2011年09月10日

あらゆる法律が無視される「グアンタナモ収容所」。最もアメリカらしくない負の施設。

「グアンタナモ」というのは、じつに不思議な場所である。

グアンタナモは「キューバ」にありながら、「アメリカ」なのである。

今から100年以上前、アメリカがスペインに勝利した「米西戦争(1898)」以来、アメリカが実効支配を続けている(当時のキューバはスペインの植民地であった)。

アメリカはこの地を「軍事基地」とし、グアンタナモは「アメリカの裏庭」と称されるようになった。

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ご存知、アメリカとキューバは「犬猿の仲」であり、国交が断絶した状態にある。

アメリカとキューバが「仲違(たが)い」したのは、1950年代のキューバ革命以降のこと。両者の不仲は一時「核戦争」寸前まで悪化している(キューバ危機・1962)。

当然、キューバとしては、自分の国の中に大嫌いなアメリカの基地があることが気に入らない。しかし、1903年にアメリカは金貨2,000枚(現在価値で30万円)でグアンタナモの「永久租借」権を獲得している。だから、出て行かない。

こうして、グアンタナモ基地は、世界でも稀有な「敵国の中にある軍事基地」となった。



怒ったキューバは、グアンタナモ基地の周辺に「地雷」を埋めまくり、水の供給をストップする。アメリカも負けずに「地雷」を埋めまくり、海水を淡水化する装置を設置し「自給自足」体制を確立する。

そんなこんなで、現在のグアンタナモ米軍基地は「宙ぶらりん」の状態にあり、キューバの法律もアメリカの法律も適用されない。そのため、アメリカの軍法だけが適用される「治外法権」の地とされている(日本の米軍基地もそうである)。



このタックスヘイブン(税金逃れの天国)のようなグアンタナモ基地に、2002年、アメリカは「テロリストの収容キャンプ」を作った。

これが世界の国々から非難轟々の「グアンタナモ収容所」である。

どの国の法律も通用しないため、「裁判なし」で逮捕・勾留されてしまう。「テロリストっぽい」というだけで「お縄」である。アメリカ国内で逮捕・勾留すると、アメリカの法律が邪魔してしまうので、テロリストとおぼしき面々は真っ先にこのグアンタナモへと送られるのである。



恐ろしいことに、グアンタナモでは「拷問」が日常化している(アメリカ政府も「拷問の事実」を認めている)。

「真っ暗な箱に閉じ込める、何日間も眠らせない、裸のまま低温で放置、水責め……」



世界は「拷問をなくそう」と約束したはずだった。

2度の世界大戦における苦い教訓の末、「捕虜」といえども人道的な扱いをしようと約束したのが「ジュネーブ条約」だった。

しかし、「宙ぶらりん」のグアンタナモ基地内では、平然とジュネーブ条約が「無視」されている。テロリストは捕虜ではなく、「犯罪者」だという。残念ながらジュネーブ条約は犯罪者には適用されない。

それでも、軍人以外の犯罪者を軍施設に勾留することは国際的に違法である。しかし、アメリカ側によれば、拘留しているのは一般人ではなく、「戦闘員」であるということになる(それが年端もいかない少年だったとしても)。



このグアンタナモにおける「人の道に外れた所業」は、「今はテロリストと戦争状態にある」という言葉で正当化されている。

そもそも、戦争という異常な心理状態の中でも「人の道」は守ろうと世界は約束したはずであったのだが……。

現在まで700人以上が勾留を受け、なお170人以上が収容されている。



グアンタナモにおける「拷問」の事実は、世界に「人道危機」を叫ばせただけでは済まなかった。

アルカイダなどのテロ組織によって、格好の宣伝材料とされたのである。「アメリカは非道である。若者たちよ、立ち上がれ!」。

テロリストでなくとも、正義に燃える若者たちは黙っていられなかった。2005年、ロンドンで起きた地下鉄爆破事件(犠牲者56人)は、そうして感化されたイギリス人によるものであった。



9.11テロで正気を失ったアメリカは、ゴリゴリと力まかせにテロリストたちを追い詰めていった。そして、グアンタナモでは「最もアメリカらしくないこと」をやってしまった。

強大な力によって歪められた「人の道」は、多感な若者たちの感情をも歪めてしまった。その結果、テロの余波は、予期せぬところにまで飛び火してしまったのである。

グアンタナモにてテロリストは拘束したものの、「テロ的な思想」は世界へとバラまかれてしまった。



「テロ」という語源は、「恐怖」である。

それは、相手に恐怖を与えることを意味するが、逆にテロが「恐怖から生じる」とも考えることができる。

強者はテロに訴えない。テロは追い詰められた弱者の手段である。テロは、やられるかもしれないという「恐怖の末(すえ)」の最終手段である。その様は「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」。



グアンタナモの拷問は、世界の人々に「恐怖」を与えた。世界が「人の道」から外れてしまう恐怖である。そのため、心ある人々は立ち上がらざるをえなかった。

オバマ大統領は、「グアンタナモを閉鎖する」と明言した。しかし、今のところ、現状に大きな変化はない。

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グアンタナモを巡る問題は、手を変え品を変え100年前から続いている。

農業地帯であるグアンタナモ一帯は、本来ならば平和にコーヒーやサトウキビを栽培していたであろう土地である。

ところが、時のさまざまな権力はそれを許さなかった。歪みに歪められたグアンタナモは、今、世界で最も醜い姿を晒(さら)している。



グアンタナモが自然な姿を取り戻すのはいつの日か?



出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ 
9.11から10年 第1週 「対アルカイダ 情報機関の10年」


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2011年09月07日

世界を一変させた9.11テロの衝撃。いったい世界の何がテロリストを生み出すのか?

「ビルから次々と人が飛び降りているっ!」

巨大なビルに比すれば、アリのごとき小さな人影が次々と空中を落下してゆく。これは、9.11テロ直後の世界貿易センタービルである。

航空機に激突された巨大なビルは、朦々と噴煙を上げている。その猛火に退路を絶たれた人々が、絶望の末にビルから身を投じたのである。

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その数、200人を超えると言われている。ビル周辺には大砲のような轟音が次々と鳴り響く。人間が地上に叩きつけらる音だ……。

そのおよそ1時間後、投身した人々の絶望を具現化するごとくビルは倒壊し、その姿を消す……。

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最初の航空機(AA11便)がビルに突っ込んだのは、午前9時前。

モーンング・コーヒーを楽しみながら一日の計画をボンヤリと考えていた人々は、テレビで放映される映像が現実のものなのか、はたまた映画の中のものなのか瞬時に判断がつきかねた。悪い冗談であって欲しいと願ったのかもしれない。

その時、アメリカの最高指導者・ブッシュ大統領(当時)は、攻撃を受けたニューヨークからはずっと遠くのフロリダにいた。このことは、ある意味幸いであった。

緊急時においては、大統領と副大統領は、別々の場所にいたほうがよい。なぜなら、同時に攻撃を受ける可能性が低くなるからだ。もし、大統領が倒れた際は、副大統領がその権限を引き継ぎ、最悪、その副大統領も倒れたら、下院議長がその代わりを務めることになっていた。



この後、ブッシュ大統領は専用機(エアフォースワン)で、9時間ほどアメリカ上空を漂うこととなる(途中、2度空港に降りた)。それは、テロリストに居場所を特定されないためでもあった。

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チェイニー副大統領は、核戦争に備えた地下室の中に立て篭(こも)り、ハスタート下院議長はヘリでワシントンDCを離れた。



世界貿易センタービルに2機の航空機が激突した後、さらにもう一機(UA77便)がアメリカ国防省(ペンタゴン)に突っ込んだ。

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「経済」を象徴するビルが破壊され、その次に「軍事」の象徴の建物が破壊された。その次は…、「政治」の象徴たるホワイトハウスがテロの標的にされる可能性が高まった。

アメリカ上空を飛行していた航空機は、その時およそ5,700機。その全てに緊急着陸の指令が発せられた。どの機がハイジャックされているのかを特定するためだ。

そうして浮かび上がってきた航空機がUA93便。この機に対しては、異例の攻撃命令が下された。民間人の乗った航空機が、攻撃対象として許可されたのである。

しかし、戦闘機がこの航空機を撃墜することはなかった。なぜなら、搭乗していた勇敢な人々がハイジャック犯と格闘し、この機を無人の平原へと墜落させたからだ。首都ワシントンDCまで僅か9分という距離だった。

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この日以来、アメリカは変貌した。

アメリカを象徴する「自由への寛大さ」はすっかり陰を潜め、執拗なるテロへの報復攻撃が開始されたのである。



あれから10年…。

荒廃した人々の心には、どんな草花が芽生えたのだろう?

アメリカは「自由への寛大さ」を再び示すことができているのだろうか?



10年が経ち、標的とされた聖戦士のビンラディン氏は、この世を去った。

しかし、それでも世界はある意味何も変わっていない。依然、テロへの警戒の手を緩めることができないのである。

9.11テロとして表出した現象は、ずっと深いところに根を下ろしている。テロを実行する聖戦士たちは、その枝葉に過ぎない。いくら邪魔な枝葉を打ち落としても、よけいに枝葉は勢いを増すばかりである。



イスラム世界の中には、「自分たちの貧困は、欧米諸国の不道徳と強欲の犠牲だ」と考える人々がいる。

そして、欧米諸国の中には、「自分たちの景気後退は、イスラム世界にはびこるテロのせいだ」と考える人々がいる。

「?」

人間の心理には、「良いことは自分の手柄、悪いことは相手のせい」と考える習性があるという。この習性は、自分にとって「不都合なことを排除する」ための根源的な思考に結びつく。

「自分が苦しい状態に置かれているのは、何か外に悪いモノがいるからに違いない。それなら、その悪いモノをやっつけてしまえば良い。」

自分に「力」があればあるほど、この思考法は強くなる。もし、自分に「力」がなかったら、逃げ出すしかないのである。



弱く小さな動物ほど、じつに臆病で、ちょっとした物音でも飛ぶように逃げてゆく。

長き生命の歴史をたどると、面白いことが分かる。現在生き残っている種は、こうした臆病な動物の子孫ばかりなのである。

好戦的で強大な生命は、一時の隆盛を謳歌するも、現在まで生をつないでいないのがその常である。

一体、「強い」とはどういうことなのだろう?



テロ行為の奥底に隠された教訓とは何なのか?

テロ行為の派手さだけに目を奪われるわけにはいかない。

次の10年を生きる我々にとっては、ここで静かに想いを巡らせる必要がある。

ずっと遠くの未来を……、そして、ずっと遠くの過去も……。

今、ここに存在している自分自身に……。



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出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ
 9.11から10年 第1週 「世界を変えた日」


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2011年09月06日

「リメンバー・9.11」。毎年深まっていくばかりのイスラムとアメリカの溝。

9.11テロは忘れない。「リメンバー・9.11」。

「リメンバー・ルキタニア(第一次世界大戦)」、「リメンバー・パールハーバー(第二次世界大戦)」、「リメンバー・トンキン湾(ベトナム戦争)」、……。

アメリカが戦争に突入する際の大義名分こそが、「リメンバー〜」である。



今回のニュースで問題とされたのが、「9.11テロを決して忘れない」と題された子供向けの「塗り絵」である。

この塗り絵の内容が、あまりにも「イスラム」を敵視していると非難されている。

「イスラム」が登場する時は、必ず「テロリスト」、もしくは「過激派」という単語がくっついてくるのだそうだ。「自由を憎むイスラム過激派が、自由なアメリカを憎んでいる」といった具合である。

「イスラム教徒と会ったことのない子供がこれを読んだら、イスラム教徒には『恐怖』しか抱かないだろう。」



ある世論調査によると、イスラム世界では「いまだ過半数の人が、9.11の犯人がアラブ人だったことを認めていない。」という(興味深いことには、アメリカ人の3分の1も同じ意見らしい)。

さらに、「イスラム教徒の多くはアメリカ人を不道徳で欲深いと見なしている」そうだ。

9.11テロを境に、「イスラムとアメリカは、お互いを狂信的で暴力的だと考えるようになった」。



しかし、複数の世論調査では、「アメリカに暮らすイスラム教徒の大部分は誠実な市民で、むしろ他宗教の人々よりも残忍な攻撃を支持しない」という結果も出ている。

確かに、イスラム教徒の中には「過激派」が存在するのは事実である。しかし、その目立つ部分だけが全てと考えるのは、誤解のもとであり、分裂のもとである。



戦争という強行手段に訴えるには、国民を納得させるだけの大義名分が必要である。

しかし、永遠に戦争を続けるわけにはいかない。必ず、終わす必要がある。9.11テロに起因するイラク・アフガニスタンでの戦争は、そろそろ引き際を考える時期に来ている。

この10年間でアメリカが支払ったコストは、最大4兆ドル(300兆円)にも達するという。このコストはアメリカの財政を危機的な状況へと追い込み、大きく国を傾けてしまった。



そろそろ9月11日が訪れるが、この日が来るたびに「イスラムとアメリカの溝」は深まっているような気もする。

子供向けの塗り絵は、ネガティブな感情の表出に他ならない。

溝のないところにまで、わざわざ溝を作る意味はどこにあるのだろうか?



この塗り絵の先の世界には、どんな風景が待っているのだろう?

子供たちが本当に塗りたい絵は、別の絵かもしれない。



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2011年09月05日

9.11テロから10年。世界はどう変わったのか?少なくともアメリカと中国は大きく変わった。

9.11テロの後、世界は変わったのか?

少なくとも「アメリカ」は大きく変わった。10年前のアメリカは「最高に強気」だった。

「今は、唯一の超大国(アメリカ)の時代である。

同盟国がいようがいまいが、アメリカはツインタワーが薙(な)ぎ倒された借りを必ず返す!」

ブッシュ政権は、「アメリカの自由民主主義によって、中東を作り変える」と意気込んでいた。



あれから10年。

9.11テロの首謀者とされたビンラディン氏は死に、アメリカはイラク、そしてアフガニスタンを去ろうとしている。

これは勝利なのであろうか?



テロ組織は首謀者を失っていよいよ血気盛ん。テロのニュースが絶えることはない。テロの思想は、イスラム圏を飛び越えて、キリスト圏にまでも飛び火している。

戦場とされたアフガニスタンはグチャグチャに掻き乱されたままである。

もはや、「世界の秩序はアメリカに属しているとは言い難い」。

先月、アメリカは世界最高の信用格付けを失ったばかりだ。



この10年間のアメリカの派手な立ち振る舞いの陰で、アジアと中南米の国々は着々と成長を続けていた。

なかでも中国の成長は、アナリストの予想をはるかに超えた。10年前、中国がアメリカに追いつくのは早くとも2050年頃だろうと言われていた。

ところが、いまや2020年を待たずして中国はアメリカを追い越すだろうと言われている。中国の成長は、この10年間で30年も前倒しになったことになる。



今のアメリカは、上から目線で中国を見下ろす訳にはいかない。

今の中国は、アメリカの巨額な借金を肩代わりする最大の債権国なのである。

アメリカの借金を急増させたのは、9.11テロ以降のイラク、アフガニスタンでの戦争である。その戦費負担は、1兆ドル(77兆円)を超えるといわれている。

これらの戦争は、多大な借金をもたらしただけでは飽きたらず、「アメリカの世界的な名声をも著しく傷つけた」。

期せずして、「戦争でテロは防げない」という現実すら受け入れざるを得なくなってしまった。



はたして、次の10年、アメリカ、そして中国はどんな姿をしているのであろう?

その時、日本はどんな役回りを演じているのであろうか?



posted by 四代目 at 16:49| Comment(0) | 戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月09日

原爆を積んだ爆撃機が迫っていることを知りながらも、沈黙を続けた大本営。活かされることのなかった通信傍受。

「アメリカ軍による原爆投下は、日本軍により事前に察知されていた」

今までの常識をひっくり返す「新事実」が明るみに出てきた。



ヒロシマ・ナガサキともに、軍の情報部は「テニアン島」から飛び立った爆撃機「B29(原爆を搭載)」の無線を傍受していた。

しかし、この事実は日本の降伏が決断されるや、「なかったこと」にされてしまった。

当時の関係資料は、ことごとく「灰」にされた。「灰」にしてなお、痕跡を残さぬよう、「粉」にするまで踏んづけられたという。



なぜ、原爆機が日本に来るのが判ったのか?

アメリカ軍の無線は「暗号化」されていたわけだが、無線の「頭の部分」だけは、無線化されていなかった。

その頭の部分には、どこの島から爆撃機が飛び立ったのかが記されていた。

たとえば、「V400」ならサイパン島、「V500」ならグアム島、「V700」ならテニアン島である。

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ところが、見慣れぬ数字が出てきた。「V600」番台である。

「はて?」と追跡していくと、テニアン島であることが判る。しかし、テニアン島は「V700」番台である。もっと調べると、テニアン島の「新しい部隊」であることが判明。

奇妙なことに、その部隊はたったの「10数機」の爆撃機しかいなかった。

通常の部隊は「100機以上」であったのだから、この小部隊は「特殊任務」を帯びているに違いないということで、この部隊には「特殊任務機」という呼び名が用いられた。

日本軍の「読み」は、まったく正しく、その特殊任務機こそが「原爆投下」の使命を帯びた部隊であった。



ヒロシマに原爆が投下される「8月6日」、日本軍の情報部は、「V600」番台(正確にはV675)の電波を事前にキャッチする。

その原爆を積んだB29は、「我ら、目標(ヒロシマ)に進行中」と電波を発信していた。

原爆投下の1時間前、その爆撃機は豊後水道を通過する。

日本軍は、確実にB29の所在を追跡していた。それにもかかわらず、戦闘機が飛び立つどころか、ヒロシマに「警報」すら発せられなかった。

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原爆投下の同日、ヒロシマの周辺都市(西宮・今治・宇部)は他のB29部隊の「空襲」を受けていた。

その際には、各都市に「警報」が発せられ、地域住民は避難を指示されている。

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しかし、なぜヒロシマだけは、「警報」すら発せられなかったか?

これは、今もって「ナゾ」である。

防空壕に身を隠すだけでも、被爆を免れることができた人もいただろう。

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そして、ヒロシマの3日後、またしても「同じ電波」が傍受される。

ナガサキへの原爆投下、「5時間前」であった。

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そして、悲劇は繰り返された。

やはり、警報すら発せられず、住民たちは不意打ちのように命を失った。

ヒロシマ・ナガサキ、その被害者は20万人を超えた。



記録をたどれば、日本軍の情報部は、正確に機能していた。

しかし、残念ながら、肝心の「大本営」がまったく動かなかったのである。

この事実を知った元空軍パイロットの本田氏は、ホゾを噛む。



本田氏は、ヒロシマに原爆が落とされたとき、周辺の空域を飛行していた。

それが、突然の爆風により吹き飛ばされ、機体は操作不能に陥る。

ようやく、機体を持ち直したとき、眼前にはあの巨大な「キノコ雲」があった。



ヒロシマの被害を目撃した本田氏は、心に決める。

「次にアイツ(B29)が来たら、体当たりしてでも落としてやる。」

高度1,000mの上空を飛ぶB29は、容易に落とせるものではなかったが、本田氏が乗る「紫電改」は、その高度で対抗できる戦闘機であった。

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今や遅し、と空港で待機する本田氏。

しかし、攻撃命令が下ることはなく、ナガサキは灰塵に帰す。

本田氏に与えられた任務は、被害者の救済であった。



情報部が必死で情報を捉え、パイロットは「いつでも来い」と準備万端であった。

敗色濃厚な戦局にありながらも、日本軍の末端は、ボロボロになりながら、まだしっかりと血が通っていた。

機能を停止していたのは、テーブルを囲むだけの「大本営」であったのだ。



大本営の隠蔽したはずの事実は、残されていた。

そして、「不都合な果実」は衆目に晒された。



この事実は、当時、死んでも日本を守ろうとした勇士たちを憤らせている。

その勇士たちは、戦後66年がたっても、いまだに悔やんでいたのだ。原爆投下を防ぐことができなかったことを。

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「なぜ、情報が活かされなかったのか? なぜ、出撃命令を下してくれなかったのか?」

「5時間もあれば、何とかなったかもしれない。」

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先の本田氏は、今後の日本を憂えている。

「歴史は繰り返される。」

日本の危機管理意識は、極めて低い。




出典:NHKスペシャル
「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報」


posted by 四代目 at 07:16| Comment(1) | 戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする