2011年09月24日

独裁者・李承晩により「竹島」が韓国領とされた歴史を振り返る。


「竹島がどこにあるかご存知だろうか?」

ちなみに、「竹島」とは韓国と「領土問題(韓国名:独島)」がある島である(日本では「島根県」)。

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「竹島」の位置を地図上で示してもらったところ、ある有名大学では正答率がわずか「37.3%」であったという。

「北方領土」や「尖閣諸島」と違い、「竹島問題」は日本国民の関心が薄いことは否めない。



現在の「竹島」はどうなっているのか?

「韓国」が武力により実効支配している状態であり、日本は遠くから「抗議」するばかりである。韓国はこの島に「領土問題」があることすら認めてはいない。

「竹島(独島)」には、韓国国家警察官(軍に準ずる装備を持つ)が40名、灯台管理人3名が「常駐」。とりわけ日本側からの船等の接近には「厳重に警戒」している(1991年より韓国人夫婦が居住を開始)。

島には、船舶の接岸場(1997)・灯台(1998)・ヘリポート・レーダー等が完備され、「要塞化」している。



韓国側が自領であると主張する最大の根拠の大元は、「李承晩ライン(1952)」にある。

このラインに従えば、「竹島(独島)」は韓国領ということになる。

しかし、ここで注意を要するのは、「李承晩ライン」が韓国政府の「独断による一方的な決定」であるという点である(国際法を無視)。

ちなみに、このラインに従えば「対馬」ですら韓国領ということになる。



当時の時代背景を理解するには、このラインを設定した「李承晩」という人物を知らなければならない。

彼の生きた時代は、現在からは想像もできないほどに「激動の時代」であった。

「日露戦争(1904)」、「韓国併合(1910)」、「第二次世界大戦」、「朝鮮戦争(1950)」などなど、これら全ては彼の存命中の出来事である。

彼は時代の生んだ「好戦的な独裁者」であった。その苛烈な性格は、35年間に及んだ「日本支配に対する反発」により醸成されたといっても過言ではなかろう。



李承晩は1911年、「寺内正毅(朝鮮総督)」暗殺未遂で投獄され、その後アメリカへ逃亡(36歳)。1913年、上海で結成された臨時政府の大統領になり(38歳)、朝鮮独立を旗頭に活動を展開。

1948年、反共の旗印の元、アメリカの支持を得て初代大統領に就任(73歳)。しかし、「アメリカの傀儡だ」と国民に猛反発を受け、朝鮮半島は大混乱。

とりわけ済州島での反発は凄まじく、島民の5人に一人にあたる6万人が虐殺される大惨事にまで発展した(済州島四・三事件)。この混乱の流れから、後の「北朝鮮」も生み出されることとなった。



1950年、「朝鮮戦争」が勃発(75歳)。

李承晩率いる韓国軍は、モロモロと総崩れ。半島の突端まで追い込まれる。

この戦での彼の評判は芳しくない。「勝ち戦にあっては誰よりも目立とうとし、負け戦にあっては誰よりも早く逃げ出した。」



1953年、アメリカの関与により南北は「休戦」(78歳)。

しかし、李承晩は「休戦は国家的死刑だ」と猛反発。徹底した北進を主張し続け、結局、彼は死ぬまで署名を拒否し続けた。

そんな頑(かたく)なな李承晩にアメリカもホトホト困り果て、「アメリカ大統領も彼とは太刀打ちできない」という状態だったという(この頃には、アメリカで李承晩の言葉に耳を貸すものはいなくなっていた)。



老いて増々盛ん、李承晩の独裁は勢いを増し続ける。

大統領の任期が切れても、憲法を改憲しながら大統領の座に居座り続けた。

議会で否決された改憲案も「強引に可決」にした(1票足りなかったところ、四捨五入という詭弁により可決にした。俗に言う「四捨五入改憲」1954)。

1958年の大統領選挙(83歳)では、自身の当選が不可能と判断するや、対立候補の゙奉岩(チョ・ボンアム)を処刑(進歩党事件)。



さすがに李承晩はヤリ過ぎた。

不正選挙を糾弾する「デモ」が激化。デモに参加した高校性が催涙弾により死亡するや、デモは韓国中に飛び火した。

ここに至り、頼みの綱であったアメリカが完全に李承晩を見限る。



それでも李承晩は「行政からは去るが、元首としては留まる」と宣言。

韓国の学生たちは発狂し、李承晩の銅像を引きずり下ろすわ、副大統領の邸宅を襲撃するわと蜂の子たちの騒ぎは過激さを増す一方。

粘りに粘った李承晩は、ここまで来てようやく「失脚」。

12年間に及ぶ長き独裁の終焉であった(85歳)。

そして5年後、亡命先のハワイで死去(90歳)



20世紀という時代は、数々の独裁者を生んだ。

フセイン(イラク)、ムバラク(エジプト)、カダフィ(リビア)、ベンアリ(チュニジア)、アサド(シリア)……。

李承晩も彼らに負けずとも劣らない立派な独裁者であった。



李承晩の手にかかれば、北朝鮮や沖縄でさえ「不法占拠」であり、ましてや「対馬」、「竹島(独島)」は当然自分のものである。

これが「李承晩ライン」である。



李承晩は反日により、自己を確立した人物である。

彼の時代に「日本の統治のほうが良かった」などと発言しようものなら、即投獄である。

親日派は政治犯なのであり、投獄・拷問・処刑は当然。李承晩が大統領になってわずか2年で、政治犯の投獄者は日本支配30年間の投獄者数を軽く上回ったという。

この悪しき名残りのため、現在においてすら政治家が親日を公言することは危険である。



1952年の「李承晩ライン」はそうした一連の反日の象徴でもある。

公海であろうが、日本の漁船は拿捕され、長期抑留の憂き目にあった。

「李承晩ライン」が廃止されるまでに、韓国に拿捕された日本の船舶数は300隻を超え、日本人抑留者は4,000人に迫る。44人の死傷者まで出た。



この「李承晩ライン」が廃止されるのは、李承晩の後を継いだ「朴正熙(パク・チョンヒ)」大統領の時代である。

李承晩の独裁時代に、韓国の経済は「壊滅」した。その立て直しを迫られた朴正熙大統領は、日本の協力(資本)を不可欠としたのである。

1965年、日本と協力関係を結ぶため、「日韓基本条約」が締結される。

ここに至り、「李承晩ライン」は廃止された。



ところが、なぜか「竹島」だけは韓国の軍事占拠が続いた。

日韓基本条約において、竹島問題は「紛争処理事項」と記された。

しかし、その後の韓国は「竹島に紛争はない」という日韓基本条約をホゴにしかねない立場を堅持し、一切の交渉に応じないのである。



日韓両国が「紛争」を認めない限り、国際司法裁判所は手出しができない。

日本は幾度も国際司法裁判所での問題解決を望んだが、韓国側は「紛争はない」の一点張りである。

韓国にとっては、竹島の領土問題は日本の作り出した空想であり、問題視すること自体がおかしいとなる。



こうなると、もはや論じることすらできない。

しかし、李承晩という人物がその発端となっていることは、日本人として知っておいた方がよい事実であろう。

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現在、日本人は韓国人に対して「おおむね好意的」である。

中国人を好感する日本人が少ないのとは対照的である。

それもこれも、韓流スターやドラマなどの影響が大きいものと思われている。



国家間の政治的感情は、文化面とは一線を画している。

両国に負の歴史があろうがなかろうが、文化は別次元で浸透していく。

そして、それらが新たな国民感情を醸成する。



歴史は「将来」を損ねるためにあるのではなかろう。

たとえ負の歴史とはいえ、「将来」にとっては益となって欲しいものである。



画像:白熱教室JAPAN
慶応義塾大学 第2回「日中・日韓関係を考える」


posted by 四代目 at 09:13| Comment(0) | 領土問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

北方領土はどこへ行く?ロシアと日本の深い因縁。

第二次世界大戦後、「ロシアに拿捕された日本の漁船は1330隻以上、乗組員は1万人近い」。

北海道と「北方領土」に挟まれた海域(根室海峡)での話である。

「銃撃により、命を落とした者も30人以上いる。しかも、船は返還されず、漁民を解放してもらうには法外な保釈金を要求される。」



日本とロシアは、北方領土の帰属を巡って長年争ってきたが、北方四島を実際に支配しているのは紛れもなく「ロシア」である。

日本側の姿勢は一貫して「遠慮ぎみ」であり、1997年まで、海上自衛隊は根室海峡を航行したことすらなかった(自国の領海にもかかわらず)。



日本もロシアも「領海」は12海里である。ところが、幅が24海里未満の根室海峡では、両者の領海が重なる。

そのため、重なった部分の中間線が国境とされている。日本はこの中間線を公式には認めていないとはいえ、実際問題、この中間線を越えてしまうと、日本の漁船はロシアに拿捕される。

ロシアによる拿捕を恐れる北海道は「道の条例」により、「中間線のラインの内側に漁業規制ラインを引き、ロシア側への漁船の立ち入りを自主規制している」。

もし、日本の漁船がロシアに拿捕されそうになっているのを見つけても、日本の巡視船は「漁船とロシアの警備艇の間に割り込み、その間に漁船を逃がす程度の対応しかできない」という。



日本の政権の弱体化につれて、また北方が騒がしくなっている。

ロシアの大統領(メドベージェフ)、副大統領(セルゲイ・イワノフ)等が相次いで北方領土を訪問し、軍備の増強、経済開発を指示している(ロシア大統領による訪問は戦後初)。

さらには、今月9日、ロシアの軍艦が宗谷海峡(北海道と樺太の間)を傲然と通過していった(過去最大規模)。



日本には、外国船が自由に航行できる海域が5つある。

上述の宗谷海峡(樺太と北海道の間)、津軽海峡(北海道と青森の間)、対馬海峡東水道・西水道(九州上部)、大隅海峡(九州下部)の5ヵ所である。

これら5つの海峡の幅は狭く、国際法上はすべて日本の領海である。しかし、そこをあえて「特定海域」と指定し、外国の船が自由に航行できるようにしてあるのである。

国の領海と認められるのは「12海里」。ところが、この特定海域に関してはその4分の1である「3海里」を日本の領海としている。これは、他国の便宜をはかるための日本の親切である(実際は、核兵器を搭載した艦船を通すためだとも言われる。ここを領海にしてしまうと、核搭載の船は非核三原則に抵触するのである)。

こうした措置は1977年に「当分の間」とされたものの、現在も「当分の間」は続いている。



国連海洋法条約に従えば、これら5つの海域に対して日本は「規制」を設けることが許されている。たとえば、「無害でない通航」に対する取り締まりなどである。

しかし、日本には「無害でない通航」を取り締まる法律がない。そのため、海上保安庁は「有害かもしれない通航」でさえ、ただ見守るより他にない。

ロシアの軍艦が通ろうが、原子力潜水艦が通過しようが為す術はないのである。現状として、アメリカ、ロシア、そして中国の艦船および原子力潜水艦までが自由航行できるのである(実際にそうしている)。

たとえるなら、自分の庭先を、近道だからといって、ライフルをぶらさげた軍人がゾロゾロと通過しているようなものである。

日本はあまりにも心が広い。



北方領土に話を戻すと、北方四島は日本の領土と考える方が実に自然で収まりがよい。史実を顧みるほどにそうである。普通の頭で考えれば、北方四島のみならず、「南樺太」でさえ日本の領土である。

しかし、そんな正論が通用するわけはない。世界は原始的な状態に置かれたままであり、外交といえば未だに「力(ちから)の世界」なのである。どんなに清廉潔白な紳士であれ、ヤクザには逆らえない。



日本とロシアが初めて条約を結んだのは、江戸時代末期の1855年である。この時点では、北方四島を日本領としてロシアが認めている。

1875年には、北方四島のみならず、さらに北方へと小島が続く「千島列島」までもが日本の領土となった(樺太と交換)。

さらに日露戦争を勝利した日本は、1905年、「南樺太」をも日本領に組み入れる。

第二次世界大戦前のこの状態が、北方における日本の最大領土である。北方四島はもちろん、千島列島、南樺太までが日本の領土だったのである。

ここまでは実にスッキリしている。



グチャグチャになったのは、戦後のゴタゴタである。

まず、ソ連が「日ソ中立条約」を8ヶ月前倒しで破って、日本に攻めこんだ。

日本が降伏を認めるポツダム宣言を受諾(8月15日)した後も、ソ連は日本を攻め続け南樺太を占領(8月25日)。さらには千島列島と北方四島のうちの三島(択捉・国後・色丹)までをも占領(9月1日)。

北方で戦闘が続く中、日本はポツダム宣言の降伏文書に署名(9月2日)。もちろん、ソ連も署名。しかし、それでもソ連は戦闘をやめず、北方四島の最後の島(歯舞)までソ連が占領する(9月5日)。

そして現在、両国の実質的な国境は、このときにソ連が占領したままとなっているのである。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」といった状態は今なお続いている。



思えば、真珠湾を攻撃した日本海軍の出撃地は、ほかならぬこの北方四島、択捉島であった。「空母6隻を含む30隻の艦船と380機の航空機」が、無線を封止して粛々とアメリカを目指したのである。

アメリカとの戦争の口火を切ったのが北方四島であり、そして最後まで戦ったのも北方四島であった。

なんと深い因縁がこの島々にはあるのだろう。



ロシアにも識者がいないわけではない。

「ロシア人の広大な領土を(ソ連崩壊時に)ウクライナやカザフスタンに惜しげもなく譲渡する一方で、日本に小さな領土を返還することを拒んでいる」(ノーベル文学賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン)

彼の言うとおり、「第二次世界大戦以前、北方四島がロシアに帰属していたことは一度もない」のである。



ロシアが「小さな領土」に固執するのには理由がある。

ここさえ抑えておけば、アメリカ軍をオホーツク海から締め出すことが可能である。しかし、もしここを失えば、アメリカ軍が自由にオホーツク海に出入りできることとなる。

千島列島とならんで、北方四島はロシアにとって「堤防」のような役割を果たしている。その堤防の中でも北方四島の海域は冬でも通過できる「凍らない海峡」として貴重な海域なのである(この点、かつてウラジオストクが「凍らない港」として珍重されたのと同じ理由である)。

ロシアは北方四島の中でも、国後・択捉を最重視しており、四島返還には応じられないが、ニ島返還(国後・択捉を除く)には応じるという姿勢を見せたことが幾度かあった。

国後・択捉を保持することは、それに付随する海峡の通航を独占できるためである。



理は通らないとはいえ、ロシアの北方四島支配は65年以上に及んでいる。

ロシア人たちは北方四島で世代を重ね、かたや、かつて北方四島で暮らしていた日本人は高齢化し、その記憶は薄れゆくばかりである。

北方でロシアが動くと、日本の政府高官は「容認できない」という発言を繰り返し、ロシアに「懸念を伝える」のみである。

日本が空回りしている間にも、ロシアは着実にその根を深いものとしていっている。




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posted by 四代目 at 06:43| Comment(2) | 領土問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

足るを知らない中国、日本の土地をバクバク喰らう。



「中国大使館が麻布の一等地1700坪を落札」

本来、「外国の政府が日本国内で土地を取得するには、財務大臣の許可がいる」。

ところが、「中国は例外」なのだそうだ。



じつは、中国のほか「例外」は174ヵ国ある。これでは例外でないほうが例外である。

「例外項目を設けたのは1954年」、GHQ全盛時代である。つまり外国(アメリカ)が、例外を設けたのである。

例外国家は、金さえあれば日本の土地を好きなだけ買うことができることになる。

一方、中国国内では、外国人の土地の所有が認められない。中国国内の日本大使館は「土地を借りている」にすぎない。



「中国の政府系ファンドCICは世界中で土地を買っており、特にアフリカはほどんど中国大陸になりつつある」。

そんな欲張り屋さんの中国にとって、日本の「森林資源」「水資源」はたいそう魅力的だという。

実際に、北海道のニセコの土地は、中国人が大きな面積を所有し、「水源」をもすでに買い取っている。

今度は、震災のドタバタに乗じて、中国が東北を狙っているのではとの憶測もある。

日本には、外国人の土地購入を阻止できる「外国人土地法(1925年)」が存在するというが、「日本政府はこれを一度も使ったことがない」そうだ。



日本を取り巻く中国、ロシア、韓国は、それぞれ「尖閣諸島」、「北方領土」、「竹島」の領有問題を再燃させてきている。

その対応に、日本政府はテンヤワンヤ。議論は堂々巡り。

派手な外側に気をとられている間に、静かに内側を食い荒らされようとしていたことに気づかなかった。

「虚にして実、実にして虚」。虚に惑わされず、諸外国の真意(実)を見抜かなければならない。



江戸時代、最末期、日本が諸外国に食い荒らされる様を、のうのうと眺めていた徳川幕府は、明治の志士たちに懲らしめられた。

現代においても、諸外国は善人ばかりではない。

他国が干渉してくるときは、そこに何らかの権益が存在するからである。

日本の隣りには中国という、世界一お金持ちの「大食漢」がヨダレを垂らしている。

のうのうとしている場合ではない。



posted by 四代目 at 11:45| Comment(0) | 領土問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする