2012年02月21日

日本の森は「オオカミ様」が支えてくれていた。オオカミ信仰を忘れると…。


そのオオカミは山中に鹿を追ってきたからか、えらく弱っていたという。何かの拍子に川へと転落してしまい、ある筏師の目の前まで流れ着いてきた。

そして、そのオオカミはそこで撲殺されることになる(1905)。

このオオカミこそが「最後のニホンオオカミ」であり、これ以降、公式には「絶滅した」とされている(過去50年間以上、生存が公認されていない)。



それでも、「ニホンオオカミは山中に生き続けている」。そう信じる人々は数多い。

なぜなら、日本人の心の中には「オオカミ信仰」というものが根強く残り、現在においても、その信仰は脈々と受け継がれているからである。



オオカミを漢字で書くと、「獣編に良い」で「狼」。つまり、「良い獣」を意味する。

かつては「大神(おおかみ)」と書いた。これは文字通り「大いなる神」という意味であり、オオカミは神様のお使い(御眷属)と見なされていたのである。

より正確には、「大口真神(おおぐちのまかみ)」と書き、この言葉は万葉集の時代からも見られる古くからの呼び名とされている(現在の「お札」には、この「大口真神」と記されている)。

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オオカミを信仰する人々は、「オオカミは人を襲わない」と口をそろえる。

オオカミは「温和」な動物であり、むしろ田畑を荒らし回るシカやイノシシを取り締まってくれる頼もしい警察組織のような存在だというのである。



そうは言えど、オオカミが人を襲った実例がないわけではない。

人間がある一線を踏み越えた時、たとえ温和なオオカミとて人間に容赦することはないのである。



我々現代人は、「オオカミは人を襲う」と常識的に思っている。

しかし、歴史を知る人から言わせると、それは「赤ずきんちゃん」に代表される西洋の常識なのだという。江戸の日本に黒船が現れて以降の、新しい常識だというのである。

たとえ人を襲うことがあっても、古来の日本人は一貫して、オオカミを邪視したことはなかったのだともいう。



「関東の秘境」とも呼ばれる奥多摩には、そうしたオオカミ信仰が広く庶民の心に根付いている。

その中心となるのは秩父の三峰神社であり、その周辺21社が何らかの形でオオカミ信仰との関わり合いをもっている(日本全国では250社を超えるとも)。

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その内の一社「釜山神社(寄居町)」では、今も不思議な神事が毎月一回、必ず行われている。



その神事とは「お炊き上げ」のことである。

毎月17日のお炊き上げの日、人が手を触れずに洗い、炊き上げた饌米(せんまい)をおひつにつめて、奥の院の裏手にあるという特別な谷間にお供えする。

※お米を洗う時も、人が手を触れていけないのは、人手の触れたものをオオカミは食さないと信じられているからである。



その時、一ヶ月前にお供えしたおひつを回収するのだが、そのおひつの中を覗けば、米粒一粒も残さずにスッカラカンになっているのだという。

「昔から三分三厘ってんで、ちょうどおひつの縁の1cmくらい下に、たくさんの歯形の跡がつくって言うんだいな。」

この「お炊き上げ」の神事は、300年来、ひと月も欠かすことなく続けられ、その秘密の谷間の場所は、宮司のみの知る他言無用の地とされている。

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こうしたオオカミ様への「お炊き上げ」は、日本各所で行われている。

というのも、オオカミ信仰は山々を渡り歩く「修験者たち」によって日本全土へ広まったと考えられているからである。



ある地に残る「オオカミ講(民間信仰)」のお炊き上げを見ると、そこにはオオカミ様への感謝の気持ちとともに、「畏怖」の念が強いことに驚く。

オオカミへの「畏(おそ)れ」から、お炊き上げの神事を「止(や)めるに止(や)められない」のだという。「もし、それを止(や)めたら…」、どんなタタリがあるか分からないというのである。



お供えをする場に行くと、その「畏れ」のために、お願い事の言葉すら浮かばず、頭の中が真っ白になってしまうのだともいう。

オオカミは「ありがたい存在」であると同時に、「心底おっかない存在」でもあるのである。




山に暮らすオオカミは、ある意味「自然そのもの」であり、オオカミに対する「畏れ」は、大自然に対するそれと同一のものでもある。

それゆえ、オオカミ信仰の隆盛は、天変地異のそれと軌を一にすることもしばしばである。



近年、もっともオオカミ信仰が盛んになったのは、江戸末期から明治の初期にかけてのことだったという。

この動乱の時代には、疫病コレラが大流行したり、異国から外国船がやって来たり、大地震が起きたり、大火事が起きたり…。

この異常な世相に人々は恐れ慄き、「やれアメリカ狐だ、先年モグラの仕業だ」と人心の不安定さは極みに達していた。



「オオカミ様を粗末にしたタタリじゃあ。

大自然を怒らしちゃあ、人間は生きてはいけない」

心底そう思った人々がその時代に多くいたことは、なにも不思議なことではない。



昨年の大地震、大津波、そして放射能に対しても、人々の反省はオオカミへ向いたと言われている。

福島県飯舘村にある「山津見神社」もオオカミ神社の一つであるが、信仰心厚い人々によれば、この地は放射能被害を受けたものの、逆に言えばこの地で「放射能が止まった」のだとも言う。

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日本人は古くから「大神様」と呼び習わしてきたわりに、オオカミ信仰の歴史は意外にも浅い(さかのぼること300年程度)。

オオカミ神社の代表格である「三峰神社(秩父)」の伝承に従えば、その起こりは1721年である。日本各所に残るオオカミの狛犬とて、この時代を溯るものはないのだという。



オオカミ信仰が明らかにその姿を現す陰はに、江戸時代の「犬」将軍・徳川綱吉の存在がある。この将軍の発令した「生類憐れみの令」は、人間と動物の関係を一変させたのである。

その時代、犬のみならず、田畑を縦横に荒らし回るシカやイノシシすら、農民たちは殺せなくなった。そうした時、なんとオオカミ様の有り難いことか。人は襲わず、田畑の害獣を駆除してくれるではないか。

オオカミ信仰に見えるオオカミに対する「畏怖」と「感謝」の入り混じった複雑な感情の裏には、そんな歴史もあるのである。



俗説によれば、オオカミ信仰の衰退は「狂犬病」の流行にあるということになる。

犬からオオカミに伝染(うつ)った狂犬病は、神様であったオオカミ様を狂わせた。その狂った神様は、本来襲わないはずの人を襲ってしまったのだ。

「赤ずきんちゃん」が日本人に知られる以前にも、オオカミが人を襲うということは少なからずあったのである。それゆえに、江戸末期にコレラという恐ろしい疫病の当て字に「虎狼痢」が当てられ、恐るべき獣としてオオカミが虎と並び称されてもいるのである。



じつは、オオカミと犬を区別するのは、思いのほか困難である(ニホンオオカミであることを証明するには、その頭蓋骨を開いてみて、犬とのわずかな差異を確認するより他にない)。

犬も元々は山に住むオオカミだったと考えられており、山に居残った種がオオカミのままで存在し、人になついてきた種が犬になったということだ。

そして、山に残ったオオカミは「神」となり、人に従った犬は「家畜」となったのだ。



家畜化した犬は、人間の意向に沿うように沿うようにと自らを変えていった。

その涙ぐましい努力は、犬に極端な無理を強いることになり、その大きなストレスに耐え切れなくなった犬は、頭が狂って「狂犬病」ともなった。

そして、人間によって狂った犬の病が、神であったオオカミをも狂わせたということになる。そして、狂える神々は巡り巡って人間をも襲うことになった。



オオカミという存在は、然るべき生態系を維持するためには欠くことのできない存在である。

オオカミを徹底して駆除してしまったアメリカが今行なっていることは、オオカミを復活させることだ。




日本とて、アメリカの愚行を笑えない。すでにニホンオオカミは絶滅したとされているのであるから。

日本の国土には、いまだに広大な森林が残るとはいえ、その森にはもうオオカミがいないのである。

オオカミのいない森は、魂の抜けたような状態になってしまい、無秩序にシカやイノシシが跋扈することにもなった。彼らは食えるだけの草木を食えるだけ食らってしまう。森の形が変わるほどに…。



かつてオオカミが睨みをきかせていた日本の森は健全だったのであろう。

草食動物もほどよく抑制され、かといってオオカミが増えすぎることもない。草を食むものと、肉を食むものバランスが、健全な森をより健全にしていたのであろう。

傲慢になりがちな人間とてオオカミを敬い、おいそれと森をブチ壊すようなことはしてこなかったはずだ。



ところが、オオカミを失って慢心した人間たちは、現在どんな所業に出ているのか?

我々の失ったものは、オオカミそのものではなく、大自然に対する敬意なのだとも言えよう。

見方を変えれば、大自然に対する敬意を失った人間たちを見限って、オオカミたちは森を去ったのかもしれない。



ただ、幸いにも日本人の心の中には、オオカミ信仰に象徴されるような、大自然に対する敬意は少なからずも残されている。

「いない」と思われていたイリオモテヤマネコの存在を証明した「今泉吉典」氏は、奇しくもこう言った。

「いないと思った時に、終わる…」



その意味合いにおいて、ニホンオオカミは、日本人の心の内に確実に存在している。

こうした日本人の想いが、最後の一線で日本人の愚行を押しとどめているのかもしれない。



オオカミが一線を超えようとしていた人間たちを襲ってくれたのは、ある意味「幸い」であったのかもしれない。それはある種の「警告」でもあったのであろうから。

今や、オオカミたちは度を越しすぎた人間たちを襲ってもくれない。山中にヒッソリと潜んでいたとしても、その姿すらも見せてくれないのだから。



もし、日本人の心の内からすら本当にオオカミが消えた時、

いったいは日本はどんな形をしているのだろうか…?








出典:ETV特集
「見狼記〜神獣ニホンオオカミ」



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2012年02月19日

「武甲山(秩父)」を往来する龍神さま。天空と地上をつなぐ神々の物語。


秩父(埼玉)には、「武甲山」という勇ましい名を持つ名山がある。

その名の由来となったのは、日本武尊(ヤマトタケル)の「甲(かぶと)」。彼自らが、この山の岩室に自身の甲(かぶと)を奉納したという伝説が残るゆえである。

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かつては武人の甲(かぶと)のように隆々と勇ましい山容を誇った「武甲山」。

しかし、現在の姿にその甲(かぶと)の面影はない。むしろ、甲(かぶと)を脱いでしまったように、ほっそりとしてしまっている。



というのも、この武甲山が「石灰岩」の宝庫だったため、その採掘のために山全体が大きく削り取られてしまったためだ。

かつての山頂は最高地点1,336mを記録したが、現在、その地点の標高は1,295mにまで下がってしまっている。

武甲山の石灰岩は日本屈指の良質さを誇り、古くは「漆喰」の原料として、高度経済成長期には「セメント」の原料として、盛んに掘り出されていったのである。

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地球の歴史をさかのぼれば、この山の誕生は「海の中」である。石灰岩というのは、もともとは海中の「サンゴ礁」に由来する。

海面に浮上してなお隆起した武甲山は、現在の秩父に落ち着くことになったのである。



地球が人間たちの時代に入ると、武甲山は「神」として祀られるようになる。

それは、この山が貴重な「水」を人間たちにもたらしたが故と思われる。

※「神奈備(かんなび)」とは、神が宿る場所を意味する言葉であるが、現在の「秩父神社」の神奈備は、他ならぬこの武甲山である。



武甲山からもたらされる湧き水を、秩父の人々は「井戸神さま」といって大切に祀ってきた。

井戸水の周りに「二股の大根」を置いておく風習は、井戸神さまへの感謝の現れである。また、男根が祀られるのも、やはり武甲山のもたらす水に由来するものである。

日本武尊を想起させる武甲山は、男性的なイメージを強く喚起させるのである。



武甲山の伏流水は、「龍神池」という神聖な池を満たす。

この水は田畑に恵みをもたらすとして、春(4月)の「御田植祭」において、「龍神様」として大切にお迎えされる。

そして、秋に大いなる収穫がもたらされると、今度は冬(12月)に開催される「秩父夜祭」において、感謝とともにお送りすることになる。

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「秩父夜祭」で送られる龍神様を待つのは、秩父神社の「女神さま」である。

秩父夜祭は、武甲山の龍神様と秩父神社の女神さまの「逢瀬の場」ともなるのである(先にも記した通り、武甲山は秩父神社の神奈備ともされている)。




便宜上、秩父神社で出会うとされる龍神様と女神さまであるが、その本当の逢瀬の場は、宇宙に輝く北極星である。

というのも、秩父神社の女神さまは、「北極星(北辰)」の神様(日本名:妙見菩薩)であるからだ。

龍神様は空を駆け昇って、女神さまと一年ぶりの再会を果たすことになるのである。



武甲山は別名「妙見山」とも呼ばれるほど、秩父地方は「妙見信仰」の盛んな土地柄でもあった。

地球から見上げる北極星は、地球の自転軸の延長線上にあるために、あたかも「不動の星」のように見えるため、その不動の北極星は、全天を支配する最も聖なる星と考えられたのである。

妙見信仰とは、その北極星を祀る信仰のことである。




妙見さま(北極星)に従うのは、北斗七星。

北斗七星の星の一つは「貪狼星(とんろうせい)」という名を持ち、それは秩父に伝わる「狼信仰」へと派生していくものでもあると考えられている。

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また、北極星と同等に大切に敬われた星の一つが「金星」であり、その金星を司るのが「虚空蔵菩薩」ということになる。

虚空蔵菩薩に付き従うもの(眷属)は「ウナギ」。水中のウナギが転じて、「龍」ともなる。



このように、北極星を司る妙見菩薩は「狼」を、金星を司る虚空菩薩は「龍」を導くようになった。

そして、これら全ての信仰が仲良く融合した形が、現在行われている「秩父夜祭」とも考えられる。



妙見山とも呼ばれる武甲山は、狼を養って土地の人々を守りながら、一方で龍神を招き入れ、貴重な水源となってくれる。

その龍神様は、人々に実りの収穫を与え終わるや「昇龍」と化し、天空の北極星(女神・妙見さま)を目指すことになる(天空での龍神様の姿は「金星」である)。

そして、また春が来れば、龍神様は地上に降りてきてくれる。こうして、天と地を行き来する龍神様は、天空の富を毎年地上にもたらしてくれるのだ。



蛇足ではあるが、この地で毎年開催されるお祭りに、「龍勢まつり」というのもある。

巨大なロケット花火を真昼間に打ち上げるお祭りであるが、こうしたお祭りがこの地に継承されていることにも、「龍」との深いつながりが見て取れる。

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天と地を龍によってつないだ秩父の「武甲山」。

古代の人々の思想は壮大であり、ロマンに満ちている。

貪狼(とんろう)のように貪欲な現代の人々には、武甲山は石灰岩の宝庫としか映らないのかもしれないが、古代の人々は「目には見えない恵み」を確実に感じていたのである。



痩せ細った武甲山の示唆するものは何であろう?

山に依って生きてきた民族は、その山の真価を忘れてしまったのだろうか?



冷ややかな目で山を眺め、そこに資源を見出す現代人。

熱い視線で山をじっと見つめ、ありもしないドラマをそこに見た古代人。



ただただ無心で秩父夜祭に熱狂する人々は、そんな古代人の心をそのままに感じているのかもしれない。

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出典:新日本風土記 「秩父山中 里物語」

posted by 四代目 at 06:43| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月26日

奥能登に住まうという凄まじく強い神、そして弱くも有り難い神。


その神聖なる御神輿は、屈強な男たちの手によって「海中」へと放り投げられた!

さらには、焚き火の「火中」へも幾度となく投じられ、御神輿には炎が燃え移り黒コゲとなる。

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それでも、男たちは御神輿を痛めつける手を休めようとはしない。「ちょうさっ!」「ちょうさっ!」と叫び狂い、御神輿を川の中に打ち捨てるや、それを追って飛び込み、橋の硬い礎石に御神輿を「これでもかっ!」と叩きつける。

あらん限りの乱暴狼藉をはたらかれ続ける御神輿は、もはや原形すらも怪しくなってゆく…。

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これらの光景は、奥能登に古くから伝わる「あばれ祭り」の一コマである。

男たちに痛めつけられる御神輿に載っているとされるのは「スサノオノミコト」。スサノオノミコトは、荒ぶる(暴れん坊の)神様である。

荒ぶる神様なのだから、「手荒に扱えば扱うほど、喜んでもらえる」、それが御神輿を徹底して嬲(なぶ)り倒す理由である。



この「あばれ祭り」の起こりは、今から300年以上前の江戸時代にまで溯る。当時、奥能登では「疫病」が大流行していた。

困惑した人々は、わざわざ京都の祇園から「牛頭天王(ごずてんのう)」を勧請して来て、疫病の終息を願った。牛頭天王とは、身の丈2mを超え、頭だけでも1m、さらに1mの赤い角を持つとされる恐ろしい神様であり、朝鮮半島から来たとされる異国の神様である。

当時の考えでは、「疫病は異国から来るものである」と信じられていたため、疫病を収めるには、異国の神様の力が必要とされたのである。



ところが、牛頭天王に来てもらったはいいが、「大きな蜂」が大量に現れ、次々と人々を刺して回り、「痛い痛い」と大変なことになった。

すると…、あら不思議、蜂に刺された人々の病気はみるみる回復していくではないか。なるほど、あの蜂は「神様の化身」であったのかと、人々は大いに納得し、感謝しきりであった。



以来、この地域では牛頭天王が大変に有り難がられ、毎年夏にはお祭りが行われるようになった。その名残りが、冒頭の「あばれ祭り」である。

御神輿にスサノオノミコトが乗るのは、スサノオノミコトの「本地」とされるのが牛頭天王だからである(ちなみに、京都の祇園祭も牛頭天王を祀る祭りである)。



奥能登は冬期間、「シベリアおろし」と呼ばれる厳しい寒風に曝(さら)され続ける地域でもある。その半島が日本海に突き出ているだけに、よけいにその風当たりは強い。

そうした厳しい自然環境は独特の地域性を育み、「あばれ祭り」という過激な祭りが性に合ったのかもしれない。

御神輿を叩き壊す男たちの姿には、荒々しくも深い祈りが込められているのである。



一転、「これでもか」と大事にされる神様も奥能登にはいる。大切な大切な神様とされるのは、「田の神様」である。

奥能登の厳しい冬を田んぼで過ごすのは辛かろうと、冬が寒さを増す前に、農家の人々は「田の神様」を家の中へと招き入れる(旧暦11月5日、現在は12月5日)。



正装した家主は、田の神様を田んぼまで迎えに行き、「田の神様、お迎えに参りました」と丁重に神様をお呼びする。

田んぼから家までの道のりも、家主は始終腰をかがめて、神様に気を遣い続ける。「ここは、道がぬかるんでおり、危のうございます」。じつは田の神様は「目が不自由」なのである。長い間、暗い土(田んぼ)の中で苦労して働かれたがゆえである。



ようやく家に着くと、「田の神様、お風呂になさいますか?それともお食事を召し上がりますか?」とお伺いをたてる。田の神様は必ずお風呂を先にすることとなっているのだが、こう聞くのが礼儀なのである。

もちろん、家主といえど田の神様の姿形が見えているわけではない。あたかも、見えているかのように振る舞っているのである(一人芝居)。これもまた、田の神様に対する礼儀なのである(お風呂には実際にお湯をはる)。

一年間の土と汗を落とされた田の神様は、座敷に招かれ、お食事をされる。そして、そのまま、田の神様は2月9日(旧暦正月5日)まで、暖かい家の中でユックリされることになる。

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この行事は、「アエノコト」と呼ばれる神事であり、お米の収穫に感謝し、来年の豊作を願う古くからの年中行事である。

奥能登という地域は、田作りではことさらに苦労してきた歴史を持つ。ほとんど平地がないために、山の斜面に田んぼを作らざるを得なかったのだ。苦労して拓いた棚田も、土砂により埋まってしまうことも少なくなかったという。

江戸時代に開墾された棚田は8,000枚以上とされるが、現在にまで残るのは1,000枚程度。残された貴重な棚田は「白米(しろよね)の千枚田」と呼ばれ、観光地としても広く知られている。

奥能登の人々は苦労して苦労して米を作ってきた。それゆえに、田の神様は一際大切にされることともなったのである。

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神様と一口に言えど、日本には様々な神様が存在する。強い神様もいれば、弱い神様もいる。

御神輿をこれでもかと叩き壊されて喜ぶ神様もいれば、視力を失って人の手を借りなければならない神様もいる。



自然環境の厳しい地域ほど、いろいろな神様を持つのかもしれない。

奥能登はその好例でもあろう。強い神様には徹底して強く当たり、弱い神様にはさらに腰を低くする。

奥能登の人々には、厳しい日本海の寒さに耐えながら、逞(たくま)しくも果てしない優しさを神様たちに示してきた歴史があるのである。



その冬の朝、能登の海には「けあらし」が出現した。

「けあらし」とは、北海道のような厳寒の海に見れれる特異な自然現象で、氷点下20℃以下の大気が海や湖に触れたときに「霧」となって立ち昇る現象である。神々しくも厳冬の厳しさを示すのが「けあらし」である。

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「けあらし」が現れるとき、人々はそこに神様を見るのかもしれない。そして、その厳しさを乗り越えたときに、ふたたび神様を見ることになるのかもしれない。

畏怖、苦悩、感謝…、人々の想いの数だけ、神様は現れる。

前を向いた先にも神様はいるであろうし、苦難に耐え切れずに打ちひしがれ、下を向いた先にも神様はいるのであろう…。



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出典:新日本風土記 「奥能登」
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2012年01月16日

祈る姿がそこにある限り…。


神がいるから祈るのか? 

それとも、祈るところに神がいるのか?

「祈る」という美しさは日本各地を彩っているが、その祈りの陰には深い悲しみが佇んでいることも少なくない…。



その女性の祈りは、とても静かなものだった。

その祈りは、一体の「花嫁人形」とともに捧げられていた。

当時7歳だった息子を亡くして、早16年。もし生きていたならば、彼は23歳という年であり、そろそろお嫁さんをもらってもおかしくない年頃である。

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青森県にある「川倉・賽の河原地蔵尊」には、こんな伝説が残る。

幼くして亡くなった男女の霊は、年頃になると神様が結びつけてくれるのだ、と。

死別という現実は過酷であるが、せめて違う世だけは甘美であって欲しい。切なる祈りは、霊を慰めるとともに、祈る者自身をも安堵させてくれるのだという。



一方、ある男性の祈りは、荒々しくも純粋であった。

その地は極寒の北海道。しきりに雪の降る中、凍りつかんばかりの冷水を頭からかぶり続けている…。



この「佐女川神社(木古内町)」では、真冬の最も寒い時期(1月13〜15日)に、寒中みそぎ祭りが行われる。

4人の若者(行修者)が、まる2日間神社に篭って、一時間ごとに身を斬るような冷水を浴び続ける。彼らが眠りに就くのは深夜2時半。3時間だけ眠ることが許されるのである。



その貴重な3時間をも、自らの意志で氷水をかぶり続けていたのが、その男性であった。

なぜ、そこまでするのか?

「自分の生き方を見つめ直したい」と語るものの、その本意は本人にとっても慮外のものなのかもしれない。

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まる2日間の厳しい水垢離を完遂した4人の若者たちは、それぞれ御神体(別当・弁財天・山の神・稲荷)を胸に抱えて「海」へと向かう。

みそぎ、最後の地、男たちは御神体とともに凍てつく津軽海峡へと飛び込む。ここまでして、ようやく祈りが終わるのだ。



この祭りの起こりは、およそ180年前(1831)。

その頃の佐女川神社は、人々の信仰心の薄れとともに、すっかり荒廃していた。

そんな中、当時の神主は「御神体を清めよ」とのお告げを受ける。そのお告げに従い、神主は極寒の海で何度も何度も沐浴を続けたという。その神主の目の前には、大鮫が現れ、その背には美しい女性の姿もあったとか。

すると、御神体を清めたその年からは豊漁豊作に恵まれ、天保の大飢饉をも乗り切ることができたのだという。




ところ変わり、三重県・伊勢神宮。ここでは、時を超えた祈りが行われている。

伊勢神宮は20年に一度、建物を新たに造り替える(式年遷宮)。そして、その建て替えに必要な用材は、「御杣山(みそまやま)」とされる山々から伐り出されることになる。

歴史上、御杣山は点々と場所を変えてきた。元々は伊勢神宮の背後の山々が御杣山とされていたのだが、原木の枯渇により、何度か場所を変えざるを得なかった。なにせ、式年遷宮のために必要とされる檜(ひのき)は一万本以上なのである。




しかし、場所を変え続けるのも限界がある。用材とされる檜は、樹齢200〜300年。そうそう簡単に育つものではない。

そこで、今からおよそ90年前(1923)、檜の「種」から苗木を育てて植林するという作業が始まった。その場所は、正宮周辺の神路山・島路山・高倉山の三山。古来より御杣山とされていた神聖な山々である。



これら三山から用材が供給可能となるのは、今から100年以上のちの2120年以降。すべての用材をこれら三山でまかなえるようになるのは、400年以上のちの2400年以降。

当然、現在作業に携わる人々は、これら三山から木々を伐り出す様を目にすることはない。それでも、彼らは後世の人々を信じて、種を取り、苗木を植え続けるのである。

なんと遠大な祈りであろうか。

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時として宗教心がないともされる日本民族であるが、この民族の信仰心は遥かな歴史の産物でもあるために、あたかも「ないかのように」自然に育まれているとも解釈できる。

両手を合わせ、頭(こうべ)を垂れる彼らの姿は、あまりにも自然で違和感がない。そこに宗教という陰が感じられなくなるのも、また然りである。

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祈る姿や形は様々なれど、そこに込められた想いは一様であるようにも思える。

彼らは決して下を向いているわけではない。何かに面と向かっているのであり、前を向いているのである。

哀しくも美しい祈りは、この国を照らす一隅の光ともなろう…。








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出典:新日本風土記 「列島縦断 “聖地”の旅」


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2011年11月24日

窮地に陥ると現れる「サードマン」。それは神秘か、幻覚か?


極限状態にさらされた人間が見るもの…。

それは天使か、ご先祖様か?

不思議な声を聞き、生命を救われる…。



海中洞窟のダイバー「ステファニー・シュワーブ」さんは、ある時、命綱を失ってしまう。

海中洞窟の内部は、迷路のように複雑に入り組んでいるため、スタート地点にくくりつけたロープ(命綱)を常に携行していなくては、帰る道を見失ってしまう。

さらに、単なる海中とは違い、ヤバくなってもすぐに浮上できない。なぜなら、横へ横へと進んで行くのであるから、真上は岩盤なのである。



そうした環境で「命綱を失う」ということは、直接の「死」を意味する。

ステファニーさんは酸素の量を確認した。「えっ!残り5分?」。てっきり20分は残っていると思っていたのだが、それは致命的な勘違いであった。

彼女は観念した。あと5分後に死ぬことが、ほぼ確定したのである。



観念したはずの心は、突然「怒り」に変わった。

その怒りは、亡くなった夫に対するものだった。いつもは夫と一緒に潜り、命綱を常に確認するのは決まって夫の役割だったからだ。

その彼は数週間前に、この世を去っている。

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と、その時、その夫が海中に現れた。

そして、その方角には何やら白いモノが…。

なんと!、それは失くしたはずの命綱だった。



「もう、ダメだ…」と思えるような絶望的な状況において、人間は「別の存在」を見ることがままあるという。

信心深い人々はそれを「神」と呼んだり、そうでない人は「幻覚」だと言ったりする。

ジョン・ガイガー氏は、その不思議な存在を「サードマン(第三の人)」と命名した。




ある医師は、患者が「奇妙なこと」を言うのが気になった。

その患者は、自分とベッドの間に「何か」あるというのだ。何もないのに。

そして、その「何か」は「誰か」に変わった。それでも、誰もいない。



この医師は、あることに気がついた。

脳のある部分に刺激を与えると、「誰か」が現れるのかもしれない。

なぜなら、そのスイッチを切ると、「誰か」は消えてしまうのだ。



脳のある部分とは、「頭頂葉」と「側頭葉」を結合している部分だった。

これらの場所は、「空間に自分が存在している」ことを認識している部分である。

この部分が、何らかの刺激を受けると、「誰か」が現れるらしい…。



その刺激は、「極度のストレス」だと言う人もいる。

それは太古の昔より受け継がれてきた人間の「生きる知恵」であり、危機的な状況に陥った時に、そのスイッチが入ることで、「サバイバル・モード」に切り替わるようになっている、というのである。



海中洞窟のダイバーのステファニーさんは、「道に迷った」ことでスイッチが入ったのか?

「迷った」と思うと、脳は混乱する。パニック状態である。

とりわけ、頭のテッペン「頭頂葉」が混乱して、「自分のいるはずの位置(空間)」が狂ってしまう。いうなれば、GPSが狂って、いるはずのない場所を指し示すようなものである。

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ここに「矛盾」が生じる。

自分の見ているもの、聞いているもの(現実)と、「感じているもの(自分の位置)」が食い違ってしまうのだ。

普段は重なっているはずの2枚のシートがズレてしまったようなものである。一つだったものがズレて、2つに見える(感じる)ようになる。

脳は矛盾を許さない。そのため、混乱しながらも何とかこの矛盾を「補正」しようとする。両方の像を正当化するのである。

その結果、現れるのが…。



自分とは別の場所に、「他者(サードマン)」が現れる。

しかし、それは他者ではなく、少しズレた自分自身なのかもしれない。ガイガー氏はそう考えた。



これと似た現象に、「幻肢(げんし)」というものがある。

これは手足などを切断した人々の実に9割以上が感じるものである。

ないはずの手足が、あるように感じるのが「幻肢」である。これもやはり、現実と感覚の「食い違い(矛盾)」がもたらす現象である。

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ステファニーさんは、実際に「道に迷った」わけだが、生死の境をさまよった人々は、道に迷うように「生きる道」を見失ってしまう。

その「迷い」は、「自分の位置」の感覚を狂わせ、ズレさせる。すると…。



生死の境をさまよわなくとも、周りに対象物が何もないと、やはり「迷った」ように感じてしまう。

たとえば、見渡す限り何もない「砂漠」にポツンと一人取り残されると、動いているのか止まっているのかさえ、見失ってしまい、やはり「誰か」が現れたりするという。

比較対象があってはじめて、大きいか小さいかが判るのである。同様に、自分が動いているか、周りが動いているかが判るのである(隣りの電車が動いたのを、自分の電車が動いたと勘違いしてしまうこともよくある)。



座禅により瞑想する人々も、同じような感覚を感じることがあるという。

自分の感覚から全てを取り去ってしまうと、やはり自分の位置や大きさを特定できなくなる。自分を極大に感じたり、逆に極小に感じたり…。「無の状態」とでも言うのであろうか?

そして、しきりに幻覚が目に前に現れる。仏が現れたり、邪悪なものが現れたり…。

ある禅僧は、「仏が現れたら、仏を殺せ」と言ったりするが…。



自分の外側に現れる「自分」。

しかし、それが自分だと思う人は少ない。たいてい、他者だと思う。

その他者は、神であったり仏であったり、親であったり恋人であったりする。



ここで興味深いのは、その他者が必ず味方であることだ。

極限状態で現れるという「サードマン(第三の人)」は、きまって善良で、しかもなぜか正しい道を心得ている。

自分が知らないはずの正しい道を…。



アフリカなどの伝統的な通過儀礼では、あえて孤独やストレスにさらし、「サードマン」現象を体験させるものもあるのだという。

ガイガー氏は、サードマンが現れるには「ある条件」が必要だという。

それは「生きるという強い意志」である。



その前向きな意志がサードマンを現出させ、迷える心に正しい一歩を指し示すのだという。

なるほど。前向きな意志の結果であれば、サードマンという他者が善良であることには納得がいく。



しかし、なぜ「正しい道」を知っているのか?

サードマンが自分自身なのであれば、本当は自分自身が正しい道を「知っていた」ということなのか?

「完全に迷った」という感覚が、その知っていた道を思い起こさせてくれるということか?



事象の真意は闇の中なれど、サードマンが「希望」であることは確かなことのようである。

人間は迷ったり、完全に一人になったりすると、パニックになるようにできている。そう思っておいたほうが良さそうである。

山中で遭難する人は、間違いなくパニックになる。自分は大丈夫だと信じ込んでいる人ほど、ある一線を超えた途端、余計にパニックになるという。



しかし、そのパニックは「織り込み済み」なのである。

人類の長い長い歴史において、パニックを乗り越える方法は、すでにDNAに刻まれているのである。

そして、その方法の一つが「サードマン」現象ということになる。



パニック状態において、そのサードマンは「自分以外」であったほうが都合が良い。

なぜなら、混乱した自分が二人いたら、そっちの方が余計に混乱しそうである。何よりも、同じ自分が二人いるという現象自体が異常極まりない。



そこで「他者」が必要になる。

他者という存在であれば、現状をより「客観的」に見ることも可能になる。パニックの原因の一つは、必要以上に自分自身の想念に囚われてしまうことでもある。

誰かが他にいるだけで落ち着ける。実際にはいなくとも、いると感じるだけで救われる。たとえ、サードマンが一言も発することがなかったとしても。



呆れるほどに単純ではあるが、単純だからこその力強さと、その奥深さを感じざるを得ない。

むしろ、単純だからこそ、うまく機能するのかもしれない。複雑で繊細なものは、肝心な時に動かなかったりするものである。



ある人は、冒険家や探検家は「宗教家」でもあると言う。

あえて困難な状況を求め、迷える自分に出会い、そしてそこに真理を見る。

その姿は、苦行を求める行者のようだ、というのである。

「窮すれば変ず、変ずれば通ず」

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四国八十八箇所めぐりの「お遍路さん」の脇には、必ず弘法大師(空海)さまが付き添って下さっているのだという。

「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉は、そのことを表している。



冷めた眼で見れば、隣に弘法大師さまがいるはずはない。

そんな冷めた眼を持つ人でも、いざ窮地に陥れば、思わず弘法大師さまの姿を探してしまうかもしれない。

そして、自分の持つ「杖」にその影を見出し、不思議と次の一歩を正しい方向へと踏み出しているかもしれない。



サードマンが神であっても、幻覚であっても構わない。

どんなに強がったとしても、人間は「何もない」ということには耐え切れないようである。

杖一本だとしても、そこに「何か」があるだけで落ち着けることがある。「誰か」がいると思うだけで、安心できることがある。



人が本当に必要とするものは、それくらいのものなのかもしれない。

たとえ、それが矛盾していようが、説明のつかないものであろうが、イザという時にはさほど問題にはならない。



ただ恐いのは「無」。

それでも、人はそこを目指したがる。

その先に何があるのかを、あたかも人は知っているかのように…。




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出典:地球ドラマチック 「奇跡の生還に導く声〜“守護天使”の正体は?」


posted by 四代目 at 06:49| Comment(7) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする