2015年05月13日

永久につづく森へ [明治神宮100年の物語]



「東京のド真ん中に『原生林のような森』はできまいか?」

本多静六(ほんだ・せいろく)は100年前、そんな夢をいだいた。

時は1915年、崩御された明治天皇を祀るため、明治神宮の建設が計画されて間もない頃だった。


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明治神宮にふさわしい鎮守の森

それを本多静六は「常緑広葉樹」、すなわち一年じゅう葉の落ちない緑の木々であろうと考えた。というのも、昔の東京にはシイやカシなどの常緑樹が自然に生い茂っており、そうした木々が自然に生育できる土壌環境が東京にはあった。



しかし、時の総理大臣・大隈重信は断固、反対した。

「明治神宮に『藪(やぶ)のような森』はふさわしくない。伊勢神宮や日光のような杉林にしたまえ。荘厳な杉こそが、偉大なる明治天皇を祀るにふさわしい」と大隈は言い切った。

だが、本多は譲らない。

「総理、東京の土地に杉(針葉樹)は向いていません。広葉樹こそが東京に一番適しているのです」

すると怒声が飛んできた。

「ばかもん! 不可能を可能にするのが学問ではないのか!」



なんと言われようが、本多は譲らない。本多にはヨーロッパで最先端の林学を学んできたという自負がある。養分が少なく水も十分でない土地に杉は向かない。

「総理、われわれが計画している森は、数百年、数千年とつづいていく森です。それには常緑の広葉樹しかないのです」

綿々と説く本多に、ついに折れたのは総理のほうだった。






◎理想の森



”うつせみの代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ”

かつて明治天皇がそう詠んだように、当時の代々木は閑とした荒れ地だった。ただ一本のモミの巨木だけが荒野にそびえ立っていた。

”代々木御料地なる旧井伊候下屋敷に『樅(もみ)の大木』あり。幾年代を経しを知らず。是れ当地において最も有名なり。代々木の 称は是より起これり”

「代々木」という地名の由来ともなったモミの大樹。幹回りは10m以上、左右に広げた太い枝は50m以上にも及んでいたという。樹高50m以上あったこの巨木に登れば江戸一円を眼下におさめることができ、江戸幕府はその樹上から黒船の動きを見張っていたという。

つまりは、そのモミの大木以外に目立つ木々はなく、明治神宮のための森の造営は平坦な荒野を開墾するようにしてはじまったのであった。


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『明治神宮 御境内 林苑計画』

その書に、本多静六は自身の考える「理想の森」を記した。

『永久に荘厳神聖なる林相』

本多が目指したのは「永遠につづく森」。人が手をかけなくとも自然に世代を継いでいくような森。それは太古の昔、人が住む前の東京に広がっていたであろう「原生の森」であった。


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ちょうどその年(1915年)、東京駅が完成した。東京が世界的な大都市としての第一歩を踏み出した、その同じ時、本多はあえて逆方向へ、太古へ帰らんかのような森づくりをはじめたのであった。






◎150年計画


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神宮の森造営は、国家をあげた一大プロジェクトとなった。

献木は日本各地、遠くは朝鮮・台湾からも寄せられ、その数は12万本にのぼった。造林作業には全国の青年団がわれもわれもと押し寄せ、およそ1万3,000人もの国民が自発的に参加したという。

専用の線路がひかれた原宿駅には、1日に30両もの貨物列車が樹木や資材をとどけたというから、その賑やかさたるや推して知るべし。


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まずはマツなどの針葉樹が植えられた。

最終的に目指したのは「常緑広葉樹の森」であったが、痩せた代々木の土地にはまず、荒地に強い針葉樹で土台をつくる必要があった。ゆえに、最初に植えた木の半分以上は針葉樹であり、その間の木陰に小さな広葉樹が配置されていった。


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本多の夢想したのは「人の手を必要としない森」。人が関わるのは最初の造林のみで、あとは自然に任せる。自然に落ちたドングリが芽をだし、世代交代を繰りかえす。50年後、100年後、150年後と時が経るほど、自然に森林度が深まっていくような森であった。

そのための森林計画が緻密に練られた。

本多静六はじめ、弟子の本郷高徳、上原敬二。そのほか当代一流の専門家たちが多く関わった。そして記された『林苑計画』の書には、事細かに樹木の配置がデザインされた。大きな針葉樹の間に植えられた小さな広葉樹は、いずれ森の主役となる手はずだった。

いわゆる植生遷移(サクセッション)。異なる樹種を重なるように配置して、針葉樹から広葉樹へと林相の変化をうながすようにデザインされたのだった。本多の理想とした「常緑広葉樹の森」はその完成形、極相林(クライマックス)。その姿に至るまでに「150年」と予測された。


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もし自然界だけに任せたら、荒地から極相林に至るまでには数百年の年月が必要とされる。

それを最初に人が木々を理想的な配置に並べることで、150年で成してしまおうというのだから、本多たちの計画はじつに野心的なものであった。しかし無謀ではない。彼らの『林苑計画』には学問という確かな道標があった。



植樹は造苑開始から6年後の1920年に無事おえた。

その年の11月1日、明治神宮は鎮座の日をむかえた。

広大な敷地22万坪(約73ヘクタール、東京ドーム約15個分)のほとんどが『神の森(神域)』とされ、本殿や参道以外への立ち入りは厳しく制限された。


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人を立ち入らせず、草も刈らず枯木も除去しない。

まったくの自然に委ねられた鎮守の森。



本多たちが予測した150年後、いったい森はどんな姿をみせるのか?

本当に常緑の広葉樹が生い茂っているのだろうか。

はたして、この壮大な、世界でも類例をみない大実験は成功するのだろうか?






◎検証



あれから100年。

明治神宮は戦火の災いをかいくぐり、いまだ厳然とある。

鎮守の森もしかり。代々木の象徴であったモミの大木は米爆撃機B29によって焼失したといえども、それ以上の森林が神域を覆っている。


本多たち林学者は、森が遷移していくことを予測した。

しかし、東京がこれほどまでの大都市になることは想定していただろうか。

太古を目指した森は、予想外の大都市化の洪水に、押し流されてしまったのではなかろうか?



100年前の本多たちの大実験を検証すべく、これまで定期的に3回の科学的調査がおこなわれている。たとえば樹木の総数は毎木調査といって、境内すべての木々が一本一本、その生えている場所とともに樹種や幹の直径などが正確に調べられている。

1924年(大正13年) 2万6,497本
1934年(昭和9年) 3万1,954本
1970年(昭和45年) 2万3,979本

上記は、直径10cm以上の樹木の本数である。10年後までは順調に増えているが、50年後には4分の3に減っている。この減少は何を意味するのか? 高度経済成長の波をかぶってしまったのか、それとも、林相になんらかの変化が生じた時期なのか?


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じつはこの時期(1970年代)、最初に植えたマツなどの針葉樹が次々と枯れている。それは、それまで樹下に育っていた広葉樹がついに大木化し、針葉樹の光をさえぎって枯してしまったからだった。

それは本多たちが『林苑計画』で予測した通りの経過だった。最初に植えた針葉樹はいわば地ならしのためであり、痩せ地に弱い広葉樹を傘のように保護するためだった。あくまでの目的は常緑広葉樹を育むこと。それが「永久の森」への道であった。

造林から50年、高度経済成長という環境悪化の荒波に揉まれながらも、本多たちの計画に狂いはなかった。予期された広葉樹への遷移、世代交代が確実におこなわれていた。



そして100年後となった現在(2015年)、第4回目の大規模調査がおこなわれた。

2年がかりで調査された樹木の数(直径10cm以上)は、100年前の半分ほどに減っていたが、林相はガラリと様変わりしていた。針葉樹は全体の10%以下に激減、その代わりに広葉樹が3分の2を占めるまでに至った。しかも広葉樹は直径が1mを超す大木が244本に増え、実生(こぼれ種からの発芽)が40万本も見つかった。

つまり本多たちが予想した通り、針葉樹は広葉樹の極相林(クライマックス)となり、後継樹は自然のサイクルによって世代交代を繰り返すようになっていたのだった。


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本多静六の理想とした『永久に荘厳神聖なる林相』。

それは100年後の現在、すでに達成されていた。

『林苑計画』では150年と予測されていたが、これは嬉しい誤算であった。自然の底力が、天才たちの予測のずっと先をいっていたということだった。








◎タイムカプセル



肥料もやらない、剪定もしない。朽ちた木もそのまま残されている。

100年間にわたって放置された明治神宮の森は、大都会のド真ん中にあってなお、「太古の原生林」と化した。

20mを超える大木が鬱蒼と競り茂り、その深い森に暮らす動植物は3,000種以上。都心にありながらカブトムシが群がってくる。日本の図鑑には載っていないようなキノコも生える。



「100年、こうやって都会の中で放置しておいたというのは、世界でも稀なんじゃないでしょうか」

養老孟司氏は言う。

そして、境内最大の巨木、30mを超すムクノキを見上げる。

「普通、大きな樹っていうと特別に保存するんで、周りと切り離されることが多いんですね。でも、この森の主は周りの木が小さい時からずっと見てるわけです」


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昼なお暗い森の中には、現在の東京が失ってしまった日本固有の動植物がいまだ生き生きとしている。

池に泳ぐミナミメダカ。100年前の東京には普通に泳いでいたこのメダカは、いまでは絶滅危惧種。神宮内の水場にはブラックバスなどの外来魚が入っていないため、こうした昔から関東地方にいた魚が温存されていた。

一面に咲くカントウタンポポ。他所では外来の西洋タンポポに圧倒され、ほとんど駆逐されてしまったこの日本固有のタンポポも、神宮内の神域にはところ狭しと咲き誇っている。これもやはり、明治神宮の分厚い森が外来種の飛来を防いでいたからこそである。


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養老氏は言う。

「本当に珍しい。東京都区内にあって、ここは『残っている島』みたいなところですね。『むかしの東京の自然』をここがタイムカプセルみたいに閉じ込めているような」

鎮守の森に護られて、絶滅を逃れた生き物が数多い。

青木淳一博士(横浜国立大学)は言う。「これはトウキョウ・コシビロ・ダンゴムシっていう。東京都内でも皇居とか明治神宮とか『上等な森』にしかいない日本固有の奴でね。そこら辺にいるダンゴムシとは違うんですよ」


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自然放任された森にあって唯一、人の手を入れるのが「掃き屋さん」。参道に舞い落ちる枯葉を掃きあつめて森に返している。この管理法は100年前の『林苑計画』書に細かく記されている。

”落葉は一見無用の廃物たる観ありといえども、落葉を採集除去することなければ樹木は常に営養(栄養)足り”

滋養豊富な落ち葉に育まれた土壌には、粘菌からミミズまで、多様な生活者たちであふれている。もちろんカブトムシの幼虫も。朽ちた倒木もやがては土に還り、新たな木々の糧となる。自然の循環そのままに。


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◎森の王者



「コゲラが多くなったなぁ」

毎月おこなわれるバードウォッチング。

キツツキの仲間、コゲラが1960年代からずっと増えているという。



森が変われば、そこに棲む鳥も変わる。

森を造営した頃は、疎林(まばらな林)に棲むキジやホオジロが多かった。だが森が成って50年、針葉樹から広葉樹への転換がおこった1980年代を境に、これらの鳥は姿を消した。

代わって現れたのが、より深い林に棲むコゲラなど森林性の鳥たちであった。


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そして驚くことに、森の王者オオタカまでが明治神宮に巣作った。

都市鳥研究会代表の川内博氏は言う。「こういう都心の森に森林性の鷹、オオタカが来るっていうのは誰も予想していませんでした。最初は冬場だけだったんですけれども、段々と一年じゅう定着するようになって、ついには繁殖もするようになったんです。これは非常な驚きです」

オオタカという巨大な鳥が巣をつくるということは、それだけ森にエサが豊富に存在するということを意味する。それは、目に見えない土壌生物からピラミッドのように積みあがった生態系が、ついにオオタカという頂点にまで栄養を行き渡らせるに至ったということである。


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東京という大都市のド真ん中に「オオタカの棲む天然林」がある。

これは世界に誇れる大実験の成果であろう。

養老孟司氏は言う。「よく造ったと思いますね。造ったというより、100年経ったらこうなったんですよね。この森が都内にあるというのが大事なことで、これを造った人のことを考え、この先どうなるかと考える。それではじめて、ものを長い目でみるということが実感されると思うんです」

100年前の荒野が、いまや大森林。

「周りの東京がここまで変わっていくことは、たぶん考えていなかったんじゃないかと思います。でも、これだけ変わっても、ここは自分たちのルールで木が生い茂っている。自然というのは任せておくとこれだけの仕事をするんですね、100年で」

100年の時は、東京を世界有数の大都市へと変貌させた。その一方で、明治神宮の森は逆に原始へと還っていった。


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「永久に荘厳神聖なる林相」

本多静六らが100年前にひいたレールは、最短距離で森を原始の世界へと導いた。

もし彼らが今の森を見たら、何を思うだろう。


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日が没すると、明治神宮の扉は閉ざされる。

深夜の森は野生のままに、タヌキが我がもの顔でのさばり歩く。ノドが乾けば、湧水「清正井(きよまさのいど)」にやって来る。タヌキにとっては「飲用禁止」の看板など知ったことではない。


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夜が明け、本殿の扉が開かれると、タヌキは悠々と森に消えた。






人ごころ
すがすがしきは
ほがらかに
あけたる空に
むかふなりけり

…明治天皇 御製



かへりみて
心にとはば
見ゆべきを
ただしき道に
なにまよふらむ

…昭憲皇太后 御歌













(了)






出典:NHKスペシャル「明治神宮 不思議の森 100年の大実験」



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2014年11月25日

砂漠のシロアリ、そして象 [ナミブ砂漠]




ここは別の星なのか?

なんだ、この謎めいた模様は?



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奇妙なサークルが、地表のかなたまで埋め尽くす。

人はそれを「フェアリー・サークル」、妖精の輪とよぶ。



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いったい何者が、このような奇妙な模様を描いたのか?

動物たちのイタズラか?

いや、植物が出す有害物質かもしれない。

まさか、その名の通り妖精が…?






■オアシス



諸説百出するなか、ノルベルト・ユルゲンス博士(ドイツ・ハンブルグ大学)は、「シロアリの仕業だ」と言う。ユルゲンス博士の根気強い調査によると、ほぼすべてのサークルで見つかった生き物は、この「スナ(砂)シロアリ」という虫しかいないという。



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円形の模様の下(地中)には、スナシロアリの巣が存在しており、サークル内に植物が生えないのは、その根をスナシロアリが食べてしまうからだという。

妖精の正体見たり、スナシロアリ。



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ここで重要なのは、このサークル内に多量の水分が保持されているということだ。

ユルゲンス博士は言う。「水はとても長いあいだ砂の中にとどまります。ご覧の通り、とても湿っていることがわかります」



なぜ、サークル直下に水がとどまるのか?

植物が生えていないことがその理由だという。もし植物が生えていたら、地中の水分は植物の根による吸収によって瞬く間にカラカラの空気中へと放散されてしまう。ところが幸いにも、フェアリーサークル内には植物が生えていない。そのおかげで、水分の散逸から免れている。

すなわち、フェアリーサークルは乾燥した大地の「オアシス」。砂漠の貴重な水をゆっくりと循環させる役割を担っているのである。



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■ナミブ砂漠



フェアリーサークルがあるのは、アフリカ大陸の「ナミブ砂漠」。

世界最古の砂漠といわれ、その歴史は500万年とも5,000万年とも。年間降水量は50mmにも満たず、世界で最も乾燥した地域の一つである。



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「あれは海ですか?」

福山雅治氏は、砂丘の上から遠くを指差す。

それは確かに海。このナミブ砂漠は珍しくも海岸沿いに発達した砂漠なのである。



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ナミブ砂漠の近海には「ベンゲラ海流」という、南極からやって来る冷たい海流が流れている。海流によって冷やされた空気は重く沈み、上昇気流を起こさない。そのため、大西洋から吹いてくる湿った空気は雨雲になることがない。冷たい海流の影響で、ナミブ砂漠には雨が降らない。

それでも明け方、冷たい海に冷やされた空気が「霧」になることがある。極度に乾燥した大地に暮らす生き物たちは、この絶好の霧を逃すものかと、あの手この手で自らの体内に取り込もうとする。



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それまで地中に隠れていたヤモリの仲間、ミズカキヤモリは霧が出るや地上に姿をあらわす。霧を顔に当てて、水滴として飲むためだ。



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ゴミムシダマシが逆立ちしているのは、体じゅうに付着した水滴を口元へと流し込むためだ。



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このナミブ砂漠にあっては、水分がそれほどにも貴重である。

朝方の霧とて実にはかない。数時間もすると太陽が昇り、霧はまさに雲散霧消。一気に灼熱地獄と化してしまう。

灼熱の太陽に焼かれる砂の表面温度は70℃にも達する。トカゲの仲間、アンチエタ・ヒラタカナヘビが足を交互にあげるのは、熱砂になるべく触れないようにするためだ。



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■水の連鎖



この水無き世界にあって、スナシロアリの生み出すフェアリーサークルは、奇跡のオアシス。

そのサークルの縁には、地中の水分を求めた植物たちが茂みをつくる。そして、その水分の含んだ植物を、より大きな動物たちが食する。



シロアリ自体も、動物たちの餌となる。

オオミミ(大耳)ギツネは世界で唯一、シロアリを主食とする珍しいキツネ。その大きな耳でシロアリが動くときの微かな音を聞き分け、自らが生きるのに必要な栄養と水分をこのシロアリから得る。また、ハイエナの仲間、アードウルフは一晩に30万匹のシロアリを平らげる。

シロアリを食べる動物のなかで、とりわけ風変わりな者がツチブタだ。ウサギのように大きな耳に、豚のように細長い鼻。抜群の嗅覚でもってシロアリを探り当てる。だがツチブタは極端に臆病。大きな耳で何らかの異変をキャッチするや、脱兎のごとく逃走。一日中でも巣穴から出てこなくなるという。ゆえに幻の珍獣ともいわれている。



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シロアリは世界に3,000種ほどが生息しているというが、その多くが著しく生命力に優れ、砂漠のような厳しい環境をもたくましく生き抜く。

シロアリが食べるのは、主に植物の葉や根。たとえばナミブ砂漠のように極端に乾燥した地域では、ミミズなどの土壌生物が存在しないため、シロアリが植物を分解する主な担い手となっている。もしシロアリがいなかったならば、砂漠に朽ちた植物は半永久的に残り続けてしまうことになるだろう。

だがシロアリの中には、自分で植物を消化できない種もある。たとえばキノコシロアリという種は、キノコを栽培する”農耕シロアリ”。枯れ草などを唾液で固め、そこにキノコの菌を植え付けて”菌園”をつくる。このシロアリが食料とするのは、菌園に成長する白い菌糸のかたまりだ。



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なるほど。こうした様々なシロアリたちは、ナミブ砂漠において食物連鎖の輪を回す重要な役割をになっているようだ。

水も然り、食も然り。極限まで乾燥した大地にあってそれらの連鎖は、か細くも小さな命によって紡がれているのであった。






■砂漠ゾウ



食の乏しい大砂漠。

その真っ只中で、ゾウのような巨体が維持されていることは信じ難い。



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それでも彼らは生きている。

アフリカゾウの一種、砂漠ゾウはわずかな水分を求めて山を登る。そんなゾウは、世界でも稀だ。登山する砂漠ゾウの目的は、コミフォラという枯れ木のような植物。枯れ木にように見えても、その幹にはたっぷりと樹液(水分)が含まれている。



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また、砂漠ゾウたちは地面に鼻をつけて、しきりに何かの匂いを探る。それは水の匂い。砂漠の下にたまった地下水の匂いを丁寧にかぎとる。そうして見つけた地下水の場所は、代々群れの仲間で受け継がれていくことになる。知恵ある彼らは、そうして命をつなぐ術を心得ている。



ゾウという大型動物は、食物連鎖のピラミッドではだいぶ上のほうに位置している。それはすなわち、その下のより大きな底辺に支えられてしか生きられないことを意味する。

ゾウという巨体を生態系が維持するためには、シロアリのような小さな生物がどれほど必要とされるのだろうか。何千万か、何億匹か。必要とされる水はどうだろう。

ナミブ砂漠にゾウが暮らすという事実は、その生態系の確かさを物語る。一見貧弱に見える砂漠の生態系も、じつは広大な、見えない底辺によって支えられているのである。






■別天地



一年に一度、ナミブ砂漠は別天地に姿をかえる。

わずか数週間だけ、雨が降るのだ。



水を得た砂漠は、劇的に変化する。

百花繚乱。



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じっと乾燥に耐えていた植物の種が一斉に芽吹き、色とりどりの花々が咲き乱れる。あのフェアリーサークルも緑に覆われ、楽園のような様を呈する。



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干上がっていた川にも、1年ぶりの水が音をたてて流れる。

砂漠ゾウは数年に一度の出産を終えたらしく、小さな子どものゾウを伴っている。



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キノコを栽培するシロアリの塚にも、変化が起こる。

塚を突き破って、大きなキノコが生えてくる。降雨が起爆剤となって、菌園の菌が一気に成長したのである。ここぞとばかりに傘を開いたキノコは、モワモワと胞子を撒き散らす。



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じつはこのキノコ、シロアリに育ててもらわなくては砂漠で生きていけない。キノコシロアリもまた然り。このキノコなしでは食を得ることはかなわない。まさに一心同体。この両者不離の関係がはじまったのは、なんと3千万年も前のこと。悠久の時間が、両者を不可分の関係に織り上げたのである。



シロアリの塚にキノコが生えているのを見て、チャクマヒヒが駆け寄ってくる。このヒヒにとって、キノコは時ならぬご馳走。キノコを引き抜くと、もしゃもしゃと頬張りはじめる。

砂漠の過酷さの中で、連鎖の無駄は許されない。命を燃やすあらゆるものが、何ものかのために消えざるを得ない。



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■日常



ナミブ砂漠に、ふたたび乾いた風が吹きはじめる。

楽園の終わりを知らせる風だ。



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砂漠の饗宴は、あまりにもはかない。

もとの灼熱の世界が、容赦なく押し寄せる。



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シロアリも砂漠ゾウも、またいつもの生活に戻っていく。

乾きと飢えは、いつものことだ。

ずっとずっと彼らは、そうやって生きてきた。



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そして、これからも

その営みが続いていくに違いない。



そう願う。



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(了)






出典:NHKスペシャル
ホットスポット 最後の楽園
シーズン2 第2回 アフリカ・ナミブ砂漠



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2014年11月20日

砂とともに生きる [ブラジル・レンソイス砂丘]



雪?

いや、そんなはずはない。

ここはブラジルだ。



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砂だ。

地平線の彼方にまで続く

真っ白の砂丘(さきゅう)。



世界最大

レンソイス砂丘

東京23区がすっぽり2つ入ってしまうという(面積:1,550平方km)。



最寄りの町はサントアマロ。

人口およそ1万5,000。

砂丘の知名度とともに、観光客も増えている



町の人は言う。

「きれいで静かで、とても良いところだよ。住んでいる人も穏やかだし」

え? 砂丘に人が住んでいる?

「いるよ。何家族も住んでいるよ。ここから歩いたら遠いけどね。6〜8時間はかかるんじゃないかな」






■石英



サントアマロの街から、ひたすら車をはしらせる。

行けども行けども、真っ白。

360°見渡すかぎりの白い世界。



ここはレンソイス・マラニャンセス国立公園

「レンソイス」とはポルトガル語で「シーツ」のこと。まるで洗いたてのシーツのような真っ白さ。



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なぜ、こんなに白いのか?

