2012年07月09日

「ナイジェリアの血(石油)」、富の源泉でもある諸悪の根源


「石油を売れる商品にするためには、『石油と水』を分離して混ざらないようにしなければなりません。

水には価値がありませんが、石油は高価です。水の混入を最小限に抑えたものを世界中に送り出すのです」



ここは、アフリカ・ナイジェリア沖合いのギニア湾洋上。この海には巨大な海底石油の掘削施設「FPSO(浮体式・海洋石油ガス・生産貯蔵積出設備)」が浮かぶ。

この「アクポ油田」が海底数千mから掘り出す石油は「コンデンセート」と呼ばれるもので、比重が小さく粘り気の少ない上質なモノである。その上物でも、「石油と水」をキチンと分離しなくては売りモノにならないと、その責任者は言うのである。





◎ナイジェリアの血


ナイジェリアという国は、世界有数の「産油国」の一つで、その生産量は世界12位、輸出量で世界8位である。

ナイジェリア政府の収入のじつに80%は、この天の恵みたる石油によるものであり、それゆえに同国の石油は「ナイジェリアの血」とも呼ばれるのである。この「血液(石油)」無しに、もはやナイジェリアは成り立ち得ない。

いうなれば、ナイジェリアは自分の血(石油)を世界中に売りさばくことによって、巨額のマネーを手にしている。しかし、これは自傷行為のようなものであり、ナイジェリアの国内では「別の血」も多く流れている。

潤沢な石油を巡って、国内の対立・内紛は独立以来絶えることがなく、現在に至るまで、ついぞ政情が安定することはなかったのであるから。



◎「石油漬け」にされた政府


ナイジェリアの石油収入は年間1兆2000億円。しかし、この収入の3分の2にも相当する8000億円は「使途不明」のままに消えていく。それほどに政府は腐敗している(腐敗指数、世界130位)。これは明らかに「石油漬け」による放漫財政によるものである。

その悲しい結果が、「国民の貧困」である。海底深くから吸い上げられる石油は、ナイジェリア国民の知らないところへと運ばれ、その莫大な収入は彼らの知らないうちに霧消してしまうのである。



ナイジェリア自身に海底数千mをも掘り進む高い技術力があるわけではなく、その仕事は「外国企業」の受け持ちである。

たとえば、冒頭に記したアクポ油田のFPSOは、フランス資本のトタル社(スーパーメジャー6社のうちの一つ)が請け負っている。そこで働く技術者や労働者の多くも海外からやって来る。



◎石油湧く、ニジェール・デルタ


ナイジェリアのニジェール川河口のデルタ地帯は、イギリスによる植民地時代から「オイル・リバーズ」と呼ばれていたほどエネルギー産業には縁深い土地柄である(当時はアブラヤシの生産。アブラヤシから取れる油脂は植物中屈指である)。

アフリカ最大の産油国であるナイジェリアの75%以上の石油は、この「ニジェール・デルタ」より産出している。すなわち、ナイジェリアは国土のたった7.5%しかないこのニジェール・デルタから、その収入のほとんどを得ているのである。





◎分離される地元住民


この地域一帯に住む住人は、およそ2000万人以上。40以上の民族が250以上の言語を話しながら暮らしている。しかし、彼らが国の主要産業である石油に関わることはほとんどなく、当然、その恩恵に預かることもまるでない。

このデルタ地帯から海を眺めれば、ひっきりなしに石油を満載した大型タンカーが行き来しているのが見える。24時間営業でナイジェリアの血を吸い上げる知らない外国人たちが、海のかなたでしきりに蠢(うごめ)いているのである。

ナイジェリア政府と癒着した外国企業と地元住民の関係は、まるで「水と油」のようであり、石油産業にかかわる人々は、極力「水」が混じらぬように努めているようでもある。その油を上質なモノに保つために…。



◎原油流出は日常茶飯事


その上質なオイルのもたらすマネーは地元住民に還元されないばかりか、毒ばかりを撒き散らす。

村内を堂々と横断するパイプラインからオイルが漏れ出すこともあれば、海の向こうから黒い油が流れて来ることもある。ある漁師が朝、目を覚ましたら、漁場としていた森がすっかり炎上していたなどということもあったという。





ニジェール・デルタで伝統的に暮らしてきた人々の生業の多くは「漁業(もしくは農業)」である。しかしもはや、良質の魚たちは良質の油のために、すっかり棲む場所を追われてしまっている。



◎おびえる富裕層


ナイジェリア国民でも、石油産業に携われた人々は幸運である。彼らは人も羨むような豪邸にその身を休ませることができるのだから。

しかし、その幸福に浸ってばかりもいられない。その裕福な様は、貧しい人々の嫉妬心を煽るどころか、むしろ「攻撃の対象」となってしまう。ある企業幹部のナイジェリア人は、かわいい子供たちが「誘拐」されるのではないかと、ひとときも気を抜くことができずにいる。

自家用車で子供たちを幼稚園に送り届けるのだが、運転手を信頼することもできないため、自らがハンドルを握らなければならない。さらに安全を期すために、幼稚園のできるだけ近い場所に車を停め、3人いる子供たちを一人づつ建物の中の安全な場所まで丁寧に送り届ける。もちろん、子供の残っている車にはカギをかけて。



そこまでするのには、十分な理由がある。

あまりに酷すぎる富の格差に、ナイジェリア国内からはゲリラ的な「武装組織」がタケノコのように勢いよく育っているのだ(雨後の筍ならず、「油」後の…)。彼らの主な収入源は、武器の密輸・密売、そして「誘拐や脅迫」などによる外国資本からの身代金なのである。

武装組織の手法はまったく好ましいものではない。しかし、彼らに言わせれば、ナイジェリア政府や外国企業は「輪をかけて卑劣」なのだ。



◎ある武装組織の声


MEND(ニジェール・デルタ解放運動)という武装組織は、そうしたゲリラ組織の中でも最大規模を誇る。彼らはかつて、正義の破壊活動により主要なパイプライン3本を爆破して、原油価格を一時的に高騰させたこともある(2007)。

その司令官は訴える。

「ナイジェリアの住民は過去半世紀にわたって、『奴隷』のように使われてきた。これは現代の『植民地主義』だ。時代が変わったのに、先進国のやっていることは植民地時代と変わらない。

住民たちの権利を押さえ込むために、石油会社は地元の部族長や政府高官に賄賂を贈っている。そして、住民の団結を妨げ、操り人形のように住民を支配しているのだ。

これはまさに新しい植民地支配。何も変わっていない!」





MENDの抱える直接の戦闘員は数百人規模であり、彼らゲリラ兵たちはニジェール・デルタのマングローブに潜んで訓練を行っている。しかし、その幹部はといえば、ナイジェリアの都市部や外国に暮らしているのだという。

直接戦闘に関わる兵士は、巨大勢力同士の軋轢によって生じた、いわば「石油の落とし子」。水と油のように接点のない富裕層と貧困層の間に生まれた「必然」でもあり、過激な犠牲者でもあるのである。



◎禁じられても燃え続ける「地獄の火」


ふたたび、ニジェール・デルタに目を戻すと、そこには石油企業の燃やす火が見えた。油田内の圧力を逃すために、一日中ガスの火が燃えているのである。

潤いのある油田においては、あまったガスを利用するよりも燃やした方がコストがかからないのだという。だが、その燃やす量は決して半端なものではない。ある専門家が指摘するには、その燃やされるガスだけで「アフリカ大陸全体のガス需要をまかなえる」ほど膨大な量なのだという。



その一方、その燃える火の熱さが伝わるほど近くに住んでいる住民には、一握りのガスの分け前もない。貧しい漁村に暮らす住民のエネルギー源は、昔からの「薪」であり、隣りが油田だからといって、何の得もないのである。

いやむしろ、そのガスの火の放つ悪臭は耐え難く、その燃焼によって発生する有害物質は酸性雨の原因ともなり、住民の貴重な飲料水を汚染してしまう。それゆえ、2005年にそうした行為は禁止されているのだが、その火はいまだに燃え続けている。

住民たちはその火を恨めしそうに睨みながら、憎しみを込めて「地獄の火」と呼んでいる。

Source: mubi.com via Hideyuki on Pinterest




◎分裂しやすい自然環境の差


虐げられるニジェール・デルタの住民たちは、悲しいことにあまりにも分裂しすぎているために団結して大きな力を出すことはできない。先にも記した通り、この地域には40以上の部族が暮らしているのである。

これは、武装組織MENDが指摘するように、「団結を妨げる」という政府や石油企業の効が奏している部分も少なくない。というのも、ナイジェリアという国は長らく(そして現在も)国内の対立が起こりやすい歴史を抱えているためでもある。



ナイジェリアの北と南では、気候が一変する。北の大地はサハラ砂漠であり、カラカラに乾いている。一方、雨量に恵まれた南部は、熱帯雨林に覆われ、その豊富な水はニジェール川を形成し、その河口がニジェール・デルタとなる。

より開放的だったのは北の砂漠である。サハラ交易により、種々雑多な人々が行き交い、その分、文化も発展した。一方、密林に覆われた南部には極めて閉鎖的、分断的な社会(部族)が形成されていた。別の見方をすれば、土地の生産性の高かった南部は、他者をあまり必要としなかったのである。



◎呼んでもいない訪問者


閉鎖的な南部の扉が強制的に開かれるのは、海の向こうからポルトガルの船がやって来てからである。これは世に言う、ヨーロッパの大航海時代であり、アフリカでいう植民地時代の始まりである。

ポルトガル人の持ってきた「銃」は、南部国家の軍事力を強大にした一方で、争いの頻度は増し、その被害をより悲惨なものへもしてしまった。弱き者は「奴隷」とされ、次々と海の向こうのアメリカ大陸へと売りさばかれていくことになったのだ(「奴隷海岸」というのは、ニジェール・デルタの過去の名である)。

ナイジェリアを本格的に支配したのはイギリスであり、奴隷の売買が禁止された後、そのデルタ地帯一面にアブラヤシを植えた。広大な熱帯雨林を焼き払って…。



◎人の心を分かつ宗教


歴史的に北部と南部の境目のハッキリしたナイジェリア。宗教的にみれば、北部はサハラ交易によってアラブ世界からもたらされたイスラム教、南部はヨーロッパのもたらしたキリスト教である。

すなわち、気候のみならず、人の心までがナイジェリアの南北を「水と油」の関係にしていたことになる。

そのため、1960年の独立当時、ナイジェリアはまず南北、そして南部を東西の3つの州に分けられた(南部が東西に分けられたのは、半分がイギリス、もう半分をフランスが支配していたためである)。



◎意図的に分断された民族


もとも反目しやすい3州の分割は、その対立を深めるばかりであった。そして、東西に分裂した南部よりも、一体となっていた北部が優勢になるのが常であった。

そこで時の政府は考えた。「州をもっと分割すれば、対立は緩和するのではないか?」と。そうして、政権が変わるたびに州は細分化されていき、最終的には現在の36州にまでコマ切れとなった。



しかし、こうした分断政策は残念ながら裏目に出た。

もともとは3大勢力の下に抑止されていた少数民族が、ここぞとばかりに点でバラバラな方を向いて、自らの主張するようになってしまったのである。民族紛争は減少するどころか、本格化してしまったのだ。

独立後のナイジェリアは、クーデターがクーデターをひっくり返すことの繰り返しであり、民政に向かえば向かうほど分裂し、民主化するほどに腐敗していった。



◎漁夫の利を得たのは…


こうした政情は、ナイジェリア国民に内戦や内紛といった不利益ばかりを与え続けていたわけだが、石油に代表されるような外国勢にとっては、都合が良いばかりであった。

団結することのない住民は御しやすく、その対立の間を縫って進むように、その力を拡大できたのである。こうして、ナイジェリア国民の不満は水底深く沈められ、その表層は石油産業という厚い油に覆われることとなったのである。



その水底からは絶えることなく不満の声が上がってくる。しかし、その声は細かく分断されているために、水草の出すようなプクプクとした小さな泡にしかならずに、とても厚い油の壁を破ることは適わない。

まれに、MEND(ニジェール・デルタ解放運動)のような大きな水泡も現れるが、そうした大きなモノに限って、必要以上に「過激化」してしまうために、逆効果ともなってしまう(声を大にするために過激化するのではあろうが…)。



◎黒を意味する「ニジェール」


肥沃なニジェール・デルタは、その権力争いの激戦地となり、その覇権は石油産業のものとなっている。

伝統的な漁業のことなどいざ知らず、その美しかった水は、いまや流出した石油で黒光りしている。この川の名前である「ニジェール」というのは、ラテン語で「黒」を意味するわけだが、まさかその黒が「石油の黒」にもつながってしまうとは、なんという皮肉であろう。





◎たくましき住民たち


生業を奪われた住民たちには、したたかな一面もある。杜撰な石油管理によって漏れ出る石油をすくい集め、それを自ら精製して売るモノもいるのである。

「まず、原油が流出している箇所を見つけ、そこへ潜って川底を掘り、パイプラインから漏れ出している箇所を探すんだ。そこへホースを取り付ければ、ポンプで原油を取り出すことができるんだ」





パイプラインから抜き取った原油を、自前のドラムカン精製所へと運び込む。「はじめに灯油が精製され、青いディーゼルが出たら終わりだ」。残った油は、次の精製のための燃料とされる。

流出した原油を精製する方法は、石油会社を退職した技術者から学んだものだという。彼らに2000ドルを支払えば、パイプラインに新しい穴を開けてもらうことも可能である。





◎なぜか、国内で不足する石油


こうした違法石油は、国内の闇市場でさばかれる。路傍にポリタンクを並べておけば、地元住民だけでなく、よそから来た人々も買っていく。ナイジェリアは世界有数の産油国でありながら、国内の石油は圧倒的に不足しているのである。





公式には石油の恩恵を受けられない地元住民ではあるが、こうした違法行為が黙認されることで、そのオコボレに預かることができるのだ。

石油企業が黙認するのは、原油流出という負の側面を闇のままにしておくためであり、住民の不満のハケ口にするためでもある。圧力が高まりすぎて爆発しないように、少しずつ不満の火を燃焼させておくのである。それはあたかも、油田の圧力を抜く「地獄の火」のようでもある。



◎何も変わらない…


「ナイジェリアは世界中に石油を供給して石油会社を潤わせているけれども、結局のところ、相変わらず国は貧しいままだ」

そう言われるのが現実である。巨額のオイル・マネーは政府と企業のものであり、その恩恵にあずかるには法を犯すより他にない。石油企業にとって、「水と油」を分離する技術はお手のもの。水と油が巧みに分離されたシステムは、ナイジェリアという国内に完璧に整備されているのである。



「人生はそもそも不公平」

洋上に浮かぶ不夜城、石油掘削施設「FPSO」の責任者は、そう嘯(うそぶ)く。その巨大なタンカーの群れは、地元住民の小さな漁船をアザ笑うかのように、悠々と世界の海へ向けて旅立ってゆく。

地元住民たちの鬱憤は、過激な武装組織や違法な原油精製という形しかとりえないために、それらは石油企業に大義を与えるだけである。





◎好ましからざるグローバル化


歴史上、グローバル化がナイジェリアの庶民のためになったことは未だない。

何の不足もなく暮らしていたはずのニジェール・デルタの住民たちは、外国船が現れるや「奴隷」とされ、イギリスの産業革命のために熱帯雨林が伐採され、そして今、世界の先進国のために汚染された「黒い水」を飲まされている。



われわれ先進国の住民は、本来であれば武装組織MENDを非難することも、違法な原油精製を止めさせることもできないはずである。なぜなら、これらの悪事は、もっと根深い巨大な何モノかの上に咲いた小さな花にすぎないのだから。

世界の国々が石油を使い続ける限りにおいて、ナイジェリアの統計数字は潤い続ける。しかし、その数字は決して国民の豊かさを表すものではない。むしろ、その数字が大きくなるほど、庶民は下へ下へと抑圧されていることを意味する。

現代文明が石油に依存し続ける限り、水と油は見事なまでに分離され、ナイジェリアの血は流れ続けるままなのだろう。潤った人々にとっては「石油」を意味するその血も、ある人々にとっては文字通りの「血」なのである。






関連記事:
石油大国のサウジアラビアが石油を輸入する日。

自然を守ることは、貧しくなることか? セーシェルの克服した現代の矛盾。

かつては原油の黄金時代を謳歌したアメリカは、現在、原油の言いなりになっている。栄枯盛衰のアメリカ・原油の歴史。



出典・参考:
BS世界のドキュメンタリー シリーズ 調査報道
「ナイジェリアの血〜産油国からの報告」

posted by 四代目 at 08:28| Comment(0) | 石油 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

アメリカの切り札「シェール・オイル」。そのブラック・ボックスの中には…?

アメリカの小さな田舎町を目掛けて、全米から人々が集まっているという。

その理由は単純だ。この小さな町「ウイリストン」には、大量の『仕事』が溢れているのだ。



慢性疾患のような失業率の高止まりに頭を抱えるアメリカにあって、このノースダコタ州の田舎町に限って、失業率は1%を切っている。

※全米平均の失業率8.1%に対して、ノースダコタ州の失業率は3.7%。

おまけに、その給料は『高額』だ。労働者レベルの平均年収は8万ドル(640万円)。重要な仕事となれば、年収は15万ドル(1,200万円)を超えていく。

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その仕事とは?

シェール・オイルと呼ばれる、新しいタイプの『石油堀り』である。



かつて、この町(ウイリストン)は石油に沸いた時代があった。1951年に始まった掘削は、町に一大ブームを巻き起こしたことがあったのだ。

しかし、悲しいかな。年々、産油量は低下の一途をたどり、ついには「石油の墓場」とまで呼ばれるほど、意気消沈してしまっていた。



そこにフラリと現れた一人の男。

何やらセッセと調査を続けるうちに、その男の表情は喜色に満ちてくる。

彼の狙い通り、石油の墓場と言われて人々が見向きもしなくなっていたこの地に、大量のシェール・オイルが眠っていることを確信したのだ。



彼の調査を元にした報告書は1999年に公表された。

「2つの黒いシェール層には、これまでと違う石油が眠っており、その埋蔵量は世界で最も豊富である」

それからである。かつては廃れた石油の町が息を吹き返したのは。

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「シェール」というのは「頁岩」という硬い硬い地層のことである。

この岩盤の中に大量の石油が閉じ込められていることは、昔から知られていた事実であったが、従来の技術では、その石油を取り出すことは不可能であった。



シェールは元々「泥」であったため、その粒子は大変に細かく、内部に無数の穴を生じさせているのだが、そこに閉じ込められた石油は、細かく細かく広範囲に散っている。

従来の石油掘削は、ひたすら垂直に掘り進み、鉱脈に当たれば抽出できるというものであり、シェールの内部に細かく散った石油を回収できるようなタイプではなかった。



その不可能を可能にしたのが、アメリカの技術力であった。

その新方式を使えば、地下3000メートルを『垂直』に掘り進み、シェール層に行き当たったら、今度はその層に対して『水平』にさらに3000メートル掘り進んでいくことができる。



ウイリストンにあるバッケン油田のシェール層は、2層になっており、その間には比較的柔らかい石灰岩や砂岩が挟まっていた。

たとえるならば、クリーム・ビスケットのように、上下に硬いシェール層、その間には柔らかい地層があったのだ。

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クリームの中を掘り進むように、水平に3000メートルの横穴を開け終わったら、今度はその横穴に「特殊な混合液」を高圧力で流し込む。

すると、その高圧力に耐えきれなくなったシェール層は、無数のヒビ割れを起こすのだ(フラッキング)。

※頁岩(シェール)の「頁」はページという意味であり、圧力をかけられたシェール層は、本のページのようにペラペラと薄く剥がれていく。

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あとは、そのヒビ割れから滲み出す石油を、ストローで吸うように吸い上げれば、広範囲に散ったシェール・オイルを効率よく回収することができる。

ちなみに、シェール層から採れる石油は比重が軽く、良質であることが多いようだ。



ウイリストン周辺の地層に「当たり外れ」はない。掘れば必ずシェール層に突き当たるのだ。

一本の穴を掘るのに1,000万ドル(8億円)必要だというのだが、「はずれ」がないのならば安心して掘れる。

しかも、縦ではなく、横に掘り進むために、従来の縦型であれば、30本(100mごとに一本)掘らなければならなかった範囲が、たった一本でカバーできてしまう。



「石油の墓場」と言われた頃のバッケン油田は、日量3,000バレルまで落ち込んで、枯渇寸前だったのだが、シェール層を掘れるようになった今、日量40万バレルにまで急拡大している。

しかも、倍々で掘削穴が増えており、「黒いゴールドラッシュ」と称えられ、もてはやされている。



シェール・オイルが呼び込むのは、職に飢えた労働者ばかりではない。欲に飢えた投資家たちのマネーも然り。

「15年以上もこの業界を見てきたが、これだけの活気は初めてだ。小さな石油会社に投資しても、一気に成長して何倍もの利益になるのだから」



これにはオバマ大統領も「大喜び」だ。

「最高の宝が、『裏庭』にあった」



ゆるやかな下り坂を滑り落ちそうな超大国・アメリカ。その復活のカギは「裏庭」にあったのだ。

シェール層から石油やガスを取り出す最新技術はアメリカ固有のノウハウであり、本国の資源埋蔵量もさることながら、そのノウハウを世界中に売ることが今後期待されているのだ。



シェール層を破砕する最大の秘密は、掘削した横穴に送り込む「混合液」にある。

何種類かの化学薬品にセラミックや砂が混ぜられているというその液体は「企業秘密」であり、「国家機密」でもある。



と、ここで問われるのは、その「謎の液体」の安全性である。

一部の掘削地域では、水道水にメタンガスが混入して、「水道水に火がつく」といって大騒ぎになった。

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ある牧場主は、掘削地を提供したおかげで、毎月5,000ドル(40万円)の賃貸料を得られることになったが、牧場の一部に「塩」が吹き出した。

牧場主は底知れぬ不安を感じている。「いったい地下3,000mで、何が行われているのか?

自分で水質検査をしたいのだが、どんな薬品が使われているのか分からないから、すべての項目で検査せざるを得ない。そうすると、数千ドル(数十万円)もかかってしまう」



ある時、牧場主は「地震か?」と色めいた。

しかし、それは地震ではなく、シェール油田の「フラッキング(岩盤破砕)」であった。

「フラッキングをやる時は、一帯が通行止めになるから、すぐ分かるんだ」



「水質汚染」に「岩盤破壊」。

住民たちにとって、好ましからざる現象もシェール・ブームには付いて回るようである。

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一つ残念なのは、アメリカで大量にシェール・オイルが採掘されても、「ガソリンは安くならない」。

なぜなら、その採掘コストが、従来方式の10倍以上もかかってしまうからだ(従来型が1バレル5ドルに対して、新型は70〜80ドル)。

つまり、石油の枯渇する恐怖からは開放されたものの、「安い石油」の時代は確実に終わりを迎えつつあるのである。



技術革新と環境問題は、背中とお腹のようなジレンマを抱えることがあるが、シェール問題もまさにそれと似た状況にある。

それでも、アメリカは「背に腹はかえられない」。シェールという「クモの糸」に是が非でもすがりたい。



活況に沸くウイリストンは、その縮図でもある。

一度は死んだ町が、シェールのおかげで再び水面に浮上できたのだ。

市長のワード・コーサー氏は、こうつぶやいた。「環境問題で介入されるのが、一番の懸念だ…」。



穴を掘りまくる人々は、がぜん強気である。

「原油高が続く限り、ドンドン掘っていく。

このチャンスを逃すわけにはいかないんだ。今年は70本、ここ5年で400本を掘る計画だ」



高額報酬にフトコロの温かい労働者たちは、こんな歌を口ずさんでいる。

♪つべこべ言わずに、掘ればいい〜

♪どんどん、どんどん掘ってくれ〜

♪俺たちの生きる場所は、他にないんだ〜






関連記事:
「火のつく水」は、シェールガス汚染の象徴。アメリカの飲料水を汚染する資源開発。

石油になり損ねた資源たち。二酸化炭素と生物による堂々巡りの物語。

不遇なカナダ原住民。タールサンド採掘の静かな悲劇。



出典:ドキュメンタリーWAVE
「シェールオイルを掘りおこせ〜新たな石油鉱床の衝撃」

posted by 四代目 at 08:03| Comment(0) | 石油 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月05日

石油大国のサウジアラビアが石油を輸入する日。


石油の湧く国「サウジアラビア」があと30年もせずに石油の「純輸入国(a net importer)」になることなど信じられるだろうか。

その可能性は低いのかもしれないが、英国エコノミスト誌は今週の記事(Oil prices: Keeping it to themselve)にこう書いている。

「現在の傾向が続けば、サウジアラビアは2038年までに石油の純輸入国になる計算である(On current trends the kingdom would become a net importer of oil by 2038)」



ここ10年(2000〜2010)で、石油の消費が世界一伸びたのは他ならぬ「中国」だ。同国はこの10年の間に、その消費を90%以上増加させている。

中国の大量消費は想像通りであるかもしれないが、ここで意外なのは、2番手につけたのが「サウジアラビア」だということであろう。

21世紀に入ってから、サウジアラビアの石油消費は80%近く増大している。これは世界第2位の凄まじい増加量である(ちなみに欧米地域は減少傾向)。

※中国の増加量は日量430万バレル。サウジアラビアは120万バレル。1バレル(樽の意)は約160リットル。ちなみにドラム缶一本は200リットル。



中国はその華々しい経済成長を考えれば、石油の消費が増大していることにそれほどの違和感はない(中国の経済規模はここ10年で6倍近くにまで拡大している)。

それに対して、サウジアラビアの経済規模は、ここ10年間で2倍以上に拡大したものの、中国との比較から見れば、それはそれは穏やかなものである。

しかし、それでもサウジアラビアの石油消費量の増加は中国に次ぐものなのである(以下、インド、ブラジル)。

[世] 名目GDP(USドル)の推移(2000〜2011年)の比較(中国、サウジアラビア)


サウジアラビアの人口の少なさ(約2千700万人)を考えれば、その過剰な消費は「一人当たりの石油消費量」を押し上げる。

なんと、大量消費の代名詞たるアメリカ人よりもはるかに多くの石油を使っているのが、今やサウジアラビア人なのである(アメリカの1.6倍)。

※サウジアラビアの一人当たり石油消費量(一日あたり)は15リットル以上。それに対してアメリカは10リットル以下。ちなみに日本は5リットル前後。

※下記グラフは石油に限らない一人当たりのエネルギー消費量を示したものであるが、サウジアラビアが消費大国・アメリカに迫る勢いであることが理解できる。当然、日本のはるか上を行っている。




サウジアラビアの国全体の石油消費はと言えば、驚くべきことに今や世界第6位にまで上昇している(1位・アメリカ、2位・中国、3位・日本、4位・インド、5位・ロシア)。

ちなみにサウジアラビアの経済規模(GDP)は、世界23位にとどまっている。




なぜ、サウジアラビアではかくも大量の石油が消費されているのか? その経済規模の小ささにもかかわらず。

それはやはり、自国で産出する石油の量がケタ違いに膨大であるためであろう。その埋蔵量は世界最大であり、現在の産出量も世界第2位である(1位ロシア)。

水の国に住む日本人が、惜しげもなく水を消費するのと同じように、サウジアラビア人は石油を消費する。



何よりもサウジアラビアでは「石油が安い」。

ガソリンは1リットルで約13円程度と格安だ。なんと、日本の10分の1以下ではないか。

サウジアラビア政府は石油を世界に売って得た莫大な利益を、「補助金」という形で国民に還元しているのである。それゆえ、こうした破格の安値で国民にガソリンが提供できるのだ(サウジアラビアは湾岸諸国で最も燃料価格が安い)。

※原油の採掘コストは1バレル(約160リットル)あたり3〜5ドル(250〜400円)。すなわち1リットルあたり1.5〜2.5円。



現在、サウジアラビアでの自動車普及率はアメリカの3分の1程度とのことだが、国民が豊かになるほどその割合は増加するはずで、いずれはアメリカ並みに自動車が普及する可能性もある。

ガソリンが安いのであれば、電車やバスなどの公共機関を利用するよりも自家用車の方がコストパフォーマンスは良いはずである。

実際、サウジアラビア政府は公共機関を発展させるよりも、アメリカ的な自動車文化を促進しているとのことである。



また、灼熱のサウジアラビアでは、「エアコン」の使用もハンパない。暑すぎる夏のピーク時には、電力需要の半分近くをエアコンが占めるのだという。

その電力を生み出すのもまた「石油」である(総電力の65%が石油火力発電)。



さらに、砂漠の国・サウジアラビアでは「水」も石油から作らなければならない。

大量の海水を「淡水化(脱塩処理)」するには、石油で発電した大量の電力が必要なのである(電力需要の10%)。

サウジアラビアの水供給は、住宅用の6割、工業用のほぼ全量が海水を処理して作られているとのことだ。



ガソリンや水、そして電力の大元となる原油は、サウジアラビアの人口増加によって、ますますその消費量を増大させる傾向にある。

ここ10年でサウジアラビアの人口は40%近く増加しているのである(2,000万人から2,740万人へ)。

経済発展のスピード感に加えて、人口増もあいまれば、サウジアラビア石油の「国内需要」は高まるばかりである。今や同国の産出する石油の4分の1が国内で消費されるまでになっている。



こうした事実に目を通していけば、冒頭にご紹介した「2038年までにサウジアラビアが石油の輸入国になる」という荒唐無稽に聞こえる話も、どこか真実味を帯びてくる。

※この予測は、イギリスの王立国際問題研究所(チャタムハムス)の報告書によるものである(2011年12月発表)。

かつては石油の「輸出国」であった「インドネシア」は、今から5年ほど前(2004)に「純輸入国」に転じている。その理由はといえば、国内需要の高まりであった。



こうした傾向はサウジアラビアのみならず、中東地域全体に及ぶものである。

2000〜2010年の10年間、世界の石油消費は14%増加したが、中東地域に限ればその率は世界平均の4倍にも及ぶ(56%増)。中東諸国はその経済発展のスピード以上に石油を浪費しているのである。

それは中東諸国がサウジアラビアと同じように「補助金」によって、国民に石油を安く提供していることと無縁ではない。全世界の石油補助金1920億ドル(15兆7,000億円のうち、その60%以上(1210億ドル)がOPEC加盟国が占めるのだ。



そうした石油を浪費しがちな産油国の中にあって、なぜサウジアラビアだけがことさらに取り沙汰されるかと言えば、それは同国の石油「埋蔵量」がズバ抜けて膨大だからである。

石油の「余剰生産能力」があるのは、もはやサウジアラビア一国といっても過言ではない。



このサウジアラビアの余裕(余剰生産能力)は、アラブの春や欧州危機で揺れ動く世界の安定をなんとか保ってくれていた。

エジプトやリビアで革命が起こって石油の輸出が不安定になっても、経済制裁によってイラン原油の輸出が制限されても、「サウジアラビアが後ろに控えている」ということが世界の大きな安心感になっていたのである。



原油相場の4割が「投機マネー」と言われている現在、原油価格を安定させているのは他ならぬ市場の安心感である。

そして、それを与えていたのがサウジアラビアだということになる。



ところが最近、サウジアラビアに「思ったほど余裕がなかった」ことが世界で騒がれ始めている。

まだ予測は不確かだとはいえ、徐々に不安を感じてきたマーケットは原油価格を少しづつ押し上げ続けている。ほんの10年前までは1バレル30ドルを超えることがなかった原油価格は、今や100ドルを超えて高止まりしているのだ。

それは、サウジアラビアという石油界の重鎮への信頼が揺らいでいることと無縁ではないのだろう。

[世] 国際商品価格の推移(年次:1980〜2011年)(原油価格(WTI)、原油価格(ドバイ)、原油価格(ブレント))


日本の国別原油輸入のブラフを見ると、その30%がサウジアラビアである。そして、その90%近くが中東諸国である。その全輸入量はといえば、米中に次いで世界第3位。

原子力発電所を事実上失ってしまったような日本の石油への依存度は極めて大きいと同時に、死活問題である。



サウジアラビアの経済が発展して自動車やエアコンが普及するほど、同国の石油消費は増大する。そして、それは日本を圧迫する。

経済発展という言葉は甘美な響きを持つものの、その裏には有限な資源を使い尽くしてしまうかもしれないという恐怖も隠されている。

有限なものに「終わり」が見えてくれば、誰かのプラスが誰かのマイナスになり、それはいずれ奪い合いを生むことにもつながりかねない。



振り返れば、人類の文明は「消費の歴史」でもあった。

かつての中東地域は農耕発祥の地(メソポタミア)と言われるほどに豊かな大地に恵まれ、レバノンなどは立派な杉が自慢であった。

そうした大自然の恵みが使い尽くされると、人類は決まって「移動」した。中東からヨーロッパへ、そして大海を渡りアメリカへと。

それでも有限なものは有限であり、自然の再生のスピードよりも消費のスピードが速ければ、それは当然なくなってしまう。



地上のものが少なくなった時、人々の眼は地中に向いた。

掘れば掘るほど「資源」が出てくるではないか。石炭、石油、天然ガス…。幸か不幸か、これらの宝物は人類の消費のスピードを一気に加速させた。

それでもやはり有限なものは有限であり、それらの宝物を得るには今までよりずっと深い場所や氷の海の底まで潜らなければならなくなってしまっている。



さて、今度は何を使おうか?

それとも、別の星に「移動」しようか。



野生の動物は足元のものを食べていれば、それで事足りる。

足元のものがなくなったら、ただ死ぬだけだ。



賢い人間は足元のものだけに決して満足しない。

もちろん、むざむざと死にゆくことも。

さて、今度はどうしよう。



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posted by 四代目 at 09:46| Comment(0) | 石油 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

石油になり損ねた資源たち。二酸化炭素と生物による堂々巡りの物語。


「石油」になりきれなかった落ちこぼれが「天然ガス」で、そのまた落ちこぼれが「オイルサンド」や「シェールガス」だと言うが…。



そもそも、石油や天然ガスなどの燃料は「化石燃料」というだけあって、死んだ動植物が海底などに蓄積してできたものである。

なぜ、死滅した動植物が海底に大量蓄積したのかと言えば、昔々の海底には「酸素」が十分になかったために、動植物の死骸を分解する生物が住んでいなかったからである。

そのため、分解されない動植物たちの屍(しかばね)は延々と積み重なり、分厚い堆積物が海底を覆うことになったという。



それらの大量の堆積物は、ゆっくりと熟成されて「石油」となった。

石油となるための条件は意外と厳しく、適正な温度や圧力、貯留場所などの幾多の条件がそろった堆積物だけが、晴れて「石油」となれたのである。



当時、「テチス海」という大海が存在していたのだが、その大海は偶然にも石油が熟成される好条件を全て備えていた。

そのテチス海こそが、現在の中東地域である。カスピ海や黒海はテチス海の名残りであり、アラブ地域一帯は、干上がったテチス海なのである。



さて、惜しくも条件がそろわずに「石油」になりそこねたモノたちはどうなったのか?

一部は深く海底に潜り込み、高温にさらされた結果、「天然ガス」となった。



石油にも天然ガスにもなりそこねたモノたちは、「岩や砂」などに紛れ込んだまま、長い間放置されていた。

最近騒がれている「シェールガス」は、岩(頁岩・シェール)に紛れ込んだ天然ガス成分であり、「オイルサンド」は、砂(砂岩・サンド)に潜り込んだ石油成分である。



つまり、石油というのは最高に良い条件かで生成されたものであり、天然ガスはそれに準ずるものである。

そして、シェールガスやオイルサンドは、まとまった形では生成されなかったが、それなりの範囲に散らばって存在することとなったわけだ。



当然、まとまりのある石油や天然ガスを採掘する方が、容易であり効率的である。

一方、散らばって存在するシェールガスやオイルサンドは、採掘が非効率・困難であるため、採掘過程で排出される二酸化炭素の量は、原油の3倍近くにも上り、環境への負荷も大きなものとなる。

しかし、非効率だからといってシェールガスやオイルサンドの採掘に二の足を踏んでいる暇はない。なにせ、従来型の石油や天然ガスには限界が見え始めているのだから…。




地球の歴史を遡れば、石油や天然ガスは大気中の炭素が固定化されてできたものであることが判る。

その時代の二酸化炭素は、現在の4倍も5倍も高濃度で存在しており、そのために地球が大いに温暖化し、多くの生物たちを死滅にも追いやった。

その大量の亡骸(なきがら)こそが、石油や天然ガスとなったわけだ。大量の二酸化炭素が大量の生物を殺し、その大量の死骸が石油・天然ガスなのである。



大量の犠牲の末、多すぎた二酸化炭素は石油や天然ガスとして固定化され、大気中の二酸化炭素は減少し、生物たちの生存に適した地球環境が出来上がる。

生物たちを死に至らしめた多すぎる二酸化炭素は、ある意味、生命にとっての悪役でもあったわけだが、その悪役は石油や天然ガスという形で、地中深くに封じ込められたことにもなる。



そして現在、我々はその封じ込められた悪役の封印を解き、再び地球上にまき散らすことに忙しい。

その結果…、温暖化は再び加速を始めているのかもしれない。

今や、悪の親玉的存在の石油・天然ガスのみならず、子分的存在のオイルサンドやシェールガスまでが、その封印を解かれ始めている。



かつて、生物たちを死滅させたという二酸化炭素。

石油・天然ガスとして封印されたと思っていたら、人類はセッセと掘り返し始め、見事に掘り尽くそうとしている。



はたして、今後の地球環境はいかに変容するのであろうか?

我々の知恵は、化石燃料に頼る程度にしか発達していないのであろうか?

過去に依存する限りにおいては、地球規模の大々的な堂々巡りが再び繰り返されることになるのかもしれない…。




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posted by 四代目 at 06:42| Comment(0) | 石油 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

かつては原油の黄金時代を謳歌したアメリカは、現在、原油の言いなりになっている。栄枯盛衰のアメリカ・原油の歴史。

アメリカには「ワイルド・キャット(Wild Cat)」という言葉がある。

文字通りの「ノラ猫」から転じて、「一か八かで石油を掘る山師」という意味である。

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石油業界では、「ワイルド・キャッター」に一目置かれる。あるかないかも分からない石油を見つけるために、果敢に大金を投じるからである。

「20回連続して外れても、21回目に何か見つかるかもしれない。実際にそういうことも起きている。」



その賭けに勝てば……。

「テキーラをストレートで4杯飲み干したように『興奮』する。」

「スイート原油(硫黄1%以下の特上モノ)が地下から出てきた時の『匂い』は最高。思わず飲んじまった。」

まさに「黒いダイヤ」が地中から、勢いよく噴出するのである。



石油業界には、「一攫千金」のイメージが強いため、その評判は芳しくない。

「石油メジャーのエクソン・モービル社が、『一週間』で稼ぎ出す額は、ハリウッド映画『一年分』の興行収入に匹敵する」と言われるのだから無理もない。

そのため、石油の価格が高くなると、石油業界は「悪者扱い」される。

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しかし、「石油業界の誰もが大儲けしていると思うのは、大間違いである」。

「巨額の投資をしなければ、ガソリンが手に入らない」ということも忘れてはならない。

さらに、エクソン・モービルの「株主」は一般のアメリカ国民だということも忘れられがちだ。「エクソンを批判するのは、隣に住んでいる人の陰口を言うようなものである。」



しかし、それでもアメリカ国民の多くは、「ガソリンを安く手に入れるのは『当然の権利』であり、エネルギーは『使い放題』」だと固く信じている。

この「誤解」が、現在のアメリカを窮地に陥れている。

今回は、その歴史を振り返ってみようかと思う。



アメリカで「石油の黄金時代」が始まったのは、1930年代、テキサス州にて「巨大油田(イーストテキサス油田・70億バレル)」が発見されたからである。

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この油田から溢(あふ)れ出る石油は、ガソリンの「価格破壊(1バレル10セントまで下落)」を巻き起こした。

この好ましからぬ状況に、「軍が動員され、油田は一時的に閉鎖」。「生産規制」による、「価格統制」が始まった。

一ヶ月に8日間しか掘れなくなり、産出能力の「4分の1」にまで生産は制限された。この結果、ガソリン価格は、「1バレル3ドル」まで上昇した。



こうした原油の価格統制は、オイルショックの起こる1973年まで継続され、その間、世界の原油価格は「アメリカに支配されて続けた」。

この期間は、アメリカにとって夢のような時代であった。

ガソリンは非常に安く、需要は伸びる一方。アメリカは世界一の産油国になると信じて疑わず、全国の幹線道路は、「アメリカが永遠に世界一の産油国」であることを前提に張り巡らされた。

「ありあまる石油」は、世界中に輸出してやるとさえ思っていた。



専門家たちは、1970年代にアメリカの石油はピークを迎え、「減少に転ずる」と警告していたにもかかわらず、浮かれたアメリカ国民は、その話を真に受けなかったようである。

夢の中にいたアメリカ国民にとって、石油を輸入するなどとは夢にも思っていなかったのであろう。





そして、1973年、ついに運命の「オイルショック」が起こる。

石油業界からアメリカを追放しようと試みる「中東諸国」は、アメリカへの石油輸出を停止。

国内の石油生産が下り坂にあったアメリカは「万事休す」であった。世界の産油量の半分を占める彼らに、アメリカは何の抵抗する術(すべ)も持たなかったのである。



石油価格は、従来の2倍の「1バレル6ドル」にまで急騰。

アメリカのガソリンは極端に不足し、スタンドに並んでもガソリンが手に入らなくなった。

中東諸国は、世界中の人々を「人質」にとって、価格の統制権をアメリカから奪うことに成功したのである。

原油価格は、ついには10倍の「1バレル30ドル」にまで跳ね上がった。



この危機的状況に、アメリカは痛く反省した。

フォード大統領は、アメリカ国民に訴えかける。

「アメリカは石油の3分の1、エネルギー総量の17%を我々が管理できない外国資源に頼っている。

これからは、将来の子孫の世代のために、太陽光、地熱、風力、水力を使った発電を主要なエネルギーに転換してゆく。」



もし、この時のフォード大統領の政策が継続されていれば、現在の世界は違う形をしていたかもしれない。

しかし、残念ながら、手痛いオイルショックを経験してもなお、世界の石油依存は強まってゆくのである。



原油価格の急騰により、「ワイルド・キャッター」たちは、「原油価格が上がり続ける」と思い込んだ。そのため、採掘への投資が「過剰」になった。

ところが、原油価格は3分の1の「1バレル10ドル」に暴落。

原油価格は「1バレル20ドル」が「採算ラインぎりぎり」と言われていたのだから、その半額になってしまっては、手も足も出ない。首をつるしかない。

アメリカ国内の石油会社はドミノ倒しのように倒産し、「アメリカ国内に4,500もあった油井は、900にまで激減した」。

アメリカのエネルギー供給量は、従来の20%にまで落ち込んだ。失業者も尋常でない。20万人もの人々が路頭に迷った。



この大混乱を引き起こしたのは、レーガン政権で副大統領を努め、のちに自らが大統領となる、「ブッシュ(シニア)」氏である。

レーガン大統領は「国内のエネルギー増産」を目標としながらも、結果的に上記のような国内油井の壊滅を招いてしまう。

それもこれも、副大統領のブッシュ(シニア)氏が、サウジアラビアを訪れて、「原油の増産するよう説得した」ためであった。

その結果が、原油供給の増大、そして、原油価格の暴落であり、アメリカ国内の石油産業破壊、そして、大量の失業者である。

アメリカで盛り上がりかけていた、自然エネルギーへ気運は、一気に消火された。



これは、ブッシュ(シニア)氏の失策なのか?

彼の思惑は別のところにあった。「対ソ連」である。

当時、アフガニスタンで不穏な動きを繰り返すソ連に、アメリカは警戒していた。「ホルムズ海峡を爆撃して、アメリカへの石油供給を遮断するのではないか?」と。

中東の石油はアメリカの生命線である。恐怖に陥ったアメリカは、民主・共和の両党が一致団結して、CIAを巻き込んだ大作戦を展開した。これは「アメリカ史上、最も成功した秘密工作」と言われている。



原油価格の暴落は、見事に功を奏す。

世界有数の石油輸出国であったソ連は、財政的に大打撃を被(こうむ)り、アフガニスタンへの戦費を賄えなくなる。

そして、ソ連は崩壊への道のりへと進んでいった。



しかし、ソ連の野望を打ち砕いたアメリカも「満身創痍」であった。

先に述べたとおり、国内の石油産業が壊滅し、石油のかわりに「失業者」が街に溢れたのだ。

これ以降、アメリカは中東の石油なしでは生きていけない中毒患者と化した。



石油の安定確保のためには、中東の政治状況のバランスを保つ必要があった。

中東地域の主要五カ国、イスラエル・エジプト・シリア・イラン・イラク。「いずれか一つが弱くなりすぎても、強くなりすぎても都合が悪い。」

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イラン・イラク戦争において、アメリカは「どちらか一方に肩入れしないように、あらゆる種類の物資を双方に供給した」。

1991年の湾岸戦争においては、「バクダッドまで攻めこまないと決めた」。

アメリカの外交政策は、「石油の安定確保」が最重要課題となっていたのである。

「アメリカは石油が欲しいだけ。どこから買うかはどうでもよい。」と世界に批判された。



アメリカでは、「エクソン・モービル」や「シェブロン」などの大企業が、「莫大な量の石油を持っている」と思われているが、じつはそうでもない。

彼らが採掘した外国の石油は、産油国により結局は「国有化」されてしまうのである。

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石油業界の上位のほとんどは、そうした「国営企業」ばかりであり、エクソン・モービルは「17位程度」に過ぎない。

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さらに、アメリカには「石油の精製施設」が充分にない。なぜなら、規制が厳しくて利幅が少ないからである。

アメリカの原油といえども、一度国外で「精製」してから、再び国内に戻さなければならないのである。その経費を考えれば、なかなか手が出せる業種ではない。

ただでさえ少なかった国内の精製施設は、2005年のハリケーン(カトリーナ)により壊滅した。

国内で石油が採れながらも、国外で精製するしかないジレンマは深まるばかりである。



アメリカでは、エネルギー問題は「眠っている犬」と言われてきた。

眠っている間は、「無理に起こすと厄介な問題が生じる」として、アメリカの政治家たちは問題解決を「敬遠」していたのである。

しかし、そうこうしている間に、アメリカの海外へのエネルギー依存は深刻化し、その安定化のためには、「戦争をも厭わない」という暴挙も黙認されてきた。

しかし、近年ではアメリカの財政赤字の増大にともない、「戦争という大技」も使いづらくなってしまっている。

かつてのソ連のように、アフガニスタンの戦費が賄えなくなってきているのである。このままの路線でいけば、かつてのソ連のように、アメリカも崩壊しかねない。



オバマ大統領は、グリーン・エネルギーへの転換を主張する。

これはアメリカにとっての理想ではなく、差し迫った恐怖を克服するためである。

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石油の供給体制は、アメリカの意図とは遠くかけ離れてしまい、もはや全く自由のきかない分野となってしまったのだ。

アメリカは自由の旗印のもと、民間によるガソリン保有を認めてしまったがゆえに、無理を通す他国の国営企業との競争に敗れてしまった。

「中国・ロシア・イラン・ベネズエラが一丸となって、アメリカを抑えこもうとしている。軍艦や戦闘機ではなく、『石油を武器』に経済的に制圧しようとしている」

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アメリカの石油を巡る歴史は、世界の歴史そのままである。

「せっかく正しい道に軌道修正しても、石油の価格が下がった途端に、間違った道に戻ってしまう」

1930年代の国内石油の全盛は、オイル・ショックによって痛く反省させられた。

それでも豊富な中東油田に依存することにより、再び石油全盛を謳歌した。そして、「みんな安心してしまった」のである。

ところが、そんな他国依存の石油供給体制は、アメリカを完全に包囲してしまった。



現在のアメリカの選択肢は、そう多くはない。

それでもなお、世界一エネルギーを浪費する国民が、いまだにエネルギーは使い放題だと思い込んでいる。

ジョーンズ氏(緑の雇用)は言う。

「誰かを非難しても、何も生まれない。私たちの問題追求の姿勢を変える必要がある。」



石油依存脱却への好機は、歴史上何度かありながらも、他へ他へと石油を求め続け、問題は悪化を続けた。

もはや、新たな原油は、深海1000メートル以下か、氷河の中にしか存在しない。

アメリカ国内の石油産出量は、「着実に減っている」。その関係者ほど、「石油が永遠に出続けないと誰よりも知っている」。



「世界は新たな『ワイルド・キャッター』を必要としている。

今度は、再生可能エネルギーを発見する『ワイルド・キャッター』をね。」

現在の原油価格の高騰は、ある意味、「新たなチャンス」である。



太陽光のエネルギーは、一日15万テラワット。

これは、世界の消費するエネルギーの「10万倍」である。

現時点では、「無限」といえる量である。

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「有限なモノ」への依存は、いずれ「争いの種」となることは歴史の証明を待たない。

石油の歴史は、再び繰り返す(2度あることは3度ある)のか?

それとも、新たな一歩を踏み出す(3度目の正直)のか?



「アメリカという魅力的な女性は、チョコレートの食べ過ぎで、太りすぎてしまっている。」

石油を燃焼させる前に、たまりにたまった「脂肪」を燃焼させる必要がある。

「格下げ」に「逆切れ」している場合ではないはずだが……。

二大政党の内輪モメは、まだまだ続きそうだ。かつてソ連を崩壊へと追いやった一致団結は、現在は望むべくもない。




出典:BS世界のドキュメンタリー
シリーズ エネルギー革命
 「アメリカ 脱石油依存への道〜石油王たちに問う」


posted by 四代目 at 11:53| Comment(0) | 石油 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする