2012年04月29日

絶食の魅力とは? その大先生は皇帝ペンギン。


人間は食べなければ死んでしまう。

しかし、食べ過ぎても病気になるかもしれない。

先進国においては、どちらかというとその「過食」の方を心配しなければいけないだろう。



ここに一つに提案がある。

それは「絶食(断食)」。

この究極とも思える選択に惹かれる人々は、積極的というよりも、むしろ消極的な理由であることも多い。絶食療法を選ぶ人々はたいてい、一般的なお医者様から見放されてしまった人々たちだからだ。



時は1918年、リューマチ熱にかかった彼は、車椅子での生活を宣告されてしまった。

しかし、「2度の絶食」で劇的に回復。それ以来、彼は「治療法」としての絶食を探求し、クリニックを創設した。それがドイツの「ブヒンガー・クリニック」であり、現在では創設して60年以上の長き歴史を誇る。

※なんとドイツ国民の15〜20%がすでに絶食療法を経験済みだとか。



国際的な評価の高いブヒンガー・クリニックを訪れる人々は、毎年2,000人。

深刻な病の人もいれば、体調管理のために毎年訪れる人もいるらしい。



銀行員としてヨーロッパを飛び回っていたバール氏は、出張のたびに饗される脂肪分の多い食事とアルコールのせいで、血液検査の結果は最悪だった。

そこで彼は絶食療法を勧められるわけだが、さすがに抵抗感を隠せない。

「私はグルメなので、3週間も何も食べず、一杯のワインさえ飲めずに一日中腹を空かす絶食なんて…、できるとは思わない。」

※ブヒンガー・クリニックの絶食治療プログラムは1〜3週間。



絶食で一番大変なのは、最初の2、3日。

これは「アシドーシス」と呼ばれる時期で、血液が酸性になって、頭痛・吐き気・疲労感などの不快な症状が襲ってくる。

医師によれば、「ツラい症状が出るのは、身体が劇的な変化を受け入れる代償」ということになる。辛いが幸いにも、この期間は一時的なもので、普通24〜36時間で収まるのだという。

※アシドーシスの期間は、尿の酸性度をチェックしながら、危険のない健康管理を行う。ブヒンガー・クリニックでは、このツラい最初の数日を乗り切るために、一日2回、スープかジュースが提供される(一日250kcal)。



この最初にして最大の山場を越えると、極端な空腹感は収まってくると体験者たちは口をそろえる。

この「排出・解毒」の期間を過ぎれば、「自浄作用によって身体の中がキレイになり、体調もドンドンよくなっていきます」

※身体の中がクリアーになるからなのか、絶食には「覚醒作用」も認められる。絶食一週目に意識が鮮明になるのである。



銀行員のバール氏は、見事プログラムを終了。

しかし、ここで気を抜いてはいけない。絶食後、不用意に食べてしまうと、今までの苦労の効果が台無しになり、非常な危険な事態を招くことすらある。

食べ物から遠ざかっていた身体を、「徐々に」食べ物に慣らすことが重要であり、この食事の再開は厳重に管理されている。

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初めての絶食治療の後、バール氏の肝臓の大きさも血液検査の値も正常に。

気を良くしたバール氏は、身体をリセットするために、毎年ここを訪れるようになったという。



「絶食はみんなが思っているようなものとは『正反対』です。

体力を消耗するのではなく、完全に『浄化される感じ』がします」



絶食の効用を説く人々がいる一方、その危険性を指摘する人々もいる。

食を断つと、身体は体内のタンパク質を食べ始める。そのタンパク質は主に「筋肉」から供給されるのだが、心臓も筋肉であるために、タンパク質の半分を消費してしまえば死に至る、というのである。

それではここで少し、そのメカニズムをのぞいてみよう。



人間を支えるエネルギー源は主に3つ。ブドウ糖・脂質・タンパク質である。

ブドウ糖は主たるエネルギー源であるのだが、一番「もち」が悪い。一日も絶食すればスッカラカンになってしまうのだ。お腹ペッコペコである。



そこで、次はタンパク質からブドウ糖を作り出す。この時、筋肉に蓄えられたタンパク質が使われることになる。

と同時に、脂質からもブドウ糖の代わりを作り出す(ケトン体)。このケトン体は体内の分解工場たる肝臓で、脂肪を分解して作られ、主に脳ミソにエネルギーを供給する。



絶食の危険を叫ばせる「タンパク質」の減少。

確かに食を絶てば、タンパク質は消費される。しかし、ここで注目すべきは、同時に「脂質(脂肪)」も消費されていることである。

はたして、このタンパク質と脂質の消費のバランスやいかに。



ここで遠路はるばるご登場願うのは、絶食の大先生「皇帝ペンギン」である。

南極大陸に暮らす皇帝ペンギン。彼らは氷の上で「絶食」をする奇妙な鳥なのだ。



メスが卵を産んだ後、それを温めるのはオスの役目となる。

極寒の南極で4ヶ月間。オスは大事な卵を立ったまま股に挟んで、吹き荒ぶ寒風に耐え忍ぶ。か弱い卵は、ほんの少し寒風が当たるだけでも凍てついてしまう。



この屹立の4ヶ月間、オスの皇帝ペンギンは何も食べない。これは苦行を好んでいるわけではなく、ただ単にエサがないのである。

エサを取りに行くのは卵を産み終えたメスの役目で、彼女は海まで出掛けており、エサを獲って帰ってくるまでに往復で4ヶ月もかかるのだ。

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さあ、修行僧のように立ち続ける皇帝ペンギン(オス)の体内では、どんな生存の知恵が展開されているのだろうか?

