先進国で医療活動をするのは、彼らにとっては異例中の異例だ。
病院ごとゴッソリと流されてしまった東北の被災地は、途上国の紛争地とも見紛うほどの惨状であったという。
「国境なき医師団」の活動の中心地は、途上国であり、紛争地である。
このノーベル平和賞まで受賞することとなるNPOの設立のキッカケとなったのは、ナイジェリアの「ビアフラ戦争(1967〜1970)」である。
民族虐待に業を煮やした「イボ族」は、1967年にナイジェリアからの独立を宣言し、「ビアフラ共和国」を建国。
「イボ族」は、ナイジェリアの三大部族の一つで、キリスト教を信仰(他部族はイスラムか半イスラム)し、その商才から「黒いユダヤ人」とも呼ばれていた。
「ビアフラ共和国」を国家として承認したのは、世界で4カ国(コートジボワール、ザンビアなど)しかなかったが、フランス・南アフリカなどは、ビアフラを支援した。
一方、世界中の多くの国々は、ビアフラに同情的であったものの、ナイジェリアを消極的に支持せざるをえず(政治的判断)、ソ連は積極的にナイジェリアに肩入れした。
独立を機にナイジェリアから一斉攻撃を受けた「ビアフラ」は、あっという間に劣勢に立たされ、食糧や物資が極端に不足。国土を覆わんばかりの「餓死者」で満ち溢れた。
「骨と皮になっても、お腹がポッコリとした子供たち」の写真は、世界中に衝撃を与えた。しかし、それでも各国政府は中立の姿勢を崩さない。「赤十字」でさえもナイジェリア軍に妨害を受け、沈黙を守る始末。
こうしてムザムザと餓死せざるをえなかった人々は、100万人とも200万人とも言われている。
この惨劇、そして政治的判断の非人道性に、真っ向から立ち向かわんと結成されたのが「国境なき医師団」であった。
「国境なき医師団」は、現在、19カ国に支部を置き(本部はない)、世界のおよそ70ヶ国で、果敢な活動を続けている。
現場の医療は、充分な設備が整わないことが多く、つねに熾烈な決断を迫られる。
例えば、頭に銃弾を受けた少女が担ぎこまれても、手術設備がなければ、意識はあっても「黒カテゴリー(死亡群)」として治療を諦めなければならない。もちろん、日本であれば「赤カテゴリー(最優先治療群)」として、真っ先に治療されるのだが‥。
現場はスピードが命であり、その場で「できること」が最優先されるのである。
昨日、念願の独立を果たした「南スーダン」でも、「国境なき医師団」は活躍している。
独立したとはいえ、南スーダンのインフラは、無きに等しい。舗装された道路も少なく、水・電気などは望むべくもない。
ただあるのは「石油資源」のみ。しかし、油田は数多くあるが、「製油所」が国内にはない。そのため、南スーダンの国民は、何時間もガソリン・スタンドに列をなし、挙句の果てにはガソリンが手に入らない。
医療の必要性は切実ながら、こうした状況では、どうにもならないのが現状である。スーダンの南北対立の根源となっている石油の宝庫「アビエイ地区」では、今も武力衝突が絶えず、その負傷者達の数も増える一方である。
「国境なき医師団」は、こうした危険なアビエイ地区においても、2006年から命をかけて医療活動を行ってきた。
紛争により2000人以上の負傷者が担ぎこまれ、移動外来では1000人以上の患者の診察をしたという。
しかし、残念ながら、今年5月には撤退を余儀なくされた。暴力の激化である。
「国境なき医師団」は、高潔な志を持つものの、時には「非情」ともうつる「撤退の決断」を下さなければならないときもあるのである。
彼らの決断は、つねに究極的である。
テロリストは助けるのか? もちろん、助ける。
助けた途端に、新たなテロ活動に向かうかもしれないが、そうした政治的判断は二の次であり、「今の現場」を改善させることを最大の目的にすえる。
途上国での不幸は、先進国のシワ寄せであることが、ままある。
名もなき民衆たちは、目には見えない利権の餌食となる。
先進国が犯し続ける「無意識の罪」を、「国境なき医師団」は贖罪し続けているのかもしれない。
それは、あたかも、病気の原因をつくっておいて、病気を治しに行っているようなものである。
このチグハグさが、世界の現実であり、「国境なき医師団」の存在意義でもあるのかもしれない。
政治の歪(ひず)みを修正すべく、日夜奔走する彼らの活動資金のほとんどは、民間の寄付により成り立っている。
出典:爆笑問題のニッポンの教養
「戦渦の外科医ノブコ〜国境なき医師団・黒崎伸子」