不知火の海は美しい。
まさか、この海がかつて「水俣病」を引き起こしたなどとは、にわかには信じ難い。
不知火海に、工場排水を垂れ流したという化学メーカー「チッソ」。
その排水中の有機水銀が魚などに蓄積し、それを食べた人が中毒を起こした。それが「公害の原点」ともいわれる水俣病の起こりである。
時は、戦後日本が高度成長を始めたまさにその時期。不幸にも水俣病を患った人々は、経済成長一辺倒の「犠牲者」でもあったのだ…。
◎患者と被害者
世界的にも「Minamata(ミナマタ)」として知られるこの病は、半世紀以上がたった今なお、未解決の問題である。
水俣病が公式確認されたのは1956年。それから公式認定されるまでに12年を要した(1968)。この年になってようやく、チッソ水俣工場は有機水銀を川に流すのをやめた。
被害者への本格的な補償が始まったは、公式認定からさらに6年後の1974年。
しかしながら、この時に国が定めた認定基準は、被害者らを大いに怒らせた。認定から漏れる人が相次いだため、救済を求める裁判が各地で巻き起こったのだ。
水俣病の「患者」と認定された人々に対しては、原因企業であるチッソから1,000〜1,800万円の補償金が支払われたのだが、認定されたのはわずか3,000人。国の基準による患者認定から漏れた数万人の人々は「被害者」として扱われ、補償金の対象とはされなかった。
怒れる「被害者」たちの混乱を収めようと、国は1995年、一度目の解決策を提示する。およそ260万円の一時金を国が支払うことにしたのである(認定者数およそ1万1,000人)。
しかしそれでも、憤懣は収まらない。そして2009年、国は二度目の解決策である「特別措置法」を成立させる。この時の一時金は210万円ほどであった(認定者数およそ6万5,000人)。
「このように、水俣病の歴史は、患者の認定をめぐって紛争が起きるたびに、国が政治解決策を打ち出し、また紛争が起きる。その繰り返しでした(NHK時論公論)」
国の認定基準の問題点の一つは、「患者」と「被害者」を分けてきたことにある。
「患者」として認定されるには、「感覚障害や運動失調、視野狭窄など『複数の症状の組み合わせ』」が条件とされている。そのため、たとえば感覚障害だけの人は、患者ではなく「被害者」とされてきたのである。
「症状があるのに、なぜ患者として認めないのか? 水俣病でなければ何の病気なのか?」
そうした不満を胸に大いに燻らせたまま、被害者たちは半世紀以上にわたる戦いを続けてきたのである。
◎二重基準
さて今回、福岡高裁と大阪高裁において、2件の判決が下された。
福岡高裁は「国の基準だけでは不十分」として、国の基準からは認められなかった熊本の女性を水俣病患者として認定した。
一方、国の基準を順守した大阪高裁は、大阪の女性を患者とは認めなかった。そのため、最高裁から心理のやり直しを命ぜられた。
ここに明らかにされたのは、「行政と司法のダブル・スタンダード(二重基準)」である。
行政は「複数症状の組み合わせ」を患者の認定基準としているが、司法の方は「症状の組み合わせがない場合でも、水俣病として認定する余地はある」と、これら2件の裁判を通して言っている。
行政(国)と司法(裁判所)は、まったくの平行線をたどっているのである。
はたして、認定基準は何のためにあったのか?
「患者を切り捨てるためか」、それとも「患者を救済するためか」。
何のために裁判を行うのか。それは人を苦しめるためか、それとも楽にするためか?
いずれにせよ、今回争われた2人の被害者は、すでにこの世にはない…。
憤懣やるかたない遺族らが、無念を胸に戦っているのである。
「土下座しろ!」といった苛烈な声が上がるのも、無理はない…。
◎心
水俣の地域の人々の想いは、ずっと複雑だ。
たとえ大問題を起こしたとはいえ、地元の「チッソ」は大切な企業。
「チッソが潰れると困るから、このまま放おっておいてくれ…!」
そんな声も少なくない。また、偏見や差別を心配して、手を挙げられない被害者もいる。
そもそも、これまで被害の全容は一度も調べられていない。全域の住民に対して、健康調査も行われていない。
「何が水俣病かという根本も、十分に明らかになっていないのです(NHK時論公論)」
病気や障害を背負ってしまった人々…。
差別や偏見にさらされた人々…。
「補償金を受け取っただけで、本当の幸せにつながるのでしょうか?」
不知火の海は、何を想う…。
(了)
出典:NHK時論公論
「問い直される責任 水俣病最高裁判決」