2012年12月16日

「笑いすぎにはボケきたる?」。ガンと笑いとマイナスと


「いいか、今日の実験では『これ』を舐めてみる!」

そう言って教授が取り出したのは、ある患者の「採尿」。しかも、その患者は「糖尿病」である。

ドン引きする医学部の学生たち。



「これくらい出来なくて、医者になれるわけないだろ! 出来ないヤツには単位をやらん!」

なんとも無茶苦茶な教授である。

「いいか、こうやって舐めるんだ」

尻込みしている学生たちを前に、その教授は自らの「人差し指」をビーカーに突っ込んでペロリと実践して見せる。



ギョッとする学生たち。

「もはや、やむなし」、そう観念した学生たちは目をギュッとつぶったまま糖尿病患者の尿を舐め、そして一様に顔をしかめる。

「よくやった」と満悦至極なその教授。



みんなが尿を賞味し終わった後、教授はこんなことを言い出した。

「いいか、医者は勇気だけではダメだ。冷静な『観察眼』が求められる。思い出せ、私が舐めたのは『中指』だ」

じつはこの教授、「人差し指」を尿のビーカーの中に突っ込んで「中指」を舐めた。つまりは、尿を舐めていなかったということだ。

なんとなんと、ハタ目には笑える話であるが、学生たちには全く笑えない話であった…。



このトンでもない教授の名は「村上和雄」氏。世界で初めて高血圧原因酵素の遺伝子を解読した彼は、「ノーベル賞に最も近い男」とも言われている。

その彼がこの実験で学生たち言わんとしたことは、じつは医者としての勇気でもなければ、観察眼でもなかった。

むしろ「笑い」の方だった(もっとも、ブラック過ぎたジョークに学生たちは教授に怒りすらを感じていたのだが…)。



◎アルファ波


「笑う人間にガン患者はいない」

笑うことによって「免疫力」が強化されるというのが、その根拠とされる。

人間の免疫力としての実行部隊は「ナチュラル・キラー細胞(NK)」。このNK細胞が作られるのは「笑っている時」なのだそうだ。



「笑っている時」の脳波を調べてみると、「α(アルファ)波」という状態にある。

身体は基本的に2つの波動でコントロールされており、その一つがこのα(アルファ)波、そしてもう一つがβ(ベータ)波である。

α(アルファ)波は笑いに代表されるように、リラックスして身体が緩んでいる時のもの。一方のβ(ベータ)波というのは、戦闘モードや逃走シーンなどなど、生命の危機に直面した時に発せられる動物的な本能である。



◎根暗で頑固


どんな健康な人でも、毎日5,000個以上のガン細胞が発生しているという。

健康な人の体内では、自己免疫の防衛隊である「ナチュラル・キラー細胞(NK細胞)」がそれらのガン細胞を撃退しているわけだが、その働きが弱まると、ガン細胞の横行を許してしまうことになってしまう。

ガンになるかならないか、それは「一日一回以上、笑うかどうか」。それが分かれ道になるのだという。というのも、笑えば身体がα(アルファ)波の状態になり、ナチュラル・キラー細胞がたくさん作られるからでもある。



なるほど、α(アルファ)波という状態は実に好ましい。

「根暗で頑固、マイナス思考で笑いのない人は必ずガンになる」

そう言われるのは、そういう人は慢性的にアルファ波から遠ざかって、緊張感あふれるβ(ベータ)波の状態が長く続いているからである。



「ガンだと分かったら、絶対に病院へは行かず、きれいなオネーさんと一緒に温泉でも訪れる。おいしい料理と明るい音楽に囲まれて楽しく大笑いしていれば、すぐに治る」

極端に言えば、そういうことにもなる。



◎ボケ


かと言って、いつもいつも楽しくお気楽に毎日を過ごすことにも問題がある。

「α(アルファ)波に浸り続けると『ボケ』がはじまる」

ガンが治りすぎて、今度はボケになるというのである。



根暗で頑固のβ(ベータ)波は、外敵から身を守るためには必須の精神状態であり、決してそれを悪者扱いするわけにはいかない。

ただ、あまりにもβ(ベータ)波の状態、つまりストレス状態が長く続くと胃袋に穴が開いてしまう。



アルファ波はアルファ波でボケの恐れがあり、ベータ波はベータ波でストレス疲労の恐れがある。

要するに、どちらの状態も一長一短であり、そのどちらもが必要なのである。

「このバランスで健康を維持しなければならない」



それでもどうやら、現代人はストレスフルなβ(ベータ)波にさらされやすい。それゆえに、プラス思考やリラックスがもてはやされるのであろう。

たとえば、お気楽な南国の島国などでは逆に、根暗で頑固が奨励されるのかもしれない。



◎人それぞれ


厚生労働省の調査によると、日本人の長寿の秘訣は「心配事をためないこと」なのだという。

「だって」「でも」「どうせ」の「否定3D」ばかりの人は、心に毒をまくことにもなり寿命をも縮めてしまうというのだ。



「笑う門には福きたる」

しかし、「笑ってばかりの門にはボケきたる」



影もあれば日向もある。

厚労省の結論を鵜呑みにするのも良ければ、却下するのもまた良し。

教授が笑っていても、学生たちは怒っているかもしれない。笑うのは楽しいが、笑われるのは楽しくない。



プラス思考を楽しむ人もいれば、悲観論を楽しむ人もいる。どっちもどっち、半分半分。

「笑いたければ笑えばいいさ、落ち込みたければ沈んでいろよ」

心のバランス、それは畢竟「人それぞれ」なのであろう…。







関連記事:
善悪こもごも、デング熱と遺伝子組み換え「蚊」。

「食べない」という奇跡。難病の森さんと甲田先生。

iPS細胞への紆余曲折。山中伸弥



出典:農業経営者 2012年11月号(200号)
「Something Great! 黒木安馬」

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2012年09月13日

「食べない」という奇跡。難病の森さんと甲田先生。


人は「食べなければ」生きられない。

しかし、「食べないから」生きられた、という人もいた。

それは、森美智代さんという、ある難病に苦しめられた女性だった。



◎小脳が溶ける…


「最近、なんかよく転ぶなぁ…」

短大を卒業して、大阪府の養護教諭となったばかりの森さんは、「ひどいめまいやふらつき」に悩まされる毎日が続き、数歩歩けば転ぶ状態に。そして、ついには歩けなくなってしまった。



「何の病気だろう…?」

大阪の名だたる病院を転々とするも、その病名すらわからない。それでも、いくつもいくつも病院を訪ね歩き、検査を重ねた結果、ようやくその病名が明らかになる。

「小脳脊髄変性症」。それは「小脳が溶けてなくなってしまう」という恐ろしい病気であり、これまでに完治した人がいないという絶望的な病であった。



10万人に5〜10人の割合で発生するこの病には、現在でもはっきりとした治療法が存在せず、国の認定する難病(特定疾患)の一つとされている。

その余命はわずか5〜10年…。この時、森さんはまだ21歳…。





◎励みの言葉


絶望の淵に立たされた森さんは、ふと「ある人」のことを思い出す。

「そうだ! あの先生のところに行ってみよう」

その先生とは以前お世話になったことのある「甲田光雄」先生のことであった。「断食と少食で難病が治る」と評判の先生だ。



その甲田医院を訪ねると、甲田先生はしきりに森さんの「お腹」ばかりを診ている。「私の病気はお腹じゃなくて、小脳なんだけどなぁ…」と不思議に思っていると、先生は「断食と少食で良くなります」と力強く断言(先生が診ていたのは腸内の宿便だったとか)。

いままでの先生方(西洋医学)は、「治らない…」としか言わなかった。ところが、この甲田先生ばかりは「良くなる」と断言してくれた。

「よし! この先生についていこう」

明るい言葉をくれた先生に励まされ、森さんの心には「希望」が生まれていた。「私が小脳脊髄変性症の『完治者第一号』になるんだ!」という希望が。



◎断食


甲田先生の療法は「生菜食」。生菜食というのは、熱を加えない生の食品だけを食べること。生の野菜や果物、生のままの玄米粉などがその中心であった。

その生菜食を始めた頃の森さんの一日の摂取カロリーは約900キロカロリー。現代の栄養学によれば、基礎代謝エネルギーは一日1200〜1400キロカロリーであるから、森さんの生菜食は相当な低カロリーである。

ところが不思議なことに、それでも彼女の体重は増え続ける。「現代栄養学的」には、まったく説明のつかないことが、少しずつ起こり始めていた。



食を減らすと、そのたびに調子が良くなり、歩けるようにもなってくる。でも、食べ過ぎるとまた悪化。そんな「いたちごっこ」がしばらく続く日々。だんだんと食事の量を減らし、ときおりは断食も実践していた。

そして、甲田先生の指導から5年目、いよいよ本格的な断食に挑戦することとなった。24日間という長期断食の始まりである。陰性体質だったという森さんにとって、長期断食は危険なものでもあった。そのため、その準備(体質改善)に、5年という時を要したのである。



