2013年06月17日

「情」の日本人。絵文字とオノマトペ



「これは『顔文字』なのか? 『誤植』なのか?」

今から150年ほど前(1862)、ニューヨーク・タイムズ紙が掲載した「リンカーンのスピーチの写し」には、「;)」が含まれていた。

顔を横に傾けて見ると、その誤植ともとれる記号は「ウインクして笑っている」ように見えた。

この頃、コンピューターはまだ登場以前、「タイプライターの時代」であった。







それから50年後(1921)、アメリカの作家「アンブローズ・ビアス」は、高笑いとの記号として「 \___/! "」を提唱(これは「笑っている口」を表している)。

そして今から30年前(1982)、アメリカIBM社の「スコット・ファールマン」教授は、「 :-) 」という文字列を「冗談の印(笑い)」として記した。また、「 :-(」は「怒り」を表していた。

ところ変わり日本では、最古の顔文字として「(^_^)」が若林泰志氏により投稿されている(1986)。



なるほど、コンピューターの黎明期(もしくはタイプライタの時代)から、人はすでに文字を「絵」として扱っている。

そして、それはすでに日米の文化的違いをも端的に表している。具体的には、アメリカの顔文字が「口の形」で感情を表しているのに対して、日本人は「目の形」でそうすることを好む。

社会心理学者・結城雅樹(北海道大学)氏の日米で行った実験によれば、「他者の感情を表情から判断するとき、アメリカ人は『口の形』を、日本人は他者の『目の形』を主な手がかりとすること」が実証されている。






◎顔文字



欧米型の顔文字は「スマイリー(smily)」または「エモーティコン(emoticon)」と呼ばれる(エモーティコンというのは「emotion(感情)」と「icon(記号)」の混成語)。

そして、それはなぜか「横倒し」になっている。



笑顔 :-)

悲しみ :-(

冗談(舌を出している) :-P

驚き :-O







欧米の場合、アルファベットや記号などの「1バイト文字」しか使えないが、日本の場合は、ひらがなや漢字といった「全角文字(2バイト)」も使えるため、そのバリエーションは豊富で感情豊かである。



笑い (^▽^) 

喜び ヽ(´▽`)ノ♪

怒り (#`Д´) 

泣き (T_T) 

落胆 _| ̄|○ 

驚き Σ(@Д@) 

謝罪 m(_ _)m

別れ (*・ω・)ノ~~~



確かに欧米型の目がいつも「:」なのに対して、日本型の目はクルクルと変化している。しかも「横倒し」ではない。

さらには、文字も効果的に付与される。



笑い (・∀・)ニヤニヤ

喜び キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!

怯え (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

余裕 ( ´_ゝ`)フーン










◎アスキー・アート



そして顔文字が「複数行」に幅を広げると、「アート」になった。



ギコ猫

∧ ∧
(,,゚Д゚)



モナー

 ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエモナー
(     )  \_____
 │ │ │
(__)_)



みかん箱
____ ∧ ∧
|\ /(´〜`)\
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |=みかん=|
\|_____|



これらは「アスキー(ASCII)」という文字コードを用いて始められたことから「アスキー・アート(AA)」とも呼ばれる。

だがもちろん、日本人はそれら半角文字(1バイト)ばかりでなく、得意の「全角文字(2バイト)」を使うことにも長けている。










◎スタンプ



絵文字の感情表現からはじまりイラストまで、日本型の文化は、どうしても「感情」を表現せずにはいられないようである。

おそらくそうした素地が「スタンプ」を日本が大流行させたのであろう。その立役者となったのは、韓国のネット大手NHNが開発した「LINE(ライン)」というスマホ向けのアプリ。



「スタンプ」というのは、漫画のようなキャラクター画像である。

マンガやキャラクターの文化は日本に根深いことから、アプリLINEの「スタンプ」にはお馴染みの顔がズラリと並ぶ。ドラえもんやキティちゃん、アンパンマンはもちろん、リラックマやくまモンなども。

こうしたスタンプの表情豊かなキャラたちが、言葉にできない感情までをも文字メッセージに添えてくれる。






先日の「ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)」には、アメリカでこれらスタンプが「人気拡大」とあった。

「学生のターニャ・シチンスキーさん(19歳)は、『疲れている』と友人に伝えたい時は、もうテキスト(文字)を使わない。『ニコニコしながらマグカップを持っているネコ』のイラスト画像をスマホから送る(WSJ)」

「子供もち、在宅で仕事をするキリン・ブラウンさん(23歳)は、夕食作りに失敗すると、スマホで『炎の上がったオーブンから逃げる女の子』のイラスト画像を母親に送る(WSJ)」



「現代においては、テキスト(文字)メッセージだけでは、『考えや感情』を伝えるには十分でないようだ(WSJ)」

「今や『複雑な感情』を伝えるのに、文章を書く必要はない。『あどけない目をした子犬』や、『満足気な顔をしたウサギ』などの小さなイラスト画像で表現すれば済む(WSJ)」

アプリ「LINE(ライン)」の処理するスタンプは、いまや7億を超えており、先月(4月)の2億5,000万から急増中だという(約3倍増)。










◎数千の言葉



「一つのスタンプは『数千の言葉』に値する」

交流サイト「Path(パス)のCEOデーブ・モリン氏は、そう語る。

Facebook(フェイスブック)も、昨今のトレンドにならって「独自のスタンプ」を開発しているという。ちなみに、CEOマーク・ザッカーバーグ氏は「親指を上に向けたイラスト」、すなわち「いいね!マーク」の大きくしたアイコンを「プロジェクト承認」の合図にしているという。



Facebookのスタンプ開発を手助けした心理学のダッチャー・ケルトナー教授(米カリフォルニア大学)は、

「スタンプは人間の『記号好きな心理』をついている」と指摘する。

「われわれは『超記号的な種族』である。テキスト(文字)的なコミュニケーションは『直列』だが、人間的なコミュニケーションは『並列』だ」とケルトナー教授は語る。



ケルトナー教授の言う通り、文字は「順序よく」並べないと意味をなさない、もしくは誤解を生んでしまう、いわば「直列的」である。

それに対して、スタンプなどの画像は順序よく並んでいなくとも、それなりの意味は生まれてくる。いわゆる「百聞は一見にしかず」といったものであろう。



「大衆文化は『視覚化』しているので、スタンプなどを使用することで、より視覚的になっていることは意外ではない」

言語学のナオミ・バロン教授(アメリカン大学)は、そう言う。

「われわれは以前よりも、はるかに『図形文化的』になっている」



絵文字やスタンプに慣れた世代は、「テキスト(文字)ばかり」の味気ないメッセージを「退屈だ」と感じるようである。

人によっては文字だけだと「冷たい」とも感じるようで、そこに「絵」を加えることで「暖かみ」を添えるのである(^ω^;)。

「人はよくテキスト(文字)を読み誤る。でも、『ハートを持ったかわいらしいウサギ』なら、誤解を招く余地はほとんどない」と、スタンプ愛用者のブラウンさんは話す。










◎オノマトペ



日本語には「オノマトペ(擬音語)」と呼ばれる言葉がある。

これは「絵」ではないが、マンガなどでもよく見られる「ぐぉーっ」や「べちゃ」、「ドッカ〜ン」など、文字による「絵的な表現」だ(日本語には約5,000語があると言われている)。

そのオノマトペが、今の日本で「急増」しているという。







たとえば、コンビニの商品に「もちもち」というオノマトペをくっつけると、売り上げが「5倍に増える」というデータがあるそうだ。その結果、コンビニの棚には「もちもち」であふれかえっている。

大手コンビニチェーンの担当者いわく、「ふんわりとか、サクッとしていない商品は、たいてい『もちもち』ですね」。



こうした「美味しさ」を表す言葉は、時代によって変遷するようで、かつて人気を博した「コシのある」や「舌ざわりのよい」という言葉の人気は急落。

いまは「もちもち」「もっちり」の時代だそうだ(BMFT「おいしいを感じる言葉2012」)。







「スポーツ」の世界でも、オノマトペが脚光を浴びているという。

「『ずいずい』行くなよ、『ぐいっ』とだ!」

そう指導するのは、福島大学の陸上部、川上和久監督。

「なんか『ぽんぽん』跳んでるじゃん。『ぐいぐい』だよ、もっと『ぐいっ』と!」



もし「ぐい」という言葉を使わずに、同じイメージを説明するとしたら

「足首を曲げて、ヒザを下に向けて、そして今度は自分の重心を前にやった時に逆のヒザを引き上げて、それを地面と水平になるように…」

と、長たらしくなって、結局イメージは伝わらなくなってしまう、と川上監督は言う。







陸上の「理論」はこの10年で「頭がくらくらする」ほどに複雑化してしまっているそうだ。

その結果、監督がチェックしなければならない動きのポイントが「30倍」まで増えてしまい、もはや「普通の言葉」では選手にそれが伝わらなくなってしまった、と川上監督は言う。

そして至った言葉が、「ぐいっ」といった「オノマトペ(擬音語)」だったという。つまり、川上監督は複雑怪奇な理論をグルっと一周して、じつにシンプルな表現に落ち着いたのであった。



だが問題はあった。

監督の言う「ぐい」と、選手の感じる「ぐい」のイメージ(感覚)が同じとは限らない。

その食い違う両者のイメージを近づけるため、選手は自分の「ぐい」と監督の言う「ぐい」のイメージを擦り合わせる必要がある。つまり「イメージの共有化」を図らなければならない。

ただ、それが出来たときには、数千の言葉に優る「ぐい」にもなるのであった。










◎言葉とイメージ



絵文字やスタンプは、その「形やイラスト」に自身の感情を託す。

そしてオノマトペ(擬音語)は、脳裏に浮かぶイメージ、または感情を「言葉」に還元しようとする。



「たとえば、『ズンズン』と言えば、単に急いでいるだけではなく、かなり気持ちが高ぶっているような『大胆なイメージ』になる」と、慶応大学の今井むつみ教授は言う。

「すたすた」とも違うイメージが確かに「ズンズン」にはある。ともに歩く行為を言葉にしているのだが、それぞれの喚起するイメージは明らかに異なる。



人の感情は時として言葉にならない。そして、それを無理に言葉にしようとすると、人それぞれに表現が異なってしまう。

たとえば、ある女性は「それまで漠然と感じていた言葉にできない不安」を「むにょむにょ」と表現した。

「頭の中が『むにょむにょ』するときがあって…」



そうした患者の話を聞く田中恒彦さん(滋賀医科大学附属病院)は、こう話す。

「『ザザッ』ていう不安と『もわーん』という不安もあれば、『ゾゾッ』という不安もあります」

一人でいると孤独感が募るという男性は、その時「シャワーを浴びたように、頭の中が『ワーッ』となる、と表現したという。



社会が複雑さを増せば、人々が心に感じる不安や感情も、ますます複雑にならざるを得ないようである。

ただ、それを「適切な言葉」で表現できた時、人は楽になれるのだ、と医師・田中さんは言う。



言葉にならなかった不安を「むにょむにょ」という言葉にした女性は、その表現のおかげで、そのむにょむにょな不安をコントロールできるようになったと話す。

「『むにょむにょ』した感覚の中に入っていって、そこでじーっとしていたら、だんだん『むにょむにょ』が消えていったんです」






◎情の言葉



人の脳は、イメージを感じた時に、その働きが「総動員」されるという。それは絵文字やスタンプ然り、オノマトペ(擬音語)然りである。

すなわち、それらイメージにはそれだけの「膨大な情報量」が含まれている、ということである。まさに、スタンプ一個が、擬音語一つが「数千の言葉」に匹敵するのである。



だが、そこに「誤解」がないわけではない。

「ぐい」一つにも、多様なイメージが喚起され、「むにょむにょ」一つにしろ、肯定的から否定的なイメージまでが含まれるのである。



「感情の世界」はかくも広大無辺であり、多種多様である。逆に、その世界が「言葉だけ」に収まると考える方が不自然である。

この点、絵文字もスタンプもオノマトペも、絶対的に不足する「言葉」の世界を拡張してくれるものであろう。

論理的な言葉が「知」の分野を担当するとすれば、絵的イメージ的な表現は「情の言葉」である。



「日本民族は『知』が不得手である。その代わりに『情』を大切にせよ。日本民族は人類の中でもとりわけ『情の民族』だ」

そう言ったのは、偉大な数学者「岡潔(おか・きよし)」氏である。







数学という「知」の世界の最前線、岡氏はフランスで「幾何・代数・解析が三位一体となった『美しい理論』」を見事に展開してみせた。

その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の世界ではそれが「たった一人の数学者」によるものだとは到底信じられず、長らく「岡潔」というのは有能な数学者集団のペンネームかと思われていたそうだ。



岡氏に言わせれば、理論の「美しさ」は「情」である。

「真善美」において、真は「知」に、善は「意」、美には「情」が対応すると岡氏は考えていた。

数学者としての岡潔は、まさにその「情」をもって数学的「知の世界」を説明してみせたのであった。










◎無分別の「情」



「純粋な日本人」ともいわれる岡潔氏。

「知」が分別、すなわち分離を促すとすれば、「情」は無分別、すなわち統合をもたらすと彼は言っている。

仏教的な考え方でいえば、自分と他人を隔てる分別が「無明」、すなわち苦しみを生みだす元となる。



仏教者でもあった岡氏は、西欧の分離的な「合理主義・物質主義」によって、「情の民族」であった日本人が「無明」に位置してしまった、と嘆いている。

論理的な言葉は一見わかりやすいものの、その鋭さによって物事のイメージは切り裂かれてしまっている。



一方、情の言葉は「説明をしたがらない」。

「落語家が説明してたら、おしめぇだ」と3代目三遊亭圓歌氏は自嘲する。

ノーベル賞文学賞の大江健三郎氏は、「芸術家がやってはならないこと。それは説明です」と言っている。



彼ら芸術家たちは、感情を表現しようとする人々。

その彼らは言葉を用いながらも、説明的な「知の要素」は極力抑えようとしているのである。

そして、日本人の得手とする「情」を全面に押し出そうと努めているのであった。










◎知と情



「コンピューターという世界」は、まったく論理的な世界であり、それは「言葉の世界」も同様である。

コンピューターの言葉は、一文字の間違いも許さない。すぐに「誤解」してエラーを表示する。よりルーズな人間の言葉でさえ、ケルトナー教授の言う通り「直列」であり、その順序がなによりも重んじられる。



そんな「知の世界」に割り入ってきた絵文字、そしてスタンプ。

それらはまさに「情」。日本人が世界に先駆けて、それらを好んで用い始めたのは、日本人が岡潔氏の言う通り「情の民族」だからであろうか。

そして今や、欧米社会もそれを盛んに取り入れているのである。「分別」を何より好む彼らまでが。



だが面白いことに、絵文字「 :-) 」の生みの親ともされるスコット・ファールマン氏は、こうした状況に肯定的ではない。

「ときどき自分が『フランケンシュタイン博士』のように感じる」

「自分が生み出した生き物は、当初は害のないものだった。だが今や、自分が許可していないところにまで行ってしまった」と。



自ら生み出した「エモーティコン(感情記号)」に感情的になっているファールマン氏。今の彼は、首をかしげた「 :-(」である。

彼は世界的に大流行するスタンプを「醜い絵文字の大型版だ」とまで蔑む。

どうやら、典型的な欧米人「知の人」であるファールマン氏にとって、あまりに感情的になりすぎた世界は、どこか住みづらさがあるようだ。










◎統合と分離



一方、潜在的に「統合思考」のある東洋の島国に、そうした懸念は一切ない。

ネットで「もふもふ」と言われる言葉は、ただの「ふわふわ」とは異なり、より暖かみと厚みを感じさせる。こうした言葉は、日本語のシステムから無限に生み出すことができる。



「やっぱり日本語っていのが、『情感』を尊ぶ言葉であるということなんじゃないでしょうか」と、明治大学の小野正弘教授は話す。

「伝統的な美意識を表す『あわれ』に『おかし』、『わび』『さび』、全部が情感的な言葉なんです」







ただやはり、「情」ばかりでは言葉が成り立たない。情ばかりでは「意味」から遠ざかってしまうこともある。

「やっぱりバランスを考えて、『論理の言葉』と『情の言葉』を車の両輪のようにして表現力を高めていくのがいいんじゃないかと思っています」と小野教授は語る。

確かに、スタンプ一個だけ相手に送るのは、「送り主が文字を入力したり、話したり、はっきり言うのを面倒くさがっている」ようにも感じさせる(WSJ)。



説明する言葉が、論理的かつ分離的であるとしたら、スタンプや絵文字ら「図形的な言葉」は、感情的かつ統合的である。

かつて「論理一辺倒」だったコンピューターの世界は、それを理解できる「1%の人々」の所有物だった。そしてその狭かった世界を「残り99%の人々(rest of us)」に解放したのは、「より直感的な」アップル社だった。ご存知、iPhoneとiPadの生みの親である。

そして、直感的・感情的な人々に解放されたその世界は、その人らの手によって絵文字やスタンプの爆発的な普及につながった。



「知」から「情」へ。

分離から統合へ、その世界は確実に動いている。

その立役者が日本人というのも、いと「をかし」。













(了)






関連記事:

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感情と理性の対立は避けられないのか? マシュマロに学ぶ感情と理性の統合術。

無味乾燥なものに「色」が見える不思議な「共感覚」。分析から統合へ。



出典:

The Wall Street Journal
「感情を絵で表すスマホの『スタンプ』、米国でも人気拡大」

NHKクローズアップ現代
「”ぱみゅぱみゅ””じぇじぇじぇ” 『オノマトペ』大増殖の謎」

posted by 四代目 at 09:03| Comment(0) | IT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月04日

時代に乗り遅れた巨人インテル。逆襲の海賊旗


「インテル内の異端分子」

それは、マイクロプロセッサーの巨人「インテル(Intel)」が招き入れた「マイク・ベル」のことだ。



「バクチを打つこともあるが、基本的にインテルはお堅い会社だ」

揃いも揃って「黒いノートパソコン」を手にして通路を行き交うエンジニアたち。彼らは皆、さえない色の服を着て「窓のない会議室」にほぼ一日中こもったまま、あまり音を立てない。

「総じてインテルのオフィスの内装は、無味乾燥なICチップの中身に似ている」



そこに突如として翻る「海賊旗」。

そのド派手な旗の元で、異端分子「マイク・ベル」は「早口でまくしたてて、よく笑う」。しかも、着ている服は「アロハシャツ」。

「法を犯さない限り、どんな決まりごとも破っていいとポール(インテルのCEO)に言われているんだ」とベル。



過去17年間アップルに巣食っていたベルは、2年前にインテルに引き抜かれた。それは携帯電話・スマートフォンの大波の上に巨人インテルを勇躍させんがためであった。近年急成長するこのモバイル分野において、残念ながら巨人インテルはすっかり乗り遅れてしまっていたのだ。

無味乾燥なオフィスに突然打ち立てられた海賊旗。

そう、それはインテル反撃の旗頭だったのだ。そして、そのすべては赤毛豊かなアロハシャツの男「マイク・ベル」に託されていたのである。



◎アップルとARM


インテルがマイクロソフトと「Wintel同盟」を結んで早30年以上、その間、両社はコンピューティング業界を長らく牛耳ることとなっていた。

「インテルが市場をあまりに強力に支配していたため、アメリカやEU、韓国などから『独占禁止法』の違反容疑で訴えられたほどだ(EUからは1,000億円以上の罰金が課された)」





そんなWintelの独壇場に、iPhoneをブラ下げて現れたアップルの革命児、スティーブ・ジョブズ。彼の手にするiPhoneにはインテルのチップは入っていなかった。

iPhoneが選んだのは「ARM(アドバンスト・マイクロ・デバイセス社)」。1990年、アップルは英国のAcornと組んでモバイル向けのチップを開発。それをARMとして独立させたのだった。

その革新的なチップは、インテルのモノほど高性能ではなかったものの、「電力消費量」においては圧倒的にインテルに優っていた。そして、その省電力性こそがアップルの求めたものだった。



その後の勢力図の激変は周知の通り。

「もはや、最新の3D ゲームを高速処理できる大出力のマシンを必要としなくなった。むしろ、持ち運びができてエネルギー効率の良いデバイスがもてはやされるようになった」

iPhone、iPad時代の到来である。



インテルの最大の売りは高速処理。しかし、その高速化のために電力消費量は大きくなる一方だった。それに対して、ARMは「効率重視のためにトランジスターの数が少なく、電力消費を抑えることで発熱も抑え、クーリングファンさえ不要にした」。

どんなにインテルのチップが高性能だといえども、電気ばかり食ってアツアツになるようなものは携帯電話やスマホなどにはまったく向かない。必然的に、携帯・スマホメーカーはARMの軽いチップばかりを用いることとなってゆく。

「いまやARMのチップは、iPhoneとほとんどのAndroidフォンを含む95%以上の携帯(スマホ)に搭載されている」






◎締め出し


アップルを潤したスマホの台頭は、インテルにとっては逆に「存亡の秋」だった。

「未来に求められるのは、小さくてバッテリー駆動のチップだからだ」

従来のパソコンの売り上げが、スマホやタブレットに抜き去られてしまった今、「市場に参入すらできていないインテルは『置いてけぼり』を食らっている」。



そもそも、iPhoneやiPad、Android向けに開発された無数のアプリは、その一つとしてインテルのチップでは動かない。

「つまり、インテルは携帯電話市場から永久に締め出されることになった」

2011年において、インテルが売り上げたチップは3億3,000万個。それらのほぼすべてが従来のパソコンやサーバーに使われた。一方、ARMが売り上げたチップの数はインテルのおよそ24倍の約79億個。それらは携帯スマホのみならず、冷蔵庫から車、コーヒーメーカーにまで使われ、インテルの牙城であるサーバー市場にまで足を伸ばしてきていていた。



どうやら、インテルは昔のパソコンの上であぐらをかきすぎていたようだ。一方、小さな舟で船出したARMはすでに夢の島へとたどり着いてしまっている。

さあ大変。

そこで登場するのが冒頭の海賊旗、赤毛の「マイク・ベル」。

「法を犯さない限り、どんな決まりごとを破ってもいい」とインテルのCEOが彼に自由裁量権を与えた裏には、こんな背景があったのだ。元来インテルは「目的を達成するためには手段を問わない会社」としてもよく知られていた。

いよいよ、海賊船の船出である。



◎電話オタク


「たんなる電話オタクだよ」

ベルは自分自身をそんな風に評した。17年間アップルでエンジニアを務めていた彼は、初代iPhoneのソフトウェア開発にも関わってきた。

この「電話オタク」、それこそがインテルの渇望する存在でもあった。インテルには「半導体オタク」たちは掃いて捨てるほどいるものの、電話オタクの影はついぞ見られなかったのだ。



半導体オタクたちの作るチップは携帯電話用には適さないほど大きくて、ゴテゴテと機能を盛り込んだデバイスにしか乗せることはできなかった。

一方、電話オタクのベルは、アップルでハードとソフトを統合するコツをつかんでいた。「とりわけ携帯電話において、ユーザーが望んでいる特定の機能だけを必要最小限の電力で動かすコツ」を知っていた。



「君らに望むのは、従来のインテルとまったく違ったアプローチだ。アウトサイダー的な視点で仕事をしてほしい」

インテルのCEOは、異端分子ベルとその仲間たちにそう告げた。そして、雇いたいだけ人を雇わせ、使いたいだけリソースを使わせることにした。幸いにも「インテルは研究開発に注ぎ込めるリソースの量では他社の追随を許さなかった」。



アウトサイダーのベルが目指したのは「インテルの携帯電話」。省電力チップだけではなく、それを組み込む携帯電話本体も作ってみせると豪語したのだった。

「ソフトウェアとハードウェアの実装、テスト、そして認可申請。携帯電話づくりの経験がないインテルにとっては、かなりの難題だ」

それは「途方もない量の仕事」が発生することを意味していた。それでもベルがこの道を選んだのは、それが「進化したインテルの姿」を伝える最速の方法だと考えたからだった。

「これが弊社の携帯電話です。ご自身で動かして性能を確かめてみてください」とメーカーに示すことが一番説得力のある方法だと思えたのだ。



◎海賊たち


さっそくベルは、古巣のアップルやライバルのクアルコムなどから人材を引き抜いて、独自のチームづくりを開始した(Androidの開発者も多数雇い入れた)。

その後、ベルはチームを外界から切り離した。インテル本社から数kmも奥へと入り込んみ、そこにチーム全員を隔離したのである。ベルは、ジャンクフード、カフェイン入りの飲料、カウチ等をせっせとそこに運び込んでいた。

そして間もなく、あの「海賊旗」が掲げられるのだった(2010)。



ジャンクフードに囲まれたチームは、まるで「スタートアップ(新興企業)」のように働きまくった。

「メンバーは夜通し、もしくは週末返上で36時間ぶっ続けで働いてはカウチに倒れ込むという具合だった」

そして、その一年後に試作機は完成し、今年(2012)から販売もスタートした。中国ではレノボK800、インドではLavaのXolo X900、欧州ではOrangeのSan Diegoモデルがイギリスとフランスで販売中である。



気になる製品レビューは?

「エネルギー効率、ディスプレイ、通話品質、プロセッサーの速度など、どこを取っても『平均点以上』」という上々の評判。

iPhoneには敵わなかったものの、最初の機種として「控えめ」に設計されている割りには高品質だった。



電話機の完成を祝して、ベルはインテル本社でビアパーティーを開いた。インテルで平日からビールを振る舞われるのは初めてのことであり、さらにベルはお気に入りの音楽バンドまで呼んであった。

「あれほど多くの人がアロハシャツを着ていたのも初めてだった」

無味乾燥なICチップのようだったインテルは今、異端分子ベルの吹かせた風に酔いしれていた…。



◎パイは有限


ベルのつくったインテルの携帯電話の驚きは、その「安さ」にもあった。サムスンやHTCのモノの半値近い安値で販売されたのだ。

従来のインテルのビジネスモデルはと言えば、「高価なチップを生産して、高い利益を乗せて売る」という昔ながらのものであった。それゆえ、その収益率は極めて高く、インテルはライバルARMの24分の1のチップしか売り上げていないにも関わらず、その収益はARMの68倍も高かった。

インテルがほぼ独占しているサーバーのチップ市場では、その粗利率は80%近い。一方のARMは、ライセンス料とチップ1つにつき数%のロイヤリティをもらい受けるシステムで、スマホやタブレットなどにおける粗利率はせいぜい40%程度だったのだ。



かつて「業界のパイは有限」と見たインテルのCEOアンディ・グローヴは、インテルに「猛烈な闘争心」を植え付け、市場の独占に躍起になっていた。

「95%以上をインテル製のチップでまかなうと決めた顧客には法外な割引をする、競合他社より安く売るためには抱き合わせや値引きを強要するなど、インテルの『非情なやり方』には枚挙に暇がない」

それはひとえに、他社が売ったチップは他ならぬ自社の機会損失を意味するとして、コンピューター業界から追い出されることを恐れてきたためでもあった。



しかし皮肉にも、コンピューター業界の独占を続けたインテルは今、モバイル業界からはすっかり追い出されてしまっている。というか、まともに参加できずにいる。

ベルのつくったインテルの携帯電話が、ようやくその重い扉を開けたばかりなのである。






◎インテルの参入


「インテルの参入は想定内だが、インテルがシェアを拡大するとは到底思えない」

インテルのライバルARMのCEO、ウォーレン・イーストはそう断じる。ARMが遥かなる高みにまで達しているのに対して、巨人インテルは重たいチップを引きずったままの低空飛行をずっと続けているのだから。



かたや、「いや、携帯各社や電話メーカーは、インテルの参入を歓迎する」と考える人たちもいる。

「サムスンやアップルが定める自社デバイスの取り扱い手数料は恐ろしく高い。対してインテルは、ほとんど完成形の電話機を提供してくれる」

インテルのソフトウェアはカスタマイズが自由なばかりか、ハードウェアさえも独自ブランドで売らせてくれるのだという。

「インテルの参入により、各社はいままでの成功にあぐらをかいていられなくなるでしょう」



かつてのインテルは従来のパソコンの上にあぐらをかいているだけで良い時期が長かった。しかし、フラリと現れたiPhoneは、まったく別の土俵を作り上げてしまった。

そして今、その新たな土俵の上ではまた別の勢力があぐらをかきはじめている。そこに、新たな挑戦者となったインテルが土俵に上がってきたわけだ。海賊の旗を振り回しながら…。

日進月歩のこの業界にあっては、寸時もあぐらをかくことが許されないかのようである。



◎イノベーション


ベルの起こした風により、インテルの進化は加速している。もともとインテルは「イノベーション(革新)の速さには定評のある会社」だ。

本来の持ち味である「高速性」をさらに進化させてなお、エネルギー効率は格段に向上している。専門化によれば、新しいチップは処理能力が約2倍で、サイズは半分、効率は4倍になったという。

「インテルの提供する技術がその段階にまでくれば、電話機メーカーや携帯電話各社はインテルのチップにシフトしかなくなるだろう」とアナリストたちは予想する。



ベルもそう信じている。

「スマホやタブレットのユーザーたちは、サクサク使えて電池のもちさえ良ければ、どこの会社のチップで動いているかなど気にしない」



一時期のインテルは、高性能であればそれで充分だという「職人のワナ」に落ちてしまっていたのかもしれない。しかし、デバイスの小型化はインテルのような電力エネルギーの浪費を許さなかった。

もしリソース(資源やエネルギー)が無尽蔵であるのならば、過去のインテルはまことに正しかったのだろう。しかし今、地球上のリソースは有限であることに皆気づいている。

さらに、モバイルの魅力に取り憑かれたユーザーたちは、わざわざ小さい方へ小さい方へ、有限な方へ有限な方へと歩みを進めていく一方だ。



かつて、マイクロソフトとの同盟という大バクチを売ったインテルのCEO、アンディ・グローヴは「パイが有限だ」ということを痛烈に意識し、なりふり構わず帝国づくりに躍起になっていたものだった。

あれから30年あまりが経ち、インテルはふたたびその時の「貪欲さ」を取り戻そうとしている。



そして、その新たな旗のもとには、赤毛のベルが立っている。

「その金貨を全部オレに寄こせ!」

そんな海賊の声が今にも聞こえてきそうではないか…。










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スティーブ・ジョブズ氏の求めた「精妙な世界」は平凡な非凡さの果てに。

飛行機ができるのは1000万年後と考えられていた100年前。過去の不可能は次々と…。



出典:WIRED
「帝国の逆襲 インテルが仕掛けるモバイルチップ戦争」

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2012年11月28日

雲が社会に降りてきた。ITクラウドの巨人「セールスフォース」


「『ビジネス=ソーシャル』であることは、もはや常識なのだ」

そう語るのは「マーク・ベニオフ」。クラウド・ビジネスの巨人「セールスフォース・ドットコム」のトップである。なぜか、彼の足元にはド派手なスニーカー(スーツ姿)。

「セールスフォース」という企業は、フォーブス誌に2年連続で「最もイノベーション(革新)を起こしている会社」の第1位に選出されている。



「現在70%の企業がソーシャル・ネットワークをビジネスに取り入れており(マッキンゼー調査)、これらが生み出す可能性があるビジネス・バリューは1兆3,000億ドル(約100兆円)に達する」

ニュージャージー州のケーキ店CARLO'sなどは、Facebookで500万人ものファンをもっている。

「いま、顧客ともっと深くつながるために革命的なことが起こっているのだ」





ベニオフがセールスフォースという企業を立ち上げたのは、いまから13年前(1999)。その頃から彼は「クラウドの時代がやってくる」というメッセージを発信し続けてきた。そして、「ビジネスはソーシャル化する」と宣言していたのだ。

「まさに今、ソーシャル革命の時代が訪れた」

マーク・ザッカーバーグ(Facebook)が時代を牽引したことにより、その革命は社会全体を大きく変えた。わずか2人で起業したYelpがいまや1,000人の社員を持つようになったのも、その力によるものだ。



「従業員わずか数人の零細企業から、世界有数の大企業まで、セールスフォースのクラウド・サービスなら同じように利用できる」

高いシステムやソフトを購入する必要なない。誰もが利用でき、誰もが成功するチャンスをつかむことができるのだ。





毎年行われるセールスフォースによるカンファレンス、今年の参加者は9万5,000人。10年前の1,300人からなんと73倍もの規模に膨れ上がっている。

MCハマーやレッド・ホット・チリペッパーズが音楽をかき鳴らし(昨年はメタリカ)、元アメリカ国務長官のコリン・パウエル、ヴァージン・グループの総帥であるリチャード・ブライソンらが壇上に上がる。まるで音楽フェスティバルのようでもあり、政治集会のようでもある。

それらキーノート(基調講演)の多くが無料で提供される(学生は全セッションが無料)。有料参加者には無料でランチボックスとソフトドリンクを配布(7万2,000食)。

これほどのカンファレンスをたった一つの企業が開催しているのである(ドリーム・フォース)。別会場で行われる見本市には350社を超える大小のパートナー企業が出展しており、その出展料がこの巨大カンファレンスを支えているのである。



会場にはトヨタ自動車の豊田章男社長の巨大な顔写真もデカデカと掲げられていた。セールスフォースは日本企業に対する注目度も高いのだ。

キーノート(基調講演)で同時通訳サービスが提供される言語は「日本語のみ」。見本市のデモコーナーでも英語以外の外国語は日本語のみ。なぜか日本人への施しが手厚い。ちなみに、今回の日本人参加者は約250人。これは全体の参加者のわずか0.2%にすぎない。

それでもベニオフは、「日本のお客さま、元気ですか?」などとキーノートで言ってみたりもする。



「優秀なものに投資を惜しまない」というセールスフォース。

特に「若い人」への投資は当然である。そして、日本のスタートアップ企業にも投資しているという。

「日本は戦略的に重要な地域だと思っています」とセールスフォースのチーフ・サイエンティスト、ランガスワミは語る。「アメリカ以外でデータセンターをつくったのも日本です。日本には素晴らしいエンジニアがたくさんいますから」。

日本が大好きでよく行くというランガスワミ、「松茸の土瓶蒸しが大好きなんですよ(笑)」。



かつて、アップルの創業者、スティーブ・ジョブスが「なぜ、iPodは成功したのか?」と聞かれた時に、こう答えたという。

「みんな複雑なデバイスを作ろうとしすぎた。デバイスは極力シンプルにして、難しいものはすべてサーバー(クラウド)に置いてしまえばいい」と。

セールスフォースがやろうとしていること、そしてやっていることもそれと同じである。「複雑なものはできるだけ遠くに、エッジ(身の回り)は極力シンプルに」。そんなチャンスを提供しているのだ。



「ビジネス=ソーシャルはもはや常識だ」

ソーシャルを大黒柱にすえるセールスフォースは「社会貢献」も忘れない。

社員の労働時間の1%を社会貢献に費やし、年間35万時間以上のボランティア活動を行なっている。寄付は年間で400万ドル(約3億2,000万円)。そんなセールスフォースをフォーチュン誌は「最も社会貢献している上位12社」のうちの1社に選んだ。





かつての資本主義はどこか社会(ソーシャル)を疎外してきたようなところもある。いまやマネーは一部の富裕層たちの周りでしか回らない。

そんな世界に割って入ってきたクラウド・ビジネス。その雲は社会の隅々にまで天の恵みを降り注がせようとしているかのようである。

「無料でサービスが使える! 信じられないね!」



かつての資本主義が上へ上へと尖っていったのだとすれば、クラウドの世界は社会を横へ横へ広げてくれているのかもしれない。そして、その雲(クラウド)はもうわれわれの身近なところにまで降りてきてくれている。

その立役者の一人がこの「マーク・ベニオフ」、セールスフォースのCEOである。

ホール中央の雲状の壇上(クラウド?)を動き回りながら、大きな身ぶりで1万4,000人もの大聴衆に訴えかけるベニオフ。「まるで新興宗教の教祖のご宣託を聞きに来たのかと錯覚してしまうほどだ」。足元のド派手なスニーカーも気になる。

「ぜひ、登壇者たちに質問してほしい。顧客や社員との接し方をどう変えたのか? そして働き方をどう変えたのか?」



ある参加者は、こう言った。

「みんな未来を見つけるために、ここにやってくるんだ」



革命はすでに成された。

これからはその未来をたぐり寄せてくればいい。

ソーシャル(社会)の一員となって…。







関連記事:
株は公開すべきか否か。Facebookを襲った洗礼。

思いもよらぬ現実が展開する世界。YouTube

世界最大のホーム・ビデオの分析が示唆する、社会の知られざる姿。デブ・ロイ。



ソース:WIRED VOL.6 GQ JAPAN.2012年12月号増刊
「クラウドビジネスの巨人」

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2012年11月26日

ネット世界のデフォルト「共有・協創」。新世紀の産業革命へ


「発明家から起業家への道のり」

それはかつて遠く険しいものであり、おいそれと庶民が手を出せるものではなかった。

たとえば、イギリスの産業革命の時代、蒸気機関を発明したジェームズ・ワットは「特権階級」に属していた(父親は貿易商人)。だからこそ、彼のヒラメキは大発明とも成り得たのである。

「ごくマレに突拍子もないアイディアでひと山当てようとするする人々もいたが、たいていの場合、大金持ちになるどころか、一文無しになってしまうのが関の山だった」



では、何の苦もなく「ウェブの恩恵」にあずかれるようになった現代はどうか?

「アイディアとパソコンさえあれば、どんな子供でも世界を変える企業の『種』を生み出せる」

もちろん、失敗することもある。だが、その代償はといえば「クレジットカードの支払い滞納くらいのもので、生涯にわたる汚名や貧困ではない」。



夢見た先に富があるかどうかは分からない。

けれど「発明家から起業家への道のり」は、「もう存在しない」といえるほどに縮まった。



◎メイカーズ


「ぼくらはみんなメイカーズ(作り手)だ。子どもたちはみんな、お絵かきや積み木やレゴ、手づくりオモチャに夢中になる」

デジタル革命によって、アイディアは形になりやすくなった。誰でもデジタル・カメラやビデオでその場を記録でき、すぐにオンラインで共有することができる。作品の制作から公開までのスピードは数分もかからない。

オンラインで共有されたアイディアは、ドミノ倒しのように他者のヒラメキにキッカケを与えることもある。デジタル工房におけるアイディアは決して閉鎖的ではなく、あっという間に世界とつながり、「突然みんなで協力し合うようになる」のだ。

「ひとりの人間が見るどんな大きな夢よりも、もっと大きなものになる」



アイディアはシェア(共有)されると「拡散」する。

ウェブの世界でそれが繰り返されると、イノベーション(革新)のキッカケともなる。

「いまでは学生寮で始まったビジネスが、創業者の卒業前に大企業になっている」




◎民主化


これは見事な「民主化」である。

その反面、現実世界における国家の政治は民主化を謳っていながら、その実、誰でもが政治家になれるわけではない。やはり然るべき階級の者たちしかそれにはなれないのだ。この点、現在の民主主義は「貴族制」に近いという人もいるくらいだ。



ところが、「ウェブの恩恵」は起業家(アントレプレナー)への道をほぼ完全に民主化した。

アイディアさえあれば、ソフトウェアのコード(プログラム)を組むだけでそれを商品化できる。近頃では、たいしたプログラミングの必要もない。ウェブ上にあるオープン・ソフトウェアにアクセスすることもできるし、商品のプロトタイプは自宅の3D(立体)プリンターで出力できる。

起業のカベとなる「資金」も、いまや株式市場ばかりが頼りの綱ではない。やはりウェブ上のキックスターター(Kickstarter)などを利用すれば、アイディア次第では株式市場以上の資金を調達することも可能である。



もはや「発明家から起業家への道」には、ショートカット(近道)が用意されている。

「ここ20年間のオンラインの歴史は、過去に例のないイノベーションと起業の爆発な増加の歴史である」



◎ビットとアトム


しかし、そのショートカットはいまだ、ウェブという「ビットの世界」に限った話だ。

ビットというのは、「0か1」というデジタルのことである。そこには当然「重さがない」ので軽々と動き回れ、運ぶのにお金もかからない。だからこそ、あっという間に民主化も成されたのである。



それに対して、われわれが生きる現実世界はヒッグス粒子により重さを与えられた「アトム(原子)の世界」である。

その世界では時間と空間によって物事が隔てられており、あたかもネバネバの水中を進むかのように、もがいてももがいてもなかなか前へと進んでいけない。ビット(デジタル)の中のアイディアも、この世界に出てきた途端に牛歩のような歩みとなってしまう。



どれほどデジタル世界が進化しようとも、「われわれがこの現実世界に生きていることに変わりはない」。

シティバンクのオックスフォード・エコノミクスによれば、広義のデジタル経済はおよそ20兆ドル(1,600兆円)の売上規模があるという(日本の税収の約40倍)。それに対して、ウェブを含む経済全体、つまり現実世界の規模はその6倍以上のおよそ130兆ドル(1京とんで400兆円)と推定されている。



これらの数字は、デジタルの世界が「世界経済の中ではいまだ脇役」であることを意味している。

それでも、脇役であるデジタルが起因となって新たな経済を触発してきたことも確かなことである。何よりも、その膨大な数字のケタには驚かざるを得ない。



アトム対ビットの概念は、MITメディアラボの創立者であるニコラス・ネグロポンテが最初に提唱したものだ。

そして今、「アトムとビットの境目はあやふやになりつつある」。



◎へこんだ雇用


現在の先進国と呼ばれる欧米諸国の間では、「雇用危機」が叫ばれている。

皮肉なことに、金融危機などの経済危機が各企業のリストラを後押ししてしまい、その時に失われた雇用がなかなか回復しないのだ。

というのも、製造業などにおいては「生産性の向上」が盛んに行われており、より少ない人数で同じ量、もしくはより多くの仕事ができるようになっている。すなわち、企業にとっては人を減らすことが最も合理的な手段となっており、たとえ業績が上向いたとしても、雇用を増やす動機にはなりにくくなっているのである。



今の先進国の経済成長の源泉といえば「生産性の向上」。

この必然の流れの先には、何百万もの人々が失業のままに留め置かれることとなる。すなわち、へこんだ雇用はずっとそのままなのだ。



かつて20世紀において、欧米の製造業といえば主たる雇用の創出源であった。そのおかげで皆、中流階級へと歩を進めることができたのだ。

ところが現在、その主たる泉が枯渇しつつある。アメリカやドイツの工業生産はいまも拡大しているものの、労働人口に占める工場労働者の割合は「歴史上最低」を記録している。すなわち、それほど工場の生産性が向上し、人を必要としなくなったということである。

先進国においてはもはや、製造業という背もたれがどんどんと小さくなっており、それに寄りかかって寝ていられる時代ではない。大手製造業が先進国で操業していくには、さらなる生産性の向上、人員削減が求められるのだから…。これは産業革命を見たマルクスの心配した通りの出来事でもある。



◎未来の製造業


「ゼネラル・エレクトリック、ゼネラル・モーターズといった社名の時代は終わった」

そう言うのはコリイ・ドクトロウ(小説「Makers」の著者)。

「富を全員で分け合う時代がやってきた」



その考えは、アメリカの典型的な企業モデルとは真逆である。

なぜなら、一つしかないというアメリカの企業モデルは「純粋に利益を追求し、従業員への支払いを最小限にするモデル」なのだから。

上述したように、そのモデルは製造業から要らぬ従業員を弾き出す道を邁進している。この道の先にあるのは「少数の巨大製造業だけが生き残る世界」なのであろう。それは、もう一つの雇用の源泉でもある中小企業の零落をも意味する。



だがもし、ここにウェブのショートカット経由の「ニッチな小企業」が続々と現れ出たら…。

ウェブの参入障壁は低く、イノベーションは速い。起業家精神をもつクリエイティブな奴らはゴマンといる。たとえ大企業の見向きもしないような「ちっぽけなビジネスチャンス」でも、彼らはそこで「うまく儲ける」。

「未来の製造業は、より現在のウェブに近い形になるのだろうか?」



◎社会の関心


ウェブ上にいるのは「まったく儲ける気のない素人」ばかり。

その素人たちがコンテンツの大半を形成している。ツイッターしかり、ユーチューブしかり。

そして、ビット(デジタル)の世界は大半がフリー(無料)でもある。



ビットの世界に利益は存在するものの、その大きな潮流を決定しているのは利益というよりも「社会的な関心」の方だ。この点において、ウェブの世界は世界経済とは一線を画する。経済は利益を中心にしか回転することのできない不自由な概念なのであるから。

「社会」を中心に回転する世界というのは実に珍しい。それこそ民主主義というのに相応しい。いまの国家の民主主義は、社会の意見が反映されているとは言い難い側面も多々ある。

もしビットの世界が社会を中心にすえていなかったのならば、ソーシャル(社会)・ネットワークと呼ばれるようなサービス、ツイッターやフェイスブックなどにその居場所はなかったことであろう。





◎サプライチェーン


現行の製造業において、人件費の束縛から解放されたのは朗報でもある。

人件費が主たる動機になっている限りにおいて、先進国に製造業が回帰してくることは到底望めない。どうしても、人件費の安い国、より安い国へと流れて行ってしまう。中国へ、インドへ、バングラデシュへ、ミャンマーへ…。

ところが幸いにも、オートメーション化などの生産性向上によって「製造業に占める人件費の割合は、ほんの小さなものとなっている。電子機器の場合は、ほんの数パーセントといったところだ」。すなわち、製造業は以前ほどには人件費にその立地を左右されなくなってきたのである。




より重要になってきたのは輸送費や時間といった要素。となると、より消費地に近いほうが有利となる。

たとえばアメリカという一大消費地の隣りに位置するメキシコは、太平洋を隔てた中国よりも圧倒的に有利である。たとえメキシコの人件費が中国のそれよりもずっと割高だとしても。

「人件費の安い場所に移動するメリットは次第に失われている」



それでも現在、圧倒的に中国製品が多いのはなぜか?

それは中国が「誰にも敵わないサプライチェーン(供給網)」を持っているからだ。部品の組み立てが売り先の近くで出来たとしても、その肝心の部品が中国で製造されている限り、中国からは離れられない。

ありとあらゆる部品が製造されている中国の深センでは、電話して数時間で必要な部品が届く。それがもしメキシコで組み立てていたら、数日配送を待つか、必要以上に買いだめしておかなくてはならなくなる。これでは余計なお金もかかり融通も利かない。



◎ハードル


このサプライチェーン(供給網)というカベは、軽快なウェブ起業家にとってもまだまだ大きい。

というのも、製造するための部品の供給元(サプライヤー)の情報がウェブ上では圧倒的に不足しているのだ。「具体的なサプライチェーンはほとんど明らかにされていない」。



逆に考えれば、このサプライチェーンのルートがオンラインでも公開されるようになったら、ビットの世界から一気にニッチな商品が現実世界へと飛び出してくるのかもしれない。

幸いにも、その流れはすでに始まっている。「Sourcemap.com」というサイトには、iPhoneのアップルや、家具のイケア、オレンジジュースのトロピカーナ、バドミントンのヨネックス、ジーンズのリーなどのサプライチェーンが公開されている(オープン・サプライチェーン)。



今後、ビットの世界の境界がアトム世界に食い込んでくればくるほど、自宅工房の発明家たちにとってもサプライチェーンのハードルは低くなる。

最適なサプライヤーをネットで検索し、直接取引をすることも遠い未来ではない。数千個という小さな単位でも取り引きが可能となるのかもしれない。

そうなればなるほど、未来の製造業は「現在のウェブに近い形」となっていくのだろう。それは、失われた雇用を回復できるかもしれない希望でもある。



◎協創


ウェブ的な世界においては時として、「競争よりも協創」がプラスに働くこともままある。

協創(コ・クリエーション)社会では、共有されたアイディアが思わぬ形で実を結ぶ。社会的につながるほどにそのケミストリー(化学反応)の可能性は大きなものとなっていく。

この点、競争を主柱とする経済原理とはまるで異質である。排他的な競争は、限定的な勝利しかもたらさない。



「誰でも参加できる」というのを民主主義と呼ぶのなら、それはまさにビットの世界。

「より多くの人が、より多くの場所で、より多くのニッチ(適所)に注目し、より多くのイノベーション(革新)を起こす」

情報が隅々にまで行き渡るデジタル世界では、アイディアはどんな場所でも生み出される。そしてそれは、社会を変える可能性を秘めた一票でもある。政治家に一票を投じるよりもずっと社会を変える確率は高いのかもしれない。





◎デフォルト


世界の多くの若者たちは、旧世界からの職から弾き出されてしまっている。先進国といえども例外ではなく、ヨーロッパでも10指に入るスペインの若者たちでさえ、その半分に職がない。

そんな彼らは絶望している。「投票では社会を変えられない…」と。デモ抗議なども鬱憤を晴らすだけに終わってしまう。

むべなるかな。競争と利益に力を与えられた社会に、弱き者たちを省みている暇はない。国庫のカネが減ってくれば尚更だ。



彼らの夢見る先に何があるのかはわからない。

ただそれは、いま見えている世界でないことだけは確かであろう。

もし、この先の世界が「従業員への支払いを最小限にする世界」ではなく、「富を全員で分け合う世界」だったとしたら…。



「奪い合えば足りぬ、分け合えば余る」。そんなことを言った人もいた。

幸いにもビットの世界では、分け合う(シェア)することはデフォルト(標準仕様)である。そのシェアの結果は、「余る」以上に信じられないような世界をも生み出しつつある。

一方、経済用語の「デフォルト」といえば債務不履行、国家の破綻を意味する言葉である…。ビットの世界のデフォルト(標準仕様)が現実世界のデフォルトとなる時、その運命を閉じることになる世界も少なからずあるのだろう…。






出典:WIRED VOL.6 GQ JAPAN.2012年12月号増刊

「21世紀の産業革命が始まる クリス・アンダーソン」

posted by 四代目 at 08:39| Comment(0) | IT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月07日

思いもよらぬ現実が展開する世界。YouTube



「ヨセミテの山熊」と呼ばれる無骨そうな大男は、大自然の大空にかかった壮大な二重の虹に、いたく感銘を受けたようである。

彼はその感動を記録しておきたいと思ったのであろうか、そして、その感動を誰かと分かち合いたいと思ったのであろうか。

その壮麗な虹の動画は、YouTubeにアップされた。




しかし、手振れの激しいその動画は、「Oh, my God. Oh, my God! Wooo! Ohhhhh, wowww!」と意味不明の感嘆が続くだけ。

当然、その動画へのアクセスは「梨のつぶて」であり、アクセス数を示すグラフは地を這うようなゼロ行進が続いていた。もっとも、ヨセミテの山男はそんなアクセス数には無関心であっただろうが…。

ところが、その後、思いもよらぬ展開へ…。



地を這っていたはずの折れ線グラフは、突如、目覚めた龍のごとく、天高く飛翔したのである。

その結果、その年のアクセス数は2,300万回にも及んだ。

いったい、何が起きたのか?

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そのブレイクには明らかな発火点があった。

それは、一言のツイート(つぶやき)であった。



「友達のトッドが『世界一おかしいビデオ』だって言ってたよ。確かに彼の言う通りだ」

ジミー・キメルがTwitterでそうつぶやいた途端に、ヨセミテの山熊の「虹の感動」は、世界中に伝播したのである。



山男の虹と同様、レベッカ・ブラックの「金曜日」という動画にも、同じ奇跡が訪れた。

あるブログで取り上げられ、それを茶化したツイートが世を駆け巡ったのだ。その結果、動画「金曜日」のアクセスは年に2億回を突破した。

そして、金曜日になるたびに、そのアクセスはユニコーンの角のごとく突出した。



ヒーローが現れれば、それを囃し立てる面々も現れる。

動画「金曜日」のパロディは一万本以上も投稿され、すぐに「各曜日」のパロディが出そろった。

それは、2匹目のドジョウどころか、何万匹というドジョウを狙ってのことであった。

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パロディ動画というならば、「ニャン・キャット(Nyan Cat)」抜きには語れない。

この動画は、虹をたなびかせて飛ぶネコが、繰り返し流れるループ音楽とともに、延々と同じ動きを繰り返すだけのものである。




この動画を見ただけでは、何がこの動画を大ヒットさせたのかは理解に苦しむ。

それでも、このニャン・キャットは年に5,000万回近く再生されている。さらに、この動画には、3時間も延々と繰り返されるバージョンもあり、驚くべきことにこちらも400万回以上も見られている(オリジナルの3分でも長すぎると感じるというのに!)。



ニャン・キャット単体での力は限定的であったのだろうが、それに付随して生み出された無数のパロディ動画の可能性は無限大であった。

「ニャン・キャットを見ている猫」の動画がヒットすれば、「ニャン・キャットを見ている猫を見ている猫」の動画までがヒットする。

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色を変えたり、サングラスをかけたりというバージョンから、世界各国の衣装に扮した各国版のニャン・キャットも世界中から生まれた。




山男の虹、金曜日、ニャン・キャット…。

前時代であれば、これらの動画が日の目をみることはなかったであろう。

山男の虹はビデオに収められただけで終わったかもしれないし、ニャン・キャットはパソコンのフォルダから抜け出せずに、延々と同じ動きを繰り返すのみだったかもしれない。



しかし、今は疑いようもないWeb時代。わずかな取っ掛かりから、世界中に広まる可能性が秘められている。

山男の感動がたった一人の心の動かせば、それはドミノのような展開を見せる。

誰かが面白がって「金曜日」や「ニャン・キャット」を真似すれば、それはオリジナル動画の価値までをも高めていく。



かつては大きなメディアの力が圧倒的に強く、著作権に関する取り締まりは、ことのほか厳しかった。

それに対して、ソーシャル・メディアによる拡散は、真逆の道を進んでいるかのようである。著作権フリーの小さな個人の情報が、他の小さな個人の関心を連鎖的に誘発し、外へ外へと勝手に歩き出していくのだから。



「誰がこんなことを予想できたでしょう?

『山男の虹』や『ニャン・キャット』のようなものを。

こんなものを生み出すために、どんなシナリオが描けたでしょうか?」

YouTubeトレンドマージャーのケビン・アロッカ氏は語る。



「これらのことは、一つの大きな疑問につながります。

これには、どんな意味があるんだろう?」



本当の意味での「その意味」は、誰も分かってないのかもしれない。

もっとも、前を向いて進んでいる人々は、そんな意味を気にもしていないのかもしれないが…。



我々はバカな魚ではない。明らかに仕掛けられたエサに魅力は感じないのである。

「思いもよらぬ」からこそ、未来に希望を感じることができるのだ。







関連記事:
思ったよりも少ないネット上の発言者。発言者の増加が新たな進化を加速させる。

遊んでプログラミングを習得する子供たち。その小さな双肩に日本の未来がのっかっているのかもしれない……。

スティーブ・ジョブズ氏の求めた「精妙な世界」は平凡な非凡さの果てに。



出典:TED Talks
ケヴィン・アロッカ 「バイラルビデオが生まれるメカニズム」

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