ヨーガの里にて 〜壺中の水〜 [中村天風] その1
ヨーガの里にて 〜心と病〜 [中村天風] その2
ヨーガの里にて 〜死と復活〜 [中村天風] その3
からの「つづき」
■声
滝での瞑想がつづいていたある日
三郎は師にこう愚痴った。
「あの滝の音がうるさくて、どうしても気が散るんです。もっと静かなところだと、いいんですが…」
すると師は不思議そうな顔をした。
「滝の音? あの音が気になるのか?」
「気になるなんてもんじゃありませんよ。あのとおり猛烈な轟音なんですから。一日中あそこにいると、頭までがおかしくなりそうです」
「ほう、それは意外だった」
師が意外だと言ったことのほうが、三郎にはよっぽど意外だった。あの割れんばかりの爆音が気にならないとは…。坐禅というものは元来、静かなところでするものである。そんな考えが三郎の頭の中にはあった。
しかしどうやら、師のほうではそうは思っていないらしい。
師は言う。「あの滝壺で心がまとまらないとしたら、どこへ行ってもまとまらないぞ。だいいち、あの場所はな、私がお前のために苦心して選んだところなのだ」
「え? わざわざですか?」
それは思いもしなかった。
「なぜ、あんなうるさい場所を選んだのですか?」
三郎はそう聞かずにいられなかった。
「それはな、一日も早くお前に『天の声』を聞かせてやろうと思ったからだ」
「え? 天に声があるのですか?」
「ある」
師ははっきりと答えた。
三郎は少し鼻白んだ。また迷信めいた妙な話になってきたと思ったのだ。
三郎はからかい気味に聞いた。「師はその天の声を、実際にお聞きになったことはあるのですか?」
師は揺るがない。
「いつも聞いている。こうしてお前と話をしている間にも、聞いている。天の声ばかりではない、地の声も聞いている」
「あれ? 地にも声があるんですか?」
「もちろんだ。その気になれば、お前にも聞こえるはずだ」
「あの滝壺の轟音の中で、ですか?」
「そうだ」
「…」
なんと無茶なことを言うのだろう。
「それは無理でしょう」と三郎は言った。
しかし師は最後に、こう言った。
「聞こえないと思っているかぎりは、いつまでたっても聞こえないだろうがな」
■小鳥の声
天の声?
地の声?
この滝壺で?
師の声すら、口元に耳を寄せなければ聞こえないというのに…。
半信半疑のまま、三郎はとりあえず耳を澄ましてみた。
しかし、相変わらずの轟音が耳をつんざくばかり。
そのうち、耳だけでなく、頭の芯までが麻痺してきた。
ふと目を開けると、膨大な流れの周りを小鳥たちが飛び交っている。
その一羽をじっと見つめていると、その嘴(くちばし)が微かに動いているのが分かった。
<普通なら、鳴き声が聞こえるはずなんだが…>
30分、1時間と時は過ぎていった。
気ままな小鳥たちは、岩と岩の間を楽しげに往来している。
三郎は必死にその声を拾おうとしていた。だが鳴き声どころか、何の音も三郎の耳にはとどかない。
<やっぱりダメか…>
と諦めかけた時、
チチッ
<あっ…、聞こえた>
信じられなかった。ほんの一瞬ではあったが、滝の轟々たる響きのなかで、鳥の小さなさえずり声が確かに聞こえたのだ。
よし、と意気込んで、もう一度ためしてみた。
<ダメだ…>
一度できたことが出来ないはずはないと、何羽も何羽もターゲットにしてみた。躍起になった。だが、そのことごとくが失敗に終わった。全神経を集中して聞き耳をたてても、耳に入るのは滝の轟音ばかりであった。
すっかり疲れ果てた三郎、坐禅をやめて辺りをブラブラ歩いてみた。もうすっかり集中は切れてしまった。
しばらく、ぼーっとしていると
チチッ
<また聞こえた!>
チチッ
チチッ