身体が蓄えていた「ブドウ糖」は、当然一瞬で尽きる。その次はセオリー通りに、タンパク質と脂質の出番である。

タンパク質の減少は生命維持の致命傷ともなりかねないため、極力「節約」して使われる。その代わりにできるだけ、脂質を使おうとするのだ。



皇帝ペンギンは、最大で100日間、脂質を分解しながら難を凌ぐ。

しかし、脂質が残り20%を切ると、タンパク質を使わないわけにはいかなくなる。しかし、先述した通り、タンパク質はその半分が失われた時、死に至る。



皇帝ペンギンのオスが耐え忍ばなければならないのは、4ヶ月、つまり120日。

脂質が何とかもつのは最大100日間。すると、最後の20日間は、タンパク質が尽きるのが早いか、それともメスがエサをもって登場するのが早いかの「せめぎ合い」となるわけだ。



歴史上で皇帝ペンギンが生をつなぎ続けてきた事実は、強きオスたちがこの「せめぎ合い」を制してきたからに他ならない。

皇帝ペンギンの場合、絶食期間中のエネルギー供給は、そのほとんどが脂質からで(96%)、タンパク質はたったの「4%」しか使われていなかった。つまり、生命維持に不可欠なタンパク質はほとんど消耗していなかったのである。




ところで、絶食に耐える能力は皇帝ペンギンだけに備わったものなのだろうか?

極限状態におかれた時、他の動物たちは皇帝ペンギンが見せる「火事場の馬鹿力」を発揮することができないのだろうか?



そんな疑問を抱いたルマン研究員は、さっそくラットで実験をした。

すると、驚いたことにラットの体内で見られた変化は、皇帝ペンギンのそれと瓜二つ。巧みにタンパク質の消耗を抑え込んでいたのである。

この研究により、飢餓を生き延びるための絶食のメカニズムは、動物全般に備わっている可能性が見えてきた。



もし、人間にも同じ能力が備わっているのだとしたら…?

身長170cm、体重70kgの成人には、およそ15kgの脂肪が蓄えられており、この脂肪の量は健康な人が「40日間」生存するのに十分な量ということになる。

※倫理的な理由から、人体を使った臨床試験を行うことはできない。



地球に生命が誕生してからというもの、今の人類ほど食に不自由していないのは、極めてマレな状況である。

一般的に、外部のエサが尽きることは、むしろ日常茶飯事であり、そうした飢餓状態に耐えられなかった種は、すでにバトンを渡し損ねているだろう。

「進化の歴史の中で、その種が生き残れるかどうかは、絶食できる期間の長さによって決まってきた」といっても過言ではない。



人類の歴史の中でも、「規則正しく食事をし、冷蔵庫にタップリと食糧があるという今日の人間の暮らしはマレな状況」である。

そうした観点から見れば、「人間の身体は絶食よりも、むしろ『飽食に耐え切れない』」ともいえるのかもしれない。数時間ごとに毎食毎食、常に食べ続けるという食生活によって、人体に異常が生じることもあるのだか。



絶食は、飽食に慣れた人間が忘れてしまっている「遺伝子の記憶」を呼び覚ますのかもしれない。

忘れやすい人間の頭はスッカリ忘れていたとしても、長い長い目を持った遺伝子は、はるか昔の飢餓の記憶をしっかりと覚えているのだろう。



絶食状態に置かれた人間の遺伝子は、「常ならぬ行動」に出る。非常事態宣言である。

遺伝子発現、つまり細胞の機能を決めるメッセンジャーRNAがその非常を報せるのだ。



すると、ある部分では発現が活発になり、またある部分では通常よりも発現が抑えられる。そうして、全体としてとった体制は、「守りそのもの」である。

それは、まさに「古代の記憶」を呼び覚まされたかのような「急激な変化」であり、頼もしい反応でもある。遺伝子たちにとって、いまだ絶食は「想定外」では決してないのである。



「守りの体制」をとった細胞たちは、一気にその強さを高めてくる。

ここに、絶食させたマウスの強靭さを示す実験がある。

毒素の中でも最も毒素の強いものに「化学療法剤」があり、それはガンをも殺してしまうほどに強力である。その強力な化学療法剤が許容量の3〜5倍もマウスに投与された。

一方のマウスは通常通りのエサをもらい続けたグループ、もう一方のマウスは48時間(丸2日間)絶食させたグループである。



その結果は…。

絶食グループのマウスは全員生きている。かたや、いつも通りにエサをもらっていたマウスたちは…、「みんな死んだわ」。

死んだ方のマウスたちは、見るからに具合が悪そうになって、動かなくなってしまった。詳しく調べてみると、脳にも心臓にもダメージがあった。

絶食グループはただ生き延びだだけではない。いかにも健康そうで盛んに動き回っている。そして、その毛並みはツヤツヤだ。身体の組織も破壊されていなかった。



人間のガンの治療にも、こうした毒性の強い「化学療法剤」が用いられるわけだが、それはある意味「乱暴」である。

その薬剤はガン細胞だけを攻撃するのではなく、「急速に成長するものなら何でも」攻撃してしまうからだ。

こうした中、いかにガン細胞へのダメージを最大化し、いかに正常な部位へのダメージを最小化するかが、大きな課題なのである。



絶食マウスが化学療法に耐えてなお健康だったことは、一筋の光を見せてくれた。

たった2日間の絶食が、体内の正常な細胞に「守りの体制」をとらせ、毒素の攻撃を見事に跳ね返したのだから。



しかし、もしガン細胞も同様に「守りの体制」をとるのであれば、ガン細胞も生き延びてしまうのではないか?

幸いなことに、ガン細胞は守りの体制は得意ではないようだ。というのも、ガン細胞の遺伝子は突然変異によって誕生したものであるため、通常の細胞がもつ「古代の記憶」を有していないのだ。



ガン細胞はいわば強いだけの「成り上がりモノ」。負け戦をも知る歴戦の勇者ではなく、たった2日間の絶食で根を上げてしまうのである。

化学療法には滅法な強さを見せるガン細胞も、絶食というブドウ糖の少ない環境は苦手なのである。



今ではガン治療にも光を見せる絶食療法であるが、その光は製薬業界に暗い影を落とす。

絶食療法が注目を集めれば、現在ヘルスケア市場をほぼ独占している医薬品の売り上げが減ることになる。となると、製薬業界の抵抗は必至。



それでも、人々は絶食療法を求める。なぜなら、彼らは製薬業界の薬に見放されてしまった人々なのだから。

ベルリンにある欧州最大級の公立病院には絶食療法専門のフロアが作られ、すでに10年になる。社会保障の対象ともなっており、毎年500人以上が受診し、時には希望者が多すぎて、診療を断るほどであるという。



例えば、慢性化した気管支喘息は、従来の医学では完全に治すことができない(一時的に緩和する方法はあるが…)。

ところが、12日間の絶食がこの気管支喘息を完治させたという実例が、ロシアにある。オシニン教授は気管支喘息の専門家で、40年間、およそ一万人の患者を絶食療法で治療してきたのである。その間、事故は一つもないと教授は言う。

気管支喘息は、ヒスタミンという黒い物質が肺に溜まることで、気管支が痙攣を起こすのだが、12日間の絶食により、この迷惑者のヒスタミンが姿を消すというのである。



ロシアにおける絶食療法の歴史も古く、およそ60年間の科学的蓄積がある。

8000人を対象にした追跡調査では、その70%もが症状が改善したと報告されており、主たる病気のほか、高血圧・関節炎・喘息・皮膚炎など他の病気も、ついでに良くなっていたとの報告も多い。



ロシア絶食療法の中心地となっているのは、シベリアの「ブリヤート共和国」。

シベリアは厳しい土地であり、質素な暮らしは当たり前。慎ましさが尊ばれるその土地柄は、絶食を受け入れられやすい素地ができていた。

※ロシアにあっても、この地域だけは絶食療法に健康保険が適用される。



ここのゴリャチンスク診療所は、「一般の病院で最善とされる治療を受けても症状が改善しなかった人たち」が、最後の救いを求めてやって来る。

バイカル湖を眺めながらの絶食生活は、まんざらでもないらしい。



「食べることを断つことで、健康になる」

そんな新しい生き方をしようとする人は、思ったよりも世界にたくさんいたようだ。

人間の身体は我々が思うよりも、もっと強いものであり、もっと質素を好むものなのかもしれない。



過剰な食物は体内を汚してしまうのか、絶食を心地良く感じるのは、その「浄化された感じ」なのだとか。

現代社会を批判する人たちは、「社会は汚れきっている」、とも口にする。

ところで、そうした人々の体内はどうか?



大きな問題は小さな問題の積み重なりであり、どんな小さな問題でも、その種は一緒であろう。

その一口を正すこと。その小さなことが、世界を正すことにもつながるのかもしれない。





関連記事:日本から遠ざかり続ける「食料」。それらの生産地は、果たして?



奇跡が起こる「超少食」
―実践者10人の証言「超少食で難病が治った!」 (ビタミン文庫)



出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ
 医療研究の最前線 「絶食療法の科学」

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2012年04月12日

日本人が大好きな「タコ」はアフリカからやって来る。


「タコ」の価格がウナギのぼり?

今やスーパーのタコは「高級品」。安いマグロや肉などよりもよっぽど高い(100gあたり300〜400円)。国際市場は前年比で30%近く上昇しているとのこと。

さらに悪いことには、先月までの円安の影響で輸入商社は今月分の買い付けを見送ることろもでてきている。そのため、4月の小売価格はさらに30%値上がりしたという。

このままでは、真っ赤なタコにタコ焼き屋さんも真っ青だ。

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ところで、我々日本人が食するタコはどこからやって来るのだろう?

国内産は3割程度にすぎず、他7割は「輸入」に頼っているというのだが…。



1970年代以降、その最大の輸入先となってきたのは意外にも「西アフリカ」。最大で日本の輸入量の6割以上を占めるほどである。

大西洋に面する西アフリカのタコは、アワビなどを捕食することからその身が大変に柔らかく、その味はたいそう日本人のお気に召したようである。




タコの輸入量のデータは1974年以降からしか残っていないものの、1970〜1990年頃までは「モーリタニア」からの輸入が圧倒的に多かった。

そして1990年以降は、「モロッコ」のタコが主流になる。だが、2003年にモロッコは8ヶ月にわたるタコの「禁漁」を宣言する。それはモロッコの海のタコが乱獲され激減しまったゆえのことである。以後、モロッコは度々の禁漁を行ったために、日本への輸出は急減。



そこで、再びモーリタニアの出番がやって来た。日本企業が港湾を整備したこともあり、日本向けのタコは急増。

その流れは現在にまで続くもので、スーパーのタコの原産国を見れば、「モーリタニア」ばかりのはずである。



ところが、その頼りのツナであったモーリタニアでも、近年タコの不漁が続いている。それが冒頭のタコ価格急騰につながったのである。

幸か不幸か、世界のタコ食は「増加傾向」にあるため、供給の減少と需要の増大がその価格を押し上げたのである。



ところで、世界ではどんな国の人々がタコを好むのか?

もともと南ヨーロッパの人々(フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ)はタコをよく食べる。西アフリカや地中海のタコが、伝統料理の食材としてお馴染みなのである。

それに対して北ヨーロッパの伝統料理にタコを見ることはまずない。イギリスではタコは「悪魔の魚(Devilfish)」であり、北欧の怪物「クラーケン」は船を襲う巨大なタコである。




アジアでは日本と韓国がよく食べる。

中国や台湾でも食べられるものの、それは伝統的なものではなく、日本料理や韓国料理から広まったものらしい。

また、インドではタコを食べる習慣はないとのこと。



それでは、日本に大量にタコを送ってくれる西アフリカの国々はどうなのか?

なんと彼らは「全然食べない」。

なぜなら「イスラム教徒」が圧倒的多数を占める同地域では、宗教上、豚を食べないようにタコも食べないのである。



彼らの宗教の書によれば、こう書いてある。

「水中に住む生き物のうち、『ウロコとヒレのあるモノ』は食べても良いが、それ以外のモノは食べてはならない(レビ記、申命記)」

つまり、ウロコもヒレも持たないタコは「食べてはいけない」のである。当然、同じ理由から彼らはイカもエビもカニも貝類も「食べてはいけない」。

※ユダヤ教徒も同じ理由から同様の水産物を食べない。


大人も子どももわかる
イスラム世界の「大疑問」



ということは、西アフリカで盛んにタコが捕られていたのは、わざわざ日本に送ってくれるためだったのである。

実際、モロッコやモーリタニアで取れたタコは、そのほぼ全量が日本に輸出されているとのこと。

また逆に考えれば、彼らイスラム教徒が食べないタコは、彼らにとっては何の値打ちもないものにも関わらず、日本人たちは喜んで買ってくれるわけであるから、それはそれで彼らにとっては美味しい話だったのかもしれない。



しかし、日本人の「タコ好き」は度を超していた。

とりわけ2000年に入ってからの「タコ食い」は凄まじかった。

折りしもの「タコ焼きブーム」によって、日本国内のタコ需要は急増。モロッコやモーリタニアのタコが日本中にあふれかえったのである。




ところが、タコは無限ではない。

モロッコの海からタコは消え、そしてモーリタニアの海でもピーク時の半分以下しか捕れなくなった。要するに「乱獲」のツケが回って来たのだ。

日本人がタコ焼きを食うスピードがタコの繁殖するスピードを上回ってしまったのである。

また、世界に「Sushi(寿司)」が広まっていったことも、世界のタコ食いを加速させた。アジア地域はもちろん、タコを食べなかった中南米の人々も寿司の上のタコを食べるようになったのである。




WWF(世界自然保護基金)は、タコを食いすぎる日本をこう批判している。

「モロッコやモーリタニアで獲れたタコのほとんどが日本に来ていたことは明らかで、それがしばらく続いたために、どちらの国でもタコが獲れなくなってしまいました。

日本人がタコ焼きの具や酢ダコとして安く大量に食べることにより、両国の資源を根こそぎ獲ってしまったのです」




歴史をさかのぼれば、1970年頃まで日本は魚介類の「輸出国」であった。

ところが現在の日本は世界一の「輸入国」。日本の魚介類自給率は今や60%ほどにすぎない。



輸出国から輸入国に転じた1970年代には「オイル・ショック」があり、「200海里規制」があった。

そのため、それまで高度経済成長に乗って盛んに水揚げ量を増やしていた日本の漁業は一挙に暗転。それ以来、国内での漁獲量の減少は今なお続いており、現在はピーク時の半分にまで落ち込んでいる。



現在の日本は世界の海から海産物を調達しており、ある国の海産資源を枯渇させたりもしている。

それはWWFの指摘する通り、「資源を根こそぎ獲ったあとは、次々と違う国や地域に触手を伸ばしている」のである。

実際、昨今のタコ価格急騰を受けて、日本の輸入商社は西アフリカから中国・ベトナム、メキシコなどにもタコを探しに行っているとのことである。




タコという生き物は、外敵に襲われた時には、自分の足を切り離して逃げるのだという。そして、そのなくなった足はまた生えてくる。

ところが、不思議なことに自分で自分の足を食べると、その足はなぜか再生しないのだそうだ。

※タコは空腹などのストレスから自らの足を食べてしまうことがある。



こうしたタコの習性が「タコ配当」という言葉を生んだ。

株式市場で使われるこの言葉の意味は、「利益があったように見せかけるために、利益以上の配当を行い、経営状況の悪化を取り繕ってごまかす自殺的な配当行為」とのことだ。



ある海にタコがいなくなったからといって、他の海にタコを探しにいっても、それは自らの足を食らう行為に等しい。

タコの足が自らの足を食らった時、その足は二度と生えてこないのだ。



なぜ、自らが食べた時にその足は生えてこないのか?

それはその行為が自殺行為であるからであろう。エサに困って自分を食べてしまう習性を身につけてしまえば、いずれ同種間ですら共食いしてしまうかもしれない。

そうなってしまうと、一個体の自滅にとどまらず、種全体の絶滅にもつながりかねない。そう考えると、自分で食べた足が生えてこないのは、神様の親切とも思えてくる。



ところで人類は?

タコの乱獲に限らず、共食い的な自滅行為は世界のアチラコチラに見られるのではなかろうか?

他の足だと思ってバクバク食べていたら、それは自分の足だったということも珍しくはないのかもしれない。幸か不幸か、世界の海は結局つながっているのだから。



たかがタコ焼き。

それが世界の海の乱獲につながっているとは、思いもよらないはず。

されどタコ焼き。

タコは一年間でその体重を10倍以上に増やすこともあり、その繁殖サイクルは1〜3年と早い。

それでも海からタコが消えるとは、恐るべし人類の早食い。



世界の広大さは、その恵みが無限であると誤解させがちである。

しかし、その恵みが湧き出でるスピードは昔から決して速くはなっていないはず。

回転が速くなったのは人間社会ばかりであり、人々の食べるスピードばかりである。





関連記事:
「真珠」の美しき輝きは「アコヤ貝」の涙であろうか?

人の生んだ「トラウトサーモン」。マスでありサケであり、オスでありメスである…。



出典:
魚種別に見る水産資源の現状と問題/タコ
WBS特集「タコの価格に異変
水産物自給率の推移(グラフ)



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2012年03月07日

「不満足」こそが職人の魂。世界が認めても「成瀬正」は満足しない。そんなパンの物語。


飛騨の田舎に、「不機嫌なパン職人」がいる。

眉間にシワを寄せ続けるその顔は、怒っているかのようにも見える。



彼は「不満」なのである。

何に不満なのかと言えば、自分の作った「パンの出来」に不満なのである。

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彼のパンづくりの技術は、それほどに拙(つたな)いのか?

いやいや、そんなことはあるはずがない。

なぜなら、彼は「世界」でも認められた一流のパン職人なのだ。



彼の名は「成瀬正(51)」。

2005年の世界大会「クープ・デュ・モンド」で日本代表に選ばれ、団体で「世界3位」という輝かしい成績を収めた。

彼はその時のチームリーダーであった。



※クープ・デュ・モンド(Coupe Du Monde)とは、パン職人のワールドカップのようなものであり、3年に一度、フランス(リヨン)で開催される。

世界12ヶ国の代表たちが3人一組となって、規定の時間内(8時間)に、限られた材料でバゲットやクロワッサンなどの腕を競う。

成績下位半分(6ヶ国)は次回の出場権を失うが、日本は1994年の初出場以来、毎回出場を果たし続けており、2002年には栄えある初優勝の栄冠にも輝いている。




成瀬氏の出場した2005年大会は、いろいろな意味で「苦難の年」であった。

というのも、日本チームは前回大会で優勝していたために、世界の目は日本に大きく期待する一方で、その目は厳しさを増していた。



さらに、数々のトラブルが日本チームを次々襲う。

粉の指定が直前で変更されたために、その再調整にギリギリまで時間が取られた。そして、大会当日は機械のトラブルに見舞われ、その生地が使えなくなってしまう。

それほど逼迫した条件の中ですら、日本チームは大健闘した。「今までで最も困難な苦境」とまで言われた大会で、世界第3位になったのだから。



その時の写真を見ると、成瀬氏の顔は微笑んでいるように見えて、どこか「不満」そうだ。

きっと、世界に認められてなお、その出来には満足いっていなかったのかもしれない。

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「常に、不満足であれ」

これこそが彼の信条なのである。



職人としての「飽くなき追求」。ただただ「自分の腕を磨き続ける」。

その信条の元では、たとえ世界に賞賛されたとしても、不機嫌な表情をそう簡単に崩すわけにはいかないのだ。

「満足したら、そこで終わってしまう。」



成瀬氏の家は、「学校給食用」のパンを作るパン屋さんであった。

幼き頃よりパンに親しみ、父親の働く後ろ姿を見ていた成瀬であったが、「パン職人だけにはなるまい」と心に決めていたそうである。



しかし、周囲の状況がそれを彼に許さなかった。

父親がガンで倒れるや、パン工場には億単位の借金ばかりが残され、岩にかじりついてでもその立て直しを図らなければならない状況に追い込まれたのだ。



新しいパン屋の船出は好調であった。

連日多くの客で賑わう店内は、今後の先行きの明るさを示していた。

ところが、その盛況ぶりは4日と続かなかった。4日目には早くも客足が遠のき、すっかり泥沼にはまり込んでしまった。



連日売れ残るパン…。

それでも、成瀬氏には「やめる」という選択肢は許されていなかった。



やはり、売れないパン…。

成瀬氏は、こんなことも考えた。「もし、この店が都会にあったのなら…。」

田舎には高級で良質なパンを喜んでくれる客層が乏しい。もし、都会であれば、もっとパンが売れるのではないか? いっそのこと、田舎を離れるべきなのか?

こうした悶々とした日々は、3年以上も続いたのだという。



泥沼にもがく成瀬の心を一変させたのは、あるパン職人との出会いであった。

フランスの片田舎で、黙々とパンを焼き続けるパン職人「ジョセフ・ドルフェール」との出会いである。



成瀬氏は彼のパンを口にするや言葉を失う。

それほど、とんでもない出来栄えであったのだ。

ここはパリから車で5時間もかかる田舎町。そんな田舎町で、まさかこれほどのパンに出くわすとは…。



それもそのはず、ドルフェール氏はパン大国のフランスがお墨付きを与えたパン職人。「フランス国家最優秀職人(MOF:Meilleurs Ouvriers de France)」である。

それほどの人物が、ただただ田舎の人々の口を満足させるためだけに、喜んでパンを焼き続けている。

この田舎町はドルフェール氏の生まれた土地であったのだ。

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成瀬氏は想う。

「この町の人々の、なんと幸せなことか。

こんな田舎にいながらにして、世界最高峰のパンを毎日食べられるのだから。」



同時に、成瀬氏の心は決した。

自分のパン屋も、そう思われるパン屋になろう。

「飛騨高山の人々は、なんと幸せなことか。成瀬のパンが毎日食べられるのだから」、そう思われるパン屋になろう。

この時以来、成瀬氏の心からは都会への夢想は霧消し、ただただ生まれた土地に根をはることだけに専心することになる。



そして現在、飛騨高山の人々は日本中のパン好きに羨(うらや)まれている。

成瀬氏のパン屋は「パン好きの聖地」とまで称えられ、日本全国からこれでもかと客が押し寄せるのだ。

そんなパンを飛騨高山の人々は、居ながらにして楽しむことができる。これこそ、若き成瀬氏が追い求めてやまなかったものである。



「地方にでも、美味しいフランスパンはあるべきでしょうし、美味しいクロワッサンはあるべきでしょう。美味しいパンは、近くで買えれば一番いい。

地方の人に、『フランスパンって、こんなものなの』と思われてしまうのが、一番まずい。」




世界を知る成瀬氏が理想とするパンは、いまだ彼の手元にない。

日々、焼き上がるパンを見ては首をかしげ、「おかしいな…」「難しいな…」と、理想への試行錯誤はやむ気配がない。

「コネを30秒短くしてみようか」、「あと5分発酵させてみよう」

厨房に立ち続ける10時間、成瀬氏の顔が緩むことは決してない。



そんな彼を慕って、多くの若きパン職人たちが飛騨高山にまで修行にやって来る。

「一番身近なところで、一番美味しいパンが買えること」、それが成瀬氏の願いであるのだから、修行を終えた若者たちが、自分の土地でパン屋を開くのを何よりも歓迎している。

むしろ、それこそが成瀬氏の使命であるかのように。



土屋清明さん(33)は、成瀬氏に惹き寄せられたそんな若者の一人である。

パン未経験でありながらも、店を出したいという強い想いが彼を飛騨高山にまで足を運ばせた。



見ること、やることが全て新鮮な土屋さん。

先輩たちの仕事を、懸命に見て学ぶ。



そんな土屋さんを遠目で見守る成瀬氏。

ある時突然、土屋さんに「クープを入れてみろ」とカミソリを渡す。



「クープ」というのは、バゲットの表面に入れる「切り込み」のことで、バゲットが焼き上がった時には、その切れ目が開き、それが「パンの顔」ともなる。

このクープひとつでパンの表情が決するために、もし、それをしくじれば、それまでの工程が台無しになってしまう。




顔のこわばる土屋さん。

今まで先輩の仕事を見ていたようで、いざ自分がやるとなると、カミソリの持ち方すら思い出せない。

プルプルと入れたクープは、どこか冴えない。それでも、成瀬氏はそのままバゲットを窯に入れた。

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焼き上がったバゲットを、土屋さんに差し出す成瀬氏。「違いが分かるか?」

正直、土屋さんにはよく分からない。

結局、土屋さんがクープを入れたバゲットは、店に並べるカゴに入れられることはなかった。

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何度か、クープを任される土屋さん。

しかし、決まってそのバゲットは外される。毎日、毎日、バゲットはダメになる。



「昨日のが生かされてねぇよ。全然。」と成瀬氏は依然厳しい。

ただでさえ不機嫌そうな顔は、ますます不機嫌に見える。



と、ある日のこと、焼き上がったバゲットを不機嫌そうに眺めていた成瀬氏は、土屋さんがクープを入れたバゲットを2本、売り物用のカゴに突っ込んだ。

思わず顔がほころぶ土屋さん。初めて自分の仕事が認められ、お客様にお出しすることになったのだ。



嬉しさが込み上げるも、気を許すことは許されない。

「満足しちゃダメなんです」

土屋さんは、辛(かろ)うじて不満足な表情を維持することができた。

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「常に不満足であれ」

その心は、土屋さんに伝わりつつあるようだ。



一見不機嫌そうな職人たち。

その不機嫌な表情の裏には、高い志があるのだろう。そして、その高い志は、もっとも身近な人々に向けられたものである。

無愛想ながらも、何と心の暖かい職人たちであろうか。



飛騨高山では今も毎日毎日、世界レベルのパンが次々と焼き上がっている。

成瀬氏のパン屋の名前は「トランブルー(Train Bleu)」。

そのフランス語を英語に直せば「ブルー・トレイン」。そこには、「長い道のりを、目的地に向かってコツコツとひたすら走り続けてゆく」という願いが込められている。



今日の成瀬氏も、焼き上がったパンを睨(にら)んで首をかしげているのかもしれない。

その不機嫌な表情とは裏腹に、彼はパンを焼くのが楽しくてしょうがないのだ。そして、そのパンの表情を伺うのが、嬉しくてしょうがないのだ。



毎日毎日、一度として同じ表情のないパン。

「時間はかかっても」、たとえ「売れなくても」、それでも彼はパンを作り続けるのだろう。

彼の生み出すパンは、そうした地道な下地の上に実った結晶なのである。






出典:プロフェッショナル 仕事の流儀
「不満足こそが、極上を生む パン職人・成瀬正」



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2012年02月07日

英国人のこだわる「紅茶」の世界。温度、酸素、そしてウィット。


「紅茶が先か? ミルクが先か?」

「ミルク・ティー」を美味しく飲むために、イギリス人たちが100年間もこの問題で悩み続けたのだという。

そして2003年、英国王立化学協会(the Royal Society of Chemistry)は、その結論を遂に出した。

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「完璧な紅茶の淹れ方(How to make a Perfect Cup of Tea)」と題されたその論文にある結論とは…?

「ミルクが」であった。「Pour milk into the cup FIRST(原文でも大文字で強調)」。



なぜ、ミルクが先なのか?

最も重視されたポイントは、ミルクの「温度」であった。



ミルクのタンパク質は「75℃以上」で熱変性(denaturation)してしまい、不味(まず)くなってしまうのだ(tastes bad)。

もし、熱々の紅茶にミルクを注いでしまうと、注がれたミルクが熱々の紅茶によって「一気に加熱されて」、変質してしまう(ミルクの温度は75℃を超えてしまう)。

ところが、あらかじめカップに入れられたミルクの上から紅茶を注ぐのであれば、注がれる紅茶は「熱を失いながら」ミルクと混ざっていくので、ミルクはギリギリ75℃以下のままで保たれる。

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ミルクの味を損なうのは、75℃以上に加熱された結果できる「変性タンパク質(denatured proteins)」。

そのため、販売される段階で「あらかじめ高温処理されているミルク」の使用は奨励されていない。

※UHT牛乳というのは、120℃で2秒間殺菌された牛乳(Ultra High Tempearture)であり、当然タンパク質は変質してしまっている(マズイ)。それに対して、LTLT牛乳というのは、63℃で30分間殺菌された牛乳(Low Temperature Long Time)であり、タンパク質の美味しさは損なわれていない(イギリスでは低温殺菌のLTLT牛乳が主流であるが、残念ながら日本では超高温殺菌のUHT牛乳がほとんどである)。



ミルクの温度だけに限らず、紅茶道においては、あらゆるシーンで「温度」が味の命運を分けることになる。

たとえば、紅茶葉に注ぐお湯の温度は?

沸騰したお湯(100℃)か? 沸騰直前のお湯(95℃)か?



沸騰してしまったお湯(100℃)を紅茶葉に注ぐと、茶葉は死んだように下に沈んだまま、ピクリとも動かなくなる。

一方、沸騰直前のお湯(95℃)であれば、茶葉たちはお湯の表面に勢いよく浮上し、しばらくすると(約2分後)、ゆっくりと下に沈み、そしてまた浮上する(ジャンピング)。

その躍動的な様は、お湯の中を茶葉が優雅に踊っているようであり、茶葉がティーポットの中を踊り動き回る間に、「紅茶らしい味」が十分に引き出されることになる。

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その結果として、「100℃」と「95℃」とでは、紅茶の味が劇的に変わってしまうのである。

このたった「5℃の差」は、いったい何の差なのか?

それは、お湯の中に含まれる「酸素の量」の差ということになる。



水の酸素濃度を「20℃」の時に100%とすれば、温度が上がるにつれて酸素の割合は低下していき、「95℃」では「およそ20%」、「100℃」では「10%以下」になる。

つまり、100℃と95℃という温度にして「5℃」の差は、酸素量にすると「倍以上」の差となってしまうのである。



茶葉がティーポットの中を上へ下へと動き回れる(ジャンピング)のは、茶葉の回りにくっついた酸素が「浮き輪」のような役割を果たしてくれるからである。

だからこそ、酸素の豊富な95℃のお湯(沸騰直前)で茶葉は踊り回り、酸素のほとんどなくなった100℃のお湯(沸騰済み)では、浮き上がるすら叶わなくなってしまうのである。



温度が低ければ低いほど、酸素の含有量が増すのであれば、95℃よりも低いお湯のほうが良いのではないかとの見解もある。

酸素だけに着目すればもっともな見解ではあるが、残念ながら90℃以下では「紅茶の成分」が溶け出てこない。

酸素の量を重視するのは、酸素が茶葉を盛んに動かして紅茶成分を十分に出すためであるのだから、温度が低すぎて紅茶成分が出ないとなるのは本末転倒である。



また、一度沸騰してしまったお湯を95℃に「冷まして」使っても意味はない。

なぜなら、一度沸騰してしまえば、お湯の中の酸素はすでに失われているからである。

「あらかじめ沸かしたことのない新鮮なお湯(freshly drawn water that has not previously been boiled)」を用いることは、英国王立化学協会の強調するところである。「混入酸素(dissolved oxygen)の有無」が「紅茶の風味(the tea flavour)」を左右することになるのだから。




さて、次に考察するのは、「紅茶を飲む温度」である。

紅茶を淹れる温度もさることながら、飲む温度によっても、紅茶の味は大きく変わってしまうというのだが…。



結論から言えば、「60〜65℃」の紅茶を飲むのが、もっとも美味しく感じるということだ。

「60〜65℃」という温度は、カップに唇を当てて、すすらなくとも飲めるくらい熱々の温度であり、紅茶をカップに注いでから1分以内の温度である。

ここで注意しなければならないのは、紅茶が熱いからといって「ズズーッ」とすすって飲む(slurping)のは英国人の嫌うところだということである(最適な温度であれば、音を立ててすすらなくとも飲めるはず)。

英国人は、熱すぎる紅茶に対して、冷たいティースプーンを入れて、紅茶の温度を調節したりもするらしい。



ところで、「60〜65℃」よりも紅茶の温度が低くなると、なぜ不味(まず)くなるのか?

それは、「渋み」が増えすぎてしまうからだそうだ。



紅茶の渋みは「タンニン」という成分であり、苦味は「カフェイン」ということになる。

紅茶の温度が低くなると、渋いタンニンと苦いカフェインが結合して、「より大きな複合体(タンニン・カフェイン複合体)」を形成する。

大きな分子ほど舌などに付着しやすく、口の中に残りやすい。その結果、後味が渋く苦く、いつまでも残ってしまう。まさに苦渋の状態である。

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紅茶の理想的な渋みというのは、「パンジェンシー(心地良い渋み)」である。

心地よい渋みとは、紅茶研究家の磯淵猛氏に言わせれば、「瞬間的にキュッと感じるけど、スーッと切れていく感じ」ということになる。

つまり、渋みは感じるけれども、いつまでも口に残らずに渋みは消えていくのである。




最適な温度(60〜65℃)の紅茶であれば、渋味のタンニンが小さいままなので、スーッと消えていく。

ところが、それより低温の紅茶となると、大きなタンニン(渋味)が口の中に残りやすくなる。

一口ごとに嫌な渋みが積み重なっていってしまい、大変に不快な渋みとなる。そして、ついでに苦味のカフェインもが舌を嫌がらせることにもなる。



このように、英国王立化学協会の示す「完璧な紅茶」は、科学的な考察を踏まえた理性的な文章なのであるが、英国人は「ウィット」を交えずにはいられないようでもある。

個人的な化学(Personal Chemistry)として、紅茶を楽しむための「下準備」が以下のように記されている。



「冷たい横殴りの雨(cold, driving rain)の中を、少なくとも30分間は重い買い物袋とともに犬を散歩させる。

この下準備は、一杯の紅茶を『この世のモノとは思えない味(out of this world)』へと変えてくれるだろう。」



ちなみに、完璧な紅茶とともに読むべき「理想的な本」としては、ジョージ・オーウェルの『Down and Out in Paris and London』が、英国王立化学協会により推奨されている。





ジョージ・オーウェルといえば…、





参考・出典:一杯の完璧な紅茶のために

アインシュタインの眼
「紅茶〜“心地よい渋み”を楽しむ」



posted by 四代目 at 06:28| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

日本人が平気で食べる「生卵」。ところが…、世界の人々は生卵を食べない?


「え〜っ、そんなモノ食うのは、『蛇』と『日本人』だけだよ。」

ヨーロッパの人々が驚く「そんなモノ」とは?

なんと、単なる「生卵」。彼らには卵を生で食べる習慣がないのである。




生卵食いを「ゲテモノ食い」と断じる彼らヨーロッパ人はと言えば…、「ニワトリの『トサカ』」を生で食う。

今度は日本人が驚く番である。「コリコリして美味しいよ」と言われても…。

肉食の民は、獲物のあらゆる部位を余さず食べるのが基本らしい…。それでも卵は生で食べない。

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日本人の生卵食いに驚くのは、「中国人」も然り。何でも食べそうなイメージがある中国人でさえ、生卵ばかりは食わない。

日本人が生卵を食べると聞くと、中国人たちは「アイツら(日本人)は頭がおかしい…」、と思うのだそうだ。



そんな中国人たちは、「サソリ」を平気で食べる。養殖してまで食べる。

素揚げにすれば、川エビの唐揚げのようなものだという。「毒をもって毒を制す」のか、「鎮痛剤」にもなるとのことだ。

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毒を持つサソリを中国人が食べれば、日本人は毒をもつ「フグ」を食う。しかも、最も毒性が強いとされる「卵巣」まで食べる。

「発酵」させれば毒は消えるのだが、そのメカニズムは科学的に解明されてはいない。万が一「当たった」際には、毒消しもない。




「発酵」という変化は、「腐敗」と紙一重。というか、両者に明確な区別はない。むしろ、化学的には「同一の作用」である。

体感的に言えば、「食べられる」のが発酵ということになるのだろう。



「すし」を30年間発酵させれば、その様はヨーグルトのようなドロドロの液体になる。その大元となる「すし」は、塩漬けにした魚とご飯を樽に詰めたもの。和歌山県に伝わる「本なれずし」のことである。

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元々、「すし」は保存食品だったのだという。腐りやすい生魚を保存するための知恵だったのだ。

ところが、江戸のせっかちな人々は、すしが発酵するのを「待てなかった」。その場で酢をぶっかけて、「握り寿司」にしてしまったのである。現在主流の「すし」は、ファストフードということになる。



スウェーデンに伝わる「シュールストレミング」というニシンの缶詰も、なれずし同様、生魚を発酵させたものである。

2ヶ月間塩漬けにしたニシンを、加熱・殺菌せずに缶に詰める。その缶の中で発酵が進むため、缶はパンパンに膨れ上がる。

シュールストレミングは、何よりも「臭い」のが特徴だ。日本のなれずしの10〜15倍も臭い。世界一臭いという話でもある。




それほどのクサさにも関わらず、スウェーデンの人々は平気でシュールストレミングを食らう。

シュールストレミングの解禁日は、毎年8月の第3木曜日と定められており、スウェーデンの人々はその日を「心待ち」にしているのである。

その心境は、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日を待ち焦がれる日本人と同じなのであろうか?



世界中を見渡せば、奇食・ゲテモノが幾多と見つかる。

しかし、他人がゲテモノと思うものでも、それを日常的に食する人々にとって、それは美食でもあったりする。

我々日本人は、生卵を「ゲテモノ」だとは寸分も思っておらず、むしろ朝の楽しみですらあるのである。




「毒」であれ、「発酵」であれ、それらは人間にとって「食の限界」でもある。

「死」を遠ざけるために食するはずが、その食の毒がキツすぎれば、逆に「死」を近づけてしまう。それは発酵も同じことで、もし腐っていたら食中毒だ。



それでも、人間はその「限界」を押し広げてきた。

そしてそれは、毒があるかもしれない、もしくは腐っているかもしれないモノまで食べなければ、生きていけない状況に追い込まれてきた結果なのだろう。

食べずに死んでしまった人もいれば、食べたがゆえに死んでしまった人もいたはずだ。食の歴史を振り返れば、死屍累々なのであろう。



「こんなものまで食べるのか」と思うものを食べる民族ほど、その食の歴史は苦難の歴史だったとも考えられる。

世界の奇食を食べ歩いた「石毛直道」氏は、子供の頃に「土」を食べていたのだという。

終戦間もない頃の食糧難の時代、ひもじすぎて「土」を口にした石毛氏、それが意外に「うまかった」。特に土壁の「土」がうまかった。自分の家のみならず、他人の家の土壁までコッソリ食べていたという。

ちなみに、世界の民族の中には、土を食らう民族は少なくない(アメリカ、カナダ、アフリカ、インドネシア、ベトナム、ニューカレドニアなどなど)。

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我々日本人は、密林の中で「イモムシ」を食う人々の姿を見ると、「エーーッ!」と驚く。

ところが、その彼らは日本人が「生で魚を食う」と知ると、「オエーーーッ!」となる。



石毛直道氏に言わせれば、

「自分が食べるものが『まっとう』で、食べないものは『ゲテモノ』」となる。

とどのつまり、「文化を測る『これが正しい』というモノサシ」はないのである。






出典:爆問学問 奇食屋台

posted by 四代目 at 06:08| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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