「正直」について書かれた中国の昔話。
正直で働き者のお父さんがいました。
しかし、飢饉があって子供たちを養うだけのものが稼げない。思いあまって隣の柿を盗んで子供たちに食べさせて、飢えを凌ぎました。
ところが、それに気づいた隣の家の主人が、お父さんを訴えます。お巡りさんから厳しく追求されても、食べた子供まで罪になると思ったお父さんは何も言いません。
今度は子供たちに「お父さんは柿を盗んだだろう」と問い詰めると、子供たちは真実を知っていても「盗んでいない」と言う。
さて、この子供たちは正直か?
この質問に、田中森一(たなか・かずもり)は直感的に「正直だ」と答えたという。
この昔話は中国の古典『論語』に見られる話。
孔子いわく「父は子のために隠し、子は父のために隠す。直(なお)きこと、その中にあり」
■闇の弁護士
「正直とは何か?」
法律に決められた通りにやることが正直か? それが正義か?
田中森一は弁護士として考えた。
弁護士としての正義は、一流企業の顧問弁護士かなにかになって「立派な弁護士」になることか?
じゃあ、弁護士みんなが「立派な弁護士」だったらどうなる。ヤクザお断り。人殺しお断り。やむなくそういう犯罪に手を染めてしまった人は、いったい誰が弁護するのか?
「だから私は門戸を開放して、誰でも会いましょう、と。ヤクザだから、世間の評判の悪い会社だからお断りと、職業で差別したことは一度もありません」
それが、弁護士・田中森一の正義だった。
それゆえ世間は、彼を「闇社会の守護神」と呼んだ。

かつては「特捜のエース」と呼ばれた、検事・田中森一。「不正があったら何があってもやらないかん」との信念のもと、上と衝突してでも頑として不正を取り締まってきた。
「撚糸工連汚職、平和相互銀行の不正融資事件など、政治家を捕まえるような大きな事件をつくり出しました。私はとにかく信念で仕事をやっていくから、上の言うことは聞かんのですよ(笑)」
たとえ上が止めても、自分が「許さん」と思ったことは、あくまでも許さなかった。
それが、まさかの反転。闇社会の弁護士に。
「検事時代にあれだけ正義、正義と言っていたのに、なぜ?と思われるかもしれません。しかし、検察には『検察の正義』、弁護士には『弁護士の正義』があるのです」
■刑務所
ところが、弁護士・田中森一は2008年、懲役3年の実刑判決を受けて刑務所に送られてしまう。2000年に弁護についた石橋産業事件で、巨額の手形を騙しとったとされたのだった。
さらにマスコミは「獄中に入ったら、検察はまた田中を逮捕する」と言った。
だが、田中は特捜から弁護士になった刑事事件のプロ。「いくら検察でもこんな状況証拠で逮捕できるわけはない」と軽く聞いていた。しかし、逮捕された。
「まさかと思ってお先真っ暗になりました。さらに懲役3年が科せられ、計6年。でも、服役するしかない。そう腹をくくった矢先、今度はガンを宣告されました」
刑務所の定期健診によって発見されたガン。普通の病院であればガンの宣告となれば患者の心境を慮るもの。しかし、刑務所ではまずもって名前すらない。
「番号で呼ばれて『おまえはガンだ』と。いろいろ聞きたいけれど、お医者さんの言う通りにするしかないんです。この時、人生で初めて死というものを意識しました」
2011年2月8日、大阪の医療刑務所で手術を受けた田中。胃の3分の2を摘出した。
「麻酔から目覚めた時は、三畳の独房のベッドの上です。真冬でしょう。寒いし、とにかく切ったところが痛い。暖房もないし、毛布を増やしてくれるわけでもないんです」
抗がん剤の副作用はひどかった。朝から晩まで吐き気が続き、息をするのも面倒なほどの倦怠感に襲われる。毎日ベッドに横たわり、痛さと寒さで本も読めない。
その翌月、東日本大震災が起きた。
新聞や雑誌でその惨事を知った田中は思った。「胃ガンだとはいえ、自分はまだ生かされてるじゃないか。刑務所にだって一生入ってるわけじゃない」
■論語
「子のたまわく、天を怨まず、人を尤(とが)めず、下学して上達す。我を知る者はそれ天か」
中学以来、『論語』は座右にあった。
そのキッカケを与えてくれたのは、柔道の有段者でもあった国語の福田先生。
「柔道で”信・義・耐”をつくって立派な男になるんだ」と、先生は生徒に柔道を教えていた。
「心技体ではなく『信義耐』。それによって『人としての心』をつくるのだ、と先生はおっしゃっていました」と田中は振り返る。
そうして、先生から薄い『論語』の解説本を手渡された田中。その後の苦学によって大学に進学、司法試験に通って検事となり、大阪で約10人しかなれない特捜部に抜擢されたのだった(のちに東京地検・特捜部へ)。
起訴された田中は裁判で無罪を主張した。だが結局は実刑判決を受け、5年間を刑務所で過ごすことになる。一説では、追訴ありきで行う国策捜査だったとも言われた。
田中は言う。「人様が冤罪だとか国策捜査だとか言ってくださる分には『ありがとうございます』と言いますが、自分からは言いたくない。私はいまでも自らに恥じることろはありませんが、卑しくも疑われたことは間違いありません。だから、私自身はそれを反省しなければならないと思っています。人のせいにはしたくないですから」
振り返れば、獄中の5年間は「天が与えてくれた時間」に思えた。
「だって、よく勉強することができたじゃないですか。外におったら忙しくてそんな時間とれませんよ。また、ガンになったけれど、外で忙しくしていたら絶対に発見が遅れていて、病院に運び込まれた頃には手遅れになっていたはずです」
天を怨まず、人を尤めず、下学して上達す…。
■更生
刑務所では受刑者同士が言葉を交わすことは禁じられていた。だが、体操する30分間だけは会話が許されていた。
その会話が田中を驚かせた。
「話をしてみると、『オレは懲役1年でいいところを3年にされた』とか、いま服役している罪状に対して、もう90%以上が不満タラタラなんですよ」
まったく反省のない受刑者たちに、田中は呆然となった。
「私は検事や弁護士の仕事に命を懸けてやってきたけれど、いったい何だったのかと虚しくなりました」
田中にとって堅忍不抜の志は「犯罪者の更生」にあった。それは検事の正義でも弁護士の正義でも同じであった。
「やっぱり、そこを反省させて更生させるのが検事、弁護士、裁判官の仕事です。なのに、結果的には誰もその役割を果たせていなかったのです」
戦後の知育偏向教育の表れか、上層部のエリートたちは「人の心」に影響を与えられる人物とは限らなかった。
「東大出て試験さえ通れば、弁護士にも官僚にもなれるんだもの。みんなエリート意識の塊で、上から見ていることが伝わってきますよ。要するに、法曹の人たちがもっと人の心をわかる人間、すなわち徳のある人間にならないといけないとしみじみ思いました」

■一言
かつて電力の鬼といわれた松永安左エ門は言った。
「男は浪人、投獄、大病を経ないと一人前にはならない」と。
「わたしは3つとも経験させていただきました(笑)」と田中は誇る。
獄中で心の支えとなった『論語』を、彼はいま「ビジネス論語塾」の活動を通して世に広めようとしている。並みの人間では経験できないことを肌で知った田中の話には、迫力と説得力があるという。
「一言のもつ本当に偉大な力というのは、空調の効いた部屋で本を読んだだけでは分からないのかもしれません。自分が艱難辛苦の中に身を置いてみると、たった一言がどれだけ人を勇気づけてくれるか、たった一言がどれだけ心の洗濯をしてくれるか、ひしひしと実感できます」
「人生は心ひとつの置き所」中村天風
「愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」道元

(了)
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出典:致知2013年10月号
「獄中で私を支えた『論語』の教え」