今度はいつまでも聞こえるではないか。
何となく三郎には分かった気がした。
聞こう聞こうと躍起になっていると、逆に聞こえない。
むしろ何も考えずにいるほうが、心は澄んでいるようだった。
■地の声
3日もすると
三郎の耳は面白いほどに、いろいろな声を聞けるようになっていた。
小鳥のさえずり、浅瀬のせせらぎ、森からの蝉の声…。さらには、遠くで狼が吠える声までが。
それまで滝の轟音ばかりに囚われていた心は、いつのまにかそこから離れることが出来ていた。
それは、そうしようと意識しないほうが、やはり上手くいくようであった。
なんと解放的な心地良さであろうか。今までは滝の轟音にすべてを閉ざされていたと思っていた。だが、じつは三郎を妨げていたものなど何ものもなかったのだ。それに気がついた。
「そうか、それは良かった」
師も喜んでくれた。
そして、次なる課題をさずけてくれた。
「一口に『地の声』といっても、いろいろある。虫の鳴く声から、風に揺らぐ微かな枝葉の音まで。そのうちの一つ一つを、自分の思うままに取り出して聞いてみなさい」
さらに、こう付け加えた。
「心が本当に澄んでくると、アリの這う音ですら耳に入ってくる」
「…」
はたして、アリが音など立てて歩くものだろうか。
そういえば、禅寺では線香の灰の落ちる音を聞くというが…。
■天地の声
3日、4日、そして10日と経った。
しかし、三郎の大きな耳でも、アリの音をとらえることはできなかった。
「そうか、聞こえないか」
師は微笑むばかり。
「『天の声』を聞こうとする者なら、そのくらいは出来なくてはいけないのだがな…」
天の声と言われると、ますます分からない。
地の声が地上の音ならば、天の声は風の唸りか…?
一ヶ月がたった。
師は相変わらず何も教えてくれなかった。それでも、小さなヒントはくれた。
「たとえ、どんな音が耳の中に入ってこようと、心の方がそれを相手にしなければよい。そうすれば自然に、天の声が聞こえてくる」
<よし。地の声を相手にしなければいいのだな>
三郎は俄然やる気になった。改めて坐を組み直した。そして、地の声を聞かぬように聞かぬようにと努力した。
しかし、そう思えば思うほど、心は地の声に囚われるようで、地の声はますます大きくなるばかり。かつてはあれほど苦労して聞こえるようになった地の声が、いまはただ忌まわしいだけだった。
師はもう何も言わなかった。
三郎も、どう聞いていいのか分からなかった。
そして三ヶ月がたった。
さすがに三郎は、すっかり音をあげてしまった。
「どうしても出来ません…」
誇り高き三郎にとって、そう打ち明けるのはひどい苦痛であった。
すると師は「むずかしいと思えばむずかしい。やさしいと思えばやさしい」と、意味のわからないことを言う。
「たとえば今、お前はこうして私と話しているね。その間にも、お前の耳にはいろいろな音が入ってきているはずだ。蝉の声やら鳥の鳴き声が。でも、今のお前はそれらを相手にせずに、私の話だけを聞いているだろう?」
「はい…」
「ほら、簡単だ」
「…?」
よく分からないが、分かった気もした。
でも実際にやってみると、やっぱり分からなかった。
そのまま、もう一ヶ月が過ぎた。
■天の声
「もう、やめた!」
三郎は突然、すべてを投げ捨てた。
「天の声が聞こえたところで、どうなる? 馬鹿馬鹿しい」
その身を草むらに投げ出し、大の字になって寝っ転がった。
仰いだ空は紺碧だった。
小さな千切れ雲が、ひとつ、ふたつと漂っている。
その時、一瞬、なにかが閃(ひらめ)いた。
<あっ、これのことか…?>
なんとも言えぬ清々しさ。ほんのわずかな時であったが、三郎は一切のとらわれから解き放たれたような気がした。
「どうやら、できたようだな」
その帰り道、三郎が何も言わなくとも師はわかっていたようだった。
しかし、そう言われても、三郎には自信がなかった。というのも、何も聞こえていなかったからだ。ただ、何かが分かったような気がしただけで。
「それが天の声なのだ」
師は三郎の心を見透かしているように言った。
「聞こえない声。声なき声。絶対の静寂(しじま)。それが天の声なのだ」
確かあの時、三郎は地の声を聞いていた。聞こうとも聞くまいとも思わずに、ただ聞いていた。そして師の言うとおり、聞こえているのに聞こえていなかった。
師は言った。
「お前が天の声を聞いている間は、辛いことも苦しいこともなかっただろう。そこに心を預けるとき、人間の生命は本来の面目を取り戻す。秘められた本然の力が勃然として顔を出す。それが本当の人間の姿であり、あるべき姿なのだ」
三郎は深くうなずいた。
師は続ける。
「このことが分かったのなら、できるだけ心に天の声を聞かせてやりなさい。そこにはもう、病もなければ煩悶もない。そうした生き方こそが、人間の生き方だ。それよりほかに、お前の生きる道はない」
三郎は思わず「じゃあ、病は治るのですか?」と意気込んだ。
師はあきれたように、「治る治らないを考えたら、心はまた元へ戻ってしまうではないか。お前はすぐ他に道を求めるから、そんな惨めな目に遭うのではないか」と三郎をたしなめた。
「たとえ身に病があっても、心がそこになければ、その人は病人ではない。反対に、病がなくとも病のことを考えているのなら、その人は病人と同じだ。お前の病も、これからは肉体だけのものにしなさい。心にまで迷惑をかけるでない。本当に安らぎは、声なき声のある世界にしかないのだ」
師の言葉に、三郎の目が涙でかすんだ。今まで分からなかったことが一気に氷解した思いだった。具体的に何かが分かったわけではない。しかしそれでも、今までの人生がいかに誤っていたかは分かった。
三郎がようやく聞いた「声なき声」には、師の言うとおり、確かな安息があった。
<あぁ、自分は救われたのだ…>
言葉にならぬ喜びが、三郎の肉体にあふれた。
■無念無想
あの日以来、三郎の進展には目覚ましいものがあった。
体のだるさも次第に遠ざかり、痩せ細っていた手足には、肉がつきはじめた。
この村に来た当初、三郎は肉も魚もない食事に文句を言ったものだった。
しかし結果はまるで逆だった。三郎が必要だと信じていた肉や魚よりも、村のあっさりした粗食のほうが病身を癒すには理想的だった。
また、ヨギたちは実によく噛んでいた。水を飲むのにも噛む仕草をしていた。三郎もそれを真似た。おかげで唾液がよく出て、消化器官への負担を減らす役に立ったようだった。それが、100歳を越しても元気なヨギたちの生活だった。
いつものように三郎は、師のロバのあとに付いて歩いていた。
しかし今日は暑い。額から汗がしたたり落ちる。
しばしの休憩
三郎は石の上に腰をおろすと、汗を拭った。そして、高峰カンチェンジュンガを見上げた。いつもながらに、心洗われる美しさである。
あたりは蝉の声に満ちていた。数十、いや数百はいるのだろう。おびただしい蝉の鳴き声が、山々を覆わんばかりである。
その時、ふっと蝉の声が途絶えた。
それまでの喧噪が一転、空白静寂となった。
<あっ、これだ…!>
蝉が鳴き止んだわけではなかった。
三郎がふたたび「天の声」、あの声なき声を聞いたのであった。
何も思わず、我も思わず。
無我にして無念無想。
そんな三昧境(サマーディ)に、一瞬とはいえ三郎は入れるようになっていた。少しずつではあるが、三郎の心に積もっていた塵が、取り払われつつあった。
■朝の川
朝夕、だいぶ冷え込むようになってきた。
このヨーガの里に来てから、3度目の冬が迫っていた。
薄い布をまとっただけの三郎の肌を、朝の冷気が強く刺す。
その寒さを気にもせず、三郎はその薄布を脱ぎ捨た。
腰布一枚の裸になった三郎。その筋肉は赤銅色に輝いていた。もはや病人の面影など感じられない。川へと向かう歩みにも、堂々たる力強さがあった。
朝靄の川辺では、すでに幾人かのヨギ(ヨガの行者)が水に浸かっている。
三郎もいつもの場所に身を沈めると、朝の行である打坐(ダーラナ)を組んだ。
氷河より流れくる水の冷たさは、三郎の腰下をぐっと締めつける。それでも、三郎の心には一点の動揺もなかった。
しばらくすると、流れのなかを静かに歩む人の気配がする。
カリアッパ師である。師はゆっくりと、ヨギたちの行を見て回る。
その気配が三郎のそばで止まると
「それでよい」
と小さく言った。
そんなふうに言われたのは初めてだった。
三郎はこの2年半で、明らかに人が変わっていた。
それまでの理詰めは影をひそめ、より直感的に物事をとらえられるようになっていた。
それから数日
三郎の打坐は、より静けさを増していた。静寂の支配する渓流のなか、三郎の心はすっかりそれと同化し、静そのものとなっていた。
彼にはもはや、打坐をしているという意識さえ希薄であった。
「そうだ。それでいいのだ」
ふたたび師は優しい声をかけてくれた。
ところが川を上がった途端、「終わった」という安堵感からか、三郎の心に隙が生まれた。またたくまに朝の冷気に打ちのめされた。襲いかかってきた寒さに、三郎の体はブルブルと震えが止まらなかった。
「それではダメだ」
そこには師が立っていた。その叱声はじつに冷淡であり、師はそのまま足早に去ってしまった。
■体得
なんとも後味が悪かった。
川の中では自分でも、心身ともに安定しているのを感じていた。身を切るような冷水の中でも、心が揺らぐことはなくなっていた。
しかし川から上がると、自分でも頼りなさを感じてしまう。
「そうだ、そうだ。それだぞ」
川の中では、再三、師は納得の声をかけてくれた。
しかし、川から上がった三郎には、師は決して満足しなかった。どんなに気を緩めないようにしても、師は失望したように三郎に背を向けるだけだった。
どうしたらいいか分からなかった。
それでも、もう三郎は理詰めで考えようとはしなかった。頭で何とかしようとしても、結局は遠回りになることが分かっていた。
三郎はただ、打坐なら打坐、瞑想なら瞑想、ひたすらその中に自分を溶け込ませていくことだけを心がけた。そうしている間は、疑念も苦しみも消え去っていた。
ある朝、三郎は閃いた。
<そうだ…、川の中のままがいいと言うのなら、このままそっくり岸辺へ上がってみよう>
その決意のままに、三郎はそっと目を開いた。
そして、身も心も川中にあったそのままに、それを微塵も崩すことなく、岸辺へと歩んでいった。
「そうだ! それがクンバハカだ!」
師の快活な声が響いた。
「よくできた。よくできた」
師は子供のように喜んでくれた。
三郎は師の下にひれ伏した。
その三郎の両肩を、師は力強く抱きしめた。
ぽたり、ぽたり、と三郎は首筋に熱いものを感じた。師が涙を流していたのである。思わず三郎も涙した。師がそれほどまでに喜んでくれたことが何よりも嬉しかった。
クンバハカとは、ヨギにとって大きな難関とされるものである。
「壺の中に水をいっぱいに入れた状態」と師は教えてくれていた。しかし、それから1年半、三郎は五里霧中の状態が続いていた。
それが今朝、三郎のものになったと師は言うのだ。にわかには信じられなかった。人によっては何年も、何十年もかかると言われていたのだから…!
■本有の心
三郎は毎日、秀峰カンチェンジュンガを仰ぎ見てきた。
そして今さらながら、その自然の威に打たれる。
「カンチェンジュンガ」とは、もともとチベット語である。「カン」は山、「チェン」は大、「ジュンガ」は五つの宝。日本風に言えば、五宝大山とでもなろうか。
ヒマラヤの山々は概して、刃物を突き立てたような鋭さをもつ。そうした峰々にあって、カンチェンジュンガは珍しく容量を誇った山である。その周囲には、その名の示すとおり、5つの衛星峰が居並ぶ。
人の世の無常を思うとき、これら白き神々の座は泰然、むしろ「思うところなし」といった風である。
いつものように、三郎は滝壺の大岩に坐した。
クンバハカを体得した今、それまでの景色が一変して三郎の目に入った。
眼前の奔流も、点在する大小さまざまな岩々も、そして飛び交う小鳥たちも、それらすべてが輝ける存在のように感じられた。身に浴びる細かな飛沫ひとつ一つまでもが、水晶の玉のように思われた。
不思議ともう、心の動揺はなかった。
自分が不治の病に冒されていたことなど、すっかり忘れていた。わけもなく死を恐れていた自分は、もはや遠い他人のように思われた。
クンバハカは、心身ともに完全な状態と説明される。感情の動揺などとは一切無縁の境地。そこに心の動揺など入り込む余地はなかった。
「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」
かつて孔子はこう言ったという。
そして「道」は、「本(もと)より具(そな)われり」とも。
本有の心
仏教などでは、もともと心は不垢不浄であると説く。
それが世間の俗塵にまみれることで、本来の輝きを失っていくのだという。
三郎の場合、彼がかつて自慢にしていた知識や学歴、文明国の人間だという優越感などが、本来の心を曇らせていた。
しかし、それら俗念は自分のもののようでいて、自分のものではなかった。取って付けたような儚いものにすぎず、いたずらに恐れを生じさせる厄介ものでしかなかった。
古人いわく、「眼裏に塵あって三界窄(すぼ)く、心頭無事にして一生寛(ゆた)かなり」
目の中にわずかの塵があるだけで、見える世界は狭くなる。そうしたものが心に一切なくなって初めて、廓然無聖、世界は開けるのだ、と。
もし、三郎がそれら塵のようなものに心をとらわれていたかぎり、「絶対不可能の暗中模索」は続いていたことだろう。そしていずれ、「この病は治らないのだ…」と諦めたままに死を迎えていたかもしれない。
それが幸いにも、三郎はカリアッパ師の知遇を得ることができた。今にして思えば、師の言うこと為すこと、そのすべてが懇切丁寧に、いまの自分へと導くものだった。師の厳しい一喝までが、いまは有り難く思い出される。
おかげで三郎の濁っていた心は、少しずつ洗われていったのだ。
その教えはいずれ、不立文字、言葉を越える領域にまで及んでいった。言葉でクンバハカを知ることなど、およそ無意味である。それは師の言うとおり、自得するものでしかなかった。
「ちょうど独楽(こま)を廻すに、はじめは綱とともに廻るが、おわりに綱を放れて廻るように…、真道を大覚し…(梅路見鸞)」の言葉どおり、カリアッパ師は導けるところまで、三郎の手を引いてくれたのだった。
それが今の三郎には、痛いほどに理解できた。
■別れ
クンバハカの会得から、およそ一ヶ月もした頃だった。
師は三郎を家に招いた。そして言った。
「お前はじつによくやった。初めの一年は、病人でありながらも本当によくやった。さぞ辛い思いもしたであろう。しかしそのお陰で、お前はクンバハカを身につけた。私も今まで、ずいぶん多くの弟子を育ててきたが、お前のように、こんなに早くクンバハカを会得した者などいなかった」
その温かい言葉に、三郎の胸は熱くなった。
師は続けた。
「あとはもう、自分の国へ帰って、幸せに暮らしなさい」
思わず、三郎は泣き伏した。
子供のように大声をあげて泣き叫んだ。
見ると、カリアッパ師の両眼からも涙があふれている。
師は、泣きじゃくる三郎を慰めた。
「寂しがることはない。もし困ったことがあっても、私の代わりに”もう一人のお前”がいるではないか」
もう一人の自分
かつてそれは、三郎を苦しめるだけの存在であり、墓場にしか導かないものだった。
だが今はもう違う。塵の払われた心は、花の咲く方へと向き続けている。「濁に入って濁らず、汚に入って汚れず」。それがクンバハカを会得した者の心。心ない人間社会にあっても、三郎の感情が乱されることはそうそうないであろう、と師は言うのであった。
別れに際し、師は紙に何かを書き付けた。
旺喇毘呍陀
「おらびんだあ。どうだ、いい名だろう」
それは師が考えてくれた三郎の名前だった。
「陀(だあ)」という称号は、一定の行を終えた者にだけ贈られる敬称であった。
その紙片を見つめ、三郎はまた涙した。
師は、崩れんばかりの笑顔であった。
■後日
帰国後、日本は大きな戦争を経験した。
そして敗れた。
敗戦国となった日本は、アメリカの領するところとなっていた。
その占領から2年
昭和22年(1947)の秋のこと
中村三郎(天風)は、東京有楽町の毎日ホールの演台に立っていた。それはアメリカの高級将校が企画した講習会で、三郎はヨーガの講師として招かれていたのであった。
大柄な外国人らを前に、諄々と説く小柄な日本人。
それは一種、異様な光景であった。もとより、誇り高き戦勝国の軍人が、敗戦国の一市民の言葉に耳を傾ける、それ事態、破格の待遇といえた。
言い換えれば、三郎が本場インドから持ち帰ったヨーガの哲学とは、それほどに貴重なものであった。しかしそれにしても、当時の日本にも多くのインド人がいたはずである。そのなかで、あえて日本人の三郎が講師に抜擢されたのは、彼本人の体得していたヨーガの深淵さであったのだろうか。
毎日ホールには連日、250人ものアメリカ将校たちが押し寄せていた。
本日はその7日目。いよいよ佳境へと入りつつあった。
三郎は朗々と、堪能な英語でもって語る。
「…この方法は、私が35の時に、遠くヒマラヤの麓で、2年7ヶ月におよぶ難行苦行の結果、ようやく得られた貴重な方法なんであります。あちらでは、これをクンバハカと言っていますがね。
ま、本当言うと、あなた方にも、私が嘗めたようなあの艱難辛苦の末に、あなた方ご自身が体得されれば、あなた方のためには一番いいんですが、それはできない相談ですから、ここで私が手っ取り早く教えてしまおう、というわけです。
それでは、その方法なんですが、口で言ってしまえば簡単なことなんです。感情にとらわれたり、感覚的な衝動に見舞われたとき、それから逃げようとか打ち消そうなんてことは考えないで、一瞬、まず肛門を閉めてしまうんです。
かっと腹を立てたり、恐ろしいと思ったような時にですよ、それを鎮めようと、たいていの人は一生懸命努力するんですが、それは一見もっともなようでいて、これほど無駄なことはないんです。それで押さえられればいいですけど、押さえられない。それよりも、それはそれで放っておくんです。それで気がついたら、さっと肛門を閉める。
そして同時に、お腹の下の方にぐっと力を入れる。その時、肩の力を意識的に抜いてやるんです。肛門と、お腹と、そして肩と、この3つを瞬間、同時にやるんです。同時ですよ。1、2、3と次々にやるんじゃないんですよ。一緒にやらなきゃあいけない…」
そこまで話したとき、静かだった会場に、突如、奇声が発せられた。
「ハロー! グレーター!」
その金切り声をあげたのは、アメリカの女性少佐であった。
彼女は壇上にまで駆け上がるや、三郎に抱きついてきた。
その興奮冷めやらず、涙をぼろぼろと流して、三郎に口づけの雨を降らせた。
「ルック、ヒャー!」
女性の示した古ぼけた紙片には、クンバハカの命題が記されていた。それは3年前、アメリカのヨーガ・スクールで与えられたものだと言う。
そしてクンバハカをこう説明されていた。「自分の体を、コップに水をいっぱい入れたような状態にする」と。当然、彼女にとってそれは難題であった。時がたてば経つほど、その難解さは深まるばかりであった。
それが今日、三郎の一言によって、わがものになったと彼女は叫ぶ。
この思いもかけない出来事に、ほかの聴衆らは唖然とするばかりであった。
しかし三郎ばかりは、彼女の喜びがよく理解しえた。
そして脳裏には、あのカンチェンジュンガの威容が鮮明に思い起こされていた。
世話をしてくれた老爺
滝壺の轟音
川での打座
天地の声
そしてカリアッパ師…
夢のごとき昔日は、今もありありと三郎の心中にあった。
三郎はいつしか、女性少佐とともに涙していた。
この女性の姿は、ありし日の自分であった。
そして今の自分の涙は、あの日に、師が流したものだった。
ここには、自もなければ他もなかった。
ただただ、大きな喜びだけがあふれていた。
お互いの壺はもう、同じ水で満たされたのだから。
(完)
出典:『ヨーガに生きる―中村天風とカリアッパ師の歩み』おおいみつる
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