福島原発の責任は国がとるのか?東電がとるのか?
津波に対して、東電は「国の安全基準」に従っていたという。
国の安全基準では、「津波の想定は5.7m、全電源喪失は想定しなくてもよいことになっていた」。
今回の事故は、国の安全基準を上回るものであったため、その責任は国にあるとして、「国が賠償責任を負うのが当然」と考える人がいる。
「日本の原子力損害賠償法では、政府が払う保険金の限度額は1200億円」。
実に少ない金額であるが、それには政治的な理由がある。
「賠償額が巨額になると原発でたくさん人が死ぬと国が認めたことになる」といって、限度額を低く抑えた。
つまり、原発「安全神話の建前」を維持するために、限度額は低いほうが都合が良かったのである。
では、実際の賠償額はどれほどに上るのか?
8兆円とも10兆円とも言われている。
その根拠は「茨城県東海村のJOC事故」にある。この事故では、150人の非難に対して、およそ150億円の賠償。1人当たり「1億円」である。
福島原発で避難勧告を受けた住民は約8万人。1人1億円であれば、8兆円ということになる。
「風評被害」の賠償も難しい。
国は「風評被害も賠償の対象」としている。風評被害に国の責任はなく、全責任は東電にあるからだという。
賠償金がいくらになるのかは分からない。
しかし、国が払うにしろ、東電が払うにしろ、結局は国民が負担することになる。
国が払うのであれば、それは税金であるし、東電が払うのであれば、それは電気料金である。
「電気料金が上がるからといって、電気を使わないわけにはいかないので、これは増税と同じである」。電気料金は間接的な税金に他ならない。
国としては東電に責任を負わせるほうが、増税の謗(そし)りを受けないので都合が良い。
しかし、「負担能力のない企業に負担させようとすると、結局、わかりにくい形で国民負担が増え、処理が複雑になり、問題が長引くだけだ」という。
これは、90年代の不良債権問題で「銀行の自己責任」とされたのと同じ構図である。
国と東電の責任のなすりつけ合いは、家族間で「オマエのせいだ」と言い争っているようなものである。
責任の所在はどうあれ、国民が賠償の負担者になることは間違いない(となりの金持ちがお金をくれるわけではないのである)。
ただ願うことは、その賠償金が「たかり」にあわず、本当に必要な人に分配されることである。
真の争点は、「誰が払うか」ではなく、「誰がもらうか」である。