似て非なるもの
「カミ」と「ホトケ」
はたまた同工異曲か
もともと日本に「神道」なるものはなかった。
それが自覚されるのは、外の国から「仏教」なる異質の教えがもたらされてからの話である。
「『神道』という語が最初に登場してくるのは、『仏法』との対比を通してであった(鎌田東二)」
「神道」という語の初出は「日本書紀」用明天皇(第31代天皇)の条。
「信仏法、尊神道」
さらに孝徳天皇(第36代天皇)紀には
「尊仏法、軽神道」と出てくる。
それ以前の古代日本における神道とは、先祖伝来の伝承の集積であり、それを「ある」とか「ない」とか意識する対象ではなく、「尊ぶ」も「軽んずる」もなかった。そこに草が生えているように、そこに石があるように、ごく当たり前のことであったのだ。
そうした神道のもつ「実にしぶとい生命力」、もしくは「日本文化の芯のようなもの」を、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は次のような言葉で賛美した。
「神道には哲学はない。体系的な倫理も抽象的な教理もない。しかし、そのまさしく『ない』ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた。東洋のいかなる信仰もなし得なかったことである(小泉八雲著『神々の国の首都』)」
「ない」ものは侵略できない。壊せない。ゆえに神道は残り続けている、とハーンは言うのであった。
■知と情
「ない」ゆえに「ある」。この逆説的な存在たる神道は、仏教があってくれたおかげで、その影のごとくしぶとく生き残ってきたところがあった。
仏教が哲学をもつ「知性」とすれば、神道はより「感覚的」であり「感情的」である。
ラフカディオ・ハーンが「仏教には、万巻に及ぶ教義と深遠な哲学、海にように広大な文学がある」と言う通り、仏教には知的明快な「教義」がある。
たとえば
「三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」
「四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)」
「八正道(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)」
「十二縁起(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)」
それに比べ、神道の教義は「あるかなきかも定かではない風前の灯火のようなものである(鎌田東二)」。ゆえに神道は「教義なき宗教である」ともいわれる。
だからと言って、神道に何もないわけはない。「神社」があって「お祭り」がある。
多くの神社人や神道家は「神道で一番大事なのは『掃除』だ」と言う。一にも掃除、二にも掃除、三にも四にも掃除。「掃除こそが神道の精神である」と言う。
それは彼らが「場」の清らかさを大切にするからである。その場の空気の清浄感、そして「もののあはれ」や「気配」という目に見えない感覚を敏感に感じ取っているからである。
その感覚を、柿坂神酒之祐宮司(天河大辨財天社)は「ふとまに」と言う。
「『ふと』そのま『まに』、ものごとが立ち現れてくる。その『ふと・そのまま・に』立ち現れてくる出来事や現象を、そのままに受け取って対処していくこと、それが『ふとまに』である」
その「ふとまに」は、「掃除」をすることによって立ち現れ、受け取られるのだという。ゆえに、神社の隅々までが掃き清められる。
神道における「浄(きよ)め」の観念は、教義よりも「こころ」を大切にしていることをうかがわせる。江戸中期の国学者「本居宣長」は、そうした心をこう詠んだ。
敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
香るような繊細な心、それは「生きる場」が清浄であればこそ感じられる微細なものである。
■祭りと再生
神社が神道の「場」となれば、そこには「祭り」というワザが生まれる。
「祭りの主旨は、祭祀という魂を招き寄せる『ワザヲギ』による生命力の更新・復活にある(鎌田東二)」
「ワザヲギ」とは日本書紀に初出する言葉で、魂を呼び出し、付着(神懸かり)させたり活性化させたりする行いを指す。
たとえば、「天の岩戸」伝説がそれである。
天の岩戸に隠れ籠った太陽神「天照大御神(あまてらす)」は、象徴的な死の中に入った。
それを甦らせようと、踊りの神「アメノウズメ」は手に笹をもち、「神懸かり」となって乳房も女陰(ホト)も露わに踊り狂う。
そんなアメノウズメの様を、ほかの神々は喜び寿ぎ「咲(わら)ふ」。そしてついに「天照大御神(あまてらす)」は再顕現し甦る。
「祭りとは、このような『いのちの現れ=みあれ(御在)』に対する祝宴である。それは、生命力を賦活し活性化させる『鎮魂(たまふり)』であり、神々や人々の心身を生命的横溢と共鳴状態に変容させる『ワザ(技)』である(鎌田東二)」
そうした復活再生を、神社は「遷宮」という形に現す。2013年の今年、伊勢神宮は20年に一度の、出雲大社は60年に一度の式年遷宮を迎える。祭りで人の心が新たになるのならば、神社そのものも遷宮によって新たになるのである。
■日本化
神道が無邪気に「生」を賛美する一方、仏教は厳かに「死」を司る。
神道が祭りに狂乱している間、仏教はその騒ぎに酔い痴れることなく理法(ダルマ)に目覚めようとする。
神道が感覚そのままに振舞おうとすれば、仏教はそうした感覚をあえて相対化しようと努める(五蘊皆空)。
そうした点において、神と仏は「似て非なるもの」の側面を強くする。
神がそのままに「在るもの(自然)」だとすれば、仏は「成るもの(成仏)」。神が此岸(俗世間)に「来るもの」だとすれば、仏はそこを離れ彼岸(涅槃)に「行くもの」である。
神がその場にとどまる一方で、仏には目指すべき道がある。仏は煩悩、苦しみ、迷いからの解脱、すなわち輪廻転生の鎖から抜け出す道を指し示す。
仏と成るには、「自己を通して現れる世界の苦の現実」と「その拠って来る由縁」を正しく見抜かなければならない。ブッダという人は、苦と迷いの世界(此岸)から彼岸(涅槃)に渡ることのできた成就者(覚者)である。
「このように分析してみると、神と仏は『180°異なる存在』である(鎌田東二)」
ところが面白いことに、日本という風に仏が吹かれるうちに、神と仏の境はあいまいになっていった。日本では、悟りを開かなくとも死ねば誰もが「仏」と成れるようになったのだ。
「本来、『カミ』と『ホトケ』はまったく異なる存在形態である。それが日本で、あろうことか『反対物の一致』を引き起こした(鎌田東二)」
それが日本仏教の見せた、頽落とも深化とも判断のつかぬ変成であった。日本列島という不思議な領域では、歴史上、あらゆる物事がメルトダウンしてきた。それは「まったく異なる原理や志向性をもつ2つの神聖概念(神と仏)」とて避けうることのできない宿命であったようだ。
「これを仏教の神道化というべきか、神道の仏教化というべきか? いずれにしても、甚だしい仏教の『日本化』が起ったことは間違いない(鎌田東二)」
■浄め
「厭離穢土(おんり・えど)欣求浄土(ごんぐ・じょうど)」
かつて徳川家康は、この文句を記した旗を自軍にもたせた。
その意味は、穢(けが)れた土地である「穢土(えど)」を厭(きら)い離れ、浄(きよ)められた土地である「浄土(極楽)」を欣(よろこ)び求める、というものである。
この思想は、末法思想が広まっていた中世日本(戦国時代を含む)に広まった救済への願いであった。これはもちろん仏教の思想である。
だが、「浄(きよ)め」という点においては、神道のそれである。ということは、「穢れ」と「浄め」という概念において、神と仏の差異は一挙に空無化するのであった。
浄土真宗の祖「親鸞」は、こう言った。
「善人なほもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」
善人とは浄らかな「浄土人」、悪人とは穢れた「穢土人」。たとえ穢れた悪人といえども、「なむあみだぶつ」と念仏を唱えれば浄められ、極楽往生できると親鸞は教えたのであった。
もともとは「厳しい修行(聖道門)」を必要としたはずの仏教の「成仏」。それが念仏を唱えるという「簡単な浄化」によって極楽に行けるようになったのだ。
■禊(みそぎ)
一方、神道における浄化には「禊(みそぎ)と祓(はらい)」がある。古事記によれば、最初に「ミソギ(禊)」を行ったのは「イザナギ」という男神である。
その話のキッカケとなるのは、妻「イザナミ」の死。彼女は火の神カグツチを出産した時の火傷が元で死んでしまった。
妻の死を嘆き悲しんだイザナギは、妻を追って「黄泉(よみ)の国」へと赴く。ところが、穢れた国である黄泉の火を通した物を食してしまった妻イザナミの姿は、あまりにもおぞましく腐乱し、異様なものと成り果てていた。
「見るなと言ったのに、見〜た〜な〜」
化け物となってしまった妻イザナミは、「恨みと哀しみと怒りのないまぜになった感情」を爆発させ、夫イザナギを追って殺そうと躍起になる。
そして、追い逃した後、「わが夫の神よ、この仕返しに日本中の人間を一日に千人ずつ絞め殺してくれる!」と、彼女は国生み・神生みの女神から一転、恐ろしき殺戮の神に豹変してしまうのであった。
命からがら逃げ帰った夫イザナギは、黄泉の国で穢れたその身を、日向の国「橘の小戸(たちばなのおど)の阿波岐原(あわぎはら)」にて、その清らかな瀬の水で「禊(みそぎ)」を行う。
イザナギいわく、「吾はいな『しこめししこめき穢(きたな)き国』に到りてありけり。故、吾は御身の『禊(みそぎ)』せむ」。
その際、身に付けていた衣服や装身具から12の神々が成り出で、御身の各所を濯いだ時に14の神々が生まれることになる。
■善悪こもごも
この禊(みそぎ)によって生まれた神々の興味深いところは、良い神さまばかりでなく「悪い神さま」も同時に生まれたことである。
身体をすすいだ時に最初に成りませる二神、「八十禍津日神(やそ・まがつひのかみ)」と「大禍津日神(おほ・まがつひのかみ)」は、「穢繁国(けがらわしきくに)に到りし時の汚垢(けがれ)」によりて成れる神。その禍(まが)を直さむとして、次にイザナギが生むのが「神直毘神(かむなほびのかみ)」「大直毘神(おほなほびのかみ)」「伊豆能売神(いづめのかみ)」の三柱。
穢れから生まれた「マガツヒ」の二神が悪しき事を引き起こす力を持ち、次の「ナホビ」の二神が穢れを落とし浄めていく力を発揮する神となる。そして、その次の「イヅノメ」の神は「祓いやる強力な力能をもった女神」とされる。
イザナギが最後に顔を洗った時、彼自身がその誕生をたいへん喜んだという「三貴子」が現れる。
左目からは「天照大御神(あまてらす)」
右目からは「月読命(つくよみ)」
鼻からは「建速須佐之男命(すさのお)」
「天照大御神(あまてらす)」は日本の皇室の祖(皇祖神)ともなる太陽の女神。「月読命(つくよみ)」はその弟で姉と表裏一体をなす月(夜)の神。そして、末っ子「建速須佐之男命(すさのお)」は後に述べるが少々乱暴な神さまである。
ちなみに、伊勢神宮が祀るのが「天照大御神(あまてらす)」、出雲大社が祀るのは「建速須佐之男命(すさのお)」である。
国生み・神産みの女神イザナミの死は、これら清浄な三貴子への再生という形でひとまず落ち着くことになる。
死と穢れを経た、再生復活への道筋。これが神道における「厭離穢土(おんり・えど)欣求浄土(ごんぐ・じょうど)」の物語ともいえる。
「神道的『浄土』が、天照大御神の君臨する光の神国である『高天原』であった。それに対して、母神イザナミが赴いた死の国『黄泉の国』が、神道的『穢土』であった(鎌田東二)」
■スサノオの声
清らかなはずの三貴子のうち、末弟「スサノオ」ばかりは穢れが取りきれていなかったのか、以後の物語においてその「問題児ぶり」を発揮する。
上の姉兄が父イザナギに任せられた各々の国を真面目に治めるのに対して、末弟スサノオばかりは「母恋し」と大泣きしてばかり。任されていた「海原」をまとめるどころか、その暴風のような啼き声によって海の水を全部干上がらせて、山の木々まで枯れさせてしまう。
「悪しき神の音(こえ)は、狭蝿如(さばえな)す皆満ち、万の妖(わざわひ)ことごとく発(おこ)りき(『古事記』)」
そうした悪行の末、スサノオは父イザナギによって追放の憂き目にあう。
そして行ったのは、姉アマテラスの国「高天原」。だが、ここでも「大嘗殿を糞で穢したり、血だらけの馬を投げ入れて機織女を殺したり」と、さまざまな乱暴狼藉や悪逆非道をスサノオは繰り広げる。そして、ついには「髭を切られ、手足の爪を抜かれて」高天原からも追放されてしまう(神遂ひ)。
「こうしてスサノヲは、父と姉から二度にわたり追放された『どうしようもない荒くれ者』である。この前半部のスサノヲは見境なく暴れ、殺害する神、手のつけられない『荒魂(あらみたま)』である(鎌田東二)」
「母恋し」と泣き叫んでいたスサノオは、母神イザナギの嘆きと哀しみをそのままに体現していた。
黄泉の国で腐乱して蛆(うじ)のたかっていた母イザナギ。その醜い姿を夫に見られ「吾に辱見せつ」と負の感情にまみれていた。正確にいえば、スサノオを生んだのは父イザナギのはずだが、スサノオは不在の母イザナミを純真に恋い慕っていたのであった。
スサノオに受け継がれた負の連鎖は、神の世界から遠く離れた「出雲の地」で不思議な開花を見せる。彼はここで全く別の神に生まれ変わるのだ。
長らくこの地の住民を悩ませていた八頭八尾の怪物「八岐の大蛇(やまたのおろち)」を、スサノオはあっという間に退治してしまう。そして救った「櫛名田比売(くしなだひめ)」を娶ったスサノオは、その喜びをこう歌い上げる。
八雲立つ 出雲 八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を
このスサノオの歌こそが、わが国における「和歌の濫觴(起源)」とされている。
「母を恋い慕って泣き叫んでいたその荒ぶる声が、このような喜びの力強い声となって迸(ほとばし)った。破壊的な声の力が、調和に満ちた愛の言霊に転化したのだ(鎌田東二)」
その純粋なる喜びが、スサノオの穢れを祓い、押しも押されぬ最高の英雄神へと昇華させるのであった。
「穢れと悪逆にまみれた神が、追放されて祓われて、浄めと鎮めの神となる。そしてそれが、歌の発生から出雲神話など日本の伝承と祭礼にきわめて深いインパクトを与え続けることになる(鎌田東二)」
■言霊
和歌に限らず、言霊(ことだま)や音霊(おとだま)による「浄め」の概念は、古く「万葉集」より見られる(三例)。
巻五 八四九番
「神代より言ひ伝来らく そらみつ大和の国は皇神(すめかみ)の厳(いつ)くしき国 言霊の幸(さき)はふ国と 語り継ぎ言ひ継がひけり 今の世の人もことごと目の前に見たり知りたり(山上憶良)」
巻十三 三二五四番
「磯城島(しきしま)の 大和の国は 言霊の助くる国ぞ ま幸(さき)くありこそ(柿本人麻呂)」
巻十一 二五〇六番
「言霊の八十(やそ)のちまたに 夕占(ゆふけ)問ふ 占正(うらまさ)に告(の)る 妹(いも)相寄らむ(柿本人麻呂)」
「言霊(ことだま)」という概念の起こりは、言葉以前の「草木言語」と呼ばれるものに根をもつ。
「日本書紀」には、「天地割かるの代、草木言語(ものがたり)せし」状態であったと記されている。「磐根(いわね)・木株(このもと)・草葉(くさのかきは)も、なおよく言語(ものい)ふ。夜はほ火の若に喧響ひ、昼は五月蝿なす沸き騰る」
統一された言語以前の「音霊(おとだま)」とでもいうべきものは、父神イザナギを激怒させたスサノオの絶叫「悪しき神の音(こえ)」もそうだったのであろう。
スサノオに限らず、「荒ぶる神たちの騒々しい音声(おとなひ)」は混沌とした世にあふれていた。その騒音がさまざまな妖(わざわ)いを起こし、世界を混乱させてもいたのである。そうした雑音は、磐根(いわね)や木立、草葉などからも聞こえてくる。もろもろの自然物がそれぞれに語(こと)問うて、国は荒ぶるばかりであった。
そこに天孫が降臨すると、「言分け和(やわ)し」、自然発生した言語は整序され秩序がつくられる。それは大和朝廷という統一国家の形成にもつながっていくことにもなる。
■音から和歌へ
平安時代初期、空海という僧は真言密教により「前仏教的な言霊」と「音霊」をすべて呑み込み、位置づけし直した。
五大にみな響きあり
十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり
法身はこれ実相なり(『声字実相義』)
「空海の真言密教が神道と仏教の最大の接合部となったことは強調しておくべきだろう(鎌田東二)」
空海はこうも言う。
草木に仏なくんば
波にすなはち湿(うるほひ)なけん
これは天台本覚思想の「草木国土悉皆成仏」にまで結びつく。
「草木の『言語う』ところから『成仏』することろまでをつないでいるのだから、ここに神道と仏教は原理的差異を超えて一挙に習合化の道をたどることになる(鎌田東二)」
そして、その延長線上に位置するのは中世の「和歌則陀羅尼説」。
僧・西行はこう語る。「この歌すなわちこれ如来の真の形体なり。されば一首詠み出でては、一体の仏像を造る思ひをなし、一句を思ひ続けては、秘密の真言を唱ふるに同じ。我この歌によりて法を得るところあり」
一首一仏、一句一真言。和歌の秘めたる言霊はそのまま仏に、真言になると言うのであった。
僧・無住はこう語る。「聖人は心なし。万物の心をもって心となし、聖人は身なし。万物の身をもって身とす。聖人の言、あに法語にあらざらんや(『沙石集』)」
そうした僧らに先立つこと「紀貫之(きのつらゆき)」は、「古今和歌集」の仮名序でこう述べている。
「和歌(やまとうた)は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」
「花に鳴く鶯(うぐいす)、水に住む蛙(かはづ)の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」
「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士(もののふ)の心をもなぐさむるは、歌なり」
かくして、和歌は心の「あはれ」を表に出させ、そして浄化する「ワザ」でもあった。
神道における原初的なアニミズムの残響は、和歌という洗練された形の底にも確かに響いていたのである。
■心
神道が音に出すことによって心を浄めるのに対して、仏教はもっと静かな道を歩んでもいた。
空海と同時代の僧・最澄のいう「止観(しかん)」とは、「止」すなわち「集中」と、「観」すなわち「内面の観察」を行じることであった。心を鎮め、呼吸を整え、物事をありのままに見る。そうした瞑想、禅定による智慧の成就を最澄は説いたのである。
「それ坐禅の方は、もしよく善く心を用うればすなわち四百四病は自然に除差す。もし用心が所を失すればすなわち四百四病を動ず」
心の用い方(用心)次第で、「四百四病」は治すこともできれば発症することもある。ゆえにその心の用い方(用心)を止観によって練るのだと最澄は言っている。
仏教における心観と瞑想は、その創始者ブッダも説くところである。
「ものごとは、心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される」
「もし汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。車を引く(牛の)足跡に車輪がついて行くように」
「もし清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。影がその身体から離れないように」
仏教を日本でいち早く受け入れた聖徳太子も、同様のことを語る。
憲法十七条
「十に曰く、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふことを怒らざれ。人皆心有り。心各執有り。彼是なれば我は非なり。我是なれば彼は非なり。我必ず聖に非ず、彼必ず愚に非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。是非の理、たれか能く定むべけむ。相共に賢愚なること、環の端なしが如し。是を以ちて、彼人瞋るといえども、還りて我が失を恐れよ。我独り得たりといえども、衆に従ひと同じく挙へと」
仏教における克服すべき「三毒」は「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」、「貪(むさぼ)ること」「怒ること」「愚かであること」。そのうちの「怒り(忿・瞋)」がここでは戒められている。人が違うことを怒らず、人が怒る時は我が身を省みよ、と。是も非も、賢も愚も「端のない輪のとごし」と。
最澄による「用心(心の用い方)」は、この流れに連なる。
最澄いわく、「国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす(『山家学生式』)」
比叡山中に築いた「一乗止観院」なる道場は、国宝たる「道心」を止観によって練り上げるためのものであったという。
■美しい詩
神道が音を発し、仏教が音を絶っても、「宇宙の音」は止むことがない。
「宇宙間には時として所として音声のない処はない。人間の地津魂(くにつたま)の耳に聴き得ざる時にも、人間の天津魂(あまつたま)が聴き得る音声が存在する。宇宙そのものが音霊そのものである」と、神道天行居を開いた「友清歓真(ともきよ・よしさね)」は記す。
それは空海が『声字実相義』の中で述べていることと同義である。
友清は続ける。「科学は音覚(聴覚)の器官は耳であると教へる。だが、じつは皮膚にも毛髪にも足の裏にも耳がある。耳といふものは額の両面と壁とにのみあるわけでは決してない。ゆえに電車内に並んで座している若い男女は、初対面でまた一切沈黙してゐても、じつは盛んに会話を交へているものである」
観音さまが「音を観る」が如く、友清にとって聴覚とは単に五感の一感覚にとどまらず、それは根本感覚とも全身感覚とも呼びうるものであった。
「音霊ほど世に奇しびなるものはない。世の一切の活動が音霊によって起こり、世の一切の生命が音霊とともに流れてゐる。久遠の過去より久遠の未来に流れてゐる。ゆえに古の聖人は礼楽によって世を治め、天の岩戸も音霊によって開かれた」
友清歓真は『古神道秘説』の中で次のようにも述べる。
「音霊をもって我を清め、他を清め、家を清め、国を清め、天地を清め、一切世界を清め人とするものであります」
最後に、折口信夫は神道をこう言い表した。
「宗教体系を待つこと久しい、神話であったと思ふ。だから美しい詩であった」

(了)
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サンガジャパンVol.14(Summer)
「神道と浄め 鎌田東二」