「政府の債務水準は大きな問題だ」
英国エコノミスト誌がそう懸念するように、先進国政府の債務(借金)は現在、軒並み高水準にある。
「政府の借り入れは、民間投資を減少させる『クラウディング・アウト』につながり、成長の足を引っ張る恐れがある」と同誌は続ける。
ここに「90%」という臨海値がある。
「政府の債務残高がGDP(国内総生産)の90%を超えると、その国の経済成長が大きく停滞する」
ハーバード大学の「ラインハート」と「ロゴフ」両氏は、そう言った。その事実を示す論文を2010年に発表している(著作「This Time is Different」邦題:国家は破綻する)。
両氏に示された具体的な数字により、この「90%という数字」は、政治論争における格好の武器となった。
去年のアメリカ大統領選挙で、共和党のポール・ライアン氏(副大統領候補)は、ここぞとばかりにこの武器を振り回していた。
政府の公共支出の厳しい削減を求める予算案の中で、彼はこの90%という数字を「経験に基づく決定的な証拠」として引用したのだった。また、EU加盟国の財務省に宛てた書簡の中でも、彼は「広く認知されている数字」として、この90%上限を引き合いに出していた。
◎ラインハート=ロゴフ論文
ラインハートとロゴフ両氏は、著書の執筆にあたり2世紀分の公的債務データ(1790〜2009)を参照した。
その結果、「政府の債務残高が、GDP(国内総生産)の90%に達するまで、その債務が成長率にはほとんど影響を及ぼさないことが分かった」。だが、「90%を超えると、急激に成長率が落ち込む」ということも同時に分かった。
具体的には、債務残高が90%という臨界値を超えると「平均成長率が3%強からわずか1.7%に、およそ半減することが分かった」。第二次世界大戦後の限られたデータでは、90%という閾値に達すると、その平均成長率は約3%からマイナス0.1%にまで劇的に下落していた。
両氏が導き出した結論は、債務と成長の関係が「線形ではない」ということだった。
線形の関係においては、債務が増えると、それに応じて成長率は徐々に低下するはずだった。ところが、2世紀分のデータが示すところによれば、「臨界点に達するまで、債務の水準は成長に悪影響を及ぼさないが、臨界点を超えたとたんに一変する」のだった。
両氏の論文(ラインハート=ロゴフ論文)は、世界の耳目を集めると同時に、激しい議論を呼んだ。そして問いかけられた「疑問」が、火に油を注いだ。
油となったのは、マサチューセッツ大学の「ハーンドン」と「アッシュ」と「ポリン」の3氏が提示した論文。この論文で、3氏はラインハート=ロゴフ論文の「分析のミス」を指摘した。
「両氏が使用したエクセルのスプレッドシートは、コーディング(プログラミング)に誤りがあり、複数の国が対象データから抜け落ちている」と3氏は主張した。
この分析のミスにより、「債務水準が高い場合の平均成長率が『過小評価』されている」と3氏は論じている。たとえば、第二次世界大戦後の平均成長率は、マイナス0.1%ではなく、2.2%であると3氏は結論づけている。
◎政治色の濃い数字
90%という臨界値は存在するのか?
たとえば、BIS(国際決済銀行)は「閾値を85%」としていた(2011)。その一方で、IMF(国際通貨基金)は「特定の閾値は存在しない」と述べている(2012)。
では、臨界値(閾値)が存在しないとしたら、債務と成長の関係は「線形か否か」。
ラインハート=ロゴフ両氏は、線形ではないと結論した一方で、ハードソン=アッシュ=ポリン3氏はほとんど線形である(成長率は一気にではなく、徐々に下降する)ことを示した。
臨界値の有無、そして線形か否か。この難題は「まだ完全に解明されていない」。
すなわち、政治家ポール・ライアン氏が得意げに挙げた「90%という数字」は、とうてい「経験に基づく決定的な証拠」とは言い難いものであり、ましてや「広く認識された数字」でもない。とどのつまり、90%という数字は「政治色の濃い数字」に過ぎなかったのである(実際には彼がこの数字を政治的にしたわけだが)。
「要するに、公的債務残高のGDP比が90%を超えたら、経済成長は必ず大幅に下がるなどという鉄則は存在しないのである(Financial Times紙)」
◎低成長と高債務
90%という数字を巡る議論は、その数字自体の瑣末な問題よりも、その外枠にあたる「債務と成長の因果関係」を追求することこそ、その本質であろう。
「卵が先か、ニワトリが先か」というのが、債務と成長の関係。どっちが先でどっちが後か、じつはまだ誰も知らない。
低成長は高債務の原因になり得るのだろうか。
「たとえば、日本の高債務は低成長の原因なのだろうか、それとも結果なのだろうか?」
「では、今日のイギリスの低成長は、高債務が引き起こしたものなのだろうか?」
成長が鈍るから借金が増えるのか、それとも、借金が重荷になって成長が鈍るのか?
一般の人々にはどっちでもよいと切り捨てられそうな問題であるが、国民の税金をどう使うかを思案しなければならない政治家たちにとっては、その因果関係が決定的に重要となる。
成長が鈍るから借金が増えるのであれば、積極的な財政出動を敢行する大義名分となる。だが逆に、借金が重荷になって成長が鈍るのであれば、そうした積極性は害悪(無駄遣い)としかならない。むしろ財布のヒモをきゅっと締めて、緊縮財政に舵を切る必要が生じる。
つまり、政治家たちは分からないなりに卵か先かニワトリが先かを決めてしまわないと、その政策実行が真逆の決断となってしまうのである。これが「積極財政派」と「緊縮財政派」に政界が二分される理由でもある。どっちも正しいかもしれないし、どっちも間違っているかもしれない。それはまだ誰も知らない。
◎イギリスの産業革命
たとえば「積極財政派」は、こんな歴史の話を持ち出す。
今からおよそ100年前(1816)、イギリスの公的債務残高はGDP(国内総生産)の240%に相当する規模に膨れ上がっていた。この膨大な借金は125年にも及ぶ「フランスとの戦争」の産物だった。
さて、これほど莫大な債務を背負ったイギリスは、ペシャリと潰れてしまったのか?
もし、ラインハート=ロゴフ両氏の筋書きに従えば、公的債務が90%という危険値をとうに超えてしまったイギリスに、成長の芽は残されていないはずだ。
ところがその後、イギリスは突然立ち上がった。産業革命が勃ったのである…!
産業革命前夜、イギリスは陰鬱とした話題でもちきりだった。
「デイビッド・ヒュームやアダム・スミスといった18世紀の偉大な経済学者たちは、イギリスの過大な公的債務にガンガン警鐘を鳴らしていた(Financial Times紙)」
無理もない。1815年から1855年にかけて、イギリスの歳出のほぼ半分が「債務の利払い」で消えていたのだから。そんな苦境の中、積極財政の大風呂敷は広げにくいものであり、どうしても緊縮財政派が勢いを増さざるを得ない。
実際、そのほぼ同時期のイギリスの経済成長率の平均は約2%という低成長に過ぎなかった。
だが、この2%という数字は、「途方もない額の債務を抱えた、しかも増税の余地が非常に乏しい国」で実現されたものである。それを考慮するのならば、2%は「大した値」であろう。
◎大砲
100年前のイギリスの高債務が、「戦争」という「人間の数ある行動のなかでも最も破壊的なもの」で積み上がったものであれば、それを吹き飛ばしたのは「革新(産業革命)」という「人間の数ある行動のなかでも最も建設的なもの」だった。
それは、第二次世界大戦後の日本でも見られたような奇跡の一つかもしれない(または、江戸幕府崩壊のあとの明治維新か)。
人間を打ちのめすような危機は、戦争であれ金融危機であれ、人々を本能的に萎縮させるものである。
ゆえに崩れかけた城門を固く閉ざし、「緊縮」の旗を掲げたい衝動にも駆られる。だが、そんな縮みきった状況下に置かれても、敢然と撃って出る隊が存在するのも、また人間の行動であろう。
そうした輩の一見無謀な挙が、イギリスの産業革命、もしくは日本の高度経済成長期の呼び水となったのかもしれない。
緊縮派は債務を敵とし、さらにお金を使おうとする積極派をも敵とする。それは積極派も同様、「景気刺激策は常に正しい」とする彼らは、緊縮派を仇とみなす。
お互いの敵を敵とする姿勢は、その姿勢そのものが、いなかったはずの敵をも生み出していく。そしていつの間にか、一番の味方にすべきだった「未来」までもが、どこかの敵の陣中に収まってしまう恐れもある。
じつは未来は、解明不能な因果の根元にあるのではなく、その先の枝先に実っているものなのかもしれない。
もしそうだとしたら、債務と成長を秤にかけてそれと睨めっこしているばかりでは、その果実に気付くことがないだろう。
では、日本の安倍政権は、その果実を見つけたのであろうか。
日本は20年の沈黙を破り、撃って出た。
公的債務200%以上という厚い厚い殻を打ち破らん、と。
「日本は大きな大砲を撃った」と、ポール・ゲスト氏(ラサール・インベストメント・マネジメント)は言う。
だが、こうも付け加える。
「これが一時的な花火で終わらぬとよいが…」
(了)
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出典:
The Economist「緊縮論争に火:ラインハート=ロゴフ論文は誤りか」
Financial Times「債務は成長の敵ではない」