白い砂の正体は「石英(せきえい)」という鉱物。

山岳地帯に含まれる石英は、風雨によって削られ海にはこばれる。海流にのった石英は、強い波風によって浜辺に打ち上げられ、そして陸地の奥へ奥へと砂丘を広げていく。そうした何万年もの積み重ねが、世界最大の砂丘を生み出した。



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風水に磨耗した石英は、おどろくほど細かい。

まるで粉ようなその砂は、穏やかな風にも軽く舞いあがる。ましてや海辺の強風にさらされれば、どこまでも飛んでいく。

夏場は乾季のはじまり。風は少しずつ強くなりはじめていた。






■旅人



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「空と砂と水しかなくて、そこに僕みたいな余計な人間がいるって感じ。オレがいてゴメンなさいって感じですね」

旅人、手塚とおるさんは言う。

彼が立つのは、雨季にふった雨が溜まった池。砂丘の低いところには、こうした池が点在している。



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「ほんとに住んでる人いるのかな…?」

手塚さんがそう呟いているうちに、緑の木々が視界にはいりはじめた。

「あ、ここだ。うあー、家だ。”砂丘の中”っていうのがすごいですね、砂丘を抜けたんじゃなくて」

砂丘の中には、2カ所だけ水の湧き出るオアシスがある。ここはその一つ、ケイマーダ村。12世帯、82人が暮らしているという。



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村は防風林によって、砂や風から守られている。

村長のハイムンドさんは言う。「これはミリン(ナツメの一種)の木です。カシューナッツの木もあります」



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村には電気もガスも水道もない。ほぼ自給自足で暮らしている。

村長の妻、ジョアナさんは言う。「これはスペアミント。風邪に効く薬草よ。私たちは街から離れたところで暮らしているから、頭やお腹が痛くなったり、具合が悪くなったりしたら、この薬草を煎じて飲むんです」

ジョアナさんの菜園には、ネギやトマトなどの野菜も育てられている。






■漁



この小さな村にとって、貴重な現金収入となるのが「漁」である。

村から北へ5km、2時間ほども歩くと大西洋にでる。そこが彼らの漁場だ。



村長ハイムンドさんは、海を見ただけで魚が見えるという。

「魚は波に乗ってやってくるから、すぐにわかる。波が割れたところに魚が見えるんだ」

もちろん、普通の人には見えない。



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漁は、追い込み漁。

まず2人が、細長い網を浅瀬に長く張っていく。残る一人が、岸のほうから網を目がけて魚を追い込んでいく。



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網を引き上げると、たくさんの魚がかかっていた。

「大漁だ。これはボラだよ」と村長。



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この日の収穫は、およそ200匹。3家族が5日は食べられる量だという。街で売れば、1kgおよそ500円になるという。



漁は主に雨季(1〜6月)の仕事。

乾季(7〜12月)になると、風が強すぎて海まで歩いて来れなくなる。なんとか海まで来ても、波が高くて大変危険である。

だから風の吹かない雨季に、ハイムンドさんたちは集中して漁をおこなう。海辺の小屋で寝泊まりして、一日中漁に明け暮れるのだという。






■砂と共に



海辺の小屋は、すでに砂の下に埋まっていた。ハイムンドさんたちが、つい2ヶ月前まで寝泊まりしていたというのに。いまは、わずかに屋根が見えるのみ。

レンソイスの砂丘には、強いときで風速20mをこえる暴風が吹き荒れるという。砂丘は年間2mも風で移動するのだとか。



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ハイムンドさんは言う。

「ここはどこにでも砂丘の砂が押し寄せてくるから。砂とともに暮らすのは確かに大変だよ」

次の雨季、漁をはじめるために小屋を掘り出さなければならない。砂をかき出すのに10日はかかるという。

「でも、ここは平和だし、自然は豊かだし、私は大好きだよ」

そう言って、ハイムンドさんは微笑む。



しかし無慈悲な砂は、あらゆるものを飲み込んでしまう。

じつはハイムンドさんの生まれた家も、すでに砂の下だという。

「6m下に埋まっているよ」とハイムンドさん。

妻ジョアナさんも「ここにはキッチンがあったの。ここで長く暮らしたわ。この家で子どもを産んだし、子育てもしたし…」と懐かしげに、砂だけになった跡地をながめる。



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思い出がいっぱいに詰まっていた家は、すでに砂の中。移り住んだ新しい家とて安泰ではない。数年後には砂に飲み込まれることを覚悟しなければならない。

「その時は、また引越しだ」とハイムンドさん。「砂丘には逆らえない。私たちは自然に従って生きるしかないんだよ」



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■街と村と



「最初はこの村が大嫌いでした」

ハイムンドさんの妻ジョアナさんは言う。

「じつは私はサントアマロの街で生まれたんです。結婚してここに来たの。この村は砂が多くて多くて、砂丘に慣れなくて、街に帰りたかったわ。砂はどんどん押し寄せてきて、体にまとわりつくし、家が砂だらけになるし、もううんざりだったの」



そして、ジョアナさんはこう続ける。

「でも、今はここを離れたくありません。海に行けば魚もとれるし、しかも平和で穏やかでしょう。この村には何でもあることが分かったの」

街には街の便利さがあるかもしれない。しかし、この村にはこの村にしかないものがある。

「私はね、街への愛情を、この村と砂丘への愛情に交換しちゃったのよ」



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話を聞いていた旅人、手塚さんは思わず涙ぐんだ。

するとジョアナさん、「まぁ、泣いてるの? 美しい涙ね」と笑った。






■子どもたち



いま、村の住人は徐々に減っているという。

村の学校で教えられるのは小学4年生(9歳)まで。それ以後は、街に出なければならない。今いる11人の子どもたちも、近い将来、みんな村を出ていかなければならない。



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ハイムンドさんは言う。

「そりゃ寂しいよ。子どもたちがそばにいてくれたらと思う。でも、ここには学校もないし、仕事もない」

ハイムンドさんとジョアナさんの子どもたちも、8人みな独立。6人は仕事を求めて街へと出て行ってしまった。

「漁に出ても、必ず魚がとれるわけではない。まったく捕れないときだってある。厳しい生活なんだ。子どもたちにはそれぞれの未来があるわけだから」



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■観光業



レンソイス砂丘が国立公園に制定された1981年以降、村を取り巻く環境は猛スピードで変化している。砂丘を訪れる観光客のために観光ルートが整備され、年間4万人もの人々が押し寄せるようになった。



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ハイムンドさんの弟、モアシールさんは漁師から一転、観光業を営んでいた。

モアシールさんは言う。「観光業のほうが収入がいいよ。漁業は不安定だけど、観光業なら安定して収入がある。もう漁師に戻るつもりはないね」



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モアシールさんの宿は、一泊食事付きで2,500円。リオデジャネイロやサンパウロ、フランスからも観光客が来るという。

別棟の小屋には発電機を備え付け、常時、テレビや冷蔵庫などの電化製品を使えるようにしている。街からビリヤード台も運び込んで、スピーカーなどの音響設備も揃えた。もちろん携帯電話もつながるようにした。



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兄ハイムンドさんも、弟のやっている新しいことには肯定的だ。

「いいと思うよ。のどかさも大事だけど、漁だけじゃ子どもに服を買ってあげられないからね」



しかし、観光化が住人にあたえた不便さもある。

国立公園化にともない、ケイマーダの村では焼き畑が禁じられた。生態系を保つためだという。しかし、森林を焼いた灰が肥料にできなくなったために、住民たちは大事な畑を失った。

妻ジョアナさんは寂しげに言う。「失った痛みは大きいです。畑は私たちにとって母のようなものでした。夕食にジャガイモや野菜がほしいと思えば、すぐに取りに行けましたから」

今の菜園はずっと小さくなって、プランター栽培くらいしかできなくなっている。かつてアチコチにあった広い畑は、もう砂の下である。



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旅人、手塚さんは思った。

10年後、この砂丘の村がどうなっているのか、見てみたい気がする。






■人生



風が一段と強くなってきた。

いよいよ本格的な乾季が近づいてきたようだ。



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村人たちは、深まる乾季の備えに大忙し。

男たちは屋根へと登って、屋根材としている椰子の葉っぱを一枚一枚はずしていく。葉っぱの間に入り込んだ砂を落とすためだ。砂がたまったままにしておくと、屋根が落ちてしまうことがある。



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女たちは池へと向かった。乾季で干上がってしまう池の魚を捕まえ、干上がらない池へと移す仕事である。

ジョアナさんは言う。「池が干上がってしまっても、砂の中には水分が残っているから、魚はその湿った砂のなかに卵を産むのよ。そして雨季になったら卵がかえって魚が成長するの。でも、干上がらない池に移しておけば、来年までここで大きく育てることができるのよ」



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乾季の到来とともに、手塚さんの旅も終わろうとしていた。

その最後に是非、ハイムンドさんとジョアナさんが案内したい場所があるという。それは、あの砂に埋まった家のすぐそばの丘だった。

ジョアナさんは言う。「ここが一番大好きな場所。むかしは小さかった子どもたちを連れて、一緒にここで遊んだの。暑くなったら池で水浴びをしてね」



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本当に美しい。

「ここは地上の楽園よ」

ジョアナさんは若いとき、街が恋しくなると決まってここに来て、この美しい景色を眺めていたという。

「どんな悩みもね、太陽にあずければ持ち去ってくれるのよ」



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訪れた人の人生観をかえてしまうという白い砂丘。

手塚さんは「来て良かった」と振り返る。彼は普段、家から出るのもイヤだという出不精。旅などはもってのほか。しかし今は「旅をするって、捨てたもんじゃないですね」と満足げ。

「ここには豊かな恵みがある。天国の風景が悩みを吹き飛ばしてくれる。もしかして、それで十分なんじゃないかな」



砂と風の生みだした極限の風景。

美しさの裏には苦悩もある。

それでも人は、ここに生きつづける。



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(了)






出典:
NHK地球イチバン
「世界最大の白い砂丘 ブラジル・レンソイス」



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2014年10月22日

太古より「星の航海術」を受け継ぐ民 [ミクロネシア]



はじまりは「一枚の写真」だった。

40年前の1975年、エンジンのない一艘のカヌーが、ミクロネシアから沖縄までの約3,000kmもの大航海を成し遂げた。コンパスも使わない古代の航海術で。



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その技を脈々と受け継いできた「伝説の船乗り」たち。

地球では唯一、彼らだけが知る太古の航海術。

その子孫は、いまも太平洋上に暮らしているという。



しかし…

いったい、どこに?






■旅人、アリッサ



向ったのは、南太平洋のカロリン諸島。

かつて日本の統治下にあり、旧日本軍の基地があったところだ。

この美しきサンゴの海のどこかに、伝説の船乗りたちがいるという。



探しに出た旅人は、モデルでプロサーファー、ハワイ育ちの日米ハーフ。

アリッサ・ウーテン(23)



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彼女は、ハワイの祖先たちが3,000年前、どうやってハワイの島にたどり着いたのかに興味をもっていた。

「ハワイの島がそこにあるって分かっていない状態で行ったわけだから、本当に神様からもらったラック(幸運)だよ。もしかして迷子になって、ずっと何もなくなったら、死んじゃうわけだよね」

彼らに会えば、太古の民がどうやって太平洋を渡ったのか、その答えがわかるかもしれない。



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飛行機が着いたのはトラック島。

ここから先、飛行機では近づけない。

漁船に乗り換えて、島を探す。






■ポンナップ島



港を出てから、丸一日がたった。

すでに300km近くを航行していた。



アリッサはといえば、ひどい船酔いに苦しんでいた。

「はやく船から降りたい…」



ようやく見えてきた島影。

「あそこ? すごいフラット(平ら)。山とか何もない。本当に何もない」



その島は、ポンナップ島という名らしい。

絶海の孤島。歩いて一周40分もかからない小さな島。

電気もない、水道もない、携帯電話も通じない。300人ほどが暮すという。



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「ウェルカム・ダンス?」

島の浜辺では、大勢の島民たちが踊っている。

「子供たち、めっちゃカワイイ」

よそ者が近づくことは滅多にないが、遠方からの訪問者は、島にないものをもたらす貴重な存在と考えられている。



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小型ボートで近づいたアリッサは、通訳の指示で、子供たちにリンゴを投げた。

アリッサ日記より「リンゴを投げるなんてマジ? それって失礼じゃない? でも、みんなすごい楽しそう。きっと、こういう風習なんだわ」






■ポ



あの写真で見たカヌーがあった。

島の宝だという。

島の木でつくられたこの船は、魚釣りや、他の島との交易につかわれているそうだ。



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このカヌーを扱うことが許されているのは「ポ(Pwo)」と呼ばれる男たちのみ。島に伝わる航海術をマスターした者だけが「ポ(偉大な航海士)」として認められる。島には13人の「ポ」がいた。



その頂点に立つのが「シネス・モリプト(65)」。

シネスは言う。「ポは、自らの意思でどこにでも行ける。ポは、島にいろんな幸をもたらす。外洋の魚、ウミガメ、タバコのように、島にないものを運んでくる」



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シネスは早速、3,000年受け継がれてきた航海術を見せてくれるという。

「風向きはいい具合だ。波も荒れないだろう。沖に出るにはいい」






■自然の声



アリッサが船に乗ろうとすると、シネスはからかう。

「船酔いするらしいじゃないか(笑)」

アリッサ「大丈夫よ!」



動力源は風。

アリッサ「わぁ、こんな大きなもの(帆)が出てくるなんて思わなかった」

このカヌーは「ワーセレス」と呼ばれている。「風の舟」という意味だ。



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アリッサ「わぁ、走ってる走ってる。すごい速いよ」

最高時速はおよそ20km。エンジンや羅針盤などはない。機械には一切たよらない。ポは、このカヌーで数百kmの航海を平気でするという。



間もなく、水平線以外は何も見えなくなった。

アリッサ「どこに行ってるのか、なんでわかるのかな?」

シネスは言う。「方角は波を見て判断する。東の波、北東の波、南東の波、そして南から来る波。4種類の波があるんだ。たとえばこの波、この波は東から来ている」

この海域では、貿易風によっておきる「東からの波」が一番大きい。そして横に長いという。



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シネスは続ける。「鳥でも、島の方向がわかる」

鳥?

「鳥は島をねぐらにして、海に食べ物をさがしにいく。朝、島から海へ向かい、夕方は海から島に帰っていく」



360°が水平線でも、「自然の声」に耳をかたむければ大海原に道が見えてくる、とシネスは言う。

地図がなくとも、機械がなくとも、彼らは3,000年の大昔から、自然の力を借りて大海原を駆けてきたのである。






■一斉漁



カンカンカン、カンカンカンカン

早朝から、けたたましい鐘の音が島に鳴りひびく。

ひと月に一度、島の男全員で行う「一斉漁」の日だという。



50人の精悍な男たちが集まった。

仕切るのは「ポ」の「ジェシー・カイウス(44)」。

シネスの後継者として期待されている男である。



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ポは、海底のサンゴ礁の特徴をすべて把握している。

「この辺りだ」

ジェシーは、魚が集まりやすい場所を見極めると、網を張るように指示をだした。



海の男たちは、魚のように潜って、巧みに網を広げていく。ヤシの葉で網の入口を広げると、だんだん狭くなるように網を張っていく。

ここからが「ポ」の腕の見せどころ。魚を追い込むタイミングは一瞬。群れが網の正面にくる、その時だけだ。陣形をととのえた50人の男たちは、息をのんでジェシーの合図を待つ。



「よし! 追い込め!」

全員が一斉に海に潜ると、一気に魚の群れを網へと追い込んでいく。

「はいった! はいった! 大漁だ!」



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この日の成果は、900匹。

300人の島には充分すぎるほどの大漁だった。



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■シェア



島に戻ると、子供たちが駆寄ってきた。

みんな待ちきれないのだ。



「家族は何人だ?」

「5人です」

家族の人数に応じて、全員平等に魚が配られていく。



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「Thank you so much! ジェシーさん。すごい重い」

部外者であるアリッサの元にも、魚が届けられた。

アリッサ「この島の人たちのSharing(分け合う)気持ち。それが、すごく優しいと思う。もし私だったら『なんで、この人たちにお魚あげなきゃいけないの?』って思う。私たちはスペース(場所)をとってるだけで、漁を手伝ったわけじゃないから」



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■小さな船乗りたち



漁が休みの日、

ジェシーの家では、子供たちが出航の準備をしていた。



ジェシー「あれは息子が昨日つくったんだ。小さなカヌー用だよ」

6人兄弟の四男、シーサール(14)。

自分のつくった帆を、父がつくったカヌーに取り付ける。



いざ海へ。

ジェシー「プッチェも行け!」

五男・プッチェ(11)。

憧れの「ポ」にならんと、小さな弟も負けじと続く。



おっと、シーサールの舟の舳先が浮いた。

父ジェシー「後ろに座るな! 真ん中に座るんだ!」



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今度は、帆が外れるアクシデント。

シーサールは、弟に指示をだす。「プッチェ! 帆を直すための布を探してこい! あの家にあるはずだ」

父の作業を思い出しながら、シーサールは見よう見まねで帆を結び直していく。



父ジェシーは言う。

「オレも小さい頃、あんな感じだったよ。アウトリガーが軽いから、上がっちゃうんだ。練習してると、大きなカヌーでもできるようになる。子どもが学んでいく姿を見るのは、言葉にできないくらい嬉しいよ」



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ジェシーはかつて、このポンナップ島を離れたことがあった。

機械のモーターボートに興味をもち、パラオの大学で機械工学を学んだ。学費が免除されるほど成績は優秀だった。そして卒業後、グアムの船舶会社に勤めた。だが、たった一年で島に戻った。

ジェシーは言う。「自動で動く大型船には、船にのる楽しさが欠けてる気がしたんだ。エンジン付きの船は便利だが、ガソリンが尽きればただのガラクタだ。いざというとき信頼できるのはワーセレス(風の舟)だ。風が吹くと、カヌーに乗りたくなる」



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ここポンナップ島には高校がない。

だから、14歳で中学を卒業した子供たちは、一度は島を離れることになる。

ジェシーの長男も現在、隣りの島(オノウン島)に出ていた。






■SOS



5月末、臨時の全島集会が開かれた。

隣りのオノウン島から深刻な連絡が入ったのだという。



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村長は言う。「オノウン島の子供たちが、食べ物がなくて困っている」

台風が直撃して、食べ物が不足しているとのこと。

「食糧を持っていってあげようと思う。みんな協力して食べ物を用意してくれ」



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隣島のSOSに、急遽、航海メンバーが編成された。

「キャプテンはジェシーだ」



出航まで3日。島をあげての準備がはじまった。

子供たちはヤシの実を集め、男たちは漁でとれた魚を干物にし、女たちは島唯一の作物であるタロイモで餅をつくった。

キャプテンに任命されたジェシーは、口数が少なくなった。悪天候が予想され、航海の安全がおびやかされていた。



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ジェシーの妻アントニアは言う。「嵐が来るかもしれません。夫のことは信じていますが、みんなを連れて行くので心配な面もあります」

息子シーサールは言う。「父さんは強いよ。父さんなら絶対、無事に帰ってくる。大切な航海のキャプテンに選ばれて、すごくうれしい」



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■秘伝



出航の前日、ポの長老たるシネスは、13人のポ全員を集めた。夜を徹しての航海となる今回、古代航海術の真髄、秘伝の技を確認するためだった。

筵(むしろ)の上に円形に並べられた32個の石。それらは各々の星座に対応していた。星はいつも同じところから昇る。だから、目的地の方角から昇る星座を覚えておけば、暗闇でも迷うことがないという。



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「マイラップ、パイル、エリエル、ハルプル、トゥム、マハル、ダヌ、ナツメヤ」

ポの男たちは、それぞれの星座の名前を、皆んなで繰り返し唱える。

長老シネスは言う。「星を理解すれば、どこへでも自由に行くことができる。オノウン島に行くには、真北より一つ東を目指す。ポンナップに帰るには、マッチョムルトという星座を目指す」



出航の朝は雨だった。

アリッサは心配そうに空を見上げる。「これで行くのは怖いよ」

雨雲が空をおおっている。しかし今日を逃せば、天候はより悪化する恐れもある。



午前11時、キャプテン・ジェシーは決めた。

「雲が高い。こういう風なら大丈夫だ」

目指すはオノウン島。北方160kmの彼方である。



「帆を上げるぞ!」

コイノニア号は帆に大きく風をはらむと、ポンナップ島を後にした。



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■暴風



ジェシーが乗組員に選んだのは、屈強の6人。

舳先(へさき)には身軽な若者2人を、中央のマストには怪力ボブを配置した。

今回は、新人のサンタリーノも乗っていた。オノウン島出身の彼は、ポンナップ島に婿入りして以来、一度も故郷に帰っていなかった。「オノウン島には母がいるんだ。もう12〜13年も会っていない」



ジェシーは言う。

「風がよければ一晩で着くよ。悪かったら2日だ」

アリッサは不安を隠せない。「ものすごい雨。暗くて怖い雨…」



海原には、暴風が吹き荒れている。

波は、ひとつ一つが山のように高い。



キャプテン・ジェシーは全身で風波を読む。

嵐を避けながら、最も早くたどり着ける進路を見極める。



ジェシーは方向転換の指示を出した。180°向きを変えるために、帆を付け替えなければならない。事故が起きるのは、この時が最も多い。

「あっ!」

舳先の若者が手を滑らせ、帆が舞い上げられた。暴風に帆をもって行かれてしまえば、たちまち漂流の危機に陥ってしまう。



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「つかまえろ! つかまえろ!」

と、その時、力自慢のボブが怪力で帆を押さえ込んだ。

「あぶなかった…」

なんとか事なきを得て、方向転換は完了した。



「安心したら、腹が減ってきた」

ヤシの葉でつくったルアーで魚を釣ると、晩ご飯の準備がはじまった。火はヤシの実の皮をつかって熾(おこ)す。

アリッサはびっくり。「すごいね。船の上でクッキングしてるって。げほ。煙がすごいけど。いただきまーす。すごい美味しい」



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■星と風



夜の闇がせまっても、波がおさまらない。

午後6時30分、日が落ちた。

オノウン島があるはずの北の空は、雲が厚い。頼りの星がまったく見えない。



「あの星が見えるか?」

ジェシーが指差したのは、わずかな雲の切れ間。

「ハルプルという星座だ。まっすぐオノウン島に向っている」

辛うじて見えた星座から、ジェシーは進路を割り出した。



しかし状況は悪化の一途。

ますます厚い雲が、すべての星座を閉ざしてしまっている。

ジェシーは言う。「いまは身体に当たる風の角度を頼りに、オノウン島を目指している」

この進路が正しければ、明け方には島影が見えてくるはずだった。



じっと風を感じたまま、ジェシーは一睡もせずに朝を迎えた。



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ようやく日が昇る。

そして午前9時、待望のオノウン島が見えてきた。ジェシーの目論見通り、島は真っ正面にあらわれた。



「やっと見えた。うれしいよ」

ジェシーはようやく一息ついた。

「ポになる前は、何も考えていなかった。言われたことをやるだけだった。でも、ポになってからは、ポンナップ全体のことを考えはじめた。ポンナップの人が幸せになるよう、いつも考えてるよ」



嵐の夜、160km、22時間におよぶ航海。

波と星と風を味方に、走りきった。



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■オノウン島



オノウン島では、みんながコイノニア号の到着を待ちわびていた。

「干物が来たぞ!」



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「これはタロイモだ!」

タロイモ餅を真っ先に手にしたのは、ジェシーの長男「ジェイク」だった。母がつくってくれたものだと、すぐに気がついた。

「ほんとに旨いよ。母さんが作ってくれて嬉しい」

タロイモ餅は、ジェイクの大好物だった。オノウン島の高校に来て以来、久しぶりの母の味だった。



父ジェシーとの再会も久しぶりだった。

だが男同士、どこかぎこちない。

父「ここを卒業したら、どうするつもりだ?」

長男「大学にいきたい」

父「どこの大学だ?」

長男「ヤップ島」

父「卒業したら、一度は島に寄れ。それから、どっか行け」

海に生きる男同士。交わした言葉は少なかった。



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新人乗組員、サンタリーノも母との面会を果たした。

母マリアーノ「本当に長い間、会っていなかったのよ!」

息子サンタリーノ「会いに来たかったけど、船便はないし、ひとりでカヌーで来ることもできないし。会った瞬間、年取ったなと思った。でも今日はとっても嬉しい」

母マリアーノ「私たちの住むところは、島と島がとても離れている。一度別れると、死ぬまで会えないこともあるんです」



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■絆



到着から一晩、たった1泊で、コイノニア号は帰路についた。

さらなる大嵐が予想されていたのだ。



アリッサは見送る人々の笑顔に、心あたたまる。

「本当のファミリーじゃなくても、みんなファミリーみたい。それがポの力、ポじゃなければ出来ないこと」



2つの島をつないだ船の名前、

コイノニアとは「絆(きずな)」という意味。

今回も、その役割を見事に果たした。



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この船があるのなら、ポの男たちは世界中のどこにでも自由に行ける。

「日本はいかがですか?」との問いに、ジェシーは笑って答える。

「Japan is too close.(日本は近すぎるよ)。Same pacific, we are neighbors.(同じ太平洋なんだから、僕らはお隣さんじゃないか!)」



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(了)






出典:NHK地球イチバン
中央カロリン諸島「地球最後の航海民族」



関連記事:

走り続ける民「ララムリ」 彼らは、なぜ走るのか?

太平洋の島国「ミクロネシア」に誇る日本の心。両国の絆は「森小弁」により結ばれた。

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2013年09月19日

3つの世界一をもつ湖「バイカル湖」 [ロシア]



3つの世界一をもつ湖

ロシア・バイカル湖



シベリアの奥地、タイガ(針葉樹林)が鬱蒼と生い茂る2,000m級の山々に囲まれた巨大な湖。

日本最大の琵琶湖より47倍も広く(3万1,500平方km)、弓なりにしなった細長い全長は635km(東京・青森間に匹敵)。

その湛える水量は2万3,000立法kmと途方もない。これは地球上の淡水の5分の1を占め、世界の全人口を3,000年間養えるほど膨大な量である。






■氷の湖



凍てつく大地に横たわるバイカル湖。

3,000km離れた日本にまで厳冬をもたらすシベリア寒気団のお膝元なだけに、バイカル湖の一年の半分近くは冷たい氷に塞がれる。

湖が凍りはじめるのは例年12月ごろ。北の突端から生まれる氷は徐々に厚さを増しながら、ひと月もせずして南端にまで至る。完全な全面凍結。分厚いところで氷の厚さは1mを超える。重さ2トンを超える車がその氷上を走ってもビクともしない。



「私にとって、凍ったバイカルは崇めるものなんだ」

30年にわたってバイカル湖の調査を続けるイーゴリ・ハナエフ(ロシア科学アカデミー)さん。果てしない氷に覆われた銀色の湖に立ち、目を細める。

やおら懐のウォッカを取り出すと、それを御神酒のように湖上に注ぐ。

「湖に出るときや漁に出るとき行われてきた、伝統的な儀式です。神ではなく、精霊に祈るのです。バイカルの精霊に」

時に、命を奪うほどの厳しさを見せるバイカル湖。そこに暮らす人々は古くから湖を敬い、崇めてきたという。



真冬は氷点下20℃を下回るというバイカル湖だが、春の見えはじめたこの時期、4月下旬はいよいよ解氷の時期に差しかかる。岸辺に近い場所の氷は、棒一本を刺し入れるだけでモロモロと崩れていく。

「見て下さい、バイカルの解氷です。気温が上がり解けた氷は、針のような形になります」

分厚い氷は、ツララのように細長い氷が束となって縦に並んでおり、それを棒で突き崩すと、束をバラしたようにほどける。それはキャンドル・アイスと呼ばれるもので、一本一本が氷の結晶である。



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キャンドル・アイスは日本でも見れるが、その長さはせいぜい20cm程度。バイカル湖のそれはその2倍も3倍も長い。極寒の地ならではである。

このキャンドル・アイスが見られるようになると、地元の人々の頬はほころぶ。それは長かった冬の終わりを告げる風物詩。

緩みはじめた氷の世界に、バイカル・アザラシも顔をのぞかせる。生後2ヶ月ほどの赤ちゃん。淡水で生活するアザラシがいるのも、世界でここだけだという。






■青と緑



バイカルの氷は青い。

太陽光に含まれる青い光線は、もともと氷の中を通り抜けやすい性質をもつ。だが、不純物の多い氷の中は抜けられない。バイカルの氷が放つ美しい青は、不純物のない透き通った証である。



その清涼な湖に魅せられ、イーゴリさんはこれまで1,000回以上も、その湖水に潜ってきたという。

青い氷を突き崩し、キャンドル・アイスを払いのけ、潜水服に身を包んだイーゴリさんは命綱を氷に結わえ、氷下の水中へと身を沈める。

「透明度はせいぜい3〜4m」

意外にも水中は緑色に濁り、ベールがかかったかのようである。



「いまは植物プランクトンが活発になる時期だ」

氷が薄くなるこの時期、水中に増す太陽光を浴びる植物プランクトンは活動が盛んになる。

真っ青な氷の世界の下では、緑の生命が勢いを増していたのである。



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■最古最深



バイカル湖の1つ目の世界一は、ここが「世界最古の湖」であるということ。

その誕生は2,500万年もの大昔。大陸規模の大変動が生んだ落とし子が、このバイカル湖である。

地球の表面はプレートと呼ばれる殻に覆われているが、バイカル湖は「ユーラシア・プレート」と「アムール・プレート」の境目に生まれた巨大な亀裂。その両プレートを大きく引き裂いたのは、インドがユーラシア大陸に激突した時の大衝撃。



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驚くべきことに、9,000万年前のインドは現在の赤道よりも南、すなわち南半球にあった。アフリカ・マダガスカル島の隣にあったのだ。その南方の海からインドは急北上、そしてユーラシア大陸に大激突。

その時の大衝撃で潰れ、盛り上がったのがヒマラヤ山脈。その高さは世界最高峰となった。その一方、その大衝撃で割れたのがユーラシア・プレートとアムール・プレートの境目、すなわちバイカル湖。こちらは世界最深の大地の裂け目となった。

2,500万年前その当時、バイカル湖の深さは深海並みの9,000mもあったという。ヒマラヤの高峰が上に9,000m近く盛り上がった一方で、バイカル湖は同じだけ地下に沈んだということだ。



そうした大規模な地殻変動、大地が裂けて生まれた湖を「断層湖」と呼ぶ。

アフリカ大陸の裂け目に生まれたタンガニーカ湖(水深1,470m)とマラウイ湖(同706m)もそうであり、これらはそれぞれ世界で2番目と3番目に深い湖である。



世界一の深さを誇るのは、いまだロシア・バイカル湖。

「バイカル湖の深さは、淡水湖としては世界で群を抜いています。最も深いところでは1,630mにもなります」と、イーゴリさんは誇らしげに話す。

長い年月をへて、バイカル湖は9,000mという深さから1630mへと浅くなった。というのも、バイカル湖に注ぐ336本の川が運んでくる土砂や堆積物が湖底に厚く溜まってしまったからである(湖水の8割は川から流れ込む)。

それでも今だ世界一である。



周囲から泥や土砂の流れ込む宿命をもつ湖には「寿命」があり、並みの湖であれば、たいてい1〜3万年で埋まってしまう。

バイカル湖のように2,500万年も生き長らえているのは異例中の異例。というのは、未だやまぬ地殻変動が一年で数万回もの地震を発生させ、バイカル湖を年間数センチの割合で押し広げているからである。

つまり、バイカル湖はいまだ成長している若い湖なのだ。2,500万歳という超高齢にも関わらず。





■固有種



初夏6月。

あれほどあったバイカルの氷もすっかり姿を消し、いまは深く穏やかな表情で横たわっている。

その日の気温は22℃と暖かい。それでも湖の水は痛いほどに冷たい。



その冷涼な水に触れながらイーゴリさんは言う。「温かくなることはないんだ。一年中冷たい」

真夏には日中の気温が30℃近くにまで上がるというが、バイカル湖で泳ぐ人はほとんどいないという。

「すまないね、ここは南の海じゃないんだ(笑)。ここに来る人たちの目的は泳ぐことじゃない。景色を楽しむのさ」



そんな冷たい水に、イーゴリさんは嬉しそうに潜ろうとする。いそいそと愛用の潜水服に着替えながら。

イーゴリさんの専門は生物学。バイカル湖のもつ長い歴史は、湖に暮らす生物たちを独自に進化させてきたという。湖という環境自体が固有種を生みやすい上に、バイカルの歴史は2,500万年と途方もない。

固有種の宝庫として知られるバイカル湖では、その生物の7割、じつに1,000種を超える固有種が見つかっているという。



「ヨコエビだ」

水中のイーゴリさんは、珍しいエビを指さす。

「バイカルのヨコエビは、ほとんどが固有種だ」

ヨコエビはエビに似た甲殻類。エビなのに前に進む。バイカル湖にはおよそ300種類のヨコエビが生息しているという。他では見られないほど大きなものも。



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「ほら、グープカが驚くほど生い茂っている。これも固有種だ」

地元で「グープカ」と呼ばれるのは、海綿動物のバイカルコ・カイメン。サンゴのように生い茂る。

海綿は地球上で最も原始的な多細胞生物で、その多くが海に生息している。淡水の湖では、バイカル湖に見られるほど大きなものは他にない。ここでは100年以上生き続けるものもあるという。



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魚たちが元気になるのは夜。

プランクトンを食べようとするヨコエビを狙って、珍しい魚たちが湖の深いところから上がって来る。

バイカル湖に生息する魚の種類はおよそ50、その半分が固有種だとか。






■メタンハイドレート



バイカル湖の圧倒的な水深は、思わぬ恵みを人にもたらした。

「あそこ、あそこ。ほら、泡が見えるだろ」

激しく泡立つ水面。発生しているのはメタンガス。



「ほかの湖でもメタンが発生することはあります。しかし、バイカル湖ほど大量に噴出するのは非常にマレです」

いくぶん興奮気味にイーゴリさんは話す。なぜなら、メタンがいつどこから噴出するのか、専門家でもまったく予測がつかず、その現場に探し当てるのは並大抵のことではないからだ。



嬉々として泡の元へと潜るイーゴリさん。

「ヨコエビがいる」

メタンガスの噴出口には、それを好むバクテリアが数多く発生しているため、それを食べようとヨコエビや小魚が群がってくるのだ。



2008年、ロシアは潜水艇ミールによって水深1,600mの湖底調査を行った。バイカル湖の最深部に光が当てられたのは、その時が初めてだった。

そして発見されたのがメタンハイドレート。氷のようなその個体の塊が溶けると、100倍を超える体積のメタンガスになる、注目の資源である。

「メタンハイドレートが発見されたのは、淡水湖ではバイカル湖だけです。バイカル湖は非常に深いため、湖底の沈殿物によってメタンハイドレートが形成されるのです」



メタンハイドレートは、生物の死骸などから発生したメタンガスが、水と結びついて個体になったもの。その形成には「高い圧力」と「低い温度」が必要とされる。

幸いにも、バイカル湖は両方の条件を見事に満たす。数kmに及ぶほど深い湖底の堆積物、そして容赦のない寒さ。

メタンハイドレートの噴出は、バイカル湖の圧倒的な深さと寒さが生み出した奇跡の光景であった。奇しくもバイカル湖は、その湖底にも「氷」を蓄えていたのである。



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■漁師



最古、最深に加え、もう1つの世界一が「透明度」であった。かつて40.5mという数字を記録した。

イーゴリさんによると、湖の中でもとくに透明度の高い水域が「オリホン島周辺」にあるという。オリホン島はバイカル湖の中部に浮かぶ島である。



そして着いたのはサヒュルタ村。90人ほどしか暮らしていない、ささやかな村である。みな漁業や牧畜を営んでいるという。

バイカル湖畔にはとりたてて大きな街はなく、こうした小さな集落が点在しているとのことである。



「軍隊の船みたいだろ」

漁師のパベルさんは、40年になるという年季の入った灰色の船の舵を握る。

このサヒュルタ村に生まれたパベルさんは、その船と同じ年月、バイカル湖で魚を取り続けているという。



初夏(6月)のこの時期、バイカルは夜中の11時にならないと陽が沈まない。漁が始まるのは、その日没後、真夜中を過ぎてから。

魚たちは暗くなってからでないと動き出してくれない。漁師たちは時計の時刻ではなく、バイカル湖の自然に合わせて暮らしているのである。



しかし、バイカル湖に魚影は薄い。

一年の半分は氷に覆われてしまうため、とりわけ冬場の漁は、氷に穴を開けて行う”か細い”ものである。

夏場でさえ、魚の捕れる保証はない。

「なるようになるさ」

毎日バイカル湖の自然を見つめるパブロさんは、その決して多くはない恵みに生活を委ねている。



網を揚げ、漁が終わると決まって、パブロさんはバイカル湖の水をコップに汲んで飲む。

「都会からのお客さんは皆、この水を持って帰るんだ。『都会にはこんなにキレイで結晶のような水はない』ってね」

大昔から営まれてきたであろう漁師の生活は、バイカル湖の自然と共にある。



「これが俺たちの暮らしだ。人は皆、生まれた場所で生きていくものだろう」

その日の漁果に満足しながら、パブロさんはコップを一飲みに飲み干す。






■エメラルド



翌朝、慌てず騒がず、パブロさんの船はゆったりと、透明度の最も高い水域を目指す。

その灰色の船のスピードは時速12km。軽く漕ぐ自転車ほどの遅さで、片道60kmの航路を行く。



「塩漬けのオームリだ。朝漬けたんだ」

パブロさんが差し出したのは、バイカル湖の固有種、オームリという魚。臭みがなく淡白な味わいだ。

「最高に旨い。健康にも良い」

その皮は湖へと投げ捨てる。

「カモメが食べてくれるさ」

その言葉も終わらぬうちに、さっそくカモメが待っていたかのように、その皮をさらっていく。



「一面、青々としているだろ」

ようやく着いた目的地の湖水は、目が覚めるほど透き通ったエメラルド色の光を放っていた。ここがバイカル湖で最も透明な場所だという。

バイカル湖の透明度が高いのには一つ、周囲に暮らしている人がごくわずかしかいない、というのがある。生活排水に含まれる窒素やリンなどの栄養分が湖に流れ込むことがほとんどないため、水中の栄養分が乏しく植物プランクトンが繁殖しにくいのだという。



また、解氷のはじまった4月下旬に水が緑色に濁っていたことも、バイカル湖がもつ水を浄化する仕組みの一つだという。

バイカル湖が氷の蓋をとると、露わになった湖面は燦々とした太陽に温められる。イーゴリさんによれば、その水温が「4℃」になった時に、湖の浄化がはじまる。

水は4℃の時に最も密度が高く重くなるという性質がある。そのため、先に温められた湖上層の水は4℃になると湖底に沈んでいく。その時、緑色の濁りの正体である植物プランクトンも4℃の重たい水と一緒に沈んでいく。そして、その代わりに浮上してくるのは下層部の澄んだ透明な水。



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すべての氷が解けるまでの一ヶ月以上、この上下の水の大循環は継続し、ちょうど氷の解ける初夏、バイカル湖の水は最も透明に澄むのだという。

凍結と解氷を繰り返すたびに美しくなるバイカル湖。

凍るゆえに、解けるたびに、この湖の美しさは磨かれる。






■役割



水の浄化には、バイカル湖に長く棲む固有種たちも深く関わっている。

「グープカのおかげでバイカルの水はきれいなんだ」

グープカとは、バイカル湖の至るところに生息する、岩に張り付いたまま微動だにしない生物。先にも記したこの海綿、じつは驚くべき浄化能力を持っているのだという。



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「昔はスポンジ代わりに使っていたんです」

海綿の表面には無数の細かな孔があいており、スポンジそのもののように弾力に富んでいる。

「海綿はいわばフィルターです。隙間だらけの体内を水が自由に出入りし、水を汚す有機物などをこしとり、体内で分解・浄化するのです」

バイカル湖には、淡水の湖としては他に例をみないほど海綿が大きく育つ。その数の多さも群を抜いている。高さおよそ50cmほどの海綿ひと株で、一日に数千リットルもの水量を浄化する能力をもつという。

「もしグープカが姿を消したら、バイカル湖は自浄能力を失い、透明度を保てなくなるでしょう」



あのヨコエビもまた、バイカル湖の掃除屋さんだ。湖底に沈んだプランクトンを飲み込み分解するのは、彼らの役割。

栄養分の乏しい水中環境にあっては、何ものもゴミにはならない。そこに暮らすものたちは皆、何らかの形でバイカル湖の美しさに一役買っているのである。

彼らがバイカル湖で独自に進化させた姿は、美しさを目指した姿だったのだ。






■神秘



「もしバイカルが無くなれば、オレたちも共に消えるのみさ…」

澄み切った湖面に目をやりながら、漁師のパベルさんはそうつぶやく。



「何度もバイカル湖を旅してきましたが、そのたびに美しさに圧倒されます」

湖の美しさに見とれる科学者イーゴリさんは、しばしば科学の眼を忘れる。

「この湖については、何も知らないことを痛感させられます。バイカル湖は、湖という概念を超えた存在なのです」



3つの世界一をもつ湖、バイカル湖。

その唯一無二の世界には、数字の示すそれ以上の神秘が、まだまだ秘められているのだろう…













(了)






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出典:体感! グレートネイチャー
「ロシア・バイカル湖 2,500万年の神秘」


posted by 四代目 at 08:28| Comment(0) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする