生まれつき、その子には耳がなかった。
医者は言った。
「この子は一生、聞くことも喋(しゃべ)ることもできないでしょう」
だが、その子の父、ナポレオン・ヒル(Napoleon Hill)は断じて医者の言を受け入れようとしなかった。
「I challenged the doctor's opinion.(私は医者の意見に食ってかかった)」
そして決意した。
「I decided that my son would hear and speak.(私は決めたんだ、息子が聞いて喋れるようになると)」
それは、耳のない子を授けた、母なる自然(Mother Nature)への挑戦でもあった。
「How? (でも、どうやって?)」
ナポレオン・ヒルは自問した。
と、一編の詩が脳裏に去来した。
The whole course of things goes to teach us faith. We need only obey. There is guidance for each of us, and by lowly listening, we shall hear the right word (Ralph Waldo Emerson).
物事の移(うつ)ろいは、私たちに信じることを教えてくれる。私たちはただ、それに従うだけでいい。一人一人にはそれぞれの導きがあり、静かに耳をすませると、正しい言葉(the right word)が聞こえてくるだろう(ラルフ・ウォルド・エマーソン)。
「The right word? (正しい言葉だって?)」
その自問に、ナポレオン・ヒルは力強く即答した。
「Desire! (強く思うことだ!)」
◆かすかな希望
息子の生まれる数年前、ナポレオン・ヒルは自身、こう書いていた。
「Our only limitations are those we set up in our own minds.(我々の言う限界とは、自分が心の中で決め込んでしまったことにすぎない)」
ベッドには生まれたばかりの息子、ブレイア(Blair)が寝ている。彼には耳がない。この事実、彼に聞くことができないという限界は、果たして彼自身が決めてしまったことなのだろうか?
「What could I do about it?(私に何ができるというのだ?)」
何をどうしたらいいのか、皆目見当がつかない。
それでもナポレオン・ヒルが胸に抱いた、息子の耳が聞こえるようになるという「Burning desire(燃えるような願望)」は微塵も揺るがなかった。その欲望が「Physical reality(現実のもの)」となることを、根拠もなしに疑わなかった。
「Every day I renewed the pledge I had made to myself, not to accept a deaf mute for a son.(毎日わたしは、その誓いを新たにした。息子が聾唖(ろうあ)であることなぞ受け入れてなるものか、と)」
息子ブレイアが成長するにつけ、彼にわずかながらも聴力らしきものがあることが判ってきた。
「That was all I wanted to know!(それこそが私の知りたかったことだった!)」
普通の子どもがしゃべる年齢になっても、ブレイアはしゃべろうとしなかった。それでも、少しでも何かが聞こえているのであれば希望がある、とナポレオン・ヒルは自分を励ました。
◆蓄音機(Victrola)
思いもよらぬことから、かすかな希望はより大きな現実となる。
それはナポレオン・ヒルが蓄音機(Victrola)を買ってきた時のことだった。
その機械に殊(こと)のほか興味を示した息子ブレイアは、2時間以上も蓄音機にかじりついたまま音楽に聴き惚れていた。とりわけ”It's a Long Way to Tipperary”のレコードがお気に入りだった。
当時のナポレオン・ヒルは、なぜ息子が蓄音機に噛りついているのか分からなかった。だが後に、それが「骨伝導(bone conduction)」という音の聴こえ方であったことが判る。耳を介さずとも、骨に直接、音が振動することによって、脳がその音を理解するのであった。
その証拠に、ブレイアの頭のすこし下の方にある「乳状突起骨(mastaid bone)」に唇をあてて話しかけてみると、彼はよく聞こえているようであった。
その事実に、ナポレオン・ヒルは自信を深めた。
「Desire backed by faith knows no such ward as impossible.(信じきった願望には、不可能などという言葉はない)」
◆信念(faith)
言葉が伝わると知ったナポレオン・ヒルは、自分の願望をさっそく息子に語りかけた。
「I began, immediately, to transfer to his mind the desire to hear and speak.(すぐに私は、聞きたい・話したいという欲望を息子の心に伝えはじめた)」
ブレイアは寝る前のお話(bedtime stories)が大好きだったので、ナポレオン・ヒルは自作の話を語りながら、自分の信念を息子に言い聞かせ続けた。
「It was designed to plant in his mind the thought that his affliction was not a liability, but an asset of great value.(私の話には、障害は決してマイナスのものではなく、それは大いに価値のある財産なのだ、という思いが込められていた)」
”Every adversity brings with it the seed of an equivalent advantage.”
「あらゆる逆境(adversity)には、それに見合うだけの利益の種がふくまれている」
それがナポレオン・ヒルの信念であった。
「I must confess that I had not the slightest idea how this affliction could ever become an asset.(だが告白しなければなるまい。この時点の私は、どうしたら彼の障害が財産になるのか、わずかなアイディアすらも持ち合わせてはいなかった)」
ただ信じるしかなかった。ブレイア自身がその方法を見つけ出すことを。
「Desire backed by faith, pushed reason aside.(信念に裏打ちされた願望には、理屈などいらなかった)」
幸いに、ブレイアは父の言うことは何でも素直に聞いていた。
「He did not question anything I told him. (ブレイアは私の言うことを疑ったりはしなかった)」
◆新聞売り
ブレイアの兄は新聞売りのアルバイトをしていた。
ブレイアもまた、新聞売り(a newspaper merchant)をやりたいと思った。だが、母親が決して許さなかった。耳の聞こえない7歳の子供が、一人で出歩くなんて危険すぎると思った。
やむなくブレイアは強硬策に打って出た。
両親の留守をねらって、彼はキッチンの窓から外へと飛び出したのだった。
近所の靴屋から6セントを借りたブレイアは、卸しから新聞を買った。売れるとまた新聞を買い増した。それを暗くなるまで幾度となく繰り返した。
(耳はないが)耳をそろえて借りた6セントを靴屋に返した。手元には42セントが残った。
両親は夜遅くに帰ってきた。
ぐっすり眠っている息子ブレイア。その手には稼いだ硬貨が固く握り締められていた。
母親は彼の手の平をゆっくり開くと、そのコインを見て泣き出した。
「His mother saw a little deaf boy who had risked his life to earn money.(母親にはブレイアがこう見えた。命を危険にさらしてお金を稼いだ、小さくて耳のない子よ、と)」
反対に父、ナポレオン・ヒルは心からの笑い声をあげた。
「I saw a brave, ambitious, self-reliant little business man. And he had won!(私はブレイアをこう見た。勇敢なる野心で独歩した小さなビジネスマンよ、と。そして彼は勝ったのだ!)」
「My son has taught me that handicaps can be converted into stepping stones.(息子は私に教えてくれた。ハンディキャプは飛躍のための踏み台に変えることもできるのだ、と)」
以来、ブレイアは欲しい物があると、自らお金を稼ぐ方法を案出し、自分の力で欲しい物を手に入れるようになった。
一方、身体に不自由のなかった兄は欲しい物があると、床に寝そべって足をバタつかせて泣きわめくのだった。
◆補聴器(hearing aid)
耳が聞こえない息子を、ナポレオン・ヒルは聾学校(school for the deaf)にやりたくはなかった。小中高校と、普通の学校に通わせた(先生方との激論をへて)。
手話(the sign language)さえも習わせなかった。あくまでも普通の子(normal children)として普通の生活(a normal life)を送らせた。
先生の話は、耳元で叫ぶように話してもらわないかぎり、ブレイアには聞こえなかった。
高校のとき、ブレイアは補聴器(hearing aid)を試してみた。だが変わらず、先生の話は聞こえなかった。
転機(turning point)は大学生になってから訪れた。
それは、ある偶然(mere chance)からだった。
ある補聴器メーカーが、ブレイアに補聴器の試供品(trial)を送ってきた。
「He was slow about testing it.(ブレイアは試してみるのに乗り気ではなかった)」
無理もない。今まで似たような物にいくつも失望させられてきた。
だが、無造作に耳にひっかけてみると…、
「lo! as if by a stroke of magic, his lifelong desire for normal hearing became a reality!(なんと! まるで魔法のように一瞬で、彼の生来の望みであった、普通の聴力が現実化したではないか!)」
”God moves in mysterious ways”
「神の御働きは不可思議である」
「We had refused to accept Nature's error, by persistent desire, we had induced Nature to correct that error, through the only practical means available.(私たちは大自然の過ちを受け入れることを拒んだ。しつこいほど強く願って。そして私たちは大自然の過ちを正した。私たちにできた現実的な方法だけで)」
歓喜したブレイアは電話口へと走り、母親に電話をかけた。
聞こえる!
生まれて初めて、母の声をはっきり聞いた。
この耳なき耳で!
翌日の授業で、先生の声がクッキリと聞き取れた。
For the first time in his life!
生まれて初めて!
ラジオも聞こえる。
映画も聞こえる。
For the first time in his life!
生まれて初めてだ!
◆別世界(changed world)
ブレイアは感動のまま、補聴器メーカーに感謝の手紙をかいた。
The joy of his newly discovered world of sound
新たに見出した音の世界、その喜びを。
その熱い手紙を受け取った補聴器メーカーは、その文字からのみならず、その行間からもあふれ出る喜びを共有した。
そしてニューヨークへと、ブレイアを招待した。
初めてのニューヨーク。
工場を案内されながら、ブレイアは熱っぽく彼の”新世界(changed world)”を工場長に語っていた。
と、その時だった。
活性化していたブレイアの頭に、一つのインスピレーションが煌(きら)めいた。
A hunch(直観), an idea(アイディア), or an inspiration(インスピレーション) -call it what you wish(好きなように呼ぶがいい)- flashed into his mind.
「The boy found a definite and practical way to convert his handicap into an equivalent asset.(少年は、彼のハンディキャプをそれに見合うだけの財産に変換する、明確にして現実的な方法を発見した)」
耳の不自由な、何百万という人々と、この感動を共有しよう。
この”見違えるほどの世界(Changed World)”を。
「He reached a decision to devote the remainder of his life to rendering useful service to the hard of hearing.(ブレイアは決心した。残りの人生すべてを、耳の不自由な人々のために捧げよう、と)」
◆for others
帰宅したブレイアは、さっそく仕事にとりかかった。
補聴器メーカーの販売戦略を精査しながら、世界中の耳の不自由な人々とどうやって連絡をとろうかと頭をひねった。
一ヶ月後、ブレイアは2カ年計画を捻出していた。
それを件(くだん)の補聴器メーカーに送付すると、メーカー側はブレイアを然るべき地位に就けた。
しばらくして、父ナポレオン・ヒルは息子ブレイアから招待を受けた。彼の会社が開く、耳の不自由な人々のためのクラスを見に来てくれ、と。
「I had never heard of such a form of education, therefore I visited the class, skeptical but hopeful that my time would not be entirely wasted.(私はそんな教育方法を聞いたことがなかった。だから、そのクラスを訪れたときは半信半疑だった。無駄足になってしまわないことだけを願っていた)」
訪れたクラスでナポレオン・ヒルは、耳の不自由な人々がブレイアから教育を受ける様子を見た。
なんとその方法は、父ナポレオン・ヒルが息子ブレイアに20年以上おこなってきた、それそのままだった。
I saw deaf mutes actually being taught to hear and to speak, through application of the self-same principle I had used, more than twenty years previously, in saving my son from deaf mutism.
"Strange turn of the Wheel of Fate"
運命の歯車は、なんと奇妙に転回することか。
It has been done for one, it will be done for others.
私がただ一人のために行ってきたことが、他の多くの人々のために成されようとは!
◆心の力(the power of the mind)
数年後、ボールヒーズ医師(Dr. Irving Voorhees)はブレイアを隈なく診察した。
示された頭蓋骨のX線写真には、耳があるべき穴は見当たらなかった(there is no opening in the skull)。
医師は言った。
「"Theoretically", the boy should not be able to hear at all.(理論上、この子はまったく聞くことができないはずだ)」
皮肉にも、ブレイアはこの言葉を自分の”ない耳”で聞いていた。
ナポレオン・ヒルは言う。
「I believe, and not without reason, that nothing is impossible to the person who backs desire with enduring faith.(私は理屈なしに信じる。願望をあくまでも信じつづける者には不可能などない、と)」
「Blair desired normal hearing; now he has it!(ブレイアは正常な聴力を強く求めた。そして今、彼はそれを持っている!)」
その始まりは、父ナポレオン・ヒルの”罪なき嘘(white lies)”であった。
「I planted in his mind when he was a child, by leading hime to believe his affliction would become a great asset, which he could capitalize, has justified itself.(私はブレイアが小さい時から、彼の障害は大いなる財産になりうると言い続けてきた。そして彼は、その資産を現金に変換し、障害それ自体を正当化してくれた)」
ブレイアは今、他の何百万という耳の不自由な人々に、そのメソッド(方法論)を広めている。ブレイアにとって負債(liability)と思われた障害は今や、利益(dividend)をもたらす明らかな資産(asset)となったのだった。
「There is nothing, right or wrong, which belief, plus burning desire, cannot make real.(善い悪いではない。信念と燃えるような欲望だけが現実となったのだ)」
Strange and imponderable is the power of the human mind!
未知にして量りがかきかな、人の心の力というものは!
最後に、ナポレオン・ヒルはこの成功の因を3つに要約する。
First, I mixed faith with the desire for normal hearing, which I passed on to my son.
まず第1に、私は信じる力とともに、正常な聴力という願望を息子に与えた。
Second, I communicated my desire to him in every conceivable way available, through persistent, continuous effort, over a period of year.
第2に、私は考えられ得るあらゆる方法で、その願望を彼に伝え続けた。何年にもわたって、しつこいほどの飽くなき努力をもって。
Third,
そして第3に、
He believed me!
ブレイアは私を信じてくれた!
(了)
出典:
Napoleon Hill
Think and Grow Rich (Start Motivational Books)
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