◎完治


断食20日目の夜、彼女は不思議な夢を見る。まるで「天に召される」かのように、身体がどんどんと浮遊していく夢である。

「おそらくこの日、私の細胞は『生まれ変わった』のだと思います」

彼女はそう振り返る。それ以降、「小脳脊髄変性症」の症状はパッタリと出なくなっていた。まさかの「完治」である。



ずっと食を減らしてきた森さん。ついには一日の食事が「青汁一杯(60キロカロリー)」だけとなっている。

それでも彼女は生きている。いや、だからこそ彼女は生きている。



発病から28年、青汁一杯の食事になってから17年。医学的検査はすべて「異常なし」。

「体重は多すぎて困るくらいです」





◎進化した身体


検査を担当した辨野義巳先生によると、森さんの腸内細菌は「草食動物に近い状態」になっていたそうである。たとえば、「クロストリジウム」という腸内細菌は、人間には0.1%くらいしかはずであるが、森さんの腸にはその100倍近い9.8%もいたそうだ。

クロストリジウムは植物の繊維を分解して、そこからタンパク質をつくることができる。人間の腸が食物繊維を消化できないのは、この細菌が少ないためであり、草食動物が消化できるのは、この細菌が多いためである。

また、クロストリジウムのようなタンパク質をつくる細菌たちは、腸内のアンモニアからもアミノ酸(タンパク質の材料)を作り出すことができる。アンモニアといえば、尿にして捨ててしまうほど人間にとって不要かつ有害なもの(ゴミ)であるが、クロストリジウムはそれをタンパク質の材料とできるのである。彼らはアンモニアの中から窒素を取り出すことができるのだ(飲尿療法にも通じる)。



長年の青汁生活の末、森さんの腸はあたかも「牛」のように、植物(青汁)からタンパク質を合成できるように、進化しているようである。

それはまるで、パプアニューギニアの高地に住む人々が、イモ類などの植物しか食べないのに、骨肉隆々なのと同じように…。



さらに、ルイ・パストゥール医学研究センターは、森さんの「免疫力」に驚いた。

免疫力の指標となる「インターフェロンα」が、森さんは普通の人も4倍以上もあったというのである。この免疫物質はウイルスやガンなどの抑制作用が強いことが知られており、ガンや難病が治るのも、この免疫力が「モノをいう」からなのだという。



◎天国と地獄


最後に、森さんはこんな話をしてくれた。

「天国というのは、みんなが大きなお鍋を囲みながら、長い匙(さじ)を使って、お互いに食べさせ合っているといいます。一方、地獄ではその長い匙を使って、『自分に自分に』と自分の口にばかり食べ物を運ぼうとするから、結局こぼしてしまって、一口も食べられずにお腹を空かせているのです」

自分だけが満腹になろうとするのが「地獄」、他の人を満腹にしてあげるのが「天国」。

「みんなが少しずつ食べるのを我慢して、分け合えばいいのです」



◎ボロボロの白衣


世界の直面する食糧問題、そしてエネルギー問題。甲田先生は「少食が世界を救う」と信じていたという。

多少なりとも食べる量を減らせば、もしくは適量を心がければ、それは食糧を分け合うことにつながるだけでなく、無駄な調理によるエネルギーの節約にもつながると言うのである。



ボロボロの白衣を着て、外来の診療代を300円しかとらなかったという甲田先生。

「先生は自分のことを勘定に入れず、ひたすら人々の健康を考え、断食と少食を広めてこられました」

甲田先生の恩を多大に受けた森さんは、敬意を込めてそう語る。



「世界を変える一助」

それは、とても身近なところにあるのかもしれない…。







関連記事:
絶食の魅力とは? その大先生は皇帝ペンギン。

自分自身に拘泥するのをやめた時、その人は「奇跡そのもの」となった。

肥える先進国、争う途上国。アフリカの大干ばつに想う。



出典:
致知2012年8月号
「生きるために私は食べない」森美智代

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2012年04月25日

人間の「遺伝子」が完全に解析されてほぼ10年。治療法への道はまだ遠く…。

「リース」は生まれた時から、「免疫システム」が正しく機能しなかった。

「風邪をひいただけでも命を落とすかもしれない」と言われた両親は、「1歳の誕生日を迎えるのがやっとだろう」と覚悟していた。

頼みの綱だったのは「骨髄移植」のみだったのだが、不幸にもなかなか適合者が見つからず、その道は諦めざるを得なかった…。



あれから9年。

9歳になったリースは元気に走り回っている。

生まれつき欠陥のあった免疫システムは、今では強く健康だ。



9年前のあの日、たった30分の治療がリースを生まれ変わらせたのだ。

それは「遺伝子治療」。

変異した遺伝子に代わる「正常な遺伝子」を骨髄に注入した結果、リースの免疫システムは正常化したのだ。



絶望していた両親は、跳ね上がらんばかりに驚喜した。

「まるでイングランドの強いサッカーが復活したみたいだったよ!リースが復活したんだ!」


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9年前と言えば、医学界にある金字塔が打ち立てられた年でもある。

それは「ヒトゲノム(人の遺伝子)」の解析完了である(2003)。



リースは幸いにもその恩恵に預かったのだ。

こうなってみると、骨髄移植の適合者が現れなかったのは、むしろ幸いだった。そのお陰で、リースの両親は「新しい治療法」にチャレンジするという勇気ある決断を下せたのだから。

そして、リースは「幸せな成功例」となったのだ。



「ヒトゲノム計画」は30億ドル(当時のレートで4500億円)もの大金を投じられて、1990年にアメリカでスタートした。

予定よりも2年早い2000年には、その下書き(ドラフト)が完成し、、2003年には完成版が公開された。

そこには「ヒトの遺伝子の99%の配列が99.99%の正確さで含まれている」とされている。

※遺伝子がDNAに存在し、それらが2重ラセンの構造をしていると分かったのは、1953年。すると人類は、その構造を明らかにしてからわずか50年で、30億以上あったその配列一つ一つを正確に分析し終えたことになる。




時は21世紀に突入したばかりで、この朗報は人類に大きな希望を与えた。

トニー・ブレア元イギリス首相は「医学の革命」であると賞賛し、ビル・クリントン元アメリカ大統領は「病気の治療法が大きく変わる」と謳いあげた。



「錠剤を飲むだけでガンが治る世界」

「注射一本であらゆる病気が治療できる世界」

人々はそんな未来を夢想した。



あれからほぼ10年。

確かにリース少年のような幸福なケースはあった。

しかし、その治療法はまだまだ道の途上にあることを認めざるを得ない。



「嚢胞性線維症」を患うソフィーは、肺にタンが絡むという遺伝子疾患を持っている。「CFTR」という遺伝子がわずかに変異しているのだ。

遺伝子の疾患だけに、その治療は遺伝子療法が期待されるのだが、「肺」という器官のもつ特性がその治療を困難にしている。

外界と直接接点をもつ肺は、外部から送り込まれる「正常な遺伝子」を異物と判断するため、それらを受け入れてくれないのだ。



ソフィーには時間がない。

タンが取り切れなくなるのが早いか、医学の進歩が早いか…。

彼女は走り続ける。走ると咳が出るのだが、そのお陰でタンが外へ出せるのだ。彼女は医学が追いついてくれるまで走り続ける…。



別の女性・エマは「BRCA1」という遺伝子に欠陥がある。

そのため、ガンにかかりやすい。彼女の母も祖母も、若くしてガンで亡くなっている。



彼女が最も悩んだのは、子供を産む時であった。

「この遺伝子の欠陥を、次代に受け渡しても良いものか?」



深く悩みながらも、彼女は子供を産む道を選んだ。

彼女は賭けたのだ。医学が進歩し、彼女の子供が大人になる頃には、遺伝子が正しく修正されることに。



トムの問題はアルコールだ。

飲まずにはいられない。ひどい時には一日で10リットルものビールを飲んでしまう。

そんな荒んだ彼の心を安らかにしたのは、一匹のネズミであった。



そのネズミは「アルコール・マウス」と呼ばれるネズミで、水よりもアルコールを好んで摂取する。

何のストレスもない状態に置かれていても、水よりもアルコールを選ぶ。そして、人間で言えばウイスキーを2瓶も空けるほどに飲む。

それは遺伝子に異常があるからである。



トムは15年間もアルコール依存症で悩み続けたが、たった15分間、このネズミを見ていただけで、それまでの悩みが氷解していった。

自分だけがダメなのではなかった。もともと遺伝子が違っていたのだ。



人間の遺伝子の全貌になってから、およそ10年。

その治療法は、人々の期待通りには進まなかった。実際に薬が開発されるまでには最低でも15年はかかる。早くとも、あと数年は待たなければならない。

遺伝子の地図は明らかになっても、そこを旅するにはまだまだ時間と経験が必要なのだ。



どれほど詳細な世界地図が存在したとしても、それを見ているだけでは世界を知ることに直接はつながらない。

そこには多種多様な人々が暮らし、異なる考え、異なる行動が幾多とあるのだから。



それと同様、ゲノムの「解析」イコール「解決」ではなかった。

10年前に新しい時代が訪れることを「期待」した人類は、いまその「実現」を切望している。

ソフィーも、エマも、トムも、新しい治療法にすがるしかないのである。



そんな彼ら彼女らは信じている。

「未来はそう悪いものではないはずだ」、と。



実際、人類の歩みは着実に進んでいる。

ただ最初の期待が大き過ぎたため、その歩みが遅く感じられているのかもしれないが…。




遺伝子医療革命
―ゲノム科学がわたしたちを変える



出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ
 医療研究の最前線 「奇跡の治療法を求めて〜ヒトゲノム解読の成果は?」


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2012年01月23日

医師でもあった革命家チェ・ゲバラ。キューバに今も受け継がれるその想いとは?


今からおよそ50年前、カリブ海に浮かぶ「キューバ」という国で、奇跡的な「革命」が成就した(1959)。

革命以前のキューバは、アメリカの傀儡である独裁者「バチスタ」が絶大な権力を握っており、バチスタはアメリカ政府・企業・マフィアとともにキューバの富を独占していたのだという。

ここに立ち上がった男たちの一人が、後に革命家の象徴ともされる「チェ・ゲバラ」である。

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チェ・ゲバラたちの挙兵は、じつに「無謀」であった。

たった80数名の仲間たちとともに、キューバへと漕ぎ出していったのだ。そして、キューバに上陸した途端に、バチスタ軍の集中砲火を食らい「壊滅」。その惨劇の中で生き残れたのは、わずか10数名に過ぎなかった…。



ところが、その2年後、なんとチェ・ゲバラたちの革命軍は、強力なバチスタ政権を打ち倒してしまう(1959)!

圧倒的に劣勢だった織田信長が、桶狭間の戦いで日本の歴史をひっくり返したように、チェ・ゲバラたちも、たった10数名でキューバの歴史を大きく変えたのだ。

この痛快な快挙は、否が応にもチェ・ゲバラを伝説の人物へと一気に押し上げることとなった。



チェ・ゲバラは革命家としての印象が極めて強烈なのだが、元はといえば「医者」だったのだという。

アルゼンチンの裕福な家庭に育った彼は、ブエノスアイレス大学の医学部を卒業し(25歳)、革命軍には当初「軍医」として参加していたのである(28歳)。



若き日のチェ・ゲバラは、南アメリカ大陸をフラフラと旅して回っていた。ボリビア、ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラ…。




放浪の果て、グアテマラの地で、チェ・ゲバラは医師としてひとまず落ち着くこととなる。彼はグアテマラの政府(アルベンス政権)を高く評価していたというのが、その理由であった。

折しも、グアテマラでは数年前に革命が起こり、長年独裁によって虐げられていた国民たちが、理想の社会づくりに向けて、前向きな一歩を踏み出していたところであった。



ところが、革命的だったグアテマラのアルベンス政権は、アメリカに武力援助を受けたアルマスによって、崩壊へと追い込まれてしまう(1954)。

アルマスは、チェ・ゲバラに対しても暗殺命令を出したため、チェ・ゲバラは「失意と怒り」とともにグアテマラの地を去ることになる。



チェ・ゲバラは「理想」に生きた人間だったという。

南米各地で貧困や飢餓、病気を目の当たりにしてきた彼は、医師として「こうした人々を助けたかった」と自身の手記に記している。

しかし、グアテマラにおいて、理想的だった政権がアメリカの武力により敗れる様をも目の当たりにした彼は、「武力による革命」の必要性をも痛感することとなる。



人命を救うことと、武力により革命を成すこととの間には、大きな「矛盾」が存在する。

武力革命という行為を前向きに捉えれば、「より大きな生命」を救うことにつながることになるのかもしれない。しかしそれでも、その過程においては、多くの人命を殺していかなければならないのだ。



チェ・ゲバラは、キューバへ向かう小舟の中で大いに「葛藤」したのであろう。

彼が明らかに「革命への道」を選択するのは、キューバ上陸後の集中砲火の中である。



彼の手記には、こうある。

「まさにその時、私の足元には、『医薬品のギッシリ詰まったカバン』と『一箱の弾薬』が転がっていた」

銃弾が飛び交う状況で、彼一人が持てるのは「どちらか一つ」だ。彼は大いなる選択を迫られていた。「医師(医薬品の詰まったカバン)か? 革命戦士(一箱の弾薬)か?」

「どちらを選ぶかのジレンマに直面させられた一瞬であった」と、手記にはある。



結局彼が手にしたのは、「一箱の弾薬」である。

この瞬間から、彼は革命家への一本道を死ぬまで駆け続けることとなった。



弾薬を選んだチェ・ゲバラであったが、深い山奥で2年以上も展開したゲリラ戦において、彼の医学の知識・技術は大いに役立った。

山奥に設けられた野戦病院は、負傷兵の治療のためであったのだが、医者がいるということをどこからか聞きつけた近隣住民までが、その野戦病院を頼りにするようになったのである。

革命軍が陣取った山(シエラ・マエストラ山脈)は、キューバの中でも極貧の地域であり、見捨てられた土地でもあった。圧政下のキューバにおいて、当然そこには医療の暖かい手などは皆無だったのだ。

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当時のチェ・ゲバラに治療されたという村民たちは、今もこの土地に生きている。

当時1歳だったある男性は、高熱を発し、身体がただれ、瀕死の状態だったという。

「あの頃の村には病院がなく、来てくれる医者もいませんでした。頼れるのは唯一、革命軍の野戦病院だけだったのです。」



野戦病院は混み合っていた。それでも、チェ・ゲバラは他の患者を差し置いて、一歳の幼児の治療を真っ先に行なってくれたのだという。

「子供を詳しく診察したチェは、発熱の原因を突き止め、一本の注射を打ってくれました。その注射はたいへんよく効いて、2日後には歩き回り、遊べるようにまでなりました。ついでにチェは、貧血の母のためにシロップまでくれました。」



山に篭(こも)っていた2年間、チェ・ゲバラの医療活動は続いた。

そして、多くの村民たちが、「痛みを取り除いてもらった」と感謝の思いを彼に抱くようになる。「歯の痛みでも、どんな痛みでも、チェを頼りました」と老婆は語る。

革命以前のキューバでは、「お金のない者」は治療を受けられなかったのである(現在は無料)。そんな中、チェ・ゲバラは山奥で無償の医療行為を続けていたのである。



この2年間は、チェ・ゲバラの心をも変えた。

「農民に診療を重ねるごとに、当初は感情的であった決意が、より平静沈着な、これまでとは異なる力に変わっていった。

住民との融合は、もはや理屈ではなくなった。(チェ・ゲバラの手記)」




こうした活動を続けるうちに、革命軍は農村からの支持を拡大してゆく。

上陸直後に10数名に激減していた革命軍は、この2年間で300名を超えていた。もともとは軍医だったチェ・ゲバラも、軍司令官としての能力が高く評価され、革命軍のナンバー2にまでなっていた。

「祖国か? 死か?」。決戦の時は目前である。



1958年12月、キューバ第2の都市「サンタ・クララ」を革命軍300名は襲撃。対するバチスタ軍は6,000名以上(20倍!)。

革命軍に奇跡的な勝利を呼び込んだのは、敵の支援物資を積んだ貨物列車を脱線させてからだった。また、革命軍を支援する多数の市民の加勢も、力強い後押しとなっていた。

以後、バチスタ政権はなし崩しとなり、独裁者バチスタはドミニカ共和国へ亡命することとなる。革命軍は主を失った首都・ハバナに入城。ここに名実とも、革命は果たされたのである。



革命軍が道を敷いたキューバでは、現在も医療費が「無料」である(医学部も無料)。

医療水準は日本のほうが高いのかもしれない。しかし、キューバでは「ファミリー・ドクター」と呼ばれる医師が3万人以上おり、一人あたりの医師の数は世界一多い。




ファミリー・ドクターとは、全国各地に配置された医師のことで、地域住民の健康状況を把握することがその役割である。

ファミリー・ドクターの持つファイルには、地域住民すべての家族のデータが記載されており、病気のケアのみならず、日々の健康状態をも定期的に管理しているのだという。

「カルロス(ファミリー・ドクター)は、私たち家族の一員なのです。私にとっては息子も同然です」と、ある老婆は語る。

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ファミリー・ドクターは高度な医療機器を持たない。そのため、聴診器を当てたり、血圧を測ったり、触診したりと、医療行為は限られる。

「それで充分です」とファミリー・ドクターのカルロスは語る。高度な医療が必要な場合は、専門の病院に任せればよいのである。より大切なのは、地域の住民に「医師が寄り添っているという安心感」を与えることである。

「カルロスは、何も言わなくても分かってくれるんです。私たちは彼がいてくれることに、とてもとても満足しているのです」と、先の老婆は続ける。



チェ・ゲバラの手記にも、こうある。

「医師はいつも患者の近くにいて、心の奥底を察知し、その痛みを誰よりも感じ取って、それを鎮めようとするのだ」

未熟児として生まれた彼自身、2歳で重度の喘息(ぜんそく)と診断され、死ぬまで喘息には苦しめられ続けたのである。

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革命が成った後も、チェ・ゲバラは「理想」への道を歩き続けた。

ところが、彼の思想は「理想的すぎる」として遠ざけられることも少なくなく、革命キューバの首脳陣たちから次第に孤立していくこととなる。ただ、革命キューバを率いていたカストロは、チェ・ゲバラを「道徳の巨人」として好意的に扱っていたという。

「バカらしいと思うかもしれないが、真の偉大なる革命家は、偉大なる愛によって導かれる」とは、チェ・ゲバラの言葉である。



彼の理想はキューバで止まらなかった。

遠くボリビアの地を新たな革命の地として選び、その身を再び山中に投じた。

しかし、チェ・ゲバラは不幸にもボリビア政府軍に捕らえられてしまう。そして、その収容先には暗号「パピ600」が届く。この暗号の意味するところは…、「ゲバラを殺せ」であった。



「落ち着け、よく狙え、お前はこれから一人の人間を殺すのだ」

この言葉は、チェ・ゲバラへの銃撃を躊躇していた兵士に対して、彼が最期に放った言葉だと伝わる。



チェ・ゲバラは、理想の方向を向いたまま倒れた(39歳)。

そして、彼の倒れた方角は、革命への羅針盤ともなった。その示す方角は、微塵もブレることがなく、今なお正確に人々の心を理想へと向かわせている。

チェ・ゲバラは絶大な人気を誇るカリスマであり、終焉の地となったボリビアの人々の中には、チェ・ゲバラを「聖人」として称える人々もいるほどである。




自身の死を予感していたチェ・ゲバラは、事前に家族の子供たちへ手紙を送っていた。その一部には、こうある。

「世界のどこかで誰かが被っている不正を、心の底から悲しむことのできる人間になりなさい」



革命家、そして医師。

両極のような2つの顔を持っていたチェ・ゲバラ。



「彼は死んでいない。今も生き続けているんだ♪」と、キューバの弾き語りは歌う。「彼は公正な社会をつくるために闘ったんだ♫」

「明瞭に残されたもの、それは一点の曇もない愛に包まれた君の姿 戦士チェ・ゲバラの姿♪」

キューバの人々は、チェ・ゲバラが大好きだ。

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出典:旅のチカラ
「医師ゲバラの夢を追う キューバ 作家 海堂尊」


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2012年01月15日

薬はどこから来るのか? 忘れかけている大自然からの恩恵。


庭にバナナやココナッツが生い茂る「ニウパニ村」。

青いバナナをココナッツ・ミルクで煮込んだ料理が、子供たちの大好きな朝食だ。

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ここは南太平洋のソロモン諸島・最南端、レンネル島である。

この島は「サンゴ礁」が隆起してできた世界最大の「サンゴ島」であり、島の2割を占める湖、「テンガノ湖(世界遺産・1998)」は世界最大級の汽水湖である(汽水湖とは、海水と淡水が混じり合った湖のことで、日本ではサロマ湖、浜名湖、宍道湖などがそれにあたる)。

熱帯に属するレンネル島は、年間4,000mm以上もの降水量があり(日本の2.3倍)、その森の樹木は20m以上にまで成長する。

子供たちの朝食は同島の豊かな自然の産物であり、その自然が何千年となくニウパニ村を育んできたのである。



森の恵みは食糧ばかりではない。島民たちを癒す「薬」をも産してくれる。

遊びすぎた子供たちが切り傷を作ってくれば、ツル性の草(モウク・マングー)の葉っぱを揉んで、その汁を傷口に垂らし、年老いた老婆がめまいを感じると言えば、2種類の樹皮(バンガとビィ)を煎じてスプーン一杯飲ませる、といった具合である。

また、レンネル島にしか生息しないというパンダナスという木の根っこは、ココナッツと混ぜることで下痢の薬になるのだという。

我々はスッカリ忘れてしまっているが、薬はドラッグ・ストアから生まれるものではなく、大自然が与えてくれるものなのである。

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かつて、リビアにあった「キュレネ」という都市国家(BC7世紀〜)は、シルピオンという「薬草」の交易により大いに栄えたのだという。

「薬物誌(ディオスコリデス)」によれば、このシルピオンという薬草には42種類の薬効(白内障・歯痛・傷・解毒・ポリープ・破傷風・ヘルニア…)があるとされ、万能薬としてたいそう珍重されたのだそうだ。

そして、この万能薬・シルピオンが採れるのは都市国家キュレネのみ。そのために、その価値は極めて高く、同量の「銀」と交換されるほどであったという。しかし、哀しいかな、欲に目が眩んだのか、「乱獲」の末に薬草・シルピオンは姿を消してしまう。その結果、都市国家・キュレネも衰退の道を転がり落ちて行ってしまう…。

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近世では、イギリスが世界中の薬草を探し求め、各地に「プラント・ハンター」と呼ばれる植物学者たちを派遣した。

たとえば、「キニーネ」というマラリアの特効薬は、プラント・ハンターがアルゼンチンで発見した「キナノキ」から作られたものである。キナノキはアンデスに自生する植物であり、原住民のインディオが解熱剤として利用していた薬効植物だったのである。

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近代のプラント・ハンターたちは、冒頭で紹介したレンネル島(ソロモン諸島)にもやって来た。固有種にあふれたレンネル島は薬草の宝庫でもあり、プラント・ハンターたちは初めて目にする貴重な植物を次々と乱獲してゆく。

ソロモン諸島は19世紀後半にイギリスの植民地となり、以後、現地の自然崇拝はキリスト教に、土地の言葉は英語へと変わっていった歴史がある。



ソロモン諸島が独立を果たすのは1978年。その頃には、島の貴重な植物とともに、昔ながらの薬草の知識もほとんど失われてしまっていた。

現在、薬は外国から輸入されている。しかし、貨物船が島を訪れるのは2〜3ヶ月に一度にすぎないため、島の薬は慢性的な不足状態にあるのだという。



多くの固有種が失われたとはいえ、ソロモン諸島南端のレンネル島には、貴重な薬となりうる植物資源がまだまだ眠っていると、渡邊高志教授(高知工科大学)は考えている。地元の伝承医との協力のもと、渡邊氏は2,000を超える植物サンプルを収集してきたという。

現代薬の不足に悩む島民たちも、島伝統の伝承医療には少なからぬ関心を抱いている。ここに来て、一時は忘れられていた伝承医療に再び光が当たり始めているのである。

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現代文明は一貫して自然を遠ざけ、時には破壊してきた。

しかし、多様化・進化する病気との熾烈な争いにおいて、やはり自然の産する「薬」に活路を見出さざるを得なくもなってきている。化学的に合成する薬でさえ、その大本となるサンプルは自然界に求めざるを得ないのが現状である。

とりわけ、固有種と言われる「その土地独自の植物」には大きな可能性が秘められているのだという。かつて、キュレネという都市国家が土地固有の薬草で潤ったように、「そこにしか生えない植物」というのには、千金の価値がある可能性もあるというのだ。

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子供の切り傷の薬ともなるツル植物(モウク・マングー)は、レンネル島なら「どこにでも生えている草」だという。

本来、薬とは「どこにでもある」モノなのかもしれない。「人間がその薬効に気づくかどうか?」ということが、より問われることなのだろう。歴史を受け継いできた伝承医療は、科学的な証明以上に、歴史がその薬効を証明しているともいえる。

そうした民間療法は、日本各地にも伝わるものであるが、現代人たちは歴史的証明よりも、科学的証明を圧倒的に信じる傾向にあるため、やはり民間医療は廃れざるを得ない。

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ところが、策の尽きかけている科学は今、歴史に助け舟を求め始めているのである。レンネル島の伝承医は貴重な生き証人であり、最新医療の一翼を擁護する存在でもあるのだ。

伝承医の目には、森が薬箱のように見えている。何気ない草木が、人々の苦しみを解放してくれる薬でもあるのだから。




我々が必要とするものは、じつは足元にあるのかもしれない。しかし、要らぬ先入観は自らの足元を見えなくもしてしまう。

我々の依るべきところは、自らが立つ大地に他ならない。大地から離れつつある現代文明ですら、その例外ではありえない。



食べ物はどこから来るのか? そして、薬はどこから来るのか?

元をたどれば、どこに至るのか? 

明白そうなその答えも、今の我々にはよく分からなくなってしまい、実感のないものとなってしまっているのではなかろうか?




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出典:世界遺産 時を刻む
「薬〜植物に宿るちからを探して」


posted by 四代目 at 06:32| Comment(1) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする