2013年09月26日

「論語」と刑務所 [田中森一]



「正直」について書かれた中国の昔話。


正直で働き者のお父さんがいました。

しかし、飢饉があって子供たちを養うだけのものが稼げない。思いあまって隣の柿を盗んで子供たちに食べさせて、飢えを凌ぎました。

ところが、それに気づいた隣の家の主人が、お父さんを訴えます。お巡りさんから厳しく追求されても、食べた子供まで罪になると思ったお父さんは何も言いません。

今度は子供たちに「お父さんは柿を盗んだだろう」と問い詰めると、子供たちは真実を知っていても「盗んでいない」と言う。



さて、この子供たちは正直か?

この質問に、田中森一(たなか・かずもり)は直感的に「正直だ」と答えたという。



この昔話は中国の古典『論語』に見られる話。

孔子いわく「父は子のために隠し、子は父のために隠す。直(なお)きこと、その中にあり」






■闇の弁護士



「正直とは何か?」

法律に決められた通りにやることが正直か? それが正義か?



田中森一は弁護士として考えた。

弁護士としての正義は、一流企業の顧問弁護士かなにかになって「立派な弁護士」になることか?

じゃあ、弁護士みんなが「立派な弁護士」だったらどうなる。ヤクザお断り。人殺しお断り。やむなくそういう犯罪に手を染めてしまった人は、いったい誰が弁護するのか?



「だから私は門戸を開放して、誰でも会いましょう、と。ヤクザだから、世間の評判の悪い会社だからお断りと、職業で差別したことは一度もありません」

それが、弁護士・田中森一の正義だった。

それゆえ世間は、彼を「闇社会の守護神」と呼んだ。








かつては「特捜のエース」と呼ばれた、検事・田中森一。「不正があったら何があってもやらないかん」との信念のもと、上と衝突してでも頑として不正を取り締まってきた。

「撚糸工連汚職、平和相互銀行の不正融資事件など、政治家を捕まえるような大きな事件をつくり出しました。私はとにかく信念で仕事をやっていくから、上の言うことは聞かんのですよ(笑)」

たとえ上が止めても、自分が「許さん」と思ったことは、あくまでも許さなかった。



それが、まさかの反転。闇社会の弁護士に。

「検事時代にあれだけ正義、正義と言っていたのに、なぜ?と思われるかもしれません。しかし、検察には『検察の正義』、弁護士には『弁護士の正義』があるのです」






■刑務所



ところが、弁護士・田中森一は2008年、懲役3年の実刑判決を受けて刑務所に送られてしまう。2000年に弁護についた石橋産業事件で、巨額の手形を騙しとったとされたのだった。

さらにマスコミは「獄中に入ったら、検察はまた田中を逮捕する」と言った。

だが、田中は特捜から弁護士になった刑事事件のプロ。「いくら検察でもこんな状況証拠で逮捕できるわけはない」と軽く聞いていた。しかし、逮捕された。



「まさかと思ってお先真っ暗になりました。さらに懲役3年が科せられ、計6年。でも、服役するしかない。そう腹をくくった矢先、今度はガンを宣告されました」

刑務所の定期健診によって発見されたガン。普通の病院であればガンの宣告となれば患者の心境を慮るもの。しかし、刑務所ではまずもって名前すらない。

「番号で呼ばれて『おまえはガンだ』と。いろいろ聞きたいけれど、お医者さんの言う通りにするしかないんです。この時、人生で初めて死というものを意識しました」



2011年2月8日、大阪の医療刑務所で手術を受けた田中。胃の3分の2を摘出した。

「麻酔から目覚めた時は、三畳の独房のベッドの上です。真冬でしょう。寒いし、とにかく切ったところが痛い。暖房もないし、毛布を増やしてくれるわけでもないんです」

抗がん剤の副作用はひどかった。朝から晩まで吐き気が続き、息をするのも面倒なほどの倦怠感に襲われる。毎日ベッドに横たわり、痛さと寒さで本も読めない。



その翌月、東日本大震災が起きた。

新聞や雑誌でその惨事を知った田中は思った。「胃ガンだとはいえ、自分はまだ生かされてるじゃないか。刑務所にだって一生入ってるわけじゃない」






■論語



「子のたまわく、天を怨まず、人を尤(とが)めず、下学して上達す。我を知る者はそれ天か」

中学以来、『論語』は座右にあった。



そのキッカケを与えてくれたのは、柔道の有段者でもあった国語の福田先生。

「柔道で”信・義・耐”をつくって立派な男になるんだ」と、先生は生徒に柔道を教えていた。

「心技体ではなく『信義耐』。それによって『人としての心』をつくるのだ、と先生はおっしゃっていました」と田中は振り返る。

そうして、先生から薄い『論語』の解説本を手渡された田中。その後の苦学によって大学に進学、司法試験に通って検事となり、大阪で約10人しかなれない特捜部に抜擢されたのだった(のちに東京地検・特捜部へ)。



起訴された田中は裁判で無罪を主張した。だが結局は実刑判決を受け、5年間を刑務所で過ごすことになる。一説では、追訴ありきで行う国策捜査だったとも言われた。

田中は言う。「人様が冤罪だとか国策捜査だとか言ってくださる分には『ありがとうございます』と言いますが、自分からは言いたくない。私はいまでも自らに恥じることろはありませんが、卑しくも疑われたことは間違いありません。だから、私自身はそれを反省しなければならないと思っています。人のせいにはしたくないですから」



振り返れば、獄中の5年間は「天が与えてくれた時間」に思えた。

「だって、よく勉強することができたじゃないですか。外におったら忙しくてそんな時間とれませんよ。また、ガンになったけれど、外で忙しくしていたら絶対に発見が遅れていて、病院に運び込まれた頃には手遅れになっていたはずです」



天を怨まず、人を尤めず、下学して上達す…。






■更生



刑務所では受刑者同士が言葉を交わすことは禁じられていた。だが、体操する30分間だけは会話が許されていた。

その会話が田中を驚かせた。

「話をしてみると、『オレは懲役1年でいいところを3年にされた』とか、いま服役している罪状に対して、もう90%以上が不満タラタラなんですよ」



まったく反省のない受刑者たちに、田中は呆然となった。

「私は検事や弁護士の仕事に命を懸けてやってきたけれど、いったい何だったのかと虚しくなりました」

田中にとって堅忍不抜の志は「犯罪者の更生」にあった。それは検事の正義でも弁護士の正義でも同じであった。

「やっぱり、そこを反省させて更生させるのが検事、弁護士、裁判官の仕事です。なのに、結果的には誰もその役割を果たせていなかったのです」



戦後の知育偏向教育の表れか、上層部のエリートたちは「人の心」に影響を与えられる人物とは限らなかった。

「東大出て試験さえ通れば、弁護士にも官僚にもなれるんだもの。みんなエリート意識の塊で、上から見ていることが伝わってきますよ。要するに、法曹の人たちがもっと人の心をわかる人間、すなわち徳のある人間にならないといけないとしみじみ思いました」










■一言



かつて電力の鬼といわれた松永安左エ門は言った。

「男は浪人、投獄、大病を経ないと一人前にはならない」と。



「わたしは3つとも経験させていただきました(笑)」と田中は誇る。

獄中で心の支えとなった『論語』を、彼はいま「ビジネス論語塾」の活動を通して世に広めようとしている。並みの人間では経験できないことを肌で知った田中の話には、迫力と説得力があるという。

「一言のもつ本当に偉大な力というのは、空調の効いた部屋で本を読んだだけでは分からないのかもしれません。自分が艱難辛苦の中に身を置いてみると、たった一言がどれだけ人を勇気づけてくれるか、たった一言がどれだけ心の洗濯をしてくれるか、ひしひしと実感できます」



「人生は心ひとつの置き所」中村天風

「愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」道元













(了)






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どこに消えた? ニューヨークの犯罪者

古典に秘された「慈心」のタネ。廻天の力



出典:致知2013年10月号
「獄中で私を支えた『論語』の教え」

posted by 四代目 at 05:56| Comment(2) | 司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月14日

どこに消えた? ニューヨークの犯罪者


「ニューヨークは、如何にして『犯罪』を減らしたのか?」

「犯罪の巣」、ニューヨークから重大犯罪が減った。ここ20年あまりで劇的に。

この喜ばしい事実は、その反面、従来の犯罪学者たちに頭を抱えさせることにもなった。なぜなら、ニューヨークで起こったことは、「従来の犯罪学の常識」を覆すことばかりであったからだ。

それでも幸いにも、常識は良い方向へと覆された。そして、それは「過去100年間の犯罪学研究で、もっとも希望に満ちた洞察」を与えてくれることとなった。



◎従来の常識


まず、従来の犯罪学の常識とは、いかなるものであったのか?

たとえば、「貧困と失業を減らすこと」、「薬物使用の抑制」、「より多くの人を刑務所に入れること」…、などが犯罪を減らすと考えられていた。



アメリカには「犯罪の供給サイド理論」というのが長らく犯罪学の主流を占めてきた。その理論によれば、「罪を犯すリスクが高い若者は、どんな対策を打っても犯罪者になり、一度犯罪を犯した者たちは刑務所に閉じ込めて置かない限り、犯罪を犯し続ける」ということになる。

つまり、犯罪の根本的な原因は「人」にあると考えられていたのである。最も逮捕されることの多い年齢層は、15〜29歳の若年層。社会的には、貧しい人々、失業している人々。人種的には、黒人やヒスパニック系もリスクが高いと考えられてきた。



この理論の不幸な点は、そういう犯罪リスクの高い人たちは「どんな対策を打っても、変わらない」と決めつけられていた点であり、「刑務所に閉じ込めて置かなければならない」と考えられていた点でもある。

その不幸な結果が、無分別な民族的差別であったり、刑務所が足りなくなるほどの犯罪者の激増であった(1972年以来、7倍)。



◎「???」


では、1990年以来、ここ20年ほどで犯罪を激減させたというニューヨークは果たして、「犯罪を犯しそうな人々」を排除することに成功したのであろうか?

その答えは明らかに「否」である。だからこそ、犯罪学者たちが面食らったのである。



この20年間でニューヨークは「貧困率」「失業率」を下げたのか? 「否、ほぼ横バイ」

では、少数民族を街から追い出すことに成功したのか? 「否、人種や民族構成は大きく変わっていない」

それなら、麻薬を撲滅できたのだろう。 「否、麻薬は相変わらず」

じゃあ、よほどに刑務所の収監人数が増えたはずだ。 「否、むしろ逆に30%近く減っている」



「???」

それでも、ニューヨークでは6つの重大犯罪(殺人・強姦・暴行・車の窃盗・不法侵入盗・強盗)が「80%以上」も減っている。殺人事件の発生率は1961年以来、50年ぶりの最低水準。車の盗難などは90%以上も減少している。

「いったい、ニューヨークの犯罪者は、どこへ消えたんだ?」



◎全米5大都市


今から20年ほど前の1990年代、アメリカのほとんどの州では一般犯罪が大きく減った(40%減)。それは「警察力の強化」などの賜物であった。しかし、その代償として刑務所の収監率は65%も増大。つまり、犯罪の減少は根本的な解決が成されたわけではなく、ただ単に今までよりも多くの犯罪者を刑務所に閉じ込めただけだった。

この傾向は、アメリカの5大都市のうちの4つの都市(ヒューストン・フィラデルフィア・シカゴ・ロサンゼルス)で共通して見られたものである。しかし、その5大都市唯一の「例外」がニューヨークであった。

1990年代以降、全米の収監率が65%も上昇したのに対して、ニューヨークのそれは28%も「下回った」のである。つまり、ニューヨークばかりは犯罪者を刑務所に閉じ込めただけではなく、何らかの根本的な解決が成されていたのであった。



◎場所


1990年、ニューヨークは「制服警官を新規に7,000人以上増やし、取り締まりを強化。犯罪多発地域を重点的にパトロールした」。

これが犯罪学の常識をひっくり返したニューヨークの秘密である。なんと呆気ないほどのシンプルさであろう。決して、犯罪者を改心させる聖者が現れたわけでも何でもなかったのだ。



ただ、その発想が根本的に異なっていた。従来は「人(人種・生活環境・社会的地位)」に責任があるとされた犯罪を、「場所(都市環境)」が真犯人だと見立てたのである。

その結果、ニューヨークでは、2000年以降に警官増員分の半数以上(4,000人)が削減されたにも関わらず、その後10年に渡って犯罪が減り続け、最終的には他5大都市の2倍以上となる80%もの減少を成し遂げたのであった。



◎ホットスポット


都市環境を改善するには、大きく2つの方法が考えらる。一つは街全域に渡って小さな違反も見逃さない警戒網を張り巡らせること。もう一つは、「ホットスポット」と呼ばれる犯罪多発地域を重点的に取り締まるもの。

前者は「割れ窓」作戦とも呼ばれるもの。都市に割れた窓がなければ、新たに窓を割るのには、大きな勇気が必要となるため、その結果、犯罪が抑制されるというもの。確かに、ゴミ一つない床に新たなゴミは捨てにくいものである。





しかし、この作戦の欠点は、作戦範囲があまりにも広範に渡るため、ポイントごとの効果が薄まり易いこと。ニューヨークには「たいして危険でもない地域」がたくさんある。

そのため、人員と予算に限りのあったニューヨークでは、後者の作戦、「ホットスポット(犯罪重点地域)」のみに的を絞った。2009年、ニューヨーク市警がホットスポットで行った職務質問は50万回、軽犯罪の逮捕は25万回にも及ぶという徹底ぶりだった。



ここに一つの疑問があった。

「ホットスポットばかりを取り締まっても、どこか別の場所で同じ犯罪をするようになるのではないか?」

ところがニューヨークでは、そうはならなかった。「ある日ホットスポットで未然に防がれた犯罪は、後に別のどこかで実行されるとは限らなかった」。

どうやら、犯罪というのは想像していた以上に、「場所」に依存するものであったのだ。





◎凡事徹底


ニューヨークで最も危険な地域といえば、「ブルックリン」と「ブロンクス」。これら地域は住民の「経済格差」も大きければ、その人種もまた「多様」だ。

しかし、その経済格差と人種の多様性は、犯罪の根本的な原因ではなかった。というのも、ブルックリンとブロンクスでは、ここ20年間で格差がより広がり、人種も増えたにも関わらず、犯罪が減少したのだ。その減少率は「より浄化された高級住宅地」が多いマンハッタンに引けをとるものではなかったのである。

これでますます、少数民族や貧困者たちへの疑いの眼差しは弱まっていった。



たとえば、不法侵入盗や強盗、自動車泥棒などは「ある通り」で起こることが多く、その侵入路にさえ警官が目を光らせていれば、それらの犯罪は大きく減った。

ニューヨークには「コンプスタット」という管理システムがあり、重大犯罪の発生位置などのデータが蓄積されている。このシステムのおかげで、中央司令室に居ながら、犯罪集中地域(ホットスポット)を特定できるのだ。そうした的を絞った街頭パトロールが、ニューヨークでは大きな成果を上げたのだ。

もう一度強調しておくが、ニューヨーク市警は、決して黒人やヒスパニックなどの人種に的を絞ったわけではなかった。



◎再犯率の減少


ところで、ここで不思議なことが一つある。

なぜか、ニューヨークで刑務所に送られた犯罪者は、出所後、「法を犯すのをやめてしまった」。具体的には、出所後3年以内に重大な再犯を犯す人々が64%も減っているのだ。

ニューヨーク市警は相も変わらず犯罪者を逮捕し続けており、検察官と裁判官も犯罪者と刑務所に送り続けている。それでも、再犯の割合いが下がったことにより、結果的には刑務所の収監率も改善されてしまったのだ。

なぜ、再犯率が下がったのかの詳細は不明だが、おそらくは、犯罪の場所を奪われた彼らに、「その気が薄れてしまった」からなのかもしれない。



こうしたニューヨークでの実例は、明らかに従来の「供給サイド理論」への反証である。

「人」に全責任を押し付けて満足していた供給サイド理論は、ただ単にある種の人々をスケープゴートにしていただけだったのである。それゆえに、何十年間も問題を根本的に解決できず、刑務所ばかりがたくさん必要になっていたのである。



◎アリ地獄の中の希望


過去30年、犯罪が増え続けているアメリカでは、警察力に関して疑問の声が上がっていた。しかし、ニューヨークでの成功は警察官たちを力づけることとなった。ニューヨークでは、警察官の「睨み」が確かに効いたのだ。

また、有色人種の若者たちに着せられていた「あらぬ疑い」をも晴らすこととなった。むしろ、肌の色の濃い青少年たちは警察に守られることとなり、暴力による死亡率は低下した。



ニューヨークの示した希望は、こういうことだ。

「生まれながらの犯罪者」などいない。「場所」が犯罪を生むのだ。

これが過去100年間の犯罪学に対する、ニューヨークの答えである。



従来の常識に従ったままでは、犯罪者を「排除」することしかできなかった。そのため、人は人を疑うようになり、他者を受け入れることを拒み、ますます偏狭な心にならざるを得なかった。

その結果、刑務所や青少年更生施設への巨額な新規投資ばかりが必要となり、良民たちの血税はそこに流れ込むだけ。肝心の都市環境の改善は後手に回るといった悪循環であった。



幸いにも、ニューヨークはそのアリ地獄から逃れる術があることを教えてくれた。

この実例を受け入れられるかどうか、それこそが「人」の責任なのかもしれない…。







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あらゆる法律が無視される「グアンタナモ収容所」。最もアメリカらしくない負の施設。

あるアメリカン・ムスリム(イスラム教徒)の想い。暗い過去に足を引っ張られながら……。



出典:日経 サイエンス 2012年 01月号
「ニューヨークはいかに犯罪を減らしたか」

posted by 四代目 at 08:29| Comment(1) | 司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

死刑を続ける日本。まさか政治家の都合ではあるまい。

政治家の間では、こんな話がささやかれている。

「法務大臣になって、死刑執行にサインすると、次の選挙に勝てる」

死刑を執行をすると、市民からは、

「よくやった」

「正義を実行した」

などと賞賛されるのだそうで、選挙戦に有利に働くのだそうだ。



世界中で「死刑」をする国は、「アジアやイスラム諸国、アフリカ」に多い。

先進国では、アメリカ、日本のみ。

死刑執行数は、ダントツで「中国」が多い。2009年は「少なくとも2,000人」が処刑されたと推定されている(未発表)。世界の死刑の70〜80%は中国で執行されていることになる。



人口比で見れば、「サウジアラビア」が世界最多となる。

サウジアラビアは「イスラム国家」である。イスラム教の聖典「コーラン」の教えには、「斬首刑」、「石打ち刑」など、原始的な処刑法が記されている。

そのため、サウジアラビア、イラン、イラク、アフガニスタンなどのイスラム諸国では、現在でも伝統的な斬首刑、石打ち刑などが行われている。

神に対する冒涜(ぼうとく)を行った異教徒を殺すことは「名誉の殺人」とされ、サウジアラビアの死刑囚の大半は、出稼ぎに来た「外国人労働者」と言われている(厳重な報道規制のため、実態は明らかではない)。



死刑を廃止している国でも、事実上、犯罪者を殺すことが合法化されている国もある。

アフリカの「ルワンダ」では、犯人を現場で射殺してしまう。

ビンラディン氏殺害と同じである。



さて、日本でも、思い出したように出てきては、いつの間にか消えてしまう「死刑廃止」の議論。

執行方法が「絞首(首つり)刑」であるため、アメリカは「残虐」だと日本を非難する。アメリカは「薬殺(薬物注射)」だから「人道的」なのだそうだ。

そうした残虐性を含めて、死刑は「廃止か?否か?」の、一気に「白黒」をつけようとする傾向にある。



しかし、その中間をとって死刑を「休止」しようと提案する人もいる。

偉大なる「グレーな発想」である。



死刑賛成派も、反対派も、どちらもそれぞれの「正義」を掲げて、ツバぜり合いを繰り広げる。

ある意味、どちらも「正しい」ため、決着のつきようがない。

宗教間の争いが、エンドレスに続くのと同じ原理である。



原発の議論も然り。

ある意味、どちらも「正しい」。それぞれの正義がある。



だからといって、白黒つけずに「グレー」なまま放っておくのは、問題の先送りに過ぎず、後々、かえって問題を大きくしてしまうのではないか、との懸念もある。

はたして、「休止」というアイディアは是か非か?

死刑制度は、放っておけば、立ち消えする問題か?悪化する問題か?


posted by 四代目 at 11:53| Comment(1) | 司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

ストロスカーン氏逮捕に見る、アメリカとヨーロッパの違い。The Economist



世界が揺れた「ストロスカーン氏の逮捕」。

この逮捕を巡り、アメリカとヨーロッパの価値観の違いが浮き彫りになった。



「性」に対してアメリカは厳しい。

かつてビル・クリントン氏は大統領時代、スキャンダルで辞任ギリギリまで追い詰められた。最近では、アーノルド・シュワルツェネッガー氏(前カリフォルニア州知事)が、隠し子事件で銀幕復帰を断念せざるをえなかった。



一方、ヨーロッパは「性」に対して寛大である。

「欧州の大半の地域では、浮気は男らしさの証明」と受け止められる。

性に寛大なヨーロッパの中でも、とびきり寛大なのが「イタリア」だ。

イタリアのベルルスコーニ首相にとって「性欲は誇りであり、恥ずべきものではない」のである(彼は現在、未成年の売春婦問題で裁判にかけられている)。



また、「プライバシー」に関しても、欧と米は異なる見解をもつ。

ストロスカーン氏は、公衆の面前で「手錠をかけられて犯罪者として連行された」が、こうした風景はアメリカ独特のものだ。

フランスでは「公の場で被疑者を連れ回すことは禁じられている」。

イギリスも然り。「裁判が終わるまで、公判の進行状況以外は報道できない」。



アメリカの司法の場は「劇場」だという。「カメラは法廷の争いを撮影する」。

アメリカ人に言わせれば、「開かれた法廷の証し」も、ヨーロッパ人から見れば、「プライバシーに踏み込みすぎて無粋に見える」。



今回、ストロスカーン氏が逮捕されたのは、「アメリカ」で起きた事件だったことも大きかったようだ。

アメリカにヨーロッパの常識は通用しなかった。


posted by 四代目 at 14:12| Comment(0) | 司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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