2011年07月22日

支配層の都合により民族は分断され、「20世紀最大の大虐殺」は引き起こされた。美しき国「ルワンダ」。

「千の丘の国」とも呼ばれる、アフリカ中部の「ルワンダ」。

「緑の山々と、湧き出る泉がどこまでも続く豊かな国」と評されながら、この国には悲しい歴史がある。



1994年、ルワンダ大統領を乗せた飛行機が、ミサイルにより「撃墜」される。

この一事を嚆矢として、20世紀最大のジェノサイド(大量虐殺)が始まり、100日間で100万人の命が失われたのである(10秒に一人以上、しかも24時間休まず殺害を継続しなければ、これほどの数字は出てこない)。

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対立した勢力は、「ツチ」と「フツ」である。

「ツチ」と「フツ」とは?

両者とも、古くからルワンダに住む「原住民族」である。

両者を厳密に区別することは難しい。ルワンダ人に「ツチとフツを区別できるか?」と訊ねると、「もちろん。でも、3回に1回は間違えるけどね。」という答えが返ってくる。

両者は、もともと同じ宗教、そして同じ言語を話す民族で、その境界は曖昧なものである。長い共存の歴史の中で、その血はお互いに混ざり合っていた。



「ツチ」と「フツ」の違いが便宜的に明確化され始めるのは、今から150年ほど前、1860年から始まる「ルワブギリ王」の治世においてである。

王国の支配力を強めるために、「ツチ」は支配層、「フツ」は奴隷という区分がなされるようになった。

しかし、それでも両者の区別はまだまだ「流動的」で、ツチからフツになったり、逆にフツからツチになったりできた。王の支配が及ばない地域では、従来通り、ツチとフツは違いを意識することもなく、生活を続けていた。



両者の違いを決定づけるのは、ルワンダに「ヨーロッパ」が関与し始めてからである。

悪名高き「植民地」時代が始まり、100年後の「大虐殺」の火種が撒かれ始めるのである。



1930年代、ルワンダを支配する「ベルギー」は、「人種IDカード」を発行する。これが決定打となる。

そのIDカードには、「ツチ」か「フツ」かがハッキリと明記され、ここに両者の区別は、完全に「固定化」されることとなった。

大虐殺において、このIDカードに記載された人種(ツチ・フツ)が、生死を別けることになるとは、当時の人々の慮外であったに違いない。

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ルワンダ人自身もが首をかしげる両者の違いを、「ベルギー人」はどうやって区分したのか?

それは、あまりにも単純で適当なものであった。

「ノッポで鼻が高い」人々を「ツチ」、「ズングリと背が低い」人々を「フツ」とした。

ツチとフツには、何となくそんな雰囲気(ステレオタイプ)があり、両者の区別がつかないベルギー人は、その曖昧な雰囲気を基準として、両者を厳密に二分したのである。



白人(ヨーロッパ人)の「黒人観」は、日本人には信じられないほどに歪んでいる。

まず、黒人は「劣った民族」であるという大前提がある。

黒人は「劣った民族」なのだから、優れた民族である白人が、何かと教育しなければならない。

「ツチとフツ」を二分した以上にタチの悪い「二元論」が、「植民地化」、そして「奴隷化」を正当化することになるのである。



しかし、白人にとって都合の悪いことがあった。

エジプトなどを始めとして、アフリカにはヨーロッパ以上に優れた文明もあるのである。

「劣った民族」である黒人が、ヨーロッパ(白人)以上の文明を築くのは、まことに都合が悪い。



そこで、良い「詭弁」を思いついた。

黒人の中には、「白人由来の優れた黒人もいる」としたのである。

その詭弁を裏付けるのに利用されたのが、旧約聖書の「ハム」、そして「カナン」である。



「ハム」は、「ノア」の裸体を覗き見た罪で、息子の「カナン」が呪いをかけられる。

その呪われた「カナン」の末裔がアフリカに逃れ、「黒人」となる。

これが「ハム仮説」であり、奴隷制を正当化する論拠である。黒人は呪われているゆえに、「不幸な状態(奴隷)」にあるのである。

しかし、呪われた黒人の中には、元は「ハム」につらなる民族もいる。

その民族に限っては、「ハム」に無縁の黒人たちよりは優れていて当然だということになる。



ルワンダに話を戻せば、その優れた黒人が「ツチ」であり、劣った黒人が「フツ」ということになる。

優れた黒人は、当然、「白人に似た所」があって然るべきである。そこで、「背が高い」「鼻が高い」「肌の色が薄い」などの特徴をもつ人々を、「ツチ」として認定したのである。

日本に例えれば、彫りの深い「ソース顏」と、平坦な「しょうゆ顔」に民族を二分し、「ソース顔」の方が「優れた日本人」だと決めつけたようなものである。

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白人が考え出した「ハム仮説」は、カトリック教会の熱心さもあり、徐々にルワンダ人の間にも浸透していく。

そして、いつの間にか、「ツチ」は「外部から侵入した民族だ」となった。なぜなら、「カナン」の末裔は、呪われた結果、アフリカに来たことになっているからだ。

当然、そんなことはない。ツチ・フツともに原住の民族である。DNAまで調べなければ、その差異は判別できないほどに、近縁の民族である。

しかし、それでも、「ツチ=(イコール)外部の侵入者」という図式は力を持った。「よそ者」のツチは虐殺されて然るべき存在となったのである。



こうして、ルワンダ固有の2つの民族、「ツチ」と「フツ」は、完全に二分された。

「旧約聖書の神話」の拡大解釈が、半ば同一の民族を2つに裂き、「ベルギーの人種IDカード」が、両者の違いを決定化した。そして、力をもった「カトリック教会」が、その分断を完全に固定化してしまった。



大虐殺の後、カトリック教会の司祭ら数人は、告発され有罪判決を受けている。

元々は優れた黒人である「ツチ」に肩入れしていたはずのカトリック教会は、権力者の推移とともに、いつの間にか「ツチの虐殺は、神の意思に沿うものである」として、「ツチ虐殺」に加担したのである。

それ以来、ルワンダではカトリック教会の権威は地に落ちた。

キリスト教にかわって、「イスラム教」の信者がルワンダでは急増する結果となった。イスラム教は虐殺に加担せず、避難民を保護したために、そのイメージが非常に良い。

ローマ法王は、当然のように、大虐殺への責任を全否定している。



最悪の大虐殺を終結に導いたのは、反政府勢力とされた「ルワンダ愛国戦線」である。

その司令官・カガメ氏は、現在、ルワンダの大統領となっている。

2003年、正式に大統領に就任するや、悪名高き「人種IDカード」を廃止した。



現在のルワンダは、「年率7%を超える急速な経済発展を遂げている」。

大虐殺の歴史を知らない世代は、「ツチ」でも「フツ」でもなく、「ルワンダ人」であることに誇りを持っている。

緑豊かな大地は、これから大きく繁栄してゆこうとしている。

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「アフリカ」関連記事:
エジプト、革命のその後…。いまだ見えぬ道筋。

知られざるエジプトの歴史。「ブラック・ファラオ」が現代につないだエジプトの意思。

革命の成果に落胆し、チュニジアを去る若者たち



出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ 
飽くなき真実の追求 「ルワンダ 仕組まれた大虐殺〜フランスは知っていた」


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2011年07月16日

戦争に「理」があるとは限らないが、「利」があることは確かである。イラク戦後の混乱に乗じて消えた「1兆円」

イラク戦争後のドサクサに紛れて、「1兆円」もの大金が消えたという。

1兆円ともなると、100ドル札でトラックが山積みになるほどの量だという。

消えた構図としては、イラクのお金をアメリカが横領したという形になる。



まず、ニューヨークに保管されていた「イラク復興資金」というお金が、戦後のイラクに向けて、ドンドン空輸された。

現金を満載した大型貨物便が、イラクに飛び立つこと20回以上。100ドル紙幣は真空パックされて、一回で2億8000万ドル(現金と木箱で360トン)を積載できた。

史上最大の現金輸送作戦である。

無事に輸送はできたものの、これらの大金は、およそ1年後には、きれいに消えてしまう運命にあった。



「イラク復興資金」は、「透明性を保ち、イラク国民の利益となるように」アメリカが管理を任されたお金だった(アメリカのお金ではない)。

しかし、「透明性」は全くなく、ましてやイラク国民のために使われた形跡は薄い。

「学校、病院、水道設備、電気設備など、イラク復興資金で賄われたはずの設備は、破壊されたまま」だった。

「混乱に乗じて、多くのアメリカ側関係者や、米軍が契約する様々な民間会社の職員らが、現金をバッグに詰めて持ち運ぶような状態が続いていた」と元職員は語る。



この頃の記録として、ネット上には「イラクで働くアメリカ人らが、真空パックされた100ドル札のブロックで、サッカーをやっておどけている映像」や、

「山積みになった100ドル札ブロックの前で、ピースサインするアメリカ人の写真」などが残されている。

ある者は、現金をバッグに詰め込めるだけ積み込んで持ち去り、さらなる強者は、「現金を箱詰めして宅急便で送った」という。

アメリカ人から言わせれば、「サダムから解放されたのは、連合軍のおかげなのだから感謝してくれ」となるらしい。



下っ端の現金横領は、まだ可愛いものなのかもしれない。

当初の捜査では、イラク人をターゲットにしていたのだが、だんだんとアメリカ人が深く関わっていることが明らかとなってくる。

アメリカ側への捜査が本格化すると、「アメリカの議会や国防省の協力が得にくくなった」という。



イラク復興資金を管理していた組織のトップ「ブレマー氏」はトンズラ。

ブレマー氏は、ブッシュ元大統領の個人的な友人でもある。

ブレマー氏は、賢明にも「イラクを去る直前に、イラク政府はいかなる状況でもアメリカ人や政府を訴追できない協定を無理矢理結ばせている」。

そのため、この一件を問題解決できる権限を持つのは、「国連」以外に存在しないという。



なぜ、戦争は起こり続けるのか?

大義名分としては、「正義」のためかもしれない。

しかし、殺人を繰り返す「正義」を土台として、恒久的な平和は築けるものだろうか?

殺人の果てにある平和は、歴史上、永続した試しがない。

現代の平和は、「核兵器を構えた睨(にら)み合い」が現出させた「幻」のようなものである。

戦争が平和をもたらすとは、誰も本気で思ったりはしないだろう。

そもそも、「他人の不幸」を「自分の幸福」とする発想自体が「持続不可能」な構図である。



戦争が「利」を生むことは確かである。

明治維新後の日本も、「台湾出兵」に利を得て、戦後の日本も、「朝鮮戦争」に利を得た歴史がある。



戦争と限らず、何か大事が起これば、必ず巨富を築く者が現れる。

事が大きければ大きいほど、そして、巻き込む範囲が広ければ広いほど、どこかで巨大な「利」が生じる。

果実を押し潰せば、美味しい汁が滴(したた)り落ちるようなものである。



しかし、押し潰された方は、たまったものではない。

イラク、アフガニスタン……。

潰れた果実が、芳醇な美酒を生み出すこともあれば、腐臭を放つこともある。

搾りたての美味しいところだけを頂くのが、最も巧妙な者たちの流儀である。



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2011年07月11日

情報の共有化がもたらした、情報の大流出。「情報は自由であるべき」なのか?

昨年、アメリカの膨大な「国家機密」が漏洩し、一般庶民にはついぞ知ることのなかった世界の一端が明らかとなった。

情報流出の「アリの一穴」となったのが、2007年7月、イラクのバグダッドにて、アメリカ兵が民間人を射殺した衝撃的な映像であった。

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「ロケット砲を持っているぞ(アメリカ兵はカメラをロケット砲と勘違いしたらしい)」

「撃ってもいいか?」

「カモンッ! ファイアーッ!!」

(ヘリコプターからの凄まじい銃撃音)

(撃たれたカメラマンを助けようと、駆け寄った民間人をも皆殺しにする)

「死体がゴロゴロだ」

「ナイス」

市民10数人、そして2人の子供が犠牲となった。



この映像が「ウィキリークス」により公開されたのが、2010年4月。7月にはアフガニスタンのウォーログ(戦闘日誌)、10月にはイラクのウォーログ(戦闘日誌)、さらに翌月にはアメリカの外交公電が暴露される。

これら一連の機密文書により明らかになったのが、信じられないほど多くの民間人が殺されていたという事実であった(アメリカ軍は民間人の犠牲者数を明らかにしていなかった)。

上記の無差別射殺は、特殊なケースではなかったのだ。一人のテロリストを殺すためには、民間人をいくら殺しても、それはしょうがない犠牲とされた。

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殺人が日常化する世界では、アメリカ兵たちの行動も常軌を逸してくる。

逃げ惑う一人の男を銃撃し続け、ついには射殺すると、アメリカ兵たちはサッカーチームがゴールを決めたときのような歓声をあげる。そんな映像まで兵士の手でつくらていた。

様々なそうした映像を見るにつけ、アメリカ兵が殺人をゲーム化しているかのような印象を受ける。



今までは、極秘とされていたこうした情報は、なぜ流出したのか?

それは、情報処理を担当していた、ある一兵士が機密情報を、ジュリアン・アサンジ(暴露サイト・ウィキリークスの創業者)に手渡したためである。



ここに一つ、アメリカ軍の情報管理の甘さがあった。

その兵士は、決して高い身分でなかったにもかかわらず、重要な情報にアクセスすることが可能であったのだ。

彼はレディー・ガガと見せかけたCDを持ち込み、軍の機密データを圧縮保存し、それらを暗号化してデータを送信したという。

彼自身、軍のセキュリティの甘さに、あきれ返ったようなコメントを残している。

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9.11の同時多発テロ以来、アメリカは「情報の共有」を推し進めた。

9.11のテロを防げなかったのは、情報が「縦割り(タコ壷)状態」だったからだということで、情報の共有化が図られたのである。そして、FBI、CIA、国防総省などが情報を共有することとなった。

かつては、「need to know」という方針のもと、知る権限は必要に応じるものだったが、新たな方針「need to share」は、知る権限を大きく拡大し、末端の兵士までが機密にアクセスできるようになっていた。

情報の共有は、大きな戦果をもたらしたことは確かだったが、同時に脆弱性をも拡大することとなった。そして、それが大量流出事件へとつながった。



情報を流出させた兵士、ブラッドリー・マニング氏は、現在、独房の中にいる。

「一日中、独房で座っている」

「5分ごとに、看守が見回りにくる」

「枕もシーツも与えられず、寝るときは裸にされる」

彼の手記である。50年間は、この暮らしが続くとのこと。



彼は兵士としては、重大な罪を犯したことになる。しかし、彼の行いを「正義」として、市民団体は、猛烈な抗議運動を起こしている。

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「情報は自由であるべきだ(Information should be free)」という、マニング氏の言葉には、ある種、真実の響きがある。



マニング氏の最後の書き込みは、「環は閉じられた(full circle)」。

秘密を知ってしまった彼にとって、その情報を秘密のままにしておくことは、もはや不可能だったのかもしれない。

情報を公開するという最後のアクションがなければ、環を閉じることはできなかったのだ。



アフガニスタン戦争の結果として、オバマ大統領はビンラディン氏を殺害した。

テロの首謀者とされるビンラディン氏を殺害するために、アフガニスタンの名もなき国民たち数万人が犠牲になった。

オバマ大統領は、高らかに宣言する。「正義はなされた(Justice has been done)」

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屍(しかばね)の上に、平和は築かれるものなのだろうか?

おそらく、その平和は「錯覚」であろう。

錯覚というのは、ある特定の角度から見れば「望みどおりの姿」と見えるものの、少しでも角度を変えれば、全く別の姿が現れてくる。



正義とは錯覚のタマモノである。

情報を流出した一兵士の行いも、ある特定の角度から見れば、立派な正義に違いない。

正義は、あらゆる角度に存在し、どんな行為であろうとも、必ず正当化できる側面を持つものである。



出典:ドキュメンタリーWAVE
「マニング上等兵の戦争〜米・機密漏えい事件の衝撃」

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2011年07月01日

アメリカはアフガニスタンに何を残したのか? 散々な戦禍の果てに。

アメリカにとって、最も長い戦争が、現在でも「アフガニスタン」で続いている。

「9.11テロ」に端を発するこの戦争は、2001年の開始から、今年で早くも10周年を迎えようとしている。

この戦争は民間人の犠牲の多さでも知られる。去年、3,000人近い民間人と、1,000人近い国際部隊が犠牲となった。これは過去10年間の戦闘において、「最悪」の結果である。

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中国・三国志時代の故事に、「鶏肋(けいろく・鶏のアバラ骨)」というのがある。

時の権力者・曹操が「鶏肋」とつぶやき、時の賢者・楊修(ようしゅう)は、それをこう解釈した。

「鶏肋はこれを食するに味無かれども、これを棄つるには惜しむべし。今、進むに勝つあたわず、退くに人の笑うを恐る。ここに在りても無益にして、早く帰るにしかず。」

(食べるのには肉が少ない鶏肋だが、味は抜群で、捨てるには惜しい。今の戦は、まさにその鶏肋。勝つことはできないが、退却すれば、世間から笑われる。それでも、ここは思い切って退却したほうが良い。戦を続けることは無益なことだ。)

早速、撤退準備をはじめる楊修に、曹操は激怒。そして処刑。

あまりにも本心を見透かされたことに、曹操は腹を立てたのだという。結局、この戦は曹操の惨敗に終わり、撤退を余儀なくされる。

散々な退却戦の中、曹操は臍(ほぞ)を噛む。「あの時、撤退していれば‥‥」。賢者・楊修の顔が曹操の脳裏をよぎる。



アメリカにとってのアフガニスタン戦は、当初はアメリカ国民を一致団結させたものであったが、あまりの長期化に、いまや国を揺るがす「益のない戦争」と成り果てていた。

今月、アメリカのオバマ大統領は、アフガニスタンからの「撤退」を表明。

3万3千人の増派部隊を、来年(2012年)9月までに撤収させる方針だ。

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この撤退の大儀となったのは、「ビンラディン氏」の殺害であろう。

この戦争自体、もとはビンラディン氏の「アルカイダ(9.11テロの主犯とされる)」を殲滅する目的で始められてたものだ。その親玉をやっつければ、目的は達成ということにできる。

ところが、この戦争、実際はアルカイダを匿(かくま)うとされる「タリバン」との戦争になってしまっている。

タリバンとの戦闘の長期化が、この戦争をドロ沼に引き込んだのである。

「あっちを叩けば、こっちが出てくる」という具合に、ゲリラ的なテロは「モグラ叩き」のごとく、アメリカ軍を愚弄し続けた。

アフガニスタンのテロ活動は、ビンラディン氏の殺害後、収まるどころか激しさを増している。

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このように、事態が何ら好転していない、いやむしろ悪化している中での、アメリカ軍撤退の表明である。

「裏がある」と勘繰る人々は多い。

オバマ大統領には、来年、大統領選挙が控えている。再選のためには、アフガニスタン戦争の一定の成果を、アメリカ国民に示したいところである。

そのためには、テロの首謀とされたビンラディン氏の殺害が、最も効果が高い。そして、実際に殺害した。次は、軍の撤退だとなれば、大統領の鼻も高い。

ビンラディン氏の殺害に関しては、異論・憶測が飛び交い、「すでに死んでいた」だの、「まだ生きている」だの、喧々諤々である。それも、アメリカ政府によるビンラディン氏殺害の発表が、二転三転したり、肝心な部分が曖昧だったためである。

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様々な疑惑を「力技」で押し切ったビンラディン氏の殺害であるが、パキスタンとの関係悪化は、避けられない事態となった。

アメリカが標的とする「タリバン」も、実はパキスタンに多数潜伏している。さらに、パキスタンは核保有国でもある。

アメリカとパキスタンの関係悪化は、戦局を著しく不利な方向へと導くことになりかねない。

ビンラディン氏殺害によって、アメリカが払った代償は大きい。得られた大儀以上に大きい。



政治的な決断である「アフガニスタン撤退」も、戦略的には怪しい部分も多い。

まず、アメリカ軍なきあと、乱れに乱れたアフガニスタンの治安は、誰が守るのか?

当然、アフガニスタンの治安部隊となるが、その訓練の成果は芳(かんば)しくないようだ。

アメリカ軍の訓練の甲斐なく、治安部隊の3割は軍を去り、なかには敵であるタリバンに身を投じる者もいる始末だ。アメリカ軍は味方を養成しているつもりで、同時に敵を育てていることにもなる。



9.11テロは、その犯行をアルカイダであると、アメリカは即断し、その潜伏先であるアフガニスタンを攻撃。アルカイダを庇(かば)うタリバンをも巻き込みながら、戦闘は多極化・長期化していった。

アフガニスタン、タリバンともに、「とばっちり感」がなきにしもあらず。

その結果、戦場となったアフガニスタン国内は、麻布のごとく乱れ、治安は極端に悪化、政治は腐敗を極めている。

多数の民間人を犠牲にしながら、国は一向に治まる気配を見せない。

テロは、依然国土を跋扈(ばっこ)し続けている。



そんな中、アメリカは、アフガニスタンをカキ混ぜるだけカキ混ぜて、はいサヨウナラ。問題解決どころか、強引な結論を出して、問題を悪化させただけだった。

後(あと)に残されたのは、「大国の都合」に翻弄され続けた「悲しき小国」の姿のみである。

「国破れて、山河あり」、「夏草やつわものどもが夢のあと」

戦禍を被った跡地には、日々の糧にも事欠き、死を恐れる毎日を過ごす住民たちが、今も細々と暮らしている。



出典:時論公論
「アフガニスタン 米軍撤退とテロとの戦い」

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2011年06月08日

核戦争を回避した男「J・F・ケネディ」。

「もし、ケネディ大統領が暗殺されなかったら、ベトナム戦争は回避されたか?」

正統な歴史家には、蛇蝎のごとく嫌われる質問である。歴史に「もし」はない。

しかし、戦争回避を期待させるような言動が、大統領在任中のケネディ氏には数多く見られた。それは、のちの思想家たちを夢想させるには充分なほどである。

実際、彼は「世界が核戦争に最も接近した危機」を回避した男である。



JFK(ジョン・F・ケネディ)がアメリカ大統領に就任したとき、彼は弱冠「43歳」。アメリカ大統領史上、選挙で選ばれた最も若い大統領であった。

アイルランド系アメリカ人の血を継ぐ彼は、初のカトリック大統領でもあった。オバマ大統領も、アイルランド系の血を継ぐ、初の黒人大統領である。両者には、ときおりシンクロするような錯覚をおぼえる言動が見られる。



ケネディ氏が暗殺されるまでの、3年に満たない在任期間中、アメリカは幾度となく「戦争」へ踏み出そうと身を乗り出す。

ピッグス湾事件、ラオス危機、ベルリン危機、そして極めつけに「キューバ・ミサイル危機」。

よくもこの短期間に、これだけの危機を並べられるものだ。結果的に、ケネディ氏は、すべての軍事危機において、アメリカの戦争への一歩をことごとく阻止した。

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当時の世界は、東西冷戦の最高潮にあり、アメリカは今よりずっと好戦的であった。事あるごとに「戦争」「戦争」という外野たち。戦争を回避しようとするケネディ氏は、「腰抜けの若造」と罵られ続けた。

当時のアメリカは世界最大の軍事力を有する国家であり、戦えば勝つのが当然であった。第二次世界大戦、朝鮮戦争といった戦勝の記憶が、主戦派を勢いづかせていた。

主戦派たちにとって、ケネディ氏の外交は「生ぬるすぎた」。力でねじ伏せれば簡単なことを、いらぬ遠回りをしていると猛烈に非難した。



ところが、そんな好戦的な輩にとっても、「核」は怖い。

「キューバ・ミサイル危機(1962)」は、米ソ両者が「核爆弾」のスイッチに手を置いて、睨み合った恐怖の瞬間であった。



キューバに配備された「ソ連の核ミサイル」を、航空写真によりアメリカが発見。

ソ核ミサイルの「射程距離内に捉えられた」ことを知ったアメリカは、騒然。第三次世界大戦の幕開けか?

アメリカ国内の軍隊を、キューバ側に大至急集結。空軍は最高の警戒レベル。180隻の大艦隊をキューバ沖に展開し、海上封鎖。

ケネディ大統領はキューバに対して、「核ミサイルの無益さ」を力説。

折り悪く、アメリカの偵察機がキューバに撃墜される。

色をなした主戦派は、「断固たる反撃を!」、噛み付かんばかりにケネディ氏に迫る。

それでも、ケネディ氏は動かない。



結局、この危機は、ソ連との外交交渉の結果、本格的な武力衝突は回避される。

「弱腰」と侮られ続けたケネディ氏であったが、この成果は「全面的に賞賛」された。



この「核の危機」後、ケネディ氏は「核実験」の禁止条約を、ソ連と結ぶことに成功。

この条約は、拡大に歯止めがかからなかった「核」が、初めて「核軍縮」へと方向転換した歴史的瞬間であった(フランスと中国は大気圏内での核実験を継続)。

オバマ大統領も、「核なき世界」を標榜し、ノーベル平和賞を受賞している(批判も多いが)。



ケネディ氏は、核開発を続ける「イスラエル」に対して強硬な姿勢で臨んだ。

彼は、イスラエルに対立姿勢を鮮明にした、数少ないアメリカ大統領である(このことが後の悲劇を生む「伏線」になったと主張する人々もいる)。

オバマ大統領も、イスラエルに対して不利な発言をし、敵対とまではいかないまでも、対立傾向にある。



1963年、日本のテレビに革命が起こる。「衛星放送」である。

「本当にアメリカから電波が届くのか?」。

時の関係者たちは、大きな不安とわずかの期待で、ザーザーとノイズの映るテレビ画面を注視していた。

徐々に鮮明になる映像。歓声が湧く。「成功だ!」

その直後、関係者の歓喜は「衝撃」へと一変する。栄えある第一報が「ケネディ大統領・暗殺」だったのである。



暗殺の数時間前、ケネディ氏は、ピンクのドレスに着飾った夫人を、自慢げにマスコミに語っていた。

「今日の私は、ケネディ夫人のお供です」

会場は、ほがらかな笑いに包まれた。



華やかなパレードの歓声が、銃声により、狂声へと変わる。

銃声とともに、平和を希求した大統領は、その姿を消した。



証拠物件の公開は、2039年まで不自然に制限されると同時に、大規模な証拠隠滅が行われた。

銃撃により、後方に吹き飛んだケネディ氏。なぜか「後方から射撃した人物」が犯人とされた。

「はめられた」と叫び続けた犯人「オズワルド」は、2日後に、ユダヤ系移民「ジャック・ルピー」により射殺された。

そのジャック・ルピーも、4年後、奇怪な死をとげる。尋問で「自分は誰かに操られていた」とほのめかしたという。



異端の大統領「ケネディ」は、道半ばにして倒れた。

彼の死後、ベトナム戦争に突入したアメリカは、「力でねじ伏せられないもの」が世界にあることを悟る。

しかし、そう悟ったのは、6万人近いアメリカ兵と200万人以上のベトナム人の犠牲の後であった。

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ケネディ氏は「先見の明」がありすぎたのだろうか?

彼は「時代の先」を行きすぎたのだろうか?

オバマ氏は?

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出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ
 ケネディの残光 「バーチャルJFK〜ベトナム戦争は回避できたか」
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