どうしようもない「逆境」にある時、日本人は他人に対して「微笑(ほほえ)む」ことができる。
このことは日本人にとっての「美徳」の一つでありながら、しばしば外国人から「誤解」を受けることが多いのも事実である。
「謎の微笑(ほほえ)み」だ、と。
外国人たちはストレートに考える。
悲しかったら悲しめばよい。泣きたかったら泣けばよい。
それなのに、なぜ微笑(ほほえ)むのか?
芥川龍之介の「手巾(はんけち)」に描かれた「息子を失った婦人」の言動などは、そうした外国人たちにとっては、おおよそ理解を超えるものなのであろう。
その婦人は、息子の死を報(しら)せるために、息子の恩師である大学教授の元を訪れていた。
腹膜炎で闘病中であった彼女の息子は、看病の甲斐なく亡くなってしまったのである。
当然、婦人の心は深い悲しみの淵の中にある。
ところが、大学の先生の目には、「この婦人の態度なり、挙措(きょそ)なりが、少しも自分の息子の死を語っているらしくない」ように映る。
「眼には涙もたまっていない。声も平生の通りである」。彼女は日常茶飯事を語るかのように、息子の死を告げている。
さらに、「口角には、『微笑(ほほえ)み』さえ浮かんでいる」ではないか。
その大学の先生は日本人なのであるが、日本人の彼にすら、婦人の「尋常ならぬ平静さ」に困惑する。
と、何かの拍子に、先生の持っていた団扇(うちわ)がパタリと床に落ちる。
その団扇を拾おうと先生が屈(かが)んだ時であった。婦人がひたすらに押し隠していた深い悲しみを見てしまったのは…。
「先生は、婦人の手が激しく震えているのに気がついた。
震えながら、それが感情の激動を強いて抑えようとするせいか、膝の上の手巾(はんけち)を、両手で裂かないばかりに堅く握っているのに気がついた。」
嗚呼、婦人は手巾(はんけち)を堅く握りしめ、身体中で嘆き悲しんでいたのだ…。表情には静かな微笑(ほほえ)みを湛えながら…。
「婦人は顔でこそ笑っていたが、実はさっきから全身で泣いていたのである。」
婦人のその健気な振る舞いに、先生は大きな感銘を受ける。
「これぞ、日本女性の武士道だ」と。
その先生は、かねてより日本人の「精神的な退廃」を気にかけていた。物質的に豊かになるにつれて、日本人の心は廃れていくかのようだ、と。
日本の堕落を救うためには、如何せん?
先生はその答えを「武士道」の中に見出していた。そして、「顔で笑い、全身で泣く婦人」の姿に接した先生は、日本の誇るべき武士道が日本人の心の中にしっかりと息づいていることを知り、ある種の幸福感を覚えるのである。
かつて先生がドイツに留学していた時、この婦人とは正反対に「感情をほとばしらせるドイツ人の子供たち」を目にする機会があった。
それは、皇帝ウィルヘルム1世の訃報を耳にした時のこと。一介の庶民の子供たちは、まるで肉親を亡くしたかのように、感情を剥き出しにして大声で泣き狂うのである。
日本において、感情を剥き出しにすることは、「礼に反する」のかもしれない。
だからこそ、他人様の前では「心を封じ込める」のである。
この「感情と裏腹なさま」を悪く言えば、「心を偽(いつわ)る」こととなる。
日本人同士であれば、何も言わなくともお互いの心の内を推し量ることができる。
しかし、文化が違えばそうもいかない。日本人の「礼」が、外国人には「おそろしくおかしい」ということになる。心を偽(いつわ)っている、と。
日本人の「礼」を善意に解釈したとしても、「それは行き過ぎている」ということにもなる。
日本の心を知らない外国人たちは、死に際して涙を見せない日本人を奇異に思い、「日本人が死に対して無頓着なのは、神経が鈍感だからだ」とさえ言うのである。
日本人の「謎の微笑(ほほえ)み」は、外国人たちには「冷酷」に映り、「正気を疑われる」ほどだったのである。
新渡戸稲造は、「謎の微笑(ほほえ)み」をこう解説する。
それは、「努力を隠す幕」であると。
何の努力かと言えば、「逆境によって乱された心の平衡を回復しようとする努力」である。
その微笑(ほほえ)みは、他人様への礼であると同時に、自らの「悲しみのバランス」を保つためのものでもあると、新渡戸は言うのである。
福沢諭吉は、漢書に見た「喜怒色に顕(あらわ)さず」という句を、「これはどうも金言だ」と直感し、「始終忘れぬように、独りこの教えを守った」のだという。
芥川龍之介、新渡戸稲造、そして福沢諭吉は、武士の時代の風潮が色濃く残る時代を生きた人々である。
武士たちは、如何なる悲劇が己を襲おうとも、それに動揺して平静を失うことを良しとしなかった。
日本の戦国時代に宣教師としてイタリアからやって来た「ヴァリニャーノ」は、著書「日本巡察記」にこう記している。
「彼ら(日本人)は自らの苦労について、一言も触れないか、あるいは少しも気にかけていないかのような態度で、あとは一笑に付してしまう」
その武士は、自分の大切な領地をすっかり失ってしまったというのに!
武士にとって、徒(いたずら)な心の動揺は「恥」なのである。
恥をかいてしまった武士は、切腹すらも辞さない覚悟がある。

「武士道」というのは、その名の通り、武士の規範ではあるのだが、時代が下るにつれて、「庶民」にまで行き渡るようになっていく。
武士道が日本中に浸透していく様を、新渡戸はこう表現している。
「太陽が昇る時、まず最も高い峰を朱に染め、次第に下の谷々を照らす。
最初に武士道として結実した倫理体系は、時が経つにつれて、大衆からも追随者を呼び込んだ。」

宣教師としてイタリアからやって来たというヴァリニャーノは、日本人の「名誉意識」の高さに驚く。その名誉意識は、庶民にまで至るものであった。
イタリアにおける「使用人」は邪険に扱われて当然の存在なのだが、日本の使用人は「ぞんざいに扱われる」ことに腹を立てる。
ぞんざいに扱われたと感じた使用人は、非常に有利な職にあったとしても、プイといなくなってしまう。名誉が汚されるよりは、不利な仕事に就くことを選ぶのである。
このように、武士道というのは日本人の心に広く広く、深く深く染みこんでいったのであり、それは現代に生きる我々日本人の心の内にも確かに息づいているのである。
だからこそ、芥川龍之介の「手巾(はんけち)」に出てくる婦人の心を我々が理解するのであり、それに涙もできるのである。
「冷酷で気違いだ」とまで誤解された日本人の「謎の微笑(ほほえ)み」。
その誤解を見極めようと、日本人の真意を追求していった新渡戸稲造は、最後にこう記している。
「日本人は、どの民族にも劣らぬほど優しい」
昨年の東日本大震災における日本人の行動は、世界中から高い評価を受けることとなった。
日本人の心は深いところに秘され、秘すことを美徳としている。
そしてその美徳は、大いなる苦難にさらされた時に、類まれな力を発揮することにもなる。
それでも、我々日本人の心は、まだまだ「世界に誤解されている」ということを知っておかなければならない。
我々の生きる現代は、新渡戸稲造や芥川龍之介の生きた時代よりもグローバル化が進んだとはいえ、その誤解が解かれたわけでは決してないのである。
日本人の美徳に従えば、日本人の心はその誤解をも優しく容認するであろう。
その誤解に激怒することもなければ、無理矢理に相手を説得することもないであろう。
ただ、相手が困っている時に、陰ながら助力できることを一生懸命に探すばかりである…。
出典:100分de名著
新渡戸稲造“武士道” 第3回「忍耐・謎のほほ笑み」
致知11月号 人生を照らす言葉(鈴木秀子)