2013年07月10日

価千金、菌界に生きる者たち。見えなくも広大なネットワーク


動物でも植物でもない。

原始的でありながら極めて高度な生態。

「菌類」



食卓ではたいそう嫌われる彼ら。すぐに食物をカビさせてしまうため、いつの時代も嫌悪感の対象となってきた。

いわゆる「バイキン」である。

彼らは悪さばかりする厄介者であるが、うまく手懐ければパンや味噌、ビールを美味しくしてくれる。イーストや麹など「酵母」というのも菌類の一つである。



1928年、青カビから「ペニシリン」が発見されると、人々の菌類に対する見方は変わった。多くの人の命がペニシリンに救われるようになったのだ。青カビはロックフォール・チーズに欠かせないだけではなかったのである。

1960年代、デンマークのコペンハーゲンで発見されたのは「食欲旺盛な酵素」。服に飛んだ油染み(油脂)を食べるこの酵素「リパーゼ」は、主婦の強い味方「粉末洗剤」となった。








そして現代、菌類のもつ極めて高度な能力は、土壌汚染の除去や砂漠の緑化などに応用されようとしている。

氷河期など多くの生物が絶滅した時代を生き抜いてきた「菌類」。文字通り「バイキン並みの生命力」。

人類の登場にも動じなかった菌類が今、人類に差し迫った問題を解決する糸口となろうとしている。










◎菌糸体ネットワーク



自然界における菌類の主な仕事は、落ち葉や枯れ枝を分解すること。

落ち葉の隙間や木の枝から顔を出すキノコの傘は、その作業がきちんと行われている証拠である。植物のもつ細胞壁という堅い殻を食い破って植物を分解できるのは、キノコたちの磨いた特別な能力の一つである。



「落ち葉などを分解する彼らのひたむきな情熱がなかったら、地球はとうの昔に有機ゴミで埋まっていたことでしょう」

森の落ち葉を踏みしめながらそう言うのは、菌類学者ポール・スタメッツ。地面の落ち葉をめくって「白い糸が絡まったようなマット状のもの」を見せる。それは「菌糸体」と呼ばれるものだ。

「この菌糸体がキノコを生み出しているわけです。菌糸体は素晴らしい香りがします。密集した菌糸体が落ち葉や枯れ枝を食べ尽くし、最終的に恵み豊かな土壌をつくるのです」








地上に顔を出すキノコは菌全体のほんの一部。本体は菌糸体と呼ばれる地中に張り巡らされたネットワーク。それは時に数十km四方にも及ぶという。

たえば1992年、アメリカ・ミシガン州で発見された「ナラタケ」の一種は、その地中のネットワークを1500年かけて15ヘクタール(東京ドーム3個分)以上にまで広げていた。その総重量はおよそ100トン。地球上最大の動物シロナガスクジラ並みであった。



スタメッツ博士が一歩一歩と落ち葉を踏むたびに、菌糸体が跳ね上がる。

「こうして地面を踏んで歩くと、私が運んできた新しい落ち葉や枯れ枝を食べようとして、菌糸体が上がってくるのです」

菌糸体は新しい栄養源をつねに探しながら、その触手をあらゆる方向へと延ばしていくのである。そのネットワークは非常に流動的で絶えず変化する。たとえその一部がダメージを受けようとも、またたく間に修復もしくは迂回路を形成していく。








キノコという目に見える菌の形は、地中に広がる菌糸体にとっていわば氷山の一角。その傘は胞子(植物でいう種)を風に飛ばす飛び道具のようなものである。だから、たとえキノコが人間に収穫されようとも、地中の菌糸体がある限り、いくらでもキノコは再生される。

それと同様、菌糸体を地中にもつ森は、落ち葉などの有機物をふたたび植物体として再生を可能にする「生態系を守る母」となる。

森の再処理工場はすなわち、彼ら菌類ということだ。生きた植物が死んだ時、その蘇りを手助けするのが菌類なのである。










◎植物と菌類



食物を生産する農業にとって本来、菌類というのは「味方」のはずである。ところが多種多様な菌類の中には、明らかに作物に害をなすものもいる。ゆえに長らく、菌類は栽培者にとって悪者とされ、農薬によって駆逐されてきた。

だが今、「昨日の敵は今日の友」。自然農業などを営む人の中には「キノコの生える畑こそが最高だ」という人もいる。それはすなわち、その畑の地中には「生態系の母」である菌糸体が張り巡らされているからだ。



菌糸体の役割は、植物の生と死をつなぐばかりではない。生きた植物の根っこに住み着いて、そこで一緒に暮らす。いわゆる「菌根共生」という蜜月関係もある。

「菌類はこっそり近づいたりしません。植物の繊維に堂々と入り込み、細胞の中に次々と樹枝状体と呼ばれる構造をつくるのです」と、分子生物学者のギヨーム・べカールは言う。彼は「何時間でも根を見て過ごすことができる」という根っからの根っこ好きだ。

菌類は植物の根っこに絡みついているだけでない。硬い細胞壁の合間を縫うようにして根の内部にまで侵入し、そしてその細胞内に「樹枝状体」という細かく枝分かれした構造を形作るのである。樹枝状体というのは人間の肺の内部構造とよく似ている。細かく枝分かれしているのは、できるだけ表面積を大きくして物質のやり取りを盛んに行うためである。








こうした菌類の根への侵入を植物たちは嫌がらない。むしろ歓迎している。菌類が共生するために近づいてくると、お互いが認識信号を出し合って位置を確認。その後、植物は一時的に免疫防御システムを停止して菌糸を迎え入れるのである。

というのは、菌類は植物に利益をもたらしてくれるからである。菌類は地中深くで集めてきた「ミネラル」や「水分」を植物に与えてくれる。その代わり、植物は光合成で得たデンプンなどを菌類に与える。

「当たり前ですが、植物は動くことができません。そのため、遠く離れたところに助けを求めるわけにはいかないので、植物は根っこに共生している菌類の力を借ります。自分たちが成長に必要な物質を探し集めてもらうのです」とべカール博士は言う。



菌類が寄生するのは、一個の植物だけにとどまらない。縦横無尽に広げた網の中にいる様々な植物の根にも同時に入り込んでいく。その結果、菌糸体のネットワークは異なる植物同士をつなぐネットワークともなる。

「つまり、共生している菌糸を通して植物と植物がつながり、代謝に必要な物質などを交換し合うのです」とべカール博士は言う。

さらに驚くべきことに、植物同士は菌糸を通して互いにコミュニケーションを取り合っているようだ、とべカール博士は言う。まるで糸電話で話すかのように!










◎砂漠と菌類



話は少し飛ぶが、アフリカでは「緑の長城」という計画が行われている。それは、アフリカ大陸の西端のセネガルから東端のジブチまで全長7000kmにも渡って植林していくという壮大なプロジェクトである(その幅広な横断路には広大なサハラ砂漠も含まれている)。

植林の木として白羽の矢が立ったのは「ナツメの木」。だが乾燥地帯という過酷な環境下ではその木ばかりでは心細い。そこでその相棒として選ばれたのが「グロマス・アグリゲイツム」という菌である。その菌の胞子(種)は灼熱の砂漠から見つけ出されたもので、乾燥に恐ろしく耐える。



砂漠で生きられる菌「グロマス・アグリゲイツム」ならば、その菌糸は地中に潜って水分を探し出し、「ナツメの木」の根っこにも貴重な水を分け与えてくれる。その相性は抜群であった。

「菌根共生は砂漠に移植された苗木の生存率を高めます」と、緑の長城プロジェクトの微生物学者アマドウ・バは言う。「苗木に菌を摂取すると、植物の根の表面積が大きくなります。その結果、土の中に含まれるリンやチッソなどの養分の吸収率も良くなるのです」

農作物でもそうだが、四方八方の菌糸は養分をも集めて来てくれるため、化学肥料などの使用を減らすこともできるのだ。








「周辺の村人たちは、この『ひ弱な苗木』に将来の果樹園を夢見ています。果樹園の恩恵は果実の収穫にとどまらず、木陰を使って他の農作物の栽培も可能になります」と、バ博士は言う。

植えられたナツメの木に住んでいる菌グロマス・アグリゲイツムは、地中に菌糸体のネットワークを広げながら他の植物の根っこも探し求める。そして、異なる植物同士の物流をつないでより大きな共同体を形成していく。

「菌糸体のネットワークが張り巡らされると、それを通じてナツメの木から周りの野菜やササゲなどの作物にも栄養が運ばれるようになるのです」とバ博士。



菌糸体のネットワークはまるで人間社会の社会インフラのようである。それはモノを運ぶ道路や鉄道のようなものであり、情報を交換する携帯やインターネット回線のようでもある。

ナツメの木をそのハブとしてネットワークを拡大させていけば、土の中には極めて効果的な物々交換システムが構成されることになり、お互いに協力しながら栄養の乏しい砂漠の下を進んで行くことも可能となる。

「新しくこの共同体に加わる植物は皆、デンプンなどを栄養源として菌類に提供し、その見返りにミネラルや水分が受けられます。こうした営みによって菌糸は無限の広がりを見せるのです」と、バ博士は語る。



乾いた砂漠に木を植えることは容易なことではない。だが、菌類の力を借りれば、その歩みは力強いものとなる。

「ナツメの木とグロマス・アグリゲイツムを使った実験は、セネガルから隣国のブルキナファソ、マリへと広がっていくでしょう。砂漠化の危機に直面している他の国でも試みられるようになると思います」と、バ博士は話す。

緑の長城プロジェクトを地中で支える菌類の菌糸体。彼らは砂漠に緑を取り戻すための有望な「布石」なのである。










◎石油と菌類



毒を研究する生態毒性学者メグ・ピンザは、菌類に石油を分解させようと試みている。それは、石油で汚染された土壌を浄化するプロジェクトである。

菌類の中には石油を分解できる「異能の才」をもつものがいるという。「石油分解菌」と呼ばれる彼らは、毒性の強い石油の派生物PAH(多環芳香族炭化水素)を確実に分解できる。

石油というのは自然に産出する資源であり、大昔から海や地表にも滲出していた。そのため、石油を利用できるように進化した微生物は自然界の菌類の中にもいたのである。



研究室の木屑で培養した石油分解菌の行く先は、かつて巨大な工業施設群の林立していた跡地である。その汚染され尽くした土壌には、油膜中の濃度よりも濃い炭化水素(石油化合物)が残されている。この状態で植物が生育することはまず不可能だ。

「菌類は食欲旺盛なんです」と、ピンザ博士とともに研究する環境工学者のハワード・スプラウスは言う。彼は、ピンザ博士が研究室で培養した菌類が外の世界でしっかり働けるかどうかを確認、選別している。

「分解生物としての菌類がいかに食欲旺盛かというと、菌糸体を植え付けた木屑は、その体積の5倍の土を除染することができます」とスプラウス博士は誇らしげに言う。



自然環境の浄化を考えた時、最も重視されるのがその菌の「耐久性」である。この点、菌類は暑さ寒さといった極限の環境下でも生きることができる。その細胞構造はじつに強固で、毒性物質にも自身が殺されることはないのである。

石油を分解するのは、そうした菌類のもつ「酵素」である。石油分解菌の放出する酵素が波となって石油に襲いかかり、石油を非常に小さな分子にまで分解してしまうのだ。まるで、洗剤に入っている酵素パワーが洗濯物を洗い清めるかのように。

ピンザ博士は言う。「このような単純な生物(石油分解菌)が、毒性が非常に強い汚染物質を分解する力をもっているというのは驚くべきことです。浄化の方法は極めてシンプル、ただ菌糸体を自然界に置くだけです」



現場のスプラウス教授は、汚染を除去した土壌を手に握る。

「匂いはどうかな? 土の匂いがしますね。これは面白い。ミミズや虫がたくさんいますよ」

かつて絞れるほど石油の染み込んでいたその土壌からは、すっかり油が絞り切られていた。菌糸体は堆肥化しており、土壌は植物を育てられる環境にすっかり変わっている。



「有毒な汚染物質を食べてくれる菌類は、その仕事を終えたら死滅しますが、分解プロセスは土中の他の微生物たちによって続けられます。その結果、土は養分を増やし、元の状態よりも肥沃な土地として再生するのです」と、スプラウス博士は言う。

「一年後にふたたびここにやって来たら、この辺りは緑に覆われているに違いありません。草が生い茂っていますよ」

すでにこの土地には肉厚の「ヒラタケ」が生えていた。そのヒラタケを調べていると、毒の痕跡は微塵もない。つまり、菌類の酵素は有毒物質を消し去り、何か別の有用な物質へと変えてしまっていたのである。










◎酵素



「菌類はどこにだっています。寒冷地にも砂漠にも、もちろん熱帯の地域にだって、至るところに潜んでいます」

そう言うのは、菌類学者の佐々美賀子博士。彼女は世界各国の研究者が集まるコペンハーゲン(デンマーク)の研究所で菌類の酵素を研究している。

この研究所には、グリーンランドの凍ったゴミや火山の斜面、はたまたボルネオのジャングルから採取した無数の菌株が、液体窒素の中で眠っている。








佐々博士は、過酷な条件下で生き抜く能力をもつ菌株をつねに探し歩いている。時には、まったく身近なところで珍しい菌株が見つかることもあるという。

たとえば淀んだ池の水からは、バッグやベルトの皮を柔らかくする酵素が見つかり、その酵素のおかげで皮を柔らかくするのに有害な化学物質を使う必要がなくなったという。

佐々博士は言う。「現代社会にあふれる石油製品をもっと環境に優しいものに置き換えるために、菌類が役立つと思っています。つまり、石油の代わりに酵素を使うんです。酵素の力はあらゆるところに応用できます」と。



佐々博士ら菌類学者は今、グリーン・ケミストリー、すなわち環境に優しい化学として、汚染原因となる石油製品を「無害な酵素」に置き換えたいと考えている。

たとえば、通常石油から作られるプラスチックなども、菌類の酵素を利用したバイオ・プラスチックに代えようというのである。










◎足元



菌類のネットワークは、この数億年の間に地球上のあらゆるところに張り巡らされてきたわけだが、人の開発した化学物質や農薬などがそのネットワークを分断してもきた。

そして今、少数の人々は気付いた。菌類の見えないネットワークにいかに助けられていたかということを。

いみじくも「バイキンマン」を生み出したアンパンマンの作者「やなせたかし」氏は、同作においてバイキンを皆殺しにすることを明らかに否定している。「ありすぎても困るが、完全になくなっても困る」と。








幸いにして菌類の生命力は凄まじく、その復元能力は俄然健在である。

「彼らは環境の変化に即座に反応する能力をもっています。人間のネットワークは重大な事故が起こるとすぐに混乱をきたしますが、菌類はつねに非常口を用意しているようなのです」

そう話すのは、菌類のネットワーク構造を研究している生物学者リン・ボディ。彼女は森に分け入り、菌類が植物たちとどうつながり合っているかを地図に作成しようとしている。

「これを調べることで、菌類が養分をどのようにして別の場所に運ぶのか、そしていかにダメージから身を守るのかを知ることができます」とボディ博士は言う。



流動的につねにモデルチェンジを繰り返しているという菌類のネットワーク。破壊や分断などのストレスに対して、即座に補給ルートは復旧される。時にはすでに迂回路が準備されていることもある。

「一つの目的地に行くのに、いくつもの道を利用できるのです」とボディ博士は言う。



たとえば、黄色くねばつく「粘菌」の一種モジホコリカビなどは、最短距離でそのネットワークを築く。だが、一方で無駄とも思えるルートを残してあることがある。それがいわば万が一の回避ルート、非常口とも呼べるものだ。

さらに、そのネットワーク上、つねにすべての場所に同じように栄養が供給さているわけではないこともわかっている。なんらかの理由から、重点的に栄養が運ばれている場所もあるというのだ。

「それが良い判断かどうかはわかりません。しかし間違った選択であれば、菌類はとうの昔に絶滅していたでしょう」とボディ博士は語る。








われわれ人間の浅い知恵は、まだまだ菌類たちの深謀遠慮には及ばない。なにせ彼らは何億年という生死を経て、その知性を身につけてきたのだから。

現在、人間が特定できた菌類は全体のわずか15%ほどだと考えられている。

「私たちは開拓すべき広大な領域の入り口に差し掛かったばかりに過ぎません」とボディ博士は言う。その先には、銀河系を超えるほど無数の菌類たちがきらめいている。



人類が直面するさまざまな課題の解決策

それは文字通り「足元にあった」。

しかも彼らは人に頼まれなくとも、それをやってくれる。むしろ人が関与しないほうが地中のネットワークはスムーズに構築されていく。



菌類の浄化する大地、そしてもたらす緑。

「キノコは365日、一日も休まずに働き続け、私たちは土の中で何が起きているのか知らないまま、その上を歩いています」

原始以来の知恵は、その地中より湧き出でる…













(了)






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なぜ「マツタケ」は消えたのか? 本当に失われたのは自然との「絶妙な距離感」。

オババのいる4000年の森。山は焼くからこそ若返る。



出典:NHK「BS世界のドキュメンタリー」
菌類のチカラが人類を救う


posted by 四代目 at 10:25| Comment(2) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月04日

大王イカの棲む世界へ…。窪寺博士の開いた扉


それは2004年のことだった。

「大王イカ」を調査する窪寺博士を撮影するために、NHKが本格的に関わりはじめた時のこと

「なんとロケを始めてから4日目にはダイオウイカの画像が撮れてしまった(NHK)」



番組スタッフは、その呆気なさに少々拍子抜けしたようでもあった。

「こんなことは、自然番組の撮影では『まずあり得ない』。みな何ヶ月も粘って、やっと番組に使えるカットを揃えるのが通常なのだ(NHK)」



しかし、その時の彼らはまだ知る由もなかった。

「その後、長きにわたり自分たちが歩むことになる苦難の道の一歩になろうとは…」






◎大王イカの長い触腕



場所は東京から南へ1,000km。小笠原の澄んだ深い海。

撮影方法は、国立科学博物館の「窪寺恒己(くぼでら・つねみ)」博士の考案した、縦縄と呼ばれる地元の深海漁を応用したもの。一本の縄に一定の間隔で仕掛けられる釣針の下端に「小型の水中記録装置(ロガー)」を潜ませた。

水中ロガーの撮影間隔は30秒。設定した水深から自動的に撮影を繰り返し、合計で600枚の写真を撮影することができる。



2004年9月30日、いつものように縦縄を引き上げてみると…、

「あれ、なんか白いものが付いてる…」

縦縄には、ブッといロープのようなものが絡み付いている。窪寺博士の目は光った。

「来たぞ! 大王イカの足、大王イカの足だ!!」



その長さ、なんと6m。超巨大イカの足で最も長い「触腕(しょくわん)」と呼ばれる足だった。

「これ、まだ生きてます。こんなに吸盤がくっつく。これ、大丈夫かな? あいたたたた…」

警戒心のひときわ強いという大王イカは、その吸盤の先までをも鋭いトゲで武装していた。最後のあがきか、そのトゲが窪寺博士の指に吸い付いたのだった。足だけになってなお…。



そしてすぐさま、水中ロガーの記録をコンピューターに読み込むと…、

「針から逃れようと格闘するダイオウイカの姿が、実に4時間半にわたって500枚以上の静止画像に収められた(NHK)」






◎世界初



その時の写真が、「生きた大王イカ」をとらえることに成功した世界初の事例であった。

「伝説の巨大イカ、ついに姿を現す!」
「Photographed for First Time!(世界で初めて撮影された!)」
「ついに科学の目でとらえられた!」

世界中が大興奮。窪寺博士の写真は、世界中を駆け巡り、タライ回しになった。



意外なことに、これほど科学が発達したはずの現代にあって、その時まで「生きた大王イカ」の画像というものが、世界中のどこにもなかった。

あったのは、大王イカの「死んだ姿」ばかり。底引き網にかかるのも、海岸に打ち上げられるのも、みな死骸。600件近くもある目撃情報のすべてがドザエモン。

というのも、大王イカはその強い警戒心により、船の推進音や底引き網の振動などを極端に嫌がるようだった。だから、あれほどの巨体でありながら、生きながら底引き網にかかるなどというブザマな姿を晒すことは皆無であったのだ。



大王イカへの関心は、じつは日本よりも世界の方がずっと強い。

「日本ではそれほど大きな話題にはならないが、海外でのダイオウイカの扱いは特別だ。『幻の怪物』『伝説の生き物』。世界中のテレビ・クルーや研究者たちが、ダイオウイカ撮影を狙っている(NHK)」

ニュージランドの海、ガラパゴスの海…、それこそ世界中の7つの海で、果敢な撮影が忍耐強く行われていた。だが、「そのどれもが、ことごとく失敗に終わっていた」。



アメリカのスミソニアン博物館には「ホルマリン漬けされた巨大なダイオウイカ」が展示されている。それを見ながら、イカ研究者クライド・ローパー博士はこんなことを言っている。

「これまで、ダイオウイカの生きた姿を誰も見ることができていない。これは海に残された最後のミステリーだ」



そこに降って湧いた、日本発「生きた大王イカの写真(2004)」。

「その反響はむしろ海外の方が大きかった。世界中が驚愕し、大騒ぎとなり、窪寺博士に惜しみない賞賛が贈られた(NHK)」






◎生きた大王イカ



窪寺博士の快進撃は続く。

またしても縦縄に「生きた大王イカ」が引っ掛かり、今度は足ばかりでなく、その全身を海面上に引っ張り上げたのだ…!



「生きたダイオウイカの背中は、明るい赤紫色。腹側は真っ白く、輝くばかりに美しい」

なんとかイカ針から逃れようと、大王イカは太い漏斗(ろうと)から海水をこれでもかと噴射してもがき、あがく。

「大きな目が、悲しそうにこちらを見ていた」と、窪寺博士は当時を思い出す。







この時(2006)の「生きた大王イカ」は、NHKのカメラにもしっかりと収められた。またしても、世界は大騒ぎ。蜂の巣をひっくり返したかのようである。

その大反響の波は、窪寺博士をして「世界が尊敬する100人(米Newsweek誌)」にまで押し上げた(2007)。「謎の怪物」好きの欧米人たちは、大王イカをサカナに、大いに盛り上がったのである。



ところがその後、それまでの快進撃はぱったりと足を止めてしまう。

待てど暮らせど、大王イカの消息はナシのつぶて。幻の怪物は、その警戒心を一層高めたかのように、本来の住まいである深海、その闇の世界に引き籠ってしまったのだった…。






◎大王イカとマッコウクジラ



2004年、たった4日で撮れた大王イカの写真は、その時のNHKスタッフにとっては拍子抜けするほどの呆気なさだったかもしれない。

しかしそれは、それまで何十年にもわたって窪寺博士が尽力してきた末の、とっておきの結晶だったのだ。



縦縄による小型カメラでの撮影を窪寺博士が始めたのは2002年。小笠原父島沖で「第八興勇丸」の船頭、磯部康朗さんの協力のもと、調査が始められた。

空振りの毎日のなか、窪寺博士は工夫に工夫を重ねていった。より深いところへ到達できるように糸の種類や長さを変えたり、仕掛けを工夫したり…。水中カメラの性能も年々向上させていった。

イカにかける思いは40年。窪寺博士の想いはもはや執念であった。



窪寺博士がそれほどまでイカに引き込まれていったキッカケは、意外にも「マッコウクジラ」。

水深1,000mを超える深海にまで潜れる高い潜水能力をもつマッコウクジラ。その巨大な胃袋の内容物を調べてみると、その97〜98%までが、なんと「イカ類」。

イカの口にある「カラストンビ(キチン質の硬い組織)」というクチバシのような部分ばかりは、クジラの強力な胃液でも溶かすことはできない。それがクジラの胃袋の中に残っており、そのカラストンビの形状からイカの種類も割り出せる。その結果、大王イカなどの深海の巨大イカの比重が極めて高いことが判ったのだった。



つまり、深海1,000mにまで潜るマッコウクジラは、その暗闇に潜む大量の大王イカを捕食していたのである。

だが、大王イカもやられっぱなしではない。時には、その長い足でマッコウクジラの顔面をワシ掴みにして、ヘビのようにクジラを抱え込んで弱らせる。

窪寺博士は、マッコウクジラの横顔に残された「大王イカの鋭い吸盤の跡」を見て、マッコウクジラvs大王イカの死闘を夢想した。



大王イカの祖先は、かつてはもっと浅い海に生息していたと考えられている。それが、マッコウクジラに棲む場所を追われたのか、大王イカは逃げるように深海へ深海へと棲み家を下げていったようである。

その追いかけっこは、今も進化の途上にあるようで、大王イカの限界深度は、マッコウクジラの潜水限界と、ほぼ同じ深さにある。










◎大王イカのいない日々



NHKの撮影隊は追い詰められていた。2009年から3年期間ではじまった大プロジェクトは、何の成果も得られないままに、その期限を迎えようとしていた。

「肝心のダイオウイカは、まったく現れなかった。1年、2年と過ぎていき、気のせいかもしれないが、NHK内での肩身はどんどん狭くなっていくような…(スタッフ談)」

切迫する時間、そして予算にも底が見えてきていた。



寸暇を惜しんで撮影。船から下りた後は、縦縄に仕掛けられた水中カメラの、合計4時間を超える映像をチェックする。

「こうした日々を、『蟹工船』ならぬ『イカ工船』と、冗談交じりに呼んでいた(スタッフ談)」

大王イカのいない、苦しい日々。船上の孤独…。



大王イカはライトを嫌うのではと、ライトを改良した。

ダメだった。

超音波に反応するカメラを使った。

ダメだった。

カメラを極力小型にした。

ダメだった。



「8年間で520回試した。とにかく、ダイオウイカだけは現れなかった(NHK)」

地元の漁師たちは、からかった。「悲壮感が漂っているから、大王イカが寄ってこないんだ(笑)」と。

東日本大震災の大津波が太平洋上を突き進んでいた時も、撮影が行われていた。「小笠原には1mの津波が到達。港へ帰ることができなかった(NHK)」。



海の上でいくら待っていても、大王イカに会うことができない。

ならば、彼らのホーム、深海にまで追いかけていこうではないか。

窪寺博士は、マッコウクジラばりに自らが深海に潜っていくこととなった。






◎最後の賭け



乾坤一擲

「これは最後の賭けだ」

潜水艇をチャーターして、深海に潜る。残る予算のすべては、この一事に投下された。

「最後の大勝負がはじまった」



目指すは深海600〜800m。

この深度は、窪寺博士の10年間の苦労から導き出された深さである。その海域は、小笠原諸島・父島の東側。来る日も来る日も調査して集められた大王イカの手がかりは、この海域・深度に集中していた。



最後の決断は、世界の叡智を呼び寄せた。

ニュージランドから駆けつけたオーシェー博士は、世界で初めて「大王イカの子ども」を調べた実績を持つ。アメリカのウィダー博士は、深海に多く棲む発光生物の世界的権威である。

強力な助っ人は、宇宙からも現れた。それはNHKが開発した超高感度EMCCDカメラ。このカメラは、宇宙空間に浮かぶISS(国際宇宙ステーション)からの撮影用に作られたものだったが、それを深海の暗闇が写せるように改良されたのである(通常の数百倍の暗闇感度)。



その世界最高峰の調査隊のリーダーは、我らが窪寺博士。彼こそが大王イカの世界的権威であり、第一人者。その実績は他の追随を許さない。

皆を乗せた深海調査船アルシアは、一路、窪寺博士の指し示す標的の海域へと舳先を向けた。






◎トワイライト・ゾーン



「ここが大王イカの痕跡が見つかった場所だ」

父島の東15km。窪寺博士は、その場所で船を止める。

そして、最新型の潜水艇「ディープ・ローバー」へと乗り込む。その視界は340°、透明なアクリル製の球体のおかげで、ほぼ全方向が見渡せる(ガンダムに出てくる「ボール」?)。



「発射準備、完了」

「了解、発進」

窪寺博士ほか2人を乗せて、ブクブクと沈んでいく潜水艇。8トンという重量は、タンクを空気を抜くだけで一気に沈んでいく。

かの窪寺博士といえども、深海に潜って直接ダイオウイカを探すのは、これが初めて。自ずと心は高まる。

「おー、きたきたきた」



「深度200m。生命維持装置、異常なし」

この水深200mより深い海が「深海」と呼ばれる海。そして、大王イカやマッコウクジラが潜れるという深度1,000mまでが「トワイライト・ゾーン」と呼ばれる不思議な世界である。

人間の眼には、すでに真っ暗。それでもここに暮らす生き物たちは、そのことさら敏感な眼で、微かな光を感じ取っているのだという。



「今のも光ってるなぁ」

深海の暗闇にほのかな光を放つ生き物たちを眺めながら、窪寺博士は深海散歩を楽しむ。

このトワイライト・ゾーンでは、生き物の8割が発光するのだという。強く光って敵の眼をくらませるもの、仲間とコミュニケーションをはかるもの、獲物をおびき出して狩りをするもの…、光の活用法はさまざまだ。







この暗闇の深海には、人間の知の力もまだ及んでいない。水面や海底と違って、ほとんど調査が進んでいない領域なのである。

水温が10℃を切った。このトワイライト・ゾーンでは水温や酸素濃度が大きく下がる。深海でもっとも環境の変化が激しい場所でもあり、生物の適応もそう簡単ではない。個体数が限られれば食物も限られる。その生存条件は極めて過酷、競争も熾烈にならざるを得ない。

水温の低下とともに、潜水艇の透明なドームは露を帯びる。結露だ。その水滴が機械に落ちると壊れる危険もあるために、乗務員はその水滴をこまめに拭い取らなければならない。



「あっ、サメ!」

水深600m付近。突然、目の前にサメが巨体を現した。

深海性のサメ「バケアオザメ」だ。その大きな目が微かな光も逃さないというが、潜水艇の光を獲物と思ったのか、自ら近づいて来たのであった。

「ここにサメのような大きな生物がいるということは、大王イカがいてもおかしくない…」、窪寺博士は何度も近づいて来るサメを見ながら、そんなことを思っていた。










◎無人カメラ



「どうだった?」

8時間のダイブから浮上した潜水艇。その帰りを心待ちにしていた母船の研究者たちは、期待を込めて窪寺博士らを取り囲んだ。

「サメを見た。生物発光も見たよ」

窪寺博士は冷静にそう答えていたが、それを聞いた研究者たちは異様に興奮していた。ビッグ・プロジェクトの出だしは順調のようだった。



さて今度は、アメリカのウィダー博士ご自慢の「秘密兵器」の登場だ。

それは無人カメラ「メドゥーサ」。そのカメラの眼前には、青く発光する丸い装置がついている。これは深海のクラゲの光を模したものであり、まるでネオンサインのように回転しながら発光する。

この光が深海のハンター、巨大イカの本能を刺激する。獲物と勘違いして、次々に襲ってくるのだ。ウィダー博士は、カリフォルニアの深海でそれを証明していた。



30時間連続で撮影できるという無人カメラ「メドゥーサ」。

その青い光は、大王イカに届くのか?






◎オーマイガー



2日後の夕方、深海に沈めていたウィダー博士の秘密兵器は、無事戻って来た。

さっそくパソコンに接続して、記録された大量の映像データをメドゥーサに吐き出させる。



「オー・マイ・ガー!」

眼を大きく見開いたウィダー博士、驚きで口が塞がらない。白黒の映像に現れたのは、それはそれは大きな腕だった。

何事だ、と駆けつけた窪寺博士は、その映像を見て断言する。「It's must be(大王イカに間違いない)」



「Are you kidding me(からかってるんじゃないでしょうね)?」と念を押すウィダー博士。

「No. からかってなんかいないさ。この長い腕には、これだけ多くの吸盤がある。It's amazing(これは素晴らしい)」と窪寺博士。

「Wonderful!」。ウィダー博士と窪寺博士はガッチリ握手。



伝説の大王イカ。その深海で泳ぐ姿が、世界で初めて映像としてとらえられた。

驚いたことに、その後メドゥーサは何度も大王イカを記録した(3度の調査でじつに5回)。その水深は600〜800m。窪寺博士の指定したまさにその深さだった。



「オー・マイ・ガー!」

カメラを獲物と勘違いして襲いかかる大王イカ。その狩りの行動は、従来思われていたよりも、ずっと俊敏であった。

獲物を狙う大王イカは、腕を細くまとめて、水の抵抗を極力減らして静かに接近。獲物(カメラ)の直前で、その大腕を一気に開く。カメラは、大王イカの腕の間にある口の部分(カラストンビ)が開く様子までをも鮮明に映し出していた。






◎斜め下から



船の下には、確実に大王イカが泳いでいる。その確信は、調査隊を大いに勇気づけた。

残る野望はあと一つ。深海で直接、大王イカと対面することだ。

「潜水艇の中から、(大王イカを)バッと自分の眼で見るっていうのが、なんつっても一番。それができたら、ホントに今まで何十年もやってきた希望が叶うんです」と、窪寺博士は胸を膨らませる。



どうしたら、大王イカを潜水艇の前におびき出せるのか?

そのヒントは、メドゥーサがとらえてきた映像の中に隠されていた。窪寺博士が注目したのは、大王イカが接近した方向。「斜め下」である。

じつは、この斜め下という方向、窪寺博士の長年の推測を裏づけるものでもあった。



大王イカの巨大な眼は、人間のそれよりもずっと性能が良い。

直径は30cmにもなる。巨大な頭の中身は、そのほとんどがバスケットボールよりも巨大な眼球なのだ。デカイだけではなく高性能、その感度はすこぶる高い。暗闇でも見える眼だ。

しかし、その良く見える眼は、全方向を見ているわけではない、と窪寺博士は推測していた。とりわけ「斜め上」の方向が良く見える。なぜなら、大王イカの眼球の網膜を詳しく調べてみると、とりわけ感度の高い細胞が、斜め上を見るように集中していたのである。



その眼の特徴から推測される大王イカの狩りは、こうなる。

獲物を探す大王イカは、獲物の下方に位置して、斜め上を見上げている。そして、獲物がその視界に微かな影、シルエットをさらした時、大王イカは「斜め下」から一気に襲いかかる。

ならば、その習性を逆手に取ろう。その攻撃範囲にエサをプラプラさせて、大王イカをおびき出せないか。下から攻撃がくるのであれば、潜水艇に獲物の影をチラつかせながら潜ればいい。

そう思案しながら、窪寺博士の最後の作戦は決まっていた。






◎いざ出陣



「この大きなソデイカを餌にして、大王イカを待つ、そういう作戦を採りたいと思います」

窪寺博士の手にするのは、1mはあろうかという特大のソデイカ。これを餌に、潜水艇から5mほど離した位置にブラ下げる。

急遽、潜水艇のライトも変更。それは赤い波長のライト。この波長は、大王イカをはじめとする深海生物の眼には見えないのだという。これはウィダー博士の無人カメラ「メドゥーサ」に使われていたものだった。

「なんとか、大王イカを引っ張り出してみたいと思います」

窪寺博士の決意は固い。



NHKの都合ばかりでなく、小笠原の海も時がないことを知らせていた。夏が終わりに近づくと、小笠原の海は荒れる。潜水艇では潜れない日が多くなるのである。

残された時間は少ない。おそらく、今回のオトリ作戦が最後のチャンス。その成功のために、窪寺博士は、潜水艇を沈めるスピードや姿勢などの細かな調整を重ねていく。ミスは許されない。

死んでいるソデイカを、あたかも生きているように見せかけなければ、極度に用心深い大王イカは現れないかもしれない。念のために、点滅ライトも取り付けた。その微かな光が、大王イカを呼び寄せてくれるかもしれない。



いざ、出陣。目指すはトワイライト・ゾーン。

「315m通過、異常なし」

ここで白いライトが消され、赤いライトに切り替えられた。超高感度カメラが撮影できるギリギリの条件。船内の灯りもすべて消され、潜水艇はトワイライト・ゾーンの闇に溶け込んだ。






◎いよいよ



「ダメだ、近すぎる」

窪寺博士は厳しく指摘。ソデイカと潜水艇の距離が近すぎると、大王イカに警戒されてしまうかもしれない。付かず離れずの5mの距離をキープしなければならない。

「潜水艇から離してくれ」

思いのほか速い流れに、ソデイカが安定しなかった。



「600m。異常なし」

いよいよ水深600〜800m。ここからが大王イカの縄張りだ。

いつ来てもおかしくない…。



「疲れた? 先生」

潜航が始まって2時間。窪寺博士は目をこすっていた。

「眠い…」



どれ、眠気覚ましに透明ドームの結露でも拭くか…

と、そのときだった。

「あっ…! 来た!!」






◎光沢



「どこ?」

「来たぞ!!」

漆黒の暗闇の中に突如あらわれた。



10本の足を目一杯に広げた大王イカ。

オトリのソデイカを、ガブリと抱え込んだ。



「That's incredible…(信じられない)」

窪寺博士のほんの5m先には、夢にまで見た大王イカがその姿をさらしていた。

「Light please. White light please! (ライトを点けてくれ、白いライトだ!)」



ライトを点灯しても、不思議と大王イカは微動だにしなかった。あれほど頑なに身を隠していたはずの大王イカが…。

それほど空腹だったのか? 捕らえた獲物は離すまい、と。



それにしても美しい…。

「これほどまでに綺麗で、神秘的な生きものがいるものだろうか…」

ライトアップされた大王イカは、その赤紫色の身体を光に輝かせていた。



浜辺に打ち上げられる大王イカの死骸は、決まってブクブク膨れたツヤのない白色をしているものだった。だが、「生きて泳いでいる大王イカ」はまったく違う。

まるで極上の錦を羽織っているかのように、その身体を金属のごとく輝かせている。深海での大王イカが、これほどの金属光沢を放つとは、窪寺博士も想像すらしていなかった。2006年に海上で見た大王イカとはまるで異なる。

大王イカの皮膚細胞は虹色素胞をもつというが、それが金属にも似た美しい光沢を放っていた。

「これが、大王イカの本来の姿なのか…」






◎眼



「あの眼…。見てよ、あの眼。あぁ…」

生物界最大級のその巨大な眼は、静かに、そしてジッと潜水艇を見つめている。

大王イカは動物には珍しく「白目」の部分を持っている。表情豊かなその眼は、何かを語りかけているかのようでもある。



かつて「伝説上の大王イカ」は、魔物として人々を震え上がらせてきた。「巨大な身体で、船を丸ごと引きずり込む」。そんなふうに船乗りたちは恐れてきたのだった。

しかし、目の前にいる大王イカは、ずっと知的な存在のように思われた。その深くも繊細な眼差しは、なにかを哀しむようでもあり、人間を慈しむようでもあった。



「まばたきしたぞ」

なんと大きなまばたきか…。



「It's sinking(沈んでいるぞ)」

その一言に、狭い潜水艇内には緊張が走った。

大王イカは獲物を抱えたまま、グングンと沈んでいる。



「重すぎる…」

潜水艇も大王イカを追って潜り続けるよりほかない。

まるで挑むかのような大王イカ。深い深い闇の中に、潜水艇はズリズリと引きずり込まれていく。大王イカの意のままに…。






◎He's leaving



沈み続ける大王イカは、眼の横にある漏斗(ろうと)と呼ばれる筒から、ジェット水流のように海水を吹き出している。これが強い推進力を生むのである。

獲物を持ち去ろうとしているのだろうか。

深海という獲物の少ない環境にあっては、食らいついたら食べ尽くすのが、生きる作法なのかもしれない。



「800m。大王イカとともに沈降中」

潜水艇の限界深度は1,000m。まだまだ大王イカは沈んでいく。

「883m」

限界は近づく。このままではマズイ。水深が1,000mともなると、その水圧は地上の気圧の100倍にもなる。カップラーメンの容器が潰れるだけでは済まない。金属バットがペチャンコになるほどなのだ。



安全のため、潜航速度を抑えた、その時…

「He's leaving…(あ、離れていく…)」

獲物からフッと離れた大王イカ。そのまま自分たちの棲む暗闇の世界へと帰っていった…。

「…go away… (行ってしまった…)」



「Giant squid has just left. (大王イカはたった今、去った)」

無線で海上に知らせる。そして、大王イカのいなくなった暗闇の中、窪寺博士は腕時計を光らせて時間を確認する。その瞬間、止まっていた「現実の時間」が再び動き出した。



23分。

大王イカととも過ごした時間。

短くも深い時間…。










◎一番幸せな男



夢か、と錯覚してしまうような時間だった。

深海の大王イカが、カメラに記録された23分間。

窪寺博士の積年の想いが結実した23分間。

「それは小笠原の海が、ほんの少しだけ、私たち人間に深淵なる世界を見せてくれたのかもしれない」



母船で待つ人々は、窪寺博士の成功を水中無線で知っていた。

それにしても、ノイズの中から聞こえてきた「ダイオウイカの撮影を開始した」という報告には、船上の誰もが耳を疑い、顔を見合わせたものだった。



潜水艇は、その狭い艇内に未だ大王イカの余韻を残したまま、海面を目指して浮上していた。

水深が浅まるにつれ、暗闇だった世界はどんどんと明るさを増していく。

そして無事に水上へドームの頭を出すと、そこは眩しすぎるほどの「人間の世界」だった。



すでに甲板に集まっていた仲間たちは、船のそこかしこから祝福の拍手を送っていた。

潜水艇のハッチを開けて、歓声と嬌声に応える窪寺博士。力強くガッツポーズ…!。笑顔は心の底から湧き上がる。



「彼はこの世で一番幸せな男ね。この栄光は彼にこそふさわしいわ!」

ウィダー博士は、窪寺博士の快挙を本当に喜んでいた。

「おめでとう! 長い道のりだったね」






◎未だ知らず



深海生物探査の歴史は1930年代にまで遡る。これまでに無人・有人を含め、さまざまな深海探査艇が海に潜ったが、大王イカの撮影には誰もが挑み、そして敗れ去っていた。

「これほどまでに鮮明に撮れることは、二度とないんじゃないか。あれほど警戒心の強い生きものが、明るいライトの前で23分間その場にとどまった。本当に奇跡だ」

窪寺博士と10年間、苦労を共にしたNHKの河野カメラマンは、のちにそう語っている。



世界中の海で、何としても撮影できなかった大王イカ。

その大王イカが、小笠原という日本の海に、カメラのまえに降臨した。



「人知れぬ試行錯誤も、どこかで誰かが見てくれているものなのか」

あの大王イカは、窪寺博士の前だからこそ現れてくれたのか?



文明が発達した人間社会に暮らしていると、まだまだ「未知の世界」があるなどとは思わなくなってしまう。

だが、大王イカの棲む深海、その世界のことを、われわれ人間はまだ何も知らない。海の9割を占めるのが、その深海だ。

あの大王イカの深い眼差しは、そんなことを教えてくれていたのだろうか。



というよりも、われわれ人間は何を知っているのであろうか。

今まで、どれほどのことを知り得たのであろうか。それはむしろ、ケシ粒ほどの小ささに過ぎないのではあるまいか。



だが、ケシ粒で大いに結構。

その外側には、挑む余地がふんだんに残されている、ということだ。



「知る喜び」、それは何モノにも代えがたい。

窪寺博士を包んだ歓喜が、まさにそれだったではないか…!

He's gotta be over the moon!






(了)






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出典:NHKスペシャル
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2013年04月09日

黄砂の風に、青い夕陽。たかが砂塵の秘めたる力


中国から吹いてくる「黄色い風」。

中国の乾燥地帯、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠の乾いた砂塵は、季節の風にのって日本に飛来する。

「黄砂(こうさ・yellow dust)」である。



時には車のボンネットを黄色く染め上げたり、洗濯物の洗い直しを余儀なくさせる。花粉と混じればアレルギー症状を悪化させる。

否定的な側面だけに目を向ければ、黄砂による経済的損失は「東アジア全体で年間7,000億円超」とも言われている。

それが黄砂をして「黄砂テロリズム(yellow dust terrorism)」と呼ばしむる所以でもある。



しかし、それらの損失は「脆(もろ)い人間社会」において発生するものであり、よりタフな自然界にあっては「黄砂ほどありがたい贈り物はない」と言う科学者もいる。

その昔、エジプトの繁栄を支えたのは「ナイル川の氾濫」であった。「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」とも言われたように、大洪水は脆弱な人間社会を壊滅させてしまうものの、その置き土産となった大量の土砂には、これでもかというくらいに「栄養分」が含まれていた。

それと同様、一見迷惑な贈り物である中国からの黄砂にも、多分に栄養分が含まれている。ある科学者はこう指摘する。「黄砂の流れから遠い東太平洋ほど『森林は失われやすい』」と。



◎アマゾンの謎


黄砂を宙に飛ばすのは「偏西風」と呼ばれる風であり、それは地球の自転によって生じる向かい風のようなものである。

日本列島の位置する「中緯度」という場所は、年間を通して「西の風」を浴び続ける。それが「天気は西から変わる」という意味であり、中国からの風を避けられないという宿命でもある。



一方、地球の裏側、ブラジル・アマゾンの熱帯雨林の位置する「赤道付近・低緯度」地帯。そこには、日本とは真逆の「東の風」が常時吹いている(貿易風)。

なぜ、緯度によって風向きが逆転するのかといえば、それは地球表面を蛇行するジェット気流が、緯度によってその風向きを変えるためである。

東から風の吹く南アメリカ大陸には、大西洋の向こう、アフリカ・サハラ砂漠からの砂塵が降り積もる。日本が中国の黄砂に覆われるのと同じく、ブラジルもアフリカの砂塵に見舞われるのだ。



ある雨上がりの日、白く綺麗だったフォルクスワーゲンに赤い砂塵が付着して、赤茶けて見えた。それは全く迷惑なことであったが、同時に「アマゾンにまつわる長年の謎」と結びついた。

アマゾンにまつわる謎とは、「アマゾン川流域には、どうやって栄養分が補充されるのか?」というものだった。しょっちゅう雨の降り注ぐこの地域の栄養分は、疾うの昔に流失していておかしくなかった。

「それがなぜ、今でもあれほど肥沃なのか?」



高温多湿で土壌が侵食されやすいアマゾン。

にもかかわらず、信じられないほど多様な動植物が、営々と繁栄を続けている。

その謎をとくカギは「大陸間を移動する砂塵」にあった。



◎肥料の雨


「アフリカから飛んできた砂塵のおかげで、アマゾンの大部分が肥沃になったという仮説は、非常に有望だ」

アメリカ地質研究所の科学者、ムース(Daniel Muhs)はそう言う。

「アフリカから砂塵が運ばれてくるというこのプロセスは、何十万年も続いてきたと考えられる」



アフリカ・サハラ砂漠の南端にあるボデレ低地は、「地球上で最も砂塵が多い場所」として有名だ。

アマゾンの熱帯雨林にには、毎年ほぼ4,000万トンもの砂塵が天から舞い降りてくるというが、その半分はそのボデレ低地から来る可能性がある。



ありがたいことに、その大量の砂塵の中には、鉄やリンといった生命維持に必要なミネラルが豊富に含まれている。

貿易風にのって大西洋を横断してくる巨大な砂塵は、アマゾン川流域に「大量の肥料」をばら撒いていたのである。

「北アフリカ全体が吹き飛ばされているようなものだ」



◎黄砂


中国の黄砂も負けてはいない。

その黄色い風は日本でとどまることなく広大な太平洋を吹き抜け、さらに巨大な北アメリカ大陸をひとっ飛び。グリーンランドの氷河にまで達する。

グリーンランドの氷に閉じ込められた砂塵を解析すると、数世紀分の砂塵の歴史をたどることも可能となる(後述)。



日本列島の黄砂との付き合いは、じつに古い。

日本の南西諸島にはクチャと呼ばれる泥岩層(厚さ約1km)が分布しているが、この層にも黄砂由来の粒子が含まれていると考えられている。ここまで遡ると最低でも200万年を数える。

もっとも控え目な見積りでさえ、7万年という腐れ縁である。



朝鮮半島では新羅時代の174年、「雨土(ウートゥ)」という記述が残っている(三国史記)。それは、怒った神が雨や雪の代わりに降らせるものだと信じられていたという。

日本の記録は、より風流である。「霾(つちふる)」というのは春を表す季語であり、それは春風に黄砂が空を黄色く霞ませる情景である。



黄砂が春を代弁するのは、今も昔も変わらない。

冬は積雪に覆われる中国の乾燥地帯も、春になれば雪の重しが融けて、軽やかに宙に舞い上がる。それらは季節の風(偏西風)によって日本列島へと運ばれる(2〜5月の4ヶ月間に、黄砂のおよそ90%が集中している)。

夏が近づくと終息するのは、暖かくなって植物が増え、雨によって土壌がより重たくなるためである。



現在、黄砂の発生量は年間2〜3億トンと推定され、日本には1平方kmあたり年間1〜5トンが降り積もる。

日本における煤塵(ばいじん)総降下量のおよそ1割が黄砂であるという。



◎チリも積もれば…


日本に落ちる黄砂の粒子の大きさは、0.5〜5μm。これはタバコの煙の粒子よりも大きく、人間の赤血球よりもやや小さい(地質学的にこのサイズは、砂というよりも「泥」にあたる)。

その組成はというと、日本の表土に比べると「カルシウム」の含有率が高い。質量が多い順には、ケイ素(24〜30%)・カルシウム(7〜12%)・アルミニウム(7%)・鉄(4〜6%)・カリウム(2〜3%)・マグネシウム(1〜3%)。このほかにもマンガン・チタン・リンなどの微量元素も含まれる。

黄砂に含まれるミネラルには、植物の生育を促進する作用がある。そのため、「黄砂には土壌を肥やす効果がある」と言われるのである。



ブラジルのアマゾン同様、高温多湿で雨の多い日本列島は土壌が流出しやすい。それでもこの列島の土は豊かなままであり、森林も絶えることがない。

それは中国からの黄砂などが、土壌と栄養分を補充してくれているからなのだろうか。ユーラシアという巨大な大陸の東端に位置する日本列島には、年間を通して大陸からの風(西風)が吹き、その風が砂塵を運んでくれている。



最近の黄砂には、厄介な有害物質が付着してくることも珍しくないが、それでも土壌にとっては、まだ有難い贈り物だろう。

「チリも積もれば山となる」という格言をモジれば、「チリも積もれば倭(やまと)なる」とでもなろうか(言い過ぎか?)。



◎宿命


西からの風は、地球が今の方向に回っている限り、日本列島にとっては宿命である(太陽が西から昇るようになれば、話は変わるのだが…)。

北寄りに風が強まれば、シベリアの冷たい風が日本列島を凍てつかせる。そして、春になって乾燥地帯が解放されれば、その風は列島に砂塵を運ぶ。このサイクルは飽きもせずに繰り返される冬から春への自然現象である。



悲劇的に語れば、冬の日本列島(北日本)は豪雪に閉ざされ身動きがとれなくなり、ようやく春になったと思ったら、砂塵によるアレルギーにくしゃみと鼻水に悩まされる、となるだろう。

一転、楽観的に俯瞰すれば、冬の寒風が日本列島に大量の水を氷雪として閉じ込めてくれるお陰で、年間を通して水不足の不安を解消し、春の砂塵が日本の森林に肥料を撒いてくれている、ということになる。



日本列島という閉ざされた空間は、大陸(もしくは大洋)からの影響を多分に受けている。それは時に、台風や豪雪などの被害ももたらすが、同時に「賜物(たまもの)」ともなっている。

水と土、そして肥料。それらが絶えることなく天から降ってくるのだ。

日本列島の植物たちにとっては「万々歳」であろう…!



◎気候と砂塵


こうした「大陸間を移動する砂塵」が注目されるようになったのは、それが「地球温暖化」と結びつけて考えられるようになったからでもある。

そのくせ、その実情はまだまだ謎だらけだ。あまりにも種々の現象が複雑に絡み合っているために、その因果関係が明らかにならないのである。

「あらゆるフィードバックが幾重にも重なっているため、どんな連鎖的な事態が生じるのか予想できない」とムース(前出)は顔をしかめる。



一般的に、気候と砂塵の関係については「直観と逆の推定」がなされている。

寒冷期に砂塵が増え、温暖期に砂塵が減るのである。



グリーンランドや南極大陸の氷の上に落下した砂塵は、しばしばそのまま凍りつき、その悠久の記録をとどめてくれている。

氷床の中に眠る砂塵。その濃度の変化を数百年にわたって遡ってみると、中世(10〜13世紀)に「緩やかな温暖化」が起きた時期には「砂塵の濃度が低い」。一方、その後の「小氷期」と呼ばれる13〜19世紀には「砂塵の濃度が高い」。



◎ニワトリが先か、卵が先か?


なぜ、砂塵が増えると、気候は寒冷化するのか?

それは砂塵が空に舞って、太陽の光を遮るからだろうか。



逆に、寒冷化すると砂塵が増えるのか?

気温が低いほどに空気は乾燥する。そのため、砂塵は舞い易くなる。



「どちらの現象が先に起きたのか、『ニワトリと卵』のようなもので未だわかっていない」とムースは首をかしげる。「氷河期だから砂塵が増えたのか、それとも砂塵が増加したから氷河期になったのか?」

どちらが先にせよ、今世紀、砂塵が増加しているという事実は動かせない。

「20世紀、地球のほとんどの地域で砂塵が『ほぼ倍増』したようだ」。

しかしなぜ、世間は温暖化の話題一色なのか? 歴史のセオリーからいけば、寒冷化のシナリオが当てはまるのではないか?



世界的な砂塵の変化が明らかになったのは、1990年代以降。

「今では相関がまったく見られないし、何が起きているのか分からない」

砂塵という指標は、地球の複雑なシステムにおける一つに過ぎない。自然は「驚異的に複雑」なのであり、砂塵ばかりを見て判断するのは危険なことでもある。



◎青い夕陽


砂塵は地球が誕生してからずっと、世界中をグルグル回っている。

数千年間ジッとしていた砂塵でも、ひとたび空中に浮かんだ途端に地球全体に影響を与え始める。黄砂のチリ然り、サハラの砂粒しかり。大地に養分を与えるかもしれないし、気温の変化をもたらすかもしれない。



しかしなぜ、近年は砂塵の量が増大しているのか?

それは人間が動きすぎて、お茶を濁すかのように砂塵を舞い上げるからなのか。それとも人間活動とは無縁に、太陽と地球の壮大なシナリオがそうさせるのか。



宙を舞う砂塵の量、そして種類が増えるほど、将来の予測を難しくする。砂塵ほど敏感なものもなく、優しいソヨ風によってすら変化を引き起こすのである。

「未来はどんどん不確実性を高めていくのではないか」

マイアミ大学の海洋学・大気学の名誉教授プロスペロは、そう懸念する。



まさか、太陽が西から昇ることはあるまい。

それでも夕日が青くなることはあるかもしれない。

黄砂の粒子が光を散乱させると、太陽や月を青く見せることがある(ミー散乱)。火星の夕焼けが青いのは、この原理によるものだという。



赤いはずの夕陽が、青くなる。

霾(つちふる)黄色の空に、青い日月。

神が怒っているのか何かは知らないが、そのとき人類の顔色は何色か…?







(了)



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出典:日経 サイエンス 2012年 05月号 [雑誌]
「地球を潤すサハラの砂塵」

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2012年08月27日

太古の香りを残す「尾瀬」。変わらぬことの大切さ


夏が来れば思い出す。「尾瀬」。

その早朝に見られた尾瀬の虹は、なぜか「白かった」。



◎白い虹


真夏とはいえ、10℃にまで冷え込んだその朝、朝日が射しはじめると、尾瀬ヶ原を覆っていた紅の雲海は静かに消え始めた。そして、空が少しずつ明るくなってくる、まさにその時、その「白い虹」は姿を現した。

大地と天空をつなぐ「白いアーチ」。

その神秘的な姿は、ほんの数分もすると、ふたたび尾瀬ヶ原の湿原に帰っていった。まるで「夏の幻」のように…。





なぜ、その虹が白く見えたのかと言えば、それは尾瀬の湿原に立ち込めていた「霧」のイタズラだった。

普通の七色の虹は「雨粒」の中に太陽の光が入り、その光が七色に分かれることによって七色に見える。一方、尾瀬の白い虹は、雨粒よりも100分の1も小さい「霧粒(0.02mm)」が虹の元になっている。

粒が100分の1ということは、7つの色に分かれる光も「100分の1」。その光はあまりにも微細すぎて、人間の目には「白」にしか見えなくなるのである。



◎尾瀬の地塘(ちとう)


白い虹を生み出す「霧」をもたらすのは、尾瀬の湿原に1800以上も点在する池や沼。それらの池や沼は、ここでは「地塘(ちとう)」と呼ばれている。

これらの地塘(ちとう)は、湿原を流れる川よりも高い位置にあるために、川の水が流れ込んで出来たものではない。地塘の水源は、天から降ってくる雨や雪だけなのである。それでも不思議なことに、どんなに日照りが続いても地塘の水が枯れることはない。



地塘から立ち昇る霧は、天からもたらされた水が、再びゆっくりと空へ帰ろうとしている途上である。その急がぬ帰り道、霧は辺りの植物たちに十分な潤いを与えたり、時には白い虹をつくったり…。

天に帰った霧たちは、いつの日か再び雨や雪に姿を変えて、湿原の地塘へと戻ってくる。こうした悠大な水の循環を支えているのが、尾瀬の地塘なのである。





◎雪の冬


標高1400m以上に位置する尾瀬の「秋」は短い。まるで駆け足のように通り過ぎてゆく。ヒツジグサの葉が赤く染まったかと思えば、あっという間に雪が降り始める。まだ10月だというのに…。

しんしんと尾瀬の地塘(ちとう)に降り積もる雪。その長い冬はおよそ一年の半分(11月〜翌5月)。時に、積雪は4mを超え、凍てつく気温はマイナス30℃にまで迫る。



そんな厳冬期の尾瀬に、静かに分け入る野原精一博士(国立環境研究所)。深い深い雪をザクザクと下へ下へと掘り始めた。ほかの科学者たちとも協力しながら、およそ2時間をかけて、ようやく真っ白な雪以外のものが見えはじめた。

「氷?」「いや、これは水面だ。雪と水の混ざった『スノー・ジャム』だ」



◎暖かい雪の布団


なんと、深い深い雪の下に閉ざされた地塘の水は凍ってはいなかった。むしろ、寒風吹き荒ぶ地表よりもよっぽど温かく、カサスゲや水芭蕉の芽まで青々としているではないか。

「あっ! 虫だ、虫。いっぱいいるわ」。分厚い積雪と地塘の間のスノー・ジャムの中には、ガガンボの幼虫までがウジャウジャと蠢(うごめ)いていた。



尾瀬に降る雪は、日本海のもたらす強い寒気の影響で、フワフワと軽いパウダー・スノー。その羽毛のような雪の結晶は、地に降りても溶けることがない。そのフワフワと降り積もった雪の結晶は、たくさんの空気を閉じこめたまま、何メートルも高さを増していくのである。

いわば、それは雪の「羽毛ブトン」。それが尾瀬の生物たちを寒風から守っていたのである。

調べてみると、冬の命を育むスノー・ジャムは、50cm近い厚さがあった。これは野原博士が予想したよりもずっと分厚い層だった。言うなれば、深さ50cm程度の大きな湖が、雪の下に横たわっていたのである。多くの生命を守りながら…。



◎謎のアカシボ


長い冬もいつかは終わりを迎える。遅いとはいえ、必ず春は来る。5月になった尾瀬は、ようやくその時を迎えようとしていた。

この時、尾瀬の真っ白い雪は、なぜか「赤く」染まっていた。これは、「アカシボ(赤渋)」と呼ばれるものであり、雪解けの尾瀬にほんの数日間だけ見られる謎の現象である。

この奇妙な赤は、鉄がサビた色である。しかしなぜ、雪の中の鉄がこれほど大量に酸化してサビとなるのか? 科学者たちの長年の謎であった。





アカシボの発生する数週間前、深い積雪を調べてみると、雪の下150cmほどのところまで、サビが上がってきていた。そして、そのサビを採取して顕微鏡で覗いてみると…、ミジンコやアカシボの幼虫のお腹の中にも赤いものが…。

どうやら、アカシボは鉄のサビ(酸化鉄)ばかりではないようだ。生物の栄養分も含まれているようである。尾瀬の深い雪は生物を寒さから守るのみならず、エサまで与えていたのか…。



さらに詳しく、遺伝子レベルまで解析を進めていくと、そこに現れたのは数十種類にも及ぶバクテリアや微生物たち。なるほど、彼らが鉄などを分解して、小さな生き物たちにエサを与えていたらしい。

アカシボを調べて17年という福井学教授(北海道大学・低温科学研究所)は、それら無数のバクテリアの中でも、「ジオバクター」とよばれるバクテリアに釘付けとなった。

ジオバクターとは、深海などの空気(酸素)がない環境でも生育できる原始的なバクテリアである。ジオバクターは酸素の代わりに鉄を使って呼吸を行っているのである。



◎ジオバクター


ジオバクターは酸素がなくても生きられるというよりも、むしろ酸素が大の苦手であった。というのも、彼らが大活躍したのは「太古の地球」。その頃には、地球上に酸素などというものは存在していなかったのだ。

地球上に酸素が満ちるようになって以来、ジオバクターたちは日の目を避けるかのように、暗いところ暗いところ、酸素のないところ酸素のないところへとその身を潜ませていった。

そして、それは光の届かない深海であり、酸素の薄い尾瀬の地塘の中であった。



ジオバクターの好む環境は、酸素を必要とする生物たちにとっては、過酷な環境ばかりである。なにせ十分な酸素がない。しかし、ジオバクターが酸素以外のものから栄養分をつくってくれるお陰で、様々な生物が生きていけるようにもなる。

光の届かない真っ暗闇の中で暮らすエビやカニは、モヤシように真っ白であるが、ジオバクターなど原始的な生物が生み出す栄養分のおかげで、なんとか生きていくことができている。

尾瀬の地塘は、その底が泥炭であるために水中の酸素は極めて少ない。それに加えて、一年の半分以上は雪に閉ざされるために、光すら十分に届かない。その環境は、まるで深海のようではないか。

ジオバクターにとって不要なもの(酸素や排泄物)は、酸素を必要とする生物にとっては有用なものである。この真逆の関係が、酸素の少ない世界において生態系の奇妙なバランスを演出するのである。





◎閑話休題


ちなみに、ジオバクターは人間にとっても有益である。なぜなら、彼らは「発電」をすることもできれば、「放射能」を固定することもできるのだ。

ジオバクターが科学的に行っているのは「電子」の受け渡し。相手の電子を奪うことで、生きるためのエネルギーを得ているのである。ジオバクターが鉄の電子を奪えば、鉄は錆びるし、放射性物質であるウランの電子を奪えば、そのウランは水に溶けなくなって無毒化する。そして、その電子のやりとりが発電にもつながっているのである(世界最高出力は1立方mあたり2kW。米海軍が実用化)。

なんと、太古の原始的な生物が、酸素生物の最高峰にある人間にできないことをアッサリとやっている。人間が必要とするものをサッパリ必要としないジオバクターは、人間がノドから手の出るほどに欲するものを吐いて捨てているのである。



◎水芭蕉


アカシボの赤が尾瀬から消えた後、それと入れ替わるように湿原に現れるのは「水芭蕉(ミズバショウ)」。雪の布団の下で芽を出していた、あの水芭蕉である。

尾瀬に白く咲き誇る水芭蕉の大群落。待ち焦がれた春の到来を高らかに宣言する尾瀬の風物詩である。



ところが意外なことに、日本でも有数の大群落を形成する尾瀬の地塘(ちとう)は、本来、水芭蕉の住めない環境である。なぜなら、地塘の水には水芭蕉が求めるほどの酸素が含まれていないからだ。

そのため、酸素を求めて伸びる水芭蕉の根っこは、いったん下へ下へと伸びていくものの、地塘の底の泥炭に酸素がないのを知るや一転、180°向きを変えて、上へ上へと浮上する。結局、根っこは空気中からしか酸素を得られないのである。





◎泥炭


なぜ、地塘の底に酸素がないのか? それは尾瀬があまりにも寒いため、植物の残骸などが腐らずに、そのまま積み重なっているだけだからである。尾瀬の年間平均気温は4℃、これはまさに冷蔵庫の温度であり、そうそう植物の腐る温度ではない。

本来、枯れた植物が土中の微生物に分解されることによって、その土は酸素や栄養分、つまり豊かさを増してゆく。ところが、冷蔵保存されているような尾瀬の土では、植物の遺体の分解は極めて遅く、それよりも早く次の遺体が重なりあってしまうのである。

こうして出来るのは「泥炭」。この泥炭の中には、栄養もなければ、酸素もない。植物にとっては、大変「生きにくい土」なのである。



◎燧ヶ岳の大噴火


ではなぜ、そこまでして水芭蕉は、尾瀬に咲きたがるのか? その答えに行き着くためには、少々地球の歴史をさかのぼる必要がある。

今からおよそ40万年前、尾瀬に湿原はなかった。そこにあるのは高い峰々に挟まれた、単なる谷間であった。その状況が一変するのが、燧ヶ岳(ひうちがたけ)の登場である。

現在、尾瀬の燧ヶ岳は北日本随一の高峰である(標高2356m)が、その登場はおよそ5万年前、時の大噴火により、その頂を天に伸ばした。そして、その時流れ出た膨大な量の溶岩が、尾瀬の谷間を塞ぎ、湿原の元となる広大な盆地を山中に現出させたのである。

現在の尾瀬は、東京ドーム170個分という広大さであり、これほど天に近く巨大な湿原は他に例をみない。



◎氷河期と温暖化


当時の地球は「氷河期」。ただでさえ寒い尾瀬は、もはや極寒。生物の生きられる環境ではなかった。当然、水芭蕉はまだここにない。その頃の水芭蕉が根を張っていたのは、ほど良い寒さであった関東平野のあたりだと考えられている。

時は大きく移り、氷河期という大きな冬が終わる時がきた。地球温暖化の始まりである。

分厚い氷が溶け始めると、日本列島と朝鮮半島をつないでいた氷にも隙間ができ始め、その隙間を勢いよく海流が流れ出した。これが現在の対馬海流。この暖かな海流が日本海に流れ込むことにより、日本列島の気候は一変した。



暑さを増す関東平野、もはや水芭蕉が快適に暮らせる温度ではない。北へ北へと逃れた水芭蕉は、ついには新天地・尾瀬にたどり着く。

しかし、気温が心地よいとはいえ、尾瀬の土壌は、先に述べたように、泥炭という酸素も栄養も乏しい「生きにくい土」。それでも、尾瀬にこだっわった水芭蕉の心境たるや如何なるものか。地中における自らの姿を変え、根を空中に突き出すという奇妙な方法で、尾瀬に生きる道を選んだのだ。

なんと、弱くも強い花であろうか、水芭蕉という花は。



◎か細いバランス


水芭蕉が花咲く頃、スノー・ジャムの中をともに生き抜いた同志、ガガンボの幼虫も土から顔を出す。しかし、顔を出した途端に、小鳥たちに突っつかれるのも悲しい宿命だ。冬を越えたガガンボの命は、小鳥たちのヒナの貴重な栄養ともなってしまうのだ。

もちろん、無事羽化するガガンボも数多い。ガガンボというのは一見「大きな蚊」のようにも見えるが、その実、人を刺したりすることはなく、おおよそ無害な弱い虫の一匹に過ぎない。



そんな儚い命でも、もしそれが欠ければ、尾瀬は尾瀬でいられなくなるかもしれない。太古からあまり姿を変えていないという尾瀬の湿原は、それほど”か細い”弱々しいバランスの上に現出しているのである。

真冬の尾瀬を雪掘った野原教授は語る、「数十万年という時間を経ながら、いくつもの偶然が重なり合い、尾瀬は今ここにあります。もし、もっとたくさん水があれば、尾瀬は『湖』になっていたでしょうし、逆に水が枯れてしまっていたら、ここは草原となり、いずれは『森林』となっていたでしょう」



確かに、尾瀬が尾瀬である理由は、それが湿原という水と山の「中間的な状態」を保持しているからである。たいていは、一つの極である「湖か沼」、もしくは「山」になってしまうのであり、それが尾瀬ほどの高層(標高1400m以上)に、尾瀬ほどの広大な湿原が存在しない理由でもある。

「ここでしか生きられないもの、ここだからこそ生きることができるもの。そうした生命の連なりが、尾瀬を生み出したのです」



◎遅々とした変化


尾瀬が湿原のままに保持されたのは、その低温が大地を肥えさせなかったためであり、その水の循環が川という流れの速いものではなく、水を容易に流さぬ地塘と、そこから発生する霧という、じつに遅々としたものだったからでもある。

低温に閉ざされた流れの鈍い尾瀬という空間は、幸か不幸か、太古の香りをそのままに残す結果となった。その地中に太古のバクテリア・ジオバクターが安住していられるのも、その変化の少なさの賜(たまもの)であろう。

尾瀬に居着いた生物は、なかなかにこの地を去らない。尾瀬に住む植物は300種類以上、日本の湿原植物の大半がここに住み、なかには、尾瀬でしか見られない珍しい植物も数多い。



普通に考えれば、土地は肥えていたほうが良いであろうし、土中には酸素が多い方が良いであろう。

ところが、その豊かさを裏返せば、それは「変化の速さ」となる。土地の変化が早ければ、畑には草がはびこり、それはやがて木となり森となる。そして、ついには山と化すのである。それが植物相の自然な進化である。

もし人間が食料を生産したいのであれば、畑は畑のままに進化を止めてもらわねば困る。森や山となってしまっては、いつまでも麦や米が育てられない。とどのつまり、モノには「程(ほど)」があるのであり、「ほど良い」ところが必ずあるのである。



この「程(ほど)」を知らぬのが、西欧の進歩史観という哲学で、「文明は進めば進むほど良い」と考える。地球には限界がないと考える彼らは、変化を促進することばかりを好み、その結果、地球上の資源は枯渇しつつある。

しかし、森や山でさえ「極まれば変わる」。そして、その変化に対して最も脆弱なのは、知恵に頼りすぎた人間であることを忘れてはならない。



◎人間の足音


静かな静かな時を、ゆっくりゆっくり過ごしてきた尾瀬。尾瀬に関する歴史的記述の少なさが、その静けさを物語っている。

しかし、その静かな尾瀬にも、少しずつ人間の足音が聞こえ始める。



尾瀬の最高峰、燧ヶ岳(ひうちがたけ)に最初に登頂したのは、「平野長蔵(ひらの・ちょうぞう)」氏。福島県に生まれた彼は、明治22年(1889)、19歳の時に燧ヶ岳の頂に立った。この年が、燧ヶ岳の開山となり、翌年、尾瀬に小屋を設置した長蔵氏は、その年(1890)をもって「尾瀬の開山」とした。

その後、尾瀬の美しさに魅了された長蔵氏は、尾瀬沼のすぐそばに丸太小屋を建てて住み着き、これが後の「長蔵小屋」の始まりとなった(1910)。



この辺りまでは、人間の足音も微々たるものだった。ところが、この後、大企業の大きな足音が、尾瀬の静けさを打ち破る。

1922年、関東水電(現在の東京電力)が尾瀬の水利権を獲得し、「ダム(尾瀬原ダム)」の建設を計画。1944年、取水工事が開始され、水力発電用の水を通すトンネルが完成した。



◎直訴


これに腹を立てた長蔵氏。すぐさま上京して、大臣宛ての請願書を提出。しかし、この訴状は軽く握り潰される。

それでも諦めない長蔵氏。「悠大な原始のおもかげを残す尾瀬の自然」を守ることを彼は世に訴え続けた。彼の尊敬する人物は「田中正造」、不正を憎み、権威を恐れず、己の信念を貫き、足尾銅山の鉱毒事件を追求した人物である。



長蔵氏の訴状は握り潰されたものの、その大声は社会を動かした。1934年、尾瀬は「日光国立公園」に指定され、1960年には「特別天然記念物」にも指定された。

この頃、長蔵氏はすでに世になく、その代わりに息子の長英氏、孫の長靖氏が、自然保護活動を継続していた。尾瀬が特別天然記念物に指定されたことで、事実上、発電所計画は不可能となっていたが、それでも東京電力はその計画を堅持し、ようやく断念するのは1996年にもなってからのことである。

現在、尾瀬の地は厳しく管理され、木道以外の場所を歩くことも許されなければ、おいそれと研究することさえも禁じられている。





◎無言の問い


もし、あの時、長蔵氏が声を大にしなかったら…、5万年前に燧ヶ岳が作り上げた天然の盆地は、人為によるダムと化していたかもしれない。そして、尾瀬に眠っていた太古の香りには、気づくこともなかったかもしれない…。

どうも人間というのは、人一倍「変化に弱い」くせに、人一倍「変化を好んで」仕方のないようだ。そんな人間たちに、何万年と静けさを保っている尾瀬は、「無言の問い」を投げかける。



その問いを言葉に表したような書が「世界史の中の縄文文化(安田喜憲)」。

この書において、安田氏は語る。「これまでは、縄文人は未開な人種だったから『一万年も同じ生活を繰り返している』と考えられていた。しかし、そうではない。人間は自ずと進歩発展への道をたどっていくものである。それにも関わらず、縄文人はその『本能を押さえて』同じ生活を営々と繰り返してきたのである。そして、それが日本人の根幹を形成していると考える」

詳細は省くが、安田氏のこの言葉は心に残る。「縄文時代は、人と人が集団で殺し合いをした形跡が一切ない。また、発掘される土偶は100%妊婦であることから、生命が非常に大切にされていたことが分かる。今わかっていることの一つは、縄文文化が『生命を慈しむ文化』であったということである」





◎夏の幻


この一万年間で、地球の人口はおよそ1000倍に膨れ上がり、一人当たりが使うエネルギーは100倍にも増加しているという。

かたや、静かなる尾瀬では、息も絶え絶えの酸素の中、カツカツの栄養分で多くの生命が花開いている。そしてその営みは、一万年と言わず、何万年となく営々と繰り返されてきているのである。



湖にも山にもならなかった尾瀬。

一方、進歩発展を願ってやまない人間たちは、いつの日か湖も山も変えてしまうのかもしれない…。



夏が来れば思い出すはずの尾瀬。

夏の幻のような「白い虹」とともに消えてゆかぬことを…。






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出典・参考:
NHKスペシャル 「奇跡の湿原・尾瀬」
posted by 四代目 at 14:38| Comment(0) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

何千年前の壁画のごとく「変わらない」生き方。アフリカ・サン族。


「壁画に描かれているような生活」をする人々がいる。

裸足で大地に立ち、弓矢を駆使して動物を狩る。アフリカ大陸南部に暮らす「サン族」は、何千年となく、そうやって生きてきた。

※かつて「ブッシュマン」と呼ばれた人々で、ボツワナ・ナミビア・南アフリカにまたがる「カラハリ砂漠」に住む。

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「狩猟」は男たちの仕事であるが、ここのところ芳しくない。獲物が獲れない日々が、3週間以上も続いているのだ。

今日も4人の男たちは、フラフラと猟に出かける。しかし、どこにも気負った風は見られない。わりとノンキに小鳥とりの罠をしかけたり、道端の植物の根っこをひっくり返したり…。



一人の男が樹木の中にハチの巣を見つけると、にわかに男たちは気色ばんだ。

さっそく自前の小枝で火を起こすと、その煙でハチを燻り出す。そして、男が木の中に手を突っ込むと…、甘〜い甘〜いハチミツの御出ましだ。

思ったよりも量が少なかったためか、彼らはその場でペロリと全部食べてしまった。

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ハチミツを手で食べていたために、少し手が粘ついたのか、男はある植物のイモのような根っこを掘り出すと、その根を削りながら手を洗い始めた。

大根おろしのようになった根っこを、ギュッと絞れば水分が滴り落ちる。ついでに水分補給だ。

「すこし苦い」らしい。



そんなこんなをしていたら、あっという間に時間は過ぎ、そろそろ帰らなければならない。残念ながら今日も獲物は見つからなかった。

行きがけに仕掛けていった小鳥の罠は…、仕掛けた時そのままで、小鳥が来た気配すらない。



村に戻った男たち。またしても手ブラであるが、誰もそれを責める人はいない。狩りの様子を聞く人すらもいない。

手柄のなかった男たちは、貯め込んであった木の実をひたすら割って、みんなに配っていた。



次の日、どうやら雲行きが怪しい。雨が来そうだ。

ということで、狩りは中止。弓矢のメンテナンスなどに時間を費やす。これらの道具はすべて自分たちのお手製であり、弓の弦は動物の腱を利用して作られている。



また次の日、今度は明らかに雨だ。

狩りはできない。村のみんなと遊んで時間を過ごす。



さあ、いよいよ晴れだ。今日こそは獲物を狩れるだろうか。

今回は幸先が良い。動物の足跡をすでに見つけている。

彼らは足跡を見ただけで、何の動物なのかを瞬時に判別できる。そして、時間さえかければ、次の足跡、また次の足跡と、必ず行き先を追跡できるのだ。



そうして彼らは、ある穴へと行き着いた。

その穴に長い棒を突っ込んでみると、明らかに動物の気配。今回の獲物は野ウサギだ。

その反対側から、男が素手で穴を掘り始めた。大の大人がスッポリと入れるほどに穴を広げていった時、ついに野ウサギの後ろ脚を捕まえた。



グイッと引っ張りだすと、即座に撲殺。

何も彼らが残酷なのではない。生きるためには殺すことも必要なだけである。

ただ、我々文明人は、殺す過程を見ないことにしているだけである。毎日のように肉を食らっているにも関わらず…。



日本のマタギは、クマを射殺する時、必ず心臓一発で仕留めるのだという。そうすれば、クマの苦しみは最も少なく、血もあまり出ないのだとか。

だから、逆に一発で仕留める自信がなければ、マタギはクマを撃たない。撃ち損じれば、それはいたずらにクマの苦しみを大きくしてしまうだけなのだから…。



さあ、小さなウサギ一匹とはいえ、一ヶ月近くなかった獲物だ。

獲物を見た村の人々は、わらわらと集まってくる。内臓をとり、脚をもぐ。脚の腱は弓矢の弦になるからだ。

毛を焼くように、火にかざした後は、半分を煮物に回す。



焚き火で焼かれた半身は、香ばしい匂いをさせ始める。いよいよ食べ頃だ。

男が最初に肉を手渡した相手は、子供たちだ。子供たちにはウサギの脚を与えた。「将来、ウサギの足跡をうまく見つけることができますように」、と。

次々に肉を配っていくと、ウサギ一匹はあっという間に完食だ。

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狩りをしてきた男たちは、各々一口ぐらいしか肉を食べていないようだ。

しかし、それでも彼らは満足気だ。みなが喜んでいるのが、ことさらに嬉しいようだ。



彼らの生活は、文字通り、地に足が着いている。

一ヶ月も獲物がないことがあっても、彼らの生活は途絶えることがない。

何千年となく、こうした変わらぬ生活が繰り返され、彼らの生はつながれてきたのだ。



こうした人々がいることに、今回の旅人・要潤氏は、少なからず心を動かされた。

彼は「自分が変わらなければならない」と思い定めて、悩み続けていたのである。

ところが、ここには「全く変わらない人々」がいた。



サン族の人々は、何千年と同じ事を繰り返し、そして、これからもそうして行こうとしているのだ。

何千年か前に描かれたのであろう、壁画の動物たちを、彼らは今なお追い続けているのである。



現代ほど、高度に発達した文明というのは、過去にあったのか?

高度な文明というと響きは良いが、それは精密機器のように脆い側面も持つ。

どれほど高度な技術が詰め込まれたパソコンでも、内部のどこかがおかしくなってしまえば、ただの箱に成り下がる。



それは現代人にも言えることで、我々の生活から何か一つでも欠けしまったら、我々の生存はとたんに覚束なくなってしまう。

「高度」というのは、文字通り「高い」という意味であり、高く積み上げれば積み上げるほどに、それは崩落の危険も増大するのである。



一方、サン族の暮らしぶりは、まったくもって高度ではない。

むしろ、大地から一歩たりとも足を離さぬかのように、そこに留まり続けている。

まさに人間が始まったのであろう、その場所に。何も変えずに…。



他方、アフリカの大地を旅立った現代文明人たちは、何千年と変化をもとめてやまなかった。

そして、いつしかサン族の人々の暮らしを、見下すようにもなっていた。

しかし、もし事起こらば、足元をすくわれるのは、現代文明人たちに他ならぬのであろうとも思われる。我々の作り上げた高い高い塔は、それほど頑強とは思えない。



カラハリ砂漠にサン族がいてくれていることは、一つの安心なのかもしれない。

我々が幾多の変化の中で失ってしまったものも、ここには大切に残されているような気がする。



村で獲物を待つ女・子供たちは、たとえ男たちが獲物を持って来なくても、じつに淡々としていた。

ようやく獲物を狩った男たちは、ほどんどその肉を口にしなかった。



彼らは、「生活そのものに満足している」と、ほほ笑む。

彼らの心のスタンスは、心地良いほどにユルリとしているようだ。



今我々が問うべきは、「生活の質」なのだろうか?

質ばかりが高まっても、「心のスタンス」が窮屈になってしまっては、本末転倒ではあるまいか。

食うに困っている時でさえ、雨の日を無邪気に遊べるサン族の人々は、何かを確信しているのかもしれない…。





ブッシュマンとして生きる
―原野で考えることばと身体




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出典:旅のチカラ
「砂漠の狩人に人生を聞く 旅人 要潤 ナミビア」
posted by 四代目 at 06:36| Comment(0) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする