「酒の飲める女子大生」
まさか、彼女たちが過疎の地域を救うサキガケになるとは…。
当時、国土交通省がやっていた「若者の国づくりインターン事業」に目をつけた「高野誠鮮(たかの・じょうせん)」氏は、石川県の羽咋市(はくい・し)に「酒の飲める女子大生」2人を派遣してもらった。
「この2人が、じつに良く働いてくれたんです。どんなに飲んだ次の日でも、朝早くから草刈りしたり、農作業を手伝ってくれて…」
羽咋(はくい)市役所の職員である高野氏は、「貴様など、農林水産課へ飛ばしてやる!」と言われて、思いもよらず農業と関わることとなっていた。
「人間が面白いなと思うのは、自分が一番不得手なものが壁として現れることです。今やっている農業も、若いころは『絶対に嫌だ』と思っていましたからね(笑)」と高野氏。
奇縁に奇縁が重なり、羽咋市のコメ(神子原米)はいずれローマ法王の口に入り、世界のブランド米となる。
そして、その立役者となった高野氏は「スーパー公務員」と呼ばれることに…。
今回は、そんな物語である。


◎二足の草鞋
高野誠鮮(たかの・じょうせん)氏の本職は、じつは住職。家は代々、日蓮宗のお寺であった。
次男だった高野氏は、自分が家を継ぐことさえ思いもよらぬことだった。ところが兄は、早々に東京へ出ると、埼玉に家を建ててしまう。明らかに「寺を継がない」という意思表示だ。
「私どもの日蓮宗の決まりでは、寺は日蓮宗のもの。兄か弟である私が継がなければ、宗門から別の人が来て継ぐことになるんです」と高野氏。
高野氏が腹をくくったのは29歳の時。しかし、檀家といっても100軒程度。とても生活はできない。結婚もできないかも…という不安から、高野氏は同時に羽咋市の臨時職員にもなった。
住職と市の職員、二足の草鞋(わらじ)である。ちなみに、父も住職と法務省の職員をやっていた。
「いま考えると、自分が一番就きたくないと思っていた職業に就いてしまったです。僧侶なんて、なんの生産性もないし、役人なんて、つまらないと小バカにしていましたから…」と高野氏。
◎UFO
「UFOで町おこし」
それが市役所で高野氏が最初に手がけた仕事だった。NASAのロケットや宇宙服などが展示された「コスモアイル羽咋」という宇宙博物館は、日本初の試みであり、年間20万人が訪れる重要な観光スポットとなっていた。
しかし、当時の市長は「宇宙なんて税金のムダ使いだ」という立場に立っており、事あるごとに高野氏とぶつかっていた。
ある時、高野氏が博物館で上映するための映像を、アメリカから800ドルで買い付けてきた。
ところが市長は、800ドルを800万円と勘違いしてしまった。「800万もの税金を、こんな下らないことに使うとは…」、その市長の愚痴は折り悪く市民にもらされた。
「800万円ではなく『800ドル』です。日本円にすれば8万円程度ですから、訂正して下さい」。高野氏は市長にそう食ってかかった。
「いや、認めない」と市長。
「訂正して下さい」と高野氏。
「認めない!」と市長。
「……」
その押し問答の末、高野氏は農林水産課に飛ばされることになる。
「おそらく彼(市長)の中では、農林水産課が『一番底辺の部課』だと思っていたのでしょう(笑)」と高野氏は振り返る。
◎限界集落
「神子原(みこはら)地区」
山間部の農地に補助金を出す仕事に変わった高野氏はついに、のちに運命となるこの地に足を踏み入れることになる。
神子原(みこはら)地区は、羽咋市の中でも極めて高齢化率が高く、65歳以上の住民が半数を超える「限界集落」と呼ばれる状態にあった。
「おまえ、ここがあと何年もつか、分かるか?」
神子原地区の農家の一人は、そんなことを言ってきた。
かつては1,000人を超えていた人口も、いまや500人程度に「半減」。離村に次ぐ離村、離農に次ぐ離農、耕作放棄地は増える一方。補助金の説明会に顔を出す人々は「出てくる人、出てくる人がみんな75歳以上」であった。
「もう、心がザワザワして…」と高野氏。
役所の出す補助金が、本当に地域の役に立っていたのならば、きっとこんな状態にはなっていないはず。しかし、今までの補助金は明らかに、限界集落を根本から立て直すものではなかった。
農村の急峻な坂を、乳母車を押しながら腰をかがめて登っていくおばあちゃん。
そんな姿を眺めながら、「この人たちが生きているうちに、何とかしたい」、そんな想いが高野氏の胸を突き上げていた…。
◎ガリガリに痩せた手
「地域はお金がないから疲弊するんじゃないんです。行動しない、何もしないから疲弊するんです」と高野氏は語る。
「人間の集まりが地域ですから、私は『人体のメカニズム』と同じだと考えています。地方の疲弊した地域は『ガリガリに痩せた手』と一緒です。そこに輸血して、必要以上の血液が流れ込んだら壊死します」
じゃあ、どうするのか?
「リハビリ運動しかないんです。自分で行動するしかないんです」
人体が拡大したのが地域社会。地域社会が拡大したのが日本。そう考えれば、答えは自ずから見えてくる、と高野氏は言う。
「疲弊した地域は、とにかく行動して、自分たちで持続的に栄養を運んでくる。これしかないと思ったんです」
◎補助輪を外しませんか?
「ブランド米をつくろう」
傾斜地の多い神子原(みこはら)地区。その棚田の歴史は古く、鎌倉・室町時代の古文書にも登場する。
昼夜の寒暖差が激しい上、巨大なため池が山上にあり、田んぼには清らかな水が流れ込む。そこで作られるコシヒカリを「神子原米(みこはら・まい)」として売りだそうという戦略を高野氏は立てた。
「農家の問題は、自分がつくった食糧に『自分で値段をつけられないこと』なんです」と高野氏。
天候や様々な条件によって生産原価はその都度変わる。しかし、「農協に持ち込めば、一つ作るのに100円の原価がかかっていても、80円の値段がつけられてしまう」。要するに、安く買い叩かれてしまうのである。
その結果、神子原(みこはら)地区の農家の平均年収は、わずか87万円(当時)。
「当然、子どもは跡を継ごうとは考えず、都会に出てサラリーマンになる。だから人が減ってしまうんです」と高野氏。
そこで、農家が「自分で値決めをできるシステム」が必要だと高野氏は考え、それを住民たちに訴えた。
「役所と農協の補助輪を外して、自立しませんか?」
この高野氏の提案には、なんと「ヤジの大嵐」。
「そんなことは無理だ!」
69世帯のうち、賛成してくれたのは、事前に根回しをしていた一軒を含めて3軒のみ。
「コメを売ったことがない奴が、何を言うとるがい!」
◎酒の飲める女子大生
疲弊した集落ほど「排他的」になっている。
「ヨソ者は、村の秩序を乱すげんぞ」
その声に「そうだ、そうだ」と高齢の人々は賛同する。
「オレら、戦時中に疎開でやって来た人を村に迎えたが、とっても嫌だった」とある人が語り出す。
「朝の掃除はしないし、大事にしている祭りにも参加しないし…。ヨソ者が来たら、村の秩序が乱れるんや」
「そんな思いは、もうしたないげん!」
「そうだ、そんな人間と一緒にくらしたくない!」
いつの間にか、集会場には怒声がこだましていた…。
そこで登場するのが、冒頭の「酒の飲める女子大生」。
「猿の社会を見ていると、ボス猿のところに若いオス猿が来ると、威嚇するんです。ところが『メス猿』が来ると知らん顔している(笑)」と高野氏。
「だから、農家の親父さんの敵にならないのは女子大生。『親父さんと一緒に酒を飲めたらさらにいいだろう』と考えました。やっぱり農家は家長制度が残っていて、すべての物事を決めるのは親父さんなのです」
◎風穴
「田舎の閉鎖性」というのは、周りに思われているほど強固ではなかった。
酒の飲める女子大生が開けた風穴は、どんどん大きくなっていく。
学生を受け入れたところで農家の役に立つとは限らない。むしろ、ほとんど役に立たない。それでも、未熟な彼らを迎え、彼らに教え、交流することで、農家の人々の『受け入れの許容度』は豊かに広がっていった。
ガリガリに痩せた手を揉みほぐし、血を通わせ始めたのは、酒の飲める女子大生を始めとする若い力であった。
住民たちはいつの間にか「外国人でもいい」というほどに受け入れを好むようにもなっていた。
学生連中にとっても田舎での経験は豊かなものであり、ある留学生は「ニューヨークには帰りたくない」と泣き出すほどであったという。
「日本人ほど、『近い存在』を過小評価する民族はいないんです」と高野氏。
「近くに素晴らしい宝の原石があっても、遠くにあるものの方が素晴らしいと評価するのが日本人なのです」
◎天皇皇后両陛下
コメの「ブランド力」を上げるには、どうするか?
高野氏は「偉い人々に食べてもらおう」と考えた。
「まずは、ここは日本ですから『天皇皇后、両陛下』です」
「神子原(みこはら)」は、「皇」に「子」と書いて「皇子(みこ)」と読むからゴロもいい。また、羽咋市のある石川県は旧加賀藩になり、宮内庁には前田家18代目にあたる前田利佑氏にお願いすることもできた。
「いいですね。料理長にお願いしましょう」
あっけないほど、その直談判はあっさり通った。天皇皇后両陛下に、神子原のお米を定期的に食べてもらう道が拓けた…、かに思えた。
ところが、ホテルでお祝いのドンちゃん騒ぎをした後、部屋の伝言メッセージには、「さっきの件はなかったことにしてくれ」と…。
陛下の召し上がるのは、「献穀田」からのお米だけと決まっていたのだ。
◎ローマ法王
「一瞬ガクっときましたが、次はバチカンのローマ法王にお手紙を書いたんです」と、めげない高野氏。
「山の清水だけつくった、安全で美味しいお米がありますが、召し上がっていただける可能性は1%もないですか?」と。
しかし、1ヶ月たっても音沙汰なし。2ヶ月たっても何もない。
「ダメだ。ならば次に行こう」
高野氏は、今度はアメリカ大統領に頼みに行く交渉を始めた。アメリカは漢字で書けば「米国(コメの国)」だから、その大統領に食べてもらおうと発案したのだった。
その交渉の最中、諦めていたローマ法王庁から嬉しい知らせが突然舞い込む。
「来なさい」と。
「採れたばかりの神子原米9袋(計45kg)をトランクに入れ、千代田区三番町の坂をガラガラと引っ張って、ローマ法王庁大使館前まで持って行きました」と高野氏。
玄関先にはカレンガ大使が出迎えてくれていた。
「『神の子が住む高原』の名がつく美味しいお米を、法王に味わっていただきたい」。そう言って、高野氏は神子原の新米をお出しした。
「神子原(みこはら)」を英語に訳すと、「the highlands where the son of God dwells」。すなわち「イエス・キリストが住まう高原」となる。
ローマ法王庁のカレンガ大使は、色よい返事を返してくる。
「『小さな集落』から『小さな国』への架け橋を、私たちがさせて頂きます」
神子原は人口500人程度の「小さな集落」。対するローマ法王庁のバチカンという国も、人口800人足らずの「小さな国」。神子原のコメは、その架け橋になったのだった。
◎ブレイク
「ローマ法王、御用達米」
全国紙やテレビがこぞって神子原米を取り上げるや、もの凄い量の注文が押し寄せる。値段はというと、「こちらの言い値」ですんなりと決まっていく。
「それまで一粒も売れていなかった神子原米は、一ヶ月でなんと700俵(42トン)も売れたんです」と高野氏。
いままで一俵1万3,000円にしかならなかったコメは、ブランドとなった神子原米の名で、3倍の4万2,000円に跳ね上がってもなお完売。
「農業やってて良かった」との声が、過疎の集落に自然と広がる。年間の補助金はわずか60万円ほどであったが、農家の月収は30万円を軽く超えていた。
「申し訳ありません。売り切れてしまいました」
東京の白金や成城、田園調布の奥様がたからの注文を高野氏は断っていた。
「もしかすると、ご贔屓にされているデパートにあるかもしれませんが…」
高級住宅街の奥様がたがデパートに殺到することにより、神子原米のブランドの名はいよいよ高まった。
「今は全国の老舗といわれるデパートに全部入っています」と高野氏
こちらからデパートに頭を下げて「置いて下さい」と頼み込んだわけではなかったので、コメの値段を叩かれることはなく、やはり「こちらの言い値」で神子原米は販売されるようになった。
◎農薬
「日本の農薬使用量(面積当たり)は世界一なんです」
高野氏はそう話す。
「農家は厳しい財政状況のために、補助金に頼らざるを得ません。その結果、農業指導の一環として、大量の農薬を使用することになるのです」
そんな日本農業界の中にあって、高野氏は「無農薬・自然栽培」を奨励してきた。
現在、神子原の棚田にはカニやカエル、ヤゴなどを見ることができる。ヤゴ(トンボの幼虫)がいるということは、苗をつくる際の育苗剤も用いていないということだ。この農薬はヤゴを絶滅させることが近年明らかになっている。
「もともと田畑に住んでいた生き物たちを、私たちは『害虫』として駆除してきました。でも、世の中には害虫は存在しないんです。雑草と言われている草にも意味があるんです」
高野氏がそう言う通り、「自然界には雑草という言葉も、害虫もない」。すべての命には意味がある。
「私たちはそのことを知らないだけなんです…」と、高野氏は遠くを見る…。
◎生き物
私たちは、自分たちが口にする食べものも「生き物だ」という当たり前の事実すら、忘れがちになる。
つながり合った生命同士が、ひとつの生態系を生み出し、その結果生まれた作物が人間や動物、虫たちの食べ物となる。
昭和30年代まで、神子原でも田んぼで採れたドジョウを食べていたという。それを食することで、ドジョウの育つ環境を大切にしようという気持ちも皆もっていた。
ドジョウを餌とするトキも、神子原ではかつては当たり前の光景だったという。ちなみに、神子原の位置する能登半島は、本州で最後に「野生のトキ」が目撃された場所でもある。
また、海彦山彦の伝説の原型を能登半島に見る人もいる。「能登では、神が住む地を人が必要とし、人が住む地に神が訪れている」と考えられていた。それゆえ、海外の研究者の中には、神子原を「エデンの園」と称する者もいるほどだ。
「自然への敬う心と感謝の念。この想いゆえに、水質を汚し、田畑を農薬で汚染するという事態を回避できたのかもしれません…」
「自分が生きやすい世の中は、あらゆる生命体にとっても生きやすい世の中であるべきです」
◎宇宙と農業のドッキング
神子原の稲の上に止まっているヤゴ(トンボの幼虫)は、宇宙からも見える。
「神子原の棚田には一反(10a)当たり50〜60匹のヤゴがいます」
人工衛星からは、その数までがカウントできるのだ。ちなみに、農薬が多用されている田畑にヤゴはほとんどいない。
前述したように、神子原の位置する羽咋市(はくい・し)は、「UFOで町おこし」をしており、高野氏自身も深くそれに携わっていたことがあった。
そんな経緯があってからか、羽咋市では人工衛星によって水田稲作のデータを解析する栽培方法が用いられている。
植物の葉には、赤領域の波長の光を「吸収」し、近赤外線領域の波長の光を「反射」する特性がある。
その特性を利用すると、稲穂が作られる時期(出穂期)、人工衛星が撮影した稲の葉のデータを分析すると、穂の含まれている「タンパク質」の量が測定できる。
美味しいお米ほど、タンパク質の含有量は低いため、葉のデータからタンパク質の含有量を知り、それを施肥の案配などによってコントロールし、美味しいお米を効率よく作ることが可能になる。衛星データと実際の食味値の誤差は、「前後0.5%程度」だという。
「宇宙と農業がドッキングした」
宇宙は税金のムダ使いどころか、農業のコストダウンにつながった。人工衛星データの分析により、無駄な肥料が削減されたのである。
高野氏は人工衛星による田畑の測定・解析を「普通のパソコン」でやってのける方法を開発し、そのデータ解析は一反(10a)当たり700円と、大手業者の10分の1以下のコストに抑えることにも成功している。
◎失敗
「行動しないから、ますます疲弊する」
そう信じる高野氏は、疲弊した町を「電気」に例える。
「私たちは、電気が切れたら新しい電球に取り替えますよね。だけど、疲弊した町では役所も住人も『暗い、暗い』と嘆いているだけ。しかも、その内容も『ハシゴから落ちたらどうする』ってそんなことばかりです」
「ハシゴに上って、電球を替える行動をとらなければなりません」と高野氏は言う。
羽咋市における高野氏の行動は、わずか4年で限界集落を救うことに成功した。神子原地区の高齢化率は54%から47.5%へと劇的に改善したのであった。
しかし、排他的になっていた住民たちと協調する過程には、容易ならざるものであった。
かつて高野氏が、「補助輪を外して自転車を漕いで、一度転んだからといって、乗ることを諦めますか? 何回でも失敗すればいいじゃないですか」といった途端に、灰皿が飛んできた。
「失敗しろとは何事か!!」
「ひっくり返ったら、どうする?」
「転んだら、どうする?」
「今はいいけど、コメの人気がなくなったら、どうする?」
住民たちの不安に際限はなかった。
それでも、高野氏はやめなかった。
「印刷物の計画書の通りには世界は動きません。でもそれは計画書が甘いから出来ないのではなく、実行しないから出来ないのです。過疎高齢化の問題にしても、何度議論すれば高齢化率が1%下がるのでしょうか?」
「何度も失敗したからこそ、私たちは補助輪なしで、初めて自転車に乗れました」と高野氏。
現在、神子原の農業法人「神子の里」は年間一億円の売上があり、各農家もサラリーマン並みの年収を謳歌するようになっている。
◎視座
「視座を高める」という教えがある。
地域サイズ、日本サイズ、世界サイズ、宇宙サイズ…と、様々な視座があり、その視座を高めることで、見える景色が変わってくる。
「世界」という視座で農業を見た時、高野氏には希望しか見えなかったという。
「九州ほどの面積しかないオランダが、世界第3位の農業輸出国なんです。日本は48位ですが、それは、これまで日本が世界で売れるものをつくってこなかったからです。やり方さえ考えれば、日本の農業も一大輸出産業になる可能性が十分あります」と高野氏。
視座を高めれば見える景色もあれば、視座を低めた時にしか見えない景色もある。
理想論ばかりでは住民はついて来なかったかもしれないし、ローマ法王の顔色をうかがってばかりでは、ヤゴに嫌われていたかもしれない。
その点やはり、すべての生命はその大小に関わらず、つながり合っているのだろう。
◎腐ることと枯れること
除草剤や農薬肥料を一切使わない農法にチャレンジしている高野氏は、不思議なことに気が付いていた。
「この農法で栽培された米で握ったおにぎりは、腐らないんですよ」
なるほど、朝握ったおにぎりに、晩にはカビが生えているようでは、江戸時代の人々はおにぎりを持って旅に出ることなど適わなかったはずだ。
「昔のおにぎりは、カチンコチンの乾飯(ほしいい)になって、お湯を入れたら元に戻っていたんです」と高野氏。
「でも、今のおにぎりは腐りますよね。野菜も冷蔵庫で溶けてしまいます」
しかし、高野氏がつくるホウレン草もトマトは腐ることなく「枯れるだけ」だという。
「人間も同じです。昔の僧侶は枯れました。でも、今の人間は死んだ後に腐ります。なぜか? 身体に余計な薬品が入っているからです」
「腐る農業か? 枯れる農業か?」
枯れているだけならば、蘇る可能性を秘めている。しかし、いったん腐ってしまうと、それは周りのリンゴまで腐らせてしまうかもしれない。
日本の農業は腐っているのか、それとも枯れているだけなのか?
「一人の人間の身体で起こることは、集落・社会・世界でも起こりうる」
ガリガリに痩せた神子原の手は、高野氏の尽力よって今、その血色を取り戻すことができた。
そして今、日本も…。


関連記事:
世界に広がる「日本のコメ」。田牧一郎氏の開拓魂。世界にタネを蒔くトキタ種苗。自然とともに…世界の「農地」は奪い合うしかないのだろうか。出典:致知2013年3月号
「これが地方の生きる道 高野誠鮮」