2012年05月08日

流れのなさが神性を育んだ「摩周湖」。貧しくとも神々しい湖。

「霧の摩周湖」

北海道の山上に位置するこの湖は、古来より「山神の湖」として、アイヌの民により自然崇拝されてきた湖である。

※摩周湖をアイヌ語で言うと、「キンタン(山にある)・カムイ(神の)・トー(湖)」となる。



その伝説は、こう記す。

ある戦いに敗れ、孫とはぐれてしまった老婆。

孫を探すのにホトホト疲れ果ててしまった老婆は、摩周湖のほとりで、「カムイ・ヌプリ(摩周岳・神の山の意)」に一夜の休息を請うた。



疲労困憊していた老婆、一夜どころか何夜も何夜も、そこから動くことが叶わない。すっかり悲嘆にくれた老婆は、ついに湖に浮かぶ「島」へと姿を変えてしまった。

その島こそ、摩周湖の真ん中にポツリと寂しそうに浮かぶ「カムイシュ島」である。

※「カムイ」は神、「シュ」は老婆を意味する(アイヌ語)。

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古来より、人々が摩周湖に「神性」を見てきたのは、なぜだろう。

この不思議な湖には、流れ込む川もなければ、流れ出る川もない。それでいて、その水位の変化は、最大でも40cmほどに保たれている(1982年の調査以来)。

摩周湖の水位が上がると、その水圧により湖底から漏れ出る水の量が増え、その結果、水位が一定に保たれるのだという。

※摩周湖への水の流入は降水が73%、外輪山からの集水が22%。一方、流出に関しては、湖底からの漏洩が60%、蒸発が40%(国立環境研究所調べ)。



この摩周湖の閉鎖性が、この湖の神性を保っている。

流れ込む水がないということは、湖を汚染するような物質(窒素やリン)が外部から入ってこないということでもある。

このお陰で、その透明度たるや、一時は世界一ともなったほどであった(41.6m・1911)。一般的に、透明度が8mを越える湖は、「とてもキレイ」と見なされるというのだから、それが40mを超えるとなると、まさに別格である。

※ちなみに、摩周湖の透明度は6〜7月に最も高く、次ぐ8〜9月には低くなる傾向があるという。それは、5月と12月が摩周湖の循環期であり、この時期に水質が均一となることとも関係しているようである。



流れの中にない摩周湖は、いうなれば「巨大な水たまり」である。

※ちなみに、河川を伴わない摩周湖は国交省の管轄とならず、湖面には樹木がないため、農水省の管轄ともならない。つまり、法的にも「水たまり」として国の直轄とされている。



この巨大な水たまりは、火山噴火の産物であり、摩周湖はカルデラ湖と呼ばれるタイプに属する。

「カルデラ」というのは、スペイン語で「鍋」を意味するそうであるから、この水たまりは鍋を満たす水のようなものである。



摩周湖が誕生する以前、その山容は富士山のようなものだったと考えられているが、およそ3万年前から始まったとされる火山活動は、その立派な頭をどこかへ吹き飛ばしてしまった。

そして、その吹き飛んだ跡の凹みが、摩周湖となったのである。つまりは、大噴火という神々の激情が、この湖を産んだのだ。

これは7,000年ほど前の出来事であり、日本国内では最も新しいカルデラ湖の形成であった。



流れのない摩周湖は、周辺の動植物の進化をまったくと言っていいほどに促進しなかったようだ。

流れ込むはずの栄養素が極端に少ないため、「極貧栄養湖」とも分類され、摩周湖を縁取る外輪山の植生は、その誕生から7000年を経てなお、100%原始の様相を保っていると言われている。

その木々はといえば「ダケカンバ」、その下草はといえば「クマザサ」、といったようなシンプルさである。



その湖水に住む魚も少なく、かつては「エゾサンショウウオ」以外の大型の動物は生息していなかったようである。

ところが今の摩周湖には、ニジマス、ヒメマス、スチールヘッド、ウチダザリガニ…、などなど多くの水生生物たちが遊んでいる。



流れ込む川がないのに、彼らはどうやって摩周湖に住み着いたのか? 天からでも降ってきたのか?

答はじつにシンプル。ここに挙げたこれらの種は、人間の手によって摩周湖に「放流された」のである。



大正時代の最末期、1926年から3年間、「ニジマス」の稚魚3万7,000万匹が放流されたのが、その始まりであった。

その後、アメリカのニジマス「スチールヘッド」が1万3,000匹、そのエサとして、やはりアメリカの外来種「ウチダ・ザリガニ」が500尾が、摩周湖に投入された。



第二次世界大戦の勃発により、一時放流は中断されるも、戦争終結ととも放流は再開される。

1974年までに放流された「ヒメマス」は、およそ30万匹にものぼる。



こうして、7000年来の平穏を保ってきた神の湖には、大いなる「人為」が加わったのである。

果たして、精妙なバランスを保ち続けていた摩周湖の生態系は、新たなバランスを求めて動き始めた。



ただでさえ少なかった摩周湖のプランクトンは、人間により持ち込まれた魚たちにより、あっという間に食べ尽くされた。

魚が食べるサイズのプランクトンが減少すると、それより小さなサイズのプランクトン「ピコ・プランクトン」の繁茂につながった。

通常のプランクトンのサイズを「雨つぶ」に例えれば、ピコ・プランクトンは「霧」のように細かい。雨よりも霧のほうが視界を遮ってしまうように、ピコ・プランクトンの繁茂は、摩周湖自慢の透明度を低下させてしまった。

※細かい粒子ほど、光を多方向へ散乱させてしまう。

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また、アメリカからの外来種は、日本の固有種よりも圧倒的に大型で強力だった。

たとえば、摩周湖に連れて来られた「ウチダ・ザリガニ」は、日本古来の「日本ザリガニ」を見事に駆逐し、いまや「日本の侵略的外来種ワースト100」に選定されているのだとか。

もともとはニジマスのエサとして導入されたウチダ・ザリガニは、いまや日本のか弱き生物たちをエサにしているのである。



さて、ここで素朴な疑問が浮上する。

「なんで、そんな危険な生物を、摩周湖に放流したの?」



種々の生物が摩周湖に放たれた時期は、第二次世界大戦を挟んだ激動の時代。今のように、捨てるほど食糧が有り余っている時代とは、わけが違う。

彼らはまさに「必死」だったのであろう。貴重なタンパク源の確保に…。

事の後先は、後になって初めて判るものである。



戦後の1954年、時の昭和天皇が摩周湖のある弟子屈町を訪れたが、残念ながら、昭和天皇は摩周湖を見ることができなかった。摩周湖自慢の「霧」のために。

そこで摩周湖を見られなかった昭和天皇のために、是非にと献上されたのが、摩周湖自慢のウチダ・ザリガニであったという。

日本ザリガニよりも2〜3倍も大型のウチダ・ザリガニは、レイク(湖の)・ロブスターと呼ばれて、今でもレストランなどで食用にされているとのこと。



7000年間、変化の極めて乏しかった摩周湖は、人為の影響を避けられない状況に置かれはじめている。

さすがに魚の放流という露骨な関与は、現在では為されていないものの、自然に流れ込む「大気の汚染」からは逃れる術がない。



かつて、殺虫剤として使われていた「BHC」という化学物質は、その危険性から1972年に日本で禁止された物質であるが、40年以上が経過してなお、摩周湖からはBHCが検出され続けている。

BHCの濃度は最悪期で30pptだったというが、今でも数pptは残留しているというのである。さらに、その数pptを魚たちが取り込むことによって、1000倍にも濃縮されるのだという(食物連鎖の上位における生物濃縮)。



これらのBHCは、日本国内からばかりでなく、雨や雪、大気中のガスとして、地球規模で遠くから移動してきたものでもあるという。

そして今、アジアの龍として天にも昇る勢いの中国からもたらされる大気も、摩周湖に忍び寄りつつある。



近年、摩周湖で目立ってきた木々の「立ち枯れ」は、高濃度のオゾンによる酸化の影響だと考えられている。そして、それは偏西風に乗ってやって来る中国からの汚染大気だとも言われている。

工場や発電所、自動車などから出る排ガスは、太陽の光に晒されることで「光化学スモッグ」となる。そして、それらは風まかせに自由に空を飛び回る。

幸か不幸か、地球の自転方向は、中国の風をつねに日本に運んできてくれるのだ(偏西風)。

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摩周湖の神秘性は、その「閉鎖性」にあったはずである。

地球上で最も透明度の高い「サルガッソ海(アメリカ寄りの大西洋)」は、不思議と流れから取り残されているために、その美しさを保っているのであり、龍泉洞(岩手)の清らかさは、洞窟という閉鎖的な空間が育んだものである。



ところが、グローバル化の波は、そんな閉鎖性を許してはおかないようだ。

良くも悪くも、すべてのものは「流れ」の中に取り込まれ、そして、か弱きものほど汚されてゆく。もはや、「弱き美しさ」は絶滅の危機に瀕しているかのようである。



経済原理に照らし合わせれば、富をもたらすのは「流れ(流動性)」に他ならない。

それは、「流通」のもたらす利益を考えれば、容易に想像がつく。モノを生産するよりも、モノを流すほうが大きな利につながるのだから。

世界で最も流れの速い「金銭」を司ることは、最高の富をもたらしてくれるのだ。



逆に言えば、流れの外に身を置くことは、貧しさに身を浸すことにもつながる。

流れのない摩周湖が、「極貧栄養湖」となっているは、大変に示唆的である。

しかし、極貧ではあるが、実に神々しいのである。



日本には「わび」という思想があるが、禅の大家・鈴木大拙氏は、こう述べている。

「わび」の真意は「貧困」、すなわち消極的にいえば「時流の社会のうちに、またそれと一緒に、おらぬ」ということである(禅と日本文化)。

すなわち、わびの真意は、世俗の流れから一歩引いたところにあるというのである。



また、こうも述べられている。

なにか時代や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じること。これが「わび」を本質的に組成するものである(禅と日本文化)。



なるほど。摩周湖のもつ神秘性は、「わび」に通ずるものがある。

摩周湖の水がすっかり入れ替わるには、最低でも100年以上の歳月が必要だというから、摩周湖の流れは、人間の知覚できる範囲の時空をすっかり超えてしまっている。

すなわち、その流れは決して表層的な速いものではなく、もっともっと底流に根ざすユルリとしたものなのだ。7000年もの歳月が不動に見えるほどに…。



ゆっくりゆっくり進む摩周湖は、いずれ人間の放った魚たちをも包容してゆくのであろう。そして、あらゆる人為的な物質をも。

ただ、それらが十分に消化されるのには、人智を超えた時間が必要にもなるのであろうが…。



摩周湖は年間200日も「霧」に覆われるというが、アイヌの伝説によれば、それは冒頭でご紹介した「島となった老婆」の「涙」なのだという。

霧の摩周湖で、唯一変化の激しいものといえば、その霧以外には何もない。

不動の神の見せる唯一の情、それがその霧なのかもしれない…。




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出典:サイエンスZERO 
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2012年03月06日

猛将・平将門を射抜いた神鏑(しんてき)とは? 人の心を惑わす「春の風」。


「春の風」が歴史を変えるなどということは、あり得るのであろうか。

一時、絶大な武力を誇った「平将門(たいらのまさかど)」は、いずくからともなく飛んできた「一本の矢」に倒れた。

その矢が乗ってきた風こそが、春の風だと言うのだが…。

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将門のコメカミを射ぬいたという矢は、「将門記」によれば「神鏑(しんてき)」と表現されている。

将門は「目に見えない神鏑(しんてき)」に当たり、「地に滅んだ」とされ、それは「天罰」だとも書かれている。

天が起こした一陣の風、それは春の訪れを告げるという「春一番」ではなかったのか、ということだ。その風が吹くや、「馬は風飛のような歩みを忘れ、人は李老のような戦術を失ってしまった」のである。



「将門記」による「将門の最期」の場面では、丁寧に「風」の状態が記されている。

戦いの序盤においては、将門が「風上(順風)」にあり、敵方である藤原秀郷・平貞盛は「風下(咲下)」にあった。

轟々と吹き荒れる強風は、両軍の「盾」を軽々と吹き飛ばしてしまったため、両軍ともに「盾を捨てて合戦した」ほどである。木々の枝は風に鳴り、地鳴りとともに砂埃が舞い上がる。




対峙したばかりの両軍には、明らかな戦力差があった。

将門400に対して、秀郷・貞盛はおよそ3,000(将門の7倍以上)。将門の軍勢は先の合戦において大敗し、将門はその敗走の途上にあったのである。



それでも将門の軍勢の精強さは比類ない。「賊軍(将門)は雲の上の雷のようであり、官軍は厠(便所)の底の虫のようだ」。

加えて、強烈な追い風(順風)が将門に味方したのである。官軍は瞬く間にその数を減らし、3,000もいたはずの兵が、いつの間にやら300にまで激減してしまっていた。



自らの強さに酔う将門。

まさか、この後の惨事を知りようもない。



その時である。

悠々と本陣へ帰還しようとしていた将門の背後から、とんでもない突風が吹きつけたのは。

今までの風が急反転。風上は風下に変わり、そして、その風が一本の矢(神鏑)を乗せてきた。



将門には「六人の影武者」がいるとされ、将門本人を特定するのは至難の業とされていた。

ところが、その神鏑(しんてき)は「白い息」を吐くという本物の将門を知っていた(影武者は藁人形と言われており、吐く息は白くならない)。



それでも、将門の全身は「鉄」のように固く、矢も刀も受け付けないはずだった。

しかし、なぜか「コメカミ」だけは「生身」であった。

神鏑(しんてき)は、将門唯一の生身の部分であるコメカミを正解すぎるほどに射抜くことになる。



まさかの討ち死。

以後、首を刎ねられ、都に晒し首とされた将門は、切り離された胴体を求めて怨霊と化すことになる。

※その祟り(たたり)を鎮めるために、「胴体」は神田明神(「かんだ」は身体に通ず)に、「首」は将門塚(首塚)や御首神社などに祀られている。その周辺で奇怪な死が起こるたびに、「将門のタタリ」は現代でも取り沙汰される。





春の嵐は予断がならない。

平将門ほどの歴戦の猛者とて、そうであった。

春一番が様々な悪事を引き起こすのは、将門のタタリの一つなのでもあろうか。



「春」という晴れ晴れしい響きとは相まって、春ほど風が暴れる季節は他にない。

※過去30年間の統計では、東京の強風(風速10m以上)日数は春(3〜4月)が最も多い。

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時には列車を脱線させ、時には大イチョウをなぎ倒す。

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なぜ、春を選んで強風が吹き荒れるのかと言えば、それはシベリアの「寒気」と南太平洋の「暖気」が日本列島の真上でせめぎ合うからである。

北上する暖気に対して、もともと北にいる寒気は東進(右へ移動)しようとする。

するとその境で、上(北)へ向かう暖気が右(東)へ向かう寒気に擦(こす)りつけられ、その結果、反時計回りの「風の渦(低気圧)」が発生する。

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その風の渦(低気圧)は、暖気と寒気の境をコロコロと転がりながら、東(右)へと去って行く。

冬の寒気が強ければ、その境は日本列島にかぶさることがないのだが、春の暖気が強まるに連れ、その境が日本列島上空にまで及び、さらに強まれば日本海海上にまで勢力を広げる。



春の嵐が風を強めるのは、寒気と暖気の境が日本海海上にまで押し上げられた、まさにその時。

猛烈な強風が、日本海海上の低気圧を目指して吹きつける。それこそが「春一番」と呼ばれる風である。

その風には、春の「のどかさ」など微塵もなく、吹きすさぶ強風に我々はただただ耐え忍ぶのみである。その風速が20mを超えることも珍しくない(風速が20mを超えると、子供や老人などは吹き飛ばされそうになる)。

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平将門を襲った風は、急にその方向を真逆に変えたのだというが…。

風向きというのは、一日の合戦の最中にそれほど大きく変わるものなのであろうか。



気象予報士によれば、それは十分にあり得ることなのだという。

寒気と暖気の境をコロコロと転がりながら右(東)へ移動する低気圧は、南(下)からの風を日本列島にもたらすものの、その前線が過ぎてしまえば、今度は真逆の北(上)から寒風が吹き降ろす。

いわゆる、春一番のあとの「寒の戻り」を誘う風である。前線の移動スピードが早ければ、風が逆転することに1時間もかからないのだそうだ。



将門最期の戦は、そんな気まぐれな春の風に翻弄されたことになる。

その序盤では「春一番」に助けられ、そして終盤、「寒の戻り」によって逆転させられてしまったのである。

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暦をめくれば、今は立春(2月4日)と春分(3月20日)の間にあり、まさに春一番の吹く季節。

春夏秋冬、4つに分けられる季節は、「二至(冬至・夏至)」と「二分(春分・秋分)」を各季節の「中心」と定め、その各季節の境として「四立(立春・立夏・立秋・立冬」を設けてある。

すなわち、立春と春分に挟まれた今(3月6日)は、寒さのピーク(立春)を過ぎ、春がそのピーク(春分)に向かわんとしている時なのである。



中国の五行思想によれば、この季節は「風」と関連が深く、人間の「怒」を乱すとも言われている。

「努」を起こすのは「自律神経(交感神経・副交感神経)」の乱れとされ、その自律神経を司るのは「肝臓」である。

春のもたらす春一番が「風邪(ふうじゃ)」を暴れさせ、それが人の感情を揺さぶり、肝臓をも弱らせるとのことだ。




春の風は、大地を吹き抜けるばかりでなく、人の感情をも逆撫でにするということか。

それは、冬のもつ「陰の力」と春のもたらす「陽の力」がせめぎ合うためでもあると説明される。

※そのせめぎ合いは、シベリアの寒気と南太平洋の暖気の如し。



春の陽は暖かさを導く一方で、「乾燥」をも招く。

陰の気が「鎮静」と「潤い」を人に与えるのに対して、陽の気は「興奮」と「乾燥」をもたらす。

このバランスが崩れた時に、「風邪(ふうじゃ)」は暴れ、人はそれに翻弄される。



今は陰の気が尽きようとする季節。

風邪(ふうじゃ)に害されぬためには、残り少なくなった「陰の気」を大切にすることが肝要である。

「秋冬養陰」とも言われるように、この寒い季節に「陰の気」を養うことで、「衛気(えき)」と呼ばれる身体を守るバリアが強められ、風邪(ふうじゃ)を寄せ付けなくさせるのだという。



春という希望の到来は、まことに好ましい。

しかし、その希望のもたらす「負の側面」もあることにも目を向けるべきである。急激な変化は、過剰な風(春一番)を巻き起こし、そして、再び寒気をも招き込む(寒の戻り)。

一方、寒さという好ましからざる事態にも、「正の側面」があることも認識すべきである。人間にはこの時期にしか養えない「気(衛気)」もあるのである。



我々の時代は今、季節が変わるように、変化を迎えようとしているのかもしれない。

次代への希望もあれば、前時代に対する反省もある。それでも、次代は光ばかりではなかろうし、前時代が闇ばかりでもなかった。



物事が変わりゆくその時、過ぎ去りしモノを大切にするくらいの余裕は必要なのでもあろう。

昨年訪れた「アラブの春」は、今年に入り「寒の戻り」に苦しんでいるようにも見える。




人間は変化を求めながらも、少しずつしか変われない性(さが)を持つのだという。

それでも、変化をもたらすには、春一番のような強烈が風が必要なことも事実である。たとえ、強烈なブリ返しが襲ってくるのが分かっていたとしても。



春の風はそんなジレンマの中を、いつも素知らぬ顔で吹き抜けてゆく…。

そして、いつの間にか、季節は変わるのだ。







出典:お天気バラエティー 気象転結
「ホントは怖〜い!?春一番」


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2012年02月29日

一万年も続いているという「ハッザ族」の暮らしに見え隠れする、現代文明の欠陥とは…。


「弓矢」片手に一万年。

タンザニア(アフリカ)に暮らす「ハッザ族」は、そうやって大自然の中を生き抜いてきた。



キリン(またはインパラ)の「靭帯」を弦にして作ったという彼らの弓矢は、大きな動物(シマウマ・水牛・猪など)から小さな動物(鳥やリス)まで、何でも倒す。

その矢には「毒」が塗られており、獲物は矢が刺さったからというよりは、その毒で死ぬことが多いようだ。

※この毒は「砂漠のバラ」という別名を持つ潅木・アデニウムの樹液を煮詰めて作られる。



狩猟採集を生業(なりわい)とする彼らが「定住」することはない。

同じ場所に1ヶ月と留まることはなく、獲物を求めて移動を繰り返す。



彼らが移動先で「家」を作るのには、1時間とかからない。

彼らの家は、小枝や草を編んで作る小型のドームのもので、雨季(11月〜翌4月)のみに用いる仮りの住まいに過ぎない。乾季(5月〜10月)においては、焚き火のそばで野宿することが多いようだ。

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フランク・マーロウ教授(フロリダ州立大)は、過去15年にわたりハッザ族を調査してきたのだという。その彼に言わせると、「ハッザ族の暮らしは、遠い祖先の時代から変わっていないのかもしれない」ということになる。

遺伝子解析の結果を見ると、ハッザ族の遠い祖先は、10万年以上も前の現生人類「最古」の血をひく可能性がある。そして、現在のハッザ族が行う狩猟採集型のライフスタイルは、少なくとも農耕が始まる以前の一万年前には溯ることが確実視されている。

気の遠くなるような長い人類史(200万年)においては、その99%の期間、ハッザ族のような狩猟採集の生活だったのだという。むしろ、「定住型の農耕(牧畜)」を始めたことの方が「ごく最近」のことで、人類史においては1%に満たない短い歴史しかない。

そして、そのわずか1%の短期間で、人類は過去99%の生活(狩猟採集)をすっかり色褪せたものへと変えてしまったのだ。



定住、そして農耕は、人類に「大いなる富」をもたらした。しかし、名著「銃・病原菌・鉄」を著したジャレド・ダイアモンド氏は、こうも言う。

「農耕の採用は、人類最大の過(あやま)ちだ」、と。




農耕のもたらした潤沢で安定した収穫は、集落の人口を爆発的に増大させた。集落が都市になり、都市は国家になった。しかし、その「代償」も少なくなかった。

人口過密化により、「感染症」が猛威を奮るった。安定していると思われていた農耕による生産も、しばしば訪れる飢饉などによって、大打撃を受けることもあった。

そして何より、国家をあげた「大規模な戦争」が、今なお多くの人々を殺し続けている。



農耕とは無縁のハッザ族の人々は、「戦争をしない」。

20〜30人程度のまとまりで暮らしながら、公式な「指導者」もいない。

長老と呼ばれる人物は存在するものの、なにも彼が特権的な力を持つわけではない(大きな収穫があった時には、最も貴重な部位である「頭」が長老に振舞われたりするが…)。



「争い」を好まないハッザ族の人々は、よそ者が土地に入り込んできても、抵抗することはまずない。

ただ、彼らの方が「別の場所」に移動するのみである。



生活自体が「その日暮らし」であるために、富が蓄積されることは考えられず、ハッザ族の人々は財産はおろか、個人の所有物すらほとんど持たない。

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権力の格差もなければ、富の格差もない。大人たちは誰からも命令されず、誰かに命令することもない。



男女間の関係もおおむね平等であるが、むしろ「女性の力が勝っている」ことのほうが多いようであり、間違っても、男性が女性を「服従させる」ということはないようである。

ハッザ族の夫婦が別れる時は、たいてい「男が妻に見切りをつけられる」。その見切りをつけられる最大の理由は、「狩りが下手」ということだそうだ。



狩りから「手ぶら」で帰ってきた男性たちに対して、女性たちの目はすこぶる厳しい。

「まったく頼りにならないわねっ!」

「寝てばかりいないで、もう一度狩りに行きなさいっ!」



狩りの成果が乏しい時、男たちの肩身は限りなく狭くなる。そんな時は、普段は昼しか行わない狩りを、「夜」も行う。女性たちの大好物である「ヒヒ」を狩るためである。

ヒヒの牙は大変に鋭く、簡単に肉を切り裂くものである。狩りの達人であるハッザ族をしても、心してかからねば、逆にやられかねない。そうした危険を犯してでも、ヒヒは狩る価値がある。

ヒヒはハッザ族にとっての最高のご馳走であり、何より女性の心をつかむことができるのだ。ハッザ族の男性が結婚するためには、女性にヒヒ五頭を捧げなければならないのだともいう。



ヒヒを獲ってきた男性たちを見る女性の目は、一気に好意的なものとなる。

「久しぶりのお肉だわ! もう幸せっ!」

モテる男性の最大の条件は、「狩りが上手いこと」なのだ。それでも、獲物を仕留めた男性は、「手柄を自慢しない」ことになっている。狩りの成果は「運不運」に大きく左右されるものでもあるのである。

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ハッザ族が一万年以上にわたり狩猟採集を続けてきたのには、それなりの理由もある。

彼らの暮らす土地は、塩分濃度が極めて高く、農耕には全く適さない。また、水にも乏しく、そのくせ害虫はウジャウジャいるのだ。彼らにとって、農耕という選択肢はおおよそ考えられず、現代にも続く狩猟採集スタイルが最善の生きる道だったのである。

こうした自然環境の厳しさは、ある意味、ハッザ族に幸いした。なぜなら、「他の誰もが、この土地に住もうと考えなかった」からである。



ところが近年、古来よりハッザ族が暮らしてきた不毛の大地に、多くの人々が押しかけている。牛などを放牧する牧畜民、トウモロコシなどを栽培する農耕民、狩猟をするハンターや密猟者…。

争いを好まないハッザ族の人々は、その度に移動を繰り返し、いまやかつての土地の90%は「よそ者たち」に占められることになった。

よそ者たちの横行は、自然環境を大きく変えた。貴重な水場は牛の糞尿で汚染され、小動物の住処でもあった潅木の茂みは切り拓かれ、畑にされた。ハッザ族は一万年にもわたり、自然環境にほとんど負荷をかけずに暮らしてきたが、よそ者たちのかける負荷は尋常ならざるものがあるようである。



よそ者たちは、原始的なハッザ族を「見下している」。

タンザニア政府も、ハッザ族に生活を改めさせようとしている。国内にヒヒ狩りをするような部族がいまだにいることは、他国に対してマイナスのイメージを与えると懸念しているからだ。「定住させて、教育を受けさせる」、それがタンザニア政府の方針である。

ところが、ハッザ族の子供たちは、「学校には行きたくない」と口をそろえる。なぜなら、町の学校では「自然の中で生きる技術を学べない」。その技術(弓矢)がなければ、村では「仲間はずれ」にされてしまうのだ。



ハッザ族の若者たちは、伝統的に武者修行をして弓矢の腕を磨く。その武者修行とは、他のグループ間を転々としながら、様々な技術や知識を吸収していくことである。20〜30人単位でバラバラに暮らしているハッザ族は、こうした若者たちの武者修行によって、技術を受け継ぎ、それらを発展させてきたのである。

そもそも、町の教育を受けたからといって、生活が豊かになるとも限らない。はたして、学校教育が職を保証することはできるのか?

職がなくて貧しい生活を強いられるよりも、狩りをして自由に暮らしている方が良いと考える若者たちも少なくない。



西欧のもたらした豊かさの陰には、必ず暗いものがある。

近代化されたハッザ族では、アルコール依存症、家庭内暴力が問題となっている。本来、女性に頭が上がらなかったはずのハッザ族の男性が、妻を殴り殺したという事件すら起こっているのだ。

現在、ハッザ族を取り巻く環境は厳しい。自然環境が厳しいというよりかは、よそ者たちのお節介が度を越しているのである。一万年続いたというハッザ族の歴史は、そろそろ終焉の時を迎えようとしているのかもしれない。



それでも、ハッザ族の人々は「何も心配していない」。

彼らの思想に、「心配」の二文字はないのである。



というのも、彼らには「時間の概念」がない。

「今日という日があるだけだ」

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「明日」「あさって」という言葉はあるが、それ以降を表現する言葉を彼らは一万年間、必要として来なかった。同様に、過去に対する執着もほとんど持たない。彼らに「年齢」を聞いても、誰も自分の年を知るものはいないのだ。



「死んだらどうなるかなんて、知ったこっちゃない」

彼らは宗教的な事柄にも、不思議なほど無関心なのである。



どんな時でも、彼らは「今」に生きてきた。

我々には恐ろしく不安定に思える考え方であるが、「今のみ」を生きる彼らには一万年を生き抜いてきたという確固たる実績がある。



一方、我々が安定的であると考えたライフスタイルの方は、どうだろう?

人類史のたった1%に過ぎない歴史が、地球環境を瀕死の状態にまで追いやってしまったのではなかろうか。

我々の生活は、一体あとどれほど続けられるのであろうか?






出典・参考:
「ハッザ族 太古の暮らしを守る」ナショナル・ジオグラフィック
地球イチバン 「地球でイチバンのシンプルライフ〜タンザニア ハッザの人々」



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2012年02月27日

科学技術が明らかにしつつある「アマゾン」の全貌。幸あれば禍あり。


「投資ゼロ」と呼ばれる「放牧」が、アマゾン(ブラジル)で横行しているのだという。

その名の通り、投資金はいらない。なぜなら、人跡未踏の国有林を不法に占拠するからである。



どの地図にも載っていないというトランス・イリリ街道は、その「投資ゼロ」を支える重要な街道である。

まず、行われるのが不法占拠した国有林の「伐採」。この木材を売るだけでも大きなお金になる。



次に、そのお金で「肉牛」を買う。

そして、森林伐採により形成された土地にその牛を放牧するのである。ブラジルの牛肉輸出量は世界一。この牛を売れば、さらに大きなお金となる。

こうした放牧目的で伐採されるアマゾンの熱帯雨林は、全伐採量の80%を占めるほどだという(この40年間で、アマゾンの森林は20%減少している)。

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過去、アマゾンの熱帯雨林の「消失」が最大となったのは、2002〜2003年と言われている。

その一年間で、「秋田県」と「岩手県」を足したほどの広大な面積の熱帯雨林が失われた(2万7,700平方キロ)。

近年においては、その消失面積は減ったとはいえ、「高知県」ほどの面積のジャングルが、毎年失われているそうだ(7,000平方キロ)。



もし日本であれば、投資ゼロのような森林伐採は不可能であろう。日本のような小さな国では、すぐに見つかってしまう。

ところが、アマゾンのスケールは我々の想像を遥かに超えるものがある。

「空白地帯」と呼ばれる未知のジャングルは、日本の国土の5倍以上(200万平方以上)あると言われるほどなのである。

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人間の眼が及び切らない広大なアマゾンにおいて、違法な森林伐採は引きも切らない。



さらに、その空白地帯に「どんな人々が住んでいるか」さえも把握し切れない。

「見えざる人々」と呼ばれるのは、密林の中に暮らす先住民族たちのことである。

世界中には、100以上の「未接触部族」がいるというが、このアマゾンにもその多くが暮らしているのである(今月初めにも、「マシコ・ピロ」という部族の存在が新たに確認されている)。



近年、科学技術や宇宙技術の発達によって、航空機や人工衛星から、「知られざる密林」の調査が進められている。

アマゾンの密林は一年の半分以上も「雲」で覆われる地域もあり、従来の上空調査はその雲に阻まれることも多かったというが、最新のレーダーを用いれば、雲はおろか、木々で覆われた河川や谷までをも見通すことができるようになったのだという。



そうした最新技術の調査により、「見えざる人々」は年々見えるようになってきている。

そして、ブラジル政府はそうした「見えざる人々」の所在を確認し、彼らに居住許可証と土地を保証する活動を行なっている(ここ半年で、およそ5万戸に居住許可証を発行し、30万人に戸籍を与えた)。



政府によるこうした活動が活発化したことの背景には、ある先住民族の「悲劇」があった。

その先住民族は「ラポサ・セラド・ソル(ロライマ州)」に、ずっと昔から住んでいた。

ところが、突然のように白人たちが彼らの土地に押し入って来て、土地を切り拓いて「コメ」を植え始めたのだ。

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白人たちは「銃」を持っていた。

そして、21人の先住民族のリーダーたちが殺された。

それでも、先住民族たちは暴力による仕返しを行わなかったのだという。



経済的にも勝り、政治力もあった「新しい入植者たち」。

彼らは「金とコネ」を駆使して、決して罰せられることがなかったため、先住民族の同胞たちには、おおよそ勝ち目がなかった。



ところが、先住民族のうちの一人が命懸けで撮影した映像が、ブラジルの最高裁において動かぬ証拠となり、先住民たちの逆転勝利が確定した。

同地を訪れた前ブラジル大統領「ルラ」は、暴力に頼らなかった先住民族たちの行為を大いに讃える演説を行なっている。

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裁判で負けて土地を去ることになった入植者たちは、その憤懣やるかたない怒りをブチまけるかのように、全てを破壊してから土地を後にしたとのことだ。



大いなる経済発展を謳歌しつつあるブラジル。

一気に都市化した街が増える一方で、自然と密着して暮らす人々も密林の中には、まだまだ数多い。ブラジルには200以上の少数民族が存在し、約60万人が600以上の地域に暮らしているのだという。

「地球の肺」とも称せられるアマゾンの密林は、地球上に多量の「酸素」をもたらすと同時に、その懐(ふところ)には、多くの少数民族を優しく包みこんでいるのである。



しかし、経済偏重の波は、アマゾンを「アマゾンのまま」でいることを許してはくれないようだ。

経済的な眼で見れば、広大な森林が大きなお金に見え、その地下に眠る膨大な鉱物に、思わず触手が伸びる。

河川を塞き止めれば、大きな電力が得られるとも発想する。



アマゾン川最大の支流である「マデイラ川」には、2つの巨大ダム建設が進んでいる(サント・アントニオ・ダム、ジラウ・ダム)。

それらが完成した暁には、ブラジル国内の電力の10%をまかない、近隣諸国へも電力供給を行うことができるほどになる予定である。

しかし、巨大ダムによって水没する先住民の村も数多い。

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巨大ダムの建設に関しては、賛否が両論であるようでいて、その実、賛成が多数である。

なぜなら、大規模な建設工事によって新たに生み出される「雇用」は、多くの人々が求めるところなのである。



しかし、その膨大な雇用が「一時的」であることに留意する人々は少ないようだ。

かつて、大規模コメ生産者が入植する口実としたのは、村に新たな雇用を生み出し、土地に税金を収めるという大義名分であった。

ところが、先住民を労働力とするのは良いが、その賃金はまともに支払われないことも多く、土地の税収も増えなかった。さらに、彼らは機械を駆使していたために、思ったほど仕事は多くなかった。



都市化とともに生まれる雇用(仕事)の問題。

その経済が昇り調子であれば、都市化も進み、雇用も増える。

ところが、ある程度都市化が進んでしまうと、その維持・管理には従来ほどの雇用を必要としなくなり、逆に失業率の上昇が新たな都市の問題となる。

日本は高度経済成長期に多くの雇用を生み、多くのお金が動いたが、それらが一段落してしまえば、あとは静かなものである(幸い、日本の失業率は世界に比して低いほうである)。



都市化というのは、人間を自然から遠ざけることでもある。

自然から遠ざけられた人間たちは、もはや自然に還ることは叶わず、なんとかして人の波の間に生きていくしかなくなる。



アマゾンの「見えざる人々」は、現在それほど他人の手を必要としていない。自然とともにある彼らには、その宿主である大自然から十分な恩恵を分け与えられているのである。

ところが、都市化により自然から遠ざけられてしまえば、そうもいかなくなる。必然的にお金が必要になり、ある種の中毒のようにお金なしでは生きていけなくなってしまうのだ。



日本のように高度に文明化・先進化した国は、その過程において大いに熱狂したことであろう。

ところが今、「幸せって…?」と悩む人々も少なくない。そうして悩んだ挙句に、結局は自然への嗜好を強める人々も多くいる。



人々は自然から遠ざかり、そしてまた、近づこうとする。

病気になって分かる健康の有難さのようなものであろう。



そうした苦い体験を持つ人々は、親切にも途上国と呼ばれる国々に対して警告を発する。

「我々の踏んだ轍を踏んではいけない」、と。

ところが、新たな豊かさに歓喜する人々の耳に、その言葉は届きようもない。



経済的な繁栄は、嬉しくも禍(わざわい)な面がある。

巨大なダムが完成した時に解雇される人々は何と思うであろうか。

洪水の被害が軽減すると思っていたのに、逆に自然環境が乱れてしまったとしたら、そのトバッチリは誰が受けるのであろうか。



人間の編み出した知恵が、1000年を超える繁栄を謳歌したことは未だかつてない。

我々の知恵と思うものは、自然の叡智に対して、一体どれほどのものなのであろう。





出典:BS世界のドキュメンタリー
「アマゾン〜宇宙からの監視計画」



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2012年02月15日

最北の地で何を見た?「ロングイヤービエン(スヴァールバル諸島)」の真っ暗な冬。


「極夜(きょくや)」とは?

昼でも太陽が昇ってこない「真っ暗な一日」のことで、地球両端の極地(北極・南極)において見られる現象である。



なぜ太陽が顔を出さなくなるかと言えば、地球という星が真っ直ぐに直立しているわけではなく、「少しだけ傾いている(23.4°)」からである。

その首をかしげたような傾きは、時計の針でたとえると「およそ5分」の傾きであるが、その5分以下の圏内では、季節によって太陽の光が全く当たらなくなってしまう。

地球が首をかしげて、ちょっと考え込んでいる間、極地に暮らす人々は太陽を見ることができなくなってしまうのだ。

※太陽の光が当たる「限界緯度」というのは「66.6°」のことであるが、この66.6°という数字は、直角である90°から地球の傾きの23.4°を引いて出た数字である。



ノルウェー領の「ロングイヤービエン(スヴァルバル諸島)」という街は、人間の定住する「極北の街」といわれている。

ロングイヤービエンの緯度は北緯78°であり、余裕で限界緯度66.6°を超えてしまっている。時計の針でいうならば、「2分」の傾きしかないことになる。つまり、ほぼ直角(真北)と言っても誤解は少ないだろう。

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ここまでの極地となると、「極夜(きょくや)」の長さも半端ではない。

11月〜翌年2月までの冬期間は、まともに太陽を拝むことが叶わない。真昼間でも真っ暗という大いに矛盾した一日が延々と続くのである(太陽が昇らない4ヶ月間の内、その中程の2ヶ月間は薄明かりすら差さない漆黒の暗闇となる)。

逆に夏の場合は、沈んで欲しくとも太陽は頑なに沈まない。いわゆる「白夜(びゃくや)」という現象で、真夜中でも煌々と太陽が輝き続けることになる(4月〜8月)。



極北の街・ロングイヤービエンでは、冬はずっと真っ暗(極夜)で、夏はずっと明るい(白夜)。そう考えると、まるで一年が一日のようではないか(冬が夜で、夏が昼)。

同じ地球上に、これほど太陽環境の異なる地があるということにも驚きであるが、そこに暮らす人々がいるというのも二重の驚きである。



これほど体内時計が狂ってしまいそうな土地に、なぜ人々は暮らすようになったのか?

お隣りが北極点という土地柄だけに、冬の気温はマイナス30℃を下回り、夏でも7℃程度にしか上がらない。太陽の有無のみならず、その気候の厳しさも尋常ではない。

ロングイヤービエンの属するスヴァルバル諸島の6割以上は「氷河」で覆われているのだ。そこに生える草花はごくわずかしかなく、10cm以上に育つ植物は皆無である。

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人々がこうした極限の地へと足を踏み入れるのは、「消極的」な理由であることが多い。

たとえば、食糧や水が枯渇してしまい、やむなく移動を余儀なくされたとか、敵対勢力に追われに追われて、不遇な土地に追いやられたとか…。



ところが、人々がロングイヤービエンに住み着いたのは、もっともっと「積極的」な理由からである。

それは、「黒いダイヤ」に魅せられたからであった。



「黒いダイヤ」とは、「石炭」のことである。

ロングイヤービエンで採れる石炭はカロリーが高く、世界でも最高クラスの品質だったのだ。

現在でもその採掘は続いており、人口2,000人の内の相当数が炭鉱関係の仕事に携わっているとのことである(最盛期においては、8割以上の人々がそうだった)。



炭鉱関係の収入は、それほど悪くない。

むしろノルウェー本土の平均収入よりも、ロングイヤービエンの平均の方が高いのだという。

それでも、極北の暮らしは想像を超える壮絶さなのであろう。住民の平均住居年数は、わずか6.3年。毎年4分の1の人口が入れ替わるという目まぐるしい出入りである。



ロングイヤービエンの人口が2,000人強で、周辺諸島を合わせても3,000人に満たない。

一方、北極を得意とするシロクマさんたちは、ゆうに3,000頭以上が生息しているという。

羊で有名なニュージーランドは、人間よりも羊の数が多いとも言われるが、ここスヴァルバル諸島では、人間よりも北極グマの数の方が多いのである。



そのため、住民たちがシロクマに出くわすことは珍しいことではない。お腹を空かせたシロクマは、ロングイヤービエンの街近くまでやって来ることもあるのだそうだ。

日常の会話において、「あそこにシロクマが歩いていた」だの、「ここでもシロクマが出た」だのが平気で交わされているのである。

観光案内のパンフレットには、「居住地から出る時は、『銃』を携行するように」との注意書きがあるのだそうだ。街の移動手段であるスノーモービルには「ライフル」が標準装備されている。



やれやれ…、ロングイヤービエンは人間の住む土地というよりも、シロクマが住む土地と考える方が、よっぽど自然な環境のようだ。

シロクマの他は、セイウチ2,500頭、アザラシ1,000頭といった具合であり、これでは、シロクマたちの世界に人間が無理矢理首を突っ込んでいるような格好である。



ところで、どんな人々がロングイヤービエンに住んでいるのだろう?

ノルウェー領なだけにノルウェー人だろう…。確かにその多くがノルウェー人だ。しかし、この地には世界中の44ヶ国からやって来たという種々雑多な人種がゴッタ返してもいるのである。



というのも、ロングイヤービエンに入るのに、「パスポート」は要らない。空港にはイミグレーション(入国管理)すらない。

この地は、世界でも珍しい「フリーゾーン」と呼ばれる土地で、どんな国籍の人々でも出入りが自由にできるのである(仕事と住居さえ確保すれば、誰でも自由に移り住んで働ける)。

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なんと先進的な土地柄なのだろう、と思うのは少々早計である。

この地がフリーゾーンとされたのは、黒いダイヤ(石炭)の島の権益を巡る醜い争いの末の、消極的な妥協案なのであるから。

係争中であった各国(アメリカ・イギリス・スウェーデン・ロシア・ノルウェーなどなど)間を中心に結ばれた「スヴァールバル条約(1920)」によって、スヴァールバル諸島の主権はノルウェーにあるとされながらも、フリーゾーンとしてその他各国に大きな自由が与えられたのである。



「地の果て」に位置するスヴァールバル諸島であるが、その歴史は意外にも「争いの歴史」が数多く散見される。

石炭が発見される以前は、「クジラ」を巡っての争いが起こった。

1600年代、この諸島近海にクジラが豊富だと知られるや、イギリス・フランス・オランダ・デンマークなどが、こぞって捕鯨隊を送ることになる。

捕鯨権を巡って、オランダとフランスは軍艦を出動させた海戦まで行なっている(1663)。



第二次世界大戦において、スヴァールバル諸島は戦略上の重要拠点とされた。

なぜなら、イギリスがロシアに戦略物資を輸送するための航路にスヴァールバル諸島が位置し、それをドイツ軍が阻止しようと躍起になったからだ。

ドイツ軍に占領されたり、連合国軍が奪還したり…。



スヴァールバル諸島は、人が住むには厳しすぎる環境である。

それでも、その豊富な資源(クジラ・石炭)や、その重要な立地条件によって、人々はこの島々を無視することができなかったのである。

このように、最果ての地とは思えない歴史を持つスヴァールバル諸島であるが、その遠因の一端はスヴァールバル諸島の成り立ちにも求められるかもしれない。



今では北極点間近に位置するスヴァールバル諸島。

しかし、遠い遠い昔(シルル紀)には、なんと「赤道付近」に位置していたのだという。現在の良質な石炭は、スヴァールバル諸島が「熱帯雨林」に覆われていた時代(石炭紀)の痕跡なのだ。

徐々に北上していったスヴァールバル諸島は、中生代頃にほぼ北緯45°の位置にまで達する。地球の寒冷化も手伝い、新第三紀にはスヴァールバル諸島の寒冷化が始まり、第四紀には今のように氷河に覆われることになったとのことだ。



赤道から北極圏まで長い長い旅をし、熱帯雨林から氷河までのあらゆる気候を知っているスヴァールバル諸島。

現在でも北上は続いており、5000万年後にはめでたく北極点に到達するものと考えられている。

スヴァールバル諸島に暮らす人々の生活も極限的なものだが、この諸島がたどって来た歴史も壮絶なのである。



現在ではフリーゾーンとして、自由の風が吹くスヴァールバル諸島。

酸いも辛いも知り尽くした同島は、今、すべてを受け入れようとしているかのようである。



炭鉱夫として働くミラン氏は、自分の息子の巣立ちを前にして、こう語る。

「小さな子には小さな問題が、大きな子には大きな問題が待っている」



この季節、ロングイヤービエンの街には、まだ太陽が昇ってこない。

その姿をまだ見せずとも、その余光は街の空を薄く照らし始めている。

確実に太陽はそこまで来ているのだ。



「太陽よ、戻って来てくださーい!」

街の子供たちは、そう声を大にする。

4ヶ月ぶりに姿を見せる太陽を歓迎する「太陽祭」が開かれているのである。

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残念ながら、空が雲に覆われたこの日に太陽を見ることはなかった…。

それでも、ガッカリすることは全くない。

それは、もう時間の問題なのであるから。




出典:地球イチバン
「地球でイチバン 北の町」〜ノルウェー・ロングイヤービエン〜



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