2011年08月20日

日本精神の象徴たる「志(こころざし)」。この言葉は、いつの間にやら「夢」へと代わっていった。戦後日本を考える。

「なぜ、『志(こころざし)』が『夢』に変わったのか?」

現代では、「夢」という言葉が人生の目標を表すことが多いが、以前の日本では、「志(こころざし)」という言葉が多く用いられていたという。



「なぜ、志(こころざし)が夢に取って代わられたのかは分かりませんが、夢と志では、イメージに違いが出てきます。」

こう語るのは、「佐藤一斎(江戸末期の儒学者)」の研究者である「栗原剛」氏である。

「佐藤一斎」は、著書「言志四録」で有名であり、この書は「西郷隆盛」の愛読書でもあったという。





時の首相「小泉純一郎」氏は、教育関連法案の審議中に「言志四録」の一節を引用し、教育の重要性を説いた(2001)。



「少にして学べば、則(すなわ)ち壮にして為すことあり

壮にして学べば、則(すなわ)ち老いて衰えず

老いて学べば、則(すなわ)ち死して朽ちず」


「三学戒」と知られるこの一節に対して、小泉氏はこう発言している。

「私の好きな言葉です。日本にも、『孔子』に勝るとも劣らない学者がいたのです。」



「言志四録」のテーマは、「志(こころざし)」である。

一斎の教えは、幕末から明治維新にかけ、新しい日本をつくっていった指導者たちに多大な影響を与えたと言われている。

そして、今なお指導者のバイブルとして愛読する人は絶えない。





日本人は「志(こころざし)」に生きていた。

それが、いつの間に「夢」に変わったのだろう?

「志」と「夢」の違いとは?



「志(こころざし)」という言葉には、どこか「一直線な鋭さ」を感じる(心を刺す)。

それに対して、「夢」という言葉には、どこか「漠然としたとらえどころのなさ」を感じる。

また、「志」が「心の内」にあるように感じるのに対し、「夢」は「自分の外側」にあるような感じがする。



「どちらが『実現可能』か?」と問われれば、迷いなく「志」だと答えたくなる。

「志(こころざし)」は実に日本的な感覚に近く、「夢」はドリーム(Dream)と言ったほうがシックリくるほどにアメリカ的である。

いつから「志」が「夢」に変わったのかは知る由もないが、戦後のアメリカ支配以降と考えても大きな誤解はなさそうだ。



台湾元総統の「李登輝」氏は語る。

「戦後の日本人は、アメリカの『骨抜き計画』によって、『日本精神』を失ってしまった。」

「台湾には、今も『日本精神(リップンチェンシン)』という言葉がある。」

「この言葉は、真面目、勤勉、正直、無私などの総称である。」



「ファーブル昆虫記」の最終章に「キャベツの青虫」という話がある。

青虫はモンシロチョウの幼虫なわけだが、この青虫は美しいチョウになる寸前のサナギの段階で、体内の寄生虫(ミクロガステル)によって、腸(はらわた)を食いちぎられて死んでしまうことがある。

青虫は、いつ寄生虫(ミクロガステル)の体内への侵入を許すのか?

実は、モンシロチョウが卵を産んだ直後である。寄生虫(ミクロガステル)は、モンシロチョウの卵に直接自分の卵を産み付けるのだ。

青虫は生まれる前から寄生されており、その後の避けられない死を迎えることになるのである。





「李登輝」氏によれば、戦後の日本人には、すでにアメリカ精神の卵が産み付けられており、「日本精神」は食い尽くされてしまったというのだ。

小説家の「宮本輝」氏は、「日本精神」を日露戦争(1904)における「バルチック艦隊撃破」に結び付けている。



その決戦前夜を描いた状況は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にこうある。

司令官・東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊を見つけるや、日本軍は「トップから水兵、炊事係まで、一斉に船内の徹底的な『掃除と消毒』をした。次に風呂に入り、消毒した服に着替えた。」

「甲鈑には滑り止めの『砂』がまかれたが、その砂までが『消毒』してあった。」

「宮本輝」氏は、このくらい細かいところまで徹底的に精神を行き届かせるのが「日本精神」だというのである。

そして、その「日本精神」は戦後日本には失われてしまったというのである。





「志(こころざし)」という言葉があまり聞かれなくなり、「夢」という言葉がその代わりに台頭してきたのは、まことに「象徴的」な出来事である。

「北方謙三」の大著「水滸伝」には、鬱陶(うっとう)しいほどに「志」という言葉が出てくるが、彼もこの言葉に愛着をもつ「日本精神」を持っているのであろう。





改めて「志(こころざし)」という言葉を眺めてみると、なかなかに良い言葉ではないか。

画家である「中川一政」氏は、「志」という言葉をこう読解している。

「『志』という文字は、『士』と『心』からできているのではなく、『之』と『心』からできている文字である。

「『志』とは、『心』が『之(行く)』という意味で、『心が方向を持つこと』である。」



「志(こころざし)」という言葉の衰退とともに、「日本精神」は損(そこ)なわれてしまったのであろうか?

いや、「志」は各自の「心の内」に息づくもの。

本人がその気になりさえすれば、いつでも息を吹き返してくれるであろう。

「日本精神」は、どんな寄生虫にも侵されることのないものだと思いたい。



最後に、「志(こころざし)」の大家、「佐藤一斎」氏の言葉を。


「志あるの士は『利刃』のごとし。百邪も辟易(へきえき)す。

志なきの人は『鈍刃』のごとし。童蒙も侮翫(ぶがん)す。」


「志(こころざし)」をもった人物は、鋭く鍛えられた刃(利刃)のように、あらゆる邪(百邪)を一刀両断しても、なお鋭く、邪なる者は近づくことすらできない。

しかし、「志」がなければ、その刃は一目で切れない刀(鈍刃)であることが分かり、子供(童蒙)にすら馬鹿にされてしまう(侮翫)。



「志(こころざし)」には、「公明正大」な響きがあるが、「夢」は、ややもすると、「個人的な欲望」に成り下がりかねないところがあるように思う。



出典:致知9月号

posted by 四代目 at 08:33| Comment(1) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月25日

淡よりして濃なるべし。厳よりして寛なるべし。

「恩はよろしく淡よりして濃なるべし。
濃を先にし、淡を後にするは、人その恵みを忘る。

威はよろしく厳よりして寛なるべし。
寛を先にし、厳を後にするは、人その酷を怨む」

中国明代末期の「菜根譚」の言葉である。



人に何かしてあげるときは、最初は少し(淡)から始めて、だんだん多く(濃)を与えなさい。

最初からたくさん与えて、だんだん少なくなったのでは、ありがたがられない。



人に接する時、初めは厳しく(厳)、のちに緩やかに(寛)。

初めから優しくして、あとから厳しくすると、恨まれかねない。



posted by 四代目 at 14:47| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月28日

千日の稽古を『鍛』とし、万日の稽古を『練』とす。

「千日の稽古を『鍛』とし、万日の稽古を『練』とす。」
「千日万日の稽古を積んでこそ鍛錬と言える」
宮本武蔵五輪書
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2011年02月27日

頭を下げて自分の負けを認めるのは、本当に辛いですよ。でも強くなるのは、それをはっきり言える人です。これをいい加減に済ませている人は上には行けません。

「頭を下げて自分の負けを認めるのは、本当に辛いですよ。でも強くなるのは、それをはっきり言える人です。これをいい加減に済ませている人は上には行けません。」谷川浩司永世名人
posted by 四代目 at 12:08| Comment(0) | 言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする