方、大行の険に攀じ、霍山(かくざん)の頂を極めよ。そこには『甘蠅(かんよう)老師』とて古今をむなしゅうする斯道の大家がおられるはず」

飛衛の語るところによれば、その甘蠅(かんよう)老師の技に比べれば、「我々の射のごときは、ほとんど児戯(じぎ)に類する」ということだ。



これは紀昌の自尊心にこたえた。

「もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途ほど遠いわけである」



紀昌はすぐさま西へと旅立った。

己の業が「児戯(じぎ)に類するのかどうか」。

とにもかくにも早く甘蠅(かんよう)老師に会いたかった。会って腕比べをしたい。そう焦りつつ、紀昌はひたすらに道を急いだ。



◎甘蠅(かんよう)老師


「足裏を破り、脛を傷つけ、危巖を攀じ、桟道を渡って」、紀昌は一ヶ月ののちに霍山(かくざん)に辿り着いた。

気負い立つ紀昌。しかし、彼を迎えたのは「羊のような柔和な目をした、ひどくヨボヨボの爺さん」であった。年齢は100歳を超えているのであろうか。腰もすっかり曲がって、その白いヒゲは地面を引きずっている。



この老人、耳は聞こえるのか?

紀昌はことさらの大声で来意を告げると、慌ただしく空高くを射った。

碧空を飛び行く渡り鳥の群れに投じられた一矢は、たちまち5羽の大鳥を撃ち落とした。



「ひと通り出来るようじゃな」

老人は穏やかに微笑んでいる。

「だが、それはしょせん『射之射』というもの。好漢いまだ『不射之射』を知らぬと見える」



そう言われて、さすがにムッとする紀昌。

しかし、老人に連れられて行った先の絶壁には足がすくんだ。「屏風のごとき壁立千仞(へきりつせんじん)」、はるか真下には渓流が糸のような細さに見える。

その断崖から「半ば宙に乗り出した危石」。老人はつかつかとその危石に駆け上ると、振り返って紀昌を手招きする。



◎不射之射


「どうじゃ、この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか?」

老人にそう言われては、紀昌も今さら引っ込みがつかぬ。

しかし、紀昌が危石を踏んだ時、石はかすかにグラリと揺らいだ。「覚えず紀昌は石上に伏した。脚はワナワナと震え、汗は流れて踵(かかと)にまで至る」。



老人は笑いながら紀昌を石から下ろすと、こう言った。

「では、射というものをお目にかけようかな」

しかし、弓はどうなさる? 矢は? 老人は素手なのだ。



「弓?」

老人はまた笑う。

「弓矢の要るうちは、まだ射之射じゃ。『不射之射』には、弓も矢も要らぬ」



そう言って、頭上高く輪を描いて飛ぶ鳶(とび)を老人は見上げた。その鳶はゴマ粒ほどの小ささにしか見えない。

やがて、「見えざる矢」を「無形の弓」につがえた老人は、ヒョウとそれを放つ。



「見よ! 鳶は羽ばたきもせず、中空から石のごとくに落ちてくるではないか!」

紀昌は慄然とする。

「今にして始めて、至道の深淵を覗き見た心地であった」



◎木偶のごとく、愚者のごとし。


およそ9年間、紀昌はこの老人のもとに留まった。

その間、いかなる修行を積んだものやら、「それは誰にも判らぬ」。

ただ、9年たって山を降りて来た紀昌の顔つきは、すっかり変わってしまっていた。



以前の「負けず嫌いの精悍な面魂」はどこへいったのか?

紀昌の顔には「なんの表情も無い」。まるで「木偶(でく)のごとく愚者のごとき容貌」ではないか。



その紀昌の顔つきをひと目見た飛衛は、感嘆して叫んだ。

「これでこそ初めて、天下の名人だ! 我らのごとき、足下にも及ぶものではない!」と。



◎弓を執らざる弓の名人


町の人々は、「天下第一の弓の名人」の妙技を一目見んと、期待に沸き返った。

ところが紀昌、その要望に一向に応えようとしない。

「いや、弓さえ絶えて手に取ろうとしない」のだ。山に入る時に携えていた自慢の弓矢も、どこかへ棄ててきた様子である。



町の一人は、紀昌にそのわけを尋ねた。

すると紀昌は物憂げに言った。

「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」



極まれば、もはや射ることなし。

こうして、紀昌は「弓を執らざる弓の名人」として、町の人々の誇りとなった。

そして、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝されていくばかり。



◎噂


紀昌をとりまく噂は口から口へと伝わり、絶えることなく広がり続けた。

ある者は、紀昌の家の屋上で弓弦の音を聞いたという。「きっと、名人の内に眠る射道の神が夜中に名人の身体を抜け出し、妖魔を払うべく守護にあたっているのではないか?」

ある者は、紀昌の家の上空で雲に乗った紀昌を見たという。「古の名人を相手に、紀昌が腕比べをしているのを確かに見たんだ!」



紀昌の家に忍び込もうとした盗賊は、「塀に足を賭けた途端に、森閑とした家の中から奔り出た一道の殺気がまともに額を打ったので、覚えず外に転落した」と白状した。

「爾来、邪心を抱く者どもは、紀昌の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥は彼の家の上空を通らなくなった」



◎煙のごとく


そうした名声ばかりが高まるのをよそに、名人・紀昌はただ老いていく。

早くに射を離れてしまった紀昌の心は、ますます「枯淡虚静の域」に入っていったようである。木偶(でく)のごとき顔つきからは、ますます表情が失われ、語ることすらもマレとなっていた。



「すでに我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる」

これが名人・紀昌の数少ない晩年の述懐であるという。



老師甘蠅(かんよう)のもとを辞してから40余年。

「紀昌は静かに、まことに煙のごとく静かに世を去った」

その40年間、紀昌は絶えて射を口にすることがなかった。「口にしなかったくらいだから、弓矢を執っての活動などあろうはずが無い」。



◎妙な話


紀昌が世を去ると、その後には「妙な話」だけが残された。

ある日、老いた紀昌が知人のもとへと招かれていったところ、紀昌はその家で「一つの器具」を見た。

その器具には確かに見憶えがある。だが、どうしてもその名前が思い出せぬ。



老人・紀昌は家の主人に尋ねた。

「それは何と呼ぶ品物か? 何に用いるのか?」

主人は紀昌が冗談を言っているものとしか思わなかった。というのも、それは子供でも知るものでああるからだ。だから、主人はニヤリとトボけた笑いで返した。



だが、紀昌は真剣になって、ふたたび尋ねる。

それでも主人は、曖昧な笑みを浮かべたままだ。まさか、紀昌が知らぬはずはあるまい。まさか、紀昌が…。



3度、紀昌が真面目な顔をして同じ質問をした時、主人はさすがに客の心を測りかねた。

紀昌の眼をじっと見詰めると、紀昌が冗談を言っているのでも、気が狂っているわけでもないことが明らかに判った。本当にその品物を忘れてしまっていたのだ…!



主人の顔には驚愕の色がありありと現れる。

主人はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。

「あぁ、夫子が…、古今無双の射の名人たる夫子が…、弓を忘れ果てられたとや?」



名人・紀昌は射と「一」となったがゆえに、弓矢の存在を忘れ果てたというのだろうか。白地に黒は見えても、白は見えないように、異なるがゆえにその存在は明確となる。しかし、「一」となってしまえば…。

この妙な話が町に広まって以降、「画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じた」ということである。



(了)







関連記事:

「無心」となれば矢は自ずと的を射る。「弓道」にみる日本の精神性。

身体で悟る。生涯無敗と謳われた「国井善弥」

武術の残すタネとは? 天野敏(太気拳)



出典:中島敦「名人伝
posted by 四代目 at 09:04| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

古典に秘された「慈心」のタネ。廻天の力


「モノで栄えて、心で滅ぶ」

1929年、ニューヨークに端を発した世界大恐慌。わが日本も大混乱に陥っていた。

「都市部はもとより冷害が続く農村部は、生活苦で娘を身売りしなくてはならないほど悲惨な状況であり、その後の日本は、右派と左派の革命勢力が武力行使も辞さない緊迫した状態が続く」



そのような状況の中、日本の未来を憂えた「安岡正篤(やすおか・まさひろ)」氏は、和漢の古典から珠玉の名詩・名文30編を抽出し、「光明蔵(こうみょうぞう)」という薄い小冊子にまとめ上げた。

「30歳前後にして、すでに数多くの古典や歴史書を渉猟されていた安岡先生。先生はこれらの言葉を諳(そら)んじてしまうくらい誦読(しょうどく)を繰り返すことで、学生たちの心魂を練り上げようと考えられました(荒井桂)」



人材の育成に日本の活路を求めようとした安岡氏。金鶏学院、日本農士学校を相次いで設立し、この「光明蔵(こうみょうぞう)」をその修身のテキストとしたのであった。

ここに収蔵された言葉は、中国の「論語」「詩経」「孟子」「史記」「文選」「資治通鑑」、日本の「正法眼蔵」「興禅護国論」「志士論」「山鹿類語」などなど、孔子、司馬遷、司馬光、王陽明、道元、親鸞、吉田松陰、山鹿素行らの片言隻句である。



◎孟子


「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずまずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏(くうぼう)にし、行いにはその為すところを仏乱(ふつらん)す。

 心を動かし、性を忍び、そのよくせざるところを曽益するゆえんなり」



天が大任をその人物に与えようとする時、必ずまずその精神(心志)を苦しませ、筋骨を疲れさせ、その肉体を餓えさせる。生活は窮乏し、することなすこと何事もうまくいかなくなる。

それは天がその人物を発奮させるためであり、彼の本性をより忍耐強いものとするためである。その結果、その人物は今までできなかったことができるようになり、ようやく大任を負うに足る人物となるのである。



この孟子の名文を朗々と唱える獄囚がいた。幕末の佐久間象山(さくま・しょうざん)である。

そして、その声に勇気づけられた人物がいた。それは同じ牢獄に収監されていた吉田松陰(よしだ・しょういん)である。この師弟は密航の罪によって、江戸幕府に捕らえられていたのであった。

彼らはこの逆境を孟子の言葉によって、己の力に変えていったのだという。



安岡氏はこう結ぶ。

「道、剣夷にあり、地にしたがって楽しむ。これは是れは是れ聖賢心法の秘奥なり」

道の険しいところも、平坦なところも楽しむ。これは聖賢の心構えの秘奥である。







◎司馬光


「才徳全尽、これを聖人といい、才徳兼亡、これを愚人という。

 徳、才に勝つ、これを君子といい、才、徳に勝つ、これを小人という。

 およそ人を取るの術、いやしくも聖人君子を得てこれに与(くみ)せずんば、その小人を得んよりは愚人を得んにしかず」



「資治通鑑」を記した司馬光は、「才」と「徳」を明確に区別し、人物を「聖人」「君子」「小人」「愚人」の4つに大別している。

才と徳がすべて備わっている人物(才徳全尽)が「聖人」であり、その両方を持たぬのが「愚人」である(才徳兼亡)。そして才と徳を持つ人物の中でも、徳(心)が才(知識)に優る人物が「君子」であり、逆に徳よりも才が勝る人物が「小人」となる。



司馬光が重視しているのは、明らかに「徳」である。

それゆえ、人物を任用する上で最も警戒すべきは「小人」となる。なぜなら、小人は才知には長けるものの、徳が足らぬゆえにそれを悪用して悪行をなす危険性があるからである。

それならば、いっそのこと才にも徳にも乏しい「愚人」を任用したほうがよっぽどマシだと司馬光は言うのであった。



◎道徳


中国古典の「中庸」には、こんな言葉がある。

「天の命ずるこれを性といい、性に率(したが)うこれを道といい、道を修(おさ)むるこれを教という」

天が与えた本質のままに生きることを「性」といい、その本質にしたがって生きることを「道」という。そして、その道を修めるのが教えである。



「道が体得されれば、それはその人の『徳』となります。道と徳は一体であり、これが『道徳』という言葉のゆえんです(荒井桂)」

才(才智)というのは、道から外れることもある。しかし、徳(心の本質)は道を踏み外すことがない、と中国の古典は教える。それゆえに、司馬光は「徳」を第一に置いたのであろう。







◎荀子


「荀子に曰く、君子の学は通のためにあらざるなり。

 窮して困(くるし)まず、憂いて意(こころ)、衰えざるがためなり。

 禍福、終始を知って、惑わざるがためなりと」



君子が学びを深めるのは、栄達や富貴(通)のためではない。困窮や貧賤の中でも苦しむことなく、憂患に遭っても心を衰えさせないためである。

幸福(福)と不幸(禍)の起こるところ、そして物事の始まりと終わりを知れば、心が惑うこともなくなるだろう。







また、魏(三国時代)の李康はこう言った。

「治乱は運なり。窮達は命なり。貴賤は時なり。ゆえに聖人は時に遇わざるも怨みず。

 その身は抑うべきも、道は屈すべからざるなり。その位は排すべきも、名は奪うべからざるなり(文選・運命論)」



国が治まるか乱れるかは「運」であり、人の困窮と栄達は「命」であり、身分の高低は「時」による。だから聖人は、運命の不遇を怨むことはない。

聖人の身体を抑えつけることはできても、その道を曲げることはできない。聖人の地位を剥奪することはできても、その名を奪い取ることまではできない。



◎主と従


安岡氏の「光明蔵(こうみょうぞう)」に選ばれた名言はいずれも、人間の内面性(心)を「主」とし、モノや金銭、地位や名誉といった外物は「従」にすぎないことを教えている。

もともと「光明蔵」という言葉自体が、仏教でいう「心の異名」であり、「自己の本心」を指すものである。

「自己の本心は、無明を破り真如の光を輝かす智慧光明を所蔵するところ」



昭和初期の激動期、安岡氏は世の中が荒(すさ)んでいく様を見るに見かねていた。

「現代の学者や作家は、どうも正常な人間性や情操を失って、頭だけでものを書いている」

その様を司馬光の言葉に照らせば、徳(心)よりも才(頭)の勝った「小人」がモノを書いているということになる。小人とはすなわち、その才智を悪用してしまいかねない危険な人物のことである。



「このごろ、読んで心に感動の旋律を生じ、覚えず声に出して朗読したくなるような詩や文が滅多に得られなくなった」と安岡氏。「好い意味でのロマン性がない。疲れている。荒んでいる。音楽でさえ、そういう感じがする」

ゆえに、安岡氏は古典へと回帰していったのであった。







◎道元


「愛語というのは、衆生をみるにまず慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。

 現在の身命の存ぜらんあいだ、このへんで愛語すべし。世々生々(ぜぜしょうじょう)にも不退転ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり」



「愛語」というのは、人々を慈しみ愛する心でかける言葉である、と道元禅師は説く(正法眼蔵)。

この生命が続く限りは愛語でもって人と接し、来世にも後退することがないように。憎らしい敵を降伏させるのも愛語であれば、君子が仲を保つのも愛語である。



「知るべし、愛語は愛心よりおこる。

 愛心は慈心を種子とせり。

 愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」



愛語は「愛心」に根ざし、愛心は「慈心」をそのタネとする。

まことの愛語は、時勢を一変させるほどの力を持つものなのだ…!






◎知情意


人の心は「知情意(知性・情緒・意志)」で働くといわれる。

その心が震えるような名詩や名文に出会えば、人間の心が高まることもあり、行動が変わることもある。

道元禅師の言う「愛語」というのは、そうした言葉のことなのであろう。



「読書百遍、意自ずから通ず」

たとえどれほど難解な書であろうとも、それを100回、諳(そら)んじるほどに繰り返し誦読すれば、その意味は考えることもなく身についていくとも言う。



文章の文字通りの意味とは、おおよそ表面的な「従」にすぎぬのであろう。ただの一回読んだだけでは、その「従」に満足してしまいかねない。おそらく司馬光のいう小人とは、そこにとどまってしまった人たちのことを指すのであろう。

もし、愚人といわれる人たちが、その書を100遍読んだら?



その時なのだろう。

愛語に秘められた「慈心」のタネが自然と心に宿るのは…。

そして、時勢が一変するのは…。







関連記事:
賢人たちの道標となってきた「六然」の教え。

岸良裕司と稲盛和夫。強く優しき巨人たち。

木彫りのニワトリこそが最強の姿? 横綱の強さとは?



出典:致知2013年2月号
「安岡正篤『光明蔵』に学ぶ」
posted by 四代目 at 06:28| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする