「えーっ、パワー10倍って!?」
たとえば、今の電池(バッテリー)が10倍も保つようになったら、スマホの充電は10日に一回で済んでしまうかもしれない。
「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! って感じでしょ」
電気自動車も、ガソリン車並みの航続距離が夢ではなくなる。
そんな夢の電池、その期待が持たれるのが「マグネシウム電池」。
この未来型の電池には、石油やウランなどが築いていしまった持続不可能な社会を、いま改めて「持続可能」にするポテンシャルも秘められている。
今回はそんな話である。
◎ボルタ
電池の歴史は、そのパワーアップの歴史である。
その歴史は、今からおよそ200年前、イタリアのボルタ(Volta)という物理学者がその発端となっている。
「ボルタの法則」と呼ばれるのは、2つの異なる金属の間には電流が生じるというものである(2つの金属の電位差による)。それは当時、カエルの脚に2種類の金属を接触させることで、その脚がピクピク動くという「動物電気」して知られていた現象でもあった。
ボルタによれば、電気を流すために最も効率が良い2種類の金属は「亜鉛と銅」であった(ちなみに電気を流すのは、カエルの脚の代わりに食塩水が用いられた)。
それゆえ「世界初の電池」というのは、亜鉛と銅という2種類の金属を電極(プラスとマイナス)として作られたものであった。
ちなみに、現在の「ボルト(V)」という単位は、この人物の名前に由来する。
そして、この電気が流れる原理もまた、200年間ずっと変わることがない。
◎リチウム
少し詳しく見てみると、マイナス極となる亜鉛は、薄い硫酸に浸されて溶け出している。この溶ける時に、亜鉛から「電子」が飛び出す。それが電流となる。
つまり、電池の原理は「金属が溶けることで電気が起こる」ということである。
電池の開発は、電極(プラスとマイナス)として用いる金属を試行錯誤してきた歴史でもある。
どんな金属が電池に用いられているかは、その名称が示してる。ニッケル・カドミウム(ニッカド)、マンガン、リチウム…。
電気の生み易さは、金属によって異なる。亜鉛よりもマンガン、マンガンよりもリチウムは、それぞれ電気を生じやすい。
ただ、ここには問題もある。電池を生み易いということはそのまま「反応が激しい」ということにもつながってしまう。たとえばリチウム(Li)を水中に放り込むと、あっという間にシャワシャワと溶けてしまうのだ。
こうした反応の激しい物質を電池にするのは至難の技である。リチウムは空気に直接触れないようにしたり、保護材を塗るなどの工夫が必要とされる。
現在のノートPCやスマホ等に用いられているのは、このリチウム電池だが、時々「発火」する事件も起きている。また、夢の飛行機「ドリームライナー787」から煙を出させたのも、このリチウム電池であった。
リチウムは金属中でもトップの実力を持つほど、電気を生み易い。だがしかし、それは余程のジャジャ馬でもあったのだ。
ちなみに、同じ重さの鉛電池に比べれば、リチウム電池の容量は3〜5倍。ニッケル水素電池と比較しても2倍と格段に大きく、寿命も長い。
ゆえに、90年代の登場以来、あらゆる電子機器に搭載されることとなったのである(最新の電気自動車の電池も、そのほとんどがリチウム電池である)。
◎マグネシウムの皮膜
さて、そんなリチウム電池の牙城を突き崩す勢力の一角、それが今回の「マグネシウム電池」ということになる。
マグネシウム(Mg)という金属は、リチウム(Li)ほどではないが、電気をよく生み出す金属であることは確かである。
しかし、マグネシウムには致命的な欠点があった。
マグネシウム金属が水溶液中に溶け出るとすぐ、表面には「皮膜」が張られてしまい、それ以上溶け出すことができなくなってしまう。つまり、電流の流れがすぐにストップしてしまうのだ。
それは、溶け出したマグネシウムが水溶液中のOH基とすぐに結びついてしまうという、好ましからざる結果であった。
「とても電池としては使えない…」
誰もがマグネシウムには諦めていた。
ところが、この落ちこぼれには「ひょん」なことから次の道が拓かれる。
◎瓢箪からコマ
その「ひょん」は、九州宮崎の海岸、日向灘から飛び出した。
そこは、電池の開発とはまったく無関係。エアロトレインの実験施設であった(東北大学日向灘実験施設)。エアロトレインとは、地面すれすれを飛行機のように飛ぶ乗り物である。
その開発者「小濱泰昭(おはま・やすあき)」さんも当然、電池の専門家ではない。エアロトレインの専門家である。
省エネのために徹底した軽さを求められたエアロトレインは、その機体の材料として「マグネシウム」が用いられていた。そして、その実験室には「余った機体の材料」が転がっていた。
ふと「電気が起こせるのでは…」と思い立った小濱さん。さっそく、目の前の日向灘に海水を汲みに行った。
「電解液として一番すぐに使えるのは海水なんですよ」と小濱さん。
ささっと、ペットボトルの容器と余っていたマグネシウムで簡易電池をつくった小濱さん。そこに海水を注ぎ入れる。予想通り、電気を得たモーターは回り始めた。
「でも、すぐに止まるだろう」
小濱さんはそう思っていた。マグネシウムの表面に皮膜ができてしまえば、それでオシマイだ。
ところが、なぜかモーターは止まらない。
一日たっても、二日たっても、三日たっても止まらない。
結局、なんと3週間もモーターは止まらなかった。モーターがようやく止まったのは、マグネシウムに皮膜ができたからではなく、マグネシウムが溶けてなくなったからであった…!
「われわれもビックリだったんですよ」と小濱さんは言う。
あの程度の電池であれば、普通4〜5時間も保たない。それが常識であった。ところが、3週間以上も回り続けたのだ。もはや理解不能である。
「瓢箪から駒」という故事は、ヒョウタンのような小さな口から、馬(駒)のような大きなものが飛び出すことを言うのだが、まさにそれ。実験室に転がっていた材料から、未来の社会を一変させるかもしれない電池の芽が萌芽したのであった…!
◎ヤンチャ者同士
ところでなぜ、エアロトレインの構造材だったマグネシウムは「皮膜」を作らなかったのか?
それは、その材料が純粋なマグネシウムではなく、「難燃性マグネシウム」という「カルシウム」を混ぜ込まれたモノだったからだ、と考えられている。
マグネシウムという金属は、昔のカメラのフラッシュに用いられたほど燃えやすい。エアロトレインにとって、その軽さは美点であったが、その燃えやすさは欠点であった。乗り物を形作るには溶接が不可欠であり、高熱に耐えなければならない。
そこで混ぜ込まれた「カルシウム」。それが期せずして、電池の道を拓くことにもなったのだ。
ここで、金屬の性質を知る人ならば、首をかしげるであろう。
「カルシウムだって、マグネシウムと同じく他の物質と反応しやすく、火にも燃えるではないか」
確かに、カルシウムを水に入れれば激しく泡立ち、またたく間に消石灰になってしまう。火をつければ、赤々とどんどん燃えてしまう。
そのため、常識的にはマグネシウムとカルシウムのコンビなど論外であった。ましてや電池などには成り得ようがなかった。
しかし、論より証拠。
不思議なことに、ヤンチャ者同士のマグネシウムとカルシウムを混ぜられた物質は、すっかり大人しくなってしまうのである。
それは電池としての好結果をもたらした。ヤンチャ者同士が金属の表面でOH基の奪い合い、つまりケンカを始めることによって、その表面には皮膜ができにくくなっていたのである。
この決着のつかないケンカは、マグネシウムが溶けてなくなるまで続いていた。そしてその間、都合の良いことに電気が流れ続けていたというわけだ。
◎使わぬ手はない
「このマグネシウムが1.5kgあれば、日本の平均的な家庭の一日分の電気は使えます」
すっかりマグネシウム電池の開発者となった小濱さんは、そう言う。
ところでマグネシウムというは、十分に存在する物質なのだろうか?
「ほぼ無尽蔵です」と小濱さんは答える。
海水1トンの中には、マグネシウムが1.3kg入っている。それもわざわざ取る必要もない。なぜなら、それは豆腐を作るときの材料の一つニガリ(塩化マグネシウム)でもあるが、世界の塩田では使い途がなくて大量に余っているのだという。
「ちなみに、マグネシウムは地球上で3番目に多い元素なんですよ」
通常、2種類の金属が必要とされる電池であるが、このマグネシウム電池の場合、プラス極を「空気」で代用することが出来る。つまり、限られた電池内のスペースすべてにマイナス極であるマグネシウムを突っ込むことができる。
しかも、あとは塩気がある水さえあれば、電気が起こる。それは海水でも良ければ、家畜の糞尿でも良い。
「たとえば発展途上国、アフリカのケニアの奥地なんかでは水もありません。でも家畜のオシッコはあるわけですよ。家畜のオシッコから電気を取り出せる可能性もあるんです」と小濱さんは希望を語る。
◎リサイクル社会
従来のエネルギーとの比較でいえば、マグネシウム電池の魅力は「再生可能」という点にある。
使用済みとなったマグネシム電池の中身は「水酸化マグネシウム」であり、この物質自体の充電再生は不可能である。しかし、それを1,200℃の高温で熱すれば、蒸気とともに純粋なマグネシウムが再び得られる。
小濱さんの描く未来図によれば、虫眼鏡の焦点が太陽光を集めるように、太陽光によって使用済みマグネシウムを再生させる計画がある。
たとえば、こんな未来都市も夢想できる。
マグネシウム製造工場から、各家庭にトラックでマグネシウム電池が宅配される。まるでプロパンガスのように。
家庭での使用が終わると、使用済みマグネシウムは回収され、それらは太陽炉による精錬所に運ばれる。そこで、太陽熱によってマグネシウムがふたたび再生されるという流れである。
海から生まれたマグネシウムは、海水によって電気が取り出され、太陽光を用いて再生されることになる。それは自然エネルギーが存分に活用されたリサイクル社会。
それは、石油や石炭、ウラン(原子力)などでは到底なしえなかった持続可能な社会の姿でもある。
◎3.11の教訓
小濱さんは、東日本大震災で悔しい思いをしていた。
「もしあの時、電気さえあれば…」
3.11の大地震の直後、東日本ではほぼ全域で電気が止まってしまった。それは、その後に津波に襲われる太平洋沿岸地域にとっては致命傷であった。
「テレビも見れない。あらゆる情報から絶たれてしまった…」
もしあの時、家庭に非常用の電源があって、大津波警報が沿岸地域の人々に正確に伝わっていれば…、より多くの人が逃げおおせたかもしれない。
マグネシウム電池というのは、非常用の電源には最適である。
マグネシウム電池は50年でも100年でも持つ。放電とは無縁であり、劣化することがほとんどないという。
◎切り札
再生可能エネルギーの「切り札」。
そのマグネシウム電池は今、実用化に向けて大手メーカーも名乗りを上げている。
小濱さんは自らが運転手となり、マグネシウム電池を搭載した自動車の実証実験に乗り出した。スタートは福島いわき市。ゴールは仙台。およそ100kmを走破する計画である。
早朝6時にスタートした小濱さん。時速60kmほどで仙台を目指し北上していく。途中で一旦停車した小濱さん。ここで補給するのはガソリンではなく「塩水」だ。
そしてゴール。「世界で初めて、マグネシウム電池で100kmを走り抜く」という快挙であった。
満足感に浸りながら小濱さんは、こう語る。
「いずれ、石油も石炭もウランもなくなってしまうんです。有限ですから。本当の意味では、持続不可能な社会をわれわれは築いてきてしまったんです」
おそらく、現在主力のエネルギー源が枯渇してしまっても、われわれ人類は生きていかなければならないだろう。
孫が5人いるという小濱さんは、子どもたちの未来を想わずにはいられない。
「私たちの子孫のことも考えると、燃料は自分の手で作るしかありません。絶対にこれ(マグネシウム電池)を実現しなければならないと思っています」
「ひょん」なことから芽吹いたマグネシウム電池。
その電気は、子どもたちの未来を照らし出せるのであろうか。
(了)
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出典:NHK サイエンスZERO
「パワー10倍! マグネシウム電池開発中」