2012年02月23日

「種をまく」とはどういうことか? 人類が大地に種をまいた時。

「餓死(うえじに)するか、盗人(ぬすびと)になるか?」

雨降る羅生門のもとで、下人はそう思い悩み、なかなかその答えを見い出せずにいた。

その答えを与えてくれたのは、羅生門の上で死人(しびと)の髪の毛を抜いていた老婆。その老婆とのすったもんだのやり取りの末…、下人は「盗人(ぬすびと)」となることに迷いがなくなる(芥川龍之介・羅生門)。




先進国に普通に生きる我々にとって、「餓死(うえじに)」という言葉は、どこか遠い世界の出来事のようにも思われる。しかし、人類の歴史を概観すれば、人間という種は常にその危険に晒され続けてきたことが、明らかに判る。

「種をまく」という行為は、人間たちが編み出した「生きる」ための術(すべ)である。「種をまけば、食物ができる」という原理は、恐ろしく単純なことでありながら、人類がそれを始めるのは、意外なほど遅い。

それは、この単純な原理に気づかなかったというよりかは、わざわざ種などまかずとも、そこかしこに食物となるものが豊富に存在していたからかもしれない。



そのことを裏付けるように、「農耕」の始まった地域というのは、ある種の「ストレス」に晒された地域なのだという。そのストレスの一つには、「寒さ」がある。農耕の起源とされる中東地域や揚子江(中国)一帯は、人間たちが何もせずとも快適に暮らせた北限の地域でもあった。

これら北限の地域は、1万5,000年前頃から暖かくなり始めた。それは、長らく続いた寒い寒い氷期が終わりを迎えたからである。ヌクヌクとした暖気に気を許した人類たちは、北へ北へと歩を進めていくことになる。



ところが、突然の猛烈な寒気は、その3,000年後にやって来た(ヤンガードリアス寒冷期)。

すっかり北上していた人類は、大いに慌てたであろう。そして、多くが凍死・餓死したことでもあろう。一瞬で凍りついたマンモスが出土するのも、この時代のものが多い。




「種をまく」という必要性は、こうした自然環境の厳しさから生まれたものだとされている(ストレス説)。中東地域では「麦」、揚子江(中国)地帯では「稲」が、それぞれ栽培を開始されることになる。

ごく初期の麦や稲は、現代の我々が知るものとは大きく異なる。その最も大きな違いは、「脱粒性」である(脱粒というのは、実った穂から種子(麦・米)が自然に落ちること)。昔々の麦は極めて脱粒しやすく、風が吹くだけで種子が飛び散ってしまった。あたかも、タンポポの種が風で舞い散るように。

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これでは、まとまった収穫がおぼつかない。種子が落ちにくい品種を、人類は長い年月をかけて選抜していく必要があった。

※ご存知の通り、現在の稲などは、思いっきり引っ張っても、なかなか米粒を穂からむしりとることができないほどに、種が落ちにくくなっている。



また、「種をまく」という選択は、人間をしてその場に「定住」させることになった。そして、米麦をしても、穂の上にしがみつかせることを強要した。

狩猟採集の民は、アッチコッチと居を変えながら生活していたのであろう。そして、野生の頃の米麦も、自由にその種を散らしていたのである。

ところが、もはやそれらの自由は、「種をまく」という農耕がスタートするや、人間・米麦ともに許されることはなくなった。



定住という選択は、「逃げられない」という状況に人類を追い込みもした。是が非でも、自らの農地を守らなければならないからだ。敵が襲ってこようが、それを撃退し、自然環境が変動しようが、それを克服する必要も生まれた。

定住という選択は、「争い」を生み、そして「知恵」をも生むことになったのである。



狩猟採集というスタイルに比べると、農耕というスタイルは、現代の「工業的な発想」に近い。

単位面積当たり、いかに収量を増やすか。そして、いかに毎年の収穫を安定してものとするか、という発想であり、風まかせ、自然まかせの狩猟採集スタイルとは、大きく異なる発想である。



この点でも、人類は自らを追い込んでしまったとも言える。

農耕による安定収穫は、人口増をもたらし、そして、その人口増が、毎年の確実な収穫を強要することになったのであるから。




昨年、ロシアは「小麦」の輸出を禁止した。それは、猛暑による干ばつによる大凶作が原因であった。ロシアは世界第3位の小麦輸出国。この小麦大国が輸出を禁止したという異例の事態は、世界中を大きく揺るがすことにもなった。

世界中の小麦が不足したことにより、その価格は暴騰。折しも世界は金融危機(2008)から立ち直らんとして、必要以上の量の紙幣を発行していただけに、そのことが余計にインフレの火を煽る結果ともなった。

食料価格高騰に泣いたのは、貧しい国の人々だった。前の日に10円だったパンは、次の日には100円になり、その次の日は、もうお金を出しても買えないという惨憺たる状況だ。昨年、中東地域では「アラブの春」という民衆革命が巻き起こったが、こうした食糧不足がその大きな一因となったと主張する人々も少なくない。

多少の圧政には耐え忍べても、「餓死(うえじに)」が目の前をチラついたからには、「盗人(ぬすびと)」にもならざるを得ないであろう。



いまや、世界の人口は70億人を超えたのだという。昨年の例を見るまでもなく、その巨大な人口を食わせ続けるために、人類はたった一年とて食料生産の量を減らすわけにはいかない。むしろ、まだまだ増え続ける人口を養い続けるためには、さらなる増産をも必要とされているのである。

ここまで追い込まれている我々は、一度初心に帰る必要もある。「土がなければ生きられない」ということは、土から離れすぎた人々の忘れがちなことでもある。

そして、土があっても「水がなければ、種は芽を出さない」。



工業的な発想の農業は、時として不可分であるはずの「土と水」を切り離してしまうことも少なくない。

いわゆる灌漑農業というのは、水を撒かなければ作物が育たない環境でも農耕を可能にしたわけだが、それは、人間が水を与え続けなければ持続不可能なスタイルでもある。

昨年のロシアやオーストラリアが干ばつでダメになったのは、工業スタイルの農業の粋(すい)でもある灌漑農業がその限界を超えてしまったからでもある。

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本来の水は、山から与えられるものである。河川の源流というのは山中にあるのが常で、巨大山嶺を「〜の屋根」と称するのは、その山脈が巨大な屋根のように、大量の雨水を集めてくれるからでもある。

ところが工業型農業は、生命の源泉である山々を軽んずる傾向がある。凸凹で斜度のある山々での生産は、まったくの非効率である。むしろ、それらを平らに切り崩してしまったほうが、よっぽど生産性が上がるのだ。



工業的な発想に従い、太古の人々も山の木々を斬り、平地を増やしながら、食料の生産性を増していった。

しかし、平らな土地が増えるほどに、十分な水が得られなくなるというジレンマにも陥る。なぜなら、水の源泉でもあった山々がすっかりハゲ頭になってしまっていたからだ。過去に文明が栄えた地域というのは、例外なく乾燥地帯と化してしまっているのは、じつに示唆的である。



地球の耕土に限りがある限り、無限の食料生産は夢物語である。

それは、無限の人口をこの星に養い切れないということでもある。

結局、我々はどこかで「手を打たなければならない」のだ。



パプアニューギニアのマルケ村の人々は、今なお昔ながらの農耕を続けているのだという。

そのスタイルは、工業型農業とは無縁の極めて生産性の低いものである。どこが畑かも分からぬほどであるが、よく見れば、サツマイモやジャガイモがテンでバラバラに植えられている。もちろん、わざわざ作物に水をやる必要もない。

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マルケ村の隣には、ポカリ村というのがあるが、この隣り合う両村間に「争い」が耐えることはない。お互いの農地を守るため、その境界線においては、死をも厭わないのである。

それでも、両村の人々は、お互いを全滅させるまで攻め立てることは決してしない。村の戦士たちは、戦い方を学ぶと同時に、「折り合いのつけ方」をも学ぶのだ。戦い続ければ、両者が滅ぶということが明白でもあるのだから。

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マルケ村とポカリ村の関係は、原始的でありながらも、先進的である。

土に種をまき、定住を選択した人類にとって、「争い」は不可避のものとなった。しかし、争ってばかりでは、お互いに繁栄することができなくなる。必ず、どこかで「手を打たなければならない」。

マルケ村とポカリ村は、争いながらも、お互いの利害をよく認識しているのでもある。



増えすぎた人類は、人類同士の争いに手を打つ必要があると同時に、自然環境との争いにも手を打つ必要がある。

いつまでも自然環境に敵対してばかりでは、いずれの「共倒れ」は明白である。



羅生門の悩める下人は、結局「盗人(ぬすびと)」になることを選択した。

その選択は、死人の髪の毛を抜く老婆の言葉が、背中を押したからでもある。



その老婆は、こう語った。

「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしようと思うたのじゃ。

なるほどな、死人(しびと)の髪の毛を抜くという事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。

わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。」



「されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。

これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。

じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする 事も大目に見てくれるであろ。」



この老婆の言葉を冷然と聞いていた下人は、「もう迷わなかった」。

老婆の着物を剥ぎとるや、一目散に「黒洞々(こくとうとう)たる夜」に駆け去っていった。



「下人の行方は誰も知らない」



そして、現代の人類の行方も「誰も知らない」。



はたして、我々の農業は「作物を育てている」のであろうか?

それとも、自然から「作物を盗んでいる」のであろうか?

その違いは不明瞭でありながらも、その結末は大きすぎるほどの違いを生むことにもなるであろう。




出典:NHKスペシャル ヒューマン
 なぜ人間になれたのか 第3集 大地に種をまいたとき


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2012年01月06日

世界一の棚田(中国)に残るアジア民族の壮健な心身。


中国にはトンでもない「棚田」がある。

世界の棚田をつぶさに見聞したフランス人学者・オーイェナー氏は、その壮大な棚田を目にして絶句してしまったという。

「ここの棚田に比べれば、他の棚田などは『小さな田んぼ』に過ぎない…。」

その群を抜くほど広大な棚田は…、中国雲南省(元陽県)にある「紅河ハニ棚田」と呼ばれる棚田である。

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現在、棚田として「世界遺産」に登録されているのは、フィリピン(コルディリェーラ山脈)の棚田(1995)がある。

しかし、ここ中国雲南省(元陽県)の「紅河ハニ棚田」は、そのフィリピンの棚田を面積・段数・斜度などのあらゆる面で凌駕している。



コルディリェーラ(フィリピン)の棚田の面積は2万ヘクタール。対する紅河ハニ棚田(中国)の面積は5.4万ヘクタール(2.7倍)。この広さは日本の大きめの県庁所在地ほどの規模である(神戸市・鹿児島市など)。

段数にいたっては、コルディリェーラが800段に対して、紅河ハニ棚田は何と3,000段以上(3.7倍)である。そのケタ違いの段数は、山の険しさをも物語っている(15〜75°)。



そして、両者の決定的な違いは「生きているかどうか」にある。

フィリピンの棚田は若者たち(イフガオ族)の耕作放棄の末に「崩壊寸前」であり、世界遺産であると同時に「危機遺産」にも登録されている。

ところが、紅河ハニ棚田は元気に「生きている」。「ハニ族」と呼ばれる民族が1,300年間にも渡って、栽培技術と棚田を保持・管理し続けているのだ。



「ハニ族」というのは、55ある中国の少数民族の一つであるが、「棚田づくり」と言えば「ハニ族」と即答されるほどに棚田に精通した民族である(約150万人)。

1950年代に行われた中国の「民族識別工作」は、この棚田の民をもってして「ハニ族」と識別したほどである。



元々は「四川省」の急峻な山岳地帯に暮らしていたという「ハニ族」であるが、追われ追われて、6世紀ごろに現在の雲南省元陽県に棚田をつくり、定住したようである。

ここ元陽県は、もはや「ベトナム」と言ったほうがしっくりくるほどに中国の南端の南端である。住む地をここまで移してきたというのは、そこにハニ族の苦難の歴史が隠されているからでもあろう。

ハニ族は中国国境をも越え、ベトナム、タイ、ラオス、ミャンマー(ビルマ)にまで拡散している。



現在の元陽県には7つの少数民族が暮らし、その半数以上(53%)が「ハニ族」である。そして彼らの9割以上(95%)が棚田の耕作に携わっている。

広大な棚田の9割近く(88%)は標高800m以上に位置し、高い所となると標高1800mを超える。



各所に点在する小さな村々が周辺の棚田を所有しており、たいていの村は棚田の最も高い場所に位置している。

村人たちはたいてい高い所と低い所の両方に農地を持ち、田んぼの遠近による不公平が出ないような仕組みになっている。

なんせ、一番下の田んぼから一番上の村まで、歩いて3時間以上もかかってしまうのである。元々が険しい山岳地帯であるため、車両や機械の入れる田んぼなどはほとんどないのである。



さて、それらの村の一つ、「大魚塘村」を見てみよう。

先祖代々この村に暮らす「盧(ろ)さん」は、全部で20アール(100m × 20m)ほどの棚田を耕作している。

稲穂が黄金色に実り、そろそろ収穫が待ち遠しくなる季節である。



さあ、「稲刈り」だとなると、親戚縁者、手伝いの村人たちが盧さんの家に集う。

集まった人々に「白酒(焼酎の一種)」が振舞われ、晴れの日の景気づけが行われる。

「稲刈りは重労働だから、酒で『力』をつけるんだ」と上機嫌の盧さん。



田んぼまでの道のりは延々一時間。

ようやく着いた田んぼには、意外にも「水」が張ったままだ(日本では稲刈りのだいぶ前に水を抜いてカラカラにしておく)。

紅河ハニ棚田では、稲刈りの当日以外、田んぼの水を抜くことがない。なぜなら、田んぼに「鯉」を飼っているためである。その鯉はコメの収穫とともに、食糧として捕獲されるのだ。

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稲を刈るのは「女性」の役目。そして、刈られた稲を脱穀する(稲から米粒を落とす)のが「男性」の役目。

ここのコメは板に叩きつけるだけで、米粒がポロポロと落ちる(日本のコメは櫛状のもので”すかなければ”、米粒は落ちない)。



脱穀されたおコメは、その場で袋に詰められる。さあ、これからが「白酒」でつけた力の見せ所。

一袋40kgを超える米袋は双肩にズシリと重い。キツイキツイ上り坂の始まりだ。頼れるのは当然自分の力のみ。機械などの入る余地は一切ない。一時間で下ってきたとはいえ、重い荷を背負った登りは、どれほど時間がかかるのか…。

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ハニ族の男たちのなんと壮健なことか。

稲刈りの期間中、毎日のようにこの米俵の運び上げがどこかしこで行われることになる。あっちを手伝い、こっちを手伝い…。

かつて、日本の米俵は60kgあった(今は半分の30kg)。

そして、それをヒョイヒョイと担ぎ上げていた日本人たちがいたのである。今の日本人では、60kgもの米俵を持てるのかどうかすら危うい。



ここに想うのは、稲作がどれほど人間の心身を鍛えてきたかということである。そして、効率化の名のもとに、確実に失われてしまったものがあるということである。

中国の故事に出てくるある老人は、井戸の底に降りて、甕(かめ)に水を汲んで畑に水をやっていた。それを見た子貢(孔子の弟子)は、「今は釣瓶(つるべ)という便利な機械がありますよ」と教えてあげた。

すると、老人はこう答える。「ワシもそれを知っている。ただ、恥じて使わぬだけじゃ。」



「機械ある者は、必ず機事あり。機事ある者は、必ず機心あり(荘子)」

この老人が機械を拒絶したのは、機械に囚われる心(機心)に頼ってしまうと、人の心は不安定になり、「道」が宿らなくなると考えていたからである。



機械が使いたくとも使えない紅河ハニ棚田は、ある意味「幸福」でもあったのか。機心が起こらないハニ族の人々は、重労働の果報を存分に享受しているようにも思える。

鍛え抜かれた心身は健全であり、親たちの重労働を知る子供たちは、コメ一粒に至るまで決して粗末にしようとはしない。

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我々日本人にも、そうした心は少なからず残っている。食物を前にすれば、自ずと「いただきます」と手を合わせ、コメ一粒も残さずに「ごちそうさま」と感謝する。

ハニ族は、かつて「和夷・和蛮」と呼ばれていたというが、ここにも奇妙な偶然が感じられる。彼らが食べるおコメも、珍しく日本と同じ「短粒種」でもある。



ただ、今の日本民族は精神的なコメ作りをすっかり忘却してしまっている。国民性に変化が現れることは必然である。それに対して、ハニ族のコメ作りは現在進行形であり、その精神は確実に世代を超えて継承され続けている。

それを想えば、機心に囚われ切った先進国の民族が弱体化することも、また必然なのであろう。「道」は宿る場所を選ぶのであろうから…。



「道」を行くハニ族は棚田を頑なに守りながら、民族としての「強さ」をも同時に育んでいるとも言える。棚田を作る彼らは、棚田によって「作られてもいた」のである。

効率化したと思っていた機械化稲作は、じつは非効率でもあった。「人間を作る」という意味では実に非効率だったのである。



さて、収穫したての新米は天日に干さなければならないが、収穫の祝いに少量の新米が混ぜて炊かれる。

そして、お祝いの炊きたてのおコメを真っ先に持っていく先は…、なんと「犬小屋」である。神聖なる新米を最初に口にするのは、他ならぬ御犬様なのだ。

ハニ族の伝承によれば、彼らに棚田の技術を伝えたのは「天女」であったという。しかし、その天女は天界の掟を破ってハニ族に米作りを伝えたために、「犬」に姿を変えられてしまったのだという。

それゆえに、ハニ族の人々は「犬」に感謝し、最初の新米を捧げるのである。



ハニ族の稲作は、収穫が終わって終わりではない。今度は棚田の補修が待っている。畦(あぜ)の草を全て削り取り、その上に新たな泥を塗り重ね、来年の畦(あぜ)を作るのだ。

この作業を手抜きすれば、棚田の崩壊はあっという間だ。崩壊寸前のフィリピンの棚田(コルディリェーラ)では、ミミズが繁殖しすぎて土手が流出してしまっているのだ。



ハニ族の規則正しい棚田を目にした人は、その美しさに声を失うことだろう。

そして、その一つ一つの小さな棚田すべてが、丁寧に丁寧に時間をかけて形作られていることを知れば、その美しさの秘密に再び声を失うはずである。

卓越した技術で補修された土手は、職人の左官が仕上げたかのように整然とした美に輝いている。

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ハニ族の棚田に本当に驚くのは、こうした美しさが地域全体を循環する生態系に基づいているということである。

村々が棚田の上に位置するのは、人々の生活ゴミや家畜の糞尿を下に流して、下の棚田に還元させるためである。そして、村の上には大木の茂る森が大切に保全されている。

「山が高けりゃ、水も高い」という言葉が伝わるが、この言葉は棚田に欠かせない水を山の上の森に蓄えておくべきことを諭している。

標高が高いこともあり、この地には霧が立ち込めやすい。そして、大きく両手を広げた森の木々は、その霧を再び山へと戻す役割をも果たす。

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下に流れた廃棄物は稲の栄養となり、再びコメとなって人の口に戻される。棚田が吐いた霧は森に受け止められて、再び清水となって棚田を潤す。

このように、ハニ族の棚田は持続可能性に満ちている。

そして、実際に1,300年もの長期間にわたり存続している。



「毎年毎年、重労働を繰り返すことに嫌にならないのか?」

この問いに、盧さんはこう答えていた。

「毎年毎年、同じことを繰り返すことにこそ『意味』があるんだよ。それこそが『歴史』じゃないか。」



ハニ族は文字を持たなかったものの、独自の言葉を持っていた。

現在では語られなくなったその言葉も、田植歌などの「歌」の中に残されている。

そうした歌に宿された「土地の響き」を耳にすると、中国という大国がいかに多様な人々によって成り立っているのかが窺い知れる。これは、ほぼ単一民族である日本とは決定的に異なるところでもある。



収穫されたおコメは「黄金」のように眩しい。

本当の金(Gold)は口にすることはできないが、おコメの黄金は民族の生命を直接育むことができる。

実際、アジア民族の多くは「稲作」を生命の拠り所としてきたのである。そして、それは日本も同様であり、その共通性が「共感」をも生むのであろう。

「紅河ハニ棚田」は歴史そのものであり、稲作によって形成された民族意識を思い起こさせてくれるものでもある。



しかし、工業化された農業にあっては、そうした共感はすでに過去の遺物である。

「機械・機事・機心」が激変させた稲作の形は、今後一味違った精神を育むことになるのかもしれない。

それでも、機械を使うから機心が生じてしまうわけでもないだろう。

何を用いるにしても、人の心はその「持ちよう」によって、いかなる形にもなるはずである。ハニ族の棚田を賞賛するのと同様の心で、機械化された稲作をも賞賛することができる。

我々は現在の文明を肯定した上に、新しい時代を築く必要があるように思う。



「この棚田をどう思うか?」

この問いに、盧さんの息子はこう答えた。

「いとおしく思う」

すべての作業を自らの手で行うハニ族の棚田。その美しさを支えているのは、彼らが棚田に感じている「いとおしさ」なのかもしれない。



アジア、日本、コメ…。

この地域は、確実につながっている。

アジアの民の力強さは、なんと心強いことだろう。欧米ほどには体格に恵まれてはいないかもしれないが、底堅さにおいては格段に優っているようにも思える。



ハニ族の棚田の堅強さは、将来への希望をも我々に与えてくれるものである。

来年(2013)、この地の棚田は世界遺産に登録される予定である。







関連記事:
神様のお米と日本人。その長い長い歴史に想う。

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600年の歴史を受け継ぐインカ帝国の「塩」。マラスの村の塩田風景より。



出典:世界一番紀行
「世界で一番大きな棚田」〜中国・雲南〜


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2011年12月19日

なぜそこまでして「種」を受け継いできたのか? 山形の伝統カブに想う。


「山ひとつ越えれば、違う『カブ』がある」

そう言われているのは、山形県北部の最上地方。ここには、家々によって代々受け継がれてきた個性豊かなカブたちが居並ぶ。

最上カブ、長尾カブ、西又カブ、肘折カブ…。



これらのカブを初めて目にした人は、決まってこう言う。

「これ、大根?」

カブらしい「赤色」を持つものの、その形は大根のように「ひょろ長い」。大根かと聞かれれば、土地の人は決まってこう答える。

「こいづは、”カブ”だべずー」



吉田ケサエさんの作る「吉田カブ」も、そうした伝承カブの一つである。

自分の畑で育てたカブから「種」を取り、そして、その種を翌年に植えては、また種を取る。

「吉田カブ」は数百年もの間、この作業が淡々と繰り返され、ケサエさんで6代目になるのだという。



翌年の種として選ばれるカブは、「美人さん」と呼ばれる。

良い赤色をして、スラッと白い足の伸びたカブが、吉田家の「美人さん」である。代々選び抜かれてきた「美人さん」のおかげで、「吉田カブ」は赤紫色が鮮やか、長さも長めなのがその特徴。



各農家がこうした栽培を伝統的に守っていることもあり、この地方(最上地方)では、「山ひとつ越えれば、違うカブがある」と言われるようになったのである。

しかし、近年の画一的、大量生産の農業のもとにあって、こうした伝承野菜は「先細り」を続けている。

一般的な商品野菜の栽培においては、自分で種を取るということは、まずしない。市場で決められた品種の「公認の種」を植えるのが普通である。



それゆえに、吉田家の吉田カブのような存在は、いまや大変に貴重な存在となっている。幸いにも、ケサエさんの娘・悦子さん(7代目)は、このカブを育てることに興味を持っている。

今年収穫された吉田カブは、およそ200本。その中から、今年の「美人さん」を選んだのは、娘の悦子さんだった。

選ばれた「美人さん」は畑の隅に植え直され、厳しく長い雪の下で、翌年の雪解けを待つ。次世代の種が実るのは、翌年の初夏である。

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ひょっとしたら、受け継ぐ人の感性によって、選ばれる「美人さん」は少しずつ変わってゆくのかもしれない。

そして、それが吉田カブに新しい個性を加えることにもなるのだろう。



毎年収穫される「種」は、全部蒔いてしまわずに、必ず少しずつ大切に保管される。万が一、種が絶えるようなことがないようにとの深慮からである。

脈々と植え継がれる種は、家の誇りでもある。仏壇の御膳には、新しく収穫された吉田カブが供えられることになる。

供えられたカブを見たご先祖様たちは、また今年もカブが実ったことを知り、安堵するのであろうか。

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「種は大事(だいず)だ。種は毎年(まいどし)取らねばダメだ」

そう言う黒坂トキ子さんの育てるカブは「石名坂カブ」。カブの先が「下膨れ」しており、漬けると辛味が出るのが、その特徴だ。



しかし、この石名坂カブの種を継ぐ人は、もういなくなる。

継承者を失ったカブは、永久にこの世から消えるより他にない。こうして、幾多のカブがこの地方から姿を消してきた。



ところが近年、こうした伝承野菜に少なからぬ注目が集まっている。

画一的な野菜がスーパーを埋め尽くしている反動であろうか?

ひょんなところから、石名坂カブの継承者は現れた。それは、地元の高校生たちであった。



トキ子さんに種を分けてもらった高校生たちは、見事に石名坂カブを育て上げた。

その成果を判じてもらおうと、高校生たちはトキ子さんに作品(カブ)を見てもらう。

すると…、「いい肌色だ。上手に育でだな〜」とトキ子さんも納得の出来だった。



トキ子さんは高校生たちに教え諭す。

「嫁もらう時、やっぱりかわいい人、きれいな人をもらうべ。

カブもそれとおんなじだ」

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「昔の野菜」には、それぞれの顔があり、それぞれの味があった。

それに対して、「今の野菜」は皆同じような顔をして、同じような味がする。



生物の基本的原理に従えば、種(しゅ)が「均質化」することは珍しいことである。

通常、種(しゅ)は多様化するものであり、そして、その中から環境に適したものが世代を次ぐと考えられる。



しかし、現代の野菜の選抜基準は「売れるかどうか」であり、「生命として存続できるかどうか」では決してない。

そのため、生命としては「弱い存在」の野菜も多く、その分、農薬や化学肥料の補助も必要とされるようになる。



また、種(しゅ)が似た系統に偏ってしまうことは、病気などが蔓延した際には、全滅の憂き目に遭うリスクも高くなる。

その悪例は「バナナ」である。

バナナは「挿し木」と呼ばれる手法で繁殖されるため、皆クローン(同一種)である。そのため、過去の歴史では、ある種のバナナがたった一つの病気のために、すべてのバナナが全滅したりもしている。

さらにバナナが不幸なのが、「種なし」の系統が主流であるため、種による進化が起こりにくいということにもある。



ちなみに、日本の桜「ソメイヨシノ」も皆クローン(同一種)である。

そのため、もし、対抗できない病気やウイルスに侵されてしまえば、すべての桜(ソメイヨシノ)が日本から消えてしまう危険性もある。



昔の農家が、それぞれの種を守り続けてきたのは、それなりの理由がある。

皆違う種を継承していれば、地域全体が全滅することを避けられる。多種多様な種の中には、極めて寒さに強いものや、病気知らずのものもいることが期待されるのだ。

しかし、この方法は現代社会では「非効率の極み」であり、商業的に農業を行う人々が目を向ける方法ではない。



山形という雪深い奥地には、幸いにもこうした伝承野菜が残されている。

しかし、その灯もいずれは消えてしまうのであろう。



今、我々が食している野菜たちが「姿を消す」ことなど想像もできない。

しかし、地球の長い歴史に目を向ければ、「想定外」の出来事がないと考える方が不自然である。



昔の人々は、我々が想像もできないような不作や飢餓を体験してきたのかもしれない。

なぜ、伝統野菜の種は、何年も何年も植えもぜずに大切に保管されてきたのか? そこには、想像を絶するほどの苦難を生き延びた人々の知恵が凝縮されているような気がする。

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現代文明に時おり想う。

あまりにも調子が良い。

しかし、我々の知恵は限定的でもあり、未熟な部分も多い。一世代で体験できることとなると、さらに限られており、もっと未熟である。



脈々と受け継がれてきたカブの種一つには、その種が生き抜いてきた知恵のすべてが詰まっている。

そして、その知恵は多くの窮した人々を救ってきたかもしれない。



「美人さん」は見た目が麗(うるわ)しいだけではない。

その内に眠る深い知恵が、外面に溢(あふ)れ出したものであろう。



そんな美しいカブを守る人々の心根もまた、美しい。

泥にまみれてなお、美しい。







出典:こんなステキなにっぽんが
「雪国彩る わが家のカブ」〜山形県最上地方〜


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2011年12月11日

韓国に増えつつある猛烈農家「強小農」。自由貿易ドンと来い!


韓国農家のケツに火がついた。

農業大国のアメリカとの自由貿易協定(FTA)が、催涙弾の煙に涙する中、強行採決されたのである(2011年11月22日)。



韓国はすでに多くの国々と自由貿易協定を締結済みである。

ASEAN、チリ、インド、ペルー、シンガポール、そしてEU(2011年7月発効)。



なぜに韓国は斯(か)くも積極的に「国を開く」のか?

それは、韓国の経済スタイルを見れば一目瞭然。この国のGDPの8割は「貿易」により弾き出されているのである。

すなわち、国を開けば開くほど「儲かる」仕組みが確立されているのである。



しかし、光あれば影あり。

その光が強ければ強いだけ、影となった闇は深い。

そして、その深い闇は「農家」の心をすっかりと覆い尽くしてしまっている。



たとえば、アンソン市という「ブドウ」の栽培が盛んな地域があった。

しかし、この地域のブドウ畑は、今や3分の1にまで激減。農家の6割以上が廃業に追い込まれた。

「値段が安すぎて、どうしようもなかった…」

チリとの自由貿易協定により、チリから大量に安価なブドウが韓国に押し寄せた結果だという。



韓国政府も無策ではない。

脆弱な農業を保護するために、ここ10年で1兆6,400億円もの予算を割り振ってきた。

しかし、農家の多くはその金をロクに受け取っていないという。



「規模の大きい農家だけが補助金をもらっている」

そう愚痴るのは、韓国に多いという小さな農家の爺さんたちだ。

「我々は呆れるくらいに、一番下に成り下がってしまった」



韓国の農家は、耕地が1ha未満という小規模農家が数多いのだという。

こうした干上がり易い小さな農家を、いかに保護していくのか?

これは韓国農業にとって、目下大きな課題である。



この難題解決のために「農村振興庁」の打つ手は、保護するという消極策よりは、むしろ海外に打って出るという積極策だ。

そのために掲げた目標は「強小農」。

「強く小さい農家」の育成である。



そのために立ち上げられたのが、「韓国ベンチャー農業大学」。

この大学で栽培技術を教えることはない。「経営戦術」を叩き込むのである。

毎年およそ100人の卒業生が誕生し、彼らは「強小農」として地域を牽引する役割を期待されている。



ある卒業生は、桔梗の根の加工販売により年収を7億円にまで押し上げた。

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ここに学ぶ農家の鼻息は、かなり荒い。

「農業界のアップル社となります!」

「5年以内に、1億円儲かる会社を作ります!」

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意気盛んな野望が、次から次へと飛び出してくる。



農業振興庁にあって強小農プロジェクトを牽引する「ミン・スンギュ」庁長は、未来の強小農を煽りに煽る。

「次の言葉を毎日繰り返して下さい。

『私は必ず、我が国で一番尊敬されるベンチャー農業企業の社長になります』」

どこかの成功哲学書さながらの勢いである。



この猛烈な勢いに押されて飛び出していった一人が、「キム・サムス」氏(44)。

彼は代々の米農家であったが、韓国のコメの消費は減り、米価は下がる一方。

しかし、成功哲学を習得してきたサムス氏にとって、こんな苦境は絶好のチャンスでもあった。



ここぞとばかりに、農地の拡大を図る。

韓国には「農地銀行」というのが存在し、その銀行が農地の売買を仲介してくれる。

どこの農地が売りに出ているのか、ネットで簡単に検索・閲覧でき、「買いたい時に使いたいだけ買える」と評判が良い。今まで3万ha以上を仲介してきた実績を誇る。

サムス氏は、この農地銀行をフル活用して、先祖伝来の2haの土地を、10倍以上の22haまでに拡大した。

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しかし、米価の下落は、土地の拡大ばかりでは太刀打ちできない。

そこでサムス氏は、「黒豆」への転作に踏み切る。黒豆であれば、コメの2〜3
倍の高単価が見込める。

「即行動」を良しとするサムス氏は、豆の収穫用の機械も持たぬままに、黒豆を植えてしまった。



このサムス氏の猛烈ぶりに、地域の農家は冷ややかな眼差しを向けていた。

なにせこの地域は、150年以上も続くコメの名産地。コメ以外の作物を見かけることすら稀な地域であった。

そのため、とりわけ保守的な気持ちが強い地域の一つでもあった。



それでも、サムス氏は一向に怯(ひる)む気配を見せない。

自信に満ちて、周辺農家をけしかける。やれ、コメはジリ貧だ、やれ、土地を増やせ、やれ、諦めるなだの、騒々しいこと限りない。

その結果いただいたのが、「噛みつきサムス」というアダ名であった。



その噛みつきサムス氏の黒豆が収穫期を迎える頃、彼は珍しく弱気になっていた。

収穫を明日明日と控えたにも関わらず、肝心の収穫機械が手元にないのだ。



何度も何度も農業技術センターに支援を要請するも、煙たがられるばかりでサッパリ話を聞いてもらえなかったのだ。

役所に噛みつき過ぎたサムス氏は、門前払いを食らうのが常となっていた。



自分で買うにも金がない。

彼が欲しい機械は1億ウォン(700万円)以上もするものであった。



窮するサムス氏。

周囲の眼はますます冷ややかになる。



隣の嫁さんの眼も厳しさを増す。

「豆なんか植えて、腰が痛くてしょうがないよ!

儲からなかったら、許さないからね!」

幼い子供はギャーギャーと泣き叫ぶ。



この地域の農家の人々も、高収益の豆の栽培を考えないこともなかった。

しかし、様々な壁が、その最初の一歩を多くの農家に踏みとどまらせていた。

高額な収穫機械、コメよりも増える労働量、さらには不作のときの補償すらなかったのである。

サムス氏は、とんでもない見切り発車をしてしまっていた。

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しかし、神はいた。

ギリギリの瀬戸際で、サムス氏に収穫機械を貸してくれるという農家が現れたのである。

その機械は、サムス氏の欲しかった乗用タイプの大型なものではなく、手押しタイプのとても小さなものだった。

それでも、サムス氏はその小さな機械を必死で押して、広大な豆畑を何往復も何往復も繰り返した。



最後の最後で大逆転。

黒豆の収穫量は8トンにも上り、その収益は8千万ウォン(560万円)。見込みよりも100万円も多い収入増となった。

サムス氏の渡った危ない橋の先には、嬉しすぎる「ご褒美」が待っていたのだ。



サムス氏の成功に、彼をバカにしていた近隣農家の眼の色も変わる。

「来年、オレも黒豆植えてみようかな…」



この成功にスッカリ気を良くしたサムス氏は、すでに「輸出」の計画を立て始めている。

あまりのお調子ぶりに、嫁さんは呆れるより他にない。

「また仕事を広げるの? やれやれ…」

しかし、彼女の顔には微笑みが浮かんでいる。幼い子供も安らかに眠っている…。



韓国には、およそ120万の農家があると言われる。

その内、サムス氏のような強小農は、まだ1万5,000程度。たったの1%程度である。



しかし、この強小農の勢いは侮れない。

危ない橋から落ちてしまう強小農もいるかもしれないが、確実に成功を手にしている強小農も少なくない。

農業振興庁の計画では、強小農の数が10万にまで増えれば、その勢いは一気に加速するものと睨んでいる。



先に記したように、韓国には農地銀行という土地の売買をスムーズに仲介するシステムも完備されている。

農業を辞める者は土地を売り、やる気のある者に土地が集約されていくのである。



韓国農業には、すでに火がついている。

強小農たちは、さらに自分のケツに火をつけ、猛烈に変革を巻き起こそうとしている。

ここにあるのは、自由貿易協定の是非論ではなく、強小農たちの信じ切る「未来への希望」なのである。

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サムス氏は、今日も噛みついているのだろうか?

泣いたり笑ったりと、周囲が呆れるほどに彼の人生には落ち着きがない。



しかし、彼はこう思っていることだろう。

「溶けかけている氷塊の上で、安穏と腰を落ち着いている場合ではない」、と。

自らのケツに火を着けるのは、彼の喜びでもあるのだから…。

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「前途に道がない?」

「だから面白いんだろ」






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出典:ドキュメンタリーWAVE
「自由化を迎え撃て〜韓国 農村改革のゆくえ」


posted by 四代目 at 06:23| Comment(1) | 農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

高すぎる日本の栽培技術が、一個10万円を超える高級フルーツを生み出した。


日本には「フルーツ・サンドイッチ」というものがある。

サンドイッチの具が、種々のフルーツや生クリームという「甘いお菓子」のようなサンドイッチである。

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パンの本場といえば欧米ということになるが、その本場の人々の中には、このフルーツ・サンドイッチを毛嫌いする人も少なくないという。

「甘いサンドイッチなんて、気持ち悪い」ということらしい。

サンドイッチが甘いというのは「おかしい」と言うのである。

パンの中には、甘い菓子パンもあるわけだから、サンドイッチが甘いことも許されそうなものだが、彼らは言いようもない違和感を感じてしまうようだ。



その感覚は、緑茶に砂糖を入れたり、ご飯に牛乳をかけたりするのを日本人が嫌う感覚と近いのかもしれない。

コーヒーに砂糖を入れるのに、なぜ緑茶に砂糖を入れないのか?

コーンフレークに牛乳をかけるのに、なぜご飯に牛乳をかけないのか?

そう問い返されると、なるほど一理あるなとは思うが、やはり違和感がある。

身体に染み込んだ習慣というのは、思った以上に行動を制限してしまうようである。



フルーツ・サンドイッチに対する外国人の疑問は、「甘い」ことだけではない。

フルーツに対する日本人の高級嗜好も問題視するのである。



確かに、日本のフルーツは一般食品というよりも、贈答用の高級品というイメージが強い。

贈答用だけでなく、一般のスーパーに売られているフルーツですら、外国人はその高い値段に驚いてしまう。



日本の果実が高級路線であるのは、故(ゆえ)なきことではない。

現在一般の栽培されている果樹の多くが、明治時代以降に日本にもたらされたものであり、もともと舶来品であるから、自然と珍重されたという歴史がある。

その流れで様々な果実が高級化された。夕張のメロン、山形のサクランボなどなど。



その中でも、宮崎で栽培されるマンゴーは、一個十万円もするほど高級化がエスカレートしている。

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完全なハウスで温度と湿度を厳密に管理されて栽培されるマンゴーは、管理の手を一時(いっとき)でも緩めると、すぐにダメになってしまうのだそうだ。



収穫はマンゴーが自然に落ちるのを待つ。

地面に落ちるとマズイので、果実一個一個をネットで包んで、ネットの中に果実が落ちるようにする。

色も全体が赤くならないとマズイので、果実一個一個の下に一枚ずつ「白い紙」を敷いて、光の反射で果実の裏面もキレイに赤くなるようにする。

さらに、果実が実ってくると、その重みで枝が垂れ下がり、果実の日当たりが悪くなる。そこで、果実一個一個に糸を結んで、随時糸の長さを調節することにより、果実が常に同じ高さに位置するように気を配る。

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そこまでやっても、検査に合格できるのは、10個に1つぐらいだという。

色づき、重さ、糖度の基準が極めて厳格であり、そのことが一層ブランドの価値を高めているのである。

見事、合格した暁には、マンゴーに生産者と日時が刻印される。つまり、マンゴーの一つ一つが、いつ誰が作ったのかが一目瞭然なのである。

果実としては唯一完全のトレーサビリティ(追跡調査)が可能となっている。

完熟マンゴーは足が早い。収穫から出荷は即日であり、瞬(またた)く間に全国へと配送される。

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「ここまでやるか?」というのが完熟マンゴーであり、外国人のみならず、日本人でも驚きである。

「完璧すぎて恐ろしい」、「自然の法則に反している」などの批判も飛び交う。

しかし、ここまでやるからこそ、人々の注目を集められるのであり、後発の宮崎マンゴーが競争力を持てるのだという。



「世界最高の無駄遣い」とまで賞賛(?)される日本のフルーツ。

格調を高めることは、日本人が古来より得意とするところである。

かたや、世界が驚くほどの「質素さ」をも合わせ持つのが日本人である。



サンドイッチを自由奔放にアレンジするかと思えば、一心不乱に高級果実づくりに専心する。

日本国民には外国人が理解できない「矛盾」が内包されているようである。



出典:COOL JAPAN
〜発掘!かっこいいニッポン 果物


posted by 四代目 at 13:17| Comment(0) | 農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする