2011年09月20日

標高35mの敷地を10mまで掘り下げて造られた「福島第一」。その意外は理由とは?

福島第一の津波の高さは、最高で「13.1m」だったという(東電資料2011/09/09)。

その津波の高さに対して、福島第一の敷地は標高「10m」。

つまり、今回の約13mの津波は福島第一の敷地よりも「3m以上高かった」ことになる。その最悪の結果が、炉心溶融に至る放射能事故である。



かたや、女川原発(宮城)の敷地標高は「14.8m」。

こちらを襲った津波の高さは「14.8m」。期せずして敷地の高さと同じであった。

そのため、女川原発はかろうじて大津波を凌(しの)ぐことができた。



明暗を分けた2つの原発の差は、敷地の標高である。

福島第一が10m、女川が14.8m。この「約5mの差」が決定的な差となった。

最も単純に考えてしまえば、そういうことになる。



なぜ、福島第一はそんなに標高の低いところに造ってしまったのか?

実は、標高の低いところに造ったのではなく、地面を掘り下げてわざわざ標高を低くしたのである。

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福島第一の敷地は元々「標高35m」であった。

それをわざわざ25mも削って、標高10mにしたのである。

もし、標高35mのままだったら…。歴史は変わっていたかもしれない。



それにしても、なぜ、わざわざ掘り下げたのか?

それは、アメリカ(GE)から輸入した原子炉の「都合」であった。

この原子炉に付属していた「冷却ポンプ」が、「10mの高さまでしか水を汲み上げられなかった」のである。そのため、わざわざ原発の敷地を標高10mまで下げたのである。



福島第一で用いられた原子炉は、完全に「出来合いタイプ(Ready-made)」でポンプの設計変更は不可能とされたのである。

このタイプは「建設コストの削減」を最大の目標とした「プレバブ」型の原子炉なのである。

あらかじめ「規格通りの部材」を用いることにより、建設コストと時間を大幅に削減できる。その反面、「まったく融通が利かない」という代物である。



当時、アメリカのGE社はこの量産タイプの原子炉をスペインに納めたばかりであった。そのため、福島にも同じタイプのものをそのまま流用すれば、格段にコストが削減できたのである。

こうした販売システムは、「ターン・キー」契約と呼ばれた。

設計から建造までを全てメーカー(GE)に任せ、顧客である東京電力は鍵(キー)を差して回す(ターン)だけというわけである。

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当時の東京電力は、コスト削減を最優先課題とした。

なぜなら、日本政府の補助金が思ったより見込めなくなったためである。

アメリカ(GE)の原子炉は安かった。「マークT」というこのタイプは、原子炉格納容器が非常に小型であり本体価格がまず安い。加えて、上述した通りの「プレハブ」型だったために建造費用も安いというわけである。

しかし、3.11の事故においては、原子炉格納容器の「小ささ」と、この融通の利かない「プレハブ仕様」が重大事故を誘発してしまったのである。



まさか、40年後にこれほどの大事故を起こすなど当時の人々は何も知らない。

他の原子炉を導入するよりも、大地を25m削った方が安上がりであった。

さらに悪いことには、この原子炉の「非常用電源」は海側の低い位置にあった。これもプレバブ仕様でそうなっていたため、何の疑問もなくそのまま建造された。

しかし、この海側の「非常用電源」は3.11であっさり水没し、まったく用をなさなくなる。そして、この「電源喪失」が致命傷となり、核燃料は異常な高温でトロトロに溶けてしまったのである。



こうした一連の杜撰さを、一企業だけの責任と捉えることはできない。

当時の日本の「原子力発電」に対する異様な過熱ぶりを見逃すことはできないのだ。



日本で原子力の話が持ち上がるのは、1952年のサンフランシスコ平和条約以降である。

それまでの日本では、アメリカが原子力の研究を禁じていた。

1952年に研究が再開されたとはいえ、原爆の傷が生々しい当時の日本では、原発否定派の力が大きかった。



しかし、その風向きは突然変わる。

1954年、中曽根氏の力により、いきなり原子力開発に「政府の予算(2億3,500万円)」がついたのだ(この予算額の数字は「ウラン235」にちなむもので、確たる根拠のある額ではなかった)。

これには学者連中がブッたまげた。彼らは原発の是非を問い、喧々諤々の議論の最中だったのである。

政府の力は絶大である。原発は議論を飛び越してゴーサインが出たのである。

しかし、当の経産省は何をやったらいいのか分からない。初年度の予算は4分の1ほど使っただけで、そのほとんどが繰り越されたという。

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予算成立と同じ年、ビキニ環礁での水爆実験(アメリカ)により「第五福竜丸」が被曝する。

「死の灰」をかぶった久保山氏の死もあり、世論は紛糾。一挙に反原発の火の手が全国に飛び火する。

「水爆マグロ」などの言葉が聞かれたのはこの頃の話である。

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そうした火の手を鎮火せんとしたのが、「原子力平和利用博覧会」である。

アメリカ(CIA)も全面協力したこの催し物は驚くほど盛り上がり、とんでもない大成功を収めた。そのお陰で、原発反対の世論は一気に吹き飛んでしまった。

この博覧会の立役者となったのが、「原発の父」とも呼ばれる正力松太郎氏。

日本テレビと読売新聞を傘下に持つ正力氏は、メディアの力を大いに活用して原発のイメージアップに尽力したのである。

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1957年、正力松太郎氏の力により、日本初の原子力発電所が運転を開始する(JRR-1)。

しかし、政府は急ぎ過ぎた。十分な知識も技術もない「見切り発車」。衆目の危惧した通り、この原子炉はトラブル続きであった。

その性急さを物語るエピソードがある。

正力氏に助力を嘆願された「湯川秀樹氏(ノーベル賞)」。湯川氏は基礎研究の重要性を説き、時間をかけて原子力産業を固めていくことを提案する。

しかし、正力氏は急いでいる。知識と技術は「外国から導入すればよい」と考える。二人の意見は正反対。湯川氏は3ヶ月後に辞表を提出した。



湯川氏の主張した通り、基礎研究の欠如は日本の原発政策にとって致命的であった。

外国の言うことを鵜呑みにするしかなくなったのである。

この体質は福島第一の建造時も変わっていなかった。そのため、アメリカ(GE)の為すがままに大地を大きく削らざるを得なかったのである。



1966年、日本初の商業用原発が運転を開始する(東海発電所)。

こちらの原子炉はイギリスから輸入した「コールダーホール型」である。

正力氏の説明によれば、原子力発電は電気料金を安くできるという話であった。しかし、この「コールダール型」の原子炉ほど高くついたものはない。維持・修理費だけで年間1〜6億もかかっている。

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発電コストも高かった。イギリスの試算では石炭を高く、ウランを安く見積もっていたのだ。その見積もりは日本の国情とは全く異なるものであった。

このタイプの原子炉の最大の弱点は「耐震性」にあった。イギリスでは地震がほとんど起きないのである。



当時の日本原子力発電の一本松社長はこう語っている。

「原子炉は火力発電のボイラーくらいに考えていた。しかし、次第に複雑な技術だと分かってきた。改めて考えてみると、この未知の領域で利益を上げるのは無理である。」

それほど、当時の日本には原発の知識が乏しく、しかも非効率であったのだ。



それでも、日本は電力を必要とした。

高度経済成長期、日本の電力需要は年率10%ずつ伸び続けていたのである。

その増加分を原発でまかなうというのが政府の大目標であった。

原発計画はフワフワのままに進んでいくしかなかった。

そして日本の企業も、「バスに乗り遅れるな」とばかりに次々と飛び乗ってきた。後先を考えているヒマはなかった。「臨界実験装置ってなんじゃ?」という状態だったという(三菱商事・浮田氏談)。



フワフワのまま福島第一は着工され、建造はアメリカ(GE)に一任である。

運転に必要な知識や技術は追々学んでいくというのが日本側のスタンスであった。

大地を10mまで掘り下げることも、非常用電源が不適切な位置にあることも、みなアメリカ(GE)の指示するままに作業は進んでいった。

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そして時は流れ、2011年3月11日。

福島第一は壊滅した…。

いまだ終息の見通しは不確かである。




「福島第一原発」関連記事:
弱々しい原子炉であった「マークT」。福島第一の事故推移は、アメリカのシミュレーション通り。

設計上の不備が指摘される福島第一原発。製造元のアメリカでは、その欠陥が認められていたが……。



出典:ETV特集
「シリーズ 原発事故への道程〜前編・置き去りにされた慎重論」


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2011年09月05日

弱々しい原子炉であった「マークT」。福島第一の事故推移は、アメリカのシミュレーション通り。

日本における原発の「安全神話」。

福島原発の事故後には「諸悪の根源」と糾弾されている「安全神話」は、どのように醸成されたものなのだろうか?

その起源をさかのぼると…、「アメリカ」のある報告書に行き着いた。



その報告書とは、1975年の「ラスムッセン報告書」である。

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アメリカ政府が10億円を投じて調査したと言われるこの報告書は、「バイブル(聖書)」とも呼ばれるほどアメリカでは珍重されたという。この報告書によれば、原発で事故が起こる確率は、「50億分の1」。つまり、「起こるわけがない」と結論付けている。

対比された事故は、自動車事故(4千分の1)、飛行機事故(10万分の1)、落雷(200万分の1)、ハリケーン(250万分の1)などなど。

原発で事故が起こる確率は、ハリケーンが200回連続で来る確率よりも低いとされたのである。



ところがっ……。

この報告書の数年後、当のアメリカ国内で「原発事故」が起こる。ご存知、スリーマイル島における原発事故(1979)である。

アメリカ国内では、原発の「安全性」に対する激しい議論が巻き起こる。



その時、スリーマイル島の原子炉を差しおいて槍玉に上がったのが「マークT(ワン)」という原子炉。この原子炉は、他の原子炉に比べて、あまりにも「格納容器が小さい」ため、事故の危険が高いとされたのだ。

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「マークTは廃炉にすべきである」とまで責め立てられた。

ご存知の方も多いと思うが、この「マークT」こそが「福島第一原発の原子炉」なのである。



スリーマイル島で事故を起こした原子炉(PWR)は、「マークT」に比べれば、はるかに巨大な「格納容器」に守られている。

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「格納容器」が大きいほど、外部に放射性物質が漏れ出る可能性を抑えることができる。

なぜなら、炉心溶融により発生する「水素(水素爆発の原因となる)」を、巨大な格納容器内で再燃焼させて、炉内の圧力を下げることができるからである。



「格納容器が小さい」という設計上の致命的な欠陥をかかえていた「マークT」。

すでに設置された「マークT」には、「建て替える」以外の改善方法は見当たらなかった。当時、すでにアメリカ、スペイン、そして日本で、30基以上の「マークT」が稼働していた(日本には10基、そのうち5基が福島第一)。

建て替え以外の窮余の策とされたのが、「ベント」の設置である。「ベント」とは、原子炉内の圧力が急上昇した時に、空気穴から炉内の空気を抜いて圧力を下げることである。



そもそも格納容器とは、炉内の汚染された空気を外部に漏らさないためのもの。しかし、「ベント」を付けるということは、その格納容器に「外部への道」を付けることになる。これは設計の目的からすると大きな矛盾であった。

そのため、ベントの設置作業は実に「消極的」に行われた。何のバックアップも設置されず、事故に極めて弱い設備となった。福島の事故でも明らかにもなったことであるが、ベントの設備が疎(おろそ)かすぎて、その作業にとんでもない時間がかかっている。



「マークT」の欠陥は、格納容器の小ささだけに留まらなかった。

冷却水を循環させておくドーナツ型の「圧力抑制プール」の不備も指摘された(1976)。原子炉内の圧力が高まると、このプールはその圧力に耐え切れずに破損してしまうというのだ。

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この不備を勇敢にも指摘したGEの技術者ブライデンボウ氏は、残念ながら辞職に追い込まれている。メーカー(GE)と電力会社の圧力に押し出された悲しい結果である。

福島の事故を見た彼は、その悔しさを新たにした。福島第一2号機の「圧力抑制プール」が破損したことを知ったからである。これはブライデンボウ氏が指摘していた事故想定とまったく同じであった。



スリーマイル島の原発事故(1979)以降、その脆弱性が次々と明るみに出た「マークT」。

多数の指摘を受けて、アメリカでは「マークT」の設置地域が東側一帯に限定される(24基)。なぜかといえば、東側の方が「地震がおこらない」とされたためである。

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「マークT」最大の弱点は、「地震」にあると考えられた。これがアメリカ原子力規制委員会(NRC)の結論である(NRCは「地震多発地帯」での「マークT」の安全評価は行っていない)。



地震多発地帯である日本に「マークT」がやって来たのは、1967年。栄えある初上陸の地として選ばれたのが「フクシマ」である。

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当時の日本は、まったく原発の知識・技術を持たず、完全にアメリカ(GE)に「丸投げ」状態であったという。追々、東芝や日立が学んでいくというスタンスであった。

しかし、GE側の考えは、「マークT」を電力会社に引渡した後、「GEには一切の責任がない」というものであった。つまり、「マークT」の構造上の問題が顕在化した後の責任は、日本の電力会社がすべて担わなければならないのである。



上述した以外の「マークT」の弱点は、「全電源喪失」のリスクであった。

このタイプの原子炉は、電源を失ってしまうと手も足もでない状態となるのである。実際、福島原発事故の原因の根源は、「全電源喪失」にあった。

当然、その全電源喪失のリスクを回避するために、「非常用発電機」は追加で建設された。福島第一の「非常用発電機」は、原子炉一基に対して2つずつ造られた。2つ造ったのは、万が一1つがダメになっても、もう1つが動くようにとの配慮からである。

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ところが、福島第一では、2つの非常用発電機が全く同じ場所に造られた。しかも、地震を考慮して、「地下一階」に2つである。ご存知の通り、この2つの非常用発電機は、津波によってアッサリ水没して使い物にならなくなっている。



これには、アメリカの研究者たちも呆(あき)れ顔である。

「信じられない過ちです。

リスクを分散させるために2つ造るのに、なぜ2つとも同じ場所なのか?

しかも、空気を取り込む配管まで同じ高さではないか!」

「多様性」こそが原子炉を守る最善の防御と言われている。福島第一と同じ「マークT」を使っているアメリカの「ブラウンズフェリー原発」では、2つの非常用発電機は当然「別々の場所」に設置され、さらには水害を考慮して「防水扉」で密閉されている(この原発は河畔に位置している)。



日本の電力会社が「想定外、想定外」を連発する中、アメリカの研究者たちは、全く違う思いでフクシマの事故を見つめていた。

「恐ろしいほどに想定通りだ。」

全電源喪失による原子炉の高温化。その結果の炉心溶融。炉心溶融で発生した水素に起因する水素爆発……。

「マークT」で指摘されていた脆弱性が、恐ろしいほど正確に再現されたのである。これは、アメリカの研究者が、何十年も事故をシミュレーションした通りのシナリオだった。

「原始」炉とも揶揄されていた「マークT」は、不名誉な期待に応えてしまったのである。



「マークT」は、福島以外でも日本で稼動している。女川、浜岡、島根、敦賀……。

福島の事故後には、これらの「マークT」の廃炉の意見が相次いでいる。



数々の問題を抱える「マークT」であるが、様々な分析からは事故を回避するための「希望」も見えてくる。

弱点が明らかとなった今、安全性を向上させるための施策は明確である。

福島原発の事故によって、「想定外」は完全に「想定内」となったのである。





「福島第一原発」関連記事:
標高35mの敷地を10mまで掘り下げて造られた「福島第一」。その意外は理由とは?

設計上の不備が指摘される福島第一原発。製造元のアメリカでは、その欠陥が認められていたが……。



出典:ETV特集 「アメリカから見た福島原発事故」

posted by 四代目 at 09:57| Comment(4) | 福島原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月04日

設計上の不備が指摘される福島第一原発。製造元のアメリカでは、その欠陥が認められていたが……。

未だやまぬ福島第一原発の放射能もれ。

その原因は何か?

今回のNHKの調査では、原子炉の「設計の不備」を問題として取り上げている。



福島第一原発の原子炉は、アメリカ製である。

福島と同じタイプの原子炉が、アメリカ・ノースカロライナ州の「ブランズウィック」原発でも使われている。

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今回注目されたのは、このアメリカの原子炉で1970年代に行われた「ある実験」である。



この実験では、原子炉内部に大量の空気が送り込まれた。原子炉がどれくらいの「圧力」に耐えられるか、その限界を調べるためである。

その結果、ある一定の圧力を超えると、原子炉内部の「圧力の上昇が止まる」ということが確認された。



原子炉内部の「圧力の上昇が止まる」とは、どういうことか?

空気を送り続けているのにも関わらず「圧力の上昇が止まる」ということは、どこからか「空気が漏れている」ということを意味する。穴が空いたタイヤに空気を送り続けるようなものである。

これは原子炉としては、「致命的な欠陥」である。なぜなら、「空気が漏れる」ということは、外部に「放射性物質が漏れ出す」ということを意味するからである。



原子炉は、一個の塊から削り出して造られるわけではないので、必ずどこかに「つなぎ目」がある。

一番大きな「つなぎ目」は、原子炉上部の「ふた」の部分である。この「ふた」は燃料棒を交換する際の出入口ともなっている。

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この「ふた」は、シリコンゴムの「パッキン」とボルトで強固に密閉されているはずだった。しかし、上記の実験の結果は、どこかにできたスキマから空気が漏れ出していることを示している。

シリコンゴムには、「高温により縮む」という性質がある。圧力が高まれば温度は上昇する。高温でパッキンが縮めば、当然そこにスキマが生まれることになる。

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1970年代には分かっていた福島の原子炉の欠陥であるが、残念ながらその欠陥は「放置」された。

原子力発電業界の常識は、「事故は起きない」という安全神話に立脚している。当然、実験されたような高圧力状態に原子炉が陥るわけはないと判断されたのである。



ところが、3.11の津波後、その原子炉の圧力は、なんと限界の2倍近くまで上昇した。

そして、その後の圧力はアメリカで実験された時とほぼ同じ数値に落ち着いた。

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つまり、原子炉の圧力が急上昇した時に、「ふた」と本体の間にスキマができ、そのスキマから中の気体が外に漏れ出した。そして、その結果、圧力が一定になったと考えられるのである。

外に漏れ出した気体には、当然、放射性物質が含まれている。この原子炉の圧力の上下とシンクロするように、原発正門の放射能の数値は急上昇している。



原子炉内部の圧力の上昇は、事故直後も最大の関心事だった。

そのため、「ベントするか否か?」で迷ったのである。「ベント」とは、原子炉の空気穴を開放して中の空気を逃がし、原子炉内部の圧力を下げる作業である。

なぜ迷ったかといえば、原子炉内の空気を外に逃すことは、放射性物質を大気中に放出することを意味するからである。懸念されるのは周辺住民の放射能被曝である。



事故を検証してみれば、ベント作業をやるやらないに関わらず、すでに「ふた」のスキマから放射性物質が漏れ出ていた可能性が大きくなっているのだが……。

そして、原子炉内の空気が漏れた最悪の結果が……、原子炉建屋をぶっ飛ばしたというあのショッキングな「水素爆発」である。爆発により勢いよく飛び出した放射性物質は、思わぬほどの広い範囲を汚染した。



思えば、チェルノブイリで放射能汚染を拡大させたのもトンでもない大爆発であった。

もし、爆発だけでも避けられていたら……、汚染地域はもう少し狭まったかもしれない。

パッキンの弱点を放置した代償は、償い切れないほど巨大なものとなったのである。



ベントに関しても一つの疑問が生じている。

ベントのための空気穴に、「なぜフィルターが装着されていないのか?」ということである。

ベントのための空気穴は、原子炉内部の空気(放射性物質)を外に逃すためにあるのだから、当然、放射性物質を絡めとるフィルターがついていて然るべきである。実際、ヨーロッパの原子炉には、当然のようにフィルターが完備されているという。

ここで登場するのも、原発の安全神話である。「ベントが必要になる事故が起こるわけがない。だから、そんなフィルターは不要だ。」となるのである。



数々の不備が明るみに出てくる福島第一原発。

できること(想定されたこと)を無視していたことに関しては、一考する余地がある。

発展途上の人類にとって、欠陥や不備があることに何ら不思議はない。どんな賢者にも「一失」はある。しかし、それらを認識していながら、ノーアクションに終わっていたことは悲しい事実である。

欠陥や不備はドンドン見つかれば良い。それらを潰していくことこそが成長するということである。




「福島第一原発」関連記事:
標高35mの敷地を10mまで掘り下げて造られた「福島第一」。その意外は理由とは?

弱々しい原子炉であった「マークT」。福島第一の事故推移は、アメリカのシミュレーション通り。



出典:サイエンスZERO
「原子炉で何が起きていたのか〜炉心溶融・水素爆発の真相に迫る」


posted by 四代目 at 14:40| Comment(0) | 福島原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月27日

フクシマの原発事故は「特殊な事故」か? 国際的な安全基準の強化につながらず。

かつて、チェルノブイリ原発の事故は、「特殊な原子炉」の「特殊な事故」として、原発をかかえる各国は、その教訓を充分に学ばなかったという。

さて、今回の福島原発の事故は?

IAEA(国際原子力機関)の閣僚級会議で、フクシマの事故は、やはり「津波」という「特殊な事故」とされ、「世界共通の安全対策には適さない」という傾向が一部で見られた。

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26日、アメリカのフォートカルフーン原発の防水施設の一部が決壊し、原子炉建屋に水が迫り、半日にわたり電源が喪失。非常用の発電機が作動する事態となった。

この原発は、ミズーリ川の氾濫により、今月上旬から水に浸っていたのだ。

やはり、このケースも「特殊な事故」であろうか?

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もともと事故本来の性質に、「特殊性」が含まれているような気もするが、あらゆる事故を想定してしまうと、原発の安全基準は、極端に高くなってしまいかねない。

安全対策を講じれば講じるほど、原発のコストは跳ね上がる。

インドやブラジルなどの新興国は、この点を懸念している。

安全基準が高くなるほど、原発先進国のフランス・ロシアの支配力も強まってしまう。

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「先進国・新興国」の対立、「核保有国・非保有国」の対立は鮮明である。

国際機関であるIAEAが拘束力を強めるほどに、この対立は激化する。

それゆえ、今回の会議においても、具体的な安全基準は設定されず、外交辞令に満ちた宣言がなされるに留まった。



原発に関する議論は、一進一退に終始する。

議論している間も、原発の建造はトンテンカンと続いている。

それこそ推進派の思うツボかもしれないが‥。




出典:時論公論
「フクシマの教訓 IAEA閣僚級会議」

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2011年06月07日

福島の放射能事故は「人災」か? 問われる初動の致命的ミス。

福島原発の放射能事故は、「人災だ」という人がいる。

事故直後の初動対応がキチンとしていれば、最悪の事態である「爆発」は防げたと主張するのである。

大きな初動の遅れは2つ。

「緊急事態宣言」と「ベント作業」である。



日本政府が「緊急事態宣言」を出したのは、福島第一原発の「全電源喪失(15:42)」から3時間以上経った「19:03」。

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東京電力による通報の遅れから始まり、首相が原発事故よりも党首会談を優先させたりで、遅れに遅れたのである。



「緊急事態宣言」と受けて最優先されたのが、失われた電源の確保であった。至急「電源車」が手配され、現地に急行。

ところが、混乱にまみれた現場は、初歩的なミスを繰り返す。

「ケーブルが届かない」「プラグが合わない」などなど。

ようやく電源がつながるも、ポンプ自体が壊れていたため、これら一連の作業は、全て空振りに終わる。

最も重要な最初の一手は、時間を浪費したのみであった。



これは一大事だと、次の一手。「ベント作業」である。

「ベント作業」とは、格納容器にたまった水蒸気を抜く作業である。水蒸気がたまりすぎると、原子炉が「圧力鍋」のようになり、爆発する危険があるのである。

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この作業は、「緊急事態宣言」に輪をかけて遅れる。

決断から作業完了まで、なんと14時間以上を要した。



遅れの原因は大きく2つ。

「原発関係者の躊躇」と「作業の不手際」である。

原発関係者にとって「ベント作業」は「禁じ手」のひとつ。水蒸気を放出するということは、放射性物質を空気中に撒き散らすことだからである。

関係者は語る。「ベント作業と聞いて、信じられなかった。本当にやるのか?やるならこの会社は終わりだな。」

作業にとりかかっても、遅々として進まない。

マニュアルには、電源を用いたベント作業しか記載されておらず、手動での作業が難航したのだ。



ようやく水蒸気が立ち上り、ベント作業は確認された。

安心もつかの間、その確認から、たった1時間後である。

最悪の爆発が起きたのは。

福島第一原発一号機、爆発(3月12日、15:36)。

世界が震撼した、歴史に残る瞬間であった。



付近の住民の耳には、その爆発音が間近に響いた。

「原発が爆発したっ!逃げろっ!」

避難は北西方向。ハンカチで口をおさえろとの指示。

道路は大渋滞。たった数10分の距離を移動するのに、数時間を要した。

悲しいかな、彼らが避難した方向は、放射性物質が流れ行く方角と、不幸にも一致していた。

彼らは放射性物質を追うように、逃げていた。

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彼らが避難を始めた時点で、日本政府は放射性物質が北西方向へ流れることを把握していた。しかし、伝えなかった。不幸は作られたのだ。



原発事故が「人災」との主張は無視できない。

原発の「安全神話」は、危機への備えをおろそかにし、危機にあっては、右往左往、喧々諤々。

明らかな危機対応の「判断ミス」と「訓練不足」の連続。

一刻を争う、最初の24時間は無駄に流れ去った。

「安全神話」に「もたれかかっていた」と思ったら、肝心の「背もたれ」は存在せず、したたかに後頭部を強打した。



最新の解析では、核燃料がドロドロに溶け落ちる「メルトダウン」は、事故の5時間後には起きていたという。

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事故の5時間後というと、いまだ電源車すら到着していない。事実上、何もしていない状態である。

すなわち、事故数時間が勝負だったのである。原発事故において初動が重視されるのは、このためである。

この貴重な初動の時間は、緊急事態を発令するか否かに費やされた。「動く」より「考える」ことが優先された。

人災と罵られても、いたしかたない。



出典:NHKスペシャル
シリーズ 原発危機 第1回「事故はなぜ深刻化したのか」
posted by 四代目 at 06:48| Comment(0) | 福島原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする