2012年05月20日

DNAはどこまで放射線に耐えられるのか?


およそ100年前、ロシアの医学者アニチコフは、「ウサギに卵を食べさせる実験」を行った。

その結果、卵を食べたウサギの「コレステロール値」は急上昇。



なるほど、とアニチコフは頷いた。

「卵を食べると、コレステロール値は上がるのだ」と。

その後、アニチコフの実験結果は世界に知られるところとなり、「卵を食べると、コレステロール値が上がる」という説は、世界に普(あまね)く広まった。



しかしある時、ある人は「その常識」に素朴な疑問を抱いた。

「ウサギって、もともと卵を食べるっけ?」

彼の疑問通り、ウサギはもともと卵を食べる動物ではない。「それならば、もともと卵を食べる動物が卵を食べても、コレステロール値は上がらないのではないか?」



彼の推測通り、犬で実験しても、人間で実験しても同じ結果が出た。「卵を食べても、コレステロール値が上がらなかった」のだ。

すなわち、ウサギのコレステロール値が急上昇したのは、「卵」を食べたからではなく、「食べたことがないもの」を食べたからに過ぎなかったのだ。



この「ウサギと卵」の話が示すように、説得力の強い「実験結果」というものは、時として疑ってかかる必要もある。

この例と酷似する実験結果は、「ショウジョウバエ」でも起こっている。



およそ80年前、遺伝学者のハーマン・マラー博士は、ショウジョウバエのオスに「放射線(X線)」を照射する実験を行った。

すると、X線を当てられたショウジョウバエの子孫たちは、見るもグロテスクな形態となって生まれてきた。



なるほど、とハーマン・マラー博士は頷いた。

「放射線がDNAを傷つけたために、奇形が生まれたのだ」と。

その後、マラー博士はノーベル生理学医学賞を受賞(1946)。「放射線がDNAを傷つける」という説は世界に普く広まった。



ところが、のちにショウジョウバエのオスというのは、特異な生物であることが判明する。

どこが特異かというと、「DNAの修復酵素を持たない」という点である。すなわち、ショウジョウバエのオスには、傷ついたDNAを自ら修復する力がなかったのである。



確かに「放射線がDNAを傷つける」という説は正しい。

しかし、その実験対象となったショウジョウバエのオスは、例外的にDNAの修復酵素を持たないマレな生物だったのだ。つまり、ひときわ放射線には脆弱だったのである。



DNAを傷つけるのは、何も放射線のみに限定されるわけではなく、様々な要因が四六時中DNAを傷つけている。

一説によれば、人体のDNAは一日に100万回以上も傷つけられているという。



それでも次世代に異常が現れることがほとんどないのは、如何なることか?

答えは単純で、その都度「修復している」からである。その役割を担うのが「修復酵素」であり、それはたいていの生物に備わっている。



現在、原発事故を喰らった我々日本人は「放射性物質」の影に怯えている。

さもありなん。未知の恐怖は、その影を何倍も巨大に見せる。

ただ、われわれ人類には、放射線によって傷つけられたDNAを修復する酵素が備わっていることを忘れてはならない。ショウジョウバエのオスのように、「やられっぱなし」ではないのである。



確かに、短時間に大量の放射線を浴びると、それは死に直結する。

しかし、「低線量の放射線を長時間浴びる影響」に関しては、諸説入り乱れている。「有害だ」という主張がある一方で、真逆の「むしろ健康に良い」と言う人までいるのだから…。




なぜ、低線量の放射線が「健康に良い」というのか?

彼らの主張は、過去の経験則から導き出されるのが、常である。



たとえば、鳥取県の三朝(みささ)温泉は、ラジウム温泉の湯治場である。わざわざ放射性物質であるラジウムを浴びに、人々はこの温泉まで足を運ぶのだ。

わざわざ来るだけあって、その御利益は実証済み。この地のガンによる死亡率は全国平均の半分以下なのである。とりわけ、消化器系のガンの発生は異常に低い(5分の1)。



また、台湾のとあるマンションでは、建築後20年も経ってから、建築資材に使われた鋼材が「放射性コバルト」に汚染されていることが判明した(2002)。

あわてて1万人の住民の健康調査が実施されたところ、その結果は全く意外なものだった。

なぜなら、低線量の放射線を浴び続けたはずのマンションの住民たちのガン死亡率が、極端に低かったのである(台湾平均の50分の1)。



鳥取のラジウム温泉の年間被爆量は、安全とされるそれの約10倍(10ミリ・シーベルト)。台湾のマンションの場合は、およそ50倍(50ミリ・シーベルト)であった。

※ICRP(国際放射性防護委員会)の指針によれば、平常時は年間1ミリ・シーベルト以下が推奨されている。



現在、放射線管理区域には、18歳以下で年間5ミリ・シーベルトの上限があり、この値は同時に、労災が白血病の発病を認定する値でもある。

ところが、鳥取の温泉はこの危険値の2倍、台湾のマンションは10倍ということになる。




果たして、人間のDNAには、どれほどの修復能力が備わっているのか。

長時間浴びる放射線の影響が比定できないのは、人間のDNAの底力を見極められないためでもあろう。「異常が現れてからでは遅すぎる」。それゆえに、慎重を期さねばならぬのだ。

こうした考えに基づけば、どちらにバイアスがかかっているかは明白である。



我々は長年の経験から、多少の雑菌は健康に良いことを承知している。むしろ無菌状態という方が異常な状態である。

日本民族であればなおのこと、長い長い歴史をもつこの国の住民は、種々雑多な菌とともに長年うまいことやってきた。納豆、麹、酒、味噌…。



むしろ、日本のように長い歴史を持たないアメリカ人のほうが、「菌」に関しては神経質である。

彼らが食器洗浄機を使うのは、汚れを落とすためというよりも「殺菌するためだ」という話を聞いたことがある。彼らは目に見える汚れよりも、目に見えない雑菌を敵としているのである。



菌に対しては耐性がある日本民族も、さすが放射線となると身構えざるをえない。

それは世界中のどこの民族でも同じであろう。放射線の歴史は100年とないのである。十分な経験があると呼べる国は、まだどこにもない。

しかし、だからといって、地球に放射線がなかったかというと、そうではない。ずっとずっと昔から放射線は存在していたのだ。経験がないというのは、人間が意識し始めて以降の話である。



大昔から人間たちは自然に放射線を浴びてきた。それゆえに、そのDNAにはそのダメージを修復するための専門集団(酵素)が常備しているのである。

地球から発せられる放射線もあれば、宇宙から降り注ぐ放射線もある。生物のDNAは、上から下からの攻撃を、つねに防ぎ続けてきたということだ。

※現在、世界の自然被爆量は年間2.4ミリ・シーベルトと言われている。この値は、先のICRP(国際放射性防護委員会)が定める年間1ミリ・シーベルトの2.4倍である。



生物のDNAにとって、まったく不測の事態であったのは、「大量の放射線を一気に浴びる」という事態である。経験豊富ななずの修復酵素も、この猛攻にはなす術もない。

それでも、低線量の被爆に関しては、われわれの思うよりも耐性があるのかもしれない。



トーマス・ラッキーという生化学者は、放射線に「ホルミシス効果」があると唱える。

ホルミシス効果というのは、「劇薬は人体に有害であるが、ある種の劇薬を『少量』投与すると、健康に効果がある」というものである。

つまり、彼は「低線量の放射線被爆は、健康に良い」と言っている。低線量の放射線はむしろ、DNAの修復酵素の活性化を促すというである。



悲観論、楽観論の間で、われわれはしばらく揺れ動き続けるのであろう。

実際問題、いくら低線量であれ、避けられるならば避けたいと思うのが心情である。しかし、完全な無菌状態を求めるのも、また酷な話。

もし、避けえない状況に置かれたならば、それはそれでDNAの底力を信じるしかないのであろう。




出典:致知1月号(2012)
歴史の教訓(渡辺昇一)
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2011年12月06日

福島のコメ…、放射能…。農家たちの声なき絶叫。


福島県は日本屈指の米どころである(全国4位)。

そして、天栄村(福島南部)の米は全国コンクールで3年連続「金賞」を受賞している。つまり堂々の日本一だ。

しかし、その最高の栄誉ですら、放射能という疑心の前には無力であった。

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原発事故直後、天栄村のコメ農家たちは頭を悩ませていた。

「味をとるか? 安全をとるか?」

土壌の放射性物質を軽減するには、「カリウム」や「ゼオライト」などの物質を田んぼに撒かなければならないと聞いたからだ。



それが、なぜ味に影響するのか?

「カリウム」は化学肥料である。これを余計に撒くということは、コメが栄養過多になる。

栄養のやり過ぎは「甘いモノの食べ過ぎ」に同じで、身体(草丈)ばかりが大きく育ち、肝心の米粒(種)の発育が疎(おろそ)かになってしまう。その結果、「味が落ちる」。



「ゼオライト」の撒き過ぎも良くない。

こちらは、逆に稲に必要な「栄養素」まで奪ってしまう。



「味か? 安全か?」

答えは自明であった。安全に決まっている。



それでも、日本一のコメを作り続ける篤農家たちは、土地を壊すことに激しい抵抗を覚えたのだ。

今まで何年間も「無農薬」で土地を慈(いつく)しみ、そして育(はぐく)んできた。

そこに大量の化学肥料を投入しなければならない…。苦渋の決断である。



夏になると、今度は「プルシアンブルー」という絵の具のように真っ青な液体を、田んぼに撒いた。

その青い液体は、田んぼの水に溶け込んだ放射性物質を吸着してくれるのだという。

「収穫したお米から放射能が出ませんようにっ」という強い祈りが、田んぼを真っ青に染めた。

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そして、収穫。

放射性物質は「ND(Not Ditected)」。不検出。

しかし、安堵も束の間。

天栄村自慢の「漢方未来米」はサッパリ売れなかった。米屋からの注文は一件も来ない…。



予想以上の悪い風評に、福島県知事(佐藤雄平氏)は立ち上がる。

「安全宣言(2011年10月12日)」

ところが、事態は最悪のシナリオへと歩を進めてしまう。福島県の各地の米から規制値を超える放射性物質が検出されてしまったのだ…。



「これは事故ではないのか?」

コメ農家の鈴木博之氏は、そう訴える。

彼は30ヘクタール(平均の10倍)もの田んぼを抱える大農家であり、法人化した社長でもある。



直売所での販売は8割減。

新米のリピーター注文も激減。



やむなく、銀行に追加の「融資」を願わざるを得なくなった。

ところが、「り災証明書か被災証明書」がないと、金は貸せないと追い返されてしまう。



さっそく役場に向かうが、「前例がない」の一点張りで、証明書の類は一切発行してくれない。

それならばと、県庁、内閣府、原子力保安院などを転々とするも、どこへ行っても「たらい回し」。結局、地元の役場に戻されてしまった。

粘りに粘って念願の「被災証明書」は発行されたものの、その証明書は「売り上げ減少」に対するもので、「環境(土・水)」への被害は証明されなかった。



ここに来て、鈴木氏は奇妙な事実に気がついた。

「放射性物質は危険物質ではない?」



法律関係の本を片っ端からひっくり返してみると、確かにそうだ。

「土壌汚染対策法」では「放射性物質を除く」となっており、「水質汚濁防止法」でも「適用しない」となっている。

「環境基本法」を見れば、放射性物質による土壌汚染・水質汚濁は、「原子力基本法」の定めに従うと書いてある。



ということは、鈴木氏の願う「環境(土・水)」への被害を証明するには、「裁判」に訴えるしかないということになる。

そこで彼は「告訴状」を東京地検特捜部へ提出。

しかし、その告訴状はあえなく返却されてしまう。「具体性に乏しい」というのが、返却の理由であった。



「逃げらんねんだよ。

オレは長男坊。先祖伝来の土地もあれば、守るべき墓もある」



「逃げたら、何て言われる?

あの野郎、根性なしって言われんだ。

そんでもう、2人自殺しちまった…」

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ある日の鈴木氏は、東京にいた。

「東電」の前に「のぼり」を持って、たった一人で…。

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何も言わず、何もやらず、日が暮れてもなお、ただそこに立っていた…。



賢者たちは、その様を見て笑うのかもしれない。

彼は愚公であろうか?



故事において、愚公は「家の前の山が邪魔だ」と言って、一人でその山を崩し始める。

それを見た賢者・智叟(ちそう)は嘲笑する、「バカなことを…、こんな巨大な山を動かせるわけがない」。



しかし愚公は怯(ひる)まない。

「子々孫々続ければ、いつの日にか山は必ずや動かせる」



愚公の不退転の決意に動かされたのは、山ではなく「天帝の心」であった。

そして、天帝が「山を動かした」のである。



人間の一歩は悲しいほどに小さい。

それでも、その小さな一歩が人の心を大きく動かすこともある。




関連記事:
次々と解明される「食」の放射能汚染のメカニズム。その最新報告より。

想像を超えて放射能に汚染された「飯館村」。「もうガンバレません…。」



出典:ETV特集
「原発事故に立ち向かうコメ農家」


posted by 四代目 at 05:39| Comment(0) | 放射能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

放射能に汚染された海の調査報告書より。楽観的すぎた当初の予想。


2011年3月11日、ある漁師は福島第一原発の沖合い(25〜30km)の船上にあった。

「津波が原発の建屋に当たったのが見えた」というほどの距離である。

その時、彼が見たのは…。

「真っ黒い煙が出て、『ヒョウ(雹)』が降ってきた。バラバラバラーッと。とにかく、真っ黒い雲が凄かった。」



その黒雲は、その後の福島を予想だにしない運命へと巻き込んでいった。

「海」の汚染。これが予想以上に長引いている。

時とともに汚染が薄まらず、海の魚からは継続的に「放射性物質」が検出され続けているというのだ。



当初、海の放射能汚染は軽視されていたところがあった。

その理由は「潮流に流されて『拡散』していく」、つまり「薄まりやすい」というものであった。

原子力安全保安院からは「魚や海藻に取り込まれるまでには、『相当程度薄まる』」との説明がなされた。



しかし、あれから8ヶ月以上経過した現在(11月末)。

福島の漁業者たちは、いまだに「自粛」を強いられている。

魚をとるのが許されるのは、汚染の状況を見極めるためのサンプル採取のみである。



悲しいことに、それらのサンプルからは放射能物質が消えていかない…。

4月の「コウナゴ」から始まり、5月には「シラス」「ホッキ貝」「ムラサキ貝」「ムラサキ・ウニ」「アラメ」「ヒジキ」「ワカメ」。

6月は「アイナメ」「カレイ」「ドンコ」が加わり、7〜11月には「メバル」「カスベ」「ヒラメ」「クロソイ」「スズキ」なども。



これらのうち、国の基準値を超えたものは「コウナゴ(4月4日)」と「ドンコ(エゾイソアイナメ)9月5日」のみであるものの、魚介類19種類の100サンプル以上から、基準値以下の放射性物質が検出されている。

その汚染傾向を見ていくと、汚染直後(3〜5月)は「浅い海」の海産物の汚染が目立っていたのが、夏を過ぎてくると次第に「深い海」の魚たち(底モノ)に汚染が及んできていることが分かる。

つまり、放射性物質は何らかの原因で、「海深く」へ及んで行っているのである。



その理由の一つには、「生体濃縮」が挙げられている。

生体濃縮とは、食物連鎖(食う食われる)によって、より大きな生物にドンドン汚染が蓄積されていくというものである。

海水の放射性物質は、海藻(アラメなど)に取り込まれることで「約10倍」になり、ウニなどに取り込まれることで「約50倍」にもなるという実験結果も出た。

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通常の放射能検査で調べるのは、魚の「身の部分」のみで、魚の「内臓」までは検査しない。

ところが、放射性物質がより溜まりやすいのは「内臓」の方である。こうしたサンプル検査の穴も、生体濃縮の実態を見えづらいものとしてしまっているようだ。



海の表面の汚染は流されても、海深くには汚染が蓄積されている…。

さらに、その汚染は「南下」している傾向も明らかにされてきた。

海底の土を調べてみると、福島沖よりも茨木沖のほうが濃度が高かったりもする。

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これは奇妙な事だ。

なぜなら、太平洋沿岸には「黒潮」という巨大な流れが「下から上(南から北)」、そして日本から離れる方向へと向きを変えて行く。

ところが、汚染の実態をみると、汚染は太平洋沿岸に留まり、巨大な流れに逆らって南下しているように見えるのだ。



その理由の一つとして指摘されているのが「沿岸流」の存在である。

沿岸流というのは、太平洋沿岸に沿う形で「南下」している。黒潮に逆流するのは、地球による自転の力が関係しているとのこと。

放射性物質はこの沿岸流により、福島沖から茨城、そして千葉へと流されて行っているようである。

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海の汚染には、もう一つ深刻になる事情がある。

それは、陸上の「除染」である(除染とは、放射性物質の水などで洗い流すことである)。

さて、陸上で除染された放射性物質は、どこへ向かうのか?

海しかない。



よく福島の小学校などでは、排水溝からドンでもない汚染が発見されることがある。

それは、校舎の巨大な屋根が、雨などに含まれる放射性物質を、「排水溝」に集めてしまうためである。



それと同じように、福島山系、そして関東山系の山々は巨大な屋根の役割を果たし、排水溝がそれを集めるように、大きな河川が放射性物質を一つの流れに集約する。

ある河川の実地調査によれば、事故後に放射性物質の濃度が120倍にも跳ね上がっているところもある。

そして、それらは海へと流れ出る。そして、深海にたまる。

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大きな河川の河口では、高濃度の放射性物質が検出されることが、ままあるという。

除染の有無に関わらず、山々には自然と放射性物質が溜まりやすい。そして、それらもやはり最終的には海へと向かうのである。

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海の汚染は、消えてなくなるのではなかったのか?

「福島沿岸で検出された高濃度の放射性物質の多くは、黒潮によって太平洋の沖へと、すみやかに移送され希釈されました。」

こんな公式見解が虚しく響く。

意に反して、放射性物質は日本近海に留まり、海の底を南下している可能性が高い。



放射性の「セシウム」というのは、水に溶ける性質があるという。

それらは細かい粒子(砂など)に吸着して移動したり、海中を浮遊したりもする。

その結果として、海底近くを泳ぐ魚たちは汚染されやすくもなる。これはサンプリング調査の結果とも一致していることである。



放射性物質というのは、なにもセシウムばかりではない。

科学者たちが懸念するのは、より長く持続する放射性物質(ストロンチウム、プルトニウムなど)である。

「見落としはいくらでもある」という。



たとえば、放射性の銀110m(エム)。

民間の調査によれば、海水中では「検出せず」となる銀110mも、アワビの肝などからは、セシウム以上の濃度となり検出されることもあるという。生体濃縮の度合いは予期できるものではない。

先述の通り、肝などの内蔵は公的機関の調査「対象外」。さらには、銀110mの公的な規制値は存在しない。

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不幸にして、太平洋岸の漁業者たちは「宙ぶらりん」の状態に置かれている。

公的検査の不十分さが人々の疑心暗鬼を生み、それは風評となって何倍にも拡散する。海の放射性物質が予想以上に拡散しなかったのとは、まったく対照的である。



国が補償するのか?

そうもいかない。彼らは「自粛」していることになっている。

しかし、「福島産」というだけで返品されてしまう悲しい現実もある。



「海の放射能汚染」

これは今回の原発事故に特有のものである。

チェルノブイリは海に面していなかった。



事故から3週間後(4月4日)、福島第一原発の放射能で汚染された水1万トン以上が、海へと放出された。

その説明は、「近海の魚介類を一年間にわたり毎日食べたとしても大丈夫」となされた。

しかし、今、近海の魚介類を食べる人は誰もいない。自粛という名の禁漁は今も続いているのである。



海洋に放出された放射性物質(セシウム137)は、公式発表によれば「15ペタベクレル」。

聞いたこともない単位である。「ペタ」とは1,000兆。

その数字の意味も不明ながら、海洋への複雑な影響も誰も分からない。




こうした事実を知らなければ良かったのだろうか?

しかし、知らないことが問題を解決することにつながるのだろうか。

原発関係者は、海への影響を「知らずに」、汚染水を放出したのである。

もし、「知らずに」放射性物質を体内に取り込んだらどうなるのだろう?

人智の浅はかさを痛感するばかりである。



アンコウ屋の親父は、怒りを隠さない。

客足は遠のくばかりだ。

漁師たちの心中も穏やかではない。来る日も来る日も海のゴミ集めばかり。



あの日の真っ黒い雲。

この暗雲は、いまだ太平洋を暗く覆い続けている…。




関連記事:
次々と解明される「食」の放射能汚染のメカニズム。その最新報告より。

いまだ処理できない放射性廃棄物。未来へのとんだプレゼント。

放射能の森に悠々と暮らすネズミたち。チェルノブイリ「赤い森」



出典:ETV特集
「ネットワークでつくる放射能汚染地図(4)海のホットスポットを追う」


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2011年11月26日

放射性物質のもたらした光と影の世界。キュリー夫人を想いながら。


「ウラン・ガラス」という骨董品がある。

ガラスに「ウラン」を加えると、淡い黄緑色になり、世にも稀な美しさとなる。

その美しさに加え、ウラン・ガラスには不思議な魅力があった。

夜明け前に「妖しい蛍光色」を発するのである。

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今では、その蛍光色が「紫外線」を受けて発せられるものだと分かっている(夜明け前の青い空には紫外線が満ちている)。

しかし、当時(1830年代)の人々は、ただその妖しさと美しさに惹かれたのである。

ウラン・ガラスは、欧米で広く愛され、コップや花瓶、アクセサリーなどとなって大量に生産された。



現代人ならばご存知の通り、ウランが発するものは蛍光色ばかりではない。

目には見えない「放射性物質」も発している。

しかし、当時の人々はそのことこそ、知るよしもなかった。



この「目に見えない」物質に最初に気付いたのは、「アンリ・ベクレル」氏。

研究に使っていたウラン鉱石の粉末を机の引き出しにしまっておいたところ、一緒の引き出しに入っていた「写真乾板(フィルムの原型)」が、「なぜか」感光していたのである。



光がないのに、なぜ写真乾板が光を感じ取ったのか?

考えられた原因は一つ。一緒に入れておいたウランが「光を発した」ということだった。

最終的には、それは光ではなく、光と似た性質を持つ「見えないエネルギー」であるとベクレル氏は考えた。



のちに判明することであるが、それこそが「放射性物質」であった。

こうして、偶然の結果、放射性物質の存在は世界に知られるようになるのである(1896)。アンリ・ベクレル氏は、この功績によりノーベル賞を受賞することになる(1903)。

すでにお気付きかとは思うが、放射能の単位・ベクレルは彼の名にちなむものである。



ベクレル氏の研究を一段と進展させたのは、「キュリー夫人」である(ベクレル氏は、見えないエネルギーの正体や原理は謎のままに放置していた)。

キュリー夫人は、ウランよりも強いエネルギーを発する放射性物質を次々と見い出してゆく。

「ジャガイモ小屋と家畜小屋を足して2で割ったような研究室」で、彼女は「ポロニウム(1898)」、そして「ラジウム(1902)」を発見していったのである。

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それもこれも、夫である「ピエール・キュリー」の作った精密な計測機器があってこそであった。

その優れた計測機器(ピエゾ電流計)は、放射性物質の放つ微弱な電流を検知することができたのだ。

ピエールには「計測オタク」な側面があり、明確な使い道もないまま、このピエゾ電流計を作っていたのである。それが、ひょんなことから放射性物質の特定に活用されたのは、またもや世の偶然であったのか。

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「放射能」という命名もキュリー夫妻によるものであった。

「radio-activite」、ラテン語で「radio」は「光の放射」を、「activite」は「能力」を意味する。

つまり、「radio-activite」は「光を放射する能力」となる。



ここで着目すべきは、当時の人々にとっての放射性物質は「希望の光」であったということだ。

現代においては「負の側面」ばかりが際立ってしまっている放射性物質だが、当時の人々は「光あふれる新発見」に大きな期待を抱いていたのである。



時は20世紀初頭。

ダーウィンの進化論、メンデルスの遺伝子などなど、「見えない世界」への探求が深まり、科学は新たな領域へと突入していた。

そうした成果が、自動車や飛行機の発明へとつながり、華やかなる時代が幕を開けていた。



そこに現れた「放射性物質」。

医療の現場では、不治の病である「ガン」が治る夢の治療法(放射線治療)として絶賛され、産業界もこぞって放射能の効用を謳い上げた。

「放射能は魔法の力。あなたもその力を試してみよう!」

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美肌クリームにはラジウム(放射性物質)が練り込まれ、オーデコロンにもラジウムが混入された。

なにせ、放射性物質ラジウムは、素晴らしいエネルギーを放つ最新の物質なのである。「放射能入り」が最大の売り文句となっていた。



チーズにもチョコにも添加され、人々は喜んで放射性物質ラジウムを体内にまで取り込んだ(内部被曝)。

ラジウム入りの水を作れるという「夢の蛇口」までが登場した。これでお風呂も放射性物質で満たせるようになり、全身に放射性物質を浴びることまでが可能になった(外部被曝)。

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こうした放射性物質ブームで幸いだったのが、「本物の」ラジウムは高価すぎて、「ラジウム入り」を謳う商品の多くが「まがい物」であったことだ。

逆に不幸だったのは、本物を買えるお金持ちたち。放射性物質入りの水を大量に飲んで死んだという記録も残る。



美しい蛍光色を発するということから、ガンを癒すということまであり、放射性物質は「プラスの側面」ばかりが世の中に誇張されていた時代である。

しかし、そんな風潮に真っ向から逆らい、「その恐ろしさ」に警鐘を鳴らす人々も少数ではあったが存在した。



「H.G.ウェルズ」氏は、そんな否定的な人物の一人であった。

彼の著作「解放された世界」には、こうある。

「いったん爆発すると、それはエネルギーが尽きるまで近づくこともコントロールすることもできない」

彼は想像の中で「原子爆弾」を生み出したのである(1914)。




ウェルズ氏の小説の中では、1956年に原子爆弾が完成する。

彼によればその爆弾は「戦争そのものに『決定的な一撃』を与える究極の爆発物」である。

あまりにも、その後に起こる出来事と一致しすぎているために、これが小説の中の出来事とは到底思えないほどである。



残念ながら、人類は最悪のシナリオを歩む結果になる。

新たな科学が切り拓いた道は、自動車や飛行機を生み、多くの人の生命も救えるようになっていた。

ところがその同じ道で、自動車は「戦車」を生み、飛行機は「戦闘機」に変わった。

そして、ガンを治療して人の生命を救う放射性物質は、大量殺人兵器(原子爆弾)へと変貌を遂げた。

新たな科学は戦争を激化させ、第一次世界大戦、第二次世界大戦という悲惨な歴史を生むことにもつながってしまったのだ。



キュリー夫人は科学者になる前に、こう語っていたという。

「自分が人の役に立っている。私はそう実感したいだけなのです」

彼女が科学者になり、放射性物質を探求したのは、ひとえにこうした善意からであった。



第一次世界大戦の戦火の中、キュリー夫人は車(プチ・キュリー号)に「レントゲン撮影機」を積み込み、負傷兵の体内に残された弾丸や異物の除去に尽力した。

彼女のレントゲン装置には、より効率的なラドンが使われていたという。



しかし、戦争の勝利を目指す各国は、総力を挙げて科学を殺人へと振り向けていた。

ドイツは人工的に核分裂を起こすことに成功し、それに戦慄したアメリカは世界の頭脳を結集して核爆弾を作り上げた(マンハッタン計画)。

その結果、原子爆弾の完成は、小説よりも10年以上も早まった(1945)。

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この完成をキュリー夫人が知らなかったのは幸運か?

この時、彼女は先立った夫・ピエールの元へと帰っていた。

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夫ピエールはキュリー夫人とともにノーベル賞を受賞した数年後に、不慮の死を遂げていたのである。

彼はその死の前に、意味深い言葉を残している。



「自然の秘密を知ることは、本当に人類の利益になるのだろうか?

人類には、それを有効利用する用意があるのだろうか?

その知識が人類に害悪をもたらすことはないのだろうか?」



彼の危惧したとおりに、強烈な光を放つ放射性物質は、大きな「希望」を上回るほどの「絶望」を人類にもたらした。

人類は放射能に笑い、そして泣いたのだ。



強すぎる光は、暗すぎる影をも同時に生んでしまう。

20世紀には、その光と影がいみじくも同居していたのである。



ピエールの言葉には続きがあり、こう締めくくられている。

「人類はこうした新発見から害悪よりも利益を引き出す。

私は、そう信じる者の一人です。」



21世紀となった現在、

我々は依然としてその「岐路」に立ちつくしたままである。

そこには、泣き崩れる人々の姿も、いまだ多い…。





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出典:BS歴史館
キュリー夫人と放射能の時代〜人は原子の力とどう出会ったのか?


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2011年10月21日

想像を超えて放射能に汚染された「飯館村」。「もうガンバレません…。」


福島第一原発の立入禁止区域(20km)圏内のレポートより。



まず、記者が驚くのが、20km圏のギリギリ外側で営業している飲食店があったことだ。

その飲食店は、近所の住人や勤め人で混雑しており、普通にレバニラ定食やらホルモン定食やらを食することが出来る。

その食堂の裏の小川を超えれば、放射能汚染により立入禁止になっているのである。



そこの放射線量はというと、「毎時0.2マイクロ・シーベルト」程度。

東京の自宅の「毎時0.1マイクロ・シーベルト」に比べてそう高くはなく、この数値のままであれば、国際的な基準値である「年間1ミリ・シーベルト」を超えることはまずない。

そこから、立入禁止区域に入っても、当然、放射線量は同じ程度だったという。必要以上に身構えていた記者にとっては拍子抜けの瞬間であった。



記者が驚くのは、ある学校の放射線量を計測した時だ。

その値は、「毎時1.57マイクロ・シーベルト」と急に上昇した。いきなりの危険信号である。

学校の敷地はムキ出しの土が多いため、校舎の屋根などで集められた雨などから、放射性物質を必要以上に集積してしまうのだという。

「放射線の影響を受けやすい子供が過ごす学校に限って、放射線量が高くなる」というのは、よく聞かれる話なのだとか。



立入禁止20km圏内のすべてが安全というこは決してできないが、その圏内であっても、放射線量が東京とさほど変わらぬ地域があることは事実である。

しかし、20km圏内で放射線量が低いからといって、無闇に立ち入ることはできようがない。罰金10万円、もしくは逮捕の刑罰が待っている。



立入禁止でありながら低線量の地域とまったくの対称をなすのが、自由に出入りできるにも関わらず「高線量」の飯館村である。

飯舘村からはチェルノブイリ周辺に匹敵する土壌汚染や、猛毒のプルトニウムまで見つかっている。そのため、村は基本的に無人となっている。

しかし、立入禁止でなないので、出入りは自由である。「平常通り営業して、従業員が通勤している企業もある」という。



ある村人の自宅を測定した時、記者はギョっと硬直する。

「毎時2マイクロ・シーベルト」。明らかに危険値である。

しかし、その村人は平然としたもの。「今日は低いな〜。この前は『4』あったから。」



飯舘村に放射能の雨が降ったのは、震災から4日後の3月15日。

そして、日本政府が飯館村に避難を指示したのは、それから一ヶ月以上たった4月22日。



この一ヶ月間、村民は無策ではなかった。

汚染されて5日後の3月20日には、水道水から規制値の3倍の放射性物質が検出され、一気に警戒態勢に入っていたのだ。

「水を飲むな!!」。怒号のような叫びが村内に響き渡った。

しかし、それまでの5日間ですでに「汚染された水道水を飲み、ご飯を炊き、おかずを煮炊きしていた」。



さらに悪いことには、原発付近から避難してきた1,300人が飯舘村に身を寄せていた。放射能から逃れてきた人々は、不運にもさらなる高汚染地域に避難していたことになる。

可哀想な避難民たちのために、飯舘村の村人たちは雨でズブ濡れになりながらも炊き出しに奔走していたのだという。

この雨こそが悪の元凶であったわけだが……。そしてその炊き出しも……。



現在の飯館村の庁舎には、デジタル式の放射線量計が温度計のようにブラ下がっているのだという。記者が見た時の値は、「毎時2.9マイクロ・シーベルト」。

ある農家の裏山の落ち葉の山は、「毎時12.06マイクロ・シーベルト」。

ある小学校の校舎は、「毎時52.41マイクロ・シーベルト」。

ある民家の排水口では、「毎時353.6マイクロ・シーベルト!?」。



ちなみに「毎時0.25マイクロ・シーベルト」を超えると、年間の被曝量が国際機関の定める「年間1ミリシーベルト」を超えてしまう。

それを踏まえて上記の数値を見てみると、上から規制値の「12倍」、「48倍」、「210倍」、そして「1,414倍!?」。

出入りが自由な飯舘村の異常な高汚染ぶりの一端を垣間見ることができる。



国がコンパスで無機質に決めた「立入禁止」を信じる人は、ここには誰もいない。

頼れるものは国の指示ではなく、現実の放射能測定値のみなのである。



「飯館村は、もうガンバレません。」

そんな村人の言葉に、記者は言葉を失う。



今の飯館村を蝕(むしば)んでいるのは、放射能だけではないのだという。

村人たちは、もうバラバラである。村に残ろうとする者、移住を選択する者、補償金を喜ぶ者……。

対立、いがみ合い、嫉妬…、かつては村で見られることもなかった光景が日常となってしまった。



「人間こそが恐い…。」

最後にポツリと、村人は呟(つぶや)いた。








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