2011年12月05日

歌うダイヤモンド。その永遠の光に「信頼」のあるべき姿を見る。


「ダイヤモンドの歌は聞こえたかい?」

そう言うのは、ダイヤモンド研磨の詩人とも称せられる「ガビー・トルコウスキー」氏。

ここはダイヤモンドの町「アントワープ(ベルギー)」。



彼はダイヤモンドを研磨しながら、ダイヤモンドの「歌」に耳を傾けている。

少しずつ少しずつ角度を変えながら、ダイヤモンドが磨いて欲しいところを、磨いて欲しいだけ磨いてあげる。

ダイヤモンドが歌う通りに磨いてやれば、そこには世にも稀な輝きが現出するのだという。




ダイヤモンドの「原石」は、一見すると単なる「ガラスくず」のように冴えない。

しかし、それがひとたび磨かれるや、ダイヤの原石が「鳳凰のヒナ」であったことを万人が思い知るのである。



なぜ、その原石が冴えないかというと、その内部に「光」が入りにくいからである。

ところが、原石を研磨することで、ダイヤの内部に光が入り易くなる。



「研磨して光が入るようにしてあげると、ダイヤモンドが喜ぶんだよ」

ダイヤの詩人・ガビー氏はそう語る。

「ダイヤモンドにとって、光は最高の喜びなんだ」

光が入れば入るほど、ダイヤの歌は澄んだ美しさを高らかに響かせる。



ダイヤモンドの美しさを最大限に引き出すのは、人間たちが考え出した「カット」の技法である。

ダイヤの詩人・ガビー氏のおじいさん(マーセル氏)は、ダイヤモンドを最大限に光輝かせようと「ブリリアント・カット」という優れた技法を編み出した。



完璧な「ブリリアント・カット」を施されたダイヤモンドを見てみよう。

まず、真上から眺めると「8つの矢」が現れる。

そして、今度は真下から覗いてみると「8つのハート」が現れる。

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マーセル氏は「数学者」でもあり、光の反射を計算することには誰よりも長けていた。

ダイヤモンドというのは「入って来る光」を「大きく曲げる」性質をもつ(光の屈折率が高い、2.42)。

野球のボールを光とすれば、そのボール(光)はダイヤモンドの中に入ると「大きくカーブ」するのである。



この屈折率が大きいほどに、内部に入った光は「反射」しやすくなる。

ブリリアント・カットされたダイヤモンドでは、その巧みなカットによって、ダイヤの中で光が何回も何回も反射を繰り返す(全反射)。

すると、反射を繰り返した光は「虹色」となって、ダイヤモンドを飛び出して来る(ディスパーション)。

ちなみに、反射の回数が少なければ「白い光」となる(ブリリアンシー)。また、表面的な反射はシンチレーションと呼ぶ。

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マーセル氏が計算を尽くした「ブリリアント・カット」は現在のダイヤ研磨のスタンダードとなっている。

というのも、彼は「ダイヤモンド・デザイン(1919)」という著書により、その秘技を余すところなく世の中に広め伝えたからである。

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こうしたマーセル氏の偉業もあって、彼の一族はダイヤモンド界に大きな根っこを張ることができた。

繰り返すが、冒頭のダイヤの詩人・ガビー氏は、マーセル氏の孫である。



ダイヤの詩人・ガビー氏は、日夜新たなカットを求めて試行錯誤している。

かつて彼がカットした「センティナリー・ダイヤモンド(1991)」は世界的な評価を受けた。

それは世界で4番目に大きなダイヤモンド(273カラット・54.6g)であり、内部・外部ともに無傷の最高ランクの逸品である。

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現在のダイヤモンドの研磨はコンピューターを駆使して行われるが、ガビー氏は今でも手作業を大切にし、ダイヤモンドの声に耳を澄ます。

センティナリー・ダイヤモンドを手がけた時も、初期の仕事は全て手作業で行われたという(ダイヤを暖めたり振動させないように)。そして、それは154日間にも及んだとのことだ。



結局、最終的に仕上げるまでには「3年」を要した。

精緻に研磨されたダイヤモンドは「247面」(ブリリアント・カットの58面と比べれば、その巧みさが窺い知れる)。

「研磨するたびに、ダイヤモンドは新しい美を見せてくれる」



そんなダイヤモンド一家のガビー氏の祖先はベルギーへの「移住民」。

ダイヤモンド界の多くは「ユダヤ系」であり、そのほとんどが国外からの移住民である。

ベルギー第2の都市・アントワープは世界最大の「ダイヤモンドの街」であるが、中央駅前の「ダイヤモンド通り」には全身黒に黒の山高帽子をかぶった典型的なユダヤ人の姿が多く見られる。



ユダヤ人たちは、歴史の波に揉まれ揉まれて「ベルギー」へと流れ着いて来たのである。

かつて、ヨーロッパ大陸の大国はキリスト教一色であり、ユダヤ教徒というだけで肩身の狭い時代が長かった。

さらには、第二次世界大戦時にヨーロッパ大陸を席巻したナチス・ドイツは、徹底してユダヤ人を迫害した。



現在のダイヤモンド界の重鎮たちは、そうした大嵐の中をベルギーという中立地で隠れるように生き抜いたのである。

そして、そのことがベルギーをして世界最大のダイヤモンド国へと仕立て上げたのである。現在では、世界に流通するダイヤモンドのうち、じつに8割がベルギーに集められている。



ダイヤモンドの生産地は、ロシア(23%)、ボツワナ(20%)、コンゴ(18%)、オーストラリア(13%)、南アフリカ(9%)、カナダ(8%)などなど。

これら上位6カ国だけで、世界シェアの90%以上を占める。

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なぜ、ダイヤモンドはこうした特定の地域にしか算出しないのか?

それは、大陸の成り立ちと深い関係がある。ダイヤモンドが出る場所は、何億年も動くことがなかった「安定陸塊」と呼ばれる地域にしか存在しないのである。

ちなみに、ここ数億年で動きのあった地域は「造山帯(古期・新期)」と呼ばれ、ダイヤモンドはまず見つからない(日本列島は新期造山帯)。



安定陸塊だからといっても、ヒョイヒョイとダイヤモンドが出て来るわけではない。

ダイヤモンド1kgを取り出すには、5,300トンもの自然原料を処理しなければならないのだという。単純計算で530万分の一の希少性である。



そして、その希少な鉱物を何十倍、何百倍にも輝かせるのが、ガビー氏などの研磨師たちである。

現在では、ベルギーで研磨することは稀で、中国・インド・イスラエルなどに原石が送られて、研磨されたあとにベルギーへと戻される。



ダイヤモンドの品質を評価するのは「4C」と呼ばれる国際基準である。

4Cとは、色(Color)、透明度(Clarity)、重さ(Carat)、研磨(Cut)。



色(Color)は「無色」に近いほど高評価で、黄色がかっているほど評価は下がる。ただし、希少な色(ビンク・ブルー)などは、無色よりも高く評価されることもある。

透明度(Clarity)は、10倍に拡大して不純物(内包物)・キズの有無を確認する。

重さ(Carat)は0.2gを1カラットとして評価。



ここまでは、ダイヤモンドが「本来持つ価値」に対する評価である。

そして、最後の研磨(Cut)に対する評価は、人手に対する評価である。ほんのわずかなカットの「ずれ」がダイヤモンドの価値を大きく損ねることもある。



世界一硬いダイヤモンドを、何で削るのか?

目には目を、歯には歯を、ダイヤモンドには…? ダイヤモンドの粉をオリーブオイルに混ぜて研磨する(ダイヤは水を弾くものの、油には馴染みやすい)。

研磨の技術により、ダイヤの原石は最低でも2倍以上の価値に跳ね上がる。



その命運をわける研磨がガビー氏ほどの卓越した職人の手にかかると…、

ちなみに、彼の手がけたセンティナリー・ダイヤモンドには公式に値段がつけられたことはない(現在はブルネイ王室に保管されている)。



ベルギーでダイヤモンドに関わるユダヤ人たちが、決まって口にする言葉がある。

それは「誠実」、そして「信頼」である。



時にはプライスレスとも成りうるダイヤモンドに対して、相応の保証には限界がある。

そのため、仲買人を介してなされる売買には「契約書」が存在しない。

取引が成立すれば、ただ「マザール」と言って「握手」をするのである。



「マザール」とはユダヤ語で「チャンス」や「神の御加護」という意味である。

現在、この言葉はダイヤモンド取引における「世界共通語」なのだという。

そして、同時に交わされる「握手」の意味合いは計り知れないほどに「重い」。仲買人がダイヤモンドの買い手を「天秤にかける」ことなどはないのだという。

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こうした信用取引において、ユダヤ人であるという信頼は極めて高い。

歴史上、彼らは金銭価値以上の信頼を培ってきたのであり、その存在そのものが信頼となっているのである。

それが、現在においてもユダヤ人たちがダイヤモンド取引の中核をなしている理由でもある。彼らの信頼の歴史は一族を通して、脈々と受け継がれて来ているのである。



ひるがえって、現在のヨーロッパ金融危機を眺めてみると、そこに信頼の影を探すことは極めて困難で、「不信・疑心」のみが渦を巻いて恐しい悪循環を加速させている。

数字やデータのみで取引される「信頼」のいかに儚(はかな)きことか。

現在の金融市場には「不純物」が満ち満ちており、ダイヤモンドであればその価値は最低の「I(Imperfection)」、肉眼でも容易に不純物やキズが確認できるレベルかもしれない。



一転、ユダヤ人たちが大切に守り続けてきた信頼は、おそらくダイヤモンド最高ランクの「FL(Flowless)」、10倍に拡大しても不純物やキズが見られないほどに透き通っているのだろう。

そうした純粋な信頼があって初めて、世界最高のダイヤモンドを安心して取引できるのである。



邪推うずまく金融市場、純粋さの輝くダイヤモンド界。

面白き対照をなしている。



ここに想うのは、表面的な真似事の危うさ・脆さである。

現代の金融市場は数字やデータが全てであり、格付け機関の信用格付けに一喜一憂しているお粗末さである。



そうした浅い信頼はダイヤモンドの輝きに例えれば、表面的なチカチカとした光(シンチレーション)に過ぎない。

かたや、本来あるべき信頼の姿は、ダイヤモンドの内部で何回も何回も反射して、ついには虹色へと昇華するディスパレーションとでも言えようか。



不純物を内包していては、理想の輝きに近づくことは叶わない。

ダイヤの詩人・ガビー氏の後継者は「誠実さ」という言葉を口にした。

純粋な信頼は、誠実さという土壌の上に育つものなのだという。



彼らが継承するのは、こうした「誠実さ」なのであり、決して小手先の技術ではない。

だからこそ、マーセル氏(ガビー氏の祖父)は最高の研磨技法(ブリリアント・カット)を、惜しげもなく皆に公開したのであろう。



真似られる部分は真似れば良い。

しかし、真似できないモノもある。

それこそが、教えたくても教えられず、頭だけでは決して分からないことなのであろう。



それは、各自がそれぞれの心の内に「種」から育てなければならない。

そして、その種が発芽するのは「誠実さ」という土壌のみである。

たとえ芽を出したとて、丁寧に丁寧に育てなければ、すぐに傷つき枯れてしまう…。



邪心と疑心に満ちた世界経済は、先の見えない苦闘を続けている。

資本主義社会に未来はないのか? 暗澹たる問いは繰り返される。



しかし、本当の信用取引の姿は、じつに輝かしい。

ダイヤモンドを扱う人々を知れば、現代社会の未来にも希望が見えてくる。



苦難の時にあっても、たゆまぬ研磨を続ければ、世界の光はあらゆるところで照り返し、何十倍、何百倍にも輝く可能性があるのではなかろうか?

原石を多少削り損ねたからといって、ポイ捨てしてしまうには実に惜しい。



機械でうまく削れないのなら、人の手で磨き上げなければならない。

小さな小さな声に耳を澄ましながら、丁寧に丁寧に時間をかけて…。



「ダイヤモンドの歌は聞こえるかい?」

「君のダイヤモンドの8つのハートは、キレイな形をしているかい?」





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出典:地球イチバン
「ダイヤモンド 地球イチバンの街」〜ベルギー・アントワープ〜




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2011年10月18日

天下に回らなくなったマネー。勝ち目のない籠城戦に突入した世界経済。



「金(かね)は天下の回りモノ」

この言葉には、自分の使ったお金が巡り巡って自分の元に戻ってくる可能性があることを示唆している。

と同時に、現代の経済・金融システムにおいては、「お金は天下で回るほどに殖える」という愉快な現象があることも忘れてはならない。



日本経済が停滞して久しくなるが、その原因の一つとして「金回りの悪さ」が挙げられている。

日本には世界が羨むほどに巨額な金融資産がある。それは、家計と非金融法人を合わせれば、ゆうに2,000兆円を超えるのだとか。

しかし残念ながら、せっかくのこの大金は回っていないという。お金は回るほどに殖えるというが、逆に「回らなければ目減りしてゆく」という悲しい現実もある。



なぜ、回らないのか?

それは、日本の将来があまりにも「不確実」なため、どこにお金を向けて良いか分からないからである。

先行きの不安な状態では、投資することやモノやサービスにお金を費やすことに二の足を踏まざるを得ない。その結果、お金をお金のままで取っておこうとする。

なぜなら、「お金のままの状態」というのは言わば万能の状態であり、あらゆるモノに変換が可能だからである。この万能な状態を「流動性が高い」と金融業界では表現する。



世の先行きが不透明であるほどに、人々は資産を「流動性が高い状態」に置こうとする(流動性選好)。

そのような用心深い人々は、現金を貯金へと回す。すなわち、経済が停滞するほどに日本人は用心深くなり、金融資産を積み上げていったのである。



その大量の金融資産はどうなるのか?

銀行に預けられた資金は、投資に回されることなく、その多くが日本国債の購入に当てられる。

今年度の日本政府の国債発行額は約170兆円とのことだが、そのうちの約65%(110兆円)は過去の国債の借り換えである。



借り換えということは、資金が同じ場所で自転するようなものだから、新たなカネの流れは生み出さない。

つまり、「預貯金 → 金融機関 → 国債」というマネーの循環は、マネーを閉ざされた空間に留め置くことを意味する。

前述のとおり、お金は回るから殖えるのであるから、このような淀(よど)みにお金が捉えられてしまっては、その経済は縮小を余儀なくされてしまう。



内側へ「貯蓄」するほどにお金は回りにくくなるが、逆に外側へ「投資」することでお金は回りだす。

経済学によれば、投資が貯蓄を上回れば経済は好転する。

逆に投資が貯蓄を下回れば、経済は暗転する。そして、貯蓄額は投資額まで減額してゆくこととなる。こうした生理現象がマクロ経済では現実化する(貯蓄・投資バランス論)。



現在の金融システムの元では、お金は使わなくても腐らないとは、とても言えない。

自己保身のために貯蓄に偏りすぎることは、それが国家全体の風潮ともなれば、巡り巡って自分の資産の減額へと繋がってしまう。

この現象は「カネは天下の回りモノ」とは正反対の現象である。仕舞っておいたはずのお金が、フタを開けてみると、アラ不思議、減ってしまっているわけだ。



こうした現象は日本特有のものとされてきたが、昨今の先進国の経済では、この「日本化」が本格的に始まろうとしている。

ギリシャ不安に端を発する欧州危機がその流れを加速させているからだ。

いきなりヨーロッパ各国の先行きが不透明になり、将来の「不確実性」が増大した。

びっくらこいた投資家たちは、資産をできるだけ現金の形(流動性の高い状態)に戻そうと、一斉に資産を現金化。その結果、世界の株価は軒並み急落。リスクの高い新興国の通貨も急落。



今回ばかりは投資家たちもよっぽど慌てたようで、本来ならば買いが集まるはずの「金(Gold)」までも売り払う始末に。

「現金化できるものは何でも現金化してしまえ」という投資家たちが続出したのである(流動性選好)。



こうなると、天下に回るお金はガクンと減ってしまう。

消費の冷え込みを恐れる企業もやはり、投資にお金を回すよりも内部に溜め込もうという動きにならざるを得ない。

さらには、巨額な債務に苦しむヨーロッパの国家も緊縮財政の名の元に、相次ぐ削減削減である。

こうして、世界全体が国家から企業、個人に至るまで、あたかも結束したかのように世界にお金を回さなくなってしまったのである。



これは「合成の誤謬(ごびゅう)」と呼ばれる現象である。

自分の身の周りの安全を確保するために節約や貯蓄に励むほど、経済全体が低迷し、結果的に世界全体が苦しむことになるのである。

当然、貯蓄は投資を上回り、殻に籠っている間に貯蓄は目減りしていくことになる(貯蓄・投資バランス論)。



「攻撃は最大の防御」という言葉があるが、これはお金の性質をもよく表している。

守っている(貯蓄)だけでは減ってしまう現金価値。攻め(投資)に転じたほうが、かえって現金の価値を維持できるのである。



そのため、欧州の経済各紙は、攻め(投資・借金)を強調し、経済の好転を促そうとしている。

守り(貯蓄・削減)を続ける限り、新たな経済成長は見込めず、守れば守るほど経済は後退してしまうからである。



しかし、不確実性の高まった未来のどこに投資をしたら良いのか?

スイス・フランや日本円か? アメリカ国債や日本国債か?

スイスや日本の通貨は当局の介入も懸念される。日本の国債などは悲しいほどの低金利だ。



行き先を決めかねるマネーは、無駄に体力を消耗しながら目減りしていく。

いったい、どこで回ったらお金は伸びやかに成長できるのか?

現在、「不確実性と不信感」という効き過ぎるブレーキが世界に急ブレーキをかけてしまっている。



冷静になってみれば、将来というのは元々不確実なものであり、一寸先ですらも光か闇かは知る由もない。

その本来「不確実な未来」は、投資や借金によって、ある程度「固定化」することができる。投資された方はそれに報いんとし、借金した人や企業は未来に必ず返さなければならないからだ。

しかし、その「固定化した未来」が、おおよそ実現不可能となってしまうと、すべての「取らぬ狸の皮算用」が台無しになってしまうのである。

すなわち、無理やりに固定化した未来は「取らぬ狸の皮」に過ぎず、その「化けの皮」が剥がれてしまえば、やはり未来は元々の不確実な状態に戻らざるを得なくなる訳である。



一方、お互いの信頼というものは、不確実な未来よりも確実にできる場合がある。

今、世界は当てにならない未来を前に、この信頼を試されつつあることになる。



お金自体は食えもしなければ、トンカチの代わりにもならない。

交換できるからこそ、その価値があるのである。つまり、回るからこそ価値があり、回れば回るほどその価値は高まるのである。

そして、その回転を加速させるのが、「将来への確実性と他者への信頼」ということになる。

「宵越しのカネ」を持たずとも平然としていた江戸の庶民は、それだけ未来を信じ、社会に安心しきっていたということであろう。




「お金への価値観」関連記事:
お金がなくとも生きて行けるのか? 14年間もそうして生きてきたドイツ人女性の話。

モノを買わなくなるつつあるアメリカ人。「小さきことは良きこと哉?」。



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posted by 四代目 at 08:17| Comment(1) | マネー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日

「空前の円高」と言うよりは、「米ドルの独歩安」。世界を翻弄する米ドルの弱さ。

ドル円相場では、「円高」の勢いが著しい。

先月末の終値は「76円77銭」。米ドルは円に対して、ほぼ「史上最安値」である。



ここで注意しておくべきは、報道などでは「円高」「円高」と煩(うるさ)いが、それは表面的な現象であり、本質的には「ドル安」と表現したほうが正確なことである。

実際、円は米ドル以外に対しては、それほど強くない。

主要9通貨のランキング(年初来)で、日本円は第7位。むしろ、下から数えたほうが早い「弱い通貨」となっているのである。



しかし、米ドルの弱さは、日本円の比ではない。

米ドルは、「スイス・フラン」と「シンガポール・ドル」に対して、「史上最安値」を更新した。

そして、「オーストラリア・ドル」と「ニュージーランド・ドル」に対しても、「数十年ぶりの安値」である。

さらには、「ブラジル・レアル」、「マレーシア・リンギット」、「フィリピン・ペソ」、「インドネシア・ルピー」、「中国・人民元」などなど、新興国の通貨に対しても、「数年ぶりの安値」なのである。



この状況は、まさに世界に対する米ドルの「独歩安(どっぽやす)」である。

ドル円相場の「円高」は、この米ドル独歩安の煽りに過ぎない。



自国通貨が弱くなるほど、自国のモノが他国に安く売れるために、売れ行きがアップする。

そのため、通貨安が経済発展を促すのは、経済の常識である。

しかし、米ドルがこれほど安いにもかかわらず、アメリカ経済はアップアップである。

いくら米ドルを大量に印刷しても、好天の兆しはまだ見えない。



ドルは世界の「基軸通貨」である。

すなわち、アメリカの通貨であると同時に、「世界の通貨」でもある。

そのため、米ドルが大量に出回るほど、世界の物価は上昇する(インフレ)。



世界の物価が上昇すると、一番困るのは「新興国」である。

新興国がいくら自国の通貨をコントロールできても、世界の通貨である「米ドル」のコントロールまでは出来ない。

新興国経済は、米ドルの強弱に右往左往するしかないのである。



米ドルを印刷しまくってその場を切り抜けようとしたアメリカ自身も、今回ばかりは、巡り巡ってダメージを食らった。

世界通貨の米ドルが出回りすぎたせいで、世界の「原油」価格が高騰したのである。

それに伴い、アメリカ国内のガソリン価格も高騰し、アメリカのGDPの7割を占めるという「個人消費」が伸び悩んでいる。

結果的に、この負の連鎖がアメリカ経済をガンジンガラメにすることになっている。



そして、この負の状況に拍車をかけるのが、「マネー」の脅威である。

「マネー」の世界は、「弱肉強食」というルールが完璧に機能する「ハチュウ類」的な世界である。

弱いおなかを見せている米ドルは、格好のエジキである。

「世界のトレーダーたちは、米ドルに銃口を向けている」。



当面の借金上限問題が片付いたとしても、米ドルに休む暇(いとま)は与えられないかもしれない。

そして、その状況は世界中をさらなる苦悩に陥(おとしい)れる。



世界を犠牲にしてでも、トレーダーたちは、容赦なく「ドル売り」を継続する。

今のところ、「ドル売り」に加担した者たちほど、巨額の利益を上げているからである。

これこそが、世界の「貧富」を否応なしに広げ続ける世界の構図である。



アメリカのFRBによる米ドルの増刷は、アメリカの経済を建て直しきれなかっただけでなく、新興国経済にもブレーキをかけた。

さらに悪いことには、トレーダーたちに絶好の「ドル売り」のチャンスを与えてしまった。

そして、大量に出回る安い米ドルは、世界の「エネルギー価格」や「食糧価格」に、さらなる上昇圧力をかける。

現物を必要とする世界は汲々となる反面、架空のマネー世界は潤いを増す。



米ドルの独歩安は、世界を翻弄している。

そんな米ドルに世界通貨の資格はあるのだろうか?

かといって、米ドルに代わる強い通貨は、世界に存在しない。

人間の作り出した「通貨」という怪物は、今、醜く肥大化してしまっている。




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2011年07月28日

金よりも眩(まばゆ)い「スイス・フラン」。ヨーロッパ不信が、スイスの信頼を高めた結果に。

人間の作った「通貨」の人気が急落している中で、燦然(さんぜん)と輝く「通貨」がある。

その通貨は、「スイス・フラン」。

ドル・ユーロ・円の世界三大通貨を押しのけ、通貨ランキング、堂々の第一位である。



スイスの「インフレ率は1%に満たず、経常黒字はGDPの15%に達している」。

ヨーロッパでは、過剰な債務が問題となっているが、スイスの「債務残高はGDPの53%と、ヨーロッパ諸国の債務比率を大きく下回っている」。

自国通貨が強くなりすぎると、輸出産業が打撃を受けるが、スイスの輸出は「堅調に推移している」という。



それでも、スイス企業にとって、通貨が強くなりすぎるのは、ありがたいことではない。

製薬大手のノバルティスは、米ドルベースで9%の増益だったにもかかわらず、スイスフラン建てでは、16%の減益に転じたという。



スイス国立銀行(SNB)は、通貨を安くするための「介入」を伝統的に実施してきた。

しかし、介入の甲斐なく、スイスフランは強くなり続けた。

そのため、スイス国立銀行は、為替介入により「380億スイスフラン(3兆7000億円)を失った可能性がある」という。

これ以上の介入は、「政治的に受け入れられない」。ということは、スイスフランには、まだまだ上値を追い続ける可能性がある。



スイスの強みは、「経済大国ドイツとの密接なつながり」にある。

もともと、ドイツの高い信頼を享受していたのは、「ユーロ」であった。しかし、ドイツの信頼に頼りすぎた南ヨーロッパの各国は、軒並み自国の信頼以上の借金漬けに陥った。

その結果、ユーロ全体の信用は揺らぎ、ユーロは売られゆく通貨となった。

自国通貨が安くなれば、輸出の強いドイツには、力強い追い風となる。

強含んだドイツ経済は、その影に位置する「スイスフラン」をより確かなものにした。

こうして、ヨーロッパを震撼させた金融危機は、期せずして「スイスフラン」の価値を一気に高めることとなったのである。



しかし、スイスフランは買われすぎた。

OECDの購買力平価のデータでは、「スイスフランはユーロに対して42%、米ドルに対して44%、過大評価されている」という。

ヨーロッパの金融危機は、解決したとは言えないものの、ひとまず落ち着いた。そして、来月アメリカのデフォルト懸念が落ち着けば、スイスフランも一息つけるかもしれない。

しかし、もし、アメリカが痴話ゲンカを続けるようなら……、スイスフランの「天井」が見えなくなるかもしれない。



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2011年07月27日

400日以上にわたり政府不在の「ベルギー」に見る、小さなヨーロッパ。はたしてギリシャは?

ベルギーは現在、「正式な政府がない」状態にある。

この状態は、「400日以上」も続いており、この記録は今年2月に「イラク」を抜いて、世界最長となった。

ルネ・マグリット(ベルギー)の絵に、「これはパイプではない」と注意書きのある「パイプの絵」があるが、あるメディアは、ベルギーを皮肉って「これは国ではない」とまで言っている。



ちなみに、マグリットが「パイプの絵」に「これはパイプではない」と書いたのは、描かれたパイプは、単なる「絵」であって、「本物のパイプ」ではないというヒッカケである。

日本風に言えば、「絵に書いたモチ」とでもなろうか。



なぜ、ベルギーに政府が不在かといえば、「裕福な北部(ゲルマン系)」と「貧しい南部(ラテン系)」の折り合いがつかないためである。

かといってベルギーが混乱状態にあるかといえば、そうでもない。

「ごみ収集は、正常通り行われており」、「経済も好調」。「成長率は、ユーロ圏の平均よりも高く、財政赤字の削減も、予測より速く進んでいる。」



かつて、ベルギーは「EU最大の借金国」だった。

最悪の1993年には、借金がGDP比134%まで膨張した。

ところが、それから10数年後の2007年には、借金がGDP比84%までに激減する。

時の予算相「ヘルマン・ファンロンパイ」氏の功績は大きい。現在、彼はEUの大統領を務めている。



ベルギーの借金問題に解決の道をつけた「ファンロンパイ」氏。

現在、EU大統領という立場にあるファンロンパイ氏は、「ベルギーに出来たのだから、ギリシャにも出来る」と、ユーロ圏の借金問題に前向きである。



確かに、ユーロ圏とベルギーの民族構成は、じつに似通っている。

ユーロ圏においては、裕福な北部(ドイツ・フランス)が、貧しい南部(ギリシャ・ポルトガル)を支えている。これは、先に書いたベルギーの南北構造(北のゲルマン、南のラテン)とウリ二つである。

ベルギー自体が、小さなヨーロッパである。



しかし、現在のユーロ圏は、以前のベルギーほどに強い経済を持たない。

さらに、ベルギーの借金は、多額の「国内」貯蓄に支えられていたが、ギリシャの借金は、「外国」からの借り入れである。

「似て非なる」点は数多い。ファンロンパイ氏の目論見を疑問視する向きは強い。



ユーロの「北部」はセッセと働き、ユーロの「南部」はユッタリと暮らす。

この構造に、働き者の北部は納得がいっていない。



ギリシャの歳出は、一連の緊縮策の甲斐なく、ここ一年間で「増加」した。

失業者が増えすぎて(失業率15.8%、若年層は40%)、失業保険の給付が増えたためである。

振り回した「大ナタ」が空を切り、自分をかすめたようなものである。



北部は、まだまだギリシャに削減の余地はあると考えている。

実際、ギリシャの国会議員は、自分専用の公用車を持つが、ドイツの国会議員に、それほどの特権は認められていない。

ギリシャの大学生は、教育を無料で受けられ、卒業まで平均で7年間を要しているが、イギリスの大学生は、年間9000ポンド(約100万円)も支払わなければならない。7年間もいたら、700万円もかかってしまう。



ギリシャには、「いろいろなモノを、タダで手に入れようとする文化」が根付いているという。

欧州北部の納税者は、ギリシャに「タダでモノをやる」ことにウンザリしてしまった。



ヨーロッパは、長い歴史のなかで培ってきた独特の文化が、各国に根付いている。

一国の中でさえ、ベルギーのように、オランダ語圏(北部)とフランス語圏(南部)というように分裂している国家さえある。

1648年のウエストファリア条約以来、ヨーロッパは「分裂」の道をヒタ走ってきた。

そして、1991年のマーストリヒト条約で、ヨーロッパは「分裂」の方針を大転換。夢の共通通貨「ユーロ」の誕生につながった。



しかし、長き分裂の歴史の傷跡は、そうそう癒えるものではないようだ。

今回のユーロ金融危機も、古傷のブリ返しである。



そもそも、欧米の思考法は「分析」を得意とし、類まれな科学技術の発展を見た。

しかし、「分析」するという思考は、「違い」に着目することであるゆえ、より「分裂」を促進する結果につながる。



かたや、日本の思考は、「違い」よりも「同質性」を重視し、理想形として「和する」ことを目指す。

この日本的思考は、「Noと言えない」と欧米に批判されてたり、「グレーゾーンが広すぎる」と揶揄されたりもする。

しかし、日本という国家は、世界史上最長の独立国家である。

そして、その背景には、日本的な思考があることは確かである。



ヨーロッパの問題は根深く、今回の危機が解決したとしても、また別の形でブリ返す可能性は高い。

ガンになった細胞を除去しただけでは、ガンは治らない。



欧米風の思考は、「分析」して「分割」するのは得意だが、いざ「割り切れなく」なってしまうと、とたんに弱さを露呈する。

結局、「割り切れない」部分は、切り捨てられることとなる。欧米流の経営の極意は、リストラにある。

一転、日本人の多くは、割り切れない部分を、「もったいない」と考え、さらには「残りモノには福がある」とすら考える。

両者ともに一長一短ではあろうが、お互い様な部分はあろうかと思われる。



はたして、ギリシャは欧米流に「切り捨てられる」運命にあるのであろうか?

それとも、ガンを完治するために、より根源的な問題解決へと向かうのであろうか?




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posted by 四代目 at 12:57| Comment(1) | マネー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする