2015年02月02日

アメリカの新しい貴族たち [The Economist]



トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)は言った、特権階級(aristocracy)には2種類ある、と。

一つは、自らの才能に恵まれた人々(a natural aristocrasy)。もう一つは、裕福な家に生まれただけの人々(an artificial aristocrasy)。

ジェファーソンはこう続けた、「国家に恩恵をもたらすのは前者であり、後者は国家を窒息させる」と。



ジェファーソン自身は、両者のハイブリッドであった。

彼は義理の父から1万1000エーカーの土地と奴隷135人を受け継いだ裕福な生まれでありながら、有能な法律家でもあった。







もともとアメリカという国家は、特権階級(貴族)という地位が代々相続されることを拒んできた。それが建国の理念であり、歴史上、この国は王や領主を頂くことがかつてなかった。

しかし今、アメリカは世襲(dynasty)に寛容になりつつある。

たとえば共和党の大統領候補者には、その「父親が大統領選に立候補した経験をもつ者」が3人もいる。対する民主党は「元大統領の妻」が出てくるかもしれない。






■ 知的資本



いかに莫大な富も、子息の浪費によって数晩で消えてしまうかもしれない。もしくは、アメリカ連邦政府の反トラスト法や相続税によって損なわれてしまうかもしれない。

しかしそれでも、世代を超えて確かに受け継がれていくものもある。

The Economist誌は言う、"It is brains(知力)."



知識経済の原動力である「知的資本(intellectual capital)」。

現代社会でそれを持つ者は「a fat slice of the pie(大きな取り分)」を得ることができる。

現在、アメリカでは「賢くも成功を収めた男性(clever, successful men)」が、同じように「賢くて成功している女性」と結婚するケースが、これまでの世代よりもずっと多くなっているという。



そうした「同類婚(assortative mating)」によって、アメリカの格差(inequality)が25%も拡大しているとの推計がある。なにせ彼らには大きな収入源が2つもあるのだから。

そんな「パワーカップル(power cuples)」は、自らの子どもに与える影響も絶大だ。

”知的職業を親にもつ子供が4歳までに耳にする言葉の数は、生活保護で暮らす両親の子供に比べて3万2000語も多い(The Economist誌)”






■ 大学



たとえ家が貧しくとも、優秀な子供であればアイビーリーグの学費を全額免除されるかもしれない。

しかし現実のところ、アメリカの大学の学費は1980年以降、平均収入よりも17倍も速いペースで上昇してしまっている。そのため、中流クラスの学生たちは大学に通うために膨大な借金を抱えこまざるを得ない。

すなわち、親の収入と子供の学業成績との関連性(the link between parental income and a childs' academic success)は、いよいよ強くならざるを得ない。



高級住宅地に暮すアメリカのエリート層は、フルートのレッスンや中国語の家庭教師に大を投じ、コネを駆使して一流大学へと進んでいく。

”多くの大学は、入試にあたって自校の卒業生の子息(the children of alumni)を優遇する「レガシー制度」を導入している(The Economist誌)”

そしてそのまま、最高の大学から最高の職へと道はつづいていく。大卒の若者が手にする収入は、高卒者の63%も多いという。



そもそも高卒では職に就くことすら困難であり、女性の場合、未婚の母親になってしまう割合が61%にも上る(一方、大卒の母親が未婚のまま出産する割合は、年間わずか9%)。

先進国のなかでアメリカは貧富の格差(the gap between rich and poor)が最大の国家であり、なおかつ、貧困地区の学校よりも富裕地区の学校に多くの公的費用が投じられている、先進国に3つしかない国の一つである。






■ 教育



The Economist誌はいう、

”アメリカは国際基準でみても、幼児保育で後れをとっている。アメリカの最貧困地区で幼児教育を向上させれば、投資額の10倍、あるいはそれ以上のリターンがあるはずだ”



The Economisit誌に言わせれば、アメリカには「ひときわ強硬に能力主義に反対する勢力(anti-meritocratic forces)」があるという。

”すなわち教職員組合(the teachers' unions)に支配されている。優れた教育に報酬を与えるべきだとか、悪い教師を解雇すべきだなどと少しでもほのめかせば、教職員組合が抵抗する”



アメリカでは能力主義(meritocracy)が浸透していない、とThe Economist誌はつづける。

”学業成績のみ(solely on academic merit)で入試の合否を決めている大学は、カリフォルニア工科大学などごく一部に限られる。今のアメリカは、活用されていない才能があまりにも多すぎる。生まれと成功との結びつき(the link between birth and success)を弱めれば、アメリカはもっと豊かになるだろう”



これからのアメリカに必要とされるのは、

”もう一人のクリントン(another Clinton)か、はたまたもう一人のブッシュ(another Bush)か”



人為的な特権階級(an artificial aristocracy)が雲の上に居座りつづければ、その国家は徐々に窒息してしまう。

アメリカ建国の父、トーマス・ジェファーソンはそう言った。

”彼が提唱したことは、時代を超えて有効である(The Economist誌)”













(了)






出典:
The Economist: Education and Class, America's new aristocracy
JBpress「教育と階級:アメリカの新たな貴族」



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2013年08月24日

サンゴと数学。大人のための幼稚園



「サンゴの編み物」に夢中になったサイエンス・ライター

マーガレット・ワートハイム(Margaret Wertheim)

なぜ?



サンゴの編み物




「サンゴは毛糸で編む理由があるんです」

ワートハイムが言うには、大理石やブロンズでは「ひだひだのついたサンゴ独特の形(the frilly crenulated forms)」が作れないのだそうだ。

「サンゴの形は双極幾何(hyperbolic geometry)の具体例で、ああいった形は『かぎ編み』でしか作れないんです。他の方法ではほぼ不可能、コンピューターでもほぼ不可能です」



「数学的に」サンゴの形を再現するには、編み物(かぎ編み)しかない、とワートハイムは言う。

それは1997年、コーネル大学のタイミナ教授(Dr. Daina Taimina)がたどり着いた結論でもあった。






■ 0か1



サンゴなどに見られる「双曲幾何学」とは?

「双曲幾何学は19世紀の数学的大発見でしたが、1997年までは誰も模型をつくれませんでした」とワートハイムは言う。



空間を認識する考え方の一つである「双曲幾何学」。

その発見以前、空間の考え方は2種類しかなかった。「ユークリッド空間(Euclidean space)」と「球面空間(spherical space)」である。

ユークリッド空間とは「平面」、画用紙などのような二次元の世界。球面空間とはその名の通り、ビーチボールや地球のような球体である。



平面(ユークリッド空間)に「一つの点」と「一本の直線」が描かれていたとしたら、

その点を通り、直線には交わらない「別の直線」を何本ひけるか?

答えは「一本」。元あった線に平行な一本の直線、いわゆる「平行線」である。



ユークリッド空間




では、それが球面ならば?

平面と同じように、球面に「一つの点」と「一本の直線」がある。点を通る新たな直線は何本ひけるか?

ここで数学者の考える直線とは「測地線(a geodesic)」という概念。それは球体表面に描ける「最大の円」、地球でいえば赤道や経線がそれに当たる(円の中心と球の中心が一致)。



さて、そんな線は球面上に何本ひけるのか?

答えは「ゼロ」。



球面空間




すなわち、双曲幾何学が発見されるその前、2つしかなかった空間(平面と球体)において、それぞれの出す答えは「0か1」。

そのコンピューター的な解答が、その全てであった。






■第三の答え



「数学者は昔、こうした問題の答えは『0か1』だけだと思っていました。ところが、そこに『第三の答え(the third ortanative)』が登場したんです」とワートハイムは言う。

0、1と来て、次に「数学的に来るもの」といえば…

「そう。『無限大(infinity)』です」



その第三の答えを出した空間が、サンゴなどの形作る「双曲空間」。

その図形上において、ある一点を通り、元あった直線に交わらない線は「無数」に引ける。



双曲空間




「これのどこが『直線』なのか?」

平面上にそれを表現してしまうと、「曲線」にしか見えない。

そこで必要とされたのが、双曲空間を現す「模型」であった。たとえば、平面しか知らない人にも、ビーチボールを手渡せば球面空間というものを体感できる。もし双曲空間の模型があれば、人は理解するはずであった。



「まさにそれが1997年にタイミナ教授がしたことです。彼女は『手編みの毛糸』で双曲空間が作れることを発見したのです」とワートハイムは言う。

タイミナ教授は最初、棒針を使ったが、あまりにも目が多すぎるために「かぎ針(crochet)」が適していると気がついた。



ちなみにそれまで、双曲空間の構造を再現するのは「不可能」と考えられていた。最高の数学者たちが何百時間と費やして挑み、格闘し、敗れてきたからであった。

そんな数学的不可能を、タイミナ教授は「女性の手芸(femine handicraft)」で証明してみせたのである。

「数学で最も名高い『平行線公準(parallel postulate)』が間違っていることを、タイミナ教授は女性による手芸、毛糸で証明しました(笑)」



双曲空間の発見は、のちに「非ユークリッド幾何学(non-Euclidean geometry)」という数学の一分野をもたらし、それは一般相対性理論(general relativity)へと発展していくことになる。

つまり、女性による手芸が「宇宙の形がどうなっているか」へと直結していったのであった。










■固定観念



平行線公準に囚われていた数学者たちが何と言おうとも、地球上にはその公準を完全に無視した生物たちが、何億年も前から地球上には存在していた。

サンゴしかり、海藻しかり、ウミウシしかり…。








「なぜ、数学者たちはこうした構造がこの世にあり得ないと思っていたのでしょうか?」

ワートハイムは、固定観念に縛られていた数学者たちを揶揄する。

「彼らの解答は面白くて、『ウミウシをじっと観察する数学者は少ないからではないか』と言われました。もっともな意見ですが、彼らはウミウシどころか『レタス』すら見ていませんでした。レタスのような『ひだ状になっている野菜(curly vegetables)』も双曲幾何の具体例ですからね」



自然界に目を向ければ、そこは「双曲線の神秘(hyperbolic wonders)」に満ちている。

それを「かぎ針」で編めば、自然界の双曲生物たちを無限に作ることができる。

最初は「単純かつ規則的な編み方」、3回編んで一目増やすという「3目増やし目パターン」で編んでいたというワートハイムも、その型を破ると、サンゴの編み物がより自然な形になることに気がついた。



「こうして手編みサンゴは進化し続けています」とワートハイムは言う。

「生物の進化に終わりがないように、編み方のアレンジが突然変異のように『新種の毛糸サンゴ』を次々と生み出したのです」

彼女の織りなすサンゴは、成長し続ける生命体(ever-evolving creature)のごとく、その進化系統樹(the evolutionary tree of life)を発展させている。まるで、それ自体が有機的な命をもつかのように。



そのブレークスルーとなったのは、3目増やし目というアルゴリズムを脱したことだった。

だが不幸にも、過去の数学者たちはそうした「記号的な見方(a symbolic view」から逃れる術を見いだせなかったようである。

「彼らはある意味、数学における記号的な見方をもっていましたが、目の前にあるレタスには気が付かなかったのです」






■大人のための幼稚園



そもそも、ワートハイムがサンゴに関心を抱くようになったのは、温暖化によるサンゴの死滅であった。彼女がサンゴの編み物をはじめた2005年という年は、地球温暖化とサンゴ礁への悪影響の記事が科学雑誌にあふれていた。

「サンゴは非常に繊細な生物で、海水の温度が少しでも上昇すると死滅してしまいます。サンゴが白化するのは最初のサインで、白化したままであったり、水温が下がらなければサンゴ礁は死へ向かいます」

オーストラリア生まれのワートハイムは、グレートバリアリーフの衰退に心を痛めた。

「とくにグレートバリアリーフの状況は酷く、世界中でも同じようにサンゴ礁が弱っているのです…」



本職がサイエンス・ライターであった彼女は、科学と数学の「美しく詩的な側面(the aesthetic and poetic dimensions)」を啓蒙すべく、「IFF(Institute for Figuring)」という組織を立ち上げ、現在その活動は世界中に拡大している。

双子の妹とはじめたサンゴを手編みする活動は、世界30ヶ所でのワークショップを経て、いまや数千人の人々が参加し夢中になっている。この企画自体、もはや双子の姉妹の思惑をこえた「生命体」となって、進化を続けているのだという。



「私たちの住む社会は、情報の表し方や教え方が型にはまってしまっています」とワートハイムは言う。

「でも、かぎ編みなどの『形をつくる遊び(plastic forms of play)』を利用すれば、双曲空間のように大学で学ばなければならない高級数学も体感できるのです」



彼女のNPO組織「造形研究所(IFF)」が実現しようと試みるのは「大人のための幼稚園(kindergarten for grown-ups)」。

物を使った遊びによって、双曲幾何学のような難解な理論を手にしてしまおうというのである。

毛糸でサンゴをつくり、紙で双曲空間をつくる。竹でも名刺でも多面体をつくる。そんな遊びながら学ぶワークショップ、自分の手でモノをつくり「美しき数学の世界」を実感するのである。



余談ではあるが、MITメディアラボの創業メンバーの一人、「シーモア・パパート」という人物は、ちっちゃい子供の頃からギア(歯車)のおもちゃを一生懸命いじって遊んでいたそうだ。

大人になってからも彼は、数学でも物理でも頭の中のギアのモデルを使って理解を深めていったという。子供の教育のためのプログラム言語LOGOを開発したのは彼である。






■プレイ・タンク



「幼稚園」という教育システムは、19世紀の結晶学者「フリードリッヒ・フレーベル(Friedrich Froebel)」の確立したものである。

「結晶(crystal)がすべての表現のモデルである」と信じていた彼は、幼い子供たちが「モノを使って身体で学ぶシステム」を発展させていったのだった。



一方の現在、われわれの社会には「シンクタンク」と呼ばれる「頭で考える素晴らしい集団」がたくさん存在する。

彼ら知的な人々は、数学者のように「記号化した表現方法(symbolic forms of representation)」を得意とし、じつに理論的な考えを抽象的に説明することができる。



幼稚園が「身体」で学ぶものだとすれば、シンクタンクは明らかに「頭」。

幼稚園が「具体的」だとすれば、シンクタンクは「抽象的」。

ワートハイムの提唱する「大人のための幼稚園」とは、その両者の架け橋となるような存在を目指している。彼女は、最高レベルの抽象概念(abstraction)でも、モノを通して体感できるはずだと信じている。

彼女が「プレイタンク(the play tank)」と呼ぶのが、その方法論である。



机上の記号に偏りがちな教育システムにあって、彼女は「自分の手」でモノを作ることが、記号の裏にひっそりと潜む美を見出す方法だと信じている。

彼女の展開する「美しき数学」は今、世界中に増殖・進化するサンゴの編み物となって成長し続けている。

記号の世界を超えて、型にはまらずに…













(了)






関連記事:

クラゲは「数」を数えるか?

サンゴを食いまくる大魚「カンムリブダイ」は、じつはサンゴの守り神。

自然を守ることは、貧しくなることか? セーシェルの克服した現代の矛盾。



出典:
TED Talks「珊瑚と”かぎ編み”に見る美しき数学の世界」マーガレット・ワーザイム
NHKスーパープレゼンテーション「サンゴから学ぶ美しい数学」


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2012年12月06日

日本人は数学が好きなのか? 俳句から明治維新


なぜ、日本の俳句は「五・七・五」なのか?

サイエンスナビゲーターの「桜井進(さくらい・すすむ)」氏に言わせると、それは「白銀比」なのだという。



西洋の芸術世界においては、「黄金比(1:1.68…)」というものがよく知られている。この美しき比率は、古代ギリシャに端を発するということで、パルテノン神殿やモナ・リザなどの「ヨーロッパの美しさ」を陰で支えているとも言われている。

それに対して「白銀比(1:1.41…)」というのは、別名「大和比」とも呼ばれることからも分かるように、法隆寺の五重塔、菱川師宣の見返り美人図、雪舟の秋冬山水図などに見られる「日本の美しさ」を支えるものである。



白銀比の「1.41…」という数字は「√2」のこと。直角三角形でいえば「1:√2:1」という図形のことであり、その三角形の一辺を5倍の長さにすれば「5:7:5」となる。それはすなわち、俳句の「五・七・五」につながる。

茶道や華道、日本建築を陰で支える美しさが、言葉の世界の「俳句」にも隠れていたということだ。





◎整数論


さらに桜井氏に言わせれば、俳句が白銀比を保つことができるのは、日本語が「指折り数えられる」からだという。

たとえば、松尾芭蕉の「しずかさや いわにしみいる せみのこえ」は一字一字数えることができるものの、「This is a pen」はそうもいかない。英語の場合、音の数と文字の数が一致していないのだ。



数学的に言えば、日本語は「整数」であり、小数点的なものではない。単純明快であり、数がハキハキしている。そして漢字やひらがな自体も「絵」のような芸術性を備えている。さらに漢字は「音読み」と「訓読み」という多様性も持っている。

すなわち、俳句はその数的な整合性(白銀比)を柱とし、表現力豊かな文字や響きがそこに彩りを加えているのである。

なるほど、文学芸術の粋とも思われるような俳句が、じつは数学的な概念に支えられている。桜井氏は、こうした日本語の特色が日本をして「数学大国」たらしめることになったと考えている。



◎好奇心


江戸の昔、日本には「塵劫記(じんごうき)」という数学書のベストセラーが誕生する。

数学書というといかにも堅苦しく響くが、そこに載っている問題は「コメや俵やマスなどを使った生活に密着した問題」であった。それゆえ、じつに親しみの持てるものであった。だから庶民層にも大受けした。一方、身近な問題を取り上げながらも、数学的内容は極めて高度であったため、学識者たち、さらには将軍さままでがハマッてしまった。

「庶民から将軍まで数学に熱狂した時代なんてどこにもない。この日本の江戸時代後期だけです(桜井進)」



「一家に一冊」あったと言われる数学書「塵劫記」。

ベストセラーとなった秘密は、「面白い問題だらけ」だったことにあった。それが日本人をして「数学好き」の側面を浮かび上がらせることにもなったのだという。



この「面白さ」という観点は、東アジア文化圏においては日本以外にはついぞ見られなかったものであもある。

たとえば、東アジア文化圏の中枢たる大国・中国においては、日本よりもずっと「実利的」であった。中国において数学に求められたことは「役に立つか立たないか」の一点のみ。ところが日本は、「実利を無視して、好奇心から数学にハマっていった」のだ。



具体的にいえば、中国の方程式においては「変数が一つ」。変数というのは「x,y,z」といった動く(値が変わる)数字であるが、中国では「x(エックス)一つだけの方程式を解いて、それでいいやと思っていた」。役に立つか立たないかだけを判断できればそれで良かったのである。

ところが、日本人の好奇心は決して「x(エックス)一つ」で収まるものではなかった。それは中国人からみれば「無駄なこと」だったかもしれない。しかしそれは、その後の日本の飛躍的な発展には欠くべからざる「無駄さ」でもあった。





◎洋算


日本が歴史上、数学的離れ業を演じるのは「明治維新」においてであった。

江戸期の数学的熱狂は日本の数学である「和算」を大成させ、ある意味「世界の頂点」にあったとさえ言われている。

ところが、明治新政府はその和算をあっさり捨ててしまうのだ。その理由は「軍事力を高めるためにはドイツのマニュアルを読まなければならない。そのためにヨーロッパの洋算、横書きの数学が必要だ」というものであった。

つまり、軍事上の必要性から和算は廃止されてしまったのである。当然、江戸の数学者たちはこぞって猛反対。それでも、明治政府は洋算へと日本を踏み切らせた。



驚くべきはここからで、明治期の日本人たちは「外国の数学である洋算」をいとも容易く短期間でマスターしてしまうのである。

「他言語の数学をそんなに迅速に自国語に吸収してしまうというのは、数学の世界では奇跡的です(桜井進)」

それはひとえに、江戸時代の和算が非常に高度であったため、日本人の数学的な下地が確固としたものだったことの証左でもあろう。



もし、日本の数学が実利一辺倒であったら、外国の新たな数学を取り込む余地は限られたものとなっていたかもしれない。

しかし幸いにも、日本人の雑多なる好奇心は、和算に大いなる無駄な領域をも生み出してくれていたのである。そしてその無駄な領域はおそらく洋算をも守備範囲内に収めていたのだろう。見知らぬ洋算とはいえ、それは変数の一つに過ぎなかったのだ。



◎数学大国の末裔


江戸時代の平和が育んだ庶民の好奇心は、思わぬ恩恵を日本にもたらしたようだ。

期せずして日本は世界に冠たる「数学大国」となっていたのである。そして、その末裔であるわれわれ日本人の中には、世界に引けをとらない偉大な人々が数多く存在している。



たとえば、今年のノーベル賞(医学生理学賞)を受賞した山中伸弥教授(京大)。彼だけに限らず、理化学系ではこれまでに15人の日本人がノーベル賞という栄誉を授けられている。これは東アジア文化圏においては異例のことで、中国人や韓国人の受賞者はいまだゼロである。

また、数学の分野に特化した世界的な賞としては「フィールズ賞」がある。それは4年に一度、しかも40歳以下という厳しい条件で一度に4人しか受賞できない。いわば「天才中の天才」しか獲れない賞である。

「その賞を日本人は3人が受賞しています。ちなみに中国、韓国はゼロです。つまり、日本は世界に冠たる数学大国だということです。ほとんどの日本人はそのことを知りませんが…(桜井進)」



◎無駄な好奇心


桜井氏が言うには、日本の数学は戦後の教育で良くなったわけではなく、江戸時代の頃からすでにかなり高いレベルに達していたとのことである。

思うに、江戸の庶民たちは数学を勉強しようという気はサラサラなかったのではないかと思う。ただ「塵劫記」という本に書かれてある問題が面白かったから、それにハマっていっただけなのではなかろうか。

ベストセラーというのは学問分野のカベを乗り越えるからこそ、そうなるものであろう。分野の中にとどまっている学問は所詮、象牙の塔から一歩も外へ出るものではないのだから。



そして、江戸の庶民たちの多くには数学を学ぶ必要性もなかったはずだ。だからこそ、役に立つかどうかには無頓着でいられたのだろうし、いわば全部が無駄なことでもあったのだろう。

しかし、無駄なことばかりをやっていても、それらは何らかの「下地」にはなるはずである。直接的な成果はすぐに現れずとも、いつの日かの土台になっている可能性は大いにある。

平清盛がムリを押して建造した大輪田の泊という港の底には、無数の「捨て石」が沈んでいるのである。たとえ庶民のしがない数学への関心とて、その砂粒が集まれば、いつかは立派な白洲になることもあるだろう。



実際、無意味とも思われた江戸の庶民たちによる数学的素養の蓄積は、明治期の日本の頭上に大花を咲かせることとなったのだ。

「役に立つ」という観点だけから行われる「勉強」の効果はおそらく限定的である。即効性はあるかもしれないが、それはきっと刹那的である。

それに対して、「好奇心」というモチベーションからは、どこか未来に直結しているような印象を受ける。たとえその時は無駄と断じられようとも、無駄なくして悠久の土台は築かれない。港は海上に浮いているのではなく、その海底に堅牢なる土台を擁しているのである。



◎根っこ


「先生、どうして足し算から勉強するんですか?」

ある小学一年生は、桜井氏の講演を聞いて、こんな質問をしてきた。

「見ている学校の先生や父兄はひっくり返る。こんな小さな子どもが、そんな本質的な質問をするのかと」



「それは世界が足し算からできているからだよ。かけ算も割り算もすべて足し算が元になっているんだよ」と桜井氏は7歳の子どもに優しく説明する。

小さな子どもが「根源的な質問」をできるのは、彼らがまだその根っこの部分にいるからであろう。一方で、すっかり樹上の高みに登ってしまっている親たちは、その根源や本質を忘れがちでもある。

そして子どもの何気ない一言は、「教育とは何か」を大人たちが忘れていることにも気づかせてくれる。



「わかった! よっしゃ! と思った瞬間の快感を知っている子どもたちは、それを中心に勝手に動き出します」

「花まる学習塾」の高濱正伸(たかはま・まさのぶ)氏は、そう語る。

「答えが合っているかどうかだけに注目していると、結局おもしろくない方向に進んでしまいます」



「答え」だけに囚われてしまうことは、役に立つか立たないかを表面的に判断することにもつながるだろう。そこからは無駄も生まれなければ、面白みも生まれない。

高濱氏に言わせれば、それは「数学に限らず、死んだ状態です」となる。さらに彼は言う、「日本の問題はそこに集約されると思います」。





◎競争


「競争」という概念は、無駄を削ぎ落とていく戦いであるのかもしれない。

しかし、肉の旨味は無駄な脂身であったり、無駄な贅肉であったりもする。無駄肉を削ぎ落した骨をウマイウマイと食うのは犬ばかりである。

その点、あまりに合理的になりすぎると、自らが立っている土台を少しずつ少しずつ切り崩していってしまうという恐れもある。熾烈な競争の渦中にあっては、一切の無駄が許されないかもしれない。しかし、それが許されない状況にあっては、未来へ飛び立つ土台をも失われる危険性もある。



逆に「みんな平等」を是として、それが行き過ぎるのも困りものである。

どちらかと言うと、子どもたちは競争を「面白がる」のだ。彼らはいつも、無駄に競いたがる。

すなわち、競争も平等も畢竟、一長一短であり、そのどちらかが一方的に支持されることのほうが、面白くなくなってしまうことにもなるのだろう。



無駄なことをやれるのは幸いだ。

それはきっと無駄にはならない。

すべてが終わった後にしか、無駄かどうかの判断はできないのだから。



幸いにも世界はずっと終わらない。人間一人が死んでも終わらない。

過去の人が面白がって海中に投げ入れた小石一つでさえ、その波紋は後世にどんな波紋を広げていくのか分からない。

どうせ小石一つ投げるのならば、多少面白がってもバチは当たらないだろう。どんな小さな個人にでも、歴史にしょうもない一石を投じるくらいの無駄は許されているはずである。

皮肉にも、しょうもないほどに面白いかもしれないのだ…。







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出典:JBpress
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2012年10月07日

動かぬ子供の心が動いたとき…。「紙芝居」先生、平光雄


「紙芝居」を使う名物教師。

その最初の一枚は、まっ白い画用紙の真ん中に「小さな赤い丸」が一つ。その赤丸の中には内側へと向かう矢印が何本か書かれている。

その絵を見た小学生たちは、「ウメボシだ!」と一斉に声を上げた。確かに、それはウメボシ弁当である。


umeboshi.jpg


紙芝居の先生には、ウメボシを書いたつもりはなかった。ただ、気持ちが自分ばかりに向かっている心の状態をイメージ化したものだった。

それでも、子供たちがウメボシと言うなら、ウメボシでいい。他人に気を向けない自分勝手で小さな人間を「ウメボシマン」と呼ぶことにしよう。



「それ以来、自分勝手な行動をとる子供に『あいつはウメボシマン』だと言うだけで、大事な価値観を教えることができるようになりました」とその先生は語る。

「考えてみて下さい。同じことを子供に伝えようとして、『こら、自分のことばかり考えて行動するな』と説教臭く言うのと、『ウメボシマンはダメだぞ』と言うのとでは、だいぶ違うでしょう」

お説教には耳をふさぐ子供たちも、ウメボシマンと言われると思わず笑って受け入れてしまうのだという。



◎言葉の節約


その教師の名は、「平光雄(たいら・みつお)」氏。愛知県で小学校の先生を務めて、今年で30年目となるベテラン教師である。

彼にとって「学級崩壊」という言葉は無縁に等しい。学級崩壊が起こるのは、教師に「サービス精神」が欠如していることに一つの原因があるという平先生。

「たとえば、子供たちに何かを教えるときに、『少しでも分かりやすく』伝えるために、『ちょっとした工夫を加える』ということをせずに、あたかも事務連絡のように済ましてしまう教師がいます。すると、子供たちの心は教師から離れていき、クラスの統率力は失われてしまうのです」



彼が教師として常に心がけるのは、「言葉の節約」ということである。

「これはムダ話をしないという意味ではありません。子供たちを前にして話が長くなると、子供たちはすぐに疲れてしまうのです」

しゃべる方も疲れるが、聞く方はもっと疲れる。しゃべるのは肉体的な疲れに過ぎないが、聞くのは「精神的な重労働」なのだと彼は言う。

「それをダラダラと話していたら、いくら正しいことでも、本当に伝えたいことが伝わらなくなってしまいます」



そこで登場するのが冒頭の「紙芝居」。

シンプルな絵を使って、子供たちにイメージさせることにより、言葉を「節約」するのである。

まさに「百聞は一見にしかず」の実践版だ。



◎変わりたい子供たち


平先生がこうした手法に行き着いたのは、自身が学級崩壊のクラスを任されたことがあったからだ。そのクラスは、「先生の話を聞かないという空気」が完全にできあがっていたという。

はて、どうする?

その深い悩みの中で、彼は一つの事実に気がつく。それは、「どんな子供の心の中にも、『変わりたい』という気持ちが必ずある」ということであった。



では、その気持ちを引き出すのには、何が必要か?

そのクラスを注意深く見ていると、ある「欠けているもの」に気がついた。それは「みんながドッと湧き上がる笑い」だった。

学級崩壊したクラスからは、いやらしい笑い声や冷めた嘲笑しか聞こえてこなかったのだ。そんな湿った笑い声ではなく、彼らには「カラッと乾いた笑い声」が必要だと平先生は考えた。



◎笑い


子供たちをドッと笑わせようと、一生懸命に笑い話をするようになった平先生。ちょっと下品なものや、ナンセンスなもの、子供たちがどんな話を面白がるのだろうと、そのツボを模索していった。メルヘンからヤクザまで…。

「キティちゃんの目は、これくらいのバランスじゃないと、可愛くないぞ」

すると次第に子供たちがドッと笑うようにもなってくる。その時、平先生は初めて「教室の空気が動いた」と感じたという。



教室の空気を動かすことを、彼は「初動」と呼ぶ。

たとえ学級崩壊してしまっているクラスであれ、その空気を動かすことができれば、良い方向に転がしていく道も見えてくる。

いかにして、海底に付着してしまったような子供たちの心を動かすことができるのか。それが平先生の求める「初動教育」なのだという。



その根底にあるのは、「子供たちは変わりたがっている」という事実である。

変わりたいのに変われない子供たち。そんなやるせない現実が、子供たちを苦しめていることも少なくないのであった。

ワッと笑えば、フッと心は軽くなる。そこに平先生はサッと救いの手を差し伸べる。もっともっと楽しいことがある場所へと誘うために。



◎ルール


動き出したクラスを導いていくには、「ルール」も必要となってくる。

そのルールは、教師の感情に左右されるものであってはならない。怒る、叱るにも理性的で明確なラインが必要なのである。何が叱られ、何が褒められるのか? その一線に感情の波があると、子供たちは再び海底へと潜っていってしまうのだ。



そのラインは「単純明快であること」。それがポイントだと平先生は言う。

「たとえば、一生懸命に頑張って失敗したことは絶対に叱らない。その代わり、人をバカにした時は絶対に許さない」

子供たちを戸惑わせないように、安心感を与えること。それがルールづくりの最大の目的となる。そのために、昨日と今日のラインはいつも同じ所に引かれている必要があり、そのラインは誰の眼にもハッキリ見えることが大切なのである。



そのルールが明確である時、子供たちは「失敗したらどうしよう」とか、「こんなことをしたらみんなに笑われるかもしれない」という不安から開放される。

失敗してもみんなが笑わないことが「分かっている」時、彼らは生き生きと積極的に動き出すのだ。そんな流れができ出すともう、用心深く海底にへばりついている必要もなくなってしまう。



◎百転び一起き


平先生が、そこまで親身になって子供たちのことを想うのは、自身が「挫折つづき」の人生を送ってきたからだと、彼は言う。

大学に入るのにも三浪したという彼は、「七転び八起きどころではありません。転ぶことの連続で、容易に起き上がることもできませんでした。何度も何度も転んでも、それでも、土俵から降りずに踏みとどまったから、教師にもなれたのです。教師になってからも、壁にはぶつかりっぱなしでした」と過去を振り返る。



そんな平先生は、子供たちに求められた色紙にこう大書した。

「百転び一起き」

この言葉には、「一念さえあれば、百回転んでも大丈夫だ」との自身の信念が込められている。



子供たちが「腐ってしまう」のは、物事がうまくいかなくなった時。

そこで踏み留まれば、その先にはもっと面白いことがあるかもしれない。時には「楽しくないこと」に耐える力も必要なのである。



平先生はそのことを得意の「紙芝居」で示す。クネクネと曲がりくねりながらも、上へ向かっていく一本の線。その先にはなぜか「ビール」が待っている。

これはスポーツ選手にはお馴染みの、プラトー(高原現象)をイメージした図でもある。どんなトップ選手にでも、必ずスランプはあり、技術が伸び悩むことがある。それは決して面白いことではない。それでも続けられるスポーツ選手だけが、もっと面白いことにたどり着けるのだ。

「百回転んだって、いいじゃないか」


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◎未来へ


今の平先生のクラスには「学級崩壊をしているヒマがない」。

それほど、子供たちは楽しむことに忙しいのだ。



彼が明確に意識するのは、教師が統率力を保つことと、子供たちが面白くないことにも耐えることである。

そのための「紙芝居」であり、そのための「ルール」である。



「変わりたい」と思う子供たち。

彼らがカラッと笑える時、きっと何かが動き出している。



平先生も、初めて学級崩壊のクラスの笑い声を聞いた時、「なんだ、この子たちはこんなに笑えるんじゃないか」と驚いたという。

きっと、日本の子供たちはもっともっと「笑える」のだろう。

彼らは「ウメボシマン」になりたいわけではないのだろう。


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出典:致知2012年11月号
「子供が蘇る授業 教育は初動にあり 平光雄」
posted by 四代目 at 06:49| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月28日

「背中」で語る三浦雄一郎。挫折だらけの冒険家


もし、学校の校長先生が、エベレストの登山家だったら?

そんな学校が北海道にある。クラーク記念国際高等学校、全国で一万人の生徒が通う、通信制・単位制の高校である。



その名物校長の名は「三浦雄一郎」。

プロスキーヤーであり、70歳をすぎてからエベレストに登ってしまったという、根っからの冒険家でもある。



◎背中で教える校長先生


その三浦校長の講義をのぞいてみると…、

「片方の鼻で呼吸をするんだ。ちょっとやってみよう。口を塞いで、片っぽの鼻の穴を塞いでみて。そのまま、深呼吸を一回」

これは自らが毎日行っているという「片鼻呼吸」という健康法だ。

「鼻水が出たりなんかしたら、鼻水を吹き飛ばして下さいね〜」。生徒たちは笑いながら、三浦校長の真似をする。「はい、次は口を開けてべー」。こちらは「舌出し体操」という、これも彼得意の健康法の一つである。



この高校の校長になって20年にもなるという三浦雄一郎氏。学校の理事からは「校長室にいる必要はない」と言われているという。「あなたがこれからやろうとしていること、その後ろ姿を生徒たちに見せてやって下さい」と言われているのである。

「背中で教える校長先生」。それが三浦校長だ。

「なるほど、校長先生がこんなにやっているんだったら、オレたちにもやれるんだ、やってみようか」。生徒たちをそういう気持ちにさせること、それを伝えていくことが彼の校長としての役割なのである。



◎自然に飛び込め


この高校に通う生徒たちは、かつて「不登校」だったり、「いじめ」にあっていたりする子供たちが多くいるという。

三浦校長いわく、「友人関係がうまくいかず、いじめがひどいなら、学校を休んじゃおう。一学期でも、一年でも休むといい。それでダメなら転校だってできる」

三浦校長の学校には、一日しか中学に通わなかったという子もいる。それでも、この高校には同じような経験をした子が他にもいたりするので、中には「無遅刻・無欠席」になってしまう子も。

「人生をトータルに考えれば、学校を休むくらい大したことじゃない。君の居場所は必ずある」と三浦校長は励ます。



「自然に飛び込め、自然が『何か』を教えてくれる」

「人生訓話は必要ない」と言い切る三浦校長は、生徒たちを積極的に自然の中へと連れ出す。ある時は冬山でのスキー合宿、ある時は富士山山頂、またある時はヒマラヤ山脈…。

2002年の富士登山には、車椅子の生徒も連れ出した。交代で支え合う仲間たち。お互いが助け合いながら、一泊二日の末、ついに63人全員が山頂まで登りきった。



ヒマラヤ山脈には、希望する生徒を募って旅立った。

「ヒマラヤ歩いていると、こっちも生徒も苦しくなってくるわけですよ。それでもフウフウ言いながら歩くんです。同じシェルパの爺さんの小屋でメシ食ってね」

「やっぱり中にはついて来れなくなる子供もいます。じゃあ、その子の面倒をみんなでみようとなって、全員で登ろうという気持ちが湧いてくるんですよね」



◎ヒマラヤ


そのヒマラヤ登山に加わっていた生徒の一人、大矢洋さんは当時の様子を振り返る。

「ヒマラヤの氷河を目の前にして、すごく不安になりました。こんなとこ登れるのかなぁって。テレビでしか見たことのなかった風景を…」

そんな生徒たちの不安を知ってか知らずか、三浦校長はひょうひょうとしたままだった。「冗談なんか言いながら、『よ〜し、いくぞ〜』みたいな軽いノリで…」。そんな校長を見ていて、大矢さんは何だか楽な気持ちにもなっていったという。



ところが、ベースキャンプを出たなり、大矢さんはすぐに激しい頭痛に襲われる。高山病だ。「マジしんどい…」。

それでもひょうひょうとしている三浦校長。「これがよく効くんだ」といって大矢さんに差し出してきたのは、一杯の抹茶。そしてそれは、不思議とよく効いた。身体にも心にも…。「すごく励まされました」と大矢さん。



その同時刻、「もしもし、元気〜?」。生徒たちのヒマラヤ登山隊は、リアルタイムのパソコンや衛星電話で、日本の学校とつながっていた。

そんな日本からの声援にも励まされ、ついに5000m峰のゴーキョピークに登頂成功。大矢さんは、その翌年に6000m級のメラピークへの挑戦も成功させ、日本人最年少(17歳)での登頂成功という大記録を樹立した。

今の大矢さんは、特別養護老人ホームでヘルパーとして働いている。「あれ(ヒマラヤ)があったから、もう何でもできるかなと(笑)」



◎変わる人生


「大矢くんって、ほんとにか細い子なんですよ」と高校の理事は話しはじめる。「三浦校長はその子をヒマラヤに連れて行って成功させてしまった。このリーダー性というか、モチベーションをずっと持続させる凄さっていうのは、並の教育者にはできないことですね」



ヒマラヤ登山隊に加わっていた別の生徒、門谷優さんもヒマラヤに人生を変えられた一人だ。当時いじめに苦しんでいたという彼は、ヒマラヤの話に真っ先に飛びついたという。

「ヒマラヤを登っていて、ホントにしんどい時なんかに、三浦先生はよく、『その次の岩まで、その次の木まで』と言って、着実に一歩一歩距離を伸ばしていくことを教えて下さいました。それは今でも本当にその通りだと思っています。あの言葉は今の自分の中でも『生きている言葉』なんです」



ヒマラヤに魅せられた門谷さんの心には、「ネパールで仕事をしたい」という気持ちが湧いてきたという。その新たな目標のために、門谷さんは4年間留学して英語をマスターし、念願のネパールの東大、トリプトファン大学に入学。ここでネパール語もマスター。

今は国際的な報道山岳カメラマンとして、同地で活躍。ヒマラヤの雄大な大自然の魅力を伝えると同時に、児童労働問題など、門谷さんのとらえたネパールを世界に発信し続けている。

「三浦先生にヒマラヤに連れて行っていただいて、ヒマラヤの雄大さにはホント感動しましたし、世界最貧国としてのネパールの現状にすごくショックを受けました。子供たちが当然のように働かされている、学校にも行けない貧しさに…」



◎75歳のエベレスト



三浦校長が75歳でエベレスト2回目のチャレンジに旅立つ目前、生徒たちはサプライズ激励会を用意していた。「ハッピー、バースデー!!」。エベレストをかたどったケーキは生徒たちのアイディアだ。

2008年、日本の生徒たちが衛星通信で見守る中、三浦校長は見事に登頂成功。初めての挑戦の時は山頂からまわりが何も見えなかったというが、今回の2回目は「抜けるような青空」。まるで「地球を見渡すような景観」だった。

「涙が出るほど、辛くて、厳しくて、嬉しい…」





「三浦校長、お帰りなさーいっ!」

帰国する校長を成田空港で待ちかまえていた生徒たち。朝5時という早朝の到着だったにも関わらず。

「ぼくたちの校長は、年齢とか関係なく、夢に向かって何度でも挑戦していく、すごい志をもった校長先生なんです。すごく誇りの校長先生です!」と生徒たちは自慢げに語っていた。



その校長先生の背中に、生徒たちは大いに感動したのである。

「生徒たちは、全然変わるんです」と三浦校長は言う。



◎ひ弱


「ぼくはね、引きこもりの元祖なんですよ」と三浦雄一郎氏は、自分の子供時代を語り始めた。

じつは、三浦氏は幼稚園も中退している。当時「ひ弱」だったという三浦氏は、人力車で幼稚園まで通わされるのがイヤでイヤで、逃げ回っていた末のことだったとか。「海にまで逃げていったら、家族もあきらめました。一年くらいは通ったかな?」と三浦氏。



小学校時代もまったく順調ではない。父親が公務員だったこともあり、転校転校の連続。田舎の青森から仙台に転校した時、その都会の学校のレベルの高さから「落ちこぼれ」に。

先生からは「何でこんなにできないんだ!」と怒られ、ますます落ち込み、ついにはストレスから病気が悪化。結核で患った肋膜炎から、4年生の半分は学校にも通えなくなってしまった。

すると、父親が病床に現れて、こう言った。「病院から退院できたら、蔵王へスキーに連れてってやる」と。それを聞いた途端、雄一郎少年の病気はいっぺんに治ってしまう。「こんな病院なんかにいる場合じゃない!」と。

冬になると弘前城の急な石垣を登っては、凍ったお堀へのスキー滑降を繰り返していた雄一郎少年。スキーとなると、もう大夢中なのだった。ましてや、あの蔵王に行けるというのだから!



◎蔵王


父親の荒治療は、小学4年生の雄一郎少年を、大学生の冬山合宿に参加させるというものだった。小さな少年は食料から何からを背負わせられて、20kmもの山道を歩かせられる。ほうほうの体で着いた温泉宿。

ほっとしたのも束の間、そこからまた4時間もかかるドッコ沼の山小屋まで行くのだという。折り悪く、山は吹雪だ。「親父の背中を見失ったら死ぬ」という過酷な条件の中、やっとのことで山小屋までたどり着く。もうすっかり夜中になっていた。



山小屋にいた大学生は、着いた雄一郎少年を見てビックリ。「こんなちっちゃい子が、この吹雪の中を越えて来たのか! 小学4年生?!」。

ぐったりしていた雄一郎少年は、驚く大学生を見て、急にシャンとした。急に誇り高い気分になったのだ。それから10日間、山を登ってはスキーで滑り降りるということを、その大学生たちと一緒に繰り返した。



そして、山から帰ってきた雄一郎少年。不思議と学校の教室や生徒たちが「ちっちゃく見えた」。今までは全然ついていけなかった学校が、急にちっちゃく感じるようになってしまったのだ。



◎挫折続き


小学校を卒業した雄一郎少年、残念ながら中学受験に失敗する。身体検査で病気のことを聞かれた時の「イヤな予感」が的中してしまったのだ。

失意の雄一郎少年、「押し入れの中にもぐり込んで、引きこもっていました。中に電気スタンドなんか持ち込んでね。お腹が空くと、その押し入れから出て来て、メシを食べて、また押し入れに戻る。引きこもりの元祖ですね」



そんな雄一郎少年を冷やかす母親。「なにさ、中学校一回二回落ちたって。エジソンでも誰でもね、みんな落ちこぼれたり落第したり、学校でバカにされてりしてんのよ」と。

「えっ?」と雄一郎少年。「世界の大物はそっから発奮したんだから、大物になるには、落第しなきゃダメなんだよ!」と肝っ玉母ちゃんは言った。



一方で、母親はこうも言う。「そんなにクヨクヨ勉強ばかりしてどうすんだい? 歌手でも俳優でもなればいいじゃないか。勉強だけが人生じゃないんだから」と。

そう言われて考えた。「でも、歌は音痴だし、こんなに短い足ではオレは俳優にもなれまい」。じゃあ、やっぱり勉強するか。とりあえず、そうなった。

後年、雄一郎氏は娘にも同じことを言ったらしい。すると、彼女はやっぱり勉強する気になって、隠れて勉強していたとのことだ。



◎父親の背中


三浦雄一郎氏は、33歳の時に富士山山頂からスキー直滑降をしてみせて、世間をあっと言わせた。その猛スピードを止めたのは、パラシュートという斬新なアイディアだった。

ちなみに、イタリアで出した時速172kmという滑走スピードは、当時の世界最速だった。そして、その恐怖のスピードで彼は転倒。それでもケガはなかった。「世界で最も速いスピードで転倒して無傷で生還」。そんな珍記録ももっている。

37歳の時には、世界最高峰のエベレストを大滑降。これはスキー最高地点である。その後、20年かけて、世界七大陸すべての最高峰からのスキー滑降を達成する(54歳)。



三浦氏がスキーにのめり込むようになったのはやはり、子供時代に父親からスキーに連れて行ってもらったことが大きい。

しかし、その父は何も教えようとしなかったという。

誰も滑ったことのない急斜面を探しては登っていく。すると、雪質を調べるためか、ストックで2、3度雪面をつついたあと、父親は「忍者のようにサーッと滑り降りていってしまう」。はるか下で止まる父。早く降りてこいとばかりに、下でストックを振っているだけ。

深い雪にスキーをとられて、転がりながら降りていく雄一郎少年。ようやく下まで着くと、また「えっさえっさ」と登る。そしてまた…。

父はその背中でしか、スキーを教えようとしなかったとのことである。



◎窮屈な競技


中学、高校と競技スキーを行った雄一郎氏は、大会などで数々の大会を手にしていく。

しかし、その競技スキーはどこか「性に合わない」。「何人もの選手がコースに押し合いへし合い」。自由で楽しいはずのスキーが、競技となると「人を押しのけ、突き倒して、あわてふためく」。



たとえば、オリンピックで銀メダルをとった猪谷千春というスキー選手がいるが、彼は子供時代に父親から厳しくスキーを仕込まれたがゆえに、メダルを取ったら、もうスキーを見るのもイヤだと、スキーを投げ出してしまったらしい。

一方の三浦雄一郎氏は、そんな窮屈な競技スキーに反発し、全日本のスキー連盟と激しく対立。結局は、アマチュアスキーから「永久追放」という憂き目に遭わされる。



期せずして自由になった三浦氏。プロスキーヤーとして新天地を求め、一時は世界ランクの8位に名を連ねる。

そして、さらなる自由と可能性を求めた三浦氏は、富士山、エベレスト、そして世界の山々へと、その羽を広げていくのであった。

「ぼくは猪谷さんとは正反対。雪もスキーも大好きで、まだまだ挑戦したいんです」



◎迷走


しかし、世界七大陸の最高峰をスキー制覇すると、三浦氏は迷走を始める。不摂生な生活がたたり、メタボに高血圧、そして不整脈。不健康の極みである。地元の小さな藻岩山(標高531m)の登山ですら「息切れするという体たらく」。

その一方、父(三浦敬三)は99歳にしてモンブランの氷河をスキー滑降。またしても、その背中に教えらた雄一郎氏は、一転改心。ついでに、息子(三浦豪太)までがオリンピック出場を果たすのを見て、自らの目標も新たにした。

その新たな目標となったのが、70歳でのエベレスト挑戦という大目標であった。その時、三浦雄一郎氏65歳。目標まであと5年…。



両足に10kg近い重り、背中には20kg以上のリュック。それで東京の街を歩きまくった。時には何時間も。

そして迎えた2003年、70歳でエベレストの登頂を果たした三浦雄一郎氏は、世界最高齢の登頂者としてギネスにその名を記載されることになる。





◎待っていた世界


三浦雄一郎氏の足跡を振り返ると、まったく順風満帆ではない。落胆があり、挫折があり、障害がゴロゴロしている。

「考えてみると、僕の人生は挫折の繰り返し。夢をつかみかけては、シャボン玉のように消えていったんです」

それでも、彼は前を向いて歩き続けたのだろう。時には「クヨクヨするな」と肝っ玉母ちゃんに笑われながら。そして、うるさく言わぬ父親の背中に何かを感じながら…。

「失敗しても、どこかで世界が自分を待っているように感じていました」

そして実際、世界は三浦雄一郎を待っていた。



彼が校長として生徒たちに伝えたいのは、そういう想いなのかもしれない。

現代社会に疑問を感じていた生徒たちも、富士山で、エベレストで三浦校長の「背中」を見るにつけ、確かに「何か」を感じずにはいられなかった。

75歳で2度目のエベレスト登頂を果たした校長に、生徒たちは惜しみない拍手を送り、そしてその偉業はみんなの誇りとなった。



◎人類のフロントランナー


そしてさらに、80歳になろうとする校長は、80歳で3度目のエベレストにチャレンジするんだと、日夜重りを背負って歩き続けている。

「これはホントに、子供たちがやりたいこと、夢中になりたいことを見つけてあげたら、子供のエネルギーってモノ凄く出てくるんですよ」

そう目を輝かせる79歳の三浦校長こそが、人生に夢中になり続けている張本人だ。





自らを「人類のフロントランナー」と自負する三浦氏は、80歳でエベレストに挑戦することによって、「高齢化社会」の新しい可能性を世界に示そうとしている。

成功しても、失敗しても、無我夢中でガムシャラに挑戦し続ける80歳、三浦雄一郎。



その背中を、生徒たちも、高齢者も、みんなでしっかり見届けようとしている。

そしていずれ、自らがその背中になっていくのだろう。彼らも私たちも…。

かつて、森信三氏は「お互いの背中は見えないもんですなぁ…」と言っていたが、自分の背中とは、いったいどんな風に見えているものなのだろうか?







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出典:
NHK 仕事学のすすめ「三浦雄一郎 冒険(ベンチャー)スピリットが扉を開く」
北海道新聞 最高齢エベレスト登頂者 三浦雄一郎
posted by 四代目 at 10:38| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする