太平洋をはるかに隔てた東京とニューヨーク。
その遠大なる距離を一気に縮めたのが、航空機による直行便。およそ40年前、東京とニューヨークは一本の線で結ばれたのだった。
「たとえ2時間でも早く着きたいとという人には、これはもってこいの飛行機ですねぇ」
当時の飛行時間はおよそ14時間。
東京-ニューヨークの直行便は、大いに歓迎された。
あれから40年、航空機の技術は目覚ましく進化した。
より大きく、より安全で、より快適な飛行機が、次々と生み出された。
ところが、40年来、一貫して変わらぬものがある。それは14時間という飛行時間の長さ。これほど技術が進歩したはずなのに、なぜかそればかりは一向に縮まる気配がなかった。
それもそのはず。技術者たちは「音速のカベ」に阻まれていたのである。
◎ソニックブーム
飛行機が音速(マッハ1)を超えることは簡単だった。
しかし、音速を超えた時に発生する「ソニックブーム」と呼ばれる爆音ばかりは、どうしようもなかった。
ドン! ドーン!!
心臓にドスンと響くその音というか、ボディーブローのような衝撃波。
音速(およそ時速1,225km)を超えた飛行機が上空を通過する時、それは地上の人々を直撃するのであった。
花火の打ち上げを間近で感じると、その音の振動の凄まじさに驚く。改めて、音とは衝撃であることに気付かされるわけが、ソニックブームによる衝撃波は、空気が極度に圧縮されることによって生ずるものである。
音速(マッハ1)までは問題ない。飛行機が進むことによって押しのけられた空気は、上下左右にその逃げ道がある。しかし、空気は音速よりも速く動けない(逃げられない)。ゆえに音速を超えた飛行機は、その先端部分もしくは横に広がった翼の部分で、グングンと空気を押し縮める。
その極端に圧縮された空気の塊が、津波のように地上まで到達する。それがソニックブームである。
ドン! ドーン!! と2回衝撃波が来るのは、まずは圧縮された空気、次に引き潮のように、薄くなりすぎた飛行機後方にむかって、空気が猛烈に逆流するためである。
余談ではあるが、今年(2013)2月、ロシアに落下した巨大隕石は、ソニックブームの特大版であった。
音速のおよそ50倍で落下したという巨大隕石。その衝撃波は半径100kmにも及び、周辺家屋の窓ガラスは「音の衝撃波(ソニックブーム)」でことごとく砕け飛んだ。外傷者のほとんどが、衝撃波によるガラス傷。人間ごと吹き飛ばされたケースさえあった。
◎超音速旅客機「コンコルド」
ソニックブームの衝撃波は、距離を経れば経るほど、その力は弱まる(減衰)。
ならば、よっぽど空高くを飛べば、地上にまで届く衝撃波は大したことがなくなるのではないか。1960年代の技術者たちは、そう楽観的に考えた。
ところが、通常高度の2倍にあたる上空2万メートルを飛行しても、ソニックブームによる衝撃波には依然として凄まじいものがあった。要は、期待されたほどに減衰しなかったのである。
では、飛行機それ自体の「空気抵抗」を減らしてはどうか。
空気を真っ先に受ける機首をできるだけ細長くして、最も面積の広い翼の部分を、後ろに寝かすように鋭利にすれば良いのではないか。
そんな発想のもとに造られたのが、超音速旅客機「コンコルド」。イギリスとフランスによる、国家の威信をかけた「ソニックブームへの挑戦」であった。
1969年、コンコルドはプロトタイプ機の初飛行に成功。
超音速飛行を追求したというそのデザインは、じつにスリムで美しい。ツンと伸びた細長い鼻面は、空港では少し下を向くようにできていた。
1976年に運用開始。その未来的な勇姿は、否が応にも人々の期待を高めたものだった。
「コンコルドの誕生によって、世界の距離は一気に縮まる」
世界初の超音速旅客機の誕生に、誰もがそう信じていた。
◎ソニックブームの壁
高度5万5,000〜6万フィート(1万6,000〜1万8,000m)
飛行速度は、マッハ2(音速の2倍)
コンコルドの高度・速度は、ともに従来機の2倍であった。しかし悲しいかな、計算され尽くされていたはずのソニックブーム対策は、奏功していなかった。
「あそこだ!」
はるか上空を飛行するコンコルド、そのまっすぐな航跡が、飛行機雲となって地上から見える。
「すごい速さだ…」
「音速を突破した! 来るぞ!」
ドン! ドーン!!
凄まじい爆音、そして衝撃波。コンコルドが上空を通過するたびに、地上の人々はとんでもない迷惑を被った。
音速は超えたコンコルドであったが、ソニックブームの解消には失敗していた。猛烈な抗議、クレームを受け、いずれコンコルドは「陸上飛行」を禁止されてしまう。
となると、飛行航路は限られてしまう。コンコルドに与えられる航路は大西洋上くらいしかなかった。そして最終的には、エールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみの運行に留まった。
◎コンコルドの誤謬
「250機で採算ライン」
そう言われていたにも関わらず、コンコルドのキャンセルは相次いだ。
当初は100機ちかいオーダーがあったというコンコルド。しかし、ソニックブームをはじめとする様々な問題が折り重なり、ついに製造されたのは、わずか16機のみ。試験機を合わせても20機にしかならなかった。
わが日本航空(JAL)も3機の導入を計画していたが、尾翼に「鶴丸マーク」のついたコンコルドは夢と消えた。
そもそも、速いけれども燃費の悪いコンコルドは、途中給油なしに太平洋を一跨ぎにすることができなかった。さらに、オイルショックによる燃料費の高騰は、泣きっ面にハチとなる。
また、極限まで空気抵抗を減らしたコンコルドは、その機体内部が不快なほどに狭く、高いところで180cmほどしかない。100人乗るのがせいぜいであった。
経済学などでよく登場する「コンコルドの誤謬」という専門用語は、このコンコルドの失敗を揶揄する言葉でもある。
大金を投じたにも関わらず、運行を開始しても損失ばかりが膨らんでいく。だが、それまでの投資を惜しむあまり、やめるに辞められない。
コンコルドに終止符を打つのは2003年。
その3年前(2000)にエールフランス機が起こした炎上・墜落事故は、象徴的な出来事であった。炎を引きずるように離陸したコンコルド。その原因は、滑走路に落ちていた落下物がタイヤをバーストさせ、燃料タンクを破損させたことであった(死亡113人)。
こうして世界初の超音速旅客機は、世界唯一のそれとして、その幕を閉じた…。
◎囚われ
ついに見果てぬ夢と消えた超音速機。
時代は速さよりも、大型化、快適性、高燃費のほうに動いていった。
それでも、夢を見たい。ソニックブームを解消して、超音速で飛ぶ夢を。
英仏がコンコルドを作っていた時、アメリカもまた超音速機にチャレンジしていた。翼の空気抵抗によるソニックブームを軽減しようと、飛行中に翼を後方に下げる「可変翼タイプ」をアメリカは模索した。
艦上戦闘機にF-14(トムキャット)というのがあるが、当時のアメリカが作った超音速機はそれと似ていた。しかし無念。音速は超えられるが、ソニックブームの衝撃波ばかりは抑え切れず、実用化されぬままに中止となってしまった。
イギリス、フランス、アメリカ。
第二次世界大戦の戦勝国組は、実用可能な超音速機に届かない(戦闘機はいくつか作ったが)。
そもそも、形は異なれど、その発想は五十歩百歩。「空気抵抗を減らす」ということばかりに囚われていた。
◎日本における研究
現在、世界中でソニックブームを解決するための研究が継続している。その中で、ひとつ頭抜けているのが、わが日本だという。
日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)による「D-SEND(ディセンド)プロジェクト」というのは、ソニックブームを半減させることを目的とした超音速機の研究開発。
そのスペシャリスト、牧野好和さんは、最新のコンピューター・シミュレーションを用いて、コンコルドから出ていた衝撃波を詳しく解析した。つまり、コンコルドの失敗をその叩き台としたのである。
すると、コンコルドの尖った機首部分の衝撃波は、さほどではないことが判った。この点、空気抵抗を減らす努力は功を奏していた。しかし、問題は別の部分、翼付近にあった。
ここから発生するソニックブームは、機首よりもずっと大きいものだったのである。この点、アメリカの超音速機が翼を後ろにたたむのは、じつに理に適ったことであった。
飛行機が浮かび上がるためには、翼の空気抵抗によって生まれる揚力が必要とされるが、その抵抗が大きいほどにソニックブームが大きくなってしまう。ここには二者択一のトレードオフの関係があるようだった。
そのために、かつては空気抵抗を減らすことに躍起になっていたのだった。
だが、JAXAの牧野さんが注目したのは、空気抵抗そのものではなく、機首と翼のソニックブームが「合わさって」減衰しにくくなっているという点だった。
個々のソニックブームだけであれば確かに、上空から地上に伝わる間で十分に減衰していく。だが、その2つが途中で合わさることによって、ソニックブームの勢いは衰えずに地上に響くのであった。
◎分散
ならば、発想を逆にしよう。
あえて、空気抵抗をつくるのだ。
そんな考えから、JAXAの開発する「D-SEND(ディセンド)」という超音速機の機首は、あえて丸みを帯びている。
「先端で、あえて強い衝撃波を発生させればいいんです」と牧野さんは言う。
機首と翼、それぞれのソニックブームは、翼によるそれの方が大きいために、後から発生するはずの翼のソニックブームが機首のそれに追いついてしまう。そうして両者が合体してしまうことに問題があった。
そこで、機首の空気抵抗を大きくした。そうすれば、後ろからくる翼のソニックブームに追いつかれない。
ソニックブームを弱らせるカギは、空気抵抗の軽減のみならず、その「分散」にあるようだった。
同じ原理で、翼の下の胴体にも丸みを持たせた。
空気抵抗を翼以外にも発生させることによって、やはりソニックブームは分散され、いずれ勢いを失うのであった。
◎「D-SEND#2」と「MISORA」
ソニックブームを極限まで減らすように作られた「D-SEND#2(ディセンド2)」。
それはコンコルドのように鋭利な形のなかに、生きものの鳥のような優雅な丸みを併せ持つ。
カモノハシのような機首はいくぶんシャクれており、翼の下の胴体は、子持ちシシャモのように豊かな膨らみを抱いている。
計算上、D-SEND#2(ディセンド2)のソニックブームは、コンコルドの4分の1にまで軽減されている。
だが、欧米の航空先進国に認めてもらうには、「紙と鉛筆と計算機」だけでは説得力に欠ける。必ず実証実験の結果が求められるのである。
まだエンジンを持たぬD-SEND#2(ディセンド2)ではあるが、気球で上空30kmにまで運び上げ、そこから自然落下させることで、いかなるソニックブームが発生するかが検証できる。その実験は、今年(2013)8月、スウェーデンの上空で行われる予定である。
また、別の研究として、東北大学の流体科学研究所では、「複葉機(翼が上下2枚の飛行機)」の超音速機を開発している。
こちらもまた、あえて翼の空気抵抗を増やすことによって、ソニックブームを低減させようという試みである。上下2枚の翼の間にソニックブームの衝撃をサンドイッチで挟み込み、それぞれの翼で発生するソニックブームを同士討ちさせてしまおうという作戦だ。
先端にいくに従って、細くなっていく翼。上下両翼の隙間も、先端にいくほど狭まっていく。
この「MISORA(みそら)」と名付けられた東北大学の超音速「複葉機」。
その機体はほとんどが幅広の翼であり、乗客も翼の上にちょこんと乗る格好だ。その姿は、小説の中の未来型飛行機のようである。
「ソニックブームの目標は、『ノックの音』くらいです」と、東北大学の大林教授は、その野心をのぞかせる。
◎未来の種
空気抵抗を減らそうという発想をひっくり返し、それを分散させようという思考に切り替えた日本の研究者、そして技術者たち。
いよいよ、次世代の飛行機が誕生する日が近いのかもしれない。もし実現すれば、東京-ニューヨーク間は、14時間の壁を一気に半減させる可能性を秘めている。じつに半世紀ぶりに。
その成功を見越して、すでに世界では「ソニックブームの許容範囲」に関して国際的に基準をつくろうとの議論が始められている。
思えば戦前、日本は飛行機大国であった。日本の開発したゼロ戦は、当時最高峰の戦闘機であり、アメリカ軍を怯えさせていたのである。
ところが戦後、日本の重工業は戦勝国によって禁じられた。その高い技術力を恐れられたのである。
そして今、戦後から大いに遅れをとっていた日本の飛行機は、超音速機の技術でふたたび世界の注目を集め始めている。
返り咲けるか、ニッポン。
未来の種は、こんなところでも芽吹き始めていたようだ…
(了)
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出典:NHKサイエンスZERO
「打倒ソニックブーム! 超音速旅客機の挑戦」