独裁者ベンアリは、その勢いに押し出される形で、あっさり国外へ逃亡。暴挙とも思えた抗議デモは、なんと「奇跡的な革命」へと成就してしまった。あまりにも美しすぎる革命であった。
ところが、新生チュニジアの新たな船出は、いきなり座礁しかけている。
革命に立ち上がった若者たちが求めたものは「仕事」、ただそれだけであった。しかし、革命後のチュニジアには、その「仕事」がない。
「雇用」は国の生命線である。アメリカがどれほど自国の失業率の推移に過敏になっていることか。
チュニジアの収入の6割は観光である。政変による政情の不安定化は、外国人観光客を遠ざけてしまっていた。
チュニジアでは、「持てるもの」と「持たざるもの」が水と油のごとく、ハッキリと分かれているという。金のない者には仕事は回ってこない。
若者たちが期待したのは、水と油をひっくり返すことであったのだが、革命によって一時的に水と油が混濁したものの、落ち着いてみれば、この図式は何も変わっていなかった。
独裁者は去った。しかし、それは表面的な事象に過ぎず、独裁者を支えていたピラミッドのような大きな土台は健在だったのである。
革命後も仕事がないチュニジアでは、若者たちの「淡い期待」は、たちまち「失望」へと変わった。
デモに参加した若者たちは、今、「仕事」を求めてチュニジアを後にしている。目指す先は「ヨーロッパ」だ。
新たな「希望」をヨーロッパに見出そうと、若者たちは小さなボートで海へと漕ぎ出した。ボートが傾くほど無理やり乗り込み、地中海の寒さに震えながら、新天地を目指した。
多くの若者がたどり着いたのは、チュニジアからおよそ100kmのイタリア・ランペドゥーサ島である。人口5,000人のこの島に、人口の5倍にあたる2万5,000人の難民が押し寄せた。
島は大混乱に陥った。島民は「俺たちの生活がムチャクチャにされた」と激怒。
事態を重く見たイタリア政府は、難民たちをイタリア各地へ移送することを約束。しかし、それは4月5日以前の難民に対してであり、それ以降の難民はチュニジアへと「強制送還」。
難民たちは「チュニジアにだけは戻りたくない」と、一時収容所に放火までして逃げ回る。命がけで海を渡ってきた人々の必死の抵抗であった。
独裁者ベンアリを追い出した「華々しい成功」は、革命達成の成果ではなく、緒戦の勝利に過ぎなかった。
チュニジアの真価が問われるのはこれからである。
革命からわずか数ヶ月、まだ結論を出すには早すぎるだろう。大きな果実を実らせるには、それ相応の時間も必要である。
革命の機運に乗じただけの「付和雷同」の面々は国を去ったが、チュニジアを逃げ出さずに、断固として踏み止まった気骨ある若者たちは、チュニジアで歯を食いしばっている。
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出典:ドキュメンタリーWAVE
「地中海・難民島〜ジャスミン革命は何をもたらしたのか」

