2012年06月22日

肥える先進国、争う途上国。アフリカの大干ばつに想う。


先進国は「肥満」にあえぎ、途上国では「飢餓」に苦しむ。

一方の端では、食べたくなくても食べ過ぎ、もう一方の端では、どんなに食べたくとも食べられない…。

地域によってその気候が違うとはいえ、その隔たりは国という垣根によって、さらに溝を深まってしまっているようである。



◎先進国の「肥満」


先進国「アメリカ」では、子供たちが「超肥満」化しているという。

健康的な体重を50%も上回るという超肥満は、年々「低年齢化」が進み、「高齢者の疾患が、20代で出てきたりする」までに。あまりにも豊かな食生活は、あまりにも不幸な結末を迎えることともなりかねない勢いだ。




便利すぎるマクドナルドのファーストフードは、アメリカが世界に誇る食文化である一方で、「肥満の元凶」とも囁かれる。

カリフォルニア州のある都市では、マクドナルドから子供を遠ざけるために、キッズメニューの「おまけ」が禁じられ、ニューヨークでは特大サイズ(1リットル)の甘ったるいドリンクが規制されようとしている。


あるアメリカの退役軍人は、「肥満が国防を損なう」と嘆く。

なぜなら、軍隊に入隊が認められない医学的な原因として、「肥満」が最も多いからだ。肥満が原因で不合格となる人の割合は、10数年前から比べて70%以上も増えているとのこと。



◎人口爆発ならぬ「体重爆発」


イギリスの研究チームは、「肥満が世界的な食糧危機を招く」と警鐘を鳴らす。もしも人類がアメリカ並みのハイペースで太り続ければ、「10億人分の人口増加」に匹敵する驚異となりうるというのだ。

「貧しい国の人たちが『子供を産みすぎる』と早急に思い込むの前に、富裕国の太った人たちの方に目を向けなければならない。これはアフリカにおける家族計画の問題だけではないのだ」

人口爆発の驚異を恐れる前に、「体重爆発」をも恐れなければならないとは、皮肉にも切実な話である。

Source: daddu.net via Visalus on Pinterest




その研究チームによれば、「アメリカの人口の74%は太りすぎで、ヨーロッパの56%、アジアの24%、アフリカの29%と比較して極めて高い割合」だとも指摘されている。

アメリカの人口が世界に占める割合はわずか6%にもかかわらず、世界の「過剰体重」に占める割合となると、一気に34%まで急騰するのである。

その過剰体重の人々が余計に摂取する食物で、軽く1億人分の食がまかなえるのだという。これでは「豊かで太った人たちが、貧しい国々を飢餓に追いやっている」と非難されるのも無理はない。



◎アフリカ・サヘル地帯の「干ばつ」


上述したような「肥満」が先進国のメディアで取り沙汰されていたちょうどその頃、途上国のメディアでは「飢餓」が話題となっていた。世界最大のサハラ砂漠(アフリカ)の下方に位置する「サヘル(Sahel)」地域で、干ばつによる食糧不足が深刻化していたのだ。

サヘル地帯の年間降水量は、日本の「わずか10分の1」。

※日本の年間降水量は世界平均970mmの2倍近い、1700mm以上(日本国内でも降水量の多い北陸や南九州は年間2,400mmを超える)。それに対して、サヘル地帯の年間降水量は100〜200mmとスズメの涙ほど。




さらに悪いことには、その土壌が栄養分(窒素やリン)に乏しく、耕作には不向きな「酸性」の土壌がほとんど。それでも、北へ向かえば土壌の栄養分は豊かになるというのだが、残念ながら北へ向かうほどサハラ砂漠が近づくために、ただでさえ少ない降水量はますます少なくなってしまう。

それゆえ、このサヘル地帯で農耕が根付くことはついぞなく、雨期には栄養豊かな北部で家畜を放牧し、乾期には水を求めて何百kmも南部へ下るという「移牧」が主体に行われてきた歴史がある。



◎気まぐれなサヘルの雨


この厳しい環境の中でも、雨期に雨が降ってくれれば、それはそれで問題はない。ここに暮らす民は、この厳しい気候に十分適応しているのである。

ところが、お天道様は気まぐれである。彼女は時として頑張りすぎる。1968年の大干ばつでは100万人が命を落とし、日本の人口の半分ほどの人々がまともな食に事欠いた。この大被害の原因の一つは、サヘル地帯に位置する諸国家の政府が「北部への移住」を奨励したためだとも言われている。

サヘル地帯に降る雨は周期的に北上し、北の乾燥地帯を潤すこともままある。ちょうど1960年代、大干ばつの前、北部の降水量が一時的に伸びた。しかし、その雨はボーナスのようなものに過ぎず、乾風の強烈な巻き返しはすぐに起こった。その結果、新しい移住者たちは瞬く間に住処を追われたのであった。

100年間、津波が来なかったからといって、その海岸線が安全とは言い切れないのと同様、サヘル地帯に雨が増えたといって、軽々しくその地に移り住むことは危険行為であったのだ。



サヘル地帯は渚の砂浜のように、乾燥と湿潤の境が不安定に揺れ動く。

今から3年前(2009)、National Geographic誌は「気候変動で緑化が進行か」とサヘル地帯を特集した。その記事の内容は、宇宙からの衛生画像によって、「サヘル地帯に緑化の兆しが見られることが確認された。植生が非常に豊かになっている」というものであった。

取材された遊牧民の話も明るい。「最近は雨が多くて、放牧地もかつてないほどに広がっている」「以前はサソリ一匹、草一本見あたらなかったのに、今はラクダが放牧されている。ダチョウやガゼル、カエルまでが戻ってきた」



◎乾燥ふたたび


しかし悲しいかな。それはまた一時の気まぐれ、悪く言えば、お天道様の「だまし」に過ぎなかった。今回、またしても楽観論者の脳天気さは駆逐され、悲観論者に軍配が上がってしまうことになった。

現在の大干ばつにより、「サヘル地帯の住民1,800万人が飢餓の危機に直面している」とセーブ・ザ・チルドレンは報じている。「今後数ヶ月にわたり、貧困家庭では本来必要とする食料の2割しか入手できない」という惨状である。

サヘルの雨は20〜30年続いたとて全く油断はならない。ついつい気を許して北上してしまうと、あっという間に灼熱の砂漠に逆戻りしてしまうことも珍しくないのである。




◎ダブルパンチの「マリ」


サヘル地帯に位置する国家は、セネガル、モーリタニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、ナイジェリア、チャドなど。




その内の「マリ」という国では、政情不安も相まって、大変な大混乱に陥っている。難民となって隣国へ流れる人々は数知れず、少なくとも30万人以上は路頭に迷っているという(日本で30万人前後の県庁所在地は、福島市・大津市・宮崎市・那覇市など。30万人の難民というのは、それほどの規模である)。

マリの国土の北側3分の1はサハラ砂漠であり、残りの地域もニジェール川周辺以外は乾燥地帯(国土の65%は砂漠か半砂漠)。そのため、この国での食料生産は極めて限定的で、過去の歴史においても、サハラ砂漠をまたいだ「交易」によって栄えてきた国なのである(北方の塩と南方の金・象牙を交換)。



現在、大干ばつに苦しむマリは、さらに悪いことに、その国内に「独立国」を抱え込んでしまっている。軍事クーデターにより、北方の地域が一方的に独立を宣言してしまったのだ(2012年4月6日)。

その独立国家「アザワド」は、国際的に承認されていないとはいえ、マリ政府も手を出せない状態にあり、事実上黙認されている形である。



◎独立国「アザワド」の民


その厄介な独立国アザワドは、「トゥアレグ族」の支配する国である。

彼らはもともとこの地域の遊牧民族であり、サハラ砂漠を縦断するサハラ交易によって、「砂漠の支配者」と呼ばれるほどに栄えた時代もあった(サハラ交易は、ヨーロッパの切り開いた海の航路によって衰退を余儀なくされたものの、トゥアレグ族は今でも頑なに伝統的な交易ルートを守り続けている)。

しかし、彼らは昔から他の商隊を襲撃する「好戦的民族」としても恐れられており、彼らの強すぎる民族意識は、他国の敵意を喚起してやまなかった。




◎「青い民」の誇り


彼らの別名は「青い民」。インディゴで染めた真っ青な布が、その誇りを示す。誇り高きトゥアレグ族は、西欧列強による「植民地支配」を是とせず、徹底的に反植民地闘争を繰り広げてきた。

19世紀後半から20世紀にかけて、アフリカ大陸は西欧列強の「草刈り場」と化しており、1912年時点において、巨大なアフリカ大陸のほとんどは、ヨーロッパのたった7カ国により支配されていたのである(その7カ国とは、スペイン・イタリア・フランス・イギリス・ドイツ・ポルトガル・ベルギー)。




サハラ砂漠を含む西アフリカ一帯を傘下に収めたのは「フランス」。フランスの野望は「大陸横断政策」と呼ばれるもので、西アフリカから東アフリカへとアフリカ大陸を真っ二つにするものであった(結局イギリスにより阻まれる)。

当然、誇り高く好戦的なトゥアレグ族は、フランスの支配を良しとしない。フランスの教育を拒み、独自の言語「タマシェク語」を話し、独自のアルファベットを用いていた(アフリカで独自のアルファベットを持つのは、エチオピアとトゥアレグ族のみ。一方、マリの公用語はフランス語である)。



◎西アフリカ随一の民主国家


マリがフランスの支配から解かれるのは1960年。その後、1979年に民主化運動が起こり、一時は「西アフリカ随一の民主国家」とまで謡われるまでになっていた。1992年の憲法制定以降、マリは複数政党制が機能するアフリカでは珍しい国家だったのである。

マリの独立以降、民主化の流れの中にあってなお、北部の砂漠地帯では青い民・トゥアレグ族が過激な分離闘争を繰り返していた。いや、むしろ民主化が進むほどに彼らは過激化していったといってもよい。とりわけ、憲法が制定された1992年以降から武装闘争が激化しているのだから。



◎リビアによる救いの手


しかし、トゥアレグ族は弱っていた。往年のサハラ交易はすっかり廃れ、度重なる大干ばつにより、家畜は死に絶え、土地を離れる若者たちは後を絶たなかった。

そんなトゥアレグ族を快く迎えたのが、北アフリカの独裁国家リビアであった。リビアの最高指導者であるカダフィ大佐は、トゥアレグ族の多くをイスラム軍に入隊させてくれたのだ。

オイルマネーで潤っていたリビアは、その後の原油価格の下落により、トゥアレグ族を養い切れなくなるものの、それでも両者の関係は良好であったようだ。「アラブの春」とも呼ばれる北アフリカ一帯の民主化革命において、トゥアレグ族はカダフィ大佐のために銃を取っていたのである。




◎リビアのもたらした最新の武器

2011年のリビアにおける内戦は、独裁者カダフィ大佐の死によって幕が降りた。

リビアで用ナシとなったトゥアレグ族は、故国マリの砂漠に帰り、その返す刀で独立蜂起することになる(2012)。

リビアの傭兵として戦ったトゥアレグ族は、幸か不幸か、この戦いによってその戦闘能力を一段と高め、さらには裕福なリビアが与えてくれた最新鋭の武器までふんだんに入手する結果を得ていた。



逆に、マリの政府軍の武器はじつに貧弱であった。素晴らしい武器を豊富に持つトゥアレグ族の前にして、マリの政府軍は耐えるより他にない有り様。

トゥアレグ族に押されまくるマリ政府軍は、中央政府に弾薬や武器の拡充を求めるも、中央政府は聞く耳を持たない。この仕打ちに怒りを爆発させたマリ政府軍は、その矛先をトゥアレグ族ではなく、親方であるはずの中央政府に突きつけた。

なんと独立を鎮めるはずだったマリ政府軍は、逆に大統領府を占拠してしまったのだ。反乱軍は「無能な政府」から権力を奪取したと宣言。この大混乱の中、トゥアレグ族は北部で独立を宣言し、独自の国家「アザワド」を樹立してしまうのである。



以後、トゥアレグ族による南下は続き、「砂漠の真珠」とも呼ばれるほど繁栄した都市・トンブクトゥまでをも支配下に収めるまでに迫っている。

一方のマリ政府では、大統領が辞任したことで、ひとまずの決着をみることになった。



◎天災と人災


大干ばつが民心を乱すのか、民心が乱れるから大干ばつが起こるのか?

何が原因か結果かも判然とせぬまま、罪のないはずのマリ国民は腹を空かせるばかり…。国にとどまることも叶わずに隣国へ流れた者は、流れた先で厄介者扱いされるばかり…。



そんなマリの広場にしゃがみ込む老人。

彼の前にはアバラ骨の浮いたヤギがうずくまっている。このヤギは老人にとって唯一にして最後の財産であるのだが、老人はこのヤギを売ろうとしているのだ。しかし、ガリガリになって死にかけたヤギを買う者などいるものか…。

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天を恨むのか、人を恨むのか?

マリを襲う天災も人災も、名もなき人々を苦しめるばかりである。



◎肥え太る先進国


先進国の子供たちが肥え太る一方で、慢性の栄養失調率が世界で最も高いと言われるチャドでは、0〜5歳児の4人に一人はまともな食を口にできずにいる。




先進国における無意味な食の浪費は、途上国における食料価格を無情にも引き上げる。その結果、ただでさえ十分に食糧が行き届かない途上国にあっては、それを奪い合うより他に道が残されぬことも…。



彼らが貧しさの中にとどまることを、彼らの責任にすることはできないだろう。

彼らが争うことでさえ、肥え太った人々が非難することはできるのだろうか? 余剰の中で生きている人々が、極限の状態に置かれた人々に何が言えるのか。



いったい、グローバル化というのは、強き者たちのために成されるものなのだろうか。生まれ落ちたその国が、先進国であることを素直に喜ぶべきなのか?

明日の食事のあてもない人々の目には、先進国の暮らしはどう写るのだろう? 我々は羨むべき対象なのか、それとも、憎々しい存在なのか…。



その真意は知らねども、豊かに肥えた人々が骨と皮だけになってしまった人々を押し潰してしまうのは、あまり美しい姿とは言えないだろう。もし、先進国の豊かさが世界を潰してしまうのならば、それは後世に誇れるようなことでもない。

しかし、悲しいかな、人は「ないもの」に耐えるよりも、「あるもの」を我慢する方が難しかったりもするのである。それほどお腹が空いていなくとも、目の前にケーキがあれば、ついついそれに手が伸びてしまうものなのだ…!







関連記事:
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支配層の都合により民族は分断され、「20世紀最大の大虐殺」は引き起こされた。美しき国「ルワンダ」。

一万年も続いているという「ハッザ族」の暮らしに見え隠れする、現代文明の欠陥とは…。



posted by 四代目 at 16:39| Comment(0) | 災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

「ウンコをしたら、ウンコを流そう」…奇跡の避難所より


「ウンコをしたら、ウンコを流そう」

これが「奇跡の避難所」とのちに呼ばれる明友館(宮城・石巻)の「たったーつのルール」だった。



「流す」といっても、簡単なことではない。

ボタン一つを押せば流れるわけではなく、「外から排水溝の上澄みをすくってきて流すしかない」。

なにせ、ここは大震災直後の被災地である。



狭い場所にギュウギュウに詰め込まれた避難所にあって、「細々しい決め事」が多ければ、逆にトラブルの元ともなりかねない。

それなら、「ウンコをしたら、ウンコを流そう」。

この最低限のルールだけ、守ってもらおうじゃないか、となったのだ。



狭い空間で「いびき」がうるさい奴がいても、諦めるしかない。

それなら、「笑って」諦めよう。

「おぉ、いびき横綱じゃん! うちの部屋にもいるよ、横綱。今晩、横綱同士で隣に並べて、いびき対決やらせっか?」



この明友館でリーダーシップを取っていた人物が、「千葉恵弘(やすひろ)」氏。

その軌跡は「笑う、避難所(集英社)」に詳しい。



彼は日本中、世界中を渡り歩いていたというが、なぜか、たまたま3.11の大震災の時には、地元(宮城・石巻)に帰っていた。

「まるで被災しに帰って来たようなものだった」

彼は「宿命」という言葉を使った。「逃げられないものだったんです」



「僕自身は、起きてしまったことを後悔したりとか、根拠もないポジティブな妄想を抱いたりっていう感覚は持っていないんです。

津波はなかったことにできないし…。

津波で妹を亡くしたけれど、大事なのは今生きている人間なんだと悲しみは捨てました。」



後悔しても妹は帰ってこない。

明日この町に何兆円というお金がきて、町が被災前に戻ったりもしない。



いま与えられている条件の中で、その問題と対峙するしかない。

「だから、自分たちの能力や現状のサイズに合わせて、もう知恵しぼって、間に合うことをやりましょう、ってことです」


笑う、避難所 石巻・明友館
136人の記録



「ウンコをしたら、ウンコを流そう」

これは明友館では具体的なルールだったわけだが、この言葉の示唆するところは実に奥深い。



現代社会から出る「ウンコ」は、いったい誰が流しているのか?

放射性廃棄物などの大きな問題から、台所から出る生ゴミまで、我々の「ウンコ」はそう簡単には流れていかない。

幾人も幾人もの手を経て、ときには国境を越えてまで流れていく。



自分のしたウンコは土に埋めてしまえば、それで終わるわけだが、現代社会のウンコはどこまで行くのか?

そして、それはちゃんと流れて終わってくれるのか?

異臭を放ったまま、多くの人々、時には後世の子供たちにまで害が及ぶことはないのだろうか?



千葉さんが肝に銘じていたのは、「変なルールはつくらない」ということだった。

たった一つの、そして最も大事なルール。それが守れたからこそ、その避難所は奇跡となったのだ。



我々の社会には「変なルール」ばかりが幅をきかせすぎて、最も大事なルールは疎かにされてしまっているのかもしれない。

それでも、「後悔しても始まらない」。

「いま自分が置かれている場所」で、「最大限に工夫する」だけである。ウンコがきれいに流れていくことを願いながら…。






関連記事:
怒れる市長が、津波の町を救う。福島県相馬市、復興への道。

震災後、わずか一ヶ月で海へ向かい、希望を届けた漁師達の物語。

大津波から村民を救った和村前村長の置き土産。大反対を受けてなお建造された巨大堤防。



出典:致知5月号
「奇跡の避難所はかくて生まれた」

posted by 四代目 at 15:35| Comment(0) | 災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月09日

水に飲まれた「タイ」。地盤は沈下し、海面は上がる未来。


いまだ大水の引かない「タイ」。

北部の町を飲み込みながら洪水は拡大し、ついには1,200万人が暮らすバンコク首都圏までをも射程距離内に収め、着々とその歩を進めつつある(2割が浸水)。

日本の首都・東京の人口が1,300万人強であることに思いを馳せれば、人口1,200万人に及ぶバンコク首都圏の規模の大きさがうかがい知れる。



人口が密集している首都圏を救わんと、インラック首相はバンコクへ至る水門を閉鎖し、北からの水を左右(東西)へと逃がした。

その甲斐あって、現在、中心部のショッピング街やホテル街、高級住宅地などには、まだ一滴の水も押し寄せてはいない。



しかし、水の逃げ道となった郊外はすっかり大水に飲み込まれてしまった。

「裕福な地域を守るために、郊外の貧しい地域が犠牲にされた」と人々が騒ぐのも不思議ではない。

もともと、この国は「赤シャツ」と「黄シャツ」の闘争に象徴されたように、階級闘争の絶えない国家である。

猛反発した一部の住民は、堤防を破壊するという暴挙にまで走っている。



モンスーンによりもたらされた豪雨は3ヶ月も降り続いている。

現在までに500人以上が犠牲となり、被害総額は170億ドル(1兆3,000億円)と予測されている。それに伴い、タイの中央銀行は経済成長予測を4.1%から2.6%に引き下げた。

タイは東南アジア第2位の経済規模。おもわぬ躓(つまづ)きである。

いつ水が引くとも知れず、不安な日々はまだしばらく続きそうである。



首元に匕首(あいくち)をつきつけられている首都・バンコクは、もともと「湿地」だったのだという。

湿地に造られたといえば、メキシコの首都・メキシコシティーも湖(テスココ湖)を埋め立てて造られた都市だったために、1985年の地震では大規模な液状化現象が引き起こされ、その被害は甚大となった。



バンコクは1970年代、1年で10cmずつ「地盤が低下した」との報告もある。

地盤沈下の原因は、地下水の過度な汲み上げにあったようで、政府がそれを規制して以来、地盤沈下のペースは近年、年間1cm未満にまで減少していた。

しかし、悲観的な報告によれば、毎年2〜3cmは沈んでいるともいう。



一度沈下した地盤が再び上昇することは考えられない。

さらに悪いことには、今後、温暖化による「海水面の上昇」も懸念されている。

地盤は沈み、海面は上がる。2050年までにバンコクの洪水リスクは4倍に跳ね上がるという予測まである。



水に対する弱点を元々持っていたバンコクは、決して無策ではなかった。

運河を開削し、水門を造り、排水施設を整備した。

しかし、今回ほどの大洪水を防ぎ切るには十分ではなかった。

水門を閉めたはいいが、水の逃げ道は十分に確保されず、結果として郊外の人々を犠牲にしてしまったのだ。



先の選挙で政権を握ったばかりの女性首相・インラック氏にとって、この大洪水は強烈な洗礼となった。

思えば、日本でも政権交代が起こった脆弱な政治基盤に、容赦なく大地震と大津波が襲ってきた。

水の害は人心の不安定さと何らかの関わりがあるのだろうか?



今回のバンコクで明らかとなった地盤沈下と海水面の上昇は、バンコクと限らず、万国的な懸念でもある。

急激な「都市化」が都市の地盤を脆弱なままに開発され、急激な「工業化」による温暖化が海水面を上昇させる危険性を高めた。



急ぎに急いだ末のこうしたヒズミが、大災害のたびに明らかにされてゆく。

我々の築いてきた文明の基盤は、想像以上に脆(もろ)いものなのかもしれない。



最近欧米などで盛んに行われている天然ガスの採掘方法に「水圧破砕法(フラッキング)」というものがあるのを思い出した。

地下深くに高圧液体を注入し、地下の岩盤(シェール層)を破壊することにより、天然ガス(シェールガス)を採掘するという新手法である。



一週間ほど前、この破壊的な採掘方法により、イギリスで地震が起きたというニュースがあった。

何かと問題の多い採掘方法なだけに、ニューヨーク州では一時凍結されたこともある。

岩盤の破壊もさることながら、地下水の汚染も報告されており、クリーンなエネルギーと銘打ちながらも訴訟の絶えない現実がある。地下水に溶け込んだガスにより、水道の水に火がつくこともあるという。



我々の文明の価値観はどこかズレているのだろうか?

もしくは、わざわざズラしているのだろうか?



天災と人災の境は不明瞭な点も多いが、我々の文明が天災の被害を拡大させてしまっているケースが無きにしも非ず。

一次災害はやむなしとしても、二次災害、三次災害はどうだろう。

二次、三次を防ぐことこそ、人類の腕の見せ所のはずが、逆にそれらを助長してしまっているところもある。

液状化はなぜ起きるのか? 地盤沈下は?



平穏な世界では気づかぬことも、災害を受けて気づくこともある。

災害の被害は恐ろしいものであるが、己の無明を気づかせてくれるという利得もある。

バンコクの水害は、遠い話の出来事ではない。



思えば、河川の氾濫は短期的な被害は与えるものの、長期的には河口地帯を肥沃にするものであった。

山々の森で育まれた豊潤な栄養分が、水の流れとともに河口付近に贈り届けられるためである。

「エジプトはナイルの賜物」と言われたように、巨大河川であるナイル川の氾濫は、エジプトの土地に栄養を与え続け、当時一級の大文明地へと導いた。



しかし、近現代の河口付近は都市化により大地がコンクリートとアスファルトで丁寧に埋め尽くされ、とてもではないが、山々の贈り物を受け取れるような環境にはない。

むしろ、水害は迷惑千万。百害あって一利なし。

水害が来れば都市が破壊されるだけという損な取引になっている。



先進国の人々にとって、耕作地はいかなる意味を持っているのだろう?

耕作地を意識せずとも、食料はほぼ自動的に供給される。自ら食料を生産しようとは夢にも思わない。



しかし、耕作の現場は今もってある意味「原始的」である。古来通り、太陽と水、そして大地の栄養分が必須なのである。

機械化や農薬・化学肥料の発展は、おおよそ表面的な事柄であり、根本的な部分においては「お天道さま任せ」。

森で育まれた養分が、平地へともたらされるのは欠くことのできない恵みなのである。



河口付近の都市化というのは、最も肥沃な大地にて耕作を放棄したことにつながる。

日本列島最大の平野である関東平野は、かつて日本中で最も肥沃な大地の一つであった。



しかし、恵まれた水運は流通の拠点とされ、耕作よりも都市化が優先された訳である。

だが、この水運は諸刃の剣。水あるところに水害ありである。必要な物資だけをもたらすだけではなく、招かれざる客もやって来る。



東京もそうであり、バンコクもそうである。

都市化が急速に進んだ結果、こうした都市は巨大な人口を抱えることにもなった。

ここがジレンマである。密集しすぎて災害に対しては極めて脆弱となってしまったのである。

リスク回避の基本は「分散」。ところが…。

人智によって策は巡らすものの、その策は天意に抗えるものではない。



我々は後戻りできないところにいる。

人口が増えるほどに食料は必要になるが、耕作に適した土地ほど、人が住みたがる。

つまり、人口が増えるほどに耕作適地が減るのである。しかも、住み易い土地ほど肥沃であり、森の恵みの受け皿だったのである。



年々、自然災害による被害が拡大することは、ゆえなきことではないだろう。

自然を遠ざけすぎてしまったのではなかろうか。



自然は柔らかであるがゆえに、天災の衝撃をも緩和する余裕を持つ。

反面、我々の文明はどうにも固すぎるようである。天災の衝撃はアッチコッチに跳ね返りまくっている。



自然とともに生きるとは、どういうことなのだろう?

後戻りのできない我々は、もはや自然には還れない。

今の延長線上にこそ、活路を見出さなければならないのだ。




「タイ」関連記事:
タイと日本の不思議な共通項。今後ともに期待される両国の関係。

タイ米は炊き方、調理法で、日本米を軽々と超えてしまう。

「シェールガス」関連記事:
「火のつく水」は、シェールガス汚染の象徴。アメリカの飲料水を汚染する資源開発。




posted by 四代目 at 19:34| Comment(0) | 